プロ野球史上最年少での完全試合を達成した佐々木朗希さんが話題です。
この記事では佐々木朗希さんの身長、東日本大震災で家族を亡くした生い立ちや高校時代の活躍、実家、父親や母親、兄弟などの家族、彼女の噂や結婚観、完全試合での国内外での反響などについてまとめました。
この記事の目次
佐々木朗希のプロフィール
佐々木朗希のプロフィール
生年月日:2001年11月3日
出身地 :岩手県陸前高田市
身長 :190cm(公式データ、実際の身長は後述)
血液型 :O型
プロ野球「千葉ロッテマリーンズ」に所属する佐々木朗希さんは、現在のプロ野球で最も期待を集める若手投手です。
2022年4月には史上最速、史上最年少での完全試合を達成して大きな話題を呼びました。
今回はそんな佐々木朗希さんについて紹介していきます。
佐々木朗希は身長が192cmに伸びている
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千葉ロッテマリーンズやプロ野球機構の公式データでは、佐々木朗希さんの身長は「190cm」とされていますが、これは登録上のもので、実際にはプロ入り後に身長が2cm伸びており、現在の身長は「192cm」だという事です。
実は身長も伸びました。これまでは190センチだったのですが、この前、測ってみると192センチになっていました。自分でもビックリでした。マリーンズに入ってから身体強化と成長に重点を置き、栄養にも気をつけながらいろいろなことに取り組んでいる結果かなあと思っています。とてもうれしかったです。
佐々木朗希の生い立ち① 小学校3年生で本格的に野球を始める
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佐々木朗希さんの生い立ちについてみていきます。
佐々木朗希さんは岩手県陸前高田市で、2001年11月3日に生まれました。小学3年生の時に地元の高田スポーツ少年団で本格的に野球を始めています。当時のチームの監督によると、小学3年生の時に初めてマウンドに立たせたところ三者凡退に打ち取り、その時から才能の片鱗を見せていたのだとか。
しかし、そうして野球を始めたばかりだった小学3年生の9歳の時に、佐々木朗希さんは東日本大震災に遭遇します。佐々木朗希さんの当時の実家は津波で流され、父親と祖父母も亡くなっています。
佐々木朗希さんは震災の影響で小学4年生から岩手県大船渡市へと家族で引っ越し、そちらで軟式少年野球団「猪川野球クラブ」に入って野球を続けました。
佐々木朗希さんは小学6年生の時には、岩手沿岸被災地域の学童のための野球大会「リアスリーグ」第1回大会に出場し、この時に現在の本拠地であるZOZOマリンスタジアム(当時の名称はQVCマリンスタジアム)のマウンドに立っています。
佐々木朗希の生い立ち② 中学時代は軟式野球部に所属
佐々木朗希さんは小学校卒業後は、そのまま地元の公立「大船渡市立第一中学校」へと進学しています。
中学生時代の佐々木朗希さんはシニアチームには入らず、中学校の軟式野球部に入部して野球を続けました。
当時の関係者達の証言によると、佐々木朗希さんは中学時代からずば抜けた身体能力を発揮していたそうです。
とにかく活発な子で、スポーツテストではハンドボール投げや50メートル走など、すべての項目でずば抜けていた。負けず嫌いでしたね。
また、当時からメンタル的にとてもストイックだったようで、野球の技術書を熱心に読み、自分にとって理想の投球フォームを探究していたのだそうです。
佐々木朗希さんは中学2年生の秋にはエースナンバーを背負いましたが、3年生に上がる直前の2016年の春に背中を疲労骨折し、中学3年生は将来性を考えてリハビリに専念しています。
そして、怪我の完治後、佐々木朗希さんは中学から高校へ上がる前の準備のための大会(KWB野球選手権大会)の地域代表に選ばれ、岩手大会を制して全国へと進出。この大会中にそれまでの自己最速である球速141km/hをマークしました。
佐々木朗希の生い立ち③ 仲間と甲子園へ行きたいと地元の高校へ進学
佐々木朗希さんは中学時代はまだ全国的には無名の選手でしたが、当時から既に関係者の間ではその潜在能力が高く評価されており、花巻東高校やや盛岡大附属高校などの、岩手県屈指の強豪校を始め、県内外の高校から誘いを受けました。
しかし、佐々木朗希さんは「大船渡の仲間と甲子園を目指したい」という想いから、それらの強豪高校からの誘いを全て断り、地元の公立校である「県立大船渡高校」へと進学しました。
高校時代の佐々木朗希さんは、行きつけだったという、そば店「そば処 櫻亭」に野球部の仲間達とユニフォーム姿でよく訪れ、後輩には必ず全額おごるなど面倒見の良い先輩として慕われていたそうです。
高校時代の佐々木朗希さんの活躍については次の見出しで紹介します。
佐々木朗希の大船渡高校時代の活躍
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佐々木朗希さんは地元の公立校「県立大船渡高校」へと進学して硬式野球部に所属し野球を続けました。
1年生の時は夏の大会で公式戦デビューし、1回3/1 で無安打3三振の圧巻の投球を見せました。この時は14球全てが140km/h台を記録し、9回にはその時点での自己最速となる147km/hを記録しています。
数ヶ月前まで中学生だった高校1年生投手の球速としては異例のスピードで、当時から野球ファンの注目を集めました。
その後も、高校時代の佐々木朗希さんは凄まじい速度で成長し、高校2年生夏の大会では初戦で自己最速を更新する154km/hを叩き出し、秋の県大会では高校2年生として史上最速タイ記録となる157km/hを記録。この頃から佐々木朗希さんは「大谷翔平2世」、「令和の怪物」とも称されるようになり、全国的にその名前を知られるようになりました。
高校3年生に上がった直後の2019年4月に開催された高校日本代表候補研修合宿の紅白戦にて、佐々木朗希さんは非公式記録ながら当時の高校生記録を更新する163km/hを計測しています。(会場を訪れていた中日ドラゴンズスカウトのスピードガンが記録)
そして、佐々木朗希さんは高校3年生の夏の県大会では、エースで4番として活躍。4回戦では、当時の高校生最速タイ記録である球速160km/hを記録しました。
チームは決勝戦へと進出し、それに勝利すれば念願の甲子園出場でしたが、球界の宝とも言える佐々木朗希さんの投げすぎによる故障を避けるために当時の野球部監督は登板を回避させ、野手としても試合に出場させませんでした。結果、県立大船渡高校はこの試合に敗れ、佐々木朗希さんの甲子園出場の夢は叶いませんでした。
この監督の決断に対して、県立大船渡高校へは苦情の電話が殺到したという事でしたが、現在では球界の宝である佐々木朗希さんの将来を考えた勇気のある英断だったとして高く評価されています。
佐々木朗希の実家
佐々木朗希さんの生まれ育った実家は岩手県陸前高田市ですが、生い立ちのところでも触れたように、東日本大震災の津波によってこの実家は流されています。
その後、佐々木朗希さんは家族と共に同県大船渡市へと移住されていて、現在はこちらに実家があると思われます。
佐々木朗希さんは千葉ロッテに入団して実家を離れて活躍されていますが、2021年シーズン終了後に「オフに行きたいところは?」と質問されて「実家。好きだからです」と答えられていました。
ロッテ・佐々木朗希がオフに行きたいところについて「実家。好きだからです」と生まれ育った岩手への帰省を挙げた。
高校進学の時にも地元愛を優先した佐々木朗希さんですが、プロ入りを果たした現在も岩手の実家がとても好きなようです。
佐々木朗希の家族① 父親の功太さんは東日本大震災で他界
佐々木朗希さんの家族についてもみていきます。
生い立ちのところでも触れていますが、佐々木朗希さん父親は2011年3月の東日本大震災の被害に遭って亡くなられています。
佐々木朗希さんの父親は功太さんという方で亡くなられた時は37歳でした。佐々木朗希さんの父親は葬儀屋で働いていたという情報が流れていますが、信憑性のある情報源が見つからず真偽不明です。
父親の功太さんは、野球を始めたばかりの佐々木朗希さんの野球の練習に毎日付き合っていたそうです。
当時を知る関係者によると、佐々木朗希さんがずっと熱心に野球を続けてきたのには、この父親の功太さんと野球を練習した思い出も関係しているのではないかという事でした。
「家では、お父さんが毎日のようにキャッチャーをやって、朗希とお兄ちゃんが投げ込んでいたそうです。震災後の大変な時期でも野球を続けたのは、お父さんとの思い出もあるんじゃないかな」
2021年5月、プロ初勝利を挙げた試合のヒーローインタビューで、佐々木朗希さんはウイニングボールを誰に渡すのか?と尋ねられ、「両親に渡したいと思います」と即答されています。
母親の陽子さんはこの言葉を聞いたときに思わず号泣してしまったそうで、後にメディアに「私だけではなくて両親にと言ってくれたのがうれしかった」と話されていました。
佐々木朗希さんの父親の功太さんへの気持ちが伝わってくるようなエピソードだと思います。
佐々木朗希の家族② 母親は陽子さん
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佐々木朗希さんの母親は陽子さんという方です。
関係者によると、佐々木朗希さんの母親の陽子さんはスラッとした美人で、気さくな性格の方だそうです。佐々木朗希さんの入団会見時には母親の陽子さんも同席されていましたが、確かに美人な方です。
東日本大震災後、女で一つで佐々木朗希さんと兄弟達を育てたという母親の陽子さんですが、現在も保険の営業マンとして活躍されているのだとか。
お母さんは教育ママというタイプでもないんです。スラッとした美人ですが、性格は気さくで天然ぽい感じ。
子供の意志を尊重する放任主義だそうです。今も、保険の営業マンとして活躍されています」(地元住民)
佐々木朗希さんの母親の陽子さんについては、その人柄の良さが度々話題に上っています。
地元の人々によると、母・陽子さんは「人当たりがすごくいい。息子の活躍にも気が大きくなることなく、謙虚」「しっかりしたお母さん」といわれる人柄。
佐々木朗希さんは、母親の陽子さんに感謝の気持ちを強く持たれているようで、よく「自分がプロ野球選手になれたのは母親のおかげ」と口にされています。
佐々木朗希の家族③ 兄弟は3歳上の兄と歳の離れた弟
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佐々木朗希さんの兄弟は兄と弟の2人です。
上の兄弟は3歳年上の琉希さんという方で、佐々木朗希さんが野球を始めたのはこの兄の影響だったそうです。当時は兄と一緒に少年野球チームに所属し練習に打ち込んでいたそうです。
父親の功太さんが亡くなった後は、兄の琉希さんが父親代わりになり、佐々木朗希さんの野球の練習にも厳しく付き合ったのだそうです。
兄の琉希さんも高校まで野球を続け、県立大船渡高校では4番を任される中心選手でした。高校卒業後は都内の大学を経て、現在は大手広告代理店で会社員をされているそうです。
佐々木が高校野球に打ち込むなか、兄は都内の大学へと進学。現在は、大手広告代理店に勤務しているという。
ちなみに、佐々木朗希さんに「朗希」という名前をつけたのは兄の琉希さんだそうです。佐々木朗希さんが生まれた当時3歳だった琉希さんは、当時放送されていた特撮戦隊モノシリーズ「百獣戦隊ガオレンジャー」にハマっていたそうで、その登場人物の「狼鬼(ロウキ)」というキャラクターから、弟の名前は「ろうき」が良いと両親に発案したのだとか。
下の兄弟は怜希さんという方で、報道によれば年が離れているという事なので、現在はまだ学生だろうと思います。この弟の怜希さんも野球をされているそうです。
佐々木朗希の家族④ 祖父母
佐々木朗希さんは東日本大震災で父方の祖父母も亡くしています。
当時、佐々木朗希さんと家族の住む実家の同じ敷地内の隣の家屋に祖父母は住われていたそうで、津波の被害に遭い亡くなられたそうです。
佐々木朗希さんは幼い頃から、よく隣の祖父母の家に遊びに行っていたのだそうです。
佐々木朗希投手が、まだ岩手県陸前高田市に住んでいた頃のこと。自宅の隣に父方の祖父母が住んでいた。同じ敷地内ということもあり、よく出入りをしていた。
佐々木朗希さんは祖父母の家でよくロッテのチョコパイを食べていのだそうで、今でもチョコパイを食べると祖父母との思い出を思い出すのだとか。
佐々木朗希の彼女の噂
現在最も注目を集める若手プロ野球選手であり、端正な顔立ちとすらりとした高身長で女性人気も極めて高い佐々木朗希さんという事もあり、佐々木朗希さんの彼女や結婚にも興味があるという人が多いようです。
佐々木朗希さんの彼女については、学生時代から佐々木朗希さんを知る知人がメディアの取材に、中学生の頃には同級生の彼女がいた事や、高校時代にも彼女がいた事、彼女は通算3人である事などを明かしていました。
また、現在は彼女がいないという事まで明かしています。
「朗希は中学生のころ、同級生の女の子とつき合ってましたね。高校でも彼女がいて、通算3人の女の子と交際してたかな。
今は彼女がいないみたいですが、背が高くて面倒見のいい性格、そして野球も抜群にうまいので、モテていましたね」(別の知人)
現在は彼女がいないという証言が出ている佐々木朗希さんでしたが、過去には何人かの有名人の名前が佐々木朗希さんの彼女の噂として浮上しているので順番に見ていきます。
佐々木朗希の彼女の噂① 浜辺美波
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人気女優の浜辺美咲さんが佐々木朗希さんの彼女ではという噂が浮上した事がありました。
これは、2020年のロッテのチョコレートのバレンタインPRイベントで、佐々木朗希さんが浜辺美波さんから特製のチョコレートをプレゼントされたのがきっかけでした。
ちなみに、佐々木朗希さんは浜辺美波さんのチョコレートを「70点くらい」と微妙な評価をされています。
当然ですが、これはイベントで、浜辺美波さんが佐々木朗希さんの彼女である可能性は低いでしょう。
佐々木朗希の彼女の噂② 福田愛依
タレントの福田愛依(ふくだ・めい)さんも佐々木朗希さんの彼女ではと噂された事がありました。
これは、高校球児時代の佐々木朗希さんが、自身の紹介プロフィールの「好きなアイドル」という項目に福田愛依さんの名前を書いていたのが原因でした。
その後特に、佐々木朗希さんと福田愛依さんの絡みがあったという事はないので、彼女である可能性は低いでしょう。
佐々木朗希の彼女の噂③ 宮司愛海
佐々木朗希さんの彼女はフジテレビアナウンサーの宮司愛海(みやじ・まなみ)さんではという噂もあるようです。
これは宮司愛海さんが自身のインスタグラムに佐々木朗希さんとのツーショット画像をアップしたのが原因でしたが、この画像はフジテレビのスポーツ情報番組「S-PARK」で取材した時に撮影したもので、プライベートのものではありませんでした。
宮司愛海さんが佐々木朗希さんの彼女である可能性は低いでしょう。
佐々木朗希の彼女の噂④ 佐々木希
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女優の佐々木希さんも佐々木朗希さんの彼女ではと噂になっていますが、これは名前が一字違いでよく似ている事や同じ東北出身である事から佐々木希さんが佐々木朗希さんに以前から親近感を持っていたというメッセージを寄せた事が原因でした。
ただ、これもロッテのPRイベントに絡んだもので、深い意味はないでしょう。そもそも佐々木希さんは渡部健さんと結婚されているので、彼女だとすれば不倫になってしまいます。
佐々木朗希の結婚観
現在は彼女がいないという関係者証言が出ている佐々木朗希さんですが、結婚願望はあるようで、「タイミングが良ければ早く結婚してもいい」とメディアの取材に答えられています。
――結婚願望は?早い方がいいか、それとも当面は野球に専念したいか。
「タイミングがよければ、早く結婚してもいいと思う。野球が忙しいからとか、その辺りはあまり関係ないかなと思います」
佐々木朗希の完全試合達成が国内外で大きな話題に
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佐々木朗希さんは、国内で活躍する若手投手の中でも圧倒的なポテンシャルを持ち注目されていますが、プロ入り2年目のシーズンである2022年の4月10日のオリックスバッファローズ戦では、プロ野球史上最速(通算14試合目での達成)かつ、史上最年少(20歳5か月)での完全試合を達成しました。
さらに、佐々木朗希さんは、その次の先発登板であった同年4月17日の試合でも、8回まで無安打無四死球におさえ、未だかつて、アメリカメジャーリーグも含めて誰も成し遂げた事のない2試合連続の完全試合達成が期待されました。
この時は、2試合連続で100球を超えていた投球数や、試合が0-0のまま進行していてこのまま佐々木朗希さんが9回を投げ終えても試合が終了しない事などが考慮されて、千葉ロッテの井口監督が8回完了での降板を決断し、惜しくも偉業達成とはなりませんでしたが、その圧倒的な投球は国内外の野球ファンの間で大きな話題となりました。
佐々木朗希さんは元々メジャーリーグ志向である事を公言されているので、この完全試合の快挙はアメリカでも大きく報じられ、早くも米国のファンの間で「いつメジャーにくるのか」、「投手としてだけのポテンシャルなら大谷翔平を超える」などと話題になっているようです。
まとめ
今回は、2022年シーズンに史上最年少での完全試合も達成した千葉ロッテマリーンズ所属のプロ野球選手の佐々木朗希さんについてまとめてみました。
佐々木朗希さんは192cmの高身長から繰り出す最速164km/hのストレートとキレのあるスライダー、フォークボールを武器に圧巻の投球を披露し2022年のシーズンは4月時点において打者を寄せ付けないパフォーマンスを発揮しています。
岩手県陸前高田市の出身で、小学生の時に東日本大震災に遭遇して実家が流され父親と祖父母を亡くしたという辛い生い立ちを持ちますが、その後も野球に打ち込んで高校時代には「令和の怪物」と呼ばれるほどの投手へと成長。競合の末に千葉ロッテに入団しました。
家族は、母親と2人の兄弟がおり、母親の陽子さんはスラリとした美人で保健の営業マンをされています。兄弟は3歳年上の兄が琉希さん、歳の離れた弟が怜希さんです。
彼女については、中学高校を通じて歴代で3人の女性と交際していたとの証言が関係者から出ていますが、現在は彼女はいないそうです。恋愛はせずに野球に打ち込んでいるという事でしょう。ただ、結婚願望はあるようで、「タイミングが良ければ早くに結婚してもいい」とも発言されています。