日本のお茶の間でお馴染みのコメンテーターの1人であるデーブ・スペクターさんですが、ネット上ではCIA疑惑なども挙がっております。
この記事では、デーブさんの家族情報の他、ネット上で囁かれているCIAスパイ説に関してまとめてみました。
この記事の目次
デーブ・スペクターのプロフィール
デーブ・スペクター
本名:デイヴィット・マーク・デーブ・スペクター
出身地:アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
生年月日:1954年5月5日
学歴:シカゴ放送学校卒業
身長:170cm
デビュー時期:1960年代
日本ではコメンテーターとしてお馴染みのデーブ・スペクターさんですが、実はかなり多才な人物だと言えます。
アメリカ時代は子役やABCのテレビ番組プロデューサーとして活躍していたデーブさんは、日本でも役者や放送作家として活躍していた時期がありました。
役者としてのデーブさんは、日本ではテレビドラマ「奇兵隊」にアーネスト・サトウ役で出演した他、テレビドラマ「裸の大将」にゲスト出演したことなどがあります。
放送作家としてのデーブさんは、人気子供番組だった「ひらけ!ポンキッキ」の構成を担当していたこともあったようです。
日本のテレビ史にも大きな貢献のあるデーブさんですが、日本の産業界にも意外な貢献があったりします。日本の温水洗浄便座をアメリカのメディアに初めて紹介した人物が、デーブさんだと言われております。
デーブ・スペクターの結婚した嫁と子供について
名前:京子スペクター(きょうこ すぺくたー)
生年月日:1952年1月2日
出身地:千葉県
デーブ・スペクター、LAのホテルで働いていた京子さんと結婚
デーブ・スペクターさんは、1981年に日本人女性である京子さんと結婚をしています。
京子さんは、上智大学卒の才媛だったため、独身時代は語学力を活かしてホテルニューオータニロサンゼルスのコンシエルジュとして働いていたそうです。ちなみに、京子さんが働いていたホテルに関しては、現在はダブルツリー・バイ・ヒルトン・ロサンゼルス・ダウンタウン・ホテルという名前で営業中となっております。
日系企業とはいえ、欧米のホテルで日本人が正社員として働くことは、現在でも容易なことではありません。
京子さんが若かりし頃といえば、大学を卒業しても家事手伝いという肩書の女性も珍しくなかった時代ですから、京子さんが独立心に富んだ優秀な女性だったことは言うまでもありませんね。
デーブ・スペクターは物腰の柔らかいジェントルマン
京子さんのファッションやメイクがアメリカ風なのは、本人がアメリカで働いていた経験も影響しているのでしょうが、デーブ・スペクターさんの好みに合わせている部分が大きいのでしょうね。
デーブ・スペクターさんといえば、物腰の柔らかい紳士的な言動でも知られています。テレビの前でだけ良い人な芸能人も多い中で、デーブさんの紳士ぶりは本物であることは有名な話です。
京子 デーブは、私にものすごく気を遣ってくださる。私が何もしていないと「何か飲む?」「雑誌読む?」「映画見る?」って、私よりずっと忙しいのに。
妻である京子さんも恐縮してしまうデーブさんの気遣いぶりは家事の分野まで及び、アイロンかけすら自分でやるという徹底ぶりだったりもします。ちなみに、料理に関しても、新婚時代は京子さんが作っていたようですが、デーブさんに説得された結果、現在は京子さんが料理を作る機会はないとか。
「デーブさんはフェミニストなのか?」という話となると、デーブさんはアメリカ人であるため、少なからずそういった部分もあることは間違いないでしょうね。ただし、本質的には「自分のために何かしてもらうのは、申し訳ない」という心情がベースとなっている模様であり、性別問わずに他人の手を煩わせることが苦手な人物がデーブさんということになります。
デーブ・スペクターに子供はいない?
「子はかすがい」とは言いますが、有名人の場合ですと、子供の素行に足を引っ張られるケースも珍しくありません。
子育てというものは、人生の一大事業だと言えます。
デーブ・スペクターさんの子供情報に関しては、ご存じない方が多いと思われます。それもそのはずで、デーブさんには子供がいないようです。
アメリカ人の方といえば、とにかく家族を大切にするイメージがあるので、デーブさんに子供がいないというのは意外な印象を受けます。デーブさんに子供がいない理由に関しては、「仕事が忙しすぎて子作りをする暇がなかったから」と、デーブさん本人は答えています。
万事がスマートな優しさに包まれているデーブさんだけに、この言葉を信用して良いのかどうかは判断が分かれる部分です。もしかしたら、京子さんが不妊体質であり、それを庇っての発言なのかもしれませんね。
とはいえ、デーブさん・京子さん夫妻の間では、子供がいないことをネガティブには捉えていないようで、結婚37年目に突入した現在でも仲睦まじい夫婦関係が続いております。
デーブ・スペクターはスパイ~CIAの工作員説は本当もあった
只者ではなさそうなデーブ・スペクターさんの雰囲気が、そのような噂の発生原因となってしまったのかもしれませんね。
デーブ・スペクターさんには、昔からCIAのスパイ説が存在します。元々は、デーブさん本人の持ちネタギャグの1つであり、ネット上でもお約束ネタとして取り扱っている人間が大半な情勢です。
@dave_spector 【続報】―デーブのスパイ大作戦―
— 宇宙少年 (@rumblefishgirl) 2015年9月15日
CIAが掴んだ情報によれば、消えたドナルドの中には着ぐるみ諜報員であるデーブ・スペクターが入っているとのこと。一刻の猶予も許されない状況に、相棒の太蔵がミッキーに扮して救出にあたった。
デーブ:「家族で来てどうする!」
ところが、近年はそのお約束ネタとネット上の陰謀論とが混じり合ってしまった結果、デーブさんがCIAのスパイだと本気で信じている人もいるようです。
NHK以外の民放も電通支配下にあり基本的に米国ネオコンのプロパガンダを垂れ流している所は全く変わらない。要所要所にデーブ・スペクターの様なスパイ的人物が現れるのも情報操作の一環と言える。
— よーすけ (@yoshimichi0409) 2016年11月23日
デーブ・スペクターのCIAスパイ説は史実が元ネタ?
ちなみに、モー・バーグさんのスパイとしての活躍ぶりは、アメリカでも評価されているようで、「The Catcher was a Spy」というタイトルにてアメリカでの映画化が決定しております。
突拍子もない陰謀論を信じてしまう人間がいる理由に関しては、戦前に活躍したモー・バーグさんというスパイの存在が大きいのではないかと思われます。
デーブ・スペクターはCIAのスパイw 。なんかほら、昔昔の日米野球で東京の写真撮りにきた人とかいたよね。爆撃の目標設定に使われたとかいう。あれw
— 【元祖】コブタエクスプレス (@Iberico_rosso) 2016年2月28日
ボストン・レッドソックスやシカゴ・ホワイトソックスで活躍したメジャーリーガーだったバーグさんは、1934年に日米野球を口実に来日しています。
メジャーリーグ選抜の一員として、野球の伝道師を装い来日したバーグさんですが、本当の目的は東京の街並みを撮影することでした。
実際、モー・バーグは11月29日に大宮で開催された試合を欠場し、1人で16ミリカメラをまわして東京の街並を撮影。そのときの資料が、太平洋戦争時の空襲に利用されたという。
その他にも、戦前ではゾルゲ事件なども起こっており、我々一般人の想像の範囲を超えたことが起こり得るのが、国際世界を舞台としたスパイ活動の実態です。
ゾルゲ事件(ゾルゲじけん)は、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。
引用:ゾルゲ事件
実際のところは、デーブさんがCIAのスパイである可能性はないと思われますが、興味深い歴史の小ネタとして紹介させて頂きました。
デーブ・スペクターの本当の正体は映像輸入会社取締役?
ちなみに、スペクター・コミュニケーションズの社長は、デーブ・スペクターさんの妻である京子さんだったりしますね。
ネット上でスパイ説が流れてしまうほど、ただのテレビタレントには見えないデーブ・スペクターさんですが、やはり裏の顔?は持っていました。デーブさんの本業にあたるもう1つの顔は、映像輸入会社であるスペクター・コミュニケーションズの取締役だったりします。
スペクター・コミュニケーションズは、アメリカのテレビ番組やゴシップ映像などの権利を買い付けて日本のテレビ局に卸す、一種の問屋のような業務内容です。アメリカの最新トレンドの把握と日本でのニーズの予測を同時に行わなければならない高度な業務内容だと言えます。
デーブさんがコメンテーターとして出演している番組は、スペクター・コミュニケーションズの顧客だと言われていますから、かなり手広く事業を展開している会社となります。
デーブ・スペクターの豆知識~日本に住み始めた理由とは?
デーブ・スペクター、実は埼玉県出身説
日本語があまりに上手すぎるために、「デーブ・スペクターは埼玉県出身」という冗談まで存在するデーブ・スペクターさん。
デーブ・スペクターさんの日本語が上手な理由に関しては、「子供の頃から日本語を勉強していたから」というシンプルなものです。
デーブさんが日本や日本語に関心を抱いたきっかけは、小学5年の時に知り合った日本人少年のワタルさんの存在が大きかったと言われています。
日本からシカゴの小学校へ転校して来たワタルさんと友達になったデーブさんは、ワタルさんが日本から持ってきた漫画本に興味を抱きました。そして、日本の漫画本が読みたいと思ったデーブさんは、シカゴの日本人学校に通うという大胆な行動に出ます。
こうして本格的な日本語の勉強を開始したデーブさんには、後にシカゴの日本語弁論大会で優勝したという武勇伝まで残っていたりします。
現在でも日本語を勉強している外国人の方の中には、日本のアニメや漫画好きが多いと言われていますが、昔から変わらない話だったと言えますね。
ちなみに、デーブさんの日本語の語彙が豊富な理由に関しては、日本語の単語の習得のために、毎日勉強を欠かしていないかららしいですよ。デーブさんの日本語の上手さというものは、少年時代から現在に至るまでの努力の賜物ということになります。
デーブ・スペクターは天地真理のファンだった
1970年代前半に一斉を風靡したアイドル歌手の天地真理さん。代表曲には、「ちいさな恋」や「ひとりじゃないの」といった作品が挙げられます。
デーブ・スペクターさんには、日本の上智大学に留学していた過去があります。デーブさんが留学のために来日をした1972年頃は、日本では天地真理さんが国民的な人気を誇っていた時期でした。
ワタルさんを通して、日本の文化に関心を抱いていたデーブさんにとっては、日本での天地真理ブームが興味深いものだったのでしょう。留学生時代のデーブさんは、上智大学での勉強の合間を縫って、天地さんの追っかけをやっていたと言われております。
女性アイドルといえば、アニメや漫画と並ぶクールJAPANの代表的なコンテンツです。昔から外国人の方の気を惹く日本のコンテンツというものは、案外変わらない顔ぶれだったと言えますね。
デーブ・スペクターが日本に定住した時期
デーブ・スペクターさんが日本に定住するようになったのは、京子さんとの結婚がきっかけではなかったようです。
独身時代も京子さんがLAで働いていたことを踏まえると、結婚を機に日本に移住する必要性がなかったのでしょうね。
デーブ・スペクターさんが日本に定住した時期は、1980年代後半頃だと言われております。
留学後は、アメリカのABCテレビの特派員として、1983年に再来日を果たしたデーブさん。達者な日本語力とトークスキルを持っていたデーブさんには、コメンテーターとして日本でブレイクを果たすという予期せぬ展開が待っていました。
そのため、再来日から数年間ほどは、ABCでの業務のために日米間を往来していたデーブさんですが、日本に定住する必要性が生じたようですね。日本に定住後のデーブさんに関しては、前述の通り、実業家兼テレビタレントとして大活躍を続けることになりました。
デーブ・スペクターについてまとめると…
・デーブ・スペクターには様々な噂があり、ネット上では「埼玉県出身説」や「CIAスパイ説」も存在する
・デーブ・スペクターはタレント業の他に、映像輸入会社であるスペクター・コミュニケーションズの取締役を務めている
デーブ・スペクターさんが日本に興味を抱くきっかけとなったワタルさんですが、今でもデーブさんとは交流がある間柄とのことです。
よくよく調べてみると、想像以上に努力家で好感度が上がってしまうデーブ・スペクターさん。日本の芸能界で長年活躍しているだけあり、人間的な魅力の方もがっつりとある方だと言えそうですね。
デーブさんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。