昭和を代表する伝説の漫才コンビ「やすしきよし」横山やすし・西川きよしの2人のコンビの人気は国民的人気と言っても過言ではないほどのものでした。
特に、ボケを担当する「横山やすし」さんの才能は、「天才」と称されるほどの稀有なもので、やすきよ漫才が20世紀を代表する天才漫才と言われる所以ともなっています。
今回は「天才」と称された、横山やすしさんの伝説的な漫才師人生と彼の死因についてまとめてみました。
横山やすしの経歴・プロフィール
横山やすしのプロフィール
芸名:横山やすし(よこやまやすし)
本名:木村雄二(きむらゆうじ)
出身地:大阪府堺市堺区
生年月日:1944年3月18日
身長:163cm
担当:ボケ
最終学歴:堺市立旭中学校
活動期間:1959年-
高知県宿毛市沖の島で仲居として働いていた母と、旅回り芸人一座の団員である男性(横山やすしさんは私生児であり、父の認知を受けてはいない)の間に生まれた横山やすしさん。
少年時代から素人参加番組「漫才教室」で才能をいかんなく発揮。中学卒業後、松竹新演芸(現・松竹芸能)に入社。漫才作家・秋田實門下生として芸能界のしきたり、漫才の作り方などの基本を叩きこまれました。
その後、横山ノックさんに弟子入り。弟子修行に励む日々を送られた後、内弟子を卒業。生活が苦しくなり、アルバイトで生活費を稼ぐ日々だったそうです。
芸人としてネタ作りに熱心だったものの、それが相方との温度差につながり、数回のコンビ解散を繰り返す「コンビ別れの名人」として廃業寸前にまで追い込まれています。
1966年、当時はまだ研究員扱いだった「西川きよし」さんとコンビを結成。「やすしきよし」の名でデビューを果たします。
意外なことに、結成当初は不仲だったようで、稽古のことで背広がボロボロになるほどのつかみ合いの喧嘩もしばしば起きていたそうです。現在の西川きよしさんからは想像もできませんが、お互いの強い漫才への熱がぶつかった結果の不仲だったのかもしれません。
西川きよしのプロフィール
芸名:西川きよし(にしかわきよし)
本名:西川潔(読み同じ)
出身地:高知県高知市朝倉生まれ→大阪市港区・住吉区育ち
生年月日:1946年7月2日
身長:165cm
血液型:O型
最終学歴:大阪市立三稜中学校
活動期間:1963年-
19歳で、現在の奥さまである西川ヘレンさんと出会い、既に売れっ子であった奥さまに食わせてもらっている状態だったと後に語っている西川きよしさん。
横山やすしさんに何度も口説かれてコンビ結成をされた後は、売れない漫才師から一転、一躍売れっ子漫才師として人気を博しました。
座右の銘である「小さなことからこつこつと」は、ファン以外からも知られるほど有名な、彼を表するフレーズとなっており、誰に対しても驕り高ぶることのない丁寧な姿勢は長きに渡って、先輩・後輩の芸能人、一般人の多くから尊敬を集めるほどと言われています。
現在では、お笑い芸人界で最大勢力を誇る吉本興業における3トップの1人として、六代目桂文枝(桂三枝)さん・笑福亭仁鶴さんと共に、事務所所属芸人の頂点に君臨するほどの大御所芸人に成長されています。
横山やすしの伝説秘話~ギャンブルとアルコールで身を崩した半生
数々の伝説(良いものも悪いものも含め)を持つ横山やすしさん。
最後の破天荒・天才漫才師としての逸話が現在の大物芸人の口から語られています。
以下、横山やすしさんに関する逸話を見ていきましょう。
横山やすしの伝説① 金があればギャンブルにつぎ込む
芸能レポーターの石川敏男氏は、2人を比較してこう評した。「やっさんには金がなかった。宵越しの金は持たない人で、あればギャンブルにつぎ込み、セスナを買ったりもしました。一方で紳助は、蓄財がうまかった。そして私利私欲に走ったんです。ここは決定的に違うと思います」
横山やすしの伝説② 競艇場で高額なスピードボートを購入
「中学時代の親友・野中和夫が競艇選手だったということもあり、競艇場に足を運ぶ頻度は半端じゃなかった。舟券を買うばかりではなく、ボート自体にも興味を持っていて、選手並みに払い下げのボートを高額で購入していたといいます。2000万円もするスピードボートを何台も買っていたそうです」(競艇関係者)
横山やすしの伝説③ クラブで大暴れ
「クラブで酔い潰れた時は、ホステスの髪の毛をつかんで振り回すわ、ドレスをビリビリに破くわで大変だったそうだよ。胸をもみしだいたあげく『コラ、お前、オ○コさせ~』だって(笑)」(前出・ヤクザ組織関係者)
「漫才の稽古をしていても、『ビールはお茶代わりや』と言って、2時間ほどの間に500㍉缶を3.5本は空けていた。ウイスキーが入っちゃうとヘロヘロなんですが、稽古中にはちゃんと線引きがあって、お茶代わりのビールしか飲みませんでした(笑)」
横山やすしの伝説④ 東京妻と不倫
「やすしには有名なところで、2番目の妻と再婚した直後から、上京した際に身の回りの世話をしてくれる〝東京妻〟と15年ほど不倫関係を続けたことが発覚しています。一方の紳助はもっと派手で、女優・渡辺典子との密会を撮られたのをはじめ、モデルやらタレントやら共演した女性たちとの噂が絶えませんでした」(ワイドショー芸能デスク)
横山やすしの伝説⑤ 仕事関連のエピソード
やすきよはツービートの出番の後の大トリで登場し、最初笑いは起きなかったそう。しかし本来の持ち時間は6~7分のところ、30分以上かけてじわじわと笑わせ、最後にはやすしが「笑ったとこだけ使ってくれな」と言い残して帰っていったそう。
たけしは一連の行動で自分たちへのライバル心をむき出しにしてきたやすきよに対して「震えがきたね、この人たちは執念ぶけえって」「根性違うよね」と感嘆した。
某テレビ局のディレクターと鍋を食いに行った時です。そのディレクターがふと時計を見たら、それが気にくわない。「ワシより時間が気になるんか!」と時計外させて師匠が手に持ったと思ったら、グツグツ煮え立ってる鍋の真ん中にポンッと放り込んだ。時計は白菜の中にブクブクブクって沈んでって、箸ですくうたら、時計の革バンドが伸びて海苔みたいになっとったらしい。
「『明日何してんねん』言うから、『暇です』言うたら、「飛行機乗りに来い!』って。翌日、大阪の八尾空港いうとこに行って、個人で買ったセスナに乗せてもらった。『忙しいなか、よく免許を取りましたね』言うたら、『免許? そんなもんあるかいな!』て(笑)」
セスナは当時で8,000万円。だが、やすしは800万円しか払っていなかったため、業者は、完済するまで乗らせまいと、プロペラの片方をへし折った。それでもやすしは、同じ方向にだけ旋回するという手段で運転を続け、あげくに、もう片方も奪われると、エンジン音だけ楽しんだ。
横山やすしの晩年と死因「アルコール性肝硬変」まとめ
横山やすし、51歳の若さで亡くなった
横山やすしさんの司法解剖の結果、死因は「アルコール性肝硬変」と判明しています。
亡くなる前日までビールを多量に飲んでいたことが、弱っていた肝機能を急激に低下させ、急死に至った原因と言われています。
96年1月21日、やすしさんが自宅で寝たまま意識を失っているところを啓子さんが発見。救急車で病院に運ばれたが既に心臓と呼吸が停止しており、意識が戻ることなく亡くなった。
亡くなる前日、やすしさんは大量にビールを飲んで吐き出し、啓子さんが病院で診てもらおうと思った矢先の死だった。
横山やすしの死因は「アルコール性肝硬変」亡くなる直前まで…
病院の医師から自宅で亡くなったと診断されたため、遺体は高槻市にある大阪医科大学で行政解剖された。解剖の結果、死因は「アルコール性肝硬変」と判明、さらに血液からもアルコールが検出された。
亡くなった翌日のスポーツ紙の見出しには、自宅の玄関前にビールの空き缶が多く入ったごみ袋が写し出されており、亡くなる前日までビールを多量に飲んでいたことが、弱っていた肝機能を急激に低下させ、急死に至った原因であることが裏付けられた。
引用:【稀代の漫才師:横山やすし】お笑い好き必見!あなたはやすきよ漫才をみたことがありますか? (page 2) – Middle Edge(ミドルエッジ)
やすしは1986年に仕事先の徳島県で吐血し、その時に既に医師から「アルコール依存症による重度の慢性肝炎」との診断を受け、「このまま飲み続けたらいずれは『肝硬変』となり、あと10年で死にますよ」と酒を止めるよう警告されていたが、それでも一切無視して酒を飲み続け、1994年頃から腹水が溜まるなど体調が悪化し、入退院を繰り返していた。奇しくも前述の医師の『警告』通り、10年後の1996年にこの世を去る結果となった。
不祥事も増加の一途。久米宏と組んだ「TVスクランブル」(日本テレビ系)では酔って暴言を吐いたり、ドタキャンをしたために降板。86年に相方が参院選で当選すると、さらに荒れていたように思います。
横山やすしに対するネット上の反応は?
横山やすしさんの荒れている人生を見てネットでは驚きの声が上がっています。
12:51で死んだんだ、早いな~
なんか60はいってたと適当に思ってたわ・・・
10:破天荒ってヤスシさんは犯罪だからな~庇いきれないだろ流石に11:こいつが長生きできるはずはなかった。当然の結果だろう。16:子どもの頃この人と握手したよ
腰が低くて気の小さいひとだった40:>>16
大きく見せないといけなくて無理したんだろうな、と思う。68:>>40
そうだろうね
子ども相手なのに頭を下げて握手する前何度も服で手をこすった仕草を今でも覚えてるわ27:典型的大阪人と言うのか、ああ言う人間は関東にはいないよな29:>>27
やっさんは大阪人やないで42:>>29
ググってみたが、生まれはそうかもしれんけど生後3か月からずっと
大阪育ちだそうだから、大阪人と言っても良いべ39:きよしって明るそうに見えるけどこういう事を背負ってるんだな
なんか見る目変わった69:悪い事してもやっさん本当にしゃーないなーみたいな感じで愛されてたよな71:>>69
そばにいたくはないけど、憎めない不思議な破滅型の天才70:やっさんみたいな皆から愛される人は死んでも永遠に忘れられない。125:やっさん、51歳で死去って事は、早い内から売れてたんやね。
おっさんだと思ってたけど、テレビで見てた時は、30代だったのかも。130:51歳だったのか、もっと上かと思っていた150:漫才は面白かったけど
私生活は面倒くさい人だったらしいな151:晩年のやっさんを知ってると、今の浜田や松本のほうが年上とは信じられんな200:最後に話題になったのってボコボコに殴られたのだっけ?
あれ何だったんだろう、176:人妻と不倫していて、それが相手の旦那にバレてボコボコにされたったのが例の事件の真相らしい。だから警察もちゃんと調べなかったし、やすしも言わなかったとか201:真相は不明だが、定説は .>>176。引用:横山やすしの死因と衝撃死の真相…晩年が悲惨すぎる…【息子&娘画像あり】 : NEWSまとめもりー|2chまとめブログ
まとめ
・横山やすしは宵越しの金は持たず、ギャンブルや趣味に散財。お酒も好きで浴びるように飲み、1996年1月21日、アルコール性肝硬変の為、51歳の若さで亡くなった。
昭和が生んだ伝説の漫才師・横山やすしさんの伝説と死亡の原因についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。
あの大天才「ビートたけし」をして、「近代漫才の完成形」と言わしめるほどの質の高い漫才(やすきよ漫才)を作り上げた横山やすしさん。
偉大な才能と引き換えか、酒に溺れ、数々の不祥事を繰り返し、晩年はかつての栄光が嘘のような悲惨な最期となってしまったことはファンとしてとても残念です。
今年で横山やすしさんの死去から20年の節目を迎えますが、20年もの月日が経過した現在でもなお、やすきよ漫才の面白さは当時の芸人の中で群を抜いており、今の若い人が見ても充分楽しめるものとなっていると感じます。
稀代の天才・横山やすし、唯一無二の才能は漫才の歴史が続く限り、これからも燦然と輝き続けていくことでしょう。
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