蛭子能収さんは、漫画家やエッセイスト、テレビタレント等として活動しています。また、信じられないようなビックリエピソードを持つことでも知られています。
ここでは、そんな蛭子能収さんの伝説ともクズとも言えるエピソードやサイコパス・障害疑惑についてまとめています。
蛭子能収のプロフィール
名前:蛭子能収(えびすよしかず)
出身地:熊本県牛深市(現天草市)
生年月日:1947年10月21日
最終学歴:長崎市立長崎商業高等学校卒業
職業:漫画家・エッセイスト・タレント等
超不条理な作風で知られる漫画家。
蛭子能収さんの漫画は、シュール、不条理、狂気、グロテスク等が入り混じる…そのため好き嫌いが分かれると言われますが、1980年代には多くのクリエーターたちに影響を与えたと評価される面も持ちます。
代表作「私はバカになりたい」「地獄に堕ちた教師ども」など。
エッセイも人気。
「正直エビス」「ヘタウマな愛」「蛭子能収のゆるゆる人生相談」など。新聞や雑誌などの媒体ではコラム・インタビューとして取り上げられることがあり、意外と的を得た発言をしたかと思えば、案の定な蛭子節も聞けると人気です。
2014年に発売した著書「ひとりぼっちを笑うな」は、10万部以上の売れ行きです。
テレビタレントとして
1980年代に柄本明さんから劇団のポスター作成依頼を受けた縁で芸能活動もするように。俳優経験もありますが、現在はもっぱらTVタレント業です。
特に太川洋介さんとの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が有名ですね。(2017年1月を持って蛭子・太川コンビ終了)
蛭子能収の名言・エピソードまとめ【伝説?クズ?】
蛭子能収さんといえばテレビ出ている時でも、「え?」と思うような言動をしていることが多く、なんだか変わった人というイメージを持ちます。
ネットでは、そんな蛭子能収さんのクズとも伝説ともとれるエピソードが散見しています。
エピソード1 葬式で笑う
蛭子能収さんのクズエピソードとして、よく言われる”葬式で笑っちゃう”。実際に蛭子さんの葬式関連の話では、ろくな話がありません。
・葬式に行って悲しい気分になったことがない→葬式で悲しむ人は演技・フリをしている
・母親の葬儀の際にもパチンコにいくのを止められたため、感想は「パチンコができなかった」
・子供のときから誰かが死んでも悲しいということがなく、参列者の最後尾あたりで笑っていた
そんな信じられないようなエピソードですが、蛭子さんは以下のように分析しています。
今、オレ、お葬式で笑っちゃう“不謹慎キャラクター”みたいなことをテレビなんかでも言われたりしますけど、よく考えたら、その当時から、そんな気配がありまして。全然笑う場面じゃないところで、なぜかすごく笑っちゃうんですよ(笑)。
その他、取材のため他人の手術に同行したときにも箇所を見て爆笑していたとも…。
プロインタビュアー・吉田豪氏が言う。
「漫画家の杉作J太郎さんのあそこの手術で大爆笑しているんです。蛭子さんは杉作さんの手術のルポ漫画を書くために同行したんですが、杉作さんが自分の股間が見えないのをいいことに、蛭子さんは『ハッハッハ、あそこがキノコ雲みたいになってるよぉ』と、ずっと笑っていたそうです」
笑いのポイントは人それぞれですが、蛭子能収さんの場合はかなりズレたところにもあるようです。またそこで、本当に笑っちゃうところが恐ろしいですね。
エピソード2 漫画内で恨みある人物を惨殺!?
蛭子能収さんのドン引きエピソードの一つとして有名な、”恨みある人を漫画内で惨殺”。
これは蛭子さんの息子さんが幼かった頃の話で、ある日遊びにきていた息子さんの友達が家にあったプリンを食べてしまったそうです。ただそれは蛭子さんが楽しみにしていたプリンであり、小さい子供の仕業とはいえ非常に腹を立てしまった結果、漫画内で同じようなエピソードを仕立て殺してしまうというもの。
蛭子さんは、この話を大筋で認めています。
蛭子は事実を認め「しょせんマンガですから。マンガの中だったら自由に人が殺せるんですよ」「現実には絶対やりませんよ」と語った。
ギャンブル好きで名言(?)誕生
「もう2度とギャンブルはしません、賭けてもいいです!」
蛭子能収さんは1998年に賭博麻雀を行い、逮捕されたことがあります。
麻雀賭博で現行犯逮捕された時は、謝罪会見の際“こんなので捕まるのが納得いかない。みんなやってるでしょ!”的なことを初めて見るような憤怒の表情で逆ギレしてました。でも逮捕されて、警察官に“二度とギャンブルはしません。賭けてもいい”と言った直後、もうギャンブルをしている。
(逮捕後に芸能活動を自粛していますが、その期間中に海外でカジノに興じたとも言われる。)
その後も、賭け麻雀を肯定するような発言を堂々としています。
『女性自身』の人生相談でも、「賭け麻雀は人に危害を加えていないし、そもそも金を賭けないで楽しいという人はいませんよ。そんな現状を警察はわかっていて、ときどき見せしめのように捜査する。それでは逮捕される人はバカバカしいと思うんですよ」と持論を展開している蛭子さん。
カジノ法案にも賛成。
蛭子能収 カジノ法案大歓迎「一日5、6000円持って、通い続けたい」
またギャンブルが好きすぎる蛭子能収さんは新婚旅行時に奥さんをほったらかして、競艇場に駆け込むなどして妻を大激怒させたと言います。
ケチで有名
蛭子能収さんはギャンブル好きで、競艇・海外での賭博含めれば1000万以上負けていると言いますが、どケチとしても知られています。
ケチな蛭子さん。
テレビ番組の企画にもなるぐらいで、孫にプレゼントを買ってあげるときにも「高いな〜」と渋ったりと、とにかくギャンブル以外に金を出すことを嫌います。
ただ突き詰めれば、蛭子さんはギャンブルも”お金を増やすための手段”としています。
オレも67年間、ずっと金に縛られた人生です。しかも持っているお金を少しでも増やしたいからギャンブルをするんです。人間としてとても大切なことだと思いますよ。
とにかく蛭子さんはお金が大好きなようですね。それは悪いことではありませんが、いろんなことの尺度が普通ではない蛭子さんですのでどケチに見えてしまうこともあるのかも。
まぁ、そう言いつつも生粋のギャンブラーであることも疑いようがありませんが…。
(以下、舛添前知事が政治資金で旅行に行ったときの話を絡めて)
舛添さんは確かにセコいですね。旅館に泊まるにしても、外食するにしても、自分で稼いだお金を使うから、楽しめると思うんですよ。たとえば、オレが競艇をやるときに、「はい10万円で遊んでね」と、誰かからお金を渡されても、ちっとも楽しくないですよ。自らが稼いだお金が増えたり、減ったりすることで、ハラハラするわけですから。
家族エピソード……クズ?心温まる?
蛭子能収さんは、以前から愛妻家として知られています。誰よりもとにかく奥さんが好き!
蛭子:オレは何と言っても奥さんが一番好き。よく「孫が一番かわいい」っていう人がいるけど、オレは断然奥さんなんだよなあ。
その理由がタダでやれるから…等という話も聞かれますが、それでも”一番好き”と言えるところは、愛妻家と見て良いでしょう。
そんな蛭子さんですが、現在の奥様は二人目で2001年に死別した前妻がいます。よくテレビに出てくる息子(蛭子一郎)さんは、一人目の奥様との間の子供になります。
蛭子さん一家。
(画像は、前妻です)
1972年に結婚し、子供が二人います。前妻・貴美子さんは、2001年に肺高血圧症で他界。
子供たち。
長女の史英さん(1972年生)と長男の一郎さん(1974年)。
葬式で笑う蛭子さんですが、一人目の奥様が亡くなられたときは大号泣したといいます。
30年連れ添った妻の死は、まるで自分の中の一部がもぎ取られるようなとてつもない喪失感でした。葬式で喪主席に座った僕は、式の最初から最後まで泣き通し。しばらくはずっと泣いて過ごしました。テレビや漫画の仕事は穴をあけないように頑張ってやっていたのですが、妻のことを考えると涙が出てしまうのです。
またそこまで思えた前妻の存在が、再婚につながったといいます。
前の妻との結婚生活が素晴らしかったからこそ、「もう一度結婚したい」と思うようになったんです。死んだ妻もきっと同意してくれると思い、アクティブに再婚相手を探しました。
葬式で笑う蛭子さんが大号泣(当たり前)したりと、よほど一人目の奥様との関係が良かったのだな……とそう思える内容です。
しかし、その裏で次の嫁をアクティブに探しすぎたことがわかっています。前妻の死から2ヶ月後には、次の相手を探し始めています。
妻の死後2ヶ月後には落ち込んだふりをして女子マネージャーを自宅に呼び、口説こうとしたという。VTRで、蛭子は「いっときも早く彼女を見つけたいなとすごく思ったんですよね」「誰でもいいやという感じになるんですよ。いや、ほんとなんですよ、これ」と当時を振り返った。
番組スタッフが、悪いことをしたという気持ちはあるのかと尋ねると、蛭子は「ないですね、全然」「女の人であれば誰でも良かった」と答えた。
寂しさを紛らわすためなのかもしれませんが、さすがに早すぎますね…。
その後、蛭子能収さんは雑誌企画のお見合いで知り合った19歳年下女性と3年程度の交際期間を経て、2007年に再婚しました。
蛭子さんと娘(再婚相手の連れ子)。
再婚相手の画像はありませんでしたが、連れ子の希和さんとテレビ共演しています。
非常にかわいい希和さんですが、蛭子さんは再婚相手について”でっぷりと丸々したハリセンボン春菜さん似の女性”と表します。
蛭子能収さんは再婚した二人目の奥様を思って、財産を残そうと計画を立てています。
「オレが死んだあとも女房たちがいるので」と、家族を思ってのこと。さんまの「どれくらい遺してあげようと思ってるの?」との質問には「そうですね、5~6000万円くらいは」と答え、その金額に到達するのは「もうちょっとですね」と明かした。
さすが愛妻家の蛭子さんですね。
ただ、息子・孫に対するクズエピソードも…。
「私の結婚式でスピーチに立った父は『今日の式は中の下ぐらいのレベルですね』と言いだしたんです。息子の挙式では、さすがにおとなしくするだろうと思っていたんですが‥‥。妻の親族はカンカンで、私が謝りに行きました」(前出・一郎氏)
「孫をかわいいと思えない」という話の流れで、孫の名前を覚えていないことが判明。何度聞いても覚えられないと白状し、しかもまったく悪びれる様子のない蛭子能収。
その他、数多い恐怖伝説
- ・死産した最初の子供が奇形児でホルマリン漬けの標本になっている。
- ・賭博行為で捕まった際に反省したのか警察官に 「二度とギャンブルはしません 賭けてもいいです」と言った。
- ・父親は漁師で、縄に絡まった仲間の手を鉈で切り落としたエピソードに蛭子は(父を)尊敬したと語っている。
- ・かつて朝鮮半島の軍事境界線を訪ねるツアーに参加し、絶対不謹慎な笑いをしない事と、まっすぐ歩きなさいという指示があったにもかかわらず、わざとジグザグに歩き、いつものクセでシリアスな場面で笑ってしまったため、警備の米兵にぶん殴られた事がある。
- ・交通事故を起こした大竹まことから激しくいじられた際に「人殺しのくせに…」とつぶやいた。
- ・みうらじゅんが蛭子と対談する時に楽屋で蛭子の手帳を勝手に読んだ際、当日のスケジュールに「つまらない人と対談」と書いてあった。
- ・避妊せず行為して中絶する。
- ・蛭子さんを悪く言うと呪われる。
- ・実の息子を漫画で丸焼き。
- ・テレビで臆することなくバカチョンカメラと発言したことがある。
- ・手塚治虫に「あんなのを野放しにしたら、僕の築き上げた日本マンガ全体が駄目になる」と恐れられる。
蛭子能収のサイコパス・障害疑惑
サイコパス疑惑
蛭子能収さんはドン引きするほどのクズエピソードが多いため、それを見た人からは「サイコパス」「怖い」とか、そんな声が聞かれることがあります。
13: 風吹けば名無し 2012/11/14(水) 13:21:58.88 ID:s32wu0FL
芸能界何だからこれくらいの人いたほうがおもろい
15: 風吹けば名無し 2012/11/14(水) 13:24:10.46 ID:xMPaPKZu蛭子さんの漫画読んだら「あっ…(察し)」となるで
シュールすぎ
23: 風吹けば名無し 2012/11/14(水) 13:26:43.74 ID:qb9R2usjいつも笑顔だけど爽やかな笑顔じゃなくキ●ガイの笑顔
27: 風吹けば名無し 2012/11/14(水) 13:27:49.91 ID:vfHGRX5/葬式で笑うのはガチ
ジミーちゃんもそうやし
36: 風吹けば名無し 2012/11/14(水) 13:31:54.73 ID:DBx2gkR7
まあサイコパスなんだろうけど犯罪に走ってない分マシだわな
48: 風吹けば名無し 2012/11/14(水) 13:36:37.77 ID:j0SbIAs5
コイツがテレビに出るのが不思議でしょうがない
というか何故出れるのか
引用:蛭子能収・サイコパス伝説のクズエピソードってマジなの?
サイコパスは精神病質者のことで、一つの見方として以下のような特徴が言われます。
- 良心が異常に欠如している
- 他者に冷淡で共感しない
- 慢性的に平然と嘘をつく
- 行動に対する責任が全く取れない
- 罪悪感が皆無
- 自尊心が過大で自己中心的
- 口が達者で表面は魅力的
他人の言動に「何故?」と疑問を感じるときは、その感覚が違えば違うほど、理解できないものです。そんな未知の言動を繰り返す人が、サイコパスに代表されるような通常の理解を超える性質であるという見方は現在よくみられるケースでしょう。
もちろん蛭子能収さんが実際どうなのかは専門家にみてもらわなければわかりませんが、蛭子さんに常人が理解できないエピソードが多いのも見てきた通りです。
軽度認知障害だった蛭子さん
蛭子さんはテレビ演時に「孫の名前が覚えられない」等のように、少し忘れっぽさが目立つことがありますが、なんと軽度認知障害だったことが判明しています。
軽度認知障害
蛭子は昨日食べたものも思い出せず。家族の名前を聞かれても「何だったかな」と思い出せなかった。軽度認知障害とは、認知症予備軍のことと説明された。特徴として日付けや曜日、食べたものを忘れることや、買い物の時に小銭の計算がおっくうになり、お札で払うようになることをいう。日常生活に支障はないが、半分は4年後に認知症になるという。
蛭子が軽度認知障害になった原因として(1)長年続けた趣味「マージャン」をやめたことや、(2)高血圧であることがあげられた。
その後、蛭子さんはいろいろと訓練を受け、1年ほどで改善したと言います。
今、68歳のオレでもボケボケしてきて、仕事にも支障が出ています。オレは軽度認知障害と診断されてから、1年半ほど片手でお手玉を投げて、もう片方の手はハンカチを振るような訓練を何度もしていました。
蛭子能収さんのエピソードの中には、そんな軽度認知障害が影響していたようなものもあるのかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?数々のクズ伝説をご紹介しました。
ただ、蛭子能収さんは、2016年11月のブログで涙もろくもなったとも発言しています。
久しぶりのブログ、見に来てくれたり、いいねやコメントもいただき、感激しています。最近涙もろくて、葬式でも笑っていた俺が、人の優しさにグッときたりします。年のせいかな。
(※蛭子さんは、2016年11月に約5年ぶりにブログを更新しました)
人間、年をとると丸くなると言われますが、蛭子さんもそんな面があるのかもしれませんね。
ちなみに数ある蛭子能収さんのエピソードは、本人からして誇張されているものもあるそう。
蛭子本人は「オレの噂話のなかには、かなり誇張されたり間違ったりして伝わってるものがありますが、まったく気にしませんね。だってオレの事をタダで宣伝してくれるんですから。それをテレビ局の人が見て次の仕事やお金につながるかもしれない。伊集院光さんや水道橋博士さんも、オレのことを『芸能界一のクズ』とか『芸能界一恐ろしい男』として、ラジオやテレビで宣伝してくれるんですよ」と肯定的に述べており「噂はどう転ぶかわかりません。逆に楽しんでいればいいんです」と一蹴した
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