中山功太さんは2009年にピン芸人のお笑いコンテスト「R−1ぐらんぷり」で優勝した経歴を持つ芸人です。しかし、その後ブレイクすることはなく、テレビで見かけることもなくなってしまいました。
ここでは中山功太さんの家族情報やお金持ちと噂される実家のこと、一度”コウタ・シャイニング”に改名した理由、そして消えた現在の動向についてまとめています。
この記事の目次
中山功太のプロフィール
名前:中山功太(なかやまこうた)
出身地:大阪府大阪市住之江区
生年月日:1980年6月24日
身長:168cm
血液型:A型
デビュー:2002年
所属事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
SNS:中山功太Twitter
中山功太さんは、R−1ぐらんぷり2009王者のピン芸人です。当初はコンビを組んだり、M−1のため暫定的にコンビになったこともありましたが、基本的にはピン芸人として活動。
2004年頃からR−1ぐらんぷりに出場するようになり、2009年には”時報”ネタで優勝に輝きました。その後もR−1ぐらんぷりには毎年のように出場していますが、優勝したのは2009年の1度だけです。
そしてR−1優勝後の翌年からは活動拠点を大阪から東京に移しました。
その他の実績としては、歌ネタ王決定戦2015優勝があります。
私生活では結婚しておらず独身です。2017年に1度風俗スキャンダルを報じられたことがあります。
「R-1」覇者・中山功太、暴行で提訴される 被害キャバ嬢語る
中山功太の実家はお金持ち~父親はソファーベッド会社社長だった
中山功太、実家は27LDKKKの超豪邸だった
実家は27LDKKKの超豪邸だった!
トイレは4つ、お風呂2つ、メディアルーム、サウナ、ベンツが4台というお金持ちだったそうで、以前はセレブ芸人としてテレビに出ていたことがありました。またお金持ちのため幼い頃は誘拐されかけたこともあったそう(未遂)。
中山功太の父親は中国でソファーベッド会社を経営
中山功太さんの父親の会社は2006年一度倒産、その後、父親は現在中国の方で新たにソファーベッドの会社を立ち上げているそうです。
また中山功太さんの兄は父親の会社に入りましたが、倒産してしまったため現在はソファーベッドの通販をしているとのこと。
ソファーベッドのおかげでセレブな生活をしてきた中山さんですが、ご本人的にソファーベッドについて否定的なようです。
ソファーベットって、それを作ったおじいちゃんやおやじのおかげで、今の僕があるんですけど、あんなに使い勝手の悪いものは無いと思うんです。「帯に短し、たすきに長し」だと思うんですよ。ベッドにしたときに、ソファーのゴリゴリが当たりますし、ソファーにしたときは、背もたれが短いんですよね。ほんとにアカンと思います。
中山功太の母親は芸人のアケミ・シャイニング
芸名:アケミ・シャイニング
好きな言葉:前へ
経歴:元社長夫人→アルバイト3つかけ持ち→NSC36期(2013年度で8.6秒バズーカーが同期)→ピン芸人デビュー→YouTbuerデビュー(2019年)
芸事に関しては中山功太が先輩というポジションでネタのアドバイスをすると語った。アケミ・シャイニングが芸人になった理由は、息子がテレビに出れてないというのを心配し、勇気づけようとしたのがきっかけだと話した。中山は足枷になっていると批判した。
母親が後輩の芸人としてデビューしたが、息子のネタをパクって披露していると暴露された。母親はR-1グランプリの賞金100万円を息子から送ってもらたが、それ以上の金額を息子に送っているというクレームが出た。
中山功太さんは2009年のR−1優勝時に「大阪に帰って、おかんのくしゃくしゃ顔をみないと実感わかない」とコメントしていることからも、母子関係が良さそうですね。下記で詳細をご紹介していますが、現在では母子でお仕事をする機会もあるそうです。
中山功太の改名理由~コウタ・シャイニングに半年ほど改名していた
中山功太からコウタ・シャイニングに突如改名
中山功太、コウタ・シャイニングに一時改名!
コウタ・シャイニング期間:2013年1月1日〜7月11日頃
中山功太さんは、Twitterで以下のように改名宣言しています。(現在削除済み)
中山功太(32)が1日、「コウタ・シャイニング」に改名した。自身のブログとツイッターで発表した。「マルチな活躍を目指して一から活動していく運びとなりました。今後とも応援、御指導、御鞭撻の程を宜しくお願い申し上げます」としている。
中山功太の改名理由は、大喜利対決で麒麟の川島に敗れたから
麒麟川島に破れ、芸人引退をした中山功太
中山功太さんがコウタ・シャイニングに改名した理由には、2012年9月のとあるイベントの企画が関連しています。
中山さんは自身のトークライブで麒麟の川島明さんと大喜利で対決するという企画を催し、その勝負は”負けたら芸人引退”という条件で行われました。
中山功太「負けたら芸人引退」来月ライブで麒麟川島と大喜利対決
これはトークライブ以前の飲みの席で中山が先輩であり尊敬する川島に喧嘩を売ったため、川島がそれに反応し「負けたら芸人やめろ」と中山に言い出し、開催されたものだったようです。
そして結果は中山功太さんの敗北!
中山功太さんは当時のブログ(現在削除済)で芸人引退を報告しました。
昨日深夜「オールナイトネイキッドブルースvol. 14」にて麒麟・川島さんと大喜利で対決をし「どちらが面白かったか?」お客様投票の結果、27票対23票で敗北致しました。約束通り、私、中山功太は芸人を引退致します。今まで応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。 中山功太
引用:2012年9月22日 (土))
その後の2012年10月から吉本所属タレントとしての活動することを、芸人引退報告の翌々日ぐらいにブログで告知し、2013年1月1日には”コウタ・シャイニング”への改名を発表しました。
改名発表時、中山功太さんは自身について以下のようにも触れています。
「中山功太はお笑いに拘り過ぎて、お笑い以外を異常に嫌い、求められた役割を果たさなかったクセに、お笑いの才能が全く無かったのが敗因です。コウタ・シャイニングはどんな手を使ってでも必ず売れます。どんな仕事だってします。そして、売れた暁には、僕がお笑いを、演芸を守ります。僕には出来ます」
2009年にR−1ぐらんぷりで優勝したもののブレイクできなかった中山さん。2013年の改名は、お笑いにくくらず心機一転いろんなことを頑張っていこうという、ある種のけじめだったようにも見て取れます。
また芸人ではなくタレントとして再始動したことは、吉本と話しあった結果だとも言われます。
コウタ・シャイニングから約半年で芸名を”中山功太”に戻す
コウタ・シャイニングに未練なし?
2013年1月1日にコウタ・シャイニングへと改名宣言した中山功太さんですが、約半年後には再び芸名を戻すという荒技をしました。
芸名を戻したきっかけは、テレビ共演した矢部浩之さんの一言でした。
R‐1優勝という栄光から、すっかり落ちぶれてしまった吉本の後輩の姿に、MCを務めるナインティナイン・矢部浩之は「中山でいったら。オレは中山功太がええと思う」と親身にアドバイス。中山は「(コウタ・シャイニングは)意味も分からへんし、リアルに『幸田シャーミン』に響きが似すぎてる、って言われる」と周囲の混乱ぶりを告白。矢部の「変えてほしいな、番組にもう1回呼んでほしいんやったら」と促されると、「本日をもちまして、私、コウタ・シャイニングは、本名の中山功太に戻します」と再改名を宣言した。
わずか半年程度であっさりと芸名を戻した中山功太さん。
そもそも露出が少なく、改名したことも戻したことも話題になりませんでした。
中山功太の現在が悲惨~月収22円で母子漫才で活動していた
中山功太、月収は最盛期600万円→現在22円
2019年現在の月収22円!
R−1優勝者として名を馳せた中山功太さんですが、2019年に「しくじり先生」に出演した際は月収が22円だったこともあると告白(なお最近の月収平均はだいたい2万円前後で借金は500万円あるそうです。)。
中山功太さんはR−1優勝直後の全盛期が月収600万円で、家賃20万円のところに住んでいた(約9か月で退去)といいますから、かなりの落差です。
これまでも自身の落ちぶれぶりを幾度かテレビ番組で語ってきた中山功太さん。2013年頃のテレビ出演時にもほとんどお笑いの仕事がなく、バーや薬局でのアルバイトが中心の生活と話していました。
吉本では需要がないと劇場にも立たせてもらないそうで、お笑いの仕事ができない中山さんは、それ以降ずっとアルバイトの生活。そのため芸人としての収入は、数十円〜数万円程度だということを以前のテレビ出演時にも告白しています。なかなかシビアな世界ですね。
中山功太、『しくじり先生』で自身の売れない理由を分析
「面白くない」と他人を否定してきた結果?
「しくじった一般人」になってしまい、「しくじり先生」に出演した中山さんは、そうなってしまった理由を話しています。
中山功太さんは「おもんないと周囲を否定」してきたからと分析。
20歳の時には松本人志さんに競り勝ってると思い込み、売れていたキングコングを面白くないと否定。さらには”面白くない”と否定する対象は「東京の芸人全員」「R−1に出ている芸人全員」「自分のネタで笑わない客」と、その対象はどんどん広がっていったそうです。
中山はその転落の理由を、子どもの頃からテレビや劇場に出ている芸人たちを見て、口癖のように「おもんないわ~(=面白くないわ~)」と言ってきたからだと分析。自分のことを天才的に面白い人間だと勘違いした挙句、周囲を「面白くない」と否定しまくり、その結果、自分が一番面白くなくなっていた、という。
相手を否定することで、おもしろセンスの高さをアピールして自分を守る=“否定は最大の防御”と考えていた中山だが、その結果、彼はとうとうすべてを失ってしまった。
最後に、“面白くない”ばかり言っている人に「否定するより行動しよう!」という言葉を贈って番組を締めくくった。
中山功太、東京進出失敗はタイミングの悪さ?
さて中山功太さんは、自身が売れずにしくじって一般人になってしまった理由を、「面白くないと周りを否定してきたから」と話しています。しかし、それ以外にも要因があったのではないでしょうか。
運とタイミング、実力が揃わなかった?
まず2009年にR−1ぐらんぷりで優勝するまで中山さんは大阪を拠点としており、そちらの方でレギュラー番組を持ち舞台などでも活動していました。
そのためR−1優勝後、東京からのオファーを受けながらも、関西で仕事を持っていたため断らなければならないこともあったそう。
結果的に中山さんは大阪での仕事をやめ2010年に満を持して東京進出しましたが、それはR−1優勝から約1年後の話。旬はすでに過ぎ、オファーももちろんながら激減しており、結果的に今の状態へと繋がったという見方があります。
中山さんご本人は、単純に東京で活躍できる「実力がなかった」と話したこともありました。
東京で活躍できなかった原因を「実力不足」と分析。それまでの活動は舞台が中心だったことや、大阪と東京のテレビ番組では求められるものが違っていたことから、「どういうふうに振る舞ったらいいかわからなくて」悩んだという。
中山功太さんだけではなく、芸人が地方からの東京進出がうまくいかなった話はよく聞きますね。芸人の東京進出を成功させるためには”運とタイミングと実力”、これらが必要なのかもしれません。
中山功太、現在はアケミ・シャイニングと親子漫才
あまりテレビで見かける機会がない中山功太さんですが、現在何しているかというと…。
現在は心を入れ替え、「大助花子ファミリーのメンバーとして、母親と親子漫才をして、歌って踊り、最後に風船を配っている」という。「とがっていた昔の自分なら、やらなかった仕事かもしれない」と言うが、「こういったお笑いの形もあると感じた」と心境の変化を打ち明けた。
10/30DHFファン感謝デー!!にて大花師匠のお陰さまでNSC入って6年来の夢が叶いました。親子漫才させて頂きました。有難うございました💕幸せ🍀です。 pic.twitter.com/iKSnEK6iA5
— アケミ・シャイニング (@akemishining) 2018年11月1日
2009年のR−1ぐらんぷり優勝者ながら仕事がまったくない中山功太さん。自虐的エピソードがおもしろいことから闇芸人として今後復活もあるかもしれませんね。
中山功太のしくじり先生、最初から最後まで面白すぎて禿げた。芸人だわ。
— すかい▶ (@finalfantasy222) July 12, 2019
ここまで面白い新ネタみたいな授業をやってくれたから、これきっかけに売れるまであるぞ。#しくじり先生 #中山功太 pic.twitter.com/mzQsrBr8iH
中山功太についてまとめると…
・中山功太は大喜利対決に負けて、半年間ほどコウタ・シャイニングに改名していた時期があった
・中山功太は現在、芸人として活動する母親のアケミ・シャイニングと親子漫才をしている
R-1王者となるも、現在はテレビから完全に消えてしまった中山功太さんについてまとめました。
『しくじり先生』での中山功太さんは面白かったとネット上でも好評のようです。闇芸人として徐々に露出が増えるといいですね。