心地よい透明感と、時に見る者を惹きつける色気で幅広い役をこなす名女優・大塚寧々さん。
その演技の源は暖かな家族を得たことでより磨きがかかったようですが、一度だけ離婚を経験しています。
大塚寧々さんの現在までの活躍を詳しくまとめたのでご紹介しましょう。
この記事の目次
大塚寧々のプロフィール&生い立ち
大塚寧々がアラフィフになっても自然体で美しい理由とは?
芸能界において美人な女性芸能人は男たちに翻弄されて性格が擦れていく人も少なくないですが、大塚寧々さんはいつまで経っても色褪せない透明感と美しさを保っています。その秘訣が何なのかを詳しくまとめたのでご紹介しましょう。
大塚寧々さんのプロフィールはこちら。
本名: 田辺 寧々(たなべ ねね)
生年月日: 1968年6月14日
出生地: 東京都
身長: 156cm
体重: 不明
血液型: B型
職業: 女優
ジャンル: テレビドラマ、映画
活動期間: 1988年 –
配偶者: 三代目魚武濱田成夫(1998年 – 2001年)、田辺誠一(2002年 – )
著名な家族: 息子
事務所: アストラル
大塚寧々さんは創作活動が好きで文系かと思えば実はテニスやスキー、そしてフィギュアスケートが得意だというスポーツ神経の良さをうかがわせる側面もあります。
大塚寧々さんのインドア趣味は読書や絵画、陶芸、書道などで、アウトドア趣味は写真撮影のようです。
女優として安定した活躍を見せながらもプライベートもしっかり楽しんでいる様子の大塚寧々さん。
元旦那である三代目魚武濱田成夫さんとの離婚を経て、現在は田辺誠一さんと子供と仲睦まじい生活を送っているようですが、まずはふたりの生い立ちや経歴からご紹介します。
大塚寧々の生い立ち&経歴
父親の影響でカメラに目覚めた大塚寧々
大塚寧々さんは貿易関係の外資系企業に務めていた父親の影響を色濃く受けたことで、写真や創作活動が好きになったようです。主張しない透明感のある魅力も家庭環境により身に付いたもののようですね。
大塚寧々さんは1968年6月14日に東京都で生まれました。
大塚寧々さんの名前の由来は、父親が海外でも呼びやすい国際的な名前にしたいという思いからつけられたようです。
大塚寧々さんは一人っ子だったようで、外資系企業務めの父親はよく海外に出張に行っていたようで、その度に現地の珍しいオルゴールを買ってきてくれたそうです。
母親は調理師免許を持っていたため、大塚寧々さんのためによくパンやお菓子を作ってくれたという。
大塚寧々さんは幼稚園時代にビールを麦茶と間違えて一気飲みしたエピソードがあるせいか、父親からは「品の悪いことはするな」とよく言われて育ったそうです。
大塚寧々は控えめな性格
古いものを大切にする家族の感性を引き継いで、大塚寧々さんも華美なものよりも落ち着いた雰囲気のものを好むようになったようです。
大塚寧々さんの父親がカメラ好きで、家には古いカメラがたくさんあったという。
また、母方の祖父母は骨董品好きだったため、大塚寧々さんは幼少期から家族の感性に影響を受けて落ち着いた人格が育っていったようです。
「母方の祖父が骨董品好きで、身の回りも骨董品だらけ。小学生のころだったと思いますが、祖父が中国の古い墨を2つ並べて、『どっちが本物?』と聞くんです。もちろん、全然わからない。でも、だんだん“主張しないモノの方が本物かな”と分かり始め、華美で派手より、控えめな方が美しいと感じるようになりました。(東京生まれなのに)都会も苦手、田舎が好きなんです」
こうしたエピソードから、現在の大塚寧々さんのゆったりとした美しい佇まいが分かるようですね。
フィギュアスケートをやっていた大塚寧々
大塚寧々さんは中学時代にフィギュアスケート部に所属していたようで、そのためスキーやスケートがとても得意になったようです。
大塚寧々さんは中高一貫校のミッションスクールに通っていたと言われています。
高校に上がると大塚寧々さんは父親の影響からカメラに興味を持ち始め、写真部に所属します。
大塚寧々さんは控えめな性格をしていたため女子高生ならではのいつでもつるんでいる感覚に馴染めず、いつも図書館でひとり読書をしていたそうです。
また、大塚寧々さんは高校時代に深夜に父親から強引に誘われて連れ出されたというエピソードがあるようですが、おそらく一緒に夜景を撮りに行っていたのでしょう。
大学時代、写真家になろうと思っていた大塚寧々
大塚寧々さんは日大芸術部写真学科に入学すると、日々写真を撮りまくっていたそうで、卒業後は写真家になろうと思っていたそうです。
しかし、大塚寧々さんはカメラマンになるというよりは世界中を旅して写真を撮りたいという願望があったようですね。
日大の芸術学部写真学科に進学したのも、「父親の影響で高校生のころに写真を始めたのですが、カメラマンになりたいと思っていたのではなく、世界中を旅したいという気持ちが強かったんです。行った先々で写真を撮り、写真展で生活できればと考えていました」という。
そして、写真に没頭する傍らで大塚寧々さんはテニスやスキーなど色々スポーツを楽しむ「ハゲパパーナ」というサークルに参加します。
大塚寧々、芸能界デビュー
母親の早とちりで芸能界入りした大塚寧々
大塚寧々さんの母親は写真にのめり込みすぎてカメラマンを目指しているのではないかと思い、食べていくことが難しい職業だと分からせるためにプロの撮影現場を見せてあげようと「週刊朝日」のモデル募集に応募しました。
大塚寧々さんは母親の応募により1989年に見事「週刊朝日」の女子大生シリーズの表紙でモデルデビューを果たすことになりました。
その後モデルとして活動しながらも事務所からは女優としての仕事の誘いが度々あったようですが、大塚寧々さんは他にも女優志望のタレントが多い中で特にやりたいと思っていない自分が女優デビューすることに気が引けていたそうです。
しかし、周囲が大塚寧々さんを熱心に説得した結果、女優も創作活動であると納得した大塚寧々さんは1992年に『君のためにできること(フジテレビ)』で女優デビューを果たしました。
「物を創りたいという気持ちが強かったので悩みました。でも、熱心に説得してくださる人たちが周囲にいて、女優の仕事も何かを創り上げることは同じだと思えるようなりました。引き返せない道を覚悟するのに時間がかかりましたけど」
そして、大塚寧々さんにとって女優としてのターニングポイントとなった人物は、ドラマの名演出家だった久世光彦さんとの出会いで、「役を作るな。その人になろう、ではなく、気持ちで動け」と教わり、女優としてひとつ皮がむけたそうですね。
大塚寧々の元旦那!三代目魚武濱田成夫と結婚・出産
大塚寧々、三代目魚武濱田成夫との結婚、離婚
なぜ大塚寧々さんが三代目魚武濱田成夫さんのようなクセの強い男性と結婚したのか疑問が多いようですが、馴れ初めは共著「写真詩集 虎と花」だったようです。
大塚寧々さんは前述の通り、写真家を目指していたほどカメラにのめり込んでいましたが、1996年には兵庫県出身のミュージシャンで詩人の三代目魚武濱田成夫さんと共著「写真詩集 虎と花」を出版しています。
大塚寧々さんは1998年に三代目魚武濱田成夫さんと結婚しているため、ふたりの馴れ初めはこの共著にあったと思われます。
しかし、この元旦那である三代目魚武濱田成夫さんはかなりアクの強い人間で、”自分を讃える詩”しか詠わないことをモットーにした詩人として知られています。
三代目魚武濱田成夫さんの作品である詩集を一部紹介すると…。
『君が前の彼氏としたキスの回数なんて俺が3日でぬいてやるぜ』
『おまえがこの世に5人いたとしても5人ともこの俺様の女にしてみせる』
『俺は君の乳首を世界一やさしく噛むために東京へきた。』
- 『俺は今日も好きなように生きてみる』
これだけでも一般的な感覚から逸脱した人物だとわかりますが、三代目魚武濱田成夫さんの詩集は、「強がりたい小市民がお酒に酔った時の魂の叫び」のようで一部に根強い人気があるようです。
この”三代目魚武”というのは実家の寿司屋「魚武」の三代目を継いだことに由来するようです。
三代目魚武濱田成夫の”自分を讃える”は本物だった
三代目魚武濱田成夫さんは”自分を讃える詩”に書いてあることはもちろん有言実行しており、まさに自己中心を極めたような人物だったようです。
大塚寧々さんと結婚した三代目魚武濱田成夫さんは、家にお金はいれず、子育てはせず、放蕩三昧で家には寄り付かないという彼の詩集『俺は今日も好きなように生きてみる』をそのまま実行していたため大塚寧々さんから三行半を突きつけられ3年で離婚となりました。
三代目魚武濱田成夫さんはその後独身ですが、大塚寧々さんとの間に「成虎(しげとら)」君という子供をもうけていました。
名前の由来は三代目魚武濱田成夫さんの”成”に、大好きな阪神タイガースの”虎”を持ってくるという”いかにも”なネーミングセンスですが、その後大塚寧々さんが再婚した田辺誠一さんからは我が子のように可愛がられて立派な少年に成長しているようです。
成虎君が肺炎にかかった時は田辺誠一さんは毎日病院を訪れてお見舞いしていたようで、大塚寧々さんが元旦那である三代目魚武濱田成夫さんの奔放ぶりについて悩んで相談をしていたところ愛が芽生えていったようですね。
不倫かどうかと言えばグレーなのかもしれませんが、家庭を顧みなかった三代目魚武濱田成夫さんにどうこう言えた筋ではないでしょう。
大塚寧々の現在の旦那は田辺誠一
田辺誠一の生い立ち&経歴
本名: 田辺 誠一(たなべ せいいち)
生年月日: 1969年4月3日
出生地: 東京都
身長: 182 cm
体重: 不明
血液型: A型
職業: 俳優
ジャンル: テレビドラマ・映画
活動期間: 1987年 –
配偶者: 大塚寧々(2002年 ‐ )
事務所: スタッフ・ポイント
田辺誠一さんは1969年4月3日に東京都で生まれ、その後4歳まで山口県吉敷郡小郡町(現・山口市)で育ち再び東京に戻りました。
田辺誠一さんは兄と二人兄弟で、小学校の頃から漫画のキャラクターを描くことが大好きだったという。特に「キン肉マン」が好きだったようです。
そして、田辺誠一さんは同時に熱心な野球好きで巨人ファンだったようで、兄と一緒に後楽園球場に年間30試合以上は観に行っていたという。
20時になると母親が迎えに来て場内アナウンスで呼び出していたようなので、常連には割と有名な兄弟だったのかもしれません。
野球少年だった田辺誠一さんはファーストだったようで、変化球を投げる練習に明け暮れていたという。
芸術と運動両方に打ち込んできた田辺誠一
田辺誠一さんは子供の頃からずっと水泳を10年間習っており、高校時代にはボート部に入っていた体育会系ながら、中学時代にはゴッホの作品を模写するなど芸術と運動の両方に情熱をかけていたようです。
現在の俳優としての田辺誠一さんを見るとその甘いルックスから文系のイメージがありますが、実はかなり体育会系でもあったようです。
高校時代の握力は55kgと相当な筋力もあったことが伺えます。
そして10代の頃から映画を撮ることにもハマっていたようで、16歳の頃に「Art Project Swim(アート・プロジェクト・スウィム)」という企画を立ち上げ、自主制作映画を始め、絵画、小説、写真といった創作活動に打ち込み、通産省・日経のデジタル部門の賞も受賞しています。
また、1986年のインターネット創成期にはすでに田辺誠一さん自身のホームページを開設するなど、時代をいち早く先取りもしていたようです。
田辺誠一、芸能界デビュー
田辺誠一、モデルとして芸能界デビュー
田辺誠一さんはその端正なルックスを活かして18歳の頃に『第2回 メンズノンノ専属モデル』に選ばれて芸能活動をスタートさせました。
応募総数5000人の中から『メンズノンノ』の専属モデルを勝ち取った田辺誠一さんは、まさに才能の塊と言えるでしょう。
その後1994年頃までモデルとして活躍し、田辺誠一さんは元々大の漫画好きであったことから多くの漫画に実名で登場したり、キャラクターとして起用されました。
そして、田辺誠一さんは1992年の23歳の頃に『熱い胸騒ぎ(TBS)』でドラマ俳優デビューを果たしました。
大塚寧々、田辺誠一と再婚
元旦那・三代目魚武濱田成夫とは違い家族思いな田辺誠一と再婚した大塚寧々
クリエイター魂に騙されて甲斐性なしの三代目魚武濱田成夫さんと結婚し離婚した大塚寧々さんでしたが、再婚した田辺誠一さんはその名の通りとても誠実な男性だったようです。
大塚寧々さんは息子の成虎君を連れて田辺誠一さんと2002年に再婚しました。
現在も三人仲睦まじい家族として幸せに暮らしているようです。
それが分かるエピソードとして、大塚寧々さんは田辺誠一さんのことを”誠吉”と呼び、自身は”寧々吉”と呼ばれているそうです。
とても仲の良い夫婦であるふたりは、2015年11月8日にプラチナのように輝き続ける夫婦に贈られる「プラチナ夫婦アワード」を授賞しています。
感性がぴったりな大塚寧々と田辺誠一
感性や価値観が似ていることは夫婦には重要
まったくタイプが違うというのもうまくいくパターンとして挙げられますが、やはり長く関係が安定して居心地が良いのは夫婦で感性や価値観が似ていることでしょう。その点大塚寧々さんと田辺誠一さんはぴったりのようですね。
大塚寧々さんは旦那である田辺誠一さんと「感じ方が似ている」、「価値観が同じ」だとして普段から自然体でいられることを語っています。
しかし、もちろん大塚寧々さんの中に無い感性も田辺誠一さんは持っていて、それが大塚寧々さんにとってはとても面白いようです。
「私とは違うマイワールドがあって、集中した時のこだわりが私よりすごいんです。話を聞き始めたら、買い物にも行けなくなっちゃうから、『結論が決まったら話して』って、いつも言っています」
田辺誠一さんは旅先で目的地を急に変えることが好きなことで知られていますが、家族旅行でもそれは同様で子供の成虎君もその影響を受けているようです。
「たとえば、家族旅行。主人の提案で急にホテルが変わったり国が変わったりします。少し前に沖縄へ行った時、主人が『明日、台湾に行く?』って。近いからって理由でね。たまたまパスポートを持っていたので行きましたが、最初に言われた時は『えっ?』ですよ。でも、そういうところが一緒にいて楽しいですよね。昔はびっくりしていた14歳になる息子も最近は慣れたようで、そういう提案に賛成する主人派になってきました。あはは」
大塚寧々、田辺誠一は理想の夫婦
夫婦で共演もする大塚寧々と田辺誠一
二人共役者であるため、作品やCMで夫婦役で共演することもあったようです。公私ともに自然体でいられる夫婦というのも少ないと思いますが、大塚寧々さんと田辺誠一さんの場合はまったくイヤミがありません。
大塚寧々さんと田辺誠一さんはユニクロや大塚家具のCMで夫婦で出演して、おしゃれで心安らぐ雰囲気を演出しています。
また、桐谷美玲さん主演の映画『恋するヴァンパイア』では、大塚寧々さんと田辺誠一さんは桐谷美玲さん演じる主人公の両親役を演じて話題となりました。
公私ともに夫婦で充実している関係について大塚寧々さんは以下のようにコメントしています。
「風通しのいい関係が理想です。嘘のない、なんでも言い合える関係というのは楽なものだし、楽なのが一番ですよね。実際の夫婦生活ですか? 一緒にいて本当に楽です。なんでも言い合える仲ですね」
大塚寧々さんを心からリラックスさせる田辺誠一さんは本当に最良の旦那だと思いますが、実の子供がいないのに連れ子だった成虎君をわが子のように愛しているのは田辺誠一さんの器の大きさだと言えるでしょう。
大塚寧々さんは田辺誠一さんが絵を描くことに夢中になっている姿も好きなようで、子供のようにキラキラしているのでしょう。
大塚は「面白い夫です」と思わず笑顔をこぼすし、「日々、面白いですね。うちの家族はみんな明るくて、いつも楽しいんですよ。絵を描いているときの夫は、楽しくて明るくて、幸せな感じがすごくするんです。楽しそうでいいなと思いながら見ています」と告白。
大塚寧々さんは夫婦関係を良好に保つ秘訣として、楽しいことでも辛いことでもちゃんと話して共有することだと語っています。
また、楽しくないことでも自分なりに工夫して楽しむことも重要なようで、できるだけ鬱屈した気持ちが家族に伝播しないように常に健やかにいることを心がけているようですね。
大塚寧々さんは財布を冷蔵庫に入れるなど天然なところもあり、田辺誠一さんは”画伯”と称される独特のイラストセンスをしていて家族を和ませるなど、心温まる家族エピソードには絶えないようです。
大塚寧々、劣化したと話題に?
大塚寧々の美しさ、かわいい容姿は劣化した?
誰であれ加齢が進むと劣化もするものですが、大塚寧々さんもネット上で「劣化した」「老けた」「ブスになった」と言われているようです。本当に大塚寧々さんの美しさが失われているのか検証してまとめました。
大塚寧々さんの劣化は2013年に出演したCM、「トランシーノ 第一三共ヘルスケア」で始めて言及されたようです。
このCMの大塚寧々さん、たるみが目立ってかなり老けてしまったと思います(´;ω;`)
この指摘に対して、「あ…ホントだ」「目の下のたるみとほうれい線が気になるね」と言ったコメントが上がりました。
しかし、「年齢相応」とする声も少なくなく、同年に放送されたドラマ「ラストシンデレラ(フジテレビ)」に出演した大塚寧々さんの容姿についても年齢相応の劣化と見られているようでした。
大塚寧々が、、劣化と言うか、、歳が、、隠しきれ無いと言うか、、何か切ない、、。
— けろりん。 (@kerorrin) 2013年3月2日
大塚寧々
— 暁美サドら@カープ系7.4-5参戦組 (@Kaela_MHF) 2013年9月21日
このレベルを保ってる45歳を
劣化したとか
贅沢すぎるで….
とはいえ、ツイッターでも言われているようにこの頃の大塚寧々さんは45歳なので、劣化と呼ぶには酷だとも言えるでしょう。
むしろ、整形や不自然なアンチエイジングに頼らずにナチュラルな美しさを保っている大塚寧々さんの健康的な努力を讃えるべきかもしれません。
そして、大塚寧々さんの演技力によっても年齢を感じさせない美しさは健在のようで、2016年に放送されたドラマ「怪盗山猫」に出演した時の反響が証明していたようです。
大塚寧々:美しく色気もある!「怪盗山猫」出演の”大塚寧々”が47歳とは思えない! https://t.co/lsdiy4J73A
— 奈月 (@cetd2w2e) 2016年12月20日
怪盗山猫 見終わった☝️
— させぼ@魔女部 (@sasebochapman) 2016年12月29日
6話くらいまではサクサクと楽しめたんだけども7話からなかなか見進められなくて時間かかっちゃった。
大塚寧々が相変わらずかわいい( ´ ▽ ` )
大塚寧々さんはアラフィフになってもかわいいと言われ、同時に色っぽさも失われていませんが、どうしたら変わらない美貌を保てるのでしょうか?
大塚寧々さんの美の秘訣についてまとめてみました。
大塚寧々の色褪せない美の秘訣とは?
『メレンゲの気持ち』で明かした大塚寧々の美の秘訣
大塚寧々さんは2016年3月12日に放送された『メレンゲの気持ち(日本テレビ)』で美しさを保つために気をつけていることについて語りました。
大塚寧々さんが日常生活で気をつけているという、美肌を保つための秘訣は以下のとおり。
・鳥のササミは蒸すか茹でる
・根菜、緑黄色野菜をしっかり摂る
・豚汁、筑前煮をよく食べる
・玄米を食べる
・就寝前は炭水化物を摂らない
「豚汁、筑前煮を食べる」などは「根菜を食べる」ということとほとんど同様かもしれませんが、大塚寧々さんの中での健康、美肌の秘訣は上記のとおりでした。
また、大塚寧々さん宅では沖縄の野菜や果物を元に作られている酵素ドレッシングを使用しているようで健康には欠かせないようです。
”みんなで選ぶベストお取り寄せ大賞2015”で準優勝を受賞した話題のドレッシングだということです。
大塚寧々、ウォーキングは健康の基本
普段は特にスポーツをしていないという大塚寧々さんですが、ウォーキングは大好きでよく愛犬のもちと散歩にも出かけているようです。
田辺誠一さんのLINEスタンプのキャラクター・もっちーのモデルになっている愛犬のトイプードル、もちちゃん。
大塚寧々さんのウォーキングに付き合う良きパートナーのようです。
家政婦は見たわん pic.twitter.com/61gMoWSFGI
— 田辺誠一 (@tanabe1969) 2017年6月19日
また、美肌と言えばやはり美白ケアは欠かせないでしょう。
大塚寧々さんが愛用しているコスメは、自身もCMに出演していた『トランシーノtransino薬用ホワイトニングリペアクリーム』のようです。
大塚寧々さんのナチュラルメイクは色白美肌が無いと成立しないでしょう。
そして、大塚寧々さんの健康的な美貌の最大の秘訣はストレスを溜め込まないこと。
普段から「面白いことを見つけるタイプ」だと自身で語り、時間を決めてどこまで掃除ができるか挑戦してみたり、短時間でおいしい料理作りにチャレンジしたりと日常から生活をより面白くする工夫をしているそうです。
毎日を楽しく過ごしている大塚寧々さんだからこそ、ストレスフリーな美肌が手に入るのでしょう。
大塚寧々のかわいい髪型&美しい画像特集
若々しい美貌に溢れる大塚寧々
この頃は30代でしょうか。まだ現在よりふっくらしていて大塚寧々さんの美貌の全盛期かもしれません。
40代でより大人の色気が増した大塚寧々
年齢相応に痩せた感じのある大塚寧々さんですが、30代までとはまた違った色気があります。
タケダ Vitamin SaladのCMの大塚寧々
大塚寧々さんはかわいいと美しいを絶妙なバランスで醸し出しています。
アップにした髪型もかわいい大塚寧々
大塚寧々さんは透き通るような美しさをしています。
髪型が変わるとガラリと印象が変わる大塚寧々
こういう髪型にするとまるで大学生のように見えてしまう大塚寧々さん。
20代のモデル時代の大塚寧々
20代モデル時代のかわいい大塚寧々さん。
大人の魅力全開の大塚寧々
大塚寧々さんの何気ない仕草と目線に大人の色気が漂っています。
まさに美しいアラフォー女性の大塚寧々
大塚寧々さんは佇まいから美しさがにじみ出ています。
ドレスアップして美しい大塚寧々
この胸元の開いたドレスは大塚寧々さんの美しさを最大限に魅せているでしょう。
大塚寧々についてまとめると…
あまりに個性的すぎる三代目魚武濱田成夫さんとの結婚と離婚を経て、癒し系イケメン俳優の田辺誠一さんと再婚した大塚寧々さんについてまとめてきました。
大塚寧々さんは本当になぜ三代目魚武濱田成夫さんと結婚したのかが不思議ですが、現在は田辺誠一さんとは芸能界でも随一のお似合い夫婦でしょう。
子供の成虎君は芸能界で俳優をするのかにも今後注目が集まりそうです。