2011年3月11日に発生した大地震・東北地方太平洋沖地震。この未曾有の大地震は東日本大震災(3.11)と呼ばれ2万人近い多くの死者・行方不明者を出しました。
東日本大震災の震源地や死者、津波動画、心霊現象、そして海外の反応などを総まとめしました。
この記事の目次
【東日本大震災】マグニチュード9、最大震度7の未曾有の大惨事が発生
「東日本大震災」の震源地は宮城県北東部に位置する三陸沖
マグニチュード9.0、最大震度7の大地震
1923年9月1日の「関東大震災」に次ぐ日本観測史上最悪の被害者数を出した自然災害・東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に三陸沖の太平洋を震源地として発生しました。
詳しい震源地は宮城県北東部に位置する三陸沖で、牡鹿半島の東南東約130kmの太平洋上となります。
震源の深さは24kmで地震の規模を示すマグニチュードは9.0と世界的に見ても最大級の規模であり、震源域も岩手県沖から茨城県沖と南北に渡って500kmという広範囲に及んだことから被害が甚大となりました。
東日本大震災での最大震度は7を記録したものの、単純な揺れでは直下型地震である「阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)」や「新潟県中越地震」、「熊本地震」などの方が激しかったと言われています。
地震が発生したのは2011年3月11日14時46分頃で、子供は幼稚園や学校へ通い、大人は会社に出勤したり家で家事をするなど家族それぞれがバラバラの行動をしている際に起きたことから家族の誰かを亡くすという悲劇が多く起きてしまいました。
東日本大震災で最愛の子供を亡くした親もいれば、両親を亡くした子供、そして自分以外の家族全員を亡くした人も決して少なかったことから一瞬にして多くの悲しみが生まれてしまいました。
「東日本大震災」死者・行方不明者約2万人被害者を出した戦後最悪の大震災
日本観測史上3度目の震度7を記録した地震
東日本大震災を引き起こした宮城県三陸沖で発生した東日本大震災は日本の気象庁が観測を初めて「阪神淡路大震災」「新潟県中越地震」に次いで3度目となる最大震度7を記録しました。
この地震により最大で40メートルを超える津波が発生し、死者・行方不明者合わせて2万人近い被害者を出した戦後日本で最悪の大震災となりました。
そのため「阪神淡路大震災」での被害者は”圧死・窒息死”が大半を占めていたものの、東日本大震災では震源地が三陸沖の海底だったことから巨大津波が発生してしまい、死者の大半の死因は”水死・窒息死(溺死)”だと言われています。
東日本大震災での死者・行方不明者数は日本の観測史上で「関東大震災」の約10万5,000人、「明治三陸地震」の2万1,959人に次いで1万8,434人となっており、死者は15,895人、行方不明者は2,539人、負傷者は6,156人となっています。
しかし、腕や足など体の一部分が見つかったものの生命を維持するために必要な胴体部や頭部が見つかっていない人は死者に計上されておらず、2016年時点で171人いるとされていました。
連動型地震だったことが被害を拡大させた
東日本大震災はひとつひとつのプレートがそれぞれの周期に従って発生する地震が同時に発生する連動型地震だったことから最悪の被害を生む超巨大地震になってしまいました。
近年、いつ発生してもおかしくないと言われている「南海トラフ巨大地震」もこの連動型地震で、最大で32万人の被害者を出す恐れがあると指摘されています。
ひとつの断層で発生した地震であればマグニチュード8.0程度となっていましたが、東日本大震災は連動型地震となってしまったためマグニチュード9.0と地震規模を大きくしてしまいました。
東日本大震災が発生した直後は被災地の人々はその場から逃げることをせず、三陸沖から迫り来る巨大津波の存在に気づいていませんでした。
地震の性質が短周期的な揺れで家屋や建物に直接的な被害が少なかったことも、避難に遅れが出た原因でしょう。
「東日本大震災」巨大津波発生時の動画【閲覧注意】
ショッキングな内容の動画のためご注意ください
これから紹介する東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生時の動画には、精神的にショッキングな映像も含まれますので自己責任の上でご覧下さい。
下記の動画は東日本大震災発生直後の報道パニックの様子の他に地震の揺れに逃げ惑う人々が映っていますので閲覧の際にはご注意ください。
YouTubeより: 【東日本大震災】国家存亡の危機180秒映像!地震津波の瞬間・原発事故!
以下の動画は地震が発生した直後の各地で撮影された地震の揺れをまとめたものです。
YouTubeより: 東日本大震災の揺れているときの映像
以下の動画は被災地の各地で撮影された津波が内陸部に襲い来る様子を収めたもので、非常にショッキングな動画となっていますのでご注意ください。
YouTubeより: 【3.11 東日本大震災】大津波の全記録(50市町村の津波映像) [TSUNAMI in japan 2011]
見慣れた街並が津波の濁流に飲み込まれていく様子をテレビの前で唖然と観ていた記憶が残っている人も少なくないでしょう。
東日本大震災で発生したまるで映画のような津波は無情に逃げ遅れた人々や建物を飲み込み、すべてを押し流してしまいました。
「東日本大震災」福島第一原子力発電所がメルトダウン
福島第一原子力発電所事故も発生し被害拡大
地震で発生した巨大津波は福島第一原子力発電所を飲み込んでメルトダウンや水素爆発を引き起こし、原発大国である日本にとって最も恐れていた事態を招きました。
東日本大震災の被害の大部分は津波によるものでしたが、その被害の中には福島第一原子力発電所が波に飲まれて水没しメルトダウンを起こすという最悪の原発事故が含まれています。
原発事故といえばロシアのチェルノブイリで起きた事故が思い起こされますが、東日本大震災が起きたことでその記憶は塗り替えられてしまいました。
この福島第一原子力発電所事故は国際原子力事象評価尺度のカテゴリーで最悪のレベル7と位置づけられ、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等とされています。
福島第一原子力発電所がある福島県浜通りを中心とした周辺地域は深刻な放射能汚染にさらされ、地域の住民はすべて移住を余儀なくされ、2012年からは「帰還困難区域」「居住制限区域」に指定されました。
さらに東日本大震災の影響で火力発電所にも被害を出したため深刻な電力不足に陥り、関東圏は65年ぶりとなる計画停電をする事態に陥りました。
【東日本大震災】悪夢を生き抜いた被災者たちの悲痛な叫び
過酷すぎる災害を生き抜いた被災者の声
東日本大震災では誰もが見たことがないまるで悪夢を見ているかのような津波が全国で中継され、津波に飲まれていく人や車を目の当たりにして衝撃を受けました。
その過酷な状況を生き抜いた人々の悲しい体験や勇気づけられる体験を総まとめしましたのでご紹介しましょう。
「東日本大震災」父親を亡くした6歳少女の想い
父親の温もりが残る髪を切らなかった6歳少女
インタビューを受けた2016年当時、宮城県塩釜市に住んでいた6歳の少女・高橋心陽(こはる)ちゃんは1歳の時に東日本大震災の津波で父親を亡くし、直接的な記憶は無いものの唯一父親との繋がりを感じられる撫でてくれたであろう髪を切らずにいるようです。
心陽ちゃんの父親・昌照さんは消防団員をしていましたが、東日本大震災が発生して地域への避難を呼びかける中で津波に飲まれ、36歳の若さで亡くなってしまいました。
昌照さんは地震が発生した当時、自宅に戻ろうとした妻・陽香さんを電話で制止し、保育園に長男の真心くんと心陽ちゃんを迎えに行くように言い、それが最後のやり取りとなってしまいました。
陽香さんは亡き最愛の夫の唯一のぬくもりが残るであろう娘の髪を切れず、通っている幼稚園で最も長く伸びたそうです。
「パパがなでた髪かもしれないと思うと、切れないんです」。母の陽香(はるか)さん(42)にとって、心陽ちゃんの髪は夫のぬくもりを残す大切な思い出だ。
引用:産経ニュース – 津波にのまれた父を思う…6歳の女の子は一度も髪を切ったことがない 「パパがなでた髪かもしれないから」
心陽も長い髪が気に入っているようで、グリム童話に登場するラプンツェルのように床に着くまで伸ばしたいと言っているようです。
「東日本大震災」車椅子の妻を身を呈して助けた高齢男性
津波に飲まれながらも車椅子の妻を助けた奇跡の救出劇
仙台空港近くの沿岸にある宮城県名取市に住んでいた当時71歳の森勝寿さんは、車椅子だった69歳の妻・直子さんを身を呈して助けた奇跡の救出劇が話題になりました。
直子さんは30代の頃に関節リウマチを罹患して、首、肩、肘、腰、膝など体の主要な関節を人工関節にしていたため自分の力では歩けず車椅子生活を続けてきました。
夫の勝寿さんはわずかな年金で妻の直子さんを介護する生活が続いていましたが、2011年3月11日に突然襲ってきた東日本大震災に自宅で被災し、避難勧告が出て津波警報が鳴っていたものの近くの小学校にも行くことが難しかったことから自宅に留まるしかありませんでした。
押し寄せてきた津波は自宅に侵入し、勝寿さんは押し流されて壁に叩きつけられ、直子さんは車椅子から投げ出されて流されまいとちゃぶ台にしがみついていました。
勝寿さんは直子さんのもとへ必死で泳ぎ、妻が冷たい水に浸からないようにちゃぶ台ごと持ち上げ、水深が胸にまで達しても必死で耐え続けたそうです。
「もう、この状態で耐えるしかない。普段から妻はワシがいなくなるとパニックになる。いまこそ一瞬でも離れてはダメだと思ったんですわ」
勝寿さんは冷たい水の中で直子さんを支え続け、翌朝の5時半頃にようやく推移が腰下まで下がってきたことで勝寿さんは直子さんを抱えて瓦礫を押しのけながら自宅の外に出ると、目に飛び込んできたのは津波に押し流されて無残に変わり果てた荒野でした。
すでに体力の限界を迎えていた勝寿さんはありったけの力を振り絞って助けを呼ぶと、幸いにも近所の人に発見されて直子さんとともに病院に搬送されました。
直子さんは病院で治療を受けた際には体温は33度まで下がっており低体温症にかかっていましたが命に別状は無く、15時間もの間冷たい水の中で最愛の妻を支え続けた勝寿さんも無事でした。
「わたしはお父さんがいないと何一つできない。生きてるのが奇跡的です。助かったのが不思議でならない。お父さんと、救出してくれた人に感謝の言葉もない」
勝寿さんが最愛の妻を守り続けた姿はさながら映画『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオが演じたジャックのようですが、絶対的な愛の力が奇跡を生んだことは疑う余地もありません。
「東日本大震災」を契機に暴走族からボランティアに転身
被災したことで人の心の暖かさに触れた暴走族
茨城県大洗町を拠点にして活動していた暴走族「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」のメンバー9人が東日本大震災発生後に暴走族チームを解散させてボランティアに転身したニュースが被災地の人々を勇気付けました。
東日本大震災が発生した約1ヶ月後となる2011年4月17日に、暴走族「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」のメンバー9人は水戸警察署を訪れて暴走族チームを解散させることを報告し、代わりにボランティアとして地元の復興に尽力していくことを伝えました。
当時、暴走族チームの総長を務めていたのは16歳の少年で、メンバーもそれぞれ東日本大震災で被災して避難所生活を送っていたようで、そこで多くの人々の暖かさや結束の強さを目の当たりにして改心したようです。
「東日本大震災」で奇跡的に被害者を出さなかった『あまちゃん』の町
被害が甚大だった地域で唯一死傷者を出さなかった『あまちゃん』の町
2013年上半期のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台となった岩手県沿岸の最北端にある洋野町は、被害の99.5%を出した岩手県、宮城県、福島県の3県の自治体の中で唯一ひとりも死傷者を出さなかった奇跡の町と話題になりました。
洋野町は人口1万6,000人ほどの小さな町ですが、6~15mの津波が押し寄せて79棟の家屋が全半壊し、約65億円もの被害を出しましたが、人的被害はゼロでした。
その奇跡をもたらした理由は、過去に同地区で深刻な被害を出した明治三陸地震、昭和三陸地震にありました。
当時最も津波被害が大きかった八木地区の高台には墓碑があり、それは明治三陸津波で254人、昭和三陸津波で214人の亡くなった人々の魂を鎮めるために建立されたものでした。
こうした災害の歴史があったことから洋野町では防災意識が高く、自主防災組織を設立していましたが、発足したのは東日本大震災から約3年前であり、まさに奇跡的な動きが功を奏したと言えるでしょう。
この自主防災組織が主体となって洋野町では度々防災訓練を行っており、そのことが東日本大震災が発生した際にも町民全員が取るべき行動を把握していたためひとりの被害者も出さずに済みました。
洋野町のケースはまさに常日頃から防災意識を持つことの重要性が分かる事例でしょう。
「東日本大震災」で津波に飲まれながら奇跡的に生還
岩手東海新聞社の記者が津波に飲まれながら奇跡的に生還
東日本大震災が発生して現地でカメラを片手に取材していた岩手東海新聞社の記者・千葉東也さんは津波に飲まれながらも取材を続け奇跡的に生還しました。
国土交通省の社員が高い場所から津波に飲まれそうになっていた千葉東也さんを撮影していたようですが、水が肩まで浸かってもカメラを離さずに記者魂を見せ、その後流されながらも奇跡的に軽傷で済んだことがニュースで報じられていました。
YouTubeより: 【地震】津波に巻き込まれ・・・「奇跡の生還」(11/04/15)
また、東日本大震災で被災しながらも取材を続けていた報道記者は少なくなかったようで、東北放送の記者・武田弘克さんも迫り来る津波から逃げながら間一髪で避難した様子を撮影していました。
YouTubeより: 報道カメラマン 津波から間一髪逃げ延びる
そして、ドイツから家族旅行に来ていたヨハンナ・シュピールベルクさんらも津波に飲まれて死を覚悟しながらも奇跡的に生還しました。
YouTubeより: 津波から生還したドイツ人
ヨハンナさん家族のように国外から旅行に来ていた人は多くいますが、死者2人、行方不明者5人と全体的な被害から見ると奇跡的な数字になっています
【東日本大震災】今も絶えることがない心霊現象の数々
「東日本大震災」で多くの人が心霊体験をしていた
NHKでも取り上げられた被災地での心霊体験
東日本大震災で死者・行方不明者は18,434人に登りましたが、震災後に亡くなった家族が枕元に立った、亡くなった人の霊を多くの人が目撃したなど心霊体験の話が多く確認され、過去の災害の中でも最も多いと言われています。
被災地にあるとある橋では、タクシーを呼び止めて車内に乗り込んでくると「あの、私死んだんでしょうか?」と聞いてくる幽霊の話が噂され、この話がたとえ作り話だったとしても東日本大震災で亡くなった人々の「何故突然死ななければならなかった?」という納得のいかない気持ちを代弁したものだと受け取れるでしょう。
また、とある道路では夜になると大勢の亡くなった人の幽霊が列をなして歩いているようで、思わず車で轢いてしまった人が警察に通報しても実際には誰も倒れていないという心霊現象もあるようです。
船長曰く、東日本大震災の時は三陸沖とかででブリッジの電気が勝手に着いたりとか怪奇現象が本船で多発してたらしい。でもって恐怖というより幽霊を助けられたのではないかという解釈をしている。
— 哲学する昔船員だった人 (@wothanako46) October 26, 2017
他の船もそういうのあったのだろうか?陸でも心霊現象は結構あったらしい。
東日本大震災は 死者・行方不明者で1万8千人にもおよんだのかぁ。
— ボーダーランド (@ce_borderland) April 4, 2018
心霊的なお話が合ってもそれはそれで仕方がない気がする。 まぁ 自殺者も3万人弱いるそうなんでなぁ 私としてはご冥福を祈るしかできんが。
【東日本大震災】未曾有の大惨事に海外の反応は?
「東日本大震災」世界各国からのあたたかい支援
東日本大震災は世界中の人々に衝撃を与えた
2011年3月11日に起きた東日本大震災の様子は全世界で放送され、無情にも人々や街並を飲み込んでいく津波の恐ろしさをまざまざと伝えました。そして、多くの海外の人々が被災地を勇気づけようと応援し続けてきました。
東日本大震災を受けて、国際連合の潘基文事務総長は以下のように日本に対して哀悼の意を示しました。
「日本からの映像を見て世界はショックを受け悲しんでいる」
「日本は世界中の困っている人を援助してきた最も寛大で強力な援助国の一つだ」
「今回は国連が日本国民を支援し、日本国民の力になりたい。できることは何でも、全てやるつもりだ」
その他にも約43の国際機関等や日本と親交のある国際連盟に加入する191の国々からも日本の支援を表明する声が挙がり、多額の義援金や救援物資が送られました。
それではネット上での個人の海外の反応をまとめましたのでご紹介しましょう。
●カナダ
日本は素晴らしい国だよ。たくさんの国が助けに行ってくれる事を願うよ。
●カナダ
カナダ軍が救援物資を持っていくよ。
本当に悲しく思う。皆が無事なのを願うよ。
●フィリピン
フィリピンから助けに行くよ…いつだって…
なんとしても助けに行くよ…マンパワーで助け、復興させるんだ…
君たちは一人じゃないよ…
●アメリカ
世界中が日本を助けようとしているよ。アメリカより愛を込めて。
君たちは一人じゃないんだ。
親日家が多い台湾では義援金を募る番組も!
台湾からは200億円にものぼる義援金が日本に届けられました。
こうした多くの海外の反応が東北の被災地の人々を勇気づけたことだと思いますが、普段から日本が海外の多くの国に対して友好的支援を続けてきたことがこういう形で返ってくるのでしょう。
「東日本大震災」について国内のツイッターの反応
東日本大震災についてのツイッターが心温まると話題に
東日本大震災発生時や、発生して以降の被災地の人々の人への思いやり、規律を忘れなかった日本人の心がツイッターでつぶやかれており注目を集めていました。
以下のツイートはレストランで働いていた人が東日本大震災発生当時に避難のために飲食代を払わないまま避難したものの、後日踏み倒さずに支払いを済ませに戻ってきたことに日本人の心の美しさを見たようです。
■地震が起こったとき、レストランで働いてた。店はほぼ満席。地震の後、お客を店の外に誘導した。客の大半は支払いをしないですぐに店から出るだろうって思ってたけど、ほとんどの人が戻ってきて、支払いをしてくれた。支払いができなかった人で、翌日になって支払いのために戻ってきてくれた人もいた。日本ってなんて美しい国なんだろう。
下記も飲食店絡みのツイートですが、東日本大震災被災後にお店が再開した時の店長の復興に向けた強い気持ちが現れた言葉に感動したようです。
■今日の朝礼で、上司が「今、日本になにが起ころうとも、不安そうな顔はしないように。お客様に対するもてなしの気持ちを忘れず、お客様が快適に過ごせるようにしてください。なにが起こっても」って言った。感動したよ。一生懸命働こうと思う。さあ、開店だ!!
下記のツイートは東日本大震災により深刻な渋滞が発生したにも関わらず、誰ひとりとして無謀な運転や急かすようなクラクションは鳴らさずに、逆に感謝の気持ちが運転手から伝わるような日本人の思いやりに感動したようです。
■渋滞が酷すぎた。信号が青に変わるたびに、進める車がたった1台だけなんてざら。でも、みんな本当に冷静だった。安全運転で、お互いに道を譲り合ってた。10時間運転してたけど、ありがとうのクラクション以外、一度もクラクションを聞かなかったよ。怖かったけど、心温まる体験だったし、日本をもっと好きになった。
復興中の現在までのツイッターでの反応
東日本大震災は余りにも大きな爪痕を残し、現在も被災地では復興への活動が続けられていますが、「熊本地震」や「大阪府北部地震」、西日本の「平成30年7月豪雨」などが起きながらもまったく風化することはなく被災地への復興への想いがツイートされています。
日本は強い国だ。平和な日常が戻るまで何年、何十年かかるかわからないけど、東京中、日本中、そして世界中の人々が力を合わせて応援すれば、きっと未来(みち)は開けるはずだ。私はそう信じてる。🌈#西日本集中豪雨#大阪北部地震#熊本地震#東日本大震災#がんばろう日本#絆とは
— クロめろ (クロにゃん) (@OER2052F) 2018年7月11日
三人を代表して剛君『東日本大震災から8年がたちます。みんないろいろな大変な中でも、僕たちがこうやって楽しい時間を作れることが嬉しいです。これからもみんなで寄り添っていきましょう』のようなメッセージ。剛くん吾郎さん慎吾くん本当にありがとうございます。#NAKAMAtoMEETING仙台 #草彅剛 pic.twitter.com/2QB71l5nPn
— オリスマnatsu (@natsuorisuma) March 10, 2019
明日で東日本大震災から8年。
— Daiki Kojima@麺グラファー (@daiki_kojima_) March 10, 2019
僕は先日福島県浪江町、双葉町を訪れました。
復興はして来てはいますが今も残る地震、津波の傷跡。
僕が出来るのは被災地を撮影してSNSに載せることぐらいだけど東日本大震災を忘れないで欲しい。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/9AjBDCCUqG
東日本大震災について総まとめすると…
・東日本大震災の震源地は宮城県北東部に位置する三陸沖である。
・東日本大震災は津波による甚大な被害を出し、死者・行方不明者は18,434人の主な死因は水死である。
・東日本大震災では数多くの心霊現象が報告されている。
・東日本大震災では世界各国からあたたかい支援が寄せられ、親日家の多い台湾からは200億円もの義援金が送られた。
2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)について総まとめしてきました。
日本の観測史上で3番目に甚大な被害を出した超巨大地震ですが、2018年現在は次の巨大地震がいつ起きてもおかしくない状態であり、それは複数存在しています。
過去に起きた地震の発生頻度から割り出された次の発生時期は、2020年までに東京直下型地震や、2029年までに南海トラフ巨大地震が発生すると言われ、その発生確率は80%を超えて「確実に起こる」と言われています。
2018年6月には大阪府北部地震、そしてその後は千葉県でスロースリップが起きる中でマグニチュード6.0の大きな地震が起きており、今こそ防災対策に意識を集中させる時でしょう。