1985年8月12日に起きた単独事故では世界最多の520人の命が一瞬で失われた「日本航空123便墜落事故」。
この記事では、日航機墜落事故の原因や真相、機長の音声や生存者の証言、そして犠牲者遺族や生存者の現在について詳しくまとめました。
この記事の目次
犠牲者520人の航空事故史上最悪の惨事「日航機墜落事故」とは
1985年8月12日、JAL123便が御巣鷹山に墜落
航空事故史上最悪と言われる「日本航空123便墜落事故」
「日本航空123便墜落事故」は1985年8月12日に、東京・羽田発の大阪・伊丹行きのジャンボジェット機(定期123便ボーイング747SR-46)が群馬県多野郡上野村の高天原山尾根(通称:御巣鷹の尾根)に墜落した事故です。
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書の発表によると、乗員乗客524名の内生存者はたったの4名で、残り520名全員が死亡するという単独機の墜落事故としては世界最多の数字となりました。
その原因としては、当時お盆の帰省ラッシュに加えて夕方のラッシュ時が重なったためで、歌手の坂本九さんや宝塚歌劇団の娘役・北原遥子さん、当時阪神タイガース球団社長の中埜肇さん他多数の芸能人、有名人が搭乗していました。
この最悪の航空機墜落事故は「日航ジャンボ機墜落事故」とも呼ばれ、現在までに社会に大きな波紋を投げかけてきました。
日航機墜落事故現場は地獄絵図
カメラマンが「この世の地獄」と表現した墜落現場
カメラマンの松本逸也さんと元運輸省航空事故調査委員会首席調査官の藤原洋さんが現場に駆けつけて取材や調査をしていましたが、「過去のキャリアであれほど凄惨な現場はない」と語っており、事故現場の惨状を伝えていました。
私はふもとから6時間ほどかけて登っていったのですが、道なき道を登りきったところに紙くずや衣類、ぬいぐるみなどが所狭しと散らばっていました。まさかそこが墜落現場とは思わずに、一瞬、「なんて汚い山なんだ」と勘違いしたほどです。でも、上を見ると、いきなり視界が開けた。
機体は尾根に激突後、前部と後部に分断されて大破しながら谷底まで木々をなぎ倒しながら落ちていったため、まるでゴミの山のようになっていました。
そうした破片や木々に巻き込まれた多くの乗員乗客の遺体もまたちぎれて飛び散っている状況で、カメラをどこに向けてもそうした遺体が写ってしまうため、カメラマンたちは泣きながら撮影をしていたそうです。
松本 そうですね、どうしても残骸の上から足元の遺体を踏んでしまう。まるで布団の上を歩いているような、ふわふわとした感じでしたが、あの靴底の不気味な感触は絶対に忘れられません。
米田 上を見ると、内臓や皮膚が木の枝にまとわりついてひらひらとぶら下がっている。周囲の樹木全体がそうなんです。炭化した遺体の足や手も地面のあちこちから出ていて、私は遺体に目の焦点を合わせないように歩いていました。
松本 まさに地獄絵です。
激しい紛争地帯の取材を経験したカメラマンでも、「日航機墜落事故」の現場はそれ以上の凄惨さだったと語っています。
そうした中で、わずか4人の生存者の内のひとり、吉崎博子さんが担架で運ばれていくのをカメラで捉えた時、僅かに指先が動いたのを今でも忘れられないと語っています。
明石家さんまはJAL123便に搭乗予定だった
明石家さんまさんは当時、毎週月曜の午後10時にスタートするラジオ『MBSヤングタウン』(毎日放送)の生放送に出演するためにJAL123便を日常的に利用して大阪に移動していました。
この日もJAL123便利用する予定でしたが、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)のレギュラー収録が早めに終了。
いつもより1便繰り上げて全日空で大阪に向かったため、九死に一生を得たそうです。この事故以降、明石家さんまさんは幹線で行ける距離であれば飛行機を利用しなくなったそうです。
「日航機墜落事故」の原因と真相~事故直前の機長の音声と生存者の証言
日航機墜落事故は7年前の機体修理ミスが原因だった
「日航機墜落事故」はヒューマンエラーだった
「日航機墜落事故」の原因は約7年前の航空事故の際に生じていたと言われています。
事故の同機体は1978年6月2日に羽田発伊丹行き115便として伊丹空港に着陸しようとした際に、機体底部が滑走路に接触する「日本航空115便しりもち事故」を起こしていました。
この事故による修理はボーイング社が行いましたが、後部圧力隔壁の修理の際に人為的ミスが起きていました。
それから7年の間に同機体では28件もの客室後部のドアの不具合が起きており、これは「しりもち事故」によって生じた機体の歪みによるもので、完全な修理がされないまま「日航機墜落事故」で致命的な故障を引き起こし大惨事を招きました。
修理ミスは事故の7年前、別の事故でボーイングがこの隔壁を修理したときに起きた。2列のリベット(鋲)でとめるべきところを1列でとめてしまったため、強度不足になった隔壁が飛行中に破れ、機内の空気が尾部へ流入して垂直尾翼を破壊し、事故機は制御不能になった。これが事故の真相だった。
「日航機墜落事故」がかなり初歩的なヒューマンエラーだったことから、ボーイング社への疑惑の目は現在まで向けられ続けています。
ボーイング社は修理ミスを隠蔽しようとしていた
米国人調査官の手記で事故原因が明らかに
朝日新聞が独自に入手した「日航機墜落事故」の事故調査に加わった米国人調査官の手記から、ボーイング社が原因を隠蔽しようと考えていたことが明らかとなりました。
手記によるとボーイング社は当初テロ説を疑って修理ミスが原因だとは認めませんでしたが、実際には機体の老朽化について把握しており、圧力隔壁の破損についての取材を拒否していたようです。
この手記は「日航機墜落事故」から1週間後の1985年8月19日の夕方から行われた、米国調査団の会議から始まっており、ボーイング社が隠蔽しようとしていた様子が以下のように綴られています。
<しかし、ボーイングの担当者は、隔壁は(修理ミスによるのではなく)墜落時の衝撃で破壊されたと述べた。私たちはその説明を注意深く傾聴した。彼の「疲労の痕跡が無い」との説明は気になった>
<調査官がボーイングの専門家に隔壁の破壊面の型をとってほしいと頼んだ。彼は「隔壁は墜落で壊れたのが明らかだから、時間の浪費だ」と依頼を拒否した>
<爆発の証拠がないことは明らかだった。疲労を認めないために、ボーイングのチームはできることすべてをしているように見えた>
ボーイング社は「日航機墜落事故」直前の6月にエア・インディアのジャンボジェット機が爆破テロに遭っていたことから、圧力隔壁に爆発物の痕跡が無いか調べていたようです。
日航機墜落事故関係者20人が書類送検
群馬県警が遺族の無念を晴らそうとするも不起訴に
「日航機墜落事故」が人為的なミスであったことから、群馬県警は業務上過失致死傷容疑でボーイング社の4人の他に、日本航空や運輸省の関係者16人を書類送検していましたが不起訴に終わっていました。
しかし、2018年8月12日付けの東京新聞では『「検査・指示 入念なら事故防げた」書類送検16人供述判明』としての供述の内容が書かれてあり、責任逃れの言い訳に怒りを覚えた人は多かったようです。
いずれも「ボーイングに任せた」、「入念に整備すれば事故を防げた」、「責任は感じるがボーイングに任せていた」「国としては道義的責任は感じるが、当該機が元に復元した作業記録を見て合格と判定したのだから何ら責任はない」といった内容です。
また群馬県警察が「飛行機はなぜ飛ぶのか」から勉強して頑張ってやってくれた、だから、不起訴になって群馬県警が一番悔しい思いをしているのではないだろうか、というご遺族の声も併せて載っています。
引用:「日航123便墜落―遺物は真相を語る・天空の星たちへ」公式ブログ – 日航機墜落33年書類送検16人供述判明の記事の裏側 青山透子
一方で、「日航機墜落事故」は言われてきた修理ミスではなく、ボーイング機そのものの根本的な欠陥が原因だったとする説もあるようです。
ボーイング機そのものが欠陥だった説も浮上
事故原因はボーイング機の根本的な欠陥だった?
ボーイング社が最終的に修理ミスが原因と認めた理由として、ボーイング機そのものが持つ欠陥を隠すためだという説も囁かれてきました。
事故原因はいろんな説がある。タイ航空機の時には、乗客の耳がキーンとしたという声があがったが、今回はない。圧力隔壁崩壊がいっぺんに起こったかも疑問である。まず、ボーイング社が修理ミスを認めたが、このほうが簡単だからだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、他の飛行機までに及ぶ他の原因となると、全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、ボーイング社としては打撃を受けるからだ。そこでいちばん早く修理ミスということにした。
引用:「日航123便墜落―遺物は真相を語る・天空の星たちへ」公式ブログ – 日航機墜落33年書類送検16人供述判明の記事の裏側 青山透子
これはあくまで憶測の域を出ないようですが、近年もボーイング機の不具合による墜落事故が後を絶たないため、こうした説もにわかに信ぴょう性を帯びてしまいます。
こうしたボーイング社の疑わしい部分は必要以上に追求はされてこなかったため、遺族は新たな証拠を入手できれば起訴をしたいと考えているようです。
これらを検証せずして、放置してきた33年間。報道とは一体何をすべきか、新聞記者はどこを見るべきか。
誤った方向性ならば、少しずつでも正していくべきです。
そして、それほどまでに証拠がないならば、群馬県警も手元にあるものを精査して再度調査すべきでしょう。
遺族「新たな証拠が出てきたりしても、起訴できるわけですね」
検事正「そうです。」
この言葉もあります。これは当然のことであり、再調査に時効はありません。
引用:「日航123便墜落―遺物は真相を語る・天空の星たちへ」公式ブログ – 日航機墜落33年書類送検16人供述判明の記事の裏側 青山透子
とはいえ、アメリカの大企業であるボーイング社はアメリカ政府も守りたいはずなので、何かしらの圧力があって追求ができずに来た可能性は高いでしょう。
日航機墜落事故直前の機長の音声
最後まで諦めなかった高濱雅巳機長と佐々木祐副操縦士
回収されたボイスレコーダーには高濱雅巳機長と佐々木副操縦士の最後まであきらめなかった様子が録音されていました。
(墜落32分前)
高濱機長「まずい、何か爆発したぞ!」
佐々木副操縦士「コントロールが一杯です!」
(墜落27分前)
高濱機長「気合入れろ、ストール(失速)するぞ!」
(墜落6分前)
高濱機長「がんばれ」
佐々木副操縦士「はい」
高濱機長「頭(機首)下げろ!がんばれ、がんばれ」
佐々木副操縦士「コントロール一杯です!」
(墜落30秒前)
高濱機長「パワー、パワー!フラップ!」
佐々木副操縦士「上げてます!」
高濱機長「上げろ!!」
ボイスレコーダーに録音されていた高濱機長と副操縦士のやり取りはここで途絶えて御巣鷹の尾根に激突、墜落してしまいました。
機長の遺族は事故後に多くの乗客遺族らに高濱機長の判断が悪かったことを批難され、心無い言葉を浴びせられて苦しんでいたようですが、このボイスレコーダーが公開されたことで高濱機長と副機長が最後の最後まで諦めずに頑張っていたことに心を打たれ感謝されたと語っています。
日航機墜落事故生存者・落合由美さんの証言
地獄の一部始終を語った生存者の落合由美さん
4人の生存者の内のひとりで、当時キャビンアテンダントながらプライベートで日本航空123便に搭乗していた落合由美さんが墜落直前の様子について語っています。
前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。
まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。
ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声もでなかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。
証言全文は非常に長いため割愛していますが、激しい衝撃と音に同時に襲われた落合由美さんは、土砂や物などが激しく顔に当たり、気づいた時には右腕しか動かせない状態で瓦礫の中に埋まっていたと語っています。
事故直後は落合由美さんの周りから「はぁはぁ」という荒い息遣いがたくさん聞こえていたようで、まだ息があった人が複数いたことが伺えます。
中にはまだ5、6歳くらいの男の子の声で「お母さーん」と叫んだり、自分を奮い立たせるように「よーし、僕、頑張っちゃうぞ!」と声が聞こえた聞こえたそうですが、救助活動が始まるまでには息絶えてしまったようです。
「日航機墜落事故」犠牲者遺族の声
犠牲者遺族の声① 3姉妹の娘をいっぺんに失った田淵夫妻
仲の良かった3姉妹の両親が語った
2018年8月16日に放送された番組『シンソウ!坂上』では「日航機墜落事故」の特集をしましたが、番組MCの坂上忍さんが墜落現場の御巣鷹の尾根に赴いていました。
番組の中で紹介された遺族の田淵親吾さんと輝子さん夫妻は、長女の陽子さん(当時24歳)、次女の満さん(19歳)、三女の純子さん(14歳)の3姉妹を同時に失いました。
親吾さんは自身が経営する工場で働きながら、学校でもPTA役員を務めるなど積極的に行事に参加する実直な人で、輝子さんは工場を手伝いながら子育てに邁進し、どんな時でも子供達が帰ってくるまで寝ずに待つ愛情溢れた人で、3姉妹はそうした優しい夫妻の元で素直に成長していきました。
仲がとても良かった3姉妹はいつでも一緒に出かけることが多く、「日航機墜落事故」が遭った日は3人で旅行中でした。
そして、親吾さんは姉妹らに旅行先について口をはさんでしまい、日本航空123便に乗ることになってしまったことを現在でも悔やんでいると語っています。
番組中の夫妻の印象的な言葉だけを抜粋してご紹介します。
「どこに行くのも3人一緒。天国に行くのも3人一緒や」
「尾瀬にはいつでも行けるけど、万博は今年限りやからそっちに行ってきたらどうやと口を挟んでしもうて……。それで予定を変更して123便に乗ってしまったんや」
「わしが余計なことを言わなければ……悔やんでも悔やみきれん」
「きっと山の中でけがをしているから、早く助けてあげなければと思ってた。死んでいるなんて夢にも思わへんかった」
「うちの娘とは違う!あんなの人間の遺体やない!」
自慢の3姉妹を一瞬で失ってしまった田淵夫妻の絶望は測りしれませんが、同じような悲しみは他の亡くなった方を合わせると何百世帯にも及ぶでしょう。
犠牲者遺族の声② 9歳の息子を亡くした美谷島邦子さん
初の一人旅行だった9歳の息子・健くんを亡くした
9歳の息子・健くんを「日航機墜落事故」で亡くした美谷島邦子さんは、遺族の会である「8.12連絡会」の事務局長を33年間務めてきました。
健くんは大の野球好きで、事故当時は夏の甲子園に出場していたPL学園を応援するために、大阪の親戚の家に向けて初めての一人旅行をしていました。
美谷島邦子さんは健くんを空港まで見送り帰宅してテレビを付けると、日本航空123便の機影が消えたと報じられていたため慌てて羽田空港へ引き返したそうです。
「ずっと、絶対に生きていると思っていました」と語った美谷島邦子さんですが、健くんは帰らぬ人となってしまいました。
「目の前に遺体が並んでいたときに、息子は木に引っ掛かっているんじゃないかと、それくらいは思いました。後悔しかないです、自分を責めることしかできなかった」
「一つずつ棺を開けながら確認をしていく、それは辛い作業でした。健は右手で確認しましたが、あとは確認できなくて…。『会いたい、連れて帰りたい』と思っていたので、発見されただけでもうれしかったですね、連れて帰れますから」
「息子を一人で飛行機に乗せてしまって、自分を責める気持ちから逃げられなかった。」
期待に膨らむ健くんの一人旅行を後押ししてしまったことに現在も無念の想いが消えないという美谷島邦子さんですが、こうした後悔をしている遺族は癒えない傷を抱えて現在も毎日のように亡くなった人を思い出しているのかもしれません。
「日航機墜落事故」生存者4人が助かった理由と現在
日航機墜落事故生存者が助かった理由
生存者4人は破損が少なかった機体後部に座っていた
524名中520名が死亡した「日航機墜落事故」の生存者4名である川上慶子さん、落合由美さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんは機体後部の座席に座っていました。
落合由美さんが証言したように、日本航空123便は垂直尾翼が破損し浮力を失って真っ逆さまに墜落した際に、御巣鷹の尾根に右主翼から接触し、空中分解するように機体前部と後部が寸断されました。
そして山の斜面と並行になるように胴体着陸し、谷底まで大破しながら滑り落ちていきました。
この時に機体前方から尾根に衝突して寸断されたため、機体後部は直接の衝突を回避し、木々のクッションにより徐々に落下が止まったため衝撃が少なく、燃料タンクとも分断されていたため火災も発生しませんでした。
日航機墜落事故生存者4人のその後の苦悩
生存したことで心無い人間に付きまとわれた4人
この世界的にも最悪の死者数を出した「日航機墜落事故」で奇跡的に生き残った4人は、その後激励する応援以外に心無い人間の好奇の目にも悩まされることになりました。
川上慶子さんら4人の生存者には、事故の真相を探るべくストーカー行為を繰り返す人間がいたり、いたずら電話や迷惑電話などをかける人間もいたそうです。
そうした悪質な人間の嫌がらせに悩む一方で、一度は死を覚悟した事故により重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむようになり、事故がフラッシュバックしたりパニック発作を起こすこともあったようです。
日航機墜落事故生存者4人の現在
生存者4名は現在も静かに暮らしている
【川上慶子さんの現在までの様子】
川上慶子さんは事故後しばらくはPTSDにより飛行機に乗ることができませんでしたが、その後克服して渡米し、現地で知り合ったアメリカ人男性と国際結婚をしました。
【落合由美さんの現在までの様子】
事故後は日本航空の事故関連業務に就いて二度と悲しい大惨事が起きないように定年まで仕事に邁進しており、現在は家族とともに大阪府内で安定した老後生活をしているようです。
【吉崎博子さんの現在までの様子】
事故により夫と子供2人を亡くしてしまいましたが、娘の吉崎美紀子さんが助かっており、現在は東京都内で一緒に生活をしているということです。
【吉崎美紀子さんの現在までの様子】
事故により骨折をする重傷を負ったものの後遺障害もなく順調に回復し、上記のとおり現在は東京都内で母親の吉崎博子さんと一緒に暮らしているようです。
「日航機墜落事故」について総まとめすると…
・日航機墜落事故原因はボーイング社の修理ミスといわれている
・日航機墜落事故の生存者はわずか4人であり、現在も心に傷を抱えながらも暮らしている
・機長の遺族はボイスレコーダーの音声公開がされるまで、乗客遺族から心無い言葉を浴びせられていた
30年以上が経過しても色褪せることの無い悲しみを生んだ「日本航空123便墜落事故」について総まとめしてきました。
「日航機墜落事故」以来日本では大きな航空事故は起きていませんが、世界に目を向けるとボーイング社の機体は依然として事故を起こし続けており、完全な安全はまだ確立されていないようです。