2016年1月15日に長野県北佐久郡軽井沢町で起きた「軽井沢スキーバス転落事故」は、乗員・乗客41人中15人が死亡し世間を騒然とさせました。
この記事では、「軽井沢スキーバス転落事故」の原因や生存者と小室結さんなどの犠牲者、その後現在までの情報について詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
「軽井沢スキーバス転落事故」の概要
多くの大学生が亡くなった最悪のバス事故
「軽井沢スキーバス転落事故」が発生したのは2016年1月15日1時55分頃で、事故現場は長野県北佐久郡軽井沢町の国道18号碓氷バイパスの入山峠付近です。
東京都羽村市にある運行会社「イーエスピー」が管理する定員45人乗りの大型観光バスが、猛スピードで蛇行運転をした後に反対側車線にはみ出し、ガードレールを突き破って道路脇の雑木林に転落しました。
バスは3メートル下まで転落して横倒しになっており、立木に衝突して全体が大破した状態でした。
この事故により、乗員・乗客41人(運転手2人、乗客39人)の内、15人が死亡(うち2人は乗員)、生存者も全員が重軽傷を負いました。
場所: 長野県北佐久郡軽井沢町(国道18号碓氷バイパス)
日付: 2016年(平成28年)1月15日1時55分頃 (JST)
原因: 速度の出し過ぎによる運転ミス
死亡者: 15名(運転手2名、乗客13名)
負傷者: 26名
なお、乗客の犠牲者全員が10代後半から20代前半の大学生だったことから、世間に与える衝撃は大きなものとなりました。
「軽井沢スキーバス転落事故」原因~運転手の経験不足とずさんな管理体制
軽井沢スキーバス転落事故原因① スピード超過
バスは猛スピードでカーブに入っていた
事故現場から250メートルほど離れた場所に設置された国土交通省管轄の監視カメラでの映像によれば、バスはブレーキランプを何度か点灯させながらも猛スピードでカーブに突っ込み、ガードレールに衝突直前に急ブレーキをかけた様子が移っていました。
バスはガードレールに衝突する前から制御不能の状態に陥っていた可能性が高く、制限速度が時速50kmの区間をおよそ100kmで暴走しており、事故直前にも96km出ていることが分かりました。
なお、運転手の過失からかギアがニュートラルに入ったままになっており、ニュートラルではエンジンブレーキが作動しないことから、ガードレール衝突直前の急ブレーキはフットブレーキのみでバスの制御不能に陥っていた可能性がありました。
軽井沢スキーバス転落事故原因② バス会社のずさんな管理体制
運航会社は違法なことを繰り返していた
バス運行会社の「イーエスピー」は、「軽井沢スキーバス転落事故」発生の2日前に、国から義務付けられている運転手の健康管理を怠っていた法令違反があったため、バス1台を20日間の運行停止命令が出ていました。
また、事故後に行われた「イーエスピー」のバス運転手への聞き取り取材によれば、以下のような不正が横行していたことが分かっています。
・運転手への携行が義務付けられている「運行指示書」が無い、もしくは具体的な走行ルートが記載されていなかった。
・仕事を取るために格安で額で旅行会社から受注し安全対策費を無視していた。
・大型バス運転経験のが十分ではない運転手を、簡単な研修だけで実車乗務をさせていた。
・運転手の運転時間や拘束時間、バスの整備管理など国から義務付けられた細かい規制を無視していた。
「軽井沢スキーバス転落事故」により明らかにされた「イーエスピー」のこうした違法な管理体制は、貸し切りバス業界に根深く違法な運営が蔓延している実態を暴き出すことになりました。
軽井沢スキーバス転落事故原因③ 運転手の経験不足
事故当時運転していた土屋廣運転手(65歳)
事故当時運転していた土屋廣は、バス運転経験は通算10年以上あったものの、大型バスの
運転経験がほとんどありませんでした。
ちなみに土屋廣は時給900円で働いていたそうで、遺族不明でで遺体の引き渡しが出来ていないそうです。
16日に記者会見した同社の運行管理者の荒井強所長(47)は「一般道の運転はさせず、高速道路をやってもらおうと指示していた」と、経験を不安視していたことを明らかにした。
同運転手は和菓子製造や砕石販売などの会社を経て、バス運転経験は通算10年以上あった。ただ土屋運転手の過去の勤務先などによると、中型やマイクロバスの運転が多かったという。
ちなみに経験不足の運転手を採用せざるをえない背景に、バス業界の慢性的な運転手不足があります。
雪と言えば先日発生したスキーバス事故、色々と周囲の状況が明らかになってきたね。バス会社は点呼なしやルート変更は常態化、さらに運ちゃんも日頃小型バス専門だったのに人手が足りないからって一度研修させただけで担当させるってなんちゅう酷い会社。ある意味運ちゃんもクソバス会社に殺されたね。
— 観太郎 (@kantarou201) January 18, 2016
「軽井沢の事故で何か変わったかって? はっきり言って、なんにも変わってないよ」。→軽井沢バス事故3年 運転手に聞いたその後の業界:朝日新聞デジタル https://t.co/XoHLEAsmsy
— 岡本峰子 (@mine56ramp300) October 29, 2019
「軽井沢スキーバス転落事故」生存者の証言
犠牲者と生存者の運命を分けたのは運
「軽井沢スキーバス転落事故」発生当時、生存者の大学生らが口を揃えて語っていたのは、バスが衝突した衝撃で気を失ってしまったというものでした。
そのため、ほとんどの乗客が意識的に身を守るという行動が取れず、気づいた時には土の上に倒れていたという証言が多かったようです。
亡くなった田原寛さん(当時19歳)は、同じ大学の友達5人とバスに同乗していましたが、その友人の一人が以下のように証言しています。
事故の瞬間をまったく記憶していない。気がついたら、森に倒れていた。近くにいた人から「携帯を持っていますか」と聞かれ、ポケットから携帯を取り出したのが最初の記憶だ。「なぜ電話が必要なのか、と思った」
その人は119番に電話をし始め、事故が起きたと気づいた。ふと現実に気づくと、うめき声が周りから聞こえてきた。「ドラマでも見ないような光景。最初は寒かったが、興奮してきたのか寒くなくなってきた」と振り返る。
同じ大学の友達5人と来ていて、ほかの3人とは事故当時に「大丈夫か、大丈夫か?」と声を掛け合っていたが、土の上に横たわっていた田原寛さん(19)からは返事がなかった。正式に田原さんの死を聞いたのは、事故発生から10時間以上が経過した後だった。
引用:産経ニュース – 事故の瞬間、記憶なく「なぜ自分が生き残ったのか…」 生き残った乗客を悩ます「サバイバーズ・ギルト」とは
多くの乗客が衝突の直前にバスが異常な運転をしていることに違和感を感じており、時速100kmでカーブに差し掛かった時には尋常じゃないと気付いたものの身を守る行動を取る余裕は無かったようです。
「軽井沢スキーバス転落事故」犠牲者~小室結さんがかわいいと話題に
早稲田大学4年・小室結さんに注目が集まる
小室結さんに注目が集まる
かわいいと話題になった小室結さんは、当時さいたま市に住む早稲田大学に通う4年生で、通夜には約1,200人の親族や友人らが参列し、その列は会場から数百メートルに及びました。
「軽井沢スキーバス転落事故」当時、小室結さんは大学のゼミのメンバーでスキーを楽しみに行く最中で、そのメンバーの中には彼氏もいました。
小室結さんと彼氏の田端勇登さん
田端勇登さんは政府系金融機関への就職も決まっており、性格も紳士的で、パーフェクトなカップルと話題でした。
取材に答えた小室結さんの母親は、生前1分を争うような過密スケジュールで生き急いでいたことが気にかかっていたようで、21年間を生き急いでしまったのかと嘆いていました。
優秀だった小室結さんは、父親が商社勤務のエリートで小学4年まで香港や台湾で過ごした帰国子女だったことから海外での仕事に興味を持つようになり、ロンドン大学にも1年間留学していました。
将来は世界中の人が幸せに暮らせるような住まいの環境づくりをする仕事をしたいと考えた小室結さんは、海外での都市開発に携わるのを夢に、大学卒業後は内定を取っていた大手不動産会社「三菱地所」に4月から新生活をスタートさせる予定でした。
http://www.facebook.com/yui.komuro.3
小室結さんのFacebookから、フリーアナウンサーの安井まみ子さんが叔母さん、ブラザー工業の元役員で創業者一族の安井信之さんが父親であったことが判明しています。
小室結がいかに可愛くていい人で亡くすのに惜しい人だったかを特集しているニュースであって他の人の命は漫画でモブが死んだ程度の扱いになってるのが気にいらねぇ
— 高見 (@takaminotume) January 18, 2016
尾木ママ、教え子を4人亡くしていた
”尾木ママ”として知られる教育評論家でタレントの尾木直樹さんは、自身が名誉教授を務める法政大学の教え子のゼミ生4人を亡くしており、「軽井沢スキーバス転落事故」後は遺族に話を聞いたり、生き残った教え子の様子を見るなどしてきましたが、現実は残酷であることを以下のように語りました。
3年目の今回すごく感じたのは、命のある子たちは動いて、生活を作っていっている。でも命を落としたご遺族たちは、そのまんまで、つらい思いをされていて、せめてもの、これが子どもの犠牲が安全策に生かされればというのを、はっきりおっしゃるわけです。そういうことを考えると、亡くなったこと、それから今、必死になって生きてる子とのギャップが、ぐーっと広がっていくと。これはご遺族にとっては一生続くわけですから、これはね、いけないと思います、とんでもないと。
亡くなった犠牲者の親が50代だと考えると、残りの数十年は亡き子供のことを考えながら生きていかないといけないことを考えると、尾木直樹さんの言うように「とんでもない」ことでしょう。
軽井沢スキーバス転落事故犠牲者遺族の悲痛
田原義則さんを始め遺族の事故に対する悲痛な思い
田原寛さんを亡くした父親・田原義則さんは取材に対して以下のようにコメントしています。
「2度とあのような事故を起こしてほしくない。ひとつ間違えばというバス事故が年に何回も起こっていますから。今のやり方でいいのかというのは、国土交通省も振り返りをしていただきたい。」
引用:産経ニュース – 事故の瞬間、記憶なく「なぜ自分が生き残ったのか…」 生き残った乗客を悩ます「サバイバーズ・ギルト」とは
また、生き残った田原寛さんの友人も「社会人のつらさも話しながら、田原と一緒に生きたかった」と二度と会話を交わすことができない辛さを口にしていました。
東京農工大でラグビー部員だった大谷陸人さん(当時19歳)の父親である大谷慶彦さんは、突然息子を失った悲しさ、むなしさを抱えながら生きた3年だったと肩を落とし、2019年に日本で開催されたワールドカップを一緒に見に行けず残念だと語っていました。
「軽井沢スキーバス転落事故」から3年が経過した2019年1月14日の事故発生時刻に、犠牲者の遺族や当時バスに乗っていた生存者らが、現場付近に建立された慰霊碑「祈りの碑」に献花し、祈りを捧げました。
「軽井沢スキーバス転落事故」その後と現在~バス会社に1億3千万円の支払いで遺族と和解
今後も「イーエスピー」は訴訟を起こされる可能性がある
長野県警は2017年6月に、バス運行会社「イーエスピー」の代表取締役社長・高橋美作と運行管理者の元社員・荒井強、死亡した運転手2人を業務上過失致死傷容疑などで書類送検しており、現在も長野地検が捜査を続けています。
「軽井沢スキーバス転落事故」の犠牲者の遺族が「イーエスピー」に対して起こした損害賠償請求訴訟で、2019年4月18日に同社が遺族に1憶3千万円を支払うことで和解していたことが分かりました。
同様の訴訟は長野やさいたまの各地裁でも起こされており、すでに支払いが決定した1憶3千万円ですら、「イーエスピー」に支払い能力があるとは思えず、今後もこの「軽井沢スキーバス転落事故」は泥沼化している可能性があるでしょう。
あれから3年超か…和解したのは良いけど支払えるのかしら 他遺族はどうするか… /軽井沢バス事故で1遺族和解=運行会社1億3000万円支払い-東京地裁(時事通信) – Yahoo!ニュース https://t.co/K9vDjnOUGt
— 七笑 (@_nanawarai) April 18, 2019
「軽井沢スキーバス転落事故」についてまとめると…
・軽井沢スキーバス転落事故の生存者のほぼ全員が、衝突した衝撃で気を失っていた
・軽井沢スキーバス転落事故の犠牲者・小室結さんがかわいいと話題になった
・軽井沢スキーバス転落事故はその後、バス会社「イーエスピー」が遺族に1憶3千万円を支払うことで和解した
戦後最悪のバス事故として世間を騒然とさせた「軽井沢スキーバス転落事故」についてご紹介してきました。
「軽井沢スキーバス転落事故」の本質は、「イーエスピー」だけを見せしめとして処分すればいいわけではなく、同じような違法な経営をしている会社が生き残っていけないような法整備をするべきでしょう。