2011年に焼肉酒家えびすで集団食中毒事件が起こり、社長の勘坂康弘氏の逆ギレ会見が話題です。
今回は勘坂康弘氏の経歴、結婚した嫁や子供と離婚、焼肉酒家えびす集団食中毒事件の詳細や逆ギレ会見、韓国人の噂と現在をまとめました。
この記事の目次
勘坂康弘は焼肉酒家えびすの元社長
出典:twitter.com
勘坂康弘氏は、焼肉チェーン店「焼肉酒家えびす」を展開していた株式会社フーズ・フォーラスの代表取締役社長だった人物です。
勘坂康弘氏が経営する焼肉チェーン店「焼肉酒家えびす」は、2011年に腸管出血性大腸菌感染による集団食中毒を発生させ、死者も出しています。
この焼肉酒家えびす集団食中毒事件によって、勘坂康弘氏の株式会社フーズ・フォーラスは会社を解散することになりました。
勘坂康弘の経歴
勘坂康弘氏の経歴を見ていきましょう。
生い立ちから学生時代
勘坂康弘氏は1968年8月18日に、富山県高岡市野村で生まれました。まずは家族構成から確認していきます。
・母親:ヤクルトレディ
・弟
勘坂康弘氏は両親と弟が1人の4人家族の中で育ちました。ごく普通の家庭環境ですね。
次は、勘坂康弘氏の学歴です。
・小学校:高岡市立野村小学校
・中学校:高岡市立芳野中学校
・高校:高岡第一高校
・大学:金沢経済大学経済学部
勘坂康弘氏は地元にある私立高校を卒業後に、金沢経済大学(現在の金沢星稜大学)に入学します。
大学在学中は、金沢市内にあるディスコの黒服としてアルバイトをしていました。勘坂氏がアルバイトをしていたのは、「キング&クイーン」というディスコだったようです。
「当時はディスコ全盛時代でした。彼が働いていたのは金沢市内にあった”キング&クイーン”私もそこでアルバイトしてましたが彼は黒服ではありません。黒服着れるのは副主任クラスからです。彼は、単なるアルバイトでした」
引用:【ユッケ食中毒】石橋を3回たたいて渡るほど慎重なフーズ・フォーラスの勘坂社長の夢は「日本一の伝説となるレストランチェーンを実現」
本人が発表している経歴としては「ディスコの黒服」としていますが、実際はただのアルバイトで「黒服」ではなかったようです。
大学卒業後から起業まで
大学卒業後は、地元の高岡市内にある多田薬品工業に就職します。
大学に医薬品を運ぶなどの仕事をしていたようです。しかし、入社2年後の1993年に退職しています。
退職後は半年ほど上京していたようで、その時に外食チェーンの焼肉店を起業することを決意しました。
その後は、地元に戻り実家に住んで、起業資金を貯めるために工員の派遣社員として2年半働きました。月に1万円しか使わない生活をして、2年半で起業資金1000万円を貯金しています。
さらに、焼肉店を経営するためにノウハウを学ぼうと、地元の焼肉店で働き始めます。
「元々、うちは精肉業者ですが、焼肉店を開こうと店長を募集してそれに応募してきたのが勘坂くん。当時彼は工場で働く派遣社員。包丁の持ち方から肉の捌き方まで教えました。ただ、1、2ヶ月しか続かなかった。身体を壊したと辞めました。
それっきり音沙汰なかったけど彼が焼肉店をオープンしてから肉を仕入れたいと連絡があったがそのうち注文も寄越さなくなりました」
引用:【ユッケ食中毒】石橋を3回たたいて渡るほど慎重なフーズ・フォーラスの勘坂社長の夢は「日本一の伝説となるレストランチェーンを実現」
勘坂康弘氏本人は、この食肉と焼肉店経営企業で10ヶ月働いたとしていますが、このオーナーの話では1~2ヶ月しか働いていないことになります。ここに若干の経歴詐称が見られます。
ただ、起業資金を貯めて、焼肉店をオープンするだけのノウハウを1997年までにしっかりと身につけたことは間違いありません。
焼肉酒家えびす起業後
1997年5月、富山県高岡市に「焼肉酒家えびす高岡駅南店」をオープンさせました。この店舗は回転寿司屋がガス爆発で閉店になった跡地に建てられました。
焼肉酒家えびすは「塩ダレトントロ」「塩ダレ豚バラ」「塩ダレ若鶏」「塩ダレポンジリ」「上シロ」「鶏皮」の6品を100円で提供。
そのほかのメニューも低価格帯で提供する激安焼肉店で、店舗デザインはスタイリッシュで非日常を演出するようなシックなものになっていました。
第1号店では、勘坂康弘氏は両親を無給で働かせています。
1号店はうちの近所に出店し、両親にも働いてもらいました。店を増やすためにお金を作ろうと、両親に無給で働いてもらったんです。初日は17時のオープンでお客様が20、30組行列していました。肉が無くなり、19:30にオーダーストップになってしまいました。
引用:「えびす」は「牛角」と同年に誕生した。〜100円焼肉「えびす」が首都圏進出。日本一の伝説のレストランチェーンを創る。〜勘坂康弘氏 株式会社フーズ・フォーラス 代表取締役社長 | フードリンクニュース
1号店は両親+アルバイトだったために、月400万円も利益が出ていました。
勘坂氏は、焼肉酒家えびすの成功について次のように話しています。
僕は美味しい焼肉をアップルグリムの値段で、大学時代にバイトしたディスコで培ったサービスを付けて提供すれば楽勝で行けると確信しました
引用:「えびす」は「牛角」と同年に誕生した。〜100円焼肉「えびす」が首都圏進出。日本一の伝説のレストランチェーンを創る。〜勘坂康弘氏 株式会社フーズ・フォーラス 代表取締役社長 | フードリンクニュース
勘坂氏は1998年に有限会社フーズ・フォーラス、2000年に株式会社フーズ・フォーラスを設立し、どんどん業績を伸ばして店舗を拡大。
2010年7月には横浜市にも進出して、北陸3県と神奈川県に合計20店舗を展開していました。
勘坂康弘が結婚した嫁と子供の情報
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勘坂康弘は焼肉酒家えびす集団食中毒事件の時には42歳で、すでに結婚していました。
ただ、嫁は一般人だったため、どのような人物なのかは明らかになっていません。
焼肉酒家えびす集団食中毒事件の時には、家族3人暮らしだったようです。
・妻
・幼い息子
事件当時は、家族3人で石川県金沢市古府町南に住んでいたことがわかっています。
勘坂康弘は嫁と離婚していた
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勘坂康弘は焼肉酒家えびす集団食中毒事件の時は結婚していて、幼い息子もいましたが、事件後に離婚しています。
報道によると、自己破産後に離婚したようです。
勘坂氏は自己破産して妻と離婚し、単身で金沢市内の賃貸マンションで暮らす日々だという。
勘坂氏は2012年4月に自己破産していますので、焼肉酒家えびす集団食中毒事件から約1年は結婚生活を続け、その後に離婚しているということになります。
勘坂康弘の焼肉酒家えびす集団食中毒事件の詳細
勘坂康弘氏が経営する「焼肉酒家えびす」では、2011年に集団食中毒事件が起こりました。
2011年に集団食中毒が発生
2011年4月21日以降に、富山県・福井県・神奈川県の店舗でユッケなどを食べた多数の客が腸管出血性O-111による食中毒になったことが判明しました。
この食中毒事件では、被害者の96%が生肉であるユッケを食べていたことが判明しています。
多数の犠牲者が出た
この焼肉酒家えびす集団食中毒事件では、被害者は181人にも達しました。死亡者も5名出ています。
都道府県別の被害者はこちらです。
・福井県:4名
・石川県:1名
・神奈川県:1名
次に、死亡者について見ていきましょう。
・14歳男児(富山県・砺波店)
・43歳女性(富山県・砺波店)
・70歳女性(富山県・砺波店)
・6歳男児(福井県・福井渕店)
6歳から70歳まで幅広い年齢の客が犠牲になっています。
えびすは廃業に
この集団食中毒事件によって、富山県は「焼肉酒家えびす」2店舗に対して、営業停止命令の行政処分を言い渡しています。
そして4月29日には、焼肉酒家えびすの経営会社であるフーズ・フォーラスは「焼肉酒家えびす」全店舗を営業停止することを発表しました。
勘坂康弘は被害者への賠償金を支払うための資金繰りのめどがついたことを理由に、5月中旬に保健所に営業再開の打診をしますが、原因が究明されていないとして許可は出ていません。
そして、6月8日に営業再開を断念し、7月には会社は解散。20店舗を同業者のスタンドサービスに売却しています。
この焼肉酒家えびす集団食中毒事件が起こった原因は、焼肉酒家えびすの衛生管理面だけでなく、食肉卸しの大和屋商店の衛生管理にも原因があったことがわかっています。
・トリミングせずにユッケとして出していた
・売れ残りユッケを翌日に提供していた
<大和屋商店>
・生食用じゃないのに、生食用として出荷していた
・トリミングしていない肉を生食用にしていた
・冷蔵庫や包丁・まな板など衛生管理が不十分だった
焼肉酒家えびすでの衛生管理が悪かったこともありますが、未開封の牛肉の表面からもO-111が検出されたので、「焼肉酒家えびす」だけの責任ではありません。
むしろ、食肉卸業者の責任の方が大きいと言えるのです。
焼肉酒家えびす集団食中毒事件をきっかけに、ユッケは事実上禁止に
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この焼肉酒家えびす集団食中毒事件は、ただ単に勘坂康弘氏が経営するフーズ・フォーラスと「焼肉酒家えびす」が倒産・閉店しただけでは済みませんでした。
この事件を受けて、肉の生食に関しては厳しい規制が設けられ、一部の高級店など以外はユッケを出すことはできなくなり、事実上禁止に近い状態になっています。
さらに、この食品安全規制の流れを受けて、2012年7月1日からは牛の生レバーも提供禁止になっています。
勘坂康弘は逆ギレ会見で話題に
勘坂康弘はフーズ・フォーラスの代表取締役社長として、焼肉酒家えびす集団食中毒事件が発生した後の5月2日に会見を開きました。
この時の会見が「逆ギレ会見」として炎上したのです。
勘坂康弘は、記者会見中に強い口調で、次のようなことを話しています。
「使えないものを使ったなら、人殺しですよね。本当に」
「法律で禁止すればいい。すべきです。禁止して頂きたい」
また、当時は厚生労働省に生食用の牛肉の基準がなく、食肉卸売業者からは「ユッケ用」と提案されたものを使っていたことを会見で話し、逆ギレ・責任逃れのように聞こえてしまいました。
そのため、この会見は逆ギレ会見と呼ばれ、インターネット上で大炎上したのです。
3日後には土下座会見を開く
強い口調で責任逃れのようなことを会見で話した3日後の5月5日、一転して涙を流しながら土下座して謝罪するという会見を開きました。
3日前の会見とは全然違う姿・態度に、「今更謝罪しても遅い」「前の会見で炎上したから、今度は泣き落とししているだけだろう」などと辛らつな意見を持つ人が多くいました。
勘坂康弘についてネット上では韓国人という噂があるがデマ濃厚
勘坂康弘氏はインターネット上では、「韓国人じゃないの?」という噂があります。
ここでは、韓国人説について検証していきます。
勘坂康弘は在日韓国人の噂あり
なぜ、勘坂康弘氏は韓国人では?と言われるようになったのか?それは焼肉チェーン店を経営していたからでしょう。
焼肉は朝鮮半島発祥の料理で、日本で焼肉屋さんを経営しているのは在日韓国人・在日朝鮮人が多いのです。
そのため、勘坂康弘氏も在日韓国人なのでは?と言われるようになりました。
韓国人ではない意見も
勘坂康弘氏は在日韓国人ではないか?という噂もありますが、否定する意見もあります。
次の2ちゃんねるの書き込みは的を得ている気がします。
810 :可愛い奥様:2011/05/08(日) 15:14:30.97 ID:S3EwArtO0
この社長は在日ではないと思う。勘坂って名字はあっち系ではない。
そもそも富山は在日少ないし、部落っていう言葉も差別用語じゃなく、普通に使ってたけど・・。あの部落(村)は~みたいに。
あと同和とか知らない人ほとんどだし。焼き肉屋やってる在日の人もいるけど、たいがい個人店だと思う。
どっちかというと卸業者のほうが在日絡んでるんじゃないかと・・・。
確かに、在日韓国人の姓は、ある一定の法則があると言われていますが、「勘坂」はその法則の中には入っていません。
富山県は在日韓国人が少ない地域ですし、勘坂康弘氏の顔立ちも「The 韓国人」という感じでもありません。
また、後述の理由からも勘坂康弘氏は在日韓国人ではない可能性が高いと言えます。
勘坂康弘は嵌められた?
勘坂康弘氏は韓国人ではないから、焼肉酒家えびす集団食中毒事件が起こり、しかも大々的に報道されたのではないか?とも言われています。
むしろはめられた可能性も指摘
勘坂康弘氏が経営する焼肉酒家えびすは、2008年以降に急成長を遂げ、首都圏にも出店するほどになりました。
その成長を面白くないと思っていた人たちがいたのかもしれません。
先ほども言ったように、日本の焼肉店は在日韓国人が経営していることが多いです。また、食肉卸し業者は昔は「被差別部落民」と呼ばれていた人たちが担っていることがしばしばあります。
勘坂康弘氏は在日韓国人でもなく、部落民でもないため、焼肉酒家えびすの成長を良く思わない在日+同和にはめられたのではないか?という意見があるんです。
449 :可愛い奥様:2011/05/06(金) 10:33:21.24 ID:b6vRWgIs0
在日、同和利権の肉業界から嵌められたんだろ
勘坂康弘社長は被害者
被差別出身でない者が焼肉チェーンなんて無謀だったんだよ
170名無しさん@1周年2018/11/07(水) 22:29:27.78ID:JbC2juMY0>>175
だってメールの証拠も元社長は公開してるしな。
肉屋の方がえびすを騙した感じじゃないか
なんとなく、ありえなくはない話ですよね。
食肉卸売りが原因と分かってからは報道ストップ
出典:news24.jp
ちなみに、勘坂康弘氏が記者会見を行った時にはマスコミは一斉に勘坂氏を叩き、「責任逃れの逆ギレか危険」と騒ぎ立てました。
しかし、食肉卸売り業者の責任が大きいとわかってからは、焼肉酒家えびす集団食中毒事件の報道は一気に収束しています。
食肉卸し業者の責任と判明したのは5月16日ごろのことですが、そのあとはテレビ報道は少なくなったようです。
同和+在日は日本にとってはある意味「アンタッチャブル」なところであり、センシティブな問題になりますので、マスコミは報道しなくなったのかもしれません。
勘坂康弘は焼肉酒家えびす集団食中毒事件後に自己破産している
出典:ameblo.jp
勘坂康弘氏は、焼肉酒家えびす集団食中毒事件で自己破産をしています。
焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件で、特別清算中の運営会社「フーズ・フォーラス」(金沢市)の勘坂康弘元社長の代理人弁護士は27日、富山地裁高岡支部に元社長の自己破産を申し立てたことを明らかにした。負債総額は約13億2千万円。
引用:「えびす」運営会社の元社長、自己破産申し立て:日本経済新聞
会社の「フーズ・フォーラス」の特別清算手続きの中で、取引先が債務を放棄する条件に勘坂康弘氏の自己破産があったようです。
勘坂康弘の現在
勘坂康弘氏は現在どうしているのでしょうか?
運送業界で運転手をしている
出典:bunshun.jp
焼肉酒家えびす集団食中毒事件後は、勘坂康弘氏は会社が倒産し、自己破産しています。そして、離婚もしています。
その後、マスコミの取材によると、2014年の時点では運送業界で運転手をしているようです。
「『飲食店でアルバイトしている』という報道もありましたが、飲食関係はやっていない。運送関係の職場でドライバーをしています」
この取材では、もう一度事業を始めたいとしていましたが、現在のところ、勘坂康弘氏が起業したという報道はありません。
不起訴処分&賠償責任なし
出典:mainichi.jp
勘坂康弘氏は死者が5名も出た集団食中毒事件を引き起こした会社の社長として、刑事・民事の両方で責任が問われていました。
しかし、現在は刑事・民事の両方で、勘坂康弘氏個人に事件の責任はないという判決が出ています。
刑法上の責任としては、2019年に富山検察審査会が「不起訴不当」としたことを受けて、富山地検が再捜査していましたが、2020年に不起訴処分になることが確定しています。
また、民事においても、勘坂康弘氏に賠償責任はないという判決が出ています。
東京地裁は、ことし3月の判決で、運営会社の責任を認めておよそ1億7000万円の支払いを命じた一方で、元社長らの食中毒発生に対する責任については認めず、原告のうち県内の2人が控訴していました。
7日の控訴審判決で東京高裁の川神裕裁判長は、元社長らに、食中毒発生を予見や回避できた可能性があったとまでは認められないとして、一審判決を支持し、遺族の控訴を退けました。
この判決で、勘坂康弘氏個人には焼肉酒家えびす集団食中毒事件の責任はないと結論づけられたと言えるでしょう。
勘坂康弘のまとめ
勘坂康弘の経歴や結婚した嫁や子供と離婚について、焼肉酒家えびす集団食中毒事件の詳細や逆ギレ会見、韓国人の噂と現在をまとめました。
確かに、勘坂康弘氏個人には食中毒事件の責任はないのかもしれません。
でも、被害者と被害医者遺族にとっては、やりきれないものがありますね。