2004年10月に発生したイラク日本人青年殺害事件、被害者となったのは香田証生さんでした。
イラク日本人青年殺害事件の詳細、香田証生さんの家族や両親と彼女情報などを詳しくまとめてみました。
この記事の目次
香田証生が人質となった「イラク日本人青年殺害事件」とは
2004年10月、香田証生がアルカイダ関連組織の人質に
「イラク日本人青年殺害事件」は2004年10月に発生した国際的テロ集団アルカーイダの関連組織、アブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィー率いるイラクの聖戦アルカーイダ組織に香田証生さんが殺害された事件です。
2004年10月27日午前2時「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗るグループが、インターネットで日本人の香田証生さんを人質にしたと犯行声明を出し、日本政府が48時間以内にイラクからの自衛隊撤退に応じなければ殺害すると脅迫してきました。
それに対し日本政府は、25カ国及びイスラム教の聖職者達に協力要請を行い香田証生さんの解放を求めましたが、テロリストに屈しないとの立場から自衛隊は撤退しないとし要求は拒否しました。
香田証生がバグダード市内で遺体となって発見される
その後、香田証生さんはグループにナイフによって首を切断され殺害され、遺体は10月31日未明にバグダード市内で発見されました。
同日、小泉純一郎首相は「人質解放のため、可能な限りのあらゆる努力を尽くしたにもかかわらず、香田証生さんがテロの犠牲になられたことは、痛恨の極みであります。我が国は、引き続き、国際社会と協調し、イラクの人々のために自衛隊による人道復興支援を行っていくとともに、断固たる姿勢でテロとの闘いを継続してまいります。」と声明を発表しました。
更に11月2日には犯行グループが犯行声明とともに、香田証生さんを星条旗の上で殺害する場面をネット上で動画配信します。
2006年2月、犯行グループの1人が香田証生の殺害を自供
2006年2月、犯行グループが明らかとなります。
別の殺人事件で取り調べを受けていた元イラク陸軍兵のザルカーウィー派テロリストのフセイン・ファハミ・バドル容疑者が、バグダードにあるスンニ派のモスクの付属施設に監禁されていた香田証生さんを殺害したと自供したのです。
この元兵士には無差別爆弾テロ等で70件にも及ぶ余罪があり約400人を殺害していた過去がありました。
11月22日バグダードの中央刑事裁判所は、イラク人男性1人の殺害について有罪と認定し、バドルに死刑の判決を下しました。
香田証生さん殺害を含む他の事件については時間や金銭の無駄として省略されてしまっています。
供述によると、香田証生さんの拉致、殺害にかかわったのは計6人、イラク内務省はこのうち4人を逮捕、2006年6月8日、アメリカ軍がF-16の爆撃でアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーを殺害しました。
香田証生さんの追悼は陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマーワで、2004年11月5日、イスラム教の金曜礼拝で行われ、シーア派の有力聖職者マード・アルワイリ師は香田証生さんが武装グループに拉致され、殺害されたことについて哀悼の意を表し、イスラム教徒ではないのにイラクの復興に尽くしてくれる日本人達に感謝すべきであると信徒に諭しました。
当時のイラク情勢は日本の自衛隊派遣で急激に悪化していた
なぜ香田証生さんがこのような事件に巻き込まれたかというと、当時のイラクと日本との情勢も関係していました。
2003年5月1日、イラク戦争終結宣言が行われたもののイラク国内の治安は悪く、フセイン政権の残存勢力やイスラーム過激派によるテロが繰り返されていたのです。
日本の小泉内閣はイラク特措法を定めて自衛隊を派遣するなどイラクの復興支援を行っていました。
そんな中2003年11月29日には日本人もテロリストの標的になり、奥克彦駐英参事官と井ノ上正盛駐イラク三等書記官が射殺されてしまいます。
そして2003年12月13日にサッダーム・フセイン元大統領が逮捕されたものの不安定な情勢が続きこの事件が発生してしまったのです。
香田証生の経歴とイラク入国の理由とは
この殺害されてしまった青年香田証生さんはどのような人間であり、何故このような情勢の中イラクに行ってしまったのか。香田証生さん自身の経歴と共に事件との関連も見ていきましょう。
香田証生、ワーキングホリデー終了後にイラクに入国
香田証生さんは東海大第五高校を中退後、通信制高校の「NHK学園」に転入します。
高卒の資格を取得した後はフリーターとして働き、その中でニュージーランドにワーキングホリデーで滞在していました。
2004年1月ワーキングホリデーが終了した香田証生さんは、日本へは帰国せず、そのまま他の国々を旅することにしました。そしてイスラエル、ヨルダンを経由して、最終的にイラクへ入国します。
ヨルダンのホテルに滞在していた映画監督の四ノ宮浩さんに香田証生さんは「イラクに旅行に行きたいのでホテルを紹介して欲しい」と依頼するものの、四ノ宮さんは危険なので引きとめようとしたものの、忠告を振り切りイラク入りしてしまいます。
香田証生、忠告無視してのイラク入国に自業自得の声も…
香田証生さんがイラク入りする際には引き止められたということもあり、ネット上では自業自得とも言われています。
実際当時の情勢はかなり厳しいものだったにも関わらず香田証生さんは気楽な気持ちでイラクに入国してしまっているのです。このことから、厳しい意見もあります。
香田証生の動画また観てしまったよ…言い方悪いけど彼に関しては自業自得だよね。
— . (@uiroh_D) 2015年11月18日
(‘A`)香田証生について見てたらかわいそうだの死を美化されてたりだのな現在にびっくりだ 戦争同様リアルタイムに知らないものからしたら殺され方の残忍さだけでそう言ってんだろうけど よく調べろと ありゃ自業自得だから
— 阿呆 (@aho_d) 2013年2月10日
「現地に入った自衛隊などは非難を受けながらも復興という目的で仕事にあたっている。香田さんがどういう理由で現地に入ったのか。それにもよるが、危険な場所であることは分かりきっていること。外務省も再三避難勧告を出している。やはり軽率な行動としかいいようがない。ニュースで連日、どこそこの国の人がイラクで人質になった、何人死亡した…などと流され、それに慣れると、危険という感覚が薄れてしまうこともあるが、それを自分で管理し、分析して動かないことには。『軽率』以外の言葉が見つからない」
「政府が厳しく入国を規制している中で、それを無視して入国し、つかまってしまうとは、あまりにも無知で子供っぽい行動。ありえないことだ。他の国は軍の関係者などが人質にとられているわけだが、日本の場合、そうではない。万が一、自衛隊員が拘束されたなら別問題だが、民間人なのだから、救うとか救えないとかいう問題ではない。勝手に入国したのだから不可抗力ではなく、国の政策を変更することはないし、その交渉の余地はない。国際社会の中に立場している国の国民として、実に身勝手だ」
このように香田証生さんのイラク入り、そして殺害されてしまったことは自業自得という声も多いのです。
香田証生はなぜイラクに入国したのか?
そもそもなぜ香田証生さんはイラクにいくことを決めてしまったのか?
故人となってしまった現在、本当の理由は不明ですが噂されているものとしては
・イラクの現状を自分の目で確かめたかった
・周りをあっと言わせることをしたかった
という2つの理由が挙げられています。
中でもワーキングホリデーをしながら日に日にお金がなくなり焦っていたのではないかという推測が多くあがっているのですが、実際どうだったのかはわかりません。
しかし周りをあっと言わせることをしたかったというだけの理由であれば香田証生さんは自業自得と言われてしまうのも仕方ないでしょう。
国は香田証生を見捨てた?
香田証生さんが殺害されてしまったのはテロ組織から自衛隊を撤退させろという交渉に応じなかった為です。このことから国は香田証生さんを見捨てたと言われています。
やはりここに関してもある程度自業自得という考えはあったと思われます。
当時はアメリカ人や韓国人も同様に殺害されており、外務省も渡航禁止にしていました。
しかしそれを無視して、興味本意でイラクに入ったということもあり厳しい意見もあったのでしょう。
もちろん完全に見捨てたというわけではなく、国民の生命を守るべくあらゆるルートから救出を試みたと思いますが、何より時間と交渉のパイプが無さすぎたのです。
また、日本の自衛隊は米軍の後方支援をしていたということもあり、日本だけの考えで行動をするのも難しかったのだと思われます。
香田証生には6歳年上の彼女がいた
無残にも殺害されてしまった香田証生さんの死を悲しむ人は多くいたことでしょう。その中でも恋人や結婚相手がいたのであれば間違いなく悲しみにくれていたと思います。
しかし香田証生さんが結婚していたという事実はありません。そもそも結婚していたのであればイラクに行くなんてことも考えないでしょう。
ただ彼女はいたようです。香田証生さんに関して調べていくと週刊文春に「香田証生さんが6歳年上の彼女に告げた「別れの言葉」」というのが掲載されていたことがあります。
このことから彼女がいたということは確実ですが彼女の細かい情報に関しては明らかとなっていません。
香田証生の家族は解放を願い必死の訴え~両親のついた嘘がバレる一幕も
香田証生の母・節子さんと兄・真生さんが記者会見で無事解放を求める
恋人と同時に死を悲しんだのは香田証生さんの家族でしょう。香田証生さんの細かい家族構成に関しては明らかとなっていないものの、香田証生さんに兄がいることはわかっています。
証生さんの母親・節子さん(50)と兄・真生さん(26)が二十九日午前、東京都千代田区の日本外国特派員協会で証生さんの無事解放を願う気持ちを必死に訴えました。
このようにお兄さんは表にも出てきているので、両親以外にも兄がいるのは確実で、その他の兄弟に関しては明らかとなっていません。
香田証生の両親、イラクには語学留学で入国したと嘘
香田証生さんに関して調べていくと、香田証生さんの両親が嘘をついたという話も見つかりました。それは香田証生さんがイラクへ語学留学へ行ったという嘘です。
実際には香田証生さんは語学留学の為にイラクへ行ったのではなく、気軽な気持ちでイラクへ入国してしまっています。
しかし、香田証生さんの両親はその部分を隠そうと語学留学の為と言ってしまったのです。
このことはホテルの従業員が、イラクへ遊びに行くからタクシー呼んでくれと言われたとコメントをしたことでバレてしまいました。
香田証生、2004年11月3日に両親が遺体と無言の対面
香田証生さんの遺体は、2004年11月3日に福岡空港に到着。両親は無言の対面を果たしました。
その翌日4日に通夜、5日に告別式が営まれました。
イラクで武装グループに拘束、殺害された福岡県直方市出身の香田証生(しょうせい)さん(24)の告別式が5日午後、同市頓野の善光会館直方会場で営まれた。香田さんや両親の友人ら約400人が参列。式後、父の真澄さん(54)が「息子の生還を自分のことのように祈ってくれた全国の方々にお礼を申し上げたい。息子の死を無駄にしないよう、家族で力をあわせて生きていこうと思います」とあいさつ。参列者が黙祷(もくとう)する中、出棺した。
香田証生が人質となった「イラク日本人青年殺害事件」を総まとめ
・香田証生はワーキングホリデー終了後にイスラエル、ヨルダンと旅をし、忠告を無視してイラクに入国した。
・香田証生が入国した当時のイラク情勢は、日本の自衛隊派遣問題で急激に悪化しており、殺害は自業自得との意見もあがっていた。
・香田証生には6歳年上の彼女がいた。
・香田証生の判明している家族構成は両親2人に兄1人である。
このような拉致殺害事件は香田証生さんだけではなく、香田証生さんの事件が起きた後もありました。
どの事件に関しても危険地帯とわかっていながら足を踏み入れているので自業自得との声も多いです。
確かにそれぞれが気をつけていなければこのような事件はなくならないでしょう。しかしそれでも1人の命が無残に殺されたことに間違いはありません。
自業自得だとしても殺害されたことを正論化は出来ません。香田証生さん並びに拉致殺害事件で亡くなった方には深くご冥福をお祈り致します。