1990年に大ヒットしたKANさんの「愛は勝つ」。そのKANさんと結婚した女性が早稲田桜子さんです。
早稲田桜子さんのプロフィールや年齢、実家や家族、経歴、若い頃の美人画像、KANさんとの結婚や馴れ初め、子供の有無と離婚の噂、KANさんの死因や現在をまとめました。
この記事の目次
早稲田桜子はバイオリニスト&KANの妻
早稲田桜子
生年月日:1970年8月14日
出身:神奈川県鎌倉市
所属:プレルーディオ
血液型:O型
活動:バイオリニスト
早稲田桜子さんはバイオリニストです。
アーティストのコンサートツアーに参加するほか、全国各地でコンサートやレクチャーを行っています。さらに、チャリティーコンサートを積極的に開催し、医療・福祉施設での演奏、復興支援コンサートなども開催しています。
また、「愛は勝つ」のKANさんと結婚したことでも知られています。
早稲田桜子の年齢
早稲田桜子さんの年齢は、2025年で55歳になります。近年のプロフィールでは生年月日は明かしていませんが、1997年にKANさんのコンサートツアーに参加した時にプロフィールがパンフレットに「生年月日:1970年8月14日」と記載されていました。
KANさんの生年月日は1962年9月24日ですので、早稲田桜子さんはKANさんの8歳年下になります。この早稲田桜子さんの画像は2024年末のものです。
これで50代半ばだなんて、全然見えませんよね。とても若く見えます。
早稲田桜子の実家・家族
早稲田桜子さんは神奈川県鎌倉市出身で、6人兄妹だったそうなので、8人家族で育ちました。
六人兄姉の末っ子。みんなのまとめ役&ムードメーカーだと思ってます。
6人兄妹ってすごいですよね。しかも、早稲田桜子さんの経歴を考えると、実家はかなり裕福だったことがわかります。ちなみに、姉の早稲田眞理さんはピアニストとして活動しています。ピアノ教室を開いているほか、演奏活動をしたり、昭和音楽大学で講師をしています。
6人兄妹で、少なくとも2人は音大に行けるほど、本格的に音楽のレッスンを受けさせることができたということは、やはり実家は裕福だったのでしょう。
姉の早稲田眞理さんの経歴は以下の通りです。
・第4回シューマン国際コンクール入選
・第7回ヴィオッティ・ヴァルセシア国際ピアノ・コンクール入選
・第21回ヴィオッティ国際コンクール入選、ディプロム受賞
・ロンドン王立音楽院にてARCM王立演奏家資格取得
姉の経歴もすごいですが、早稲田桜子さんの経歴はもっとすごいんです。
早稲田桜子の経歴
早稲田桜子さんは、1970年に神奈川県鎌倉市で生まれました。
4歳の時からスズキ・メソードでバイオリンを始め、広瀬八朗氏・島根恵氏に師事します。早くから頭角を現し、12歳の時には才能教育研究会海外派遣団の一員としてアメリカ13都市での演奏旅行に参加し、その後も国内外で演奏活動を行いました。
大船高校在学中には「東京文化会館推薦音楽会」に出演しています。
大学は東京藝術大学音楽学部器楽科バイオリン専攻に入学し、小林健次氏・古澤巌氏に師事しました。大学在学中はフランスでフランス音楽を学び、大学卒業後はアメリカのバークリー音楽院に留学しています。留学中には今まで触れることがなかったジャズやポピュラーなどのジャンルの音楽に触れ、ラテン音楽にも興味を持つようになります。
帰国後は国内外のアーティストのコンサートツアーやレコーディング、CM音楽の演奏などに参加するようになりました。
2002年からは夫のKANさんと共にフランスのパリに渡り、イヴリー・ギトリス氏に師事しました。
日本に帰国した後は、ダンスとの共演や、和楽器、映像とのコラボレーション、他ジャンルのアーティストとのコンサート、アルバム参加など幅広く音楽活動をしているほか、一般財団法人地域創造・公共ホール音楽活性化事業の登録アーティストとして、全国各地でコンサートを行っています。
また、同時に病院や老人ホームなどでの演奏や震災復興チャリティコンサートなどを行うなど、チャリティ活動も積極的に行っています。
そして、早稲田桜子さんの最大の特徴は、鍼灸師とあん摩マッサージ指圧師の資格を持っていることです。パリから帰国後に身体の構造を理解した上での演奏方法を学ぶために、花田学園に入学して鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得しました。
鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得するためには、3年間学校で学び、国家試験に合格する必要があります。バイオリニストとして活動しながら、国家資格を取得するのは本当に素晴らしいですね。
早稲田桜子は若い頃から美人!
早稲田桜子さんは若い頃は本当に美人でした。まさに「美人バイオリニスト」という言葉がピッタリの女性だったんです。
こちらが若い頃の早稲田桜子さんの画像です。
これだけ美しい人が東京藝術大学卒業、さらにアメリカのバークレー音楽院留学という経歴を持っているのですから、「天は二物を与えた」と言えるのではないでしょうか。
これだけ美しいバイオリニストなら、若い頃はさぞかしモテたことは間違いないでしょう。
そして、早稲田桜子さんは若い頃は美しかったのですが、現在でも本当にキレイです。
2024年12月30日に夫のKANさんの特集でテレビに出演していましたが、この時54歳。54歳とは思えないほど、とてもきれいでかわいらしいですよね。ライトが当たっているとはいえ、お肌もツヤツヤで張りがあります。
早稲田桜子はKANと結婚
早稲田桜子さんはミュージシャンのKANさんと1999年に結婚しました。
早稲田桜子さんが28歳、KANさんが36歳の結婚です。
結婚式は早稲田桜子さんの地元であるカトリック雪ノ下教会で行いました。満開の桜並木の中で、両家の親族やスタッフら200人が参列したとのことです。
KANは「愛が勝つ」
早稲田桜子さんと結婚したのはKANさんです。
KANさんは名曲「愛が勝つ」で知られるミュージシャンです。福岡県福岡市出身のKANさんは法政大学卒業後に現在のアップフロントエージェンシーと契約し、1987年にデビューしました。
そして、1990年に「愛は勝つ」が5thアルバム「野球選手が夢だった。」に収録される形で発表されました。発売当時はほとんどヒットしませんでしたが、1991年に超人気バラエティ番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のエンディングテーマに採用され、大ヒットし、シングル200万枚以上のセールスを記録しました。
その後も、シンガーソングライターとして精力的に活動を続け、特にコンサートはコントや寸劇、ダンスなどを取り入れたエンターテイメント性溢れるもので、ファンからは高い評価を得ていました。
また、同業のミュージシャンのファンも多く、藤井フミヤさんや平井堅さん、山崎まさよしさん、ASKAさんなどはKANさんのファンであることを公言しています。
早稲田桜子とKANの馴れ初め
早稲田桜子さんとKANさんの馴れ初めは、KANさんのコンサートツアーです。
1997年のKANさんのコンサートツアー「LA TOUR DOMESTICA DEL DECIMO ANNIVERSARIO DAL TREDICI SETTEMBRE PASSANDO IL MIO COMPLEANNO AL OTTO NOVEMBRE」に早稲田桜子さんがバイオリニストとして参加し、全国ツアーに2ヶ月間帯同しました。
この2ヶ月間一緒にいて音楽活動をする中で、2人は急速に仲を深め、交際することになりました。コンサートツアー中から交際していたかどうかはわかりませんが、ツアー中にKANさんは早稲田桜子さんにべた惚れだったことは間違いないと思います。
当時のKANさんのツアーに参加した人が次のようなポストをしていました。
ご結婚される前のツアーでヴァイオリンを弾いてらした早稲田桜子さんを紹介するときの照れた少年のようでかつ少しデレっとした表情が忘れられないでいる。
— ちいさい母さんヌ (@Chiisaikaasan) November 17, 2023
結婚後の曲からも愛を感じて素敵なご夫婦だったんだろうと思う。「50年後も」みたいなかんじだったのかなぁ。
1997年夏に出会った2人は、翌1998年8月にKANさんが桜子さんにプロポーズして婚約しました。婚約指輪はティファニーだったそうです。
ただ、KANさんと早稲田桜子さんの結婚に桜子さんのご両親が反対します。ご両親は娘が芸能人と結婚することに反対したとのこと。
ご両親の心情は理解できますよね。芸能界は浮き沈みが激しい世界ですし、早稲田桜子さんの経歴を見ると、実家はかなりの良家で「きっと家柄が良く、厳格な家庭」だったことを推測することができますから。
それでも、1999年1月には桜子さんのご両親から結婚の許しを得て、1999年4月に結婚する運びとなりました。
「長ぐつ」は早稲田桜子さんに当てたラブソング
1998年3月に発売されたKANさんの11thアルバム「TIGERSONGWRITER」の中に収録された「長ぐつ」は、早稲田桜子さんを思ってKANさんが作詞・作曲した楽曲です。
この「長ぐつ」は、愛する人をいつも寄り添い助けるような歌詞の優しい楽曲です。
早稲田桜子さんは「長ぐつ」を「優しい曲」と表現していました。
早稲田桜子とKANに子供はいない
早稲田桜子さんは28歳の時にKANさんと結婚しましたが、早稲田桜子さんとKANさんに子供はいません。どちらも初婚だったようなので、2人には子供がいないことになります。
ただ、早稲田桜子さんは子供を作らないと決めていたわけではなさそうです。すでにそのブログは削除されていますが、流産をしたとブログに書いたことがあったようです。
ただ、早稲田さんはこの直後の7月、ブログで稽留~進行流産をしたと告知しました(最近と書いてあり、いつかの詳細はわかりません)。それと関係あるのかどうかはわかりませんが、その後の投稿でも、詳しくは書いてなくとも去年はいろいろ大変だったようなことが読み取れました。
この流産に関することが書かれたブログは、2010年7月ごろのことのようです。2010年だと早稲田桜子さんが40歳ごろのことですね。
早稲田桜子さん、KANさんのどちらに原因があったのかはわかりませんが(もしくは両方にあったのか、どちらに原因があったわけではないのか)、お2人は長く不妊治療をなさっていたのかもしれませんね。
子供がいない40歳の女性がようやく妊娠したのに、流産してしまうのは本当にショックだったはずです。それでも夫婦で支え合って、演奏活動を続けていたのは尊敬に値します。
早稲田桜子とKANに離婚の噂が出るがデマ
早稲田桜子さんとKANさん夫婦のことを調べていると、「離婚」というワードが出てきます。早稲田桜子さんとKANさんは離婚したのでは?という噂があるようですが、この噂は完全にデマです。
早稲田桜子さんとKANさんは離婚していません。噂の出所は、いつからかKANさんが結婚指輪をしなくなったり、ライブイベントの「ラッキーラクーンナイト」の告知に「再び独り身となったKANさんの逆襲」というフレーズが書いてあったことが関係しているようです。
ファンとしては、好きなアーティストが結婚指輪をしなくなったら、「離婚した?」と勘ぐるのは当然のことです。また、イベントの告知に「独り身になった」と書いてあったら、「こっそり離婚していた?」と思ってしまいますよね。
でも、早稲田桜子さんはKANさんが亡くなるまで、ずっと離婚することなく寄り添っていましたから、離婚はしていません。
死後離婚の噂も…
早稲田桜子さんはKANさんと離婚していませんが、「死後離婚したのでは?」という噂も出ました。死後離婚とは、配偶者の死後に「婚姻関係終了届」を提出することです。
これは、KANさんの訃報時に、早稲田桜子さんの名前が出て、KANさんの本名である「木村」桜子ではなく、「早稲田」桜子だったことで、死後離婚したのでは?と思った人がいたようです。
ただ、早稲田桜子さんはKANさんと結婚した後も、「早稲田桜子」でずっと活動していましたので、名前だけで死後離婚したとは判断できません。また、2024年12月末に「KANさんの妻」としてテレビに出演していましたので、死後離婚した可能性は非常に低いと思います。
早稲田桜子の夫のKANの死因
早稲田桜子さんの夫のKANさんは2023年11月12日に亡くなりました。死因はメッケル憩室癌です。メッケル憩室とは出生時に存在する小腸のふくらみで、消化器の奇形の1つです。KANさんはここにがんが発生し、2023年3月から治療に専念するために、音楽活動を休止していました。
2022年秋から腹痛があり、病院に行って検査をしたところ、メッケル憩室癌が見つかったとのことです。
早稲田桜子さんは入っていた仕事をすべてキャンセルし、KANさんの闘病に寄り添いました。亡くなる1ヶ月前には、KANさんの希望で、2人で2年間住んでいたパリに旅行に行きました。
つまり、今年10月に訪れたフランスは夫婦ともに大好きで、思い入れの深い国だった。
「KANさんは周囲の心配をよそに、病を押して奥さんと訪れたわけです」(同)
おそらく、最後の思い出として、その旅行を企画したのでしょう。
また、KANさんの最期の言葉は「守れなくてごめんね」だったと、早稲田桜子さんは語っていました。
インタビューを受けた妻・桜子さんは目に涙を溜めながら「守れなくてごめんね」と言われたことを告白。この言葉に桜子さんは「私は私が守っているつもりだったから…“何言ってんのよ”って…。それが最後だったかどうかも…覚えてないですけど」と当時のやり取りを振り返った。
引用:KANさんの“最期の言葉” 最愛の妻が明かした「私は私が守っているつもりだったから…」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
早稲田桜子さんは葬儀の時に、KANさんの逝去を「お預かりしていた星の王子様が、違う星に旅立った」と表現したそうです。この表現だけで、早稲田桜子さんのKANさんへの思いがわかりますし、とても素敵なご夫婦だったんだなと思えますね。
早稲田桜子の現在
早稲田桜子さんは、現在もバイオリニストとしての活動を続けています。
2025年にもいろいろとコンサートに出演するようですし、昭和音楽大学の講師も続けていますので、今後も素敵な音楽を奏でてくれるはずです。
早稲田桜子のまとめ
早稲田桜子さんのプロフィールや年齢、実家・家族や経歴、若い頃の美人画像、KANさんとの結婚や馴れ初め、子供の有無、離婚の噂とKANさんの死因、現在をまとめました。
早稲田桜子さんとKANさんのご夫婦は、本当に素敵な関係だったんですね。KANさんのご冥福をお祈りいたします。