沈没事故を起こした遊覧船「KAZU Ⅰ」の会社「知床遊覧船」の桂田精一社長が批判されています。
この記事では桂田精一社長の年齢や生い立ち、父親や母親、兄弟などの家族や結婚した嫁、子供、自宅、陶芸家の経歴、知床遊覧船の運営会社や経営ホテル、記者会見への批判についてまとめました。
この記事の目次
- 桂田精一は知床半島沖で遊覧船沈没事故を起こした知床遊覧船の社長
- 桂田精一の年齢は58歳(知床遊覧船の事故発生時点)
- 桂田精一の生い立ち
- 桂田精一の実家は祖父の代からのウトロの有力者一族
- 桂田精一の家族① 父親は町議会議員を長年務めた地元の有力者・桂田鉄三
- 桂田精一の家族② 母親は有限会社しれとこ村の元代表取締役
- 桂田精一の家族③ 兄弟
- 桂田精一の家族④ 2度の結婚歴があり1人目の嫁とは10年ほど前に離婚
- 桂田精一の家族⑤ 現在の嫁は20歳くらい年下との情報も
- 桂田精一の家族⑥ 子供は3歳と0歳(2022年時点)の2人か
- 桂田精一の自宅
- 桂田精一の経歴① 地元の小中学校を経て北海道網走南ヶ丘高校を卒業
- 桂田精一の経歴② 陶芸家をしていた
- 桂田精一の経歴③ 離婚後に地元に戻り有限会社しれとこ村の取締役に就任
- 桂田精一の経歴④ 2015年に代表取締役になり4館のホテルを展開
- 桂田精一の経歴⑤ 経営を拡大するも莫大な借金があるとの情報も
- 桂田精一の経歴⑥ 2017年に観光船会社「知床遊覧船」を購入…コンサルの言いなりだった?
- 桂田精一の知床遊覧船事故での会見も酷い
- まとめ
桂田精一は知床半島沖で遊覧船沈没事故を起こした知床遊覧船の社長
桂田精一は、2022年4月23日に北海道知床半島沖合で乗客乗員合わせて26名が乗った遊覧船「KAZU Ⅰ」が沈没した事故で、同遊覧船を運航していた会社「知床遊覧船」の社長です。
知床遊覧船の沈没事故発生後のメディア報道により知床遊覧船の杜撰な安全管理や、横暴な経営姿勢などが次々と明らかにされ、社長の桂田精一の責任を追求する批判の声が高まっています。
今回はこの桂田精一について、これまでにわかっている内容をまとめていきます。
桂田精一の年齢は58歳(知床遊覧船の事故発生時点)
出典:https://static.hokkaido-np.co.jp/
桂田精一のFacebookアカウントは特定されており、それに記載されていたデータから生年月日は「1963年6月29日」のようです。(現在は生年月日の項目は削除されている)
なので、桂田精一の年齢は「KAZU Ⅰ」の事故が発生した2022年4月の時点で「58歳」です。
この年齢については複数のメディアが同様に報じているので間違いないと思われます。
運航会社「知床遊覧船」(北海道斜里町)の桂田精一社長(58)
桂田精一の生い立ち
桂田精一の生い立ちについては、1963年6月29日、知床遊覧船の拠点の港になっていたウトロ漁港のある北海道斜里町の生まれで、地元でも知られた有力一族の出身である事などがわかっています。
次の見出しから、桂田精一の実家の家族や生い立ちから現在までの経歴などについて紹介していきます。
桂田精一の実家は祖父の代からのウトロの有力者一族
桂田精一の実家は、北海道斜里郡斜里町にある事がわかっています。
桂田精一の実家は、祖父の代から地元で力を持つ有力者一族で、過去には「桂田商店」として、ウトロ漁港で、食品や米、雑貨からガスまで独占的に商売して利益を上げていたようです。
しかし、時代が下るにつれて、スーパーや農協などが台頭して独占的な商売はできなくなり、桂田精一の実家は次第に凋落し、桂田精一の父親が旅館業、その兄(桂田精一の叔父)が建設業と別々の商売を始めています。
その後、桂田精一の実家の父親は旅館業で成功し、町議や地元神社の宮司なども務める地元の名士と呼ばれる存在になっています。そんな父親の長男として生まれ、寵愛されて育てられたのが桂田精一でした。
桂田精一の家族① 父親は町議会議員を長年務めた地元の有力者・桂田鉄三
桂田精一の父親の桂田鉄三氏は上でも触れたように地元の有力者で、知床遊覧船の事故が発生した当時の年齢は87歳と高齢ですが現在も存命で、ホテルチェーン「しれとこ村グループ」のオーナーであり、知床遠音別(おんねべつ)神社の宮司も務めています。
週刊文春(4月27日配信の有料版)などの報道によると、桂田精一の父親の桂田鉄三氏は、旅館業を発展させて1996年に民宿「しれとこ村」を設立し、程なくして宮司の資格を取得して知床遠音別神社の宮司を務めるようになっています。
さらに、1999年には斜里町議会議員選挙に立候補して当選し、それ以降6回連続当選して2019年に落選するまで20年にわたって斜里町議を務めていました。
なお、「週刊新潮」2022年5月5・12日号によると、この父親の桂田鉄三氏が、知床遊覧船の事故後にある知人に「たまたま、今年から掛け金が高い保険に入っていてよかった。」などと信じがたい発言をしていたという証言もどこかからか出ているようです。
事故後、元斜里町議である社長の父親はさる知人に、次のような聞き捨てならないことを口にしていたという。
「たまたま、今年から掛け金が高い保険に入っていてよかった。それにしても、船長がなぁ。海の状況に合わせて操縦する技術もないんだから」
桂田精一の家族② 母親は有限会社しれとこ村の元代表取締役
桂田精一の母親についてはほとんど情報がありませんが、週刊文春(4月27日配信の有料版)の記事によると少なくとも2005年の時点では、桂田精一の実家が経営する「有限会社しれとこ村」の代表取締役を務めていたようです。
桂田精一の家族③ 兄弟
桂田精一の兄弟については現在のところ全く情報がありません。
ただ、週刊文春(4月27日配信の有料版)の記事によると、桂田精一は長男として生まれたという事なので上の男兄弟はいないようです。
桂田精一の家族④ 2度の結婚歴があり1人目の嫁とは10年ほど前に離婚
桂田精一には、これまでに2度の結婚歴がある事がわかっています。
桂田精一の1度目の結婚の時期については不明ですが、知床遊覧船の事故発生の時期から見て約10年ほど前にこの嫁と離婚したという情報が出ています。
1人目の嫁との離婚は「(桂田精一が)お金にだらしがなかった」事が一因になったとの関係者証言も報じられています。
はたから見ると裕福な印象でしたが、実際はそうではなかった。お金にだらしなく、それが一因で10年ほど前に奥さんと離婚した。その後、今の奥さんと再婚しましたが、事業を拡大し続け、借金を重ね、銀行からお金を借りられないくらい、借金が増えていたようです。
桂田精一の家族⑤ 現在の嫁は20歳くらい年下との情報も
桂田精一は1人目の嫁との離婚後、現在の嫁と再婚しています。
この桂田精一の2度目の結婚については、2018年発行の斜里町の広報誌「広報しゃり」に、桂田精一とみられる人物の2人目の嫁との結婚情報が掲載されていました。
これによると、桂田精一と見られる人物と嫁が結婚届を提出した日は2018年6月25日となっています。
この桂田精一の現在の嫁については、「週刊新潮」2022年5月5・12日号が、斜里町住民からの証言として、「桂田精一よりも20歳くらい若い事」、「(知床遊覧船事故の)少し前に子供を出産している事」などを明らかにしています。
事故後に行方をくらました問題の会社「知床遊覧船」の社長の名は、桂田精一氏という。地元斜里町で代々伝わる家の出である。
「奥さんは社長より20歳くらい若くてね、少し前に出産しているんです」
とは、桂田氏が暮らす斜里町の住民。
桂田精一の家族⑥ 子供は3歳と0歳(2022年時点)の2人か
上記のように、桂田精一には2度目の嫁との間に生まれたばかりの子供がいるという情報が出ていますが、この子供についても、2018年発行の斜里町の広報誌「広報しゃり」に、桂田精一の1人目の子供に関すると思しき情報が掲載されていました。
広報しゃりの掲載情報によると、桂田精一の1人目の子供は2018年12月7日に誕生しており娘のようです。結婚と子供誕生の時期から見て、子供ができたから結婚したといういわゆる「授かり婚(できちゃった婚)」だったようです。
また、桂田精一には現在の嫁との間には2人目の子供おり、この子供は、遊覧船「KAZU Ⅰ」が沈没する数日前に生まれたばかりだったという噂も流れているようです。この2人目の子供については確たる情報源が見当たらず、真偽不明の情報となっています。
桂田社長には亡くなった七菜子ちゃんと同じ3才の娘がいるそうだけど、その娘がもしKAZU1に乗りたいと言っていたら、乗せたのかしらね、聞いてみたいです。
— 紫りんご (@qFhkWaXaJKnqPyd) April 29, 2022
また、事故当日は第二子出産した奥様が産院から退院する日だったから、迎えに行ったとか。#桂田精一
桂田精一の自宅
桂田精一の自宅の正確な位置は現在のところ特定されておらず不明です。
ただ、大手メディアは桂田精一の自宅を直撃取材しているため、場所はわかっているようで、斜里郡斜里町内にあるのは間違いないようです。
日刊ゲンダイ記者が桂田社長の自宅を訪れたのは30日午後。
なお、桂田精一は、自宅を直撃取材した記者らに応じようとせず、「ここに入ったらダメだ」などと威圧しているという事でした。
桂田社長は表情一つ変えず、記者の顔も目も見ようともせず、強い口調でこう言い放ったのだ。
「ここ(自宅敷地)に入ったらダメだ」
そして、再び、車に乗り込むとどこかへ走り去ってしまったから唖然茫然。
桂田精一の経歴① 地元の小中学校を経て北海道網走南ヶ丘高校を卒業
桂田精一の経歴についてもわかっている内容をまとめていきます。
週刊文春(4月27日配信の有料版)の記事によると、桂田精一は地元の小中学校を卒業後、1979年に「北海道網走南ヶ丘高校」に入学しています。この高校は父親の桂田鉄三氏の出身校でもあるようです。
高校時代の桂田精一については、当時の同級生によると、どういった事情か実家を出て下宿から高校に通っていたそうで、服装だけ不良っぽくした「ファッション不良」だったのだそうです。
その他に、授業中は後ろの席でよく居眠りしていた事や、応援団に所属して野球部の試合で応援歌を歌っていたなどの情報が出ています。
桂田精一の経歴② 陶芸家をしていた
桂田精一は北海道網走南ヶ丘高校を卒業後、実家を離れて、茨城県工業技術センターで陶芸の技術を学び、その後、都内に移住して大手企業からの支援を受けて陶芸家として活動していたようです。
桂田精一は陶芸家としてはそれなりの成功を収めていたようで、有名百貨店で何度も個展を開くほど作品が認められていたという事でした。
知床遊覧船の事故が発生する以前に配信されたダイヤモンドオンラインの記事で、とある大物経営者が桂田精一の陶芸家の過去について触れていました。
2017年夏、私は妻と世界遺産の知床に行きました。
宿泊は、経営サポート会員でもある有限会社しれとこ村(北海道、旅館業)。いい宿ですが、桂田精一社長は有名百貨店で個展を行うほどの元陶芸家で、突然ホテル経営を任され、右も左もわからないド素人。
桂田精一の経歴③ 離婚後に地元に戻り有限会社しれとこ村の取締役に就任
桂田精一の1度目の結婚はこの陶芸家時代だったようです。しかし既に触れたように金銭的なだらしなさが一因となってこの嫁とは離婚し、その離婚後の2005年に陶芸家を辞めて斜里郡斜里町の実家へと戻っています。
当時41歳だった桂田精一は、実家が経営していた旅館業の「有限会社しれとこ村」の取締役に就任しています。(当時の代表取締役は母親)
桂田精一の経歴④ 2015年に代表取締役になり4館のホテルを展開
桂田精一は、2015年4月に母親の後を継ぐ形で「有限会社しれとこ村」の代表取締役に就任しています。
代表取締役に就任した桂田精一は変にやる気を出したのか、中小企業向けの経営セミナーに参加し、知床の観光資源を活かした観光業を中心とした多角経営を目論んだようです。
桂田精一は経営の多角化を進め「しれとこ村グループ」として、地域に4館のホテルを経営する一大ホテルチェーンとして経営を展開しました。
桂田精一の経営しているホテルは、母体となった旅館のほかに、「国民宿舎桂田」、「ホテル地の涯」、「海に桂田」などがあるようです。
世界遺産「知床」地区で「国民宿舎桂田」「ホテル地の涯」「海に桂田」など複数の宿泊施設を経営。
桂田精一の経歴⑤ 経営を拡大するも莫大な借金があるとの情報も
「しれとこ村グループ」の経営の多角化を押し進めた桂田精一は、ホテル業の他にも、加工品製造会社や土産物販売、飲食店、ネットショップ(ECサイト)など事業を拡大しています。
しかし、経営者としての才能には欠けていたようで、事業拡大のために無理な借金を重ね、新型コロナウイルスの影響もあって経営は傾いており、2020年頃からは銀行からの新規融資を受けられなくなるほどの多額の借金を抱えているという情報も出ています。
桂田社長は遊覧船以外にも、世界遺産「知床地区」で4軒の宿泊施設と加工品製造会社、土産物販売店、食堂、ネットショップなどを経営する資産家。斜里町商工会の理事を務めている。ただ、新型コロナの影響もあり近年は経営が苦しく、多額の借金を抱えているという話もある。
事業を拡大し続け、借金を重ね、銀行からお金を借りられないくらい、借金が増えていたようです。
桂田精一の経歴⑥ 2017年に観光船会社「知床遊覧船」を購入…コンサルの言いなりだった?
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
桂田精一は、2017年に観光船会社「知床遊覧船」を4000万円で創業者から買い取っています。
知床遊覧船の創業者である前の社長は、しっかりとした経営者だったそのなのですが、桂田精一はその前社長が育てた優秀な船長やスタッフを次々と解雇にし、ネットの求人広告で安い賃金で集めた人材でこの会社を運営しており、最低限の安全対策などにもまともに資金を出していなかったようです。
また、桂田精一は経営の素人であり、知床遊覧船を買うなどの行動はコンサルタント(武蔵野社長の小山昇氏)の言いなりだったという話もあります。
■“経営の素人”桂田氏が「はい」「YES」「喜んで」ですぐ実行した
「運よく何もわからないから、小山昇氏にアドバイスされたことは『はい』『YES』『喜んで』ですぐ実行した」
経営の素人だった桂田社長は、小山昇氏に指示された通りに実行していったという。記事では今回沈没事故を起こした「知床遊覧船」のほか、地元ホテルを桂田氏が買収した際の話にも触れられている。
その矢先に、今回の「KAZU Ⅰ」の沈没事故が発生したという経緯だったようです。
桂田精一の知床遊覧船事故での会見も酷い
桂田精一は、知床遊覧船事故発生から5日が経過した4月27日にようやく記者会見を開きました。そして、この記者会見での桂田精一の様子もいくつかの点で猛烈な批判を呼んでいます。
桂田精一の記者会見に対する批判① 原稿を丸読み
桂田精一の記者会見では、読み間違いや記者の質問にまともに答えらえない場面が多かった事などから、誰か別の人物が作成した原稿をまる読みしているだけだという批判が多く出ています。
桂田精一社長の記者会見。所存を「しょざい」と読む。おそらく誰か別の人が原稿作ったんだろうな。これを読めないような人が経営者とはね。
— クラウス (@Klaus_Sco) April 27, 2022
桂田精一の記者会見に対する批判② ネクタイが派手な赤
桂田精一は、この記者会見になぜか真っ赤な派手なネクタイをして現れました。
自分の責任で大勢の人が亡くなっているにも関わらず、派手なネクタイの色を選ぶのはあまりにも非常識すぎるのではと批判の声が殺到しています。
何で人が大勢亡くなってる事故の謝罪会見に真っ赤なネクタイしてくるの?勝負ネクタイ?#知床遊覧船 #桂田精一
— ボルニキ (@ballniki1) April 27, 2022
桂田精一の記者会見に対する批判③ 反省の様子が全くない
そもそも、記者会見時の桂田精一の態度に反省の様子が全く見えないという批判も多く見られます。
確かに、肘をついて話したり、呼び出されてから長い間出てこなかったり、所々語気を荒げたりといった場面が目につきました。
#桂田精一
— あーーーーき (@791122Tomoaki) April 27, 2022
会見見てるけど、肘ついて喋る。これは反省してないよね!
桂田精一の記者会見に対する批判④ 責任を押し付けようとしている
桂田精一は記者会見中も、天気予報や「KAZU Ⅰ」の船長のせいと言わんばかりの発言を繰り返し、挙げ句の果てには客に対してまで責任を押し付けようとしているような発言が見受けられました。
また、「沈没はクジラに突き上げられた可能性がある」などと自分には責任がないと言わんばかりのメッセージを、自身が経営する宿泊施設の従業員向けに送信していた事なども、この記者会見後に明らかになっています。
肝心なことは船長に責任をなすりつけ、あげくに「クジラに当たった可能性もある」と言いだしたとかで、あきれて二の句がつげない 。
桂田精一の記者会見に対する批判⑤ 土下座がパフォーマンスにしか見えない
桂田精一は記者会見中に合計3度土下座をして見せましたが、この土下座もわざとらしくパフォーマンスにしか見えないといった批判が多く出ています。
憔悴しきった姿で謝罪の意を表すものだが、この人には心からの謝罪や反省の態度がまるで見られなかった。会見ではよそ見したり、上目遣いを見せたりと〝挙動不審〟。3度の土下座もパフォーマンスにしか見えなかった。
桂田精一の記者会見動画全編
桂田精一の記者会見の動画も紹介しておきます。
まとめ
今回は、2022年4月23日に沈没事故を起こした遊覧船「KAZU Ⅰ」の運行会社である「知床遊覧船」の社長・桂田精一についてまとめてみました。
桂田精一は、北海道斜里郡斜里町で地元の名士と呼ばれている実家で生まれ育った生い立ちを持ちます。
家族は、父親は斜里町議員を20年にわたって務め、地元の神社の宮司も務めた有力者である桂田鉄三氏である事などがわかっています。
また、桂田精一には2度の結婚歴があり、現在の嫁は20歳くらい年下で、2018年にいわゆるできちゃった婚で結婚した事も判明しています。子供については2018年に生まれたまだ幼い娘の存在が判明してます。また、事故の数日前に2人目の子供が生まれたばかりという情報も出ていますが、これについては現在のところ真偽不明です。
経歴については、地元の高校を卒業後に実家を離れて茨城県工業技術センターで陶芸を学び、その後は東京都内で陶芸家として活動し、何度か有名百貨店で個展も開催していたという事です。
その後、1度目の結婚と離婚を経て地元へと舞い戻り、2005年からは実家の経営する「有限会社しれとこ村」の取締役に就任しています。
2015年に有限会社しれとこ村の代表取締役に就任すると、4館のホテル運営や土産物屋、ECサイト、加工製造会社など張り切って多角経営に乗り出したものの、莫大な借金を抱えるに至り、2020年頃には銀行からの新規融資を受けられなくなるほど経営は傾いていたという事です。
2017年には「知床遊覧船」を創業者から4000万円で購入していますが、それまでのベテラン船長やスタッフ達を次々と解雇し、経験の浅い船長やスタッフをネット求人で募集して運営しており、基本的な安全対策を怠るなど杜撰な経営を行なっていたようです。そんな矢先に発生したのが今回の「KAZU Ⅰ」沈没事故でした。
桂田精一は事故発生から5日目にようやく記者会見を開きましたが、その時の態度があまりにも酷いと批判を浴びています。