元ヤクザの吉村光男さんといえば、ホーミーKEIこと井上ケイ(小峰圭介)さんに売られてアメリカで服役をする羽目になった男として注目を集めている人物となります。
この記事では、吉村光男さんの経歴やアメリカでの服役生活の他、極東会との絶縁理由と引退、そして現在の様子についてまとめてみました。
この記事の目次
吉村光男とは…小峰圭介こと井上ケイ(KEI)にハメられた男として有名だった
吉村光男さんといえば、元ヤクザの作家であるホーミーケイこと井上ケイさんに陥れられた結果、アメリカで服役生活を送る羽目になった元ヤクザとして注目を集めている人物です。
元々吉村さんは、2008年に発売されたヤクザライター・山平重樹さん著作の「連邦刑務所から出所した男」にて、小峰圭介という男に濡れ衣を着せられてFBIに逮捕されたことを告白していました。
しかしながら、当時は小峰圭介が何者なのか不明だった他、吉村さん自体も世間的には有名人というわけではなかったため話題にはなりませんでした。
その後、2021年になってユーチューバーの柳川竜二さんが、吉村さんを陥れた小峰圭介が井上ケイさんの本名だったことを明かしたため、一連の話題がネット界隈でバズることになりました。
ちなみに、柳川竜二さん自体も山口組系の三次団体の元組長であり、現在は芸能プロダクション「柳川軍団」の経営者との経歴を持つ一廉の人物だそうですね。
吉村光男の経歴…山口県宇部市出身で17歳でヤクザになっていた
吉村光男さんに関しては、山口県宇部市出身であり、中学を卒業後に東京へ上京したそうですね。
上京後は新宿で遊んでいる内に悪い仲間が出来たという吉村さんは、17歳の時に極東会系の二次団体である成田組(真誠会)と盃を交わしてヤクザとなりました。
極道入り後の吉村さんは、18歳の時に兄貴分だった富岡忠男さんと一緒に極東会系の三次団体・極新会を結成し副会長に就任するなど、順調に出世をしています。
そんな吉村さんの武勇伝には、19歳の時に同じ成田組の若衆が千葉県の地元博徒と揉めてリンチされた際に、仲間10人で報復の殴り込みを仕掛けたという伝説があります。
ちなみに、この時の吉村さんは、他の組員たちを代表して殴り込みの責任者となった結果、「懲役1年2か月」の判決を受けて、水戸少年刑務所に服役をする羽目になったとか。
吉村光男はアメリカで服役した…逮捕時は極東会系三次団体の会長だった
吉村光男、1993年に井上ケイらにハワイ旅行へ誘われていた
1993年に43歳となった吉村光男さんですが、この頃になると極東会系真誠会の幹部となっていた他、極新会の2代目会長の地位にもあったそうですね。
また、極新会自体も構成員200~300人を数える一大組織になっていたと言われております。
そんな吉村さんを地獄へと誘う使者となったのが、同じヤクザの小峰圭介こと井上ケイさんや神田という男でした。
2人は、「ハワイでアメリカの大物マフィアに会ってほしい」と吉村さんに持ちかけて来たと言われております。
これまでに、6度(累計10年)の懲役を経験していた吉村さんですが、当時も部下が起こした案件で警察より指名手配を受けていた身の上だったとか。
そのため、「少しの間ハワイにでも身を隠すか」と考えた吉村さんは、2人の申し出を快諾することになりました。
吉村光男、ハワイでFBIに逮捕された
吉村光男さんが、妻である美代子さんを連れて日本を旅立ったのは、1993年3月30日のことでした。
ハワイに着いた吉村さん夫妻は、井上ケイさんらが用意したワイキキの超高級ホテルのスイートルームに泊まることになりました。
その後の吉村さんは、4月1日に宿泊先のホテルにて、アメリカ本土の大物マフィアに偽装したFBIのおとり捜査官たちと会談することになったそうですね。
会談中のおとり捜査官たちは、しきりに麻薬の取引(日本よりの密輸)を持ち掛けて来たそうですが、吉村さんはのらりくらりとした対応に終始していたと言われております。
この辺の吉村さんの反応については、極東会が的屋系の組織だったため、麻薬をシノギにするのは御法度という掟を遵守していた影響も大きかったとか。
しかしながら、そんな吉村さんの都合はお構いなしだったFBI側は、神田に命令して3キロの覚せい剤を密輸させて会談の場に持ち込ませるなど、逮捕のためのアリバイ作りに終始していました。
その結果、着々と逮捕の口実を築き上げられてしまった吉村さんは、その日の午後3時半になると、FBIに宿泊先のホテルを強襲された結果、緊急逮捕されることになりました。
井上ケイ、裏切りの理由は司法取引だった
まさに青天の霹靂となる逮捕劇を経験した吉村光男さんですが、井上ケイさんらの裏切りの原因は司法取引だったと言われております。
1992年に、女と一緒にハワイに覚せい剤を密輸しようとした際に逮捕された井上ケイさんは、FBIより「日本の大物ヤクザを陥れることに協力すれば減刑を約束する」との司法取引を提案されていたとか。
当然ながらその申し出に乗った井上ケイさんは、FBIからの命令のままに吉村さんをハワイに誘い込む駒となりました。
また、FBIの方も1年近く前から吉村さんを尾行していた他、ハワイでの宿泊先となったホテルにも隠しカメラや盗聴器などを仕込んでいました。
FBIがここまで熱心に吉村さんを逮捕しようとした背景には、当時のハワイでの麻薬取引の9割にヤクザが関わっていた他、アメリカ西海岸やハワイにヤクザ資本が大進出し、不動産や観光施設を買い漁っていたことに対する危機感が強かったそうですね。
吉村さんは、当然ながらそのような商売には関わっていませんでしたが、なまじ大物ヤクザだったため、FBIよりスケープゴート役に選ばれてしまいました。
吉村光男、司法取引で減刑を勝ち取った
逮捕後の吉村光男さんに関しては、当然ながら当初は無罪を主張して法廷で闘っていました。
しかしながら、井上ケイさんや神田らが証人として出廷し、吉村さんこそが麻薬取引の主犯であると証言したりと、裁判はFBIの筋書き通りに進んで行ったそうですね。
そのため、このまま行くと最低でも懲役48年、最悪だと終身刑もあり得た吉村さんは、弁護士のアドバイスでFBI側と司法取引をすることになりました。
吉村さんとFBIの司法取引の材料については、自分の知っているヤクザの実態や内情を提供するといったものでした。
ただし、FBI側があまりにヤクザに対して無知だったため、仲間を売る必要もなく司法取引は成立したと言われております。
この司法取引のおかげで、吉村さんは「懲役11年3か月から14年8か月の不定期刑」を勝ち取ることが出来ました。
吉村光男、アメリカでの刑務所暮らしは案外と快適だった
1994年4月に「懲役11年3か月から14年8か月の不定期刑」との判決を受けた吉村光男さんは、カリフォルニア州にあるロンポックUSPという連邦最重刑務所に収監されることになりました。
ロンポックUSPについては、終身刑や懲役数百年クラスの受刑者が集う場所であり、マフィアの幹部クラスまで多数収監されていたそうですね。
しかしながら、FBIが自分たちの手柄を喧伝するために、吉村さんが2000人もの部下を持つヤクザの組長であるとの誤情報が流されていたこともあり、ロンポックUSPの受刑者たちからも一目置かれた結果、収監中にイジメや嫌がらせを受けることは回避出来たそうですね。
また、逮捕後もアメリカに残り続けた妻・美代子さんが、刑務所近郊にアパートを借りて頻繁に面会に来てくれたため、精神的にも追い込まれないで済みました。
ちなみに、アメリカの刑務所ではラウンジのような広さと性質を持つ面会室があった上に、吉村さんのような連邦最重刑務所に収監されている受刑者でも月に14時間もの面会が許可されていたとか。
その他、シャバから食べ物なども持ち込めたため、吉村さんは面会時間になると美代子さんの手料理を堪能していたそうですね。
また、刑務所内にスーパーがありお金さえあれば大抵の物が手に入った他、受刑者が自炊して好きな料理を食べることが出来たりと、治安面以外では日本の刑務所よりも快適な部分が多かったとも言われております。
アメリカの刑務所は、電話がかけ放題(ジョージ・W・ブッシュ政権になってからは月に300時間までに変更)だったことも電話魔だった吉村さんにとっては快適な要素の1つでした。
吉村光男、2003年1月に出所して日本へ帰国した
収監後の吉村光男さんは、模範囚だったこともあり、4年8か月ほどでコロラド州にあるコロラドFCIというミディアム級の刑務所に移送されることになりました。
その後、知り合いの受刑者に「陰茎にダイヤを埋め込んである」と冗談を言ったところ、本気にして襲撃事件を計画したグループが出たため、2年程度でミーズリ州にあるミーズリ・プリズンに移送されることになってしまったそうですね。
吉村さんが別の刑務所に移送される度に、妻・美代子さんも引っ越しを繰り返す羽目になったことは言うまでもありません。
そんな吉村さんが出所を勝ち取ったのは2003年1月のことでしたが、同時に日本へ強制送還されたために、アメリカで羽を伸ばすことは出来なかったとか。
日本へ帰国後の吉村さんは、そのまま極東会に復帰してヤクザ稼業を続けることになりました。
吉村光男は酒梅組の元総裁?実は同姓同名の別人だった
吉村光男さんは、2021年5月になると極道から引退したとの一報も流れました。
十代目酒梅組「継承盃」――吉村光男総裁が引退を決意! #週刊実話Web #アウトロー #盃事 #週刊実話2021年5月27日号 #酒梅組 https://t.co/KuIrjrdLW4
— TinyNews – 時事・芸能・エンタメ (@tiny_motion) May 16, 2021
しかしながら、こちらの情報については、大坂府大阪市西成区に拠点を置く「酒梅組」の総裁であった吉村光男さんの話題だったようで、極東会の吉村さんとは同姓同名の別人でした。
ちなみに、「酒梅組」も博徒系の名門組織となっており、最盛期には2000人もの組員がいたと言われております。
吉村光男のその後…極東会から絶縁されて引退していた
日本へ帰国後の吉村光男さんに関しては、極東会の最高幹部(組織委員長)にまで上り詰めていました。
しかしながら、2008~2010年頃に部下が聴覚障碍者を相手に投資詐欺を働いて逮捕された一件が使用者責任認定された結果、2016年になると、事件当時に極東会会長だった松山眞一さんらに1億9720万円もの賠償が命じられる判決が下るというアクシデントが発生しました。
指定暴力団極東会系の組員に多額の現金を脅し取られたとして、聴覚障害者27人が極東会の松山真一元会長ら3人に対し、総額約1億9940万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、東京地裁であった。山田真紀裁判長は、暴力団対策法などに基づいて、松山元会長に代表者としての賠償責任があると認めたうえで、松山元会長らに約1億9720万円の支払いを命じた。
その結果、極東会側とトラブルになった吉村光男さんは、絶縁されて極道を引退したと言われております。
16名無番長2019/01/02(水) 10:37:53.610
松山五代目に賠償命令が出た詐欺事件の犯人が吉村組の若い衆だったんでしょ。
1億円以上の賠償命令が裁判所の判決で出た。
18名無番長2019/01/02(水) 13:10:09.320
まじだよ
吉村に払うよう言ったけど
そんな金ないし知らねえよ突っぱねたので
絶縁
吉村さんの正確な引退時期などは不明になっていますが、2018年頃にはSNSにて絶縁されて引退したとの噂が流れていたようですね。
吉村光男の現在…柳川竜二のユーチューブchに出演していた
極道引退後の吉村光男さんについては、竹垣悟さんや沖田臥竜さんのようなヤクザ評論家の文化人路線には進みませんでした。
この辺の事情については、極東会とのトラブルの末に絶縁されて引退した経歴が響ているのかもしれませんね。
現在の吉村さんは、前述のユーチューバー・柳川竜二さんのチャンネルに度々登場しているため、一般人として元気に暮らしているようですね。
吉村光男についてまとめてみると…
井上ケイさんに嵌められた男として一躍脚光を集めた吉村光男さんですが、部下の不始末のせいで極道を引退しているようですね。
吉村さんの健やかなセカンドキャリアが続くことを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。