フードファイターとして一世を風靡した菅原初代さんが、2023年に59歳で亡くなられました。
菅原初代さんの大食い引退理由、元夫との離婚原因や発達障害の息子、パン屋さん経営や死去した現在などを総まとめしました。
この記事の目次
菅原初代のプロフィール
氏名;菅原 初代(すがわら はつよ)
生年月日;1963年11月14日
出身地;岩手県
血液型;О型
趣味;読書、野菜果物、花、美術館、図書館、博物館、走る、泳ぐ
菅原初代は元祖フードファイターだった
全国わんこそば選手権では連覇を果たすなど、わんこそば界では有名だった菅原初代さん。
「元祖!大食い王決定戦」では史上初の女王戦3連覇を果たし、「元祖!大食い王決定戦」殿堂入りとなっている女性フードファイターの第一人者でした。
岩手出身の菅原初代さんは、わんこそばの記録がすごいんです。
2010年に一般枠ではなく、10分間という時間制限をなくし45分でどこまで食べられるか、という量の限界に挑戦されています。
最高記録は1996年に山梨県の女性が記録した559杯で、2位は菅原初代さんの記録である10分間で399杯でした。
2010年の記録は45分で480杯となり歴代3位となりました。その後もわんこそば大会では「レジェンド横綱」として参加され、激しいバトルを見せてくれていました。
菅原初代は圧倒的強さの「魔女」だった
菅原初代さんは大食い選手権では、その圧倒的すぎる強さから「魔女」とも言われていました。
ご本人は、大食いをするような見た目ではなく、むしろ小柄で華奢な女性に見えます。
化粧っ気や飾り気のないタイプで、あまり魔女のような怖い感じではありませんが、次々と食べ物を詰め込む姿は凄かったですよね。
あんなに食べて細い体のどこに入っていたのでしょうか?
菅原初代が大食いを引退した理由
菅原初代さんは、アイドルのようなかわいらしい見た目の選手や、モデルのような美貌を持つフードファイターが登場した頃に、テレビの世界から退いていたようです。
ご自身のブログの中で「子供の頃からずっと大食いと言うか、ひとよりたくさん食べる子供だったから、ただテレビに出ていないというだけで「大食いはやめたんですか」と決めつけるみたいに言うひとがけっこういて、変だなーと思っていましたよ。」と発言しています。
この発言からわかるように、ご本人の希望で「引退しよう!」と決めたわけではないようですね。
番組作りとして、他選手との扱いの違いなどもあったようで、ご本人は視聴率や見た目の面白さを優先させるようなことが出来ず、苦しい思いをされたこともあったようです。
菅原初代の壮絶な結婚生活から離婚まで!旦那や息子・離婚原因まとめ
1998年、35歳の時に結婚された菅原初代さん。大食い王に出始めの頃には、すでに結婚されていたようですね。
ある週刊誌に連載されていた「モラハラ」の記事を読んだことでハッとされたそうです。
ご自身のブログでは、「うちの場合だと具体的には、罵詈雑言。朝6時に朝食、夕食は6時で、テレビのチャンネル権はもちろん、夫のものだし、彼がほめるタレントや司会者のことは一緒にほめ、彼がきらいな著名人はこきおろさなければならない。」
「言葉尻を捉えていきなり怒鳴り出す。怒鳴ることで相手をびびらせ、完全に支配下におく。こちらはなんで怒鳴られたのだろうと悩み、自分が悪かったのかと責める。しまいにはなにをしても、まったくわけのわからないことで怒鳴られるようになり、夫が帰宅する音がしただけで固まってしまようになった」とあります。
こんな毎日、辛いに決まっていますよね。
しかしながら、菅原初代さんは自分が言葉の暴力にあっていることに気づけていなかったのだそうです。
殴られたり蹴られたりというような暴力がなかったので、ずっと我慢していたけれど、記事を読んで目が覚めたそう。
突発性難聴や睡眠障害、アルコールの大量摂取など、つらい日々を過ごされたようです。
そしてついに、
菅原初代さんはモラハラ夫と2008年に離婚。
子供を手元に置くために、簡単に子供を祖父母に預けないなど様々な努力を重ねたそうです。
離婚し、息子さんと2人で生きていた菅原初代さん。
晴れ晴れした表情を見ると、本当に大変な結婚生活であったことがうかがい知れます。
離婚した際には、「友人や知人からは離婚するくらいなら最初から結婚するな!」とか、「お金はちゃんと家に入れてくれるのに何が不満なの?」といった心無い言葉をかけられることもあったそうです。
菅原初代は離婚後にシングルマザーとなった
晴れて離婚ができ、暴力から解放された菅原初代さん。
のびのびと暮らせるようになって、何でもない毎日が幸せに感じるとブログに書かれていました。
自分が風邪をひいてしまった時、結婚していた時には育児も家事も休むことが出来ないので、風邪をこじらせてしまったりしてとてもつらかったそうです。
離婚後には、風邪を引いても息子さんの食事を用意して寝ることができるので「いまは楽よー。」とブログで明かしていました。この感覚は、主婦ならわかりますね。
菅原初代の一人息子は発達障害を抱えている
菅原初代さんは、2002年に長男を出産されました。
息子さんとは二人で美術館に行ったり、バジルの収穫を手伝ってもらったり…という穏やかな毎日を送っていたようです。
実は、この息子さんはADHD(注意欠陥・多動性障害)という発達障害を抱えているのだそうです。
菅原初代さんご本人もADHDであることを公表していました。
病院できちんと診断されて、障害者手帳も持ち、お薬も飲み続けていたそうです。
ADHDでも、症状をコントロールしてお仕事をしていたり、学校に通っている人も多いのです。
菅原初代さんの息子さんは、迷子になってしまったり、車道に飛び出してしまうこともあって、大変だったようです。
息子さんは、病院で治療する前まで、朝から晩まで目が離せなかったそうです。
それでも家から勝手にいなくなってしまうことも少なくなかったそうです。
結婚していた時には、ご主人もそんな息子さんを受け入れることが出来ず、大きな声で怒鳴ることも多く、離婚に至るきっかけの一つだったそうです。
「息子は病気なんかじゃない」、「普通の子供だ」と言い張り、病院の受診すらさせてもらえなかったと菅原初代さんは語っていました。
治療さえきちんとしていれば、ある程度は症状と上手く付き合い社会性を身に着けることもできますから、息子さんの将来を考えると、むしろ菅原初代さんが一人で育てることは正解であったと言えるかも知れませんね。
菅原初代自身も発達障害!ADHDとは?
注意欠如・多動性障害(ちゅういけつじょ・たどうせいしょうがい)と言われるADHD。
多動、不注意、衝動性を特徴とする神経発達障害です。
元々の脳の機能に障害があるために起こる疾患で子供の約5%、大人で2.5%ほどの有病率と言われています。
菅原初代さんは、息子さんの行動をずっとしつけの問題だと思って、自分を責めたりしていたようです。
ADHDは、脳機能に原因がある疾患ですので、親の育て方などが原因ではないです。
菅原初代と壮絶な離婚劇を繰り広げた元夫の情報まとめ
先にも出てきましたが、モラハラを繰り返していた菅原初代さんの元夫は、どんな方だったのでしょうか。
菅原初代さんが結婚されたのは35歳の時です。そこから10年の結婚生活を続けられています。
お相手は一般人で、残念ながら詳しい情報は公開されていません。
結婚している間、お盆などの連休には夫の実家に帰省することを強制され、なかなか自分の実家へ帰ることも許されなかったそうです。しかも何日もお姑さんの小言を聞かされ続けていたと言います。そんな時でも元夫は全く助け船を出してはくれなかったんですね…。
離婚の大きな原因はモラハラにあるものの、息子さんの教育方針で揉めたことも原因の1つだったそうです。
元夫がどのように考えていたのか、菅原さんとの間にどのような考えの相違があったのかは明かされていませんが、菅原初代さんが語った内容からすると、あまり家族のことを思った言動ではなかったのかも知れません。
確かに、ADHDは身体的な病気とは違い、ぱっと見は分かりにくい病気です。
知能的にそれほど問題がなければ、大人になるまで自分の行動の原因がわからず苦労する人も多くいます。
息子さんの面倒はすべて菅原初代さんが見ていたそうで、さらには夫からも抑えつけられ、このまま結婚に縛られ朽ちていくんだという絶望感も味わっていたとのことでした。
モラハラの実態がどうであったかは、菅原初代さんご本人と夫にしかわかりませんが、
さすがに奥さんにこんなことを思わせるなんてどう見ても良い夫であったとは言い難いですね。
また菅原初代さんは息子さんを出産される前、死産などの辛い経験をされています。そんな時、夫はこんな慰めの言葉をかけたそうです。
「5か月で良かった、5歳だったらもっと悲しかった」
言いたい意味は分からなくもないものの、あまりにも菅原初代さんの気持ちを無視した最低なセリフです。
これを聞いた菅原初代さんは、「こんなことを言う人が自分の夫だったんだ」と心底悲しく思ったとのことでした。
よく知らない人を悪く言うのは気が引けますが、モラハラやこのような相手の気持ちを踏みにじる言動が多い男性であるなら、離婚してよかったと語る菅原初代さんの気持ちが痛いほど理解できますよね。
菅原初代の現在① パン屋を経営
出典:http://entert.jyuusya-yoshiko.com/
菅原初代さんは、「パンシェルジュ1級」を持ち、2016年から岩手県にある「カンパーニュ」という名前の赤い壁をした可愛いパン屋さんを営んでいました。
カンパーニュ、ベーグル、ライ麦パンなどの、素材が活きるようなパンが多かったようです。
粉や塩にもこだわった自家製天然酵母のパンが多く、完売する日も多かったのだとか。
上の画像でもお分かりいただけるかと思いますが、地元の銀行のCMで、女優の「のん」さんが出演している作品があります。
その舞台となったパン屋さんが、実は菅原初代さんのパン屋さんなのです。雑誌やメディアで取り上げられることも多く、お客さんにも人気のパン屋さんだったようです。
菅原初代の現在② 大腸がんを公表
パン屋さんの経営で忙しくも充実した毎日を送っていた菅原初代さんですが、2022年6月に突如このパン屋さんを閉店しています。
そして後に、2022年6月に大腸がんの「ステージ4」の診断を受けていたことを公表したのです。
パン屋さんを閉め闘病を続ける中、2023年2月には、趣味で集めた美術品の展示を行う『願わくば、手のひらいっぱいの』を岩手県盛岡市で開催。
出典:https://newsdig.tbs.co.jp/
菅原初代さんは「大病を得て人生の残りが見えてきたいま、 集めてきた作品にいるべき場所をつくってやりたいと思いました」とTwitterに綴っていました。
この『願わくば、手のひらいっぱいの』が、菅原初代さんにとって最後の公の場となってしまいました。
菅原初代の現在③ 大腸がんのため死去
出典:https://2xmlabs.com/
2023年3月17日、菅原初代さんが3月9日深夜に亡くなっていたことが発表されました。59歳でした。
死因は公表されていませんが、大腸がんであるとみられています。
多くの人を楽しませ、多くの人に愛されてきた菅原初代さん。関係者やファンからは悲しみの声が寄せられていました。
大食い女子選手が、私、お米、月30キロ食べるの
— 中村ゆうじ (@nakamurayuji_) March 16, 2023
魔女菅原すかさず 甘い!私は月60 キロ!!
そんな無茶苦茶な菅原さんが好きでした。
サヨナラ 菅原さん
— 高橋みなみ (@taka4848mina) March 17, 2023
誰よりも自分に厳しく
— アンジェラ佐藤 (@angela_satou) March 18, 2023
誰よりも大食いと真摯に向き合う人で
どうしようもなく
不肖の後輩である私をいつも笑いながら受け入れてくれる偉大な先輩でした。
大食い界の女子達はみんな菅原さんが大好きで
みんないつか菅原さんに勝つ事を夢見て憧れてました。
貴女を越える夢はもう叶わない。
菅原初代のまとめ
■菅原初代は女性フードファイターの第一人者。圧倒的すぎる強さから「魔女」といわれていた。
■35歳の時に結婚。10年間の結婚生活の後、離婚。夫は言葉の暴力がひどく、いわゆるモラハラ夫であった。
■息子が一人おり、発達障害(ADHD)をもっている。菅原初代本人もADHDであると公表していた。
■離婚後は、息子とおだやかな日々を過ごし、岩手県で「カンパーニュ」というパン屋さんを経営していた。
■2022年6月に大腸がんが見つかり、2023年3月に59歳で亡くなった。
いかがでしょうか?
大食い魔女として知られていた菅原初代さん。夫とは壮絶な過去があったようですが、離婚後はは息子さんと旅行したり、パン屋を経営したりと幸せな毎日を過ごしていたようです。
しかし、大腸がんを患い59歳という若さで亡くなられました。菅原初代さんのご冥福をお祈り申し上げます。