SMAP解散騒動は、2016年8月に発表された「年内解散」で一旦の幕引きをしています。
この記事では、SMAP解散騒動のきっかけともなったと言われる「藤島ジュリー景子・メリー喜多川母娘vs飯島三智」の争いについてまとめています。
この記事の目次
メリー喜多川・藤島ジュリー景子・飯島三智の名前が上がったSMAP解散騒動について
グループ名:SMAP
現メンバー:中居正広さん・草なぎ剛さん・香取慎吾さん・稲垣五郎さん・木村拓也さん
所属事務所:ジャニーズ事務所
2016年1月の週刊文春の報道から始まった、国民的アイドルグループSMAP解散騒動。最初の解散報道からすぐに謝罪会見を行いましたが、2016年8月には正式なSMAP解散が発表されています。
一連の流れについては、こちらから。
【不仲】SMAP解散の真相!木村拓哉の裏切りで飯島三智マネージャー独立失敗、香取慎吾との仲に亀裂!解散騒動の経緯総まとめ
その中でたびたび上がる名前が、以下の3人です。簡単なプロフィールとともにご紹介します。
通称:メリー喜多川
本名:藤島メリー泰子
出身地:アメリカ合衆国 ロサンゼルス
生年月日:1926年12月25日
学歴:ロサンゼルス・シティー・カレッジ
弟:ジャニー喜多川
配偶者:藤島泰輔(1997年に亡くなる)
娘:藤島ジュリー景子
名前:藤島ジュリー景子
出身地:東京都
生年月日:1966年7月20日
学歴:上智大学比較文化学部
叔父:ジャニー喜多川
母:メリー喜多川
父:藤島泰輔(1997年に亡くなる)
名前:飯島三智
生年月日:1958年2月20日
・株式会社ジェイ・ドリームの元取締役
・ジャニーズ事務所の元チーフマネージャーでSMAP育ての親
メリー喜多川・藤島ジュリー景子・飯島三智の名前が上がったSMAP解散騒動のきっかけとは?
SMAP解散騒動のきっかけとなったのは、上記のご紹介した女性3人の対立があったと言われています。
構図としては、「メリー喜多川・藤島ジュリー景子(母・娘) vs 飯島三智」
つまり藤島母娘vsとSMAP育ての親である飯島三智さんの対立です。騒動当時、メリー喜多川さんと藤島ジュリー景子さんは親子でジャニーズ事務所の代表取締役副社長を、飯島三智さんはチーフマネージャーをと詰めていました。
それぞれが担当するグループについては以下の通りで、派閥対立として捉えられることもあります。
ジャニーズ事務所の派閥相関図。
これらの対立が世間に出たのは、2015年1月の週刊文春の報道から。
「飯島、私はこう言いますよ。『あんた、文春さんがはっきり聞いているんだから、対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい』と言いますよ」
「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」
メリー喜多川さんの言葉はかなり高圧的で、もはやパワハラ……。これだけでもその対立構造を十分把握できる気がしますが、もう少し両者の関係を掘り下げてみたいと思います。
まずこの文春報道で押さえておきたいポイントは、藤島ジュリー景子・メリー喜多川母娘側の主導者が基本的に”メリー喜多川”さんだということ。ですので、メリー喜多川さんを中心とした母娘側と、飯島三智さん側両方の視点にわけてまとめていきます。
メリー喜多川・藤島ジュリー景子(母・娘)から見たSMAP解散騒動のきっかけ
メリー喜多川さんはジャニーズの独裁者?母親的存在?
メリー喜多川・藤島ジュリー景子(母・娘)。
メリー喜多川さんは、”ジャニーズの女傑”と呼ばれるジャニー喜多川社長の実の姉。ただほとんど表舞台に出てくることがなかった彼女は、こちらから不透明な部分もありますので、報道されている内容からその人柄等をご紹介します。
メリー喜多川さんは、実力者であると同時に瞬間湯沸かし器と言われるほど気性の荒い一面がありました。
ネットでいわれているように、メリーさんの影響力はいまだ絶大です。
現在、各スポーツ紙はこぞってSMAPの最新動向を取り上げていますが、全てメリーさんの“検閲”が入っています。
メリー氏の夫で作家の故・藤島泰輔氏は、メリー氏のことを“瞬間湯沸し器型”と称していた
月刊誌文藝春秋の記者(元文春)が、メリー喜多川さんの恐ろしき一面を独白した記事も。
メリー喜多川氏の恫喝は想像以上の恐怖だった! 文春の元記者が「メリーさんに『殴るぞ!』と脅された」と証言
しかしそれと同時に言われていたのが、家族や自身が気にかけたタレントに対する愛情深い一面です。それは、ジャニーズタレント(元含む)の関連本などからもたびたび読み取れる事柄で、中には母親のように慕っていた人間も少なくないそうです。
元ジャニーズ所属だった豊川誕も自身のブログで、退所後にフランス留学を勧められた過去を明かし、『ジャニーズ事務所をやめてからもそういう愛情をもって接してくれたのです』と、メリー氏への感謝を書きつづっています。彼女にも“スペオキ(特にお気に入りのタレント)”が存在する
メリー喜多川は、ジャニーズの実質的経営者だった?
またジャニーズ事務所の運営面はメリー喜多川さんが担当し、その手腕も相当なものだと言われていました。
<タレントの発掘や育成はジャニーさん担当、事務所の経営、タレントの管理はメリーさん担当、などとよくいわれます>(『ジャニー喜多川さんを知ってますか』江木俊夫/小菅宏・KKベストセラーズ)
<メリーさんのすごさは営業面だ。あれだけ大勢の、それも秒刻みのスケジュールを持つタレントをかかえて、まったくトラブルなく回していけるメリーさんの営業能力は、ほとんど神業に近いものといえる>(『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』大沢樹生・カンゼン)
メリー喜多川さんは実質的なジャニーズ事務所の運営を担う存在で、一部では母親として慕われながらも、怒りっぽくことさら”敵”に対する態度は威圧的であったと言えそうです。
娘や孫を後継者に!その想いをきっかけに飯島三智さんと対立?
メリー喜多川さんは、娘や孫を絶対に後継者にしたいという思いがとても強かったようです。それは娘の夫まで追放させるぐらいだったとか……。
娘、藤島ジュリー景子副社長の夫を追放し、幹部社員や可愛がっていたタレントのことまで疑いはじめ、これまで部下に任せていた細かい仕事にどんどん介入し始める。
メリー氏のこの感情に拍車をかけているのは、孫娘への溺愛だという。
「正直、メリーさんはジュリーさんより、ジュリーさんの娘、メリーさんにとってのお孫さんにかけているような気がします。お孫さんを早くも後継者として育てようと、英才教育をしています」(前出・ジャニーズ事務所関係者)
そういえば、例の「文春」のインタビューでも、メリー氏は聞かれもしないのに、ジャニーズの後継者は外国語がしゃべれる必要がある、と孫に英語とフランス語、中国語を教えていることを自慢げに語っていた。
また「フライデー」(講談社)の最新号が、ジャニーズ事務所が都内の不動産を買い漁っていると報じたが、これも、メリー氏がいかに財産を減らさずに娘と孫に引き継げるかを考えてのことだろうと言われている。
メリー喜多川さんのその考えはやがて、入社当時可愛がっていたという飯島三智さんがSMAP育ての親として成功を収める中で増していった事務所・業界内での存在感に、敵意すら抱くようになったと言います。
メリー氏が娘・藤島ジュリー景子副社長や孫に執着したあげく、飯島マネージャーを敵視。その恫喝によって、独立せざるを得ない状態に追い込んでいった
メリー喜多川さんの”敵”に対する態度はすでにお伝えしている通りです。どれほどのものかは、わかりませんが、結局飯島三智マネージャーの退社やSMAPの解散という流れからみても、生半可なものではなかったのでは……とも思わせます。
それは、すでにご紹介している2015年1月の文春報道にあるような、飯島三智さんに対するパワハラ的発言にもつながったとみれます。
またメリー喜多川さんは、飯島三智さんが担当するSMAPについて、自身の事務所に所属するタレントに対してとは思えないようなコメントもしていますので、その扱いは如何ばかりだったのでしょうか。
SMAPをはじめ飯島氏の管轄するグループのタレントを「踊れない子たち」と侮蔑し、「悪いけど私、飯島に踊りを踊れる子を預けられないもの。そういうこと、わかんない? うちの子はある程度踊らなきゃしょうがないでしょう」。
メリー氏は「ウチのトップは(SMAPではなく)マッチ(近藤真彦)」と宣言している。
飯島三智マネージャーから見るSMAP解散報道のきっかけ
SMAPがトップアイドルに上り詰めたのも飯島三智マネージャーの存在があったからこそで、彼女は”SMAP育ての親”とも言われます。SMAP解散騒動では少し悲劇的なイメージも強かった彼女ですが、メリー喜多川・藤島ジュリー景子母娘と対立を深めていった理由をまとめてみます。
SMAPは言わずとも知れたトップアイドルで、誰もが顔を知っています。それにもかかわらず、SMAPはジャニーズの中で”ジャニーズの伝統的アイドル”ではないという位置付けにあったと言います。
メリーさんは、木村拓哉以外のSMAPメンバーをアイドルとして認めていません。メリーさんのなかには『アイドルとはかくあるべき』という確固たる理想像があり、そこから外れるためです。メリーさん、すなわちジャニーズにとって王道は東山紀之であり近藤真彦であり、TOKIOの長瀬智也なのです。
つまりメリー喜多川さんが「うち(ジャニーズ)のトップはマッチ」と言った背景には、SMAPを頑なにジャニーズアイドルとして認めていないという面があったようです。
実質ジャニーズの運営を担うメリーさんの言葉はすなわち事務所の方針で、となればSMAPは超人気者といえどジャニーズの中では本流ではないという位置付けになりました。
そんなジャニーズの扱いがありながらもトップアイドルという異例の存在のSMAP、それを更に強めてしまったのが飯島三智さんの仕事のやり方とも言われています。
実はSMAPはジャニーズのなかでは“傍流”扱い。その原因のひとつには、飯島さんの仕事のやり方にあります。デビュー当初かなり苦戦したSMAPを今の地位にまで育てたのは飯島さんの力による部分が大きいのは誰もが認めるところであり、テレビ局関係者からの信頼も絶大ですが、それゆえSMAPに関することはなんでも飯島さんが独断で進めてしまうため、ジャニーズ内で“SMAP班”は完全に浮いた存在
なんだかかなりジレンマな状況に思えます。
飯島三智さんは自身が担当したSMAPを、事務所の絶対的存在であるメリー喜多川さんから「踊れない子たち」と言われながらも、自身の手腕を発揮しながら日本のトップアイドルに育て上げました。
実際に飯島三智さんがジャニーズ後継者に目指していたかどうかはわかりませんが、成功してからも結局SMAPは浮いた存在のまま、自身とともにジャニーズ内で冷遇されてきたと言われています。そんな中で残された道は、もはやいうまでもありません。
ずっとSMAPと共に冷遇されてきたという思いが強い飯島氏にしてみれば、これ以上我慢して事務所に残っても窮屈な思いをするばかり。一方で、事務所はいまだに平然と世間の感覚とズレた振る舞いを続け、飯島氏の目にメリーはもはや老害的存在にしか映らなかったのではないか。飯島氏も60歳を目前に、そんなジャニーズ事務所をついに見限って、独立して芸能界で最後にもう一旗上げようと考えたとみるのが自然でしょう。
ただ、本当にSMAPを愛する飯島氏ゆえ、飯島氏のほうからSMAPメンバーにジャニーズを離れて一緒に独立することを誘ったとは考えにくいです。あつい恩義を感じている飯島氏の独立を知った中居らのほうから、『放っておけない』という気持ちで飯島に付いていこうと自らの独立を決心したのではないでしょうか。いずれにせよファンとしては、飯島氏のわがままとメリーの確執という勝手な事情でSMAPが解散してしまっては、たまったものではないでしょう。まさにファンを置き去りにしているといえます
SMAP解散騒動の時のジャニー喜多川は?
一連の「メリー喜多川・藤島ジュリー景子vs飯島三智」の対立を見ていると、「あれ?ジャニーさんはどこに」と感じてしまいます。
メリー喜多川さんが実姉とはいえ、当時のジャニーズ社長はジャニー喜多川さんでした。「SMAPは僕の子ども同然」という発言もしていたジャニー喜多川さんは、この最悪の流れを辿ってしまった対立をどうにかできなかったのでしょうか。
しかし、もともとジャニー喜多川さんは姉のメリー喜多川さんに運営のことはまかせっきりだったと言いますので、こういった対立もノータッチだったことも考えられます。
もともとジャニーさんは事務所内の政治的なことにはノータッチで、姉のメリー副社長には頭が上がりません
一部では飯島三智さんとSMAPの独立話もジャニー喜多川さんの了承があったと言いますが、それを知ったメリー喜多川さんが激怒、マスコミに解散騒動をリークし、大問題に発展したとも言われていますが真相はわかりません。
ただ2016年1月以降、SMAP存続のためにメンバーと度重なる面会をしていたジャニー喜多川さん。2016年8月のSMAP解散発表後も変わらぬサポートを誓っていました。この言葉がジャニー喜多川さんの思いを切に表していたと言えるのではないでしょうか。
過半数が解散を申し出たことに、ジャニー氏はがっくりと肩を落としたという。それでもメンバーの意見を尊重したようで、今後は「5人は自分が育てた。生涯、自分の子供。個人活動に切り替える。グループだろうがソロだろうが自分は同じ愛情を注ぐ」と、5人の個人活動をサポートすることを決めている。
ジャニ―喜多川とメリー喜多川が死去
2019年、ジャニ―喜多川が死去
出典:https://endia.net/
「ジャニーズ帝国」を一代で築き上げたジャニ―喜多川さんですが、2019年7月9日、くも膜下出血のため87歳で亡くなられました。
7月12日に葬儀が執り行われ、総勢150名のジャニーズ事務所のタレントが参列。9月には東京ドームでお別れ会が開かれ、ジャニーズ事務所のタレントやOB、事務所の関係者など3500人が出席しています。
出典:https://iroiro-information.com/
ジャニー喜多川さんの死後、藤島ジュリー景子さんがジャニーズ事務所の社長に、滝沢秀明さんが副社長に就任しました。メリー喜多川さんは会長に就任、2020年9月からは名誉会長となっています。
ジャニ―喜多川さんの訃報に、元SMAPの木村拓哉さんは「今の自分があるのも、ジャニーさんとの出会いが無ければ……。と思うと感謝してもしきれません。」とコメント。2017年9月にジャニーズ事務所を退所した稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんは「どんなときでも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました」などと連名でコメントを発表しました。
中居正広さんは公式にはコメントを発表していませんが、番組内で「本当に言ってあげたいですね。『たくさんの人に愛されるように頑張りなさいって教育してきたあなたが一番愛されちゃってるよ』って。」などとジャニ―喜多川さんへの思いを語っています。
中居正広さんはその後2020年3月いっぱいでジャニーズ事務所を退所していますが、退所発表の会見では、事務所で1番感謝している人としてジャニ―さんの名前を挙げ、遺骨をポケットに入れていることも明かしていました。
2021年、メリー喜多川が死去
出典:https://comedydouga.com/
ジャニー喜多川さんの死から約2年後の2021年8月14日、メリー喜多川さんが肺炎のため93歳で亡くなられました。
女帝とも呼ばれSMAP解散騒動の時に大きな注目を集めたメリー喜多川さんですが、経営者としての手腕は確かなものでした。ジャニーズ事務所がここまで大きな影響力を持つ組織になったのも、メリーさんの能力と陰の努力があったおかげでしょう。
これまで名だたるアイドルが誕生していますが、彼らが息の長い活躍ができるのは、メリーさんのマネジメント能力の賜物です。信頼できる姉がいたからこそ、ジャニーさんもプロデュースに最大限の力を注げた。最高のタッグです
「ジャニーズの母」として多くのタレントたちを育てあげたメリー喜多川さんには、ジャニーズ事務所のタレントや関係者から多くのお悔やみの言葉が寄せられました。
元SMAPの木村拓哉さんも、メリーさんの名前は出していませんが、「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました!! ゆっくり、休んで下さい」と自身のインスタグラムに綴っています。
「メリーさんが大事にしてきたのは、“ファミリー”という感覚。日本で初めてファンクラブを作ったのがジャニーズだとされていますが、メリーさんのアイディア。ジャニーズの場合、ファンクラブではなく“ファミリークラブ”という名称ですが、そこには“タレントもファンも同じ家族の一員”というメリーさんの思いがあるんです。実際、所属タレントはメリーさんを経営者としてだけでなく、“母”として慕ってきました」
ジャニーズ事務所創立から約60年、日本の芸能界発展にも貢献し続けてきたジャニ―喜多川さんとメリー喜多川さん。ご冥福をお祈り申し上げます。