プロマジシャン2人組のお笑いコンビ「ナポレオンズ」のパルト小石さんが死去され悲しみが広がっています。
この記事ではナポレオンズ・パルト小石さんのこれまでの経歴や結婚した嫁の下田結花さんや子供などの家族、白血病の病気での闘病や死因、現在までの様子などについてまとめました。
この記事の目次
パルト小石(ナポレオンズ)のプロフィール
ナポレオンズ・パルト小石のプロフィール
本名 :小石至誠(こいし・しせい)
生年月日:1952年6月24日
没年月日:2021年10月26日(享年69歳)
出身地 :岐阜県
身長 :164cm
血液型 :A型
パルト小石さんは、プロのマジシャン2人組によるお笑いコンビ「ナポレオンズ」の1人で、「ナポレオンズのマジックの苦手な方」、「ナポレオンズのしゃべる方」、「ナポレオンズの背の低い方」などとして知られていました。
相方のボナ植木さんのコミカルながらハイレベルなマジックを、軽妙なトークで盛り上げる存在として人気を博したパルト小石さんでしたが、2021年10月26日に69歳という若さで亡くなり、関係者やファンの間に悲しみが広がっています。
今回はこのナポレオンズ・パルト小石さんについてまとめていきます。
ナポレオンズ・パルト小石の経歴
出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/
ナポレオンズ・パルト小石さんは、岐阜県の出身で、岐阜県立関高等学校を卒業後に専修大学へと進学。同大学のマジック同好会で、「ナポレオンズ」の相方となるボナ植木さんと同級生として出会っています。
パルト小石さんは大学卒業後は一時就職して営業の仕事をされていましたが、あまりの仕事の忙しさに嫌気がさしわずか半年で退職されています。
そんな時に、プロのマジシャンを目指していたボナ植木さんに「アシスタントをやってほしい」と頼まれたのをきっかけに、正式にコンビを結成しています。
その後、1977年に「マジック・ナポレオンズ」の名前でデビューを果たしました。当時は正統派マジックとして活躍されていましたが、その後「ナポレオンズ」に改名してコミックマジックへとパフォーマンスの形を進化させ、次第に人気を上昇させました。
2003年頃からは、東京三軒茶屋のバー「BAR CLOSED」を共同経営しマジックイベントなども主催して話題を呼びました。(現在は経営者の立場からは退いている)
2010年代に入ってからも「ナポレオンズ」としてバラエティ番組への出演なども含めて活躍されていましたが、2019年に病気(後述)を患ってからは芸能界の表舞台からは姿を消していました。
パルト小石(ナポレオンズ)の家族① 結婚した嫁は編集者の下田結花さん
続けて、ナポレオンズ・パルト小石さんの家族についてみていきます。
パルト小石さんの結婚した嫁は、婦人画報社の編集者で発行者の下田結花さんです。
パルト小石の嫁・下田結花のプロフィール
生年月日:1959年4月5日
出身地 :北海道旭川市
パルト小石さんの嫁の下田結花さんは、北海道旭川市の出身で、大学卒業後に旧・婦人画報社(現在のハースト婦人画報社)に入社し、編集者として女性誌「ヴァンテーヌ」の創刊に携わり、同誌の編集長代理も務められました。
「ヴァンテーヌ」の編集長代理を長く務めた後、2003年、43歳の時に建築、インテリア系雑誌「モダンリビング」の編集長に抜擢されています。
2016年からは「モダンリビング」の発行人(パブリッシャー、その雑誌の編集長より上の責任者)を務められています。
パルト小石と下田結花さんの結婚は1983年3月12日
パルト小石さんの嫁の下田由花さんの公式ブログやメディアへのインタビューによれば、2人は1983年3月12日に結婚されたようです。
パルト小石さんの嫁の下田結花さんは2021年3月12日に投稿したブログ記事に、今日は私達の38回目の結婚記念日と書かれていました。
今日は私たちの38回目の結婚記念日です。
また、女性向けウェブマガジン「mi-mollet」のインタビューでは23歳の時に結婚したと書かれているので、結婚されたのは1983年3月12日で間違いないようです。
結婚は早くて23歳の時だったのですが、34歳で初めてマンションを買いました。
結婚当時、パルト小石さんは30歳、嫁の下田結花さんは23歳でした。
パルト小石と嫁の下田結花の馴れ初め
パルト小石さんの嫁の下田結花さんは、2人の馴れ初めについてもブログで公開されていました。
それによれば、下田結花さんにとってパルト小石さんは、専修大学マジックサークルの7歳上の先輩だったようです。
当時、パルト小石さんは既に専修大学を卒業し、「マジック・ナポレオンズ」としてプロマジシャンとしての活動をスタートさせていましたが、大学のマジック同好会にはOBとしてよく遊びにきていて、それで後に嫁となる下田結花さんと知り合い交際に発展したようです。
私たちは7歳、年が離れています。至誠は大学のマジックサークルの先輩でした。卒業後、「ナポレオンズ」というチームで、プロのマジシャンとして仕事をしていましたが、マジックサークルにOBとしてよく遊びにきていました。
下田結花さんは大学卒業後の進路について悩んでいた時、パルト小石さんの応援もあって勇気を持って編集者への道を選ばれたそうです。
その後、婦人画報社に入社した後も、パルト小石さんがずっと支えてくれたという事も、下田結花さんはブログで綴られています。
その時、至誠が「アルバイトとしてでも入って、出版社で頑張ったら?」と言ってくれました。その言葉がなければ、出版社を諦めていたかもしれません。
フリーランスとして仕事をしている至誠からの励ましは、私に力をくれました。
婦人画報社に入ってからも、至誠はずっと私を支えてくれました。
パルト小石(ナポレオンズ)の家族② 子供はいない
とても仲の良い結婚生活を送られていた様子のパルト小石さんと嫁の下田結花さんですが、2人の間には子供はいません。
パルト小石さんの嫁の下田結花さんは、女性向けウェブマガジン「mi-mollet」のインタビューにて、子供がいない事を明かされていました。
そんな下田さんは、子どものいない人生を歩んでいますが、もし子どものいる人生を選んでいたら、今の仕事のキャリアや人間関係、そこから得られる楽しみや喜びもなかっただろうと言います。
パルト小石さんの嫁の下田結花さんは「子供のいる人生を選んでいたら〜」と表現されているので、子供が欲しくても恵まれなかったというよりは、あえて、自分達の意思によって子供がいない人生を選択された可能性が高いようです。
パルト小石(ナポレオンズ)の現在① 病気(白血病)で入退院を繰り返し死去
パルト小石さんは現在、69歳という若さで亡くなられた事がニュースになっていますが、実は2019年10から病気で体調を崩しており、急性リンパ性白血病などで入退院を繰り返す闘病生活を送られていました。
パルト小石さんは病気で入院後、2020年7月には一時寛解を発表し復活されていましたが、その直後の同年8月に白血病が再発し同年12月には、臍帯血移植を受けていました。
しかしその後も病気の状態は回復せずに入退院を繰り返す闘病生活を送り、2021年9月9日に肺炎を併発して緊急入院し、そのまま同年10月26日に入院先の病院で亡くなられました。
小石さんは2019年10月に急性リンパ性白血病を発症して入院、翌年7月に寛解するも8月に再発。その後、臍帯血移植などを受けるも、入退院を繰り返し、今年9月9日に肺炎で緊急入院し、今月26日に亡くなった。
パルト小石(ナポレオンズ)の現在② 死因は肺炎と発表
白血病で入退院を繰り返していたパルト小石さんでしたが、死因は「肺炎」と発表されています。
パルト小石さんの嫁の下田結花さんは、パルト小石さんが急性リンパ性白血病で入院した頃から闘病生活の様子を自身のブログに綴られていましたが、パルト小石さんが亡くなられた事もこのブログを通じて発表されています。
10月26日、火曜日。午後4時26分。肺炎のため、至誠は逝きました。私に頭を抱きかかえられたまま。
コロナ禍の面会禁止の中、防護服やマスクから僅かに出ていた頬を至誠の額に押しつけ、右手で頭を抱き、左手を至誠の心臓に押し当てていました。至誠はずっと自然昏睡の状態で、何も苦しまずに旅立ちました。
下田結花さんのブログによれば、新型コロナウイルスの影響もあって、なかなか面会する事も叶わなかったという事でしたが、最期の時は下田結花さんだけは病室に入る事ができ、パルト小石さんを看取る事ができたようです。
最期の時、パルト小石さんはずっと昏睡状態で苦しまずに亡くなられたということで、言葉は無かったという事でしたが、この入院の前に自宅で夫婦で過ごされていた時には、嫁の下田結花さんに対して、パルト小石さんは「結花の幸せだけが望みだ」とのメッセージを伝えられていたそうです。
至誠が家で療養していた6月から9月までの3ヶ月。それは最後の、私たちの蜜月でした。思うように動くことも、食べることもできなかったけれど、できる限り共にいて、手を握り、語り合い、一緒に眠りました。仕事にも未練はないし、もう欲しいものもない。「結花の幸せだけが望みだ」と至誠は言いました。
その言葉だけで、私はこれからも生きていけるーー。
パルト小石さんと嫁の下田結花さんの夫婦の強い絆が伝わってきます。
パルト小石(ナポレオンズ)の現在③ 相方のボナ植木さんも追悼コメント
出典:https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/
パルト小石さんが死去したのを受けて、「ナポレオンズ」の相方のボナ植木さんも追悼のコメントを発表されています。
ボナ植木さんは公式サイトにて、「~相方、パルト小石への届かない手紙~」と題して追悼コメントを発表されていました。
ボナ植木さんは、この手紙で、パルト小石さんへの深い感謝の気持ちを以下のように綴られていました。
あなたを引き入れて。私はいいカンをしていた。なぜならばあなたがいたおかげで日本でも世界でも通用するマジシャンになれたと思っている。あなたがいなければここまでやってこれなかったよ。感謝しかない。
まとめ
今回は、プロマジシャン2人組のお笑いコンビとして活躍した「ナポレオンズ」の1人、パルト小石さんについてまとめてみました。
パルト小石さんは「ナポレオンズ」にて、相方のボナ植木さんのマジックを軽妙なトーク技術で盛り上げる無くてはならない存在として人気を集める存在でしたが、2021年10月26日にまだ69歳という若さで亡くなりました。
パルト小石さんの家族としては、1983年3月12日に結婚した編集者の下田結花さんの存在が知られています。2人は専修大学のマジック同好会の先輩後輩の関係で、大学卒業後に「ナポレオンズ」としてデビューし活躍していたパルト小石さんが、よくOBとして訪れていたのが馴れ初めになったようです。
パルト小石さんと嫁の下田結花さんの間には子供はいませんが、2人は強い絆で結ばれていたようで、あえて子供を作らない人生を選択されていたようです。
パルト小石さんは2019年に病気(急性白血病)を患い、現在まで入退院を繰り返す闘病生活を送られていましたが、2021年10月に69歳という若さで死去されました。死因は「肺炎」と発表されています。
パルト小石さんのご冥福をお祈りします。