大阪2児餓死事件は当時23歳のシングルマザーが子供2人をマンションに放置して餓死させた事件です。
この記事では犯人の下村早苗の生い立ちや性被害、父親や元夫などの家族、洗濯機、胃の中と死因などの噂、懲役30年の判決と現在、手記、大島てる掲載と幽霊の噂についてまとめました。
この記事の目次 [目次を非表示]
- 大阪2児餓死事件はシングルマザーが2人の幼い子供を放置し餓死させた事件
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち① 自身も母親から育児放棄
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち② 義母からの差別
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち③ 中学で非行、性被害も
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち④ 東京の高等専修学校へ
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族① 父は教師の下村大介さん
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族② 元夫について
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族③ 子供は事件の被害者2人
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗が子供の遺体を洗濯機で洗ったのはデマ
- 大阪2児餓死事件の子供の遺体の胃の中や死因
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の判決は懲役30年が確定
- 大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の手記は現在の時点では出ていない
- 大阪2児餓死事件のマンションは大島てるへの掲載はないが現在も幽霊の噂
- まとめ
大阪2児餓死事件はシングルマザーが2人の幼い子供を放置し餓死させた事件
「大阪2児餓死事件」は、2010年7月30日に大阪府大阪市西区南堀江1丁目にある11階建てマンション(マンション名のイニシャルは「S」)の1室で当時3歳の女児と1歳9ヶ月の男児が、母親の下村早苗(事件当時23歳)の育児放棄により衰弱死しているのが見つかった事件です。
事件当時、風俗店に勤務していた犯人の下村早苗は、2010年6月9日、自宅マンションの居間の扉に粘着テープを張り、玄関に鍵をかけて幼い子供2人を閉じ込めて置き去りにして外出。(それまでにも下村早苗は少量の食べ物を置いて子供を残して長期間外出する事がよくあった)
犯人の下村早苗は2人の子供を放置したまま複数の男性(ホストなど)と性交渉をしたり夜遊びを繰り返して自宅に1度も帰らず、事件発覚前日の7月29日、マンション住民から「異臭がする」との苦情が出ているとの連絡を受けて約50日ぶりに自宅マンションに戻り、子供2人が死亡して腐敗しているのを発見しています。
この際、犯人の下村早苗は3分ほど滞在したのみで子供の遺体を放置してすぐにマンションを出て、勤務先風俗店の上司には「ゴミだらけやから見にいかんといて。子供らも放ったらかしにしてるから… 。どうしたらいいかわからない。もう死にたい」などと連絡し、別の知人男性と合流して夜景を見に神戸へ行きホテルに宿泊して性行為をしています。
翌7月30日の午前1時40分頃、マンションの部屋を見に行った風俗店上司が「異臭がする」と110番通報し、駆けつけた警察官とレスキュー隊員によって部屋の中で死亡している子供2人が見つかり、下村早苗は同日中に死体遺棄容疑で逮捕されています。
子供2人の遺体は死後50日ほど経過しており腐敗して一部が白骨化していました。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち① 自身も母親から育児放棄
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗は、三重県四日市市の出身で父親は県立高校の教師で、ラグビー部の顧問として強豪校にした名監督として知られた下村大介さんという人物で、母親は父親の元教え子でありラグビー部のマネージャーでした。また、妹が2人いる3人姉妹の長女で5人家族で育ちました。
下村早苗が5歳の頃、母親は浮気をし父親の下村大介さんにその現場を抑えられた事で、一番下の子供(下村早苗の妹)を連れて家を出てしまい、後日に下村早苗と上の妹も引き取っています。
ところが、それから半年後のある日の深夜、下村早苗から父親の下村大介さんに「お母さんがいつもいない」と電話があり、駆けつけたところ、母親が夜間や毎週末に子供を放置して遊びに行っている事がわかりました。
下村早苗と妹2人はネグレクト状態に置かれ、部屋には飼い犬の糞尿で汚れ、風呂にも入れてもらえずに髪はギトギトで服も何日も着替えておらず、長女である下村早苗は母親から500円だけを渡されて妹の世話を見ておけと頼まれるなど酷い虐待を受けていたようです。
これを見た父親の下村大介さんは、下村早苗と妹2人を引き取り、下村早苗が小学1年の時に正式に離婚しています。(下毎日新聞の記事の中村被告とあるのが下村早苗。逮捕後に養子縁組し中村姓に変わっている)
三重県四日市市で育った中村被告は、5歳の頃に両親が別居し、2人の妹とともに母親に引き取られた。ある夜、中村被告は父親(52)に「お母さんがいない」と電話した。駆けつけた父親が目にしたのは、飼い犬の排せつ物の臭いが充満する部屋で、汚れた服を着た娘たちの姿だった。母親は、頻繁に子供を置いて外出していたようだった。
見かねた父親は、中村被告が小学1年の時に正式に離婚、娘たちを引き取った。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち② 義母からの差別
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大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗は2人の妹と父親の下村大介さんに引き取られましたが、下村早苗が小学3年生の時に大介さんは連れ子のいる女性と再婚しています。
この頃、下村早苗と妹2人は義母から差別を受けており、連れ子(義母の実の子供)にはナイキの運動靴が買い与えられるのに下村早苗達にはワゴンセールの靴、連れ子にはディズニーのTシャツが与えられるのに下村早苗達には安物の服といった具合だったという事です。
こうした子供達への差別もあってか父親の下村大介さんは再婚から3年ほど後に再び離婚しています。
父親は中村被告が小学3年の時に別の女性と再婚したが、3年ほど後に再び離婚した。
当時の下村早苗について父親の下村大介さんは、地域のミニバスケットチームでキャプテンを務めたり、学校のマラソン大会で優勝したりし、学校の成績もまずまずという自慢の娘だったと証言しています。
ただ一方で、下村早苗は自分もまだ幼いのに下の妹2人の世話を見なければならず、大きな負担があり心理的なストレスも抱えていたと見られています。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち③ 中学で非行、性被害も
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小学生時代はまずまずの優等生だったという下村早苗ですが、中学に進んだ頃から荒れ始め、茶髪にして暴走族とつるんでバイクの後ろに乗っての暴走行為などで補導され、家出を繰り返してカラオケやゲームセンター、仲間の家に入り浸り、家出の費用を稼ぐために援助交際もしています。
優等生だった中村被告が荒れ始めたのは、中学に入学した後だ。家出や外泊を繰り返し、援助交際もした。「1年半くらいの間、家出しない週はなく、途方に暮れた」。父親は当時をこう振り返る。
そして、下村早苗は中学2年生14歳の時に知人の男子らに集団で暴行を受け「回される」という深刻な性被害にあっています。
早苗は中学2年生の時、集団レイプに遭っていた。山中で男たちから殴る蹴るの暴行を受けたうえ、代わる代わる性暴力を受けたという。克也は後年の早苗の逮捕後、警察から聞かされて初めて知った。解離性障害は性犯罪被害者に多い症状とも言われている。
引用:〈大阪2児餓死事件〉23歳シングルマザー“解離性障害の疑い”は事件の闇に葬られた「死んだ魚のような目になったんです」
下村早苗はこの性被害を父親の下村大介さんには告げず、相談を受けた中学の担任が妊娠の確認を手伝っていました。
俄かに信じがたい事ですが、下村大介さんは娘の性被害をずっと知らず、大阪2児餓死事件で下村早苗が逮捕されて初めてその事実を知ったという事です。
――早苗さんが強姦されたことを知っていましたか。
「当時は、知りませんでした」
大介さんはあっさり言った。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の生い立ち④ 東京の高等専修学校へ
下村早苗は中学卒業後は地元の三重県を離れて、東京の高等専修学校へ進んでいます。
これは、ラグビー部監督であった父親の下村大介さんが専修学校ラグビー部監督を務めていた知人の教師に娘を託したという経緯でした。
下村早苗は専修高等学校時代は3年間ラグビー部のマネージャーを務めており、更生したかのように見えました。
この当時の下村早苗と父親の下村大介さんの関係は「熱血親父への感謝状」などと題されたあるテレビ番組で取り上げられており、東京にいる下村早苗が父親に「お父さんの離婚は非行に走った原因ではありません。私たち子どものための離婚でした。お父さんが一番つらかったはず」、「私の夢は、いいおかあさんになることです。世界一温かな家族にすることです」といった内容の手紙を送るというものでした。
下村早苗は専修高等学校を卒業後、地元の三重県四日市市へと戻り、就職先の飲食店と知り合った1歳上の男性(元夫は当時大学生であった)と2006年12月に結婚し、子供2人(大阪2児餓死事件の被害者)を出産するも、2人目の子供出産から半年後の2009年5月に離婚。1人で2人の子供を育てていましたが、離婚から約1年後に大阪2児餓死事件を引き起こす事になりました。
東京の高等専修学校卒業後に地元に戻った被告は、就職先の飲食店で知り合った男性(26)との間に長女を授かり、結婚。だが、長男の出産から半年後、自らのうそや家出が原因で離婚した。その後、水商売を転々としながら1人で育児をしていたが、次第に子供を家に置いたまま遊びに出るようになった。周囲には「子供は他の人に預けている」と、うそをつき続けた。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族① 父は教師の下村大介さん
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大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族は、生い立ちのところでも触れたように、ラグビー部の名監督として知られた教師の下村大介さん、幼い頃に離婚した母親、妹が2人の5人家族でした。
このうち父親の下村大介さんは大阪2児餓死事件発生後に何度もメディアの取材に応じていました。当時はこの父親もラグビー部に注力するあまり下村早苗らに対してネグレクト状態であり、これが大阪2児餓死事件の遠因となったのではないかといった批判の声も上がっていました。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の父親の下村大介さんですが、三重県立四日市農芸高校のラグビー部の監督を30年近く務め、7年連続で花園出場に導いた名監督として知られていました。
下村早苗の父親の下村大介さんは現在は還暦を迎えて定年退職しているという事です。また、父親の下村大介さんは現在刑務所に服役している下村早苗に2ヶ月1回面会に行くようにしているとの事で「父親として早苗を孤立させないようにしたいと思っています」とメディアの取材に対し語っています。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族② 元夫について
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗は、2006年1月に結婚し子供2人が産まれた後の2009年5月に離婚しています。
この下村早苗の元夫ですが、結婚当時は大学生で結婚後に大学を退学して就職しています。
元夫は結婚当初の下村早苗について「一緒にいて楽しい」、元義母(元夫の母親)も「可愛らしい娘さん」と良い印象を持っており、下村早苗も当初は子供2人の育児を懸命にこなす(布おむつを使うなどこだわっていた)など一見すると幸せな結婚生活であったようです。
しかし、下村早苗は生活費が足りなくなり元夫に隠れて消費者金融から借金。さらには別の男性と不倫もするようになって離婚する事になります。下村早苗はこの離婚時に元夫とその家族に「借金はしっかり返す」、「家族には甘えません」、「しっかり働きます」などの誓約書を書いています。
そうした離婚経緯もあり下村早苗は元夫とその家族に子育てに関してもあまり頼れず、子供の養育費も受け取っていません。(養育費については元夫への批判の声が強い)
離婚後、下村早苗は新型インフルエンザに罹患した際に元夫や父親の下村大介さんに子供を預かって欲しいと頼むも、どちらからも断られています。
また、長男の1歳の誕生日を祝いたいとして元夫に連絡するもこれも断られて、下村早苗は孤独を深め次第に絶望していったようです。
2009年10月に早苗さんは新型インフルエンザに罹患する。幼い子どもが命を落とすというニュースが流れていた。元夫と実父にそれぞれ子どもを預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられた。
同じ頃、第二子の楓ちゃんの1歳の誕生日を祝いたいと元夫を動物園に誘ったが、これも断わられる。しかも、当日は誰からもお祝いのメールや電話がなかった。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の家族③ 子供は事件の被害者2人
大阪2児餓死事件の被害者である子供2人は、当時3歳の桜子さん、当時1歳9ヶ月の楓さんでした。
下村早苗は元夫との離婚後に2人の子供を引き取り、その約1年後に大阪2児餓死事件を引き起こしましたが、シングルマザーとなった当初は良き母親であろうとした形跡があります。
下村早苗は2010年1月18日に、2人の幼い子供を連れて大阪ミナミの老舗風俗店を面接に訪れ、「子供たちのために学資保険に入りたい」と動機を語っていたそうです。
下村早苗はこの風俗店で働き始め、子供を託児所に預けた事もありましたが、その託児所が泣いている子供を放置している事などに疑問を抱いて託児所に預ける事をやめてしまいます。
少なくともこの頃までは下村早苗は2人の子供への愛情を失っておらず、懸命に子供を守ろうとしていた様子が見てとれます。
しかし、孤立無援のまま良き母親として幼い子供2人を育てる事は現実的に不可能であり、下村早苗は絶望して現実逃避をするように男遊びを繰り返し、子供への関心をなくしていったようです。
なお、下村早苗が大阪2児餓死事件を起こした当時、新たに子供を妊娠していたという噂がありますがこれはデマです。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗が子供の遺体を洗濯機で洗ったのはデマ
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大阪2児餓死事件では、犯人の下村早苗が子供の遺体に蛆虫が湧いていたため洗濯機で回したなどという噂がありますがこれはデマで事実ではありません。
大阪2児餓死事件をモデルにした映画「子宮に沈める」に、死亡した長男の遺体に蛆虫がわきそれを取っているような場面があり、その後唐突に洗濯機を回している描写があるため、大阪2児餓死事件の犯人である下村早苗が餓死させた子供の遺体を洗濯機で洗ったなどという噂が流れたのだと思われます。
実際には下村早苗は「異臭がする」と連絡を受けて自宅マンションに戻り子供2人の遺体を確認した後3分ほどですぐに自宅を出ており、遺体を洗濯したなどという事実はありません。
事件発覚直前の7月29日、異臭がするとの住民からの苦情で、3分間自宅マンションに戻り、変わり果てた子供たちの姿を見た。
そもそも下村早苗は現実から逃避するように子供の育児を放棄していたと考えられます。子供の遺体を見つけた時も何もアクションは起こさずにすぐに自宅を出て扉に鍵をかけて無かった事にしようという心理状態であったと思われます。子供の遺体を洗濯するといった行動を取る事は考えづらいです。
この映画「子宮に沈める」は大阪2児餓死事件をモデルにしたと謳っているだけで、この洗濯機の描写以外の部分も実際の事件をそのままなぞっているというわけではないので、完全なフィクションと理解した上で視聴しましょう。
大阪2児餓死事件の子供の遺体の胃の中や死因
大阪2児餓死事件で亡くなった子供2人の遺体の胃の中や死因についても色々な情報が飛び交っています。
信頼のおける情報源では、大阪2児餓死事件で亡くなった2人の子供の胃の中は空っぽであったという報道がされています。
同容疑者が家を出た後に食事を与えた形跡はなく、2人はやせて栄養不足の状態。胃や腸は空の状態で、少なくとも数日間は全く食事をとっていなかったとみられる。警察官らが駆けつけた際、部屋の冷蔵庫には何も入っていなかったという。
しかし、表に出てこない情報だとして、子供の胃の中からオムツが見つかった、排泄物が見つかったといった情報が出回っています。
2人の子供の死因については、大手メディアは「死因は特定できないが衰弱死の可能性がある」といった情報のみにとどめています。
捜査本部によると、下村容疑者は「6月下旬に家を出て友人宅を転々とし、7月29日夜に初めて帰った」と供述。この間、食事を与えた形跡はなかった。2人はやせて栄養不足の状態。遺体の損傷が激しく、死因は特定できていないが、捜査本部は、2人が衰弱死した可能性があるとみて調べている。
2人の死因についても、色々な情報が飛び交っており、亡くなった子供達は辛子やマヨネーズ、そうめんの出汁まで食べて、冷凍庫の氷の結晶を舐め、食べ物が全くなくなるとゴミ溜めの残飯を漁り、カップ麺容器を綺麗に舐めていたといった内容が一部で報じられています。
また、先に亡くなったのは姉の桜子さんで、その死因は残飯を漁った事による食中毒死であり、弟の楓さんは飢えのあまり亡くなった姉の桜子さんの排泄物を口にして食中毒を起こして亡くなったのが死因であるといった内容も一部で報じられています。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の判決は懲役30年が確定
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大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗は死体遺棄罪ではなく殺人罪で起訴されました。
検察側は下村早苗に子供2人に対する殺意があったとして無期懲役を求刑。対する弁護側は下村早苗に殺意はなく保護責任者遺棄致死罪に該当すると主張しました。
大阪地裁は下村早苗に子供2人に対する「未必の殺意」があったと認定し懲役30年の実刑判決を言い渡しました。弁護側はこの判決を不服として控訴しましたが、大阪高裁は控訴を棄却して一審判決を支持。弁護側はこの判決を不服として上告するも最高裁も上告を棄却する決定を下し懲役30年の判決が確定しました。
大阪市のマンションで2010年、幼児2人を放置し餓死させたとして、殺人罪に問われた母親の中村(旧姓下村)早苗被告(25)の上告審で、最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)は27日までに、被告側の上告を棄却する決定をした。懲役30年とした一、二審判決が確定する。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の手記は現在の時点では出ていない
大阪2児餓死事件は背景に周囲から支援を受けられない孤立した母子という構図がある事もあってか、犯人の下村早苗の心境や当時の心理状態が知りたいという方も多いようで、下村早苗の手記なども検索されています。
現在の時点では下村早苗の手記などは発表されていません。事件直後には下村早苗がメディアの取材に応じており週刊現代などには下村早苗の心境などが公開されていましたが、これはその後に明らかにされた内容とほぼ同じで、自分が当時置かれていた環境について語ったもので、直接的に子供2人への気持ちについてはまだ語れない(向き合う事が不可能)といった内容でした。
大阪2児餓死事件のマンションは大島てるへの掲載はないが現在も幽霊の噂
大阪2児餓死事件が発生したマンションは大阪市西区南堀江1丁目にある11階建てのマンションです。現在も存在する物件であるためマンション名を書く事は控えますが、特定されています。
この大阪2児餓死事件が起きたマンションですが、事故物件サイト「大島てる」への掲載は現在の時点ではされていません。
ただ、同マンションの管理関係者に聞いたところによると、事件のあった部屋に幽霊が出るのだそうです。関係者の方によると、このマンションの部屋に事件後に住んだ方がいたそうなのですが、「幽霊が出た」といって怖がって退去していった方が何人もいるという事です。このマンションの管理関係者の方も「正直(幽霊が)出ますよ」と真顔で言っていました。
まとめ
今回は、2010年7月30日に発覚した「大阪2児餓死事件」についてまとめてみました。
大阪2児餓死事件は当時23歳のシングルマザー・下村早苗が、3歳と1歳の自身の子供を自宅マンションに閉じ込めたまま放置し、ホスト遊びなどをして約50日間自宅に戻らずに餓死させたという凄惨な事件です。
大阪2児餓死事件の犯人の下村早苗は、三重県四日市市の生まれで、高校教師でラグビー部監督の父親と母親、妹2人の5人家族で育ちましたが、母親からのネグレクトや両親の離婚などから中学時代に非行に走り、男子からの集団性被害を受けるなど悲惨な生い立ちを持つ事もわかっています。
下村早苗は専修高等学校を卒業後勤めていた飲食店で知り合った1歳上の男性と結婚し、2人の子供を産みましたが2人目の子供を産んですぐ後に自身の借金と浮気が原因で離婚。その後は1人で2人の子供を育てていましたが、元夫やその家族との関係は拗れ、父親や自分の家族からもまともな支援を受けられずに孤立。次第に子供への愛情を失い男遊びを繰り返すようになり、離婚から約1年後に大阪2児餓死事件を起こしました。
大阪2児餓死事件の2人の子供の死因はネグレクトによる餓死(衰弱死)と見られており、2人の遺体の胃の中は空の状態であったという事です。この事件はそのあまりの凄惨な内容から様々な情報が飛び交っており、子供達の胃の中からオムツや排泄物が見つかったといった報道も一部ありました。
また、下村早苗が子供達の遺体を見つけた際に、蛆虫がわいていたため遺体を洗濯機で洗ったなどの噂がありますが、これはデマ情報で事実ではありません。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の裁判での判決は「懲役30年」でこれは既に確定しており、現在は下村早苗は服役しています。
大阪2児餓死事件の犯人・下村早苗の「手記」なども検索されていますが、現在の時点では下村早苗の手記は発表されていません。
大阪2児餓死事件のあったマンションですが、大阪市西区南堀江1丁目にある11階建ての単身者向けの物件で現在もまだその場所にあります。このマンションは「大島てる」への掲載はされていないようですが、管理関係者によれば事件のあった部屋には「幽霊が出る」そうで、これまでに何人もの人が怖がって出ていっているとの事でした。