2018年8月に山口県で行方不明になっていた男の子を救出した大分県日出町在住の“スーパーボランティア”尾畠春夫さん。
尾畠春夫さんの経歴や家族(嫁・子供)について、そして本の内容や名言、現在の活動について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
尾畠春夫のプロフィール
2018年に時の人となったスーパーボランティア・尾畠春夫
尾畠春夫さんは2018年8月に山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児をその豊富な経験と勘から見事な救出劇を見せ、それまでの素晴らしいボランティア活動も紹介されたことから”スーパーボランティア”として一躍時の人となりました。
本名: 尾畠 春夫(おばた はるお)
生年月日: 1939年10月
出身地: 大分県国東市安岐町
国籍: 日本
職業: ボランティア活動家
著名な実績
大分県「ごみゼロおおいた作戦功労賞」(2012年)
環境省「平成26年度地域環境美化功績者表彰」(2014年)
大分県「日出町功労者表彰」(2018年)
大分県「大分県功労者表彰」(2018年)
引用:Wikipedia – 尾畠春夫
尾畠春夫の生い立ちと経歴~スーパーボランティアになるまで
尾畠春夫、小5で農家に丁稚奉公に出される
尾畠春夫の父親は下駄職人だった
尾畠春夫さんは大分県東国東郡安岐町(現・国東市安岐町)で誕生し、子供の頃に現住所である杵築市に引っ越してそこで育ちました。
尾畠春夫さんの父親は下駄職人をしていましたが、当時はゴム製の靴が開発され始めた頃だったため経営は圧迫されて生活は決して楽ではなかったようです。
尾畠春夫さんの母親は専業主婦をしていましたが、小学校5年生の頃に突然他界してしまい、最愛の母親を亡くしたことで以降尾畠春夫さんの人生に大きな影響を与えることになりました。
父親は男手ひとつで尾畠春夫さんを含めた7兄弟を育てることになりますが、時代の変化についていけず下駄が全く売れないことに自暴自棄になり、父親はお酒に現実逃避するようになりました。
当時、兄弟の中でも食欲旺盛だった尾畠春夫さんは、「大飯食らいだから」という理由で小学校5年生にして近所の農家に奉公に出されていました。
最初は捨てられたと思い父親を恨んでいた尾畠春夫さんでしたが、生来の前向きな性格が幸いして奉公先の家族を実の家族だと思うようにしていく中で、奉公での経験が自分を大きく成長させてくれていることに気づいたことから父親にいつしか感謝するようになりました。
しかし、尾畠春夫さんは中学校には4ヶ月しか通えなかったそうです。
尾畠春夫、中学校卒業後に鮮魚店で働き始める
姉の勧めで鮮魚店にお世話になった尾畠春夫
尾畠春夫さんはニュースなどで「ボランティアの前は鮮魚店を営んでいた」と伝えられていましたが、中学卒業後に姉の勧めで鮮魚店にお世話になるようになりました。
姉が鮮魚店を勧めたのは尾畠春夫さんが兄弟の中でもとりわけ元気が良かったからのようです。
尾畠春夫さんは父親から鮮魚店のある別府に向かうための切符代として30円をもらいましたが、それは片道切符分のお金であり”帰ってくる”という選択肢がないことを突きつけられました。
尾畠春夫さんは鮮魚店で奉公するようになり、そこで食事としてアラの煮付けなど鮮魚店ならではのメニューが出ていましたが、実家では毎日芋かかぼちゃだったため「こんなに美味しいものがあるのか」と感動したようです。
尾畠春夫さんは別府の鮮魚店で3年間お世話になった後に下関にある鮮魚店でふぐのさばき方など修行を3年間積みました。
そして、尾畠春夫さんはその後神戸の鮮魚店に移って魚のさばき方からお客さんとのコミュニケーションの取り方までみっちり4年間修行したそうです。
尾畠春夫、別府市内に鮮魚店「魚春」を開業
開業資金を稼ぐために上京した尾畠春夫
独立できる技術を得たものの安月給でほとんど貯金が無かった尾畠春夫さんは開業資金を稼ぐために上京して大田区大森にある鳶・土木会社に頭を下げて雇ってもらいました。
持ち前の情熱で鳶・土木職でも力を発揮した尾畠春夫さんは会社から棟梁として残って欲しいと打診を受けますが、鮮魚店を開業する夢を叶えるために1968年(昭和43年)に大分に戻って同年4月に結婚しました。
尾畠春夫さんが現在スーパーボランティアとして各地で活躍できているのは、この時の土木会社で働いた経験がとても生きているようです。
尾畠春夫さんは別府市内に鮮魚店「魚春」を開業し、明るく丁寧な接客が評判を呼び地元で人気店に成長していきました。
尾畠春夫、登山とボランティアを始める
40歳の頃から登山を始めた尾畠春夫
尾畠春夫さんは40歳を迎えた頃から趣味で登山をするようになり、45歳で北アルプス55山を単独縦走したほか、1993年頃からは由布岳の登山道をボランティアで整備するようになりました。
尾畠春夫さんの由布岳での長年に渡る地域保全、清掃のボランティアが環境省から認められて2014年に「地域環境美化功績者表彰」を受賞しています。
そして、尾畠春夫さんは「支えてくれた人々への感謝と恩返し」を理由に65歳の頃に鮮魚店を閉店させると本格的なボランティアとして全国各地に奔走し始めました。
尾畠春夫の家族(嫁・子供)情報…嫁とは別居状態だった
尾畠春夫、自身の家族についてテレビ番組で語る
尾畠春夫の嫁や子供の詳細は不明
尾畠春夫さんは一般人のため嫁や子供などは詳しく露出されていませんが、家族構成は妻、息子、娘、孫娘1人、孫息子4人と紹介されています。
2018年8月17日に放送された情報番組『情報ライブ ミヤネ屋(日本テレビ系)』で尾畠春夫さんの家族について質問する一幕がありました。
尾畠春夫さんの息子さんは自宅から2分ほどの近所に住んでおり、取材当日にもお弁当を届けてくれたことを語っていました。
しかし昭和43年に結婚した尾畠春夫さんの嫁について質問が及ぶと、わずかに戸惑いを見せながらも別居状態にあることを明かしました。
レポーターが「奥さんはどちらに?」と質問すると、尾畠さんは、
「奥さんは……」
と少し言いよどんだあと、
「5年前にちょっと用事があって出かけて……まだ帰ってない」
と、回答の後半からは、歯を出して笑いながら答えた。ご機嫌な様子にも見えるが、照れ隠しのように見えなくもない。
当時、この放送を観た視聴者はツイッターなどで「嫁と別居状態?」「もしかして嫁さんは亡くなってる?」と言った憶測が飛び交っていたようです。
尾畠春夫さんの情熱大陸録画やっとみた〜…苦労されてきたからこそ人に優しいし、人に優しいから愛されるし。愛される反面、私生活では奥さんと別居されてたりして。人生ってそういう側面があるよな。
— クミム天狗 (@amearare1982031) 2018年9月27日
尾畠春夫さんの奥さんは5年前に用事があって出掛けたまま留守で、尾畠さん只今独り暮らしらしいんだけど、あたしも用事があるのでそろそろ出掛けても良いんじゃないかなって思ってる。
— みやび❄️ (@USwpz) 2018年8月17日
その後の2020年3月、尾畠春夫さんは再び「2014年3月12日からは妻と別居中であること」を口にしています。
尾畠春夫のボランティア経歴…スーパーボランティアとして一躍時の人に
尾畠春夫、山口県行方不明2歳児発見で一躍有名に
ボランティアで数々の賞を受賞した尾畠春夫
尾畠春夫さんの経歴は以下のようになっています。
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
2歳男児・藤本理稀ちゃんの捜索に単独でボランティアとして参加した時の尾畠春夫さんのインタビュー動画がこちらです。
尾畠春夫さんは「たぶん子供だから下に下るということはまずないとまず現場から上に上がっていくっていうのが子供の習性なんだと私は思ってた」と発言しており、長年の経験から子供の居場所を特定できたようです。
えーとねーあのー私はこの経験今年になって2回目なんです
九州の大分県の~でマサくんみたいに2歳の女の子が行方不明になって
次の朝にみんなで捜索して探し出したって経緯があったから
たぶん子供だから下に下るということはまずないと
まず現場から上に上がっていくっていうのが子供の習性なんだと私は思ってたから
だから上がって行ったらまあぴったし当たったっていうか
2018年9月3日…長年のボランティア活動が認められ大分県から「大分県日出町功労者表彰」を受賞。
尾畠春夫さんが「2018 ユーキャン新語・流行語大賞」で受賞を辞退して表彰式にも出席せずボランティア活動に従事していることについて、司会者は「頭の下がる思いです」と恐縮していました。
尾畠春夫の著書本『一歩前へ』が刊行延期トラブルに
尾畠春夫、著書本出版トラブルに激怒「これは違反本です」
尾畠春夫は人生初の著書『一歩前へ』を2018年10月12日に出版予定だったが…
尾畠春夫さんの人生初となる著書『一歩前へ』が2018年10月12日アチーブメント出版から出版される予定でしたがトラブルにより発売延期のアナウンスがされました。
尾畠春夫さんはアチーブメント出版からの出版オファーに対してサインをしていなかったにも関わらず、強引に出版に踏み切ろうとしたため「違反本」として憤りの声を挙げたため出版延期がアナウンスされていました。
「出版の了解については、サインして判を押すことが法律的に必要だと聞いている。私は、それは一切していません」
そう憤るのは、当の尾畠さんだ。
「出版社は『これは違反本です』と書くべきです。私は、自分で本を出すことは考えていません」(同前)
改めてアチーブメント出版に確認を求めたところ、「12日の発売日は延期します」として、以下のように回答した。
「尾畠さんからは『出版を希望する各社が足並みを揃えた形なら、契約する』と言われたので、尾畠さんの望まれる形にしたい」
しかし、結局、現在までこの『一歩前へ』は出版されておらず、代わりに『尾畠春夫 魂の生き方』という著書が南々社より出版されて、これが尾畠春夫さんの事実上の初出版となっているようです。
もしかしたら”出版希望の各社が足並みをそろえた”ため、印象を悪くしたアチーブメント出版ではなく取りまとめた南々社から出版したのかもしれません。
尾畠春夫の名言が深すぎるとネット上で話題に…
尾畠春夫の感動的な名言集
尾畠春夫の名言が深すぎると話題に
45歳から人生を社会貢献に注ぐためボランティアに従事してきた尾畠春夫さんの名言が深いとネット上で話題になっていますので一部をご紹介します。
【尾畠春夫さんの名言集】
・「現地のお世話になってはいけない。自己完結、自己責任」
・「何も求めないのが、私は真のボランティアだと思うんですよ」
・「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」
・「世の中には重たいものはいっぱいあると思いますけど、人の命より重いものはこの地球にないと思ってるんです」
・「日本っちゅう国は資源の無い国じゃから。だけど知恵が無限にあるんですよ」
・「どの出来事も脳裏に焼き付いている。良い悪い、軽い重いなんてない」
・「かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め」
尾畠春夫が東京から大分まで1320kmを徒歩で帰宅しようとするも途中断念
尾畠春夫、見物人殺到でなかなか前に進めない事態に
尾畠春夫は2019年1月19日から東京→大分の自宅まで徒歩で帰る
尾畠春夫さんは2019年1月18日に東京都練馬区の貫井中学校で講演をした翌日から、「世界のこどもたちの幸福をねがう旅 79歳と3ケ月の挑戦」と書いた手作りの旗を背負って東京から自宅のある大分県速見郡日出町まで徒歩で帰るという、1320キロの旅を始めました。
尾畠春夫さんは2006年に鹿児島県佐多岬から北海道宗谷岬まで徒歩で日本縦断に挑戦し、3ヶ月で成功させましたが、当時の年齢は79歳のため相当過酷な旅になったでしょう。
道中は野宿だということですが、例え暖冬だとしても79歳で寒空の下野宿するのはかなり危険も伴うと思いますが、それでも尾畠春夫さんが徒歩での旅にこだわる理由は、「電車や飛行機など交通機関を使ってでは逢えない出会いがある」からのようで、「子供たちの幸せを願う旅」ということで道中で出会う子供たちに元気づけながら旅をすることが目的のようです。
確かにこうした活動が世界で話題になれば、尾畠春夫さんの姿に感動して元気づけられる子供も出てくることでしょう。
しかし、2018年に「スーパーボランティア」として一躍有名人になってしまった尾畠春夫さんの旅の道中には多くの人が見物に来ているようで、日によっては500メートルしか進めず当初の予定よりも大幅に旅が遅れていることを危惧している人もいたようです。
尾畑さんに会いたかったり、何か差し入れしたい気持ちは分かるけど、これじゃ帰るのに何ヶ月もかかりそう。一昨日は2.3キロ?昨日なんて500メートルしか進めなかったなんて可哀想過ぎる。
— さを。 (@sawowri826) 2019年1月24日
尾畑さんに長蛇の列・・
— まぐろ48@滋賀好き! (@Tuna_server) 2019年1月23日
凄く違和感
毎日追っかけるTVも悪いよね
俺だったら、近くに来られても会いには行かない
旅の安全を祈るのみ
尾畑さん、ご安全に!
スゲ〜尾畠さんてホントに実在するのね!一方的に「興奮」「感動」「拝む」「朝は必ず来るよ」。#スーパーボランティア #尾畠春夫 pic.twitter.com/EFMjhcvQaw
— R¥U (@ry_utanano) 2019年1月20日
尾畠春夫の現在…今もボランティア活動中
尾畠春夫さんの近年の活動をまとめると以下のようになっており、現在もボランティア活動をしています。
また、2021年7月の熱海土砂崩れでは人命救助への参加を希望したが受け入れられなかったという出来事もありました。
「スーパーボランティア」として知られる大分県日出町の尾畠春夫さん(81)が8日、
大規模土石流の被害を受けた静岡県熱海市を訪れた。
「泥に漬かっている人を引っ張り出してあげたい」と人命救助への参加を希望したが、
受け入れ態勢が整っていないとして、実現しなかった。
2022年以降、尾畠春夫さんについての報道は全くない状況ですが、現在もボランティア活動はしているそうです。
尾畠春夫について総まとめすると…
・尾畠春夫は昭和43年に結婚した嫁とは現在別居。子供は息子と娘の2人いる。
・尾畠春夫は初の自著本『一歩前へ』がトラブルで刊行延期となるトラブルがあった。
・尾畠春夫は東京から大分の自宅まで徒歩で移動する旅をしていた。
2018年の行方不明2歳男児の救出劇で一躍「スーパーボランティア」として注目されるようになった尾畠春夫さんの経歴や現在の活動について総まとめしてきました。
今後は太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった多くの人々の遺骨収集のためガマ(洞窟)へ赴くそうです。
70年以上も遺骨が野ざらしになっていることに、尾畠春夫さんはいつか遺骨収集のボランティアに参加するのが夢だったと語っています。