2021年10月に発生した京王線無差別刺傷放火事件の犯人の服部恭太が話題です。
この記事では服部恭太の起こした事件の概要やこの男の生い立ち、妹や親、福岡の実家などの家族と彼女の存在、学歴や勤務先などの経歴、犯行の動機や事件後タバコを吸った件などについてまとめました。
この記事の目次
- 服部恭太は京王線無差別刺傷放火事件の犯人
- 服部恭太の起こした京王線刺傷放火事件の概要
- 服部恭太の生い立ち① 実家は福岡県福岡市
- 服部恭太の生い立ち② 母親と妹の母子家庭の3人家族で育った
- 服部恭太の生い立ち③ 両親は離婚している
- 服部恭太の生い立ち④ 児童養護施設で育ったという情報はデマ
- 服部恭太の経歴① 出身小・中学校は千代小学校と千代中学校か
- 服部恭太の経歴② 出身高校は福岡県立福岡魁誠高等学校の可能性が高い
- 服部恭太の経歴③ 専門学校を卒業後に介護ヘルパーに
- 服部恭太の経歴④ 介護ヘルパーを辞めた後は勤務先を転々としていた
- 服部恭太は勤務先のネットカフェで仕事中に盗撮事件を起こし警察沙汰に
- 服部恭太は勤務先のコールセンターで客からクレームを受けた事で退職
- 服部恭太には長年交際した彼女がいた
- 服部恭太は彼女と破局してから様子がおかしくなったという見方も
- 服部恭太の犯行動機は大勢人を殺害して死刑になりたかった
- 服部恭太が事件を起こした後タバコを吸っていた事も話題に
- まとめ
服部恭太は京王線無差別刺傷放火事件の犯人
服部恭太(事件当時24歳)は、2021年10月31日のハロウィンの夜に発生した「京王線刺傷放火事件」の犯人として殺人未遂の容疑で逮捕された男です。
服部恭太は、東京都調布市を走行中だった京王電鉄京王線の特急電車内で、突然刃物で70代男性の右胸を刺して一時重体となるほどの大怪我を負わせ、その後、電車内に大量のライターオイルをばら撒いて火をつけ炎上させました。
服部恭太はその無差別テロ的な凶悪な犯行内容に加えて、犯行時にアメコミや映画で人気の作品「バットマン」に登場する悪役「ジョーカー」に扮した奇抜なスーツ姿だった事や、事件を起こした後に電車内の座席に腰を下ろしてタバコを吸っていた事などでも注目され大きく報じられています。
今回はこの京王線無差別刺傷放火事件の犯人・服部恭太について現在までにわかっている内容をまとめていきます。
服部恭太の起こした京王線刺傷放火事件の概要
出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/
服部恭太の起こした京王線刺傷放火事件の概要をはじめに確認していきます。
服部恭太は2021年10月31日の夜、複数の人間を殺害する目的で京王電鉄京王線の10両編成の新宿行き特急電車に調布駅から乗り込み、電車が駅を出た直後の20時頃に事件を起こしています。
警察の調べによると、服部恭太は電車が動き出してすぐにリュックサックからナイフや殺虫剤などを取り出し犯行の準備を始めたようです。
近くにいた男性(事件当時72歳)が服部恭太の不審な動きに気づき「何をやっているんだ」と声をかけると、服部恭太は突然殺虫剤を男性の頭に向けて噴射した後、刃渡り30cmの刃物で男性の右胸あたりを刺しました。
事件は調布駅を出た直後に起きた。捜査関係者によると、服部容疑者は同駅で電車に乗り、すぐにリュックサックからナイフや殺虫剤を取り出した。近くにいた男性から「何をやっているんだ」と声をかけられ、刺したとみられるという。男性の頭に向けて殺虫剤もかけた形跡があり、警視庁が経緯を調べている。
なお、この時、服部恭太に刺された72歳男性は事件後に意識不明の重体と報じられていましたが、事件から9日後の11月9日に無事に意識が回復したとの情報が出ています。
服部恭太は男性を刺した後、車両前方の5号車へと移動し、2リットルと500ミリリットルのペットボトルに入れたライターオイルを周囲に振り撒きました。その後の捜査や取り調べでの供述によれば、この時、服部恭太は乗客に火をつけるつもりで、周囲にいた乗客にライターオイルをかけるように振り撒いていたようです。
そして、服部恭太はジッポーライターを使って振り撒いたオイルに点火しています。この時、「ボンッ」という爆発音が響き、一瞬で付近に火が広がったようです。事件後の取り調べで、服部恭太はこの時、火炎に可燃性の殺虫スプレーを噴射してさらに火勢を強めようとした事も供述しています。
服部恭太が火をつけた時、乗客らはすぐに逃げたため、オイルをかけられた人も含めて火傷を負った人はいませんでした。しかし、発生した煙を吸い込むなどして10代から60代までの男女合計16名が軽傷を負っています。
服部恭太は火を放った後、再び車両の後方へと戻って2号車の座席に腰を下ろし、右手にナイフを持ったまま左手でタバコをふかしています。
電車は、国領駅で緊急停車しましたが、停車位置が駅のホームドアとずれていたため電車のドアが開かず、乗客らは窓から脱出する事態になりました。事件時、車両内ではパニックが発生していましたが、一定の冷静さは保たれており、不幸中の幸いというべきか将棋倒しになって負傷する人などは出ませんでした。
タバコをふかす服部恭太の様子や事件発生時の電車内でパニックが起こっている様子は、事件に巻き込まれた乗客によって動画で撮影されており、これがネットやテレビニュースなどで公開されて大きな注目を集めています。
列車は事件発生後に国領駅に緊急停車し、服部恭太は駆けつけた警察官によって電車内で座席に座ってタバコを蒸していたところを現行犯逮捕されています。
服部恭太は警察官に対して抵抗する素振りは見せずに大人しく逮捕されたという事でした。
服部恭太の生い立ち① 実家は福岡県福岡市
服部恭太の生い立ちについて、これまでに判明している内容を順番にまとめていきます。
週刊文春(文春オンライン)によると、「服部容疑者のルーツは福岡市にある」という事なので、服部恭太の出身地と実家は福岡県福岡市の可能性が高いようです。
文春オンラインの記事によると、服部恭太は実家のある福岡市の中学校、高校を卒業後、この地元でいくつかの職を点々としていたようです。
世間を震撼させた事件を起こした服部容疑者のルーツは福岡市にある。地元の中学、高校を卒業後、職を点々としていたようだ。
引用:《京王線刺傷》ジョーカースーツの男が狂った“恋人との破局”と“盗撮事件”「仕事や友人関係がうまくいかず死にたかった」
服部恭太の生い立ち② 母親と妹の母子家庭の3人家族で育った
服部恭太の家族の情報としては、「週刊FLASH」の2021年11月23日号に掲載された記事の内容から、母親と妹の母子家庭の3人家族で育ったことがわかっています。
FLASHの記事では、服部恭太と母親、妹の家族は、服部恭太が高校生で、妹が中学生の時に福岡市内にある団地に引っ越してきたという事です。
「お兄ちゃんが高校生で、妹さんが中学生のときに越してきたんです。お母さんとの3人家族でした。兄妹がきちっとお辞儀をして挨拶してくれて、ちゃんとしてましたよ」
福岡市内のとある団地の住民は、声を潜めてそう語った。
服部恭太が京王線での無差別刺傷放火事件を起こした当時も、服部恭太の母親はこの実家に住んでいたようですが、事件以降はどこかに身を隠しているのか部屋の灯りは消えたままになっているとの事です。
かつて温かい家庭を築いていた母と妹は、今何を思うのだろうか。事件以降、福岡市内の自宅に灯りはともっていない。
服部恭太の生い立ち③ 両親は離婚している
出典:https://no-action-no-life.com/
服部恭太は母親と妹の母子家庭の3人家族で育っていますが、母子家庭となった理由は両親の離婚だったようです。
「父親と母親は離婚しているようですが、母親と妹と3人で福岡市内のマンションで暮らしていました。近隣住民にかなり取材をしましたが、服部容疑者について出てくるのは『いい子だった』『事件を起こしたなんて信じられない』という言葉ばかりです」(地元記者)
引用:《京王線刺傷》“ジョーカースーツ”服部恭太容疑者の“シャワー室盗撮事件”は2度あった!「母親が付き添って警察へ…」
離婚時期や離婚の原因などについては現在のところ明かされていません。
服部恭太の生い立ち④ 児童養護施設で育ったという情報はデマ
服部恭太の家族は両親の他に妹がいる事がわかっていますが、どのいった人物なのかなど家族についての詳細な情報は明らかにされていません。
一部ネット上で、服部恭太の母親が男遊びに明け暮れて子育てを放棄し、服部恭太は児童養護施設で育った生い立ちを持つなどの情報が流れていますが、こうした内容は事件後に報じられたどの報道の内容とも一致しないためデマ情報である可能性が高いと思われます。
服部恭太の経歴① 出身小・中学校は千代小学校と千代中学校か
続けて、服部恭太の学歴や職歴などの経歴についても判明している内容を見ていきます。
服部恭太の出身小学校と出身中学校は上でも紹介した文春オンラインの記事などから、実家のある福岡市の学校だという事がわかっています。
服部恭太の小学校と中学校としては、福岡市立千代小学校と福岡市立千代中学校とする情報がTwitterや匿名掲示板などに投稿されていますが、現在のところ真偽の確認は取れていません。
京王線事件の服部恭太
— 🇹🇭ワクチン打ってタイ旅行✈️ (@durian_cd) November 1, 2021
福岡市立 千代小学校 、千代中学校 卒業
福岡県立 魁誠高等学校 (粕屋町)卒業
市営住宅の母子家庭⁉️
千代校区は県内有数の在日韓国・北朝鮮人在住エリア。以前は総連系の商店街が九大病院脇にありましたが10数年前に無くなりました。部落解放同盟の福岡県連合会があります。 pic.twitter.com/THULupyNh2
服部恭太の小学時代や中学時代については、陸上部に所属していたとの証言が出ています。
小中学校の同級生:「(陸上とかやってたみたいですがあまり印象にないですか?)そうですね」「(話をしたことは?)あります」「(どんなキャラでしたか?)中心にいるようなタイプではない」
また、中学時代には陸上部の他に柔道部にも所属していたとの情報も出ています。
中学時代には柔道部と陸上部に所属
服部恭太の柔道部の先輩の証言によると、当時の服部恭太は大人しい性格だったが、仲間外れにされていたわけではなく、みんなで遊ぶときには参加する程度の社交性はあったとの事です。
中学時代の先輩は地元での服部容疑者の様子をこう明かす。
「柔道部に所属して、黒髪で不良とは無縁でした。本当に大人しくて、何を言われても、へへって笑うだけだったことをよく覚えています。でも、仲間外れにされていたわけではなかったし、みんなで遊ぶときにはその輪に加わるくらいの社交性はありましたよ」
また、服部恭太の中学時代の陸上部でのメインの種目は、「ジャベリックスロー」という投擲競技だったようです。
福岡市内の団地で家族と暮らしていた服部容疑者は中学時代、陸上部に所属するスポーツマンだったという。
中学時代の後輩A:砲丸投げとか、投てきの方でしてましたね
中学時代の後輩B:とにかく、おとなしかったです。別に目立つ方でもなかったし
地元の中学では陸上部に所属し、砲丸投げや、やり投げに似た「ジャベリックスロー」をやっていた。
柔道部の先輩や陸上部の後輩、小・中学校時代の同級生は当時の服部恭太を「中心にいるようなタイプではない」、「大人しい」と表現していますが、中学時代の同級生だという別の女性も「大人しい男の子」、「休み時間は教室で絵を描いていた」と証言しています。
少なくとも服部恭太は小・中学時代までは大人しく目立たない存在だったようです。
福岡市の中学校で同級生だった主婦(24)は「おとなしい男の子で、休み時間はほとんど教室にいて絵を描いていた。まさかこんな事件が起きるなんて」と驚いていた。
また、別の小中学時代の同級生は、当時の服部恭太について勉強もスポーツにも秀でた存在ではなく、存在感がなかったと証言しています。
小中学校で同級生だった別の男性も「グループを作って行動するタイプではなかった」と振り返った。勉強やスポーツに秀でていたわけでもなく、「存在感がなかった」という。
服部恭太は部活動を掛け持ちするなど、積極的な一面もあったようですが、基本的には大人しく目立たぬ存在だったのは間違いなさそうです。
服部恭太の経歴② 出身高校は福岡県立福岡魁誠高等学校の可能性が高い
服部恭太は地元の中学校を卒業後に福岡県内の高校へと進学しています。
インターネット上での特定作業により、服部恭太の出身高校は福岡県糟屋郡粕屋町に所在する、福岡県立福岡魁誠(かいせい)高等学校の可能性が高いと見られています。
服部恭太の出身高校が福岡県立福岡魁誠高校だと見られている根拠は、いくつかのメディアが公開した服部恭太の高校時代の画像で確認できる制服のエンブレムが、同高校のものと一致するためです。
左側が服部恭太の高校時代の画像から確認のエンブレム、右側が福岡魁誠高校の制服のエンブレム
同じように見えるので服部恭太の高校が「福岡魁誠高校」である可能性は高いと思われます。福岡魁誠高校の最新の偏差値は「48」となっています。
服部恭太は高校時代は空手部に所属し、主将を務めた事もあったようです。週刊FLASHは当時の空手部の先生にも取材したようですが、コメントは得られなかったようです。
高校時代は空手部の主将として、「組手」「形」の両方で大会に出場していた服部容疑者。空手部の恩師は「何も話したくないです」とショックを隠し切れなかった。
高校時代の服部恭太は空手部の主将を務めて大会にも出場したという事でしたが、「際立つような存在ではなかった」との事で、空手部での実績は特に無いようです。
進学した地元の高校では空手部で活動。ただ、いずれも「際立つような存在ではなかった」という。
高校時代の服部恭太については、高校時代の同級生だったという女性の母親が「目立たない子だった」と証言していました。
服部容疑者と高校の同級生だった女性の母親によると、服部容疑者は福岡市内の団地で母親と妹と暮らしていた。団地は数年前に取り壊され、今はマンションが立つ。「誰かとべったり仲が良い子ではなく、どちらかというと目立たない子だった」と話した。
また、服部恭太の幼稚園から中学までの同級生の母親で、服部を子供時代から知るという女性は、「思春期になっても荒れていない」、「高校生になっても声をかけると挨拶を返してきた」との証言をされています。
一方、息子が幼稚園から中学まで一緒だった女性(50)は「優しく、静かな子だった」と話した。思春期に荒れることもなく、高校生になっても路上で「恭ちゃん」と声をかけると、あいさつを返してきた。
こうした証言を見る限り、服部恭太は高校時代も大人しく真面目な性格だったようです。
服部恭太の経歴③ 専門学校を卒業後に介護ヘルパーに
服部恭太は高校を卒業後、大学へは進学せずに専門学校へと進み、卒業後に介護ヘルパーの仕事に就いていたという事です。
福岡県出身で、県立高校から専門学校に進み、卒業後は介護ヘルパーの職に就いていた。
服部恭太はおそらく介護系の専門学校に通っていたと見られていますが、この専門学校の特定はされていません。
服部恭太の経歴④ 介護ヘルパーを辞めた後は勤務先を転々としていた
服部恭太は、専門学校を卒業後に介護ヘルパーとして就職したようですが、何らかの理由で退職し、その後はネットカフェの店員や派遣での携帯電話関連会社のコールセンターなど勤務先を転々としていたようです。
地元の高校を卒業後、服部容疑者は大学に進学せず、介護ヘルパーやネットカフェなどで働いたという。
服部恭太が介護ヘルパーの仕事を辞めた理由や時期などは明らかにされてませんが、その後の勤務先のネットカフェや携帯電話の関連会社のコールセンターなどでは共にトラブルを起こし、それが原因で退職しているようです。
服部恭太の勤務先でのトラブルについては次の見出しから順番に紹介していきます。
なお、服部恭太が転々としていた勤務先の具体的な店名や会社名、場所などの情報は現在のところ特定されていません。
服部恭太は勤務先のネットカフェで仕事中に盗撮事件を起こし警察沙汰に
服部恭太は、介護ヘルパーの勤務先を辞めた後に、福岡市天神のネットカフェ(漫画喫茶)でアルバイト店員として勤務していたようです。元同僚の方の証言によれば「1年くらいは働いていたと思う」という事でした。
服部恭太がこのネットカフェで勤務していた時期は京王線の事件から約4年ほど前という事なので、2017年頃の事だったようです。
服部恭太は専門学校を出ているので、20歳くらいで介護ヘルパーの仕事をはじめたと推測されますが、この2017年頃は服部恭太が20歳か21歳のはずです。なので、最初の勤務先の介護ヘルパーの仕事はかなりすぐに辞めてしまった可能性が高いです。
そして、服部恭太は次の勤務先となったこのネットカフェでシャワールームにカメラを仕掛けて女性客を盗撮する事件を起こし、2017年12月に摘発されています。
その半年ほど前にも盗撮をしてトラブルを起こしているという事なので、盗撮を何度も繰り返して、このネットカフェをクビになったようです。
関係者によると、服部容疑者は平成29年12月、店のシャワー室にカメラを仕掛けるなどの盗撮事件を起こし、摘発された。「その半年ほど前にも似たような盗撮をしてトラブルになっていて、店にいられなくなった」と語る。
服部恭太は勤務先のコールセンターで客からクレームを受けた事で退職
服部恭太は勤務先だった福岡市天神のネットカフェで盗撮事件を起こしたことでクビになり、その後は介護職や派遣会社に登録して勤務先を転々としながら働いていたようです。
そうした生活の中で、服部恭太は、福岡市内の携帯電話関連会社のコールセンターでスマホなどの通信機材の使い方や使用料金などの相談を顧客から受け付けチャットで返答するコールセンターに派遣社員として2018年4月から勤務していたとの事です。
そして、服部恭太はこの勤務先でも、2021年6月に客からクレームを受けるトラブルを起こし、それが原因で会社から配置転換を打診され、それに納得しなかった服部はこの会社を自主退職しています。
この勤務先の関係者の証言によると、服部恭太はチャット上で顧客と口論になったとの事でしたが、それ以前から本人のきつい口調が原因で度々トラブルを起こしていたのだそうです。
「彼はインターネット関連の相談を受けつける窓口の担当でしたが、顧客との間で、契約にオプションをつけた、つけないで口論になったんです。本人に責任はないことなのに、会社は彼を守らなかった。彼は口調がきつく、以前からよくトラブルになっていましたが、責められたことに納得がいかなかったんでしょう」
服部恭平はこの勤務先を2021年6月に退職し、7月中旬頃に福岡市の実家を出て、神戸市と名古屋市のビジネスホテルでそれぞれ1ヶ月ほどを過ごし、その後東京都八王子市へと移動し、ここでも1ヶ月ほどホテルで過ごした後、10月31日に京王線無差別刺傷事件を起こしたのでした。
服部恭太には長年交際した彼女がいた
出典:https://thebeatles-eightdaysaweek.jp/
事件後の報道などから、服部恭平には長年交際していた彼女がいた事もわかっています。
服部恭太が彼女といつ頃交際を始めたのかなどは明らかになっていませんが、長年交際しており、休日はいつも一緒に過ごすなど仲の良い関係だったとの証言が複数出ています。
「目立つようなカップルではなかったけど、服部は彼女をとても大切にしていて、休日はいつも一緒にいたそうです。社会人になってから親しい友達が少なかった彼にとって恋人が心の支えだったと思いますよ」(服部容疑者の知人)
服部恭太は彼女と破局してから様子がおかしくなったという見方も
服部恭太は彼女をとても大切にし、心の支えのようになっていたのではないかとの証言も出ていましたが、2017年頃にこの彼女と破局したようです。
中学時代の後輩B: (恋人の)おかあさんに会って「続いとると?」と聞いたら、「もう別れとるよ」と(答えたのを)聞いたので… 服部容疑者は長年交際していた恋人と破局。恋人だった女性は、別の男性と結婚したいう。
服部恭太の彼女はこの破局後に別の男性と結婚しているようです。
服部恭太は、勤務先のネットカフェで起こした盗撮事件に前後するようにこの彼女と破局したという事で、盗撮をしたのが原因で彼女と破局したのか、彼女と破局した事が影響して盗撮を行なったのかははっきりしません。
それと前後するように長年交際していた女性と別れており、精神的に不安定になったとみられる。
服部恭太の勤務先だったネットカフェの店員もこの彼女との破局について証言していました。この方の証言によれば、服部恭太は彼女との破局後に元気をなくして病んでいるような様子になったようで、他の同僚とともに心配していたのだそうです。
「当時、彼には仲のいい彼女がいました。どちらも目立たない、地味なカップルという感じでしたが、彼女のことがすごく好きだった。硬派ぶっていたのか、グラビアや女優には興味がない、という感じでしたね。でもある時その彼女と別れてしまったんです。それからはちょっと変というか、元気がない、病んでいるような様子で、別の同僚も心配していました」
引用:《京王線刺傷》ジョーカースーツの男が狂った“恋人との破局”と“盗撮事件”「仕事や友人関係がうまくいかず死にたかった」
こうした証言を考え合わせると、服部恭太は心の支えのようにしていた彼女と破局したことで精神のバランスを崩し、盗撮事件やその後の勤務先のコールセンターでも客とのトラブルを繰り返すなどし、その延長線上で今回の京王線での無差別殺人未遂事件を起こしたという事なのかも知れません。
服部恭太の犯行動機は大勢人を殺害して死刑になりたかった
服部恭太は、京王線無差別刺傷放火事件の犯行動機について、その後の取り調べで「仕事も人間関係もうまくいかずに死にたかった」、「2人以上殺せば死刑になると思った」などと供述しているという事です。
多くの人を殺すため福岡から上京した服部容疑者は、調べに対し次のように供述しているという。
服部恭太容疑者: 2人以上殺せば死刑になると思った
服部恭太容疑者: この日のためにジョーカーの服を買った。殺せなくて悔しい
こうした供述内容から、服部恭太の犯行動機は、死にたいが自殺する勇気がないため、無関係の人を2人以上殺害して死刑になろうとしたという、極めて身勝手なものだった可能性が高いようです。
服部恭太が事件を起こした後タバコを吸っていた事も話題に
京王線で無差別殺人未遂事件を起こした服部恭太は、犯行を終えた後に電車内の座席に座ってタバコを吸っている姿でも話題になりました。
これについてネット上では、服部恭太のタバコを持つ手がプルプルと震えている事や、タバコの煙を肺まで吸い込まず口だけでふかしているように見える事などから、今回の京王線での事件を起こした後に初めてタバコを吸ったのではないかといった声も出ているようです。
京王線の犯行を行った服部恭太は見た感じタバコの煙肺に入れてねえな。#ふかしてるだけだわ#だからなんだって感じだが
— yasu (@okanehadaiji) November 1, 2021
タバコ吸って余裕感出してるつもりだったんだろうけど、めっちゃ手震えてるよね
— 夏樹 (@kawasakigpz9001) November 1, 2021
なんだかんだで人刺したから動揺してんだろな#京王線 #服部恭太 pic.twitter.com/Ty3l25ILqw
まとめ
今回は、2021年10月31日のハロウィンの夜に京王線の電車内で発生した京王線無差別刺傷放火事件の犯人として逮捕された服部恭太という男についてこれまでにわかっている内容をまとめてみました。
服部恭太の生い立ちについては、福岡県福岡市で、母親と妹の母子家庭の3人家族で育った事などがわかっています。両親は離婚しているようですが、その時期や原因などは明らかにされていません。
経歴については、地元福岡市の公立小中学校を卒業し、福岡の県立高校(福岡県立福岡魁誠高校と見られている)に進学。高校卒業後は専門学校を経て介護ヘルパーの職についたものの、すぐに辞め、その後はネットカフェのバイトや派遣社員として携帯電話関連のコールセンターなど勤務先を転々としていた事などがわかっています。
そんな服部恭太ですが、長年交際した彼女がいた事もわかっており、その彼女と破局した事で精神が不安定になり、勤務先のネットカフェでシャワールームの女性を盗撮したり、コールセンターで客とトラブルを起こしたりしていずれもそれが原因で退職していたとの事です。
服部恭太は犯行の動機について「人間関係も仕事もうまくいかずに死にたかったので死刑になるために人を殺そうと思った」などと供述しているという事です。
身勝手な動機で無差別事件を起こした服部恭太の裁判や判決がどうなるのか、今後の展開にも注目していきたいと思います。
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