2015年2月20日に、多摩川河川敷で当時13歳の中学1年生だった上村遼太くんが少年3人に殺害された「川崎市中1男子生徒殺害事件」。
この記事では、事件の詳細や、被害者の上村遼太くんの父・母・兄弟など家族について、加害者犯人・舟橋龍一の詳細と現在について詳しくまとめました。
この記事の目次
「川崎市中1男子生徒殺害事件」とは
少年3人が当時13歳の上村遼太くんを殺害
少年3人に無残に殺された上村遼太くん
2015年2月20日午前2時頃、神奈川県川崎市にある多摩川河川敷で、当時13歳の中学1年生だった上村遼太くんが3人の加害者少年らに惨殺される痛ましい事件が起きました。
主犯格の少年の主導により、上村遼太くんは1時間あまりで業務用カッターで全身を43箇所も切りつけられ、冬の身も凍えるような川の中を泳ぐように命令されました。
少年らは放置して逃げ出しましたが、上村遼太くんは川から必死に這い出ると、動かない身体を懸命に引きずって23.5メートル進みましたが、生い茂る雑草の上で息絶えてしまいました。
死因は首の後ろから横にかけてカッターで切られた傷で、出血性ショック死でした。
上村遼太くんが亡くなった直後に、川崎市の公園の公衆トイレから出火したため目撃者が119番通報、火災現場から見つかったのは上村遼太くんの燃え残った衣服や靴底で、加害者3人が証拠隠滅のために燃やしたものでした。
そして午前6時15分頃に、多摩川河川敷で通行人が上村遼太くんの全裸遺体を発見し110番通報、事件が発覚しました。
それから1週間後の2月27日に、連日ニュースやメディアで報道される中、当時17歳、18歳だった少年ら3人が上村遼太くん殺害の容疑で逮捕されました。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」犯人の加害者少年3人について
主犯の加害者少年の実名は舟橋龍一
主犯の事件当時18歳だった舟橋龍一は日本人でトラック運転手をしていた父親と、フィリピン人で元ホステスをしていた母親との間に生まれたハーフで、姉が2人いました。
川崎市はフィリピンパブなどが多いことから、フィリピン人ホステスや風俗嬢が多いですが、そうしたフィリピン人のハーフだった舟橋龍一は小学校時代から同級生らに「おい、フィリピン!」と呼ばれていじめられていました。
詳しくは後述しますが、両親にも暴力を振るわれていた舟橋龍一は家にも学校にも居場所が無く、自宅近所にあったイトーヨーカドー内にあるゲームセンターに入り浸っていました。
「Aは不良グループにパシリにされてた。年下のグループからも目をつけられて不登校になったほど。あいつはゲームセンターで仲良くなったゲームやアニメオタクの連中を引き連れて、隠れてタバコを吸っていきがってたな。不良の前では偉ぶれないから、自分より弱いオタク連中の前でいきがるんだよ。本当にせこくてビビりな奴だった」
加害者時少年Bは舟橋龍一に従うのび太
実名は明かされていませんが、舟橋龍一に付き従っていた当時17歳の少年Bは、同じく母親がフィリピン人であり、同じ境遇にあった舟橋龍一に心の絆を感じて非行グループに入るようになりました。
Bが生まれてすぐに父親が蒸発したため離婚しており、母親は夜の仕事をしながらBとその妹を養っていましたが、ほとんど家に帰らず育児放棄をしていました。
そのため、Bは小学校時代から妹の幼稚園の送り迎えをしたり、夜遅くまで帰らない母親に変わって家の一切をしていました。
これだけならBはしっかりした少年だったのかもしれませんが、非行に走るきっかけは母親にありました。
母親は日本語が話せなかったため、日本語しか離せないBと妹とは言語でのコミュニケーションが取れず、母親は子供らを置いて一時帰国したこともありました。
戻ってきたかと思えば、頻繁にヒステリーを起こして子供達をタガログ語で怒鳴りながら殴りつけ、Bはそれに耐えるしかありませんでした。
そして、母親が彼氏を家に連れ込むようになったため、Bは家に居場所を失い、舟橋龍一らとつるんで夜遅くまで非行に走るようになりました。
「Bはのび太みたいなやつだよ。いつも不良にいじめられてた。存在感が驚くほどなかったね。同じ中学だったのに、たまたまSNSで知り合うまで存在すら気付かなかったから。あいつは不良グループに連れ回されて、パシリや万引き、それにカンパをやらされていた。カンパっていうのは、不良のための金集めだよ。物盗んだりしてかき集めてたんじゃないかな」
不良たちに体よく使われていたBですが、結局何にも抗えないまま舟橋龍一に加担して上村遼太くんを殺害する事件にも加担し、犯罪者として獄中に入ることになってしまいました。
加害者少年Cは舟橋龍一の親友だった
Cは舟橋龍一と対等な関係にあった親友であり、川崎市内の鉄鋼製造工場で工場長を務める日本人の父親と、日本人の母親との間に生まれた子供でした。
また、5歳年上の兄と、2歳年上の姉を持つ末っ子で、両親は特に育児放棄や虐待などをすることもなく、Cについて「とても大人しくて人見知り」だと思いながらも、意思を通そうとする頑固さがあったため「優柔不断な子供よりもいい」と誇らしく思っていました。
しかし、Cの頑固さは成長とともに悪い方向に進み、小学校時代に席に座るように担任から押さえつけられた際に爪を立てて反抗し、そうした態度や同級生との喧嘩が絶えず、母親は小学校から中学校時代にかけて5回ほど呼び出しを受けていました。
舟橋龍一とCは裁判で真っ向から対立しており、舟橋龍一はCについて”親友”だと語ったのに対し、Cは「特別仲が良いとは思ったことはない」としていました。
Cは犯行は舟橋龍一がやったと言い張り、頑なに上村遼太くんにカッターで切りつけたり、頭を護岸に叩きつけたりはしていないと否定しましたが、訴えが通ることはありませんでした。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」犯人の加害者少年の親について
主犯の舟橋龍一の両親はとんでもないDQNだった
舟橋龍一の実家は川崎区内にローンで建てた一軒家で、祖母も同居し家族仲は決して悪くはありませんでした。
しかし、舟橋龍一の両親のしつけは暴力を使ったもので、父親は「2回言うことを聞かなければ殴る」ということを実行しており、言うことを聞かない舟橋龍一を殴ったり、顔を足で蹴ったり、6時間も正座をさせることもあり虐待をしていました。
また、フィリピン人の母親もそれを止めることは無く、むしろ自らもハンガーなどで舟橋龍一を殴りつけていました。
事件後、取材を受けた父親が「話、無いっつーの」と軽く記者をあしらっていた態度からも、どうしようもない責任能力の無い男だということが分かりました。
「母親はくりんくりんの付けまつげを付けて、化粧もバッチリして毎晩出て行ってますよ。父親も毎日仕事に行ってる。もうまったく普段と変わんない。事件後、あの家の塀はたくさん落書きされたんだけど、ちょっと消しただけで、そのまんま住んでる。他の加害少年2人の家族は、逃げるようにすぐに引っ越したのにね」(近隣住人)
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— 愚 (@tsui_itter) March 1, 2015
舟橋龍一と加害者少年Cの親は対立していた
舟橋龍一の両親とCの両親は双方ともに、お互いの子供を良く思っていないことが取材により明らかにされていました。
事件直前に息子に表れていた異変も、両親ははっきりと認識していた。14年12月ごろ、Cは自宅マンションの玄関先で酔いつぶれ、警察官に起こされた。自力で歩けず、母親の肩を借りたという。両親は未成年の飲酒自体については注意したが、一緒にいた仲間はたださなかった。2カ月後、CはAの自宅で「焼酎のお茶割りを6~7杯」(Aの証言)飲み、Aに凶器を手渡して犯行を激化させた。
Aの母親は、Cを「酒を飲んだり、悪い友達」と敬遠していた。事件数カ月前、酒に酔ったCを自宅に招いたAは、「連れてくるな」ととがめた姉をたたいた。家族に手を上げたのは初めてだったという。
一方のCの母親も、Aは「やんちゃで、人様に迷惑をかける」と嫌っていた。Aが高校2年当時、Cの自宅マンションの玄関で消火器を噴射させたいたずらが契機だった。母親はCに「つき合わないで」と忠告したという。
ただ、双方の両親も、2人を引き離すまで手だてを尽くさなかったばかりか、息子の飲酒や深夜の外出を黙認していた。保護者としての危機感は乏しく、事件の予兆を見過ごした。
舟橋龍一とCの両親は、完全に育児放棄をしていたBの母親と比べるとどこにでもいそうな家庭に思えますが、川崎区という川崎市内でも特に治安が悪いと言われる地域で生活していたことが非行に走らせるきっかけだったのかもしれません。
ネット上で流れたデマ情報と川崎市批難
事件がニュースなどで伝えられる中、ネット上ではあることないことを書いて情報を錯綜させるデマが流れたため、被害者である上村遼太くんの近親者にも誤解を生んでいました。
上村遼太くんの葬儀が行われた斎場で、上村遼太くんの母親は悲しみに暮れる中でいきなり友人女性から平手打ちをされましたが、これはネット上で「上村遼太くんは母親から育児ネグレクトされていた」とデマが流れていたからでした。
また、斎場では不良のような中学生が会場の内外で騒いでおり、取材に来ていた報道陣に喧嘩を売っていたため警察まで出動する事態になっていました。
事件の凶悪性や、そうした川崎ならではの治安の悪さを露呈したことから、ネット上では「イスラム国」になぞらえて「カワサキ国」「川崎国」と揶揄されるようになりました。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」上村遼太くんと加害者少年の関係性
上村遼太くんは両親の離婚がきっかけで非行に走った?
両親が離婚したことで上村遼太くんは小学校6年生の頃に、母親と兄弟らとそれまで住んでいた島根県の島から母方の実家のあった川崎区内に引越しました。
引越し先でも上村遼太くんは可愛らしい顔立ちと愛嬌のある性格ですぐに友達ができ、中学校に入るとバスケットボール部に所属し男女問わず人気を集めていました。
遼太君は両親の離婚を大きなきっかけに、小学6年生の時、母親とともに島根県の島から川崎へと引っ越した。中学では、バスケット部に所属し、可愛らしい顔立ちに人懐こい性格で「カミソン」と呼ばれ、男子からも女子からも人気だったという。けれど、夏頃から、部活を休みがちになり、先輩たちとつるみ、ゲームセンターに入り浸るようになり、夜の街で徘徊するようになっていく。
引用:exciteニュース – 上村遼太君は、なぜ殺されなければならなかったのか?『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』
上なぜ引っ越して1年もしない内に非行に走るようになり、舟橋龍一らとつるむようになってしまったかは分かっていませんが、両親が離婚して父親がいなくなったことが何らかの影響を与えていた可能性は大きいでしょう。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」犯人の加害者少年3人に下った判決
主犯の舟橋龍一は2028年に出所予定
舟橋龍一は32歳の頃にシャバに戻る
事件後の裁判で、主犯格の舟橋龍一には「懲役9年以上13年以下の不定期刑」、舟橋龍一に命令されて犯行に及んだBは「懲役4年以上6年6月以下の不定期刑」、舟橋龍一に次いで事件を主導したCには「懲役6年以上10年以下の不定期刑」が下されました。
事件当時未成年だった舟橋龍一らは獄中で成人を迎え、3人は総合訓練施設で出所後に職業に就くためにそれぞれ違う技能を学んでいるようです。
舟橋龍一は職業資格を取得したと言われていますが、32歳となる2028年頃に出所予定となりますが、不定期刑のため獄中での態度が更生したと認められれば2024年頃に出所となるかもしれません。
Bのフィリピン人母はついに日本を捨ててアメリカに逃げたため、出所後の身元引受人は祖母となっています。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」上村遼太くんの父・母と兄弟の現在
上村遼太くん父親がインタビュー取材で胸中吐露
上村遼太くんの父親の現在は?
ノンフィクション作家の石井光太さんが、この事件について取材し真相を究明したルポタージュ の著書『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』の中で、上村遼太くんの父親のインタビューが掲載されていました。
「遼太は13歳で未来を奪われ、死後もプライベートを暴かれる。でも、犯人たちにはまだ人生が何十年とあり、少年法によってたくさんのことを守ってもらえる。(中略)遺族だって、事件後にマスコミの餌食にされても、根拠のないデマで傷つけられても、加害少年に好き勝手言われても、それで体調を崩しても、国は何一つ助けてくれません。自分の責任で乗り越えるしかない。こんなの間違っていますよ。絶対におかしい」
引用:exciteニュース – 上村遼太君は、なぜ殺されなければならなかったのか?『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』
上村遼太くんの父親は、石井光太さんが取材する中ずっと険しい表情を崩さずに、舟橋龍一ら加害者少年らへの怒りを込めて語っていたようです。
裁判では上村遼太くんの母親がこの父親について「顔も見たくない」と言ったため、ついたてが置かれて証言しましたが、その後父親とは連絡が取れなくなっていることからひっそりと生活しているようです。
上村遼太くんの母親と兄弟の現在
上村遼太くんの家族はひっそりと暮らしている
殺人事件が起きた場合、通常は加害者家族が逃げるように他の地域に引っ越して息を殺すように生きることが多いですが、事件により世間に注目され生活しづらくなったことから上村遼太くんの家族は別の地域へ引越しました。
上村遼太くんの兄である長男、姉ら長女と次女、そして弟の三男は成長し、2019年現在では次女が当時の上村遼太くんの年齢を追い越そうとしています。
母親はかねてから同居していた彼氏男性と1年半前に再婚しており、忌まわしい思い出が多い「上村姓」を改姓しました。
しかし、家族全員が「上村姓」を改姓してしまうと上村遼太くんが戸籍上からも消えてしまうため、長男だけが慮って転籍せずに「上村姓」をひとり残しているようです。
上村遼太くんの遺骨は現在も自宅に保管されており、母親は自らが死んだ時に一緒にお墓に入れてくれるように家族に頼んでいるようです。
また、上村遼太くんが小学校、中学校で打ち込んでいたバスケットボールのユニフォームやシューズ、弁当箱など学校で使っていた遺品は全て当時のまま居間の見えるところに保管しており、事件当時に舟橋龍一らが燃やした衣類や靴も捨てずに残しているそうです。
上村遼太くんの母親が初めて取材に応じる【2019年4月】
事件から5年が経ち初めて取材に応じた母親
上村遼太くんが生きていれば18歳になるはずだった2019年4月25日に、母親が神奈川新聞記者 の取材に初めて応じ、事件のその後の心境について語りました。
相反する2人のわたしがいる。遼太と一緒にいてあげないといけないと思うわたしと、ほかの子供たちのために、前を向いて生きていかなければいけないと思うわたし。遼太はあどけない13歳のまま、心にとどまり続けている。思い出にとらわれていては、生きている子供たちに申し訳ない。本当はずっと遼太の側にいてあげたい。でも、思い出にふたをしないといけない。生きていかなきゃいけないから。自分が2人いれば便利なのに――。
母親は上村遼太くんが亡くなって以降、うつ病になり抗うつ剤と向精神薬を飲まないと寝ることもできない状態だったようです。
特に上村遼太くんが亡くなった2月頃の冬場は気持ちが沈み込み、現在も中々前向きな気持ちを持つことはできていないようです。
母親は子供が好きだったことから、子供を支える立場になりたいと事件後に児童福祉の仕事に就きましたが、精神的な問題で長くは続かず辞めざるを得なかったようで、それでもいつかは子供を守る立場として仕事を再開したいと願っているようです。
しかし、母親は前を向いて歩き出そうとする反面、上村遼太くんを過去に置き去りにすることは申し訳ない思いがこみ上げてできないようで、心の葛藤と戦い続けています。
「マザコン」で、「親バカ」で、友達のようだった親子。もっと厳しく接すべきだったのか、育て方を誤ったのか、と一時は身もだえた。子どもたちは、生前からの溺愛ぶりを茶化(ちゃか)しながら励ましてくれる。感傷を笑いに高められる強さに触れると、すこし前向きになれる。「自分は間違っていなかったのかなって」
2月20日は、悲喜がもつれる一日になる。遼太さんの命日で、三男の誕生日でもあるから。ことしもケーキで祝ったが、複雑な心境だった。供養に訪れる友人は年々、減った。時間は残酷だ。いつまでも悲痛を癒やしてくれないし、息子の残像を忘却に誘(いざな)おうとする。
遼太さんが好きだったアニメは新装された。「みんな生きていて、先に進んじゃって。遼太と、わたしだけが止まっている」
思い出のふたは、にわかには閉じられそうにない。いけないと、わかっていても。
嘆息に紛れ、独白のように聞こえた。「ああ。遼太に会いたいな」
母親の再婚相手の男性は、事件のあった多摩川河川敷付近を車で通過する際は、妻が事件を思い起こさないように遠回りをして避けるようにしているようです。
現在でもネット上では「この事件は風化させてはならない」と声を挙げている人が多くいますが、こうした声が挙がり続ける限り、舟橋龍一ら3人はたとえ出所したとしても生きやすい人生は無いでしょう。
あの日から今日で四年。今年はまだ行けてないけど、持って行こうと思ってるお花の色は決めてるよ。本来は遼太くんのいる場所へ持って行くべきだけど…ごめんね。でも河川敷へ行くことは私にとって大事なんだ。ずっと忘れないよ。#上村遼太 pic.twitter.com/XrhF0C0H7i
— はる (@0124tete) February 20, 2019
「川崎市中1男子生徒殺害事件」についてまとめると…
・上村遼太くんの死因は加害者少年3人にカッターナイフで43箇所も切りつけられたことによる出血性ショック死
・主犯の舟橋龍一には懲役9年以上13年以下の不定期刑が下され、2028年出所予定
当時13歳だった上村遼太くんが舟橋龍一ら3人に無残に殺された「川崎市中1男子生徒殺害事件」について総まとめしてきました。
加害者グループ3人の内”のび太”ことBは早ければ2019年内に出所予定ですが、事件を許さない有志らが氏名や住所を特定しネット上に公開するかもしれません。
そうなれば確実にBは出所後に地獄が待っていることになりますが、それは上村遼太くんが体験した地獄には程遠いでしょう。