DEEP王者の肩書を持つ元格闘家の白井祐矢さんですが、近年は「所沢のタイソン」こと久保広海さんに倒された男としてネット上で有名になってしまっているようですね。
この記事では、白井祐矢さんのこれまでの経歴や家族情報の他、久保広海さん絡みの噂の真相と現在について迫ってみました。
この記事の目次
白井祐矢のプロフィール
白井祐矢(しらい ゆうや)
生年月日:1980年4月2日
出身地:愛知県豊橋市
身長:174㎝
白井祐矢、元DEEP王者でDREAMでも活躍していた格闘家だった
白井祐矢さんといえば、格闘技団体「DEEP」の元ウェルター級王者であり、「DREAM」や「ONE Championship」といったメジャー格闘技団体のリングに上がった経験も持つ総合格闘家です。
とはいえ、日本の総合格闘技ブームを牽引していた格闘技団体「PRIDE」に縁がなかった白井さんは、あくまでコアな格闘技ファンの間の有名人といった程度の存在であり、世間的には無名な人物でした。
そんな白井さんが近年ネット界隈で注目を集めている原因が、有名アウトローである「所沢のタイソン」こと久保広海さんと六本木のクラブで喧嘩をして負けたとの噂となります。
この記事では、白井さんのこれまでの経歴や家族情報の他、久保さんと喧嘩をして負けたとの噂の真相について紹介をさせて頂きます。
白井祐矢の経歴…元柔道家でサンボの日本王者の肩書もあった
白井祐矢、國學院大學卒のインテリだった
白井祐矢さんは、少年時代からスポーツに打ち込んでいたらしく、地元・愛知県豊橋市にある私立桜丘高校の柔道部に所属していたようですね。
桜丘高校柔道部は、アテネ五輪や北京五輪で金メダルを獲得した谷本歩実さんの母校として有名ですが、平日の練習は2時間程度で日曜は定休日。土曜日も練習は午前までという決まり事が徹底している脱スポ根路線の部活でした。
そのため、必ずしも全国レベルの強豪というわけではなく、白井さんも高校時代に大きな実績を残したわけではない状況となります。
桜丘高校を卒業後の白井さんは、東京に上京して國學院大學に進学し、引き続き柔道部に入部しています。
國學院大學に関しては、全日本柔道連盟の初代会長であり世界柔道選手権大会の創設者である嘉納履正さんの母校となりますが、柔道部自体は強豪というわけではなく、OBやOGに五輪メダリストクラスの選手はおりません。
白井さん自身も強化指定選手を相手に勝った負けたする程度の実力はあったようですが、大学時代に目立ったタイトルは取っていないとか。
白井祐矢、大学を卒業後はプロ格闘家に転身していた
大学を卒業後の白井祐矢さんは、全日本サンボ選手権に出場し優勝した後、2003年9月に「DEEP」でプロ格闘家デビューを果たしています。
國學院大學といえば「成成明学獨國武」の一角をなす有名中堅私大だったうえに、就職に強い体育会系の学生でもあった白井さんが就職をしなかったことはもったいない気もします。
しかしながら、当時の日本は「PRIDE」や「K-1」といった格闘技興行が地上波のゴールデンタイムで放送される格闘技ブームの絶頂期だったため、白井さんも夢に生きる道を選んだのかもしれませんね。
ちなみに、大学まで柔道で鳴らした実力者だけあり、白井さんはプロの洗礼を受けることもなく、デビュー戦から5連勝を飾ることになりました。
白井祐矢、実力者だったが勝負弱かった
プロ格闘家として幸先の良いスタートを切った白井祐矢さんですが、2006年になると暴力団との癒着問題が発覚した「PRIDE」がフジテレビから提携を打ち切られるアクシデントが発生します。
その後、経営難に陥った「PRIDE」は、2007年にアメリカの格闘技団体「UFC」を主催する「ズッファ社」に買収された後に消滅してしまいました。
「PRIDE」消滅後の日本総合格闘技界では、「戦極-SENGOKU-」や「DREAM」といった後継団体が発足することになります。
とはいえ、一連の騒動のせいで日本の総合格闘技ブームが急速にしぼんでしまった影響もあり、どの団体も興行的には失敗し、数年程度で活動停止に追い込まれています。
そんな業界の地殻変動のせいで、「総合格闘技冬の時代」の真っただ中に置かれることとなった白井さんでしたが、それでモチベーションを失うこともなく2010年には「DEEP」のウェルター級王者を獲得しました。
しかしながら、あがり症の悪癖のあった白井さんは、名を売るチャンスとなるメジャー団体での試合や強豪外国人との試合で悉く敗れてしまったため、知る人ぞ知る実力者の領域から抜けることが出来なかったそうですね。
白井は元DEEPウェルター級チャンピオンである。国内MMAの最前線のリングでベルトを巻いたくらいだから、格闘技の才能には恵まれていたのだろう。だが“ド派手なKO”や“華麗な一本”を量産するタイプではなかった。堅実、あるいは慎重。はっきりいってしまえば地味な選手だった。実力はあるはずなのに、大舞台や強豪外国人との試合で不思議なくらい勝てなかった。本人曰く「それが“持ってない”ってことなんでしょう」。
白井祐矢、引退後はスポーツジムのオーナーになっていた
実力者ながらイマイチブレイクしきれない格闘家人生が続いた白井祐矢さんですが、2016年に行われた「DEEP 75 IMPACT 〜DEEP15周年大会〜」の対ミノワマン戦を最後に引退しています。
白井さんのプロ格闘家としての戦績は、「41試合26勝14敗1分」となりました。
引退後の白井さんは、2014年に東京都港区新橋に開業したパーソナルジム「VIVA STUDIO」の経営者兼トレーナーとして奮闘しているようですね。
ちなみに、「VIVA STUDIO」は完全予約制のマンツーマン指導が売りのジムなため、利用料金の方も60分10回分のチケット価格が7万7000円と玄人向けの設定になっているとか。
白井祐矢の意外な人脈…吉田秀彦の個人マネージャーの過去があった
白井祐矢さんに関しては、吉田秀彦さんの個人マネージャーをしていた意外な過去もあります。
吉田さんといえば、バルセロナ五輪で金メダルを獲得した柔道家であり、プロ格闘家に転向した後は「PRIDE」や「戦極-SENGOKU-」といったメジャー団体で活躍をし、日本の総合格闘技ブームを牽引したスター選手となりました。
吉田さんは、出身地こそ同じ愛知県だった一方で、高校は東京にある世田谷学園、大学は明治大学と白井さんとは縁遠い存在でした。
そんな吉田さんと白井さんが知り合ったきっかけについては、2005年頃に兄貴分だった格闘家の長南亮さんを介して吉田さんの運営する吉田道場に出稽古に通うようになったそうですね。
ちなみに、吉田さんは白井さんが柔道に興味を持つきっかけとなった人物でもありました。
また、これは本人にも内緒にしていたことだが、実は白井が初めてもらった有名人のサインこそが、吉田だったという。
「小学校5、6年のころだったと思うんですが、まだ柔道とか全然興味がなかった時で、初めて柔道を観に行ったときに吉田さんに『サインください』って、もらったんです。その時くらいですかね、柔道に興味を持ち始めたのは」
引用:“吉田を最も知る男”白井祐矢、はなむけの勝利を=吉田秀彦引退興行 カーン参戦決定、吉田ラストマッチの相手候補は現在5名
白井祐矢の家族情報…結婚して子供が生まれていた
白井祐矢さんは、2000年代中盤頃に出来ちゃった結婚をしており、既婚者で子供もいます。
当時の白井さんは、アルバイトをしながら格闘家をしていた状態だったため、仲間内でも「これからどうするの?」と半ば呆れられていたそうですね。
そんな白井さんに助け舟を出してくれたのが吉田秀彦さんだったそうで、白井さん一家が暮らしていけるようにと専属運転手として雇ってくれとか。
吉田さんの個人マネージャーをしていたという白井さんの意外な過去は、実は白井さん一家の生活を助けるために吉田さんが見せてくれた男気により発生したものでした。
白井祐矢の年収…現役時代は稼いでいなかった?
白井祐矢さんの現役時代の年収については、総合格闘技ブームの恩恵を受けられなかったせいでファイトマネーは激安だったようですね。
白井さんの主戦場としていた「DEEP」は、日本の総合格闘技界の屋台骨を支える実力派の団体だった一方で興行規模は大きくはなく、王者クラスでも100万円程度のファイトマネーだと言われております。
そのため、現役時代の白井さんの主な収入源は、格闘家の王道の副業であったジムトレーナー業(年収相場300~400万程度)だった時期が長かったように思われます。
引退後は、「VIVA STUDIO」の経営者兼トレーナーとして奮闘している白井さんですが、パーソナルトレーナーを4人ほど雇っているため、ジム経営の方はそれなりに好調に見えます。
ちなみに、ジム経営の方も大台の目安が年収1000万円と言われている職業なため、濡れ手に粟というわけでもないようですね。
白井祐矢の現在…所沢のタイソンに喧嘩で負けたとの噂が流れる
白井祐矢、所沢のタイソンにタイマンで負けたとの噂が流れていた
白井祐矢さんの現在は、アウトロー系ユーチューバ-である「所沢のタイソン」こと久保広海さんに喧嘩で負けたとの噂のせいで、現役時代を超える注目を集めている状況となります。
こちらの噂については、「所沢のタイソンは一昔前に総合格闘技チャンピオンのSをタイマンでKOしたことがある」との武勇伝がネットの一部で広まったことから始まっているようですね。
ちなみに、久保さんにKOされた格闘家が白井さんということになった経緯は不明となっており、いつの間にかネットの定説化していたとか。
その後、2021年1月に久保さんがYouTubeチャンネル「街録ch-あなたの人生、教えてください-」に出演した際に、本人の口からその武勇伝が語られたことにより、ネット界隈で本格的にバズることになりました。
ただし、この時も格闘家の実名は明かされていないため、久保さんにKOされた総合格闘技チャンピオンが誰なのかは不明となっています。
所沢のタイソンの喧嘩相手はマッハ桜井説もあった
久保広海さんにタイマンで負けた格闘家に関しては、「修斗世界ミドル級」元王者で「PRIDE」でも活躍したマッハ桜井さん説も存在するようですね。
こちらの説が浮上した背景には、マッハ桜井さんが2006年に路上で暴漢に襲われた事件が関係して来ています。
桜井“マッハ”速人が4月9日、茨城県土浦市の路上で土木作業員の男性に殴られ左目下の骨を折り、全治約1か月の怪我を負っていたことがわかった。マッハが路上を歩いている最中、その男性の車がマッハの膝に接触し、目と目が合ったことに腹を立てた男性がマッハを1回殴ったという。マッハは抵抗せず、警察に被害届を出し、29日に男性は逮捕された。
久保さんもかつて防水工として働いていた過去があったため、マッハ桜井さんを襲撃した暴漢が久保さんだったのではないとの憶測がネットの一部で生まれていたようですね。
しかしながら、マッハ桜井さんを襲撃した暴漢は「酒寄健一」という人物らしく、久保さんではないとか。
ちなみに、現在のマッハ桜井さんは、茨城県龍ケ崎市で市議会議員に就任している他、ジム経営やユーチューバーも兼任している状況となります。
白井祐矢、所沢のタイソンに負けた説はガセだった?
久保広海さんにタイマンで敗れたとの噂のせいで一躍有名人になってしまった白井祐矢さんですが、こちらの噂はガセネタの可能性が高い状況となります。
「街録ch-あなたの人生、教えてください-」に出演時の久保さんは、総合格闘技チャンピオンとは「六本木のクラブでお互い酔っぱらった状態で戦った」と語っていました。
しかしながら、実際の白井さんはウーロンハイを1杯飲んだだけでも顔が紫色になってしまうほどお酒に弱く、六本木のクラブで酔っぱらうタイプではないように思われます。
そのため、久保さんに六本木のクラブでKOされた格闘家に関しては、格闘技ファンでもパッと名前が浮かんでこないようなもっとマイナーな人物なのかもしれませんね。
白井祐矢についてまとめてみると…
久保広海さん絡みの噂のせいで変に有名になってしまった白井祐矢さんですが、格闘家を引退後は順調なセカンドキャリアを歩んでいることになります。
白井さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。