市橋達也は2007年で起こした「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」により無期懲役判決を受け、現在も刑に服しています。
今回は市橋達也の逃亡生活や殺人動機、両親や姉など家族について、そして整形後にイケメンになった噂や彼女の存在など情報を総まとめしました。
この記事の目次
市橋達也が起こした「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」とは
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件は、2007年に日本の千葉県市川市福栄において、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさんが市橋達也に殺害された殺人事件です。
正式な事件名としては、「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」と呼ばれています。
英会話講師・リンゼイさんを殺害した市橋達也
2007年3月25日午前9時、市橋達也と被害者が、英会話レッスンを行うために行徳駅前の喫茶店に来店した様子が防犯カメラに映っており、レッスンの終盤、市橋達也はレッスンの代金を忘れたことを明かし、2人はタクシーで市橋達也の自宅にお金を取りに行くために移動します。
そして9時54分、市橋達也宅に入ったところで被害者を押し倒し、結束バンドなどで拘束して暴行しました。
その後取り外し可能な浴槽を和室に置き、被害者を入れて監禁し、監禁中には、拘束を解くように要求する被害者を殴りつけるなどしています。
そして翌日3月26日2~3時頃、手の拘束を解いて被害者が逃亡しようとしたため頚部を圧迫して窒息死させてしまいます。
更に被害者の死亡後、ホームセンターで、赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入し、ベランダに浴槽と遺体を移動させて、購入した土を投入しました。
殺人の翌日、職質中に逃亡した市橋達也
事件発生は2007年3月26日、被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた千葉県警船橋警察署の警察官が、被害者宅を捜索すると、市橋達也の電話番号・メールアドレスと、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋達也の家宅捜査に急行します。
そして同日午後9時40分ごろ千葉県市川市の市橋達也の家に生活安全課と刑事課の署員数人が到着ししました。市橋達也は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しようとしましたが、捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋達也は非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走しました。
予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたものの、取り逃がす結果となってしまいました。
更に同日午後10時ごろ、捜査員は市橋達也の家のベランダに置かれていた浴槽の内部で、全裸ので土に完全に埋められた被害者の遺体を発見します。
逃走後のは市橋達也しばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦羽交い絞めにされるが、ここでも逃走することに成功しています。
千葉県警行徳警察署は、市橋達也逃走の翌日、警察犬を投入して臭覚追跡を行ったところ、東京メトロ行徳駅付近で警察犬が感知し得る市橋達也の臭気が途絶するとともに、同駅付近において市橋達也が着用していたと見られる靴下が落ちているのを確認しました。
その後市橋達也は死体遺棄容疑で指名手配されました。
市橋達也の発見で1000万円の報奨金適用も
実際の指名手配時のチラシ
千葉県警行徳署捜査本部は、当初100人体制をとっていたが、のちに150人体制に捜査強化し、手配ポスターも3万枚余作成されることとなりました。更にこの事件は「公的懸賞金制度」の適用を受け、捜査特別報奨金の上限を100万円として、別の4事件と共に懸賞金が掲出されました。
これを受け、被害者遺族が駐日英国大使館において記者会見を開催し、市橋達也逮捕とその契機となる情報提供を広く訴求するとともに、新たに製作された手配ポスター約6000枚を配布し、最終的には報奨金額は、1000万円まで引き上げられました。
2008年3月13日、千葉県警行徳署捜査本部は、市橋達也が茶髪で眼鏡をかけた姿と女装姿の2つのイメージ画像を掲載した手配ポスターを新たに公開し、A3版を約4000枚掲示するとともに、A4判チラシ約3万枚をホテルや駅などで配布します。
女装時の市橋達也
被害者の家族は、単独あるいはイギリスのマスコミと一緒に何度も訪日し、事件現場に慰霊に通ったり、駅でのビラ配りを行い市橋逮捕への協力を訴えました。
2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋達也の顔を印刷したTシャツをネット販売するとともに、事件の風化を防ぐため繰りかえしマスコミへの出演を行いました。
捜査協力はあらゆる方面に及び、イギリスのメディア「Mail Online」は、父親がヤクザにも接触し、市橋達也探しの捜査を依頼していたと報道しています。
当時のグレアム・フライ駐日英大使も2007年4月1日、東京都内で記者会見を行い、市橋達也逮捕への協力を求め、家族の活動を支援しています。
市橋達也の殺人の動機は?
乱暴の発覚を隠ぺいするため殺害した市橋達也
これほどの殺人事件をどうして市橋達也が犯してしまったのか?それは被害者女性へ乱暴をはたらき、それが発覚するのを恐れたためと言われています。
そもそも被害者女性に対して好意を持っていた市橋達也は被害者女性を騙し、自宅に招き入れています。自宅に入ったところで後ろから抱きつくと、被害者女性から強く拒絶され、その勢いで暴行をしてしまったそうです。
裁判ではその後廊下で横たわっている被害者女性の横にマットレスを置くなどをしたと発言しているので、その様ないたわる気持ちがあったことからも市橋達也が被害者女性に好意があったことがわかります。
しかしこのまま結束バンドを解いてしまえば訴えられてしまうという気持ちがあったからか、そのまま結束バンドをしたまま監禁状態にします。しかし、被害者女性は手の拘束を解いて逃亡しようとしたのです。
そこで市橋達也は勢いから頚部を圧迫して窒息死させてしまったのです。つまり元々市橋達也は殺すつもりはなかったのでしょう。
ただ、元々被害者女性を尾行したりという行動もあった様なので、ストーカーの様な気質があったこともわかります。
市橋達也の壮絶な2年7カ月の逃亡生活
市橋達也の事件と言えばその犯罪の内容だけではありません。市橋達也が有名になったのは何よりもその逃亡劇です。市橋達也はかなり壮絶な逃亡生活を送っており、その逃亡生活は書籍化もされ、「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」をとして幻冬舎から出版されました。
手記による収入はすべて遺族への弁済に充てるとしましたが、遺族は「裁判の前に、こうした本を書くことが許されるのか。強い嫌悪感を抱いており、傷つけられた。私たちが求めているのは公正な処罰だけだ」と話しています。
手記の印税は1100万円となり、市橋達也は税引き後の912万円を遺族に渡したいとしますが、被害者の両親は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」として、1銭たりとも受け取らない立場を千葉地裁で明らかにしています。更にこの手記を元にした映画も作成されています。
09年に逮捕された市橋が、獄中でつづった手記「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」(幻冬舎文庫刊)を映画化。三池崇史作品や「おくりびと」を送り出してきた中沢敏明プロデューサーが製作を担当し、台湾で活躍する日本人俳優ディーン・フジオカが監督、主演を兼ねた。
まだ、日本で活躍する前のディーンフジオカが演じており、なんで日本で無名の俳優が主演なの?と噂になりましたが今や大人気俳優となり、お宝映画になっています。
逃亡初日にトイレで自ら整形手術した市橋達也
市橋達也は逃走時に5万円ほどの所持金があったそうで、逃走開始直後に靴と靴下、上着を紛失したものの、ゴミ捨て場からサンダルと上着を入手しています。
また、逃走初日のうちに放置自転車や電車を利用して、秋葉原まで移動し途中立ち寄った東京大学医学部附属病院の障害者用トイレで、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行っています。更にほくろを自らカッターナイフで切り落とし、下唇を小さくするためにハサミで切るなど、様々な方法で自分の顔を変えています。
沖縄の離島・オーハ島で潜伏生活を送った市橋達也
その後は埼玉・群馬・茨城などの北関東周辺を放浪し、熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上することを決めます。
東京から新潟を経て青森まで移動し、青森駅前公園で1週間ほど寝泊りするうちに青森の経済状況がよくないことを感じ取り、働いて生活するために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れ、ここでは職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動します。
四国では香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県と歩き、歩きながらも手配写真が掲載されているのを見て、このままでは逮捕されるのは時間の問題と考え、無人島での生活を考え始めます。
高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択し、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡りました。
初回のオーハ島渡航は準備不足で1週間ほどで頓挫してしまい、資金が尽きた市橋達也は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼ぎ、市橋達也はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案しました。
市橋達也が逃亡先としたオーハ島はダイビングスポットや海水浴としては人気があったものの、当時居住していたのは70歳代の男性が1人でした。
隣の久米島で仕事を探したものの仕事がなく、自給自足の生活をしていました。
1回目の滞在は失敗していますが、2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇・ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活していたそうです。飲料水は奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに詰めて持ち帰るなどかなり野生的な生活をしています。
大阪南港フェリー乗り場で逮捕された市橋達也
市橋達也の逮捕の手がかりとなったのはまずは美容形成外科からの通報です。
2009年11月5日、名古屋市内の美容形成外科医院が、過去に美容形成術を行った患者カルテの顔写真を整理していたところ、男性には珍しいほくろの除去を不審に感じ報道された市橋達也との一致部分を確認し、病院スタッフが通報しています。
県警は骨格などから市橋達也と断定し、顔写真を公開しました。
更に手術後の新しい指名手配の報道を見て、大阪府茨木市の建設会社において市橋達也が住込みの土木作業員に従事していたとして、雇用主の建設会社が警察当局に通報を行いました。
更に一番の決め手となったのがフェリー乗り場からの通報です。
その頃はオーハ島で生活していた頃で、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルにおいて従業員が、沖縄行き航路に搭乗しようとしていた乗客の中に、市橋達也に似た不審な男性を発見しました。
当日は、神戸発・沖縄行きの航路は欠航であったため同航路に就航していた大阪南港発の沖縄行き便を案内すると、市橋達也と思われる人物が乗船のため大阪南港に向かう旨の発言をしたことから、不審に思った担当者は警察当局ならびに大阪南港担当者に通報します。
そしてついに2009年11月10日、フェリー乗り場にいるところを身柄確保された市橋達也。移送された大阪府警住之江署において事件容疑で逮捕、さらに東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送されました。
市橋達也の判決と現在
市橋達也は強姦致死罪・殺人罪・死体遺棄罪で起訴されました。市橋達也の場合、被害者はリンゼイ・アン・ホーカーさん1人なこと、市橋達也に前科がないことから死刑は求刑されませんでした。現在の日本では被害者が2人以上でないと死刑判決はなかなか出ないのです。
第一審で無期懲役となり、市橋達也と弁護側は控訴しました。しかし、控訴審において棄却された後、上告がなかったので無期懲役が確定し、現在も刑に服しているという結果になっています。
整形後の市橋達也の現在の顔がイケメンと話題に!
水嶋ヒロ似のイケメンと話題になった市橋達也
事件の犯人というだけではなく、逮捕された時の映像がイケメンだと騒がれました。また、その顔は俳優の水嶋ヒロさんに似ているとも・・・・
水嶋ヒロさん
市橋容疑者の話題を取り上げたブログやネットの掲示板では、「市橋達也と水嶋ヒロって共通点ありすぎ」「水嶋ヒロみたいでカッコ良くないですか?」といった意見が続出。中には「執行猶予付かないかな… わたしの手で更生させてあげたい 賛同者求む」といった仰天エールまで。
また、中にはこの様なプリクラを撮る女性も出現し、世間を騒がせました。
ただ、現在でもイケメンという声は多いです。
あたしも市橋達也めっちゃイケメンと思います。あの唇たまらん…
— あまつ (@amacchan0501fum) 2018年4月12日
外人殺して2年ぐらい逃亡した市橋達也
— Banana 🐬🌾 (@Harry_0705) 2018年3月24日
くっそイケメンやないか
ファンクラブまであるしスペックすぎるし完璧といって過言ではないし、人殺しなんかしやんかったら絶対有名なってた人材やのに。。
もったいねぇぇイケメンんんん pic.twitter.com/Ojwa9MOgiO
市橋達也普通にイケメンじゃない?
— 山田そうま (@soma29chami) 2018年3月21日
市橋達也がイケメンで好きなのだが殺人犯なんだなー…
— 綾野かりん@固定ツイよろ (@Ayano_Karin_) 2018年3月20日
確かに画像を見る限りはイケメンの雰囲気もありますが、あくまで犯罪者だということは忘れずにいてほしいものです。
事件当時、市橋達也には彼女がいた!
彼女と逃亡するつもりだった市橋達也
整形後イケメンとなった市橋達也ですが、元々の顔も決してブサイクではありません。
実際に事件当時には彼女がいたことも判明しています。
そもそも、被害者女性を監禁した当日には当時交際中の彼女に対して1週間ほど会えないとメールで連絡しています。
更に逃走も元々は一人でするつもりではなく、自家用車を所有する彼女に公衆電話から連絡を取って共に逃亡すること考えていたそうです。
実際に逃亡前に彼女と連絡をとることは出来ませんでしたが、もしもこの時に彼女に連絡が取れていたとしたら彼女はどの様な行動をとっていたのでしょう。
市橋達也の両親や姉…エリート家族の現在は?
市橋達也の父親と姉は医者、母親は歯科医
実は市橋達也はかなりのエリートであり、父親が外科医、母親が歯科医、 さらに2つ上の姉も医者で既婚者でした。姉に関しては事件後に離婚。
両親に関してはまだ市橋達也が逮捕される前にインタビューを受けています。
逃走資金を提供したことはないのか
「資金提供なんてあるわけない。(整形の費用などを)どこから手に入れたのか、こちらが聞きたいくらい。私は嘘はつけません。事件後、あの子からは何の連絡もありません。本当に死んでいると思っていました」
この様に気になる資金援助の部分に関してもこの様にコメントしています。そして逮捕後の両親ですが、父親も母親も医者を辞めてしまったそうです。
確かに実の子がこの様な事件を起こしてしまい、そこからここまで話題となってしまえば病院にもいづらくなりますし、それが自然な流れと言えます。
市橋達也はどんな性格だったのか?
犯罪を犯してしまったことから、市橋達也の性格を疑う様なコメントなども多く見られますが、市橋達也の性格に関しては謎が多く親がエリートであることもあり、基本的には表向きにはいわゆる良い子であったそうです。
両親も市橋達也に関してこの様なコメントを残しています。
「ホームレスになっている、とも言われたけれど、あの子がそんな生活ができるとは思えなかった。お風呂も入れず、食べ物も拾って食べるような状況になるくらいなら、死を選ぶと思っていた。そんな生活力がある子じゃなかった」
このコメントを見る限りは温室育ちの青年だということがわかります。更に市橋達也の恩師はこの様に語っています。
「彼はおとなしくて目立たない学生でしたが、まじめでした。練習も道場の掃除も、ほとんどさぼったことがないですよ。それが殺人なんて、まさかの思いでした」
このコメントからも市橋達也が元々暴力的な性格でないことがわかります。更に、恩師が市橋達也を尋ねた時の状況も語っています。
「“先生、私がやったことを許してくださいますか”といって、涙をポロポロこぼしたんですよ。決して、ひどい人間ではないのです。またある日、私が”なんでこんなことをやったのか”と聞くと、無言でうつむいたまま、ただただ涙だけでした。彼自身、まだ本当のところはわからないのかもしれないですね」
これらの市橋達也の態度からはとても人を殺してしまう様な人には思えません。
しかし、今までの犯罪者などをさかのぼると、基本的に表向きが良い人の方が大きな犯罪を犯してしまうことの方が多い様です。市橋達也も大人しい半面、内に溜め込むものがあったのかもしれません。
まとめ
・市橋達也は逃亡初日に自身の顔を自ら整形手術した。また、整形後の顔が水嶋ヒロ似でイケメンと話題になった。
・市橋達也は壮絶な逃亡生活を送っていたが2009年11月、大阪南港フェリー乗り場にて逮捕された。
・市橋達也は父親と姉は医者、母親は歯科医とエリート家族である。
・市橋達也は事件当時に交際していた彼女と逃亡することを画策していた。
事件そのものから逃走劇、その後の手記や映画化など、様々なことで有名になり世間を騒がせた市橋達也ですが、現在市橋達也自身はこの事件に関してどの様に思っているのでしょう。
恩師との会話を見れば、かなり重く感じていることもわかりますが、それでも市橋達也を許せないという世間の声も多い衝撃的な事件でした。