存在感あふれる演技で知られるベテラン俳優の藤竜也さんですが、若い頃のイケメンっぷりや出演作品も話題です。
今回は藤竜也さんの若い頃の経歴や顔画像、嫁の芦川いづみさんとの馴れ初めや結婚、子供(娘や息子)、自宅も紹介します。
この記事の目次
藤竜也のプロフィール
藤竜也(ふじ たつや)
生年月日:1941年8月27日
出生地:中華民国北京市
出身地:神奈川県横浜市
身長:173㎝
藤竜也さんは、長年第一線で活躍するベテラン俳優で、全盛期には刑事ドラマを中心に主演を連発し、近年も「おかえりモネ」や「台風家族」といった作品に出演しています。
しかし、若い頃は下積み生活も経験しており、ドラマ「時間ですよ」の謎の男・風間役でブレイクした頃には、既に30代に突入していました。
ブレイク後は、映画「愛のコリーダ」の主役・吉蔵役や、ドラマ「プロハンター」の主役・水原淳役などが代表作品となりました。
tvkで草刈正雄さんと藤竜也さんの『プロハンター』再放送始まった。日テレ=セントラルアーツの探偵ドラマとしては松田優作の『探偵物語』よりこっちの方が断然好き。監督村川透、撮影安藤庄平。草刈さんと藤竜さんの軽い掛け合いがオシャレでいい。これもあんまり古くなっていない。
— 佐々木浩久 (@hirobay1998) August 28, 2019
この記事では、そんな藤竜也さんのこれまでの経歴や愛妻家エピソード、結婚歴や子供などプライベート情報を紹介します。
藤竜也の若い頃の経歴① 中国生まれ・幼少期に父親が事故死していた
藤竜也さんの父親は、神奈川県横浜市に本社を置いていた「諸星インキ」の社員でした。
父親が中国・北京市に赴任が決まった際に、同じ横浜市出身の日本人女性とお見合い結婚をして、赴任先の北京で1941年に藤竜也さんが生まれています。
ちなみに、「藤竜也」は芸名で、本名は「伊藤龍也」さんといいます。
そのため、中国生まれとなる藤竜也さんですが、戦時中に日本に帰国。
ちょうどその頃は本土空襲が現実化していた時期だったため、帰国してすぐに小田原市にあった祖父の家に疎開しています。
戦後になって横浜市に戻って来た伊藤家ですが、小学生の頃に父親が事故に遭い他界。以降は母親が女手一つで藤竜也さんを育てました。
最初は(保土ケ谷区の)西谷にね。西谷に父の社宅があったので、その社宅から西谷小学校に通ってたんだけども、しばらくして父が、いまの相鉄線にね、当時は神中線(じんちゅうせん)って言ったんだけどさ、撥ねられて亡くなってしまって。それで母方の祖父を頼って、一時期、葉山にいました。
藤竜也の若い頃の経歴② 日本大学在学中にスカウトされる
母子家庭ながらも、私立中学・高校へ進学
父親を亡くして母子家庭となった藤竜也さんでしたが、父方もしくは母方の実家がお金持ちだったのか、中学からは私立の関東学院中学校に通っています。
高校はそのまま内部進学で進み、大学は外部の大学を3つほど受験した藤竜也さんは、唯一合格した大学が、日本大学芸術学部だったそうです。
映画好きだったため、専攻は映画学科を希望したものの、成績が悪すぎて演劇学科に回されたんだとか。
なお、大学生の頃はほとんど大学に通わず、遊びほうけていたようです。
大学在学中にスカウトされる
遊び人の大学生だった藤竜也さんが芸能界デビューしたきっかけは、街中でのスカウトでした。
藤竜也さんが東京都・有楽町にあった日本劇場前で彼女と待ち合わせをしていたところ、映画会社「日活」のスカウトマンから声をかけられたそうです。
それほど勉強する気もなかったし、このままだとつまらない人生を送ることになるんだろうという予感があったから「お金になるよ」って言われると、何かね(笑)。最初は嘘かと思ったけど、本当にスカウトの部署の人だったらしくて、それでまあ、これでいくしかないなと思ったんです。
スカウトを受けた藤竜也さんはその後、日活に入社。当初は大学に籍を置いていたようですが、中退しています。
藤竜也の若い頃の経歴③ 日活の新人時代は大部屋俳優だった
意気揚々と日活に入社した藤竜也さんですが、演技がさっぱりだったこともあり、周囲からは大部屋俳優扱いで、通行人役程度の役ばかり続いたといいます。
そこで初めて危機感を持ち始め、同業者の演技を見学したり、ヒゲを生やしてイメチェンを図ったりと努力しました。
その甲斐があって、周囲の扱いはマシになったそうですが、何の前触れもなく2~3か月仕事がないなど、相変わらず不安定な生活を送っていたそうです。
そのため、仕事がない時期は会員制のスポーツクラブに毎日のように通い、ひたらすら体を鍛えて不安を吹き飛ばしていたんだとか。
また、当時はギャングの手下役が多かったこともあり、撮影所内のアクション道場に通い、先輩俳優に技斗(格闘シーン時に素手素足もしくは武器を用いた演技)を習っていたそうです。
手当欲しさにアクションシーンに挑戦していた
日活時代の藤竜也さんは、基本給+歩合給の給料システムでした。また、スタントマンには危険手当が出るため、スタントシーンにも積極的に挑戦していたとか。
とはいえ、藤竜也さんは特に体操や格闘技などを習っていたわけではなかったため、危険なスタントシーンではしょっちゅう怪我をしており、手術も2~3度しています。
肩を骨折したり、割れたガラスのコップが背中に突き刺さったりしたこともあったそうです。
藤竜也の若い頃の経歴④ ドラマ「時間ですよ」でブレイク
下積み時代が続いた藤竜也さんでしたが、1969年に出演した映画「野獣を消せ」で演じたアウトロー役が評価され、新境地を開いたかに見えた時期もありました。
しかし、邦画不況により日活の経営が傾いた結果、1971年には撮影所の一部が閉鎖され、一般映画製作から日活が撤退するという事態に。
そのため、藤竜也さんも活動の場を移さざるを得なくなり、ドラマ界へ本格的に進出することになりました。
その後の1973年、ドラマ「時間ですよ(第3シリーズ)」の風間役を演じたことで、ブレイクを果たします。
風間自体は脇役でしたが、平均視聴率29%の大人気ヒット作ということもあり、街を歩いていると常に振り向かれるというくらい、全国的な知名度を獲得したのです。
藤竜也の若い頃の経歴⑤ 「愛のコリーダ」に出演
藤竜也さんの代表作には、1975年公開さの映画「愛のコリーダ」があります。藤竜也さんは主人公・吉蔵役を演じました。
阿部定事件をモチーフにしたこの作品は、日本初の性交シーン有りの映画であり、邦画史にとってエポックメイキング的な作品でした。
『愛のコリーダ 修復版』観てきた。やっぱ強烈だったなぁ。これ、70年代の作品だよっ。いわゆる阿部定事件が題材なんだけど、サディズムとマゾヒズムとフェチシズムが究極の”目合ひ”を醸し出す。こんな名作、劇場で次いつ観られるかわからないし。やはり大島渚監督凄いよなぁ。#映画 pic.twitter.com/7cDdBRTtbc
— ☆★おうむあむあ☆ミ (@givemeachoco) May 25, 2021
ただ、当時の日本社会では「芸術か、わいせつか」との論争が起こり、裁判沙汰にまで発展しています。
「愛のコリーダ」に出演するために事務所を辞めていた
「愛のコリーダ」の出演オファーが来た当時、藤竜也さんは、大河ドラマ「勝海舟」で土方歳三役を演じるなど売れっ子俳優としての地位を確立しつつあった頃でした。
そのため、当時の所属事務所はイメージを悪化させかねないとして、出演に猛反対。
しかし、脚本を読んだ藤竜也さん本人はどうしても「愛のコリーダ」に出演したくなったそうで、事務所を辞めてまで出演することになりました。
セクシャルなシーンの向こうにある男と女が惚れる喜び、崇高さと滑稽さ、これは見事なもんだなと思って。これはやらなきゃいけないなと思ったんですよ。物議を醸すだろうということはだいたいわかっていましたけど、俳優としてやらなきゃ損だなって
ただし、「愛のコリーダ」が裁判沙汰になったこともあり、以降は2年ほどは出演オファーがまったくないという状況に陥ってしまったそうです。
藤竜也の若い頃のイケメン過ぎる画像を紹介
藤竜也さんは、ブレイクしたのが30代ということもあり、ダンディズムの象徴的として語られることが多々あります。
タバコ、値上がりしました
— K-craft (@kcraftyokohama) October 3, 2020
スモーカーのわたくし。
吸うきっかけは中坊の時に見たこの方の影響です。藤竜也…今でもマジカッケーです。 pic.twitter.com/9nZKhWuMz0
さすが街中でスカウトされて芸能デビューしただけあって、若い頃は色気がだだ漏れのイケメンだったことがわかりますね。
藤竜也が結婚した嫁は元女優・芦川いづみ
芦川いづみのプロフィール
藤竜也さんの妻・芦川いづみさんは、松竹歌劇団出身の女優であり、退団後は日活の黄金期を支えました。
石原裕次郎さん主演映画にヒロイン役で出演する機会が多かったほか、「若草物語」や「その人は遠く」といった映画では主演も務めています。
・「知と愛の出発」(1958年)
・「いのちの朝」(1961年)
・「しろばんば」(1962年)
・「結婚相談」(1965年)
・「四つの恋の物語」(1965年)
また、その美貌ぶりから「日本のオードリー・ヘップバーン」とも呼ばれていました。
初めての神保町シアター。何よりまず建物がカッコいい。内装も綺麗。
— あきゅう (@inuni_hoerareru) November 17, 2019
壁には今までの特集上映が貼ってある。目を引かれたのは芦川いづみ。川島雄三の映画で好印象だったけど改めて見ても本当に美人。
12月に新文芸坐で特集やるから絶対に観に行く。
「浮雲」は私にはまだ早かったかな。大人の映画だ。 pic.twitter.com/LPTW2H23h8
藤竜也と嫁・芦川いづみは石原裕次郎のおかけで結婚できた
格差婚で周囲の反対が凄かった
大変でしたね。彼女はすでに大スターで、僕はまだどこの馬の骨かわからないようなぺーぺーの役者でしたからね。風当たりが強かったですよ。色々言われましたけどあんまり感じなかったですね(笑)。そうなっちゃったんだから、しょうがない(笑)。
こればっかりは若いからね。情熱があるし、好きでかけがえがないと思うわけですから、もう怖いものはないですよね
石原裕次郎が結婚に一肌脱いでくれた
業界内で四面楚歌状態になってしまっていた藤竜也さんですが、当時可愛がってもらっていた石原裕次郎さんに芦川いづみさんとの仲を相談したところ、状況が一変することになります。
1963年に「石原プロモーション」を設立し、すでに日活から独立していた石原さんでしたが、かつての大黒柱ということもあり、日活内での影響力は絶大でした。
そして、石原裕次郎さんの自宅で日活の重役たちと藤竜也さんを引き合わせて、2人の結婚を承諾するように説得してくれたのです。
おまけに、貧乏暮らしで一張羅を持っていなかった藤竜也さんに、結婚式用のタキシードまでプレゼントしてくれたといいます。
藤竜也と嫁・芦川いづみの結婚式は質素だった
石原裕次郎さんのおかげで結婚までこぎつけた藤竜也さんですが、ブレイク前で金欠だったせいもあり、結婚式はとても簡素なものでした。
そうなんです。僕はお金がなかったからね。いわゆる結婚式のもてなしというのができないから貯金を全部引き出して、サンドイッチと鶏の唐揚げを用意して、『今、僕にできることはこれしかないので、これで勘弁してください。そのかわりお祝いのお金も何も持ってきてくださらないで』って(笑)。
とはいえ、石原裕次郎さんが音頭を取ってくれたこともあり、多くの業界人が足を運んでくれた賑やかな結婚式でもありました。
また、ウェディングケーキなどは日活が用意してくれたそうです。
68年の今日,藤竜也さんと芦川いづみさんの結婚式 pic.twitter.com/biPIcqhhMY
— (@oldmovies_0401) August 28, 2021
藤竜也と芦川いづみは夫婦仲が良いことでも有名
藤竜也さんと結婚後の芦川いづみさんは、女優を引退しています。
結婚後、「時間ですよ」でブレイクして人気俳優となった藤竜也さんですが、不倫騒動を起こすこともなく、妻一直線な人生を歩んでいます。
そんな藤竜也さん夫婦の仲は良く、外出時にはいまだに手を繋いで歩くようなラブラブぶり。また、毎晩就寝前に芦川いづみさんと握手してから眠るそうですね。
ちなみに、近年はコロナ禍で外食を控えているため、藤竜也さんが手料理を振舞う機会が増えているんだとか。
そんな藤さんの愛妻家エピソードは、ネット上でもかなり高評価です。
12名無しさん@恐縮です2022/01/17(月) 18:38:52.31ID:h7nCdy5p0
いい感じの老夫婦になってるな
50名無しさん@恐縮です2022/01/17(月) 19:04:09.55ID:PTUU8ZN70
若い頃はギラついてて苦手だったけど
今はすごくいいな
引用:こテレビ】藤竜也 「趣味は妻」80歳の結婚生活 手つなぎで外出、寝る前に握手、食事は「作らしてくれよって」 [爆笑ゴリラ★]
藤竜也と嫁・芦川いづみの子供(息子・娘)
藤竜也さんと芦川いづみさんの間には、息子が1人生まれました。
そのため、ネット上では「藤竜也の息子が俳優になった!」とも噂されています。
しかし、実際の藤竜也さんの息子は、一般企業に就職してサラリーマンをしているそうです。
親子関係は良いらしく、お互いに適度な気遣いをしつつフランクに交流している、と藤竜也さんがインタビューで語っています。
藤竜也の現在① 自宅は横浜
藤竜也さんの自宅は、神奈川県横浜市片倉町にあると言われています。
近所には、女優の倍賞千恵子さん夫婦も住んでおり、家族ぐるみの付き合いがあるとのこと。
また、藤竜也さんのプライベートでの交流は一般人も多く、町内会の友人たちと一緒に出かける機会も多いそうです。
さらに、近隣には横浜中華街があることから、町内会の友人たちと「チャイナタウン探検隊」という食べ歩きサークルも結成しています。
現在はコロナ禍ということもあり、サークル活動は自粛しているそうですが、これまでに100店舗以上を訪れており、レポートを収めたファイルが7冊も存在するようです。
藤竜也の現在② 陶芸にハマっていた時期も
藤竜也さんと言えば、多趣味な人物としても知られています。趣味の幅も広く、サーフィンから絵画と様々な分野にチャレンジしています。
特に、絵画のセンスは抜群だったらしく、ご近所仲間の倍賞千恵子さん夫婦に手ほどきをするほどの腕前のようです。
そんな多くの趣味の中でも、最も有名なのが陶芸です。藤竜也さんの作る陶芸作品の評価は高く、デパートで個展が何度も開催されています。
陶芸を始めたきっかけは、倍賞さん夫婦が先に陶芸教室に通っていたことで興味が湧いたそう。
一時期は自宅の庭に陶芸用の大きな窯まで作っていたようです。
ただ、次第に「作らなきゃならない使命感」が強くなり、今は陶芸から離れているといいます。
また、庭にあった窯は、妻の芦川いづみさんから「目障りよ、なんとかならないの?」と嫌な顔をされたため、現在は取り壊してしまったそうです。
藤竜也さんは今後また、陶芸への意欲が戻ってくるでしょうか。新作が披露される日が待ち遠しいですね。
藤竜也のまとめ
藤竜也さんは、下積み時代にすでに大女優だった芦川いづみさんと結婚したことで注目を集め、ドラマ「時間ですよ」の風間役でブレイクした俳優です。
最近は主演作はありませんが、作品に欠かせない存在として多くの作品に出演し、プライベートでのおしどり夫婦エピソードも多くの人に支持されています。
藤竜也さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。