1995年3月20日に東京都で発生した平成最悪の同時多発テロ事件「地下鉄サリン事件」の首謀者でオウム真理教教祖の麻原彰晃(松本智津夫)は2018年7月6日に死刑執行されました。
この記事では、麻原彰晃(松本智津夫)の妻だった松本知子の生い立ちや子供達など家族、現在の様子について詳しくまとめました。
この記事の目次
松本知子の生い立ちと家族情報~旧姓は石井・現在は松本明香里に改名
松本知子、両親と祖母は教師の真面目な家庭に育つ
オウム真理教元最高幹部だった松本知子
松本知子は1958年8月17日に千葉県木更津市で生まれました。
麻原彰晃こと松本智津夫と結婚する前の旧姓は”石井”ですが、オウム真理教幹部だった石井久子とは血縁関係にはありません。
松本知子は後に家庭裁判所に申し出て「松本明香里(まつもと あかり)」に改名しています。
松本知子の両親と祖母は学校の教師でとても真面目な家庭だったため、松本知子も影響を受けて小学校では学級委員を務め、中学校では生徒副会長を務めるなど、近所では「真面目で頭の良い子」という印象だったようです。
松本知子は地元の名門校である千葉県立木更津高等学校に進学しましたが、大学受験に一度失敗し、浪人生として代々木ゼミナール代々木本校に通い始めたことから人生が大きく変わっていくことになります。
松本知子の旦那・麻原彰晃(松本智津夫)との出会いから結婚まで
松本知子、予備校で隣の席に座った麻原彰晃と結婚
松本知子は代々木ゼミナール代々木本校で授業中に隣に座っていた松本智津夫と出会って交際に発展し、ほどなく結婚しました。
松本智津夫は千葉県船橋市湊町に鍼灸院「松本鍼灸院」を開院し、松本知子との間に3女をもうけて貧しいながらも家族川の字になって寝るような平穏な生活を送っていました。
その後、松本智津夫は鍼灸院を廃業して診察室兼漢方薬局「亜細亜堂」を開業し、船橋市新高根に新居を買って一家で引っ越しました。
この頃までは松本智津夫は真面目に働いていましたが、「鍼灸師としては人の病気を治すことはできな。無駄なことをしているのでは」という深い虚無感に駆られるようになり、四柱推命や気学などを学び始めた頃から道を外れ始めました。
松本知子、麻原彰晃が次第に宗教にのめり込むように
松本智津夫に振り回された松本知子
四柱推命や気学などに見切りをつけて、漢方、断易、六壬から奇門遁甲と仙道など普通の人はその名前すら知らないような特殊な学問を学び始めた松本智津夫は、深く学ぶ中で神秘体験をしたことからそれまで遠ざけて毛嫌いしていた宗教にも興味を持つようになり阿含宗と出会いました。
松本智津夫は仏教的な教えを子供達に日常的に教えるようになりましたが、松本知子はまったく影響を受けておらず、むしろ宗教にのめりこんでいく旦那の姿にストレスを募らせていきました。
麻原は子供に向かって「蚊に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方知子は蚊を平気で殺していた。ヘビが苦手で麻原からヘビを見せられて気絶したこともある。
1980年以降、松本智津夫の異常な行動が目立つようになり、松本知子は精神をすり減らし神経症を患うことになります。
松本知子、麻原彰晃の問題行動がストレスとなり神経症を患う
1980年7月に松本智津夫が違法営業により保険料の不正請求が発覚して670万円の返還請求をされました。
さらにその翌月には新興宗教・阿含宗に入信し、宗教にのめり込んでいった松本智津夫は次第に家に帰らなくなっていきます。
松本智津夫は1981年には健康薬品販売店「BMA薬局」を開業し、認可外の医薬品を販売して4000万円を荒稼ぎしましたが、健康被害が続出して訴えられたことから薬事法違反で逮捕され20万円の罰金刑を受けました。
こうした度重なる松本智津夫の問題行動によりストレスを抱えた松本知子は神経症に陥ってしまい、対人恐怖症や外出恐怖症で苦しむようになりました。
松本知子に子供は6人…三女はアーチャリーの名で知られる存在に
松本知子の子供は6人いる
松本知子は現在までに子供が6人おり、娘が4人、息子が2人となっています。
1981年生まれ…次女 松本宇未(アジタナーター・カーリー)
1983年生まれ…三女 松本麗華(アジタナーター・ウマーパールヴァティー・アーチャリー)
1989年生まれ…四女 名前不明(仮名は聡香)
1992年生まれ…長男 名前不明(鏡暉リンポチェ猊下)
1994年生まれ…次男 名前不明(璽暉リンポチェ猊下)
松本知子の娘4人について
出典:http://nikukyu-petsuki.c.blog.so-net.ne.jp/
■長女:松本美和。1978年生まれ。ホーリーネームはドゥルガー。教団での地位は正悟師。省庁制の際には流通監視省大臣であった。スーパーでの万引き逮捕歴や銃刀法違反での逮捕歴あり。
■次女:松本宇未。1981年生まれ。ホーリーネームはカーリー。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となっています。その後も長男達の住んでいる龍ケ崎市に在る住居に時々遊びに来ていたといいます。
■三女:松本麗華:1983年生まれ。教団での地位は麻原に次ぐ正大師でホーリーネームはアーチャリー。2004年3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた裁判がありました。2015年3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を上梓しています。
■四女:名前は不明。1989年生まれ。2010年、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を刊行しています。ひかりの輪はこの著書に誤りが含まれているとしています。2014年のインタビューにおいても、自殺未遂が続いていることを明かし、「死にたいというよりも死ななくてはいけない」「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と語りました。松本知子の息子2人について
長男:名前は不明。1992年生まれ。四女と次男同様学校に籍を置くことが許されず、ほとんど学校に通わせて貰えなかったといいます。
次男:名前は不明。1994年生まれ。2006年に春日部共栄中学校に合格したものの、「麻原の息子」だという理由で入学を拒否されています。
息子2人の現在はどうなっているか不明です
松本知子、子供達はオウム真理教の幹部に
現在のアーチャリーこと三女・松本麗華
松本智津夫は阿含宗を脱会した後に「鳳凰慶林館」というヨーガや仙道を教える学習塾を開校し、生徒を集めて教え始めました。
この頃に松本智津夫は「アシュラ・シャカ」の意味を持つ「麻原彰晃」という名前を名乗り始めました。
この「鳳凰慶林館」は「オウムの会」「オウム神仙の会」という名前を経て、最終的に新興宗教「オウム真理教」へと発展しました。
この頃から松本知子は献身的に松本智津夫のサポートをするようになり、子供も2男4女と大所帯になって賑やかになり、家ではちゃぶ台を囲んで焼肉パーティーを楽しむなど一般家庭のような日常もありました。
しかし、松本智津夫は次第に子供たちもオウム真理教の幹部に就任させていくことになります。
子供たちは松本知子よりも麻原彰晃を尊敬していた
心労続きだった松本知子は次第に松本智津夫と激しい夫婦喧嘩をするようになり、「家を出ていく」と叫んで玄関に行き出ていく素振りを見せても子供たちは誰もついて来なかったため、松本知子は中々出ていく踏ん切りがつかず玄関と部屋を往復する肩身の狭い思いをしていました。
しかし、家庭内での立場の悪い松本知子を気の毒に思った三女の松本麗華が家出について行くこともあったようです。
松本智津夫は子供たちに日頃から”善行”の教えを説いていたこともあり、すでにマインドコントロールができていたようです。
このころには世田谷区の道場に住み込むようになりほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合っていた。次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。
松本知子とオウム真理教の関係性…現在も信者から資金提供を受けていた
松本知子はオウム真理教を信じてはいなかった
松本知子は教祖・麻原彰晃の妻という権力に酔いしれた
妻の知子は麻原が滅多に帰宅しないことなどから精神不安定となり、麻原に向かってなじるようないさかいがあったが、麻原はほとんど抵抗をしなかった。三女麗華の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、麻原の著書の代筆を深夜まで行っていた。後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。
松本知子にとって宗教自体は信じていなかったものの、大勢の人々が崇拝している麻原彰晃という教祖の妻であることに酔いしれて、普通に生きていたら体験することのない権力の行使に取り憑かれてしまったため献身的に松本智津夫をサポートしていたのでしょう。
松本知子が「薬剤師リンチ殺人事件」に関与~2002年10月にに出所
1995年に薬剤師リンチ殺人事件に関わり逮捕された松本知子
上祐史浩は2007年3月発表のインタビューにおいて、絵画の使用料契約が当初から実質的に生活援助であったことや、その後信者から松本家への資金提供の流れがあったことを認め、また反代表派の信者が松本知子を含む松本家の人々と個人的接触をしてその意向が教団に反映される、といった形で松本家が実質的に教団に影響を与えていると述べ、四女の告発を事実として認めている。
松本知子の現在~再び教団で権力を手に入れようとしている?
2018年7月6日に死刑が執行された松本智津夫
松本智津夫は死刑当日に刑務官から遺骨の引渡し先について問われ、「四女」と答えていたことが報じられましたが、四女がオウム真理教や松本家と距離を取っていたことや、松本智津夫が公判中から意味不明な言動を繰り返して正常な精神ではなかったことから、松本知子は報道を否定しました。
共同通信や毎日新聞などマスコミ各社は7日から8日かけて、麻原死刑囚が刑が執行される直前に自らの遺体を、四女に引き渡したいと拘置所職員に言い残していたと報じた。いずれも関係者の証言だという。
しかし、麻原死刑囚は裁判で意味不明な言動を繰り返すなど、精神状態が異常で、裁判を受ける能力を失った可能性があるとする声が識者から出ていた。遺体の引き渡しを求める麻原死刑囚の妻らは「特定の人を引き取り人として指定することはあり得ない」と拘置所側の主張に反発している。
松本知子らは松本智津夫の遺骨の引き取り手として名乗りを上げていましたが、政府は教祖・麻原彰晃の遺骨が世間に渡ると再びオウム真理教の残党が息を吹き返す可能性が高いため、国が管理することを決定しました。
一方、死刑が執行された麻原死刑囚の妻らは7月7日、東京拘置所に安置されている遺体の引き渡しを求めて、上川陽子法相と同拘置所長あての要求書を提出した。一審で、麻原死刑囚の主任弁護人を務めた安田好弘弁護士が明らかにしたと朝日新聞デジタルが報じた。
要求書は妻のほか、6人の子どものうち長女と四女を除いた4人の連名だという。6日に死刑が執行された松本元代表の遺体について「極秘の安置所に安置し、葬儀などの儀式はせずに弔い、遺骨は金庫に厳重に保管管理する」としている。
毎日新聞によると要求書には「家族や弁護人が現実に認知した精神状態からすれば特定の人を引き取り人として指定することはあり得ず、到底納得できない」としている。
松本知子らが必死に松本智津夫の遺骨を求めた理由は言うまでもなく教祖・麻原彰晃を神格化して再び教団をまとめあげて再び権力の座に返り咲こうという目論見があったのでしょう。
国は松本知子らの動向は今後も注意して監視していく必要があるでしょう。
麻原の妻松本知子や松本麗華など松本家の娘らは、(実態はともかく)アレフとは関係ない、経済支援も受けてない、サリン事件被害者に黙祷、みたいな立場なのに、まだ社会復帰できる年齢のアレフに集う若者に脱会を呼びかけたり大声で尊師マーチを歌う過激な分派に解散を呼びかけたり絶対しないよね。
— 魔境朮° ] 二 ャ ・/ (@ponpokocat23) 2019年4月3日
松本知子についてまとめると…
・松本知子は代々木ゼミナールで麻原彰晃と知り合い結婚した
・松本知子には2男4女の6人の子供がいる
・松本知子は麻原彰晃没後の現在も後継団体「アーレフ」に関わり続けている
オウム真理教の教祖・麻原彰晃の妻として権力を手中にしていた松本知子について総まとめしてきました。
現在「アーレフ」では麻原彰晃の遺影が祀られて神格化されており、このまま信者を増やして力をつけて行けば、「地下鉄サリン事件」の悪夢が再び起こるかもしれません。
平成の時代が終わり、新しい令和の時代を迎える現在、オウム真理教に関する問題に完全に終止符を打つために国も水面下で動いていることでしょう。