イッテQの登山企画などでも知られる世界的登山家の中島健郎さんがK2への挑戦中に滑落し遭難しました。
この記事では中島健郎さんの経歴や結婚、イッテQでの活躍、平出和也さんとのコンビでの数々の功績、K2での遭難と滑落場所や現在は死亡の可能性が高い事についてまとめました。
この記事の目次
中島健郎のプロフィール
中島健郎のプロフィール
生年月日:1984年10月19日
没年月日:2024年7月27日(推定)
出身地 :奈良県高取町
中島健郎(なかじま・けんろう)さんは世界でも高く評価される登山家(アルパインクライマー)、山岳カメラマンです。
2017年にパキスタンのシスパーレ(標高7611m)、2019年にパキスタンのラポカジ(標高7788m)をそれぞれ未踏ルートでの登頂に成功し、それぞれの功績により登山界のアカデミー賞とも言われる「ピオレドール賞」を2度受賞されています。
中島健郎さんは世界でもよく知られた登山家ですが、日本では人気バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」の登山企画に、2012年から2015年にかけて山岳カメラマンとして参加した事で、登山関係者ではない一般の人々にもよく知られている方です。
そんな中島健郎さんは、2024年6月よりパキスタンと中国の国境、カラコルム山脈にある世界第2位の高峰K2(標高8611メートル)に挑んでいました。しかし、同年7月27日に標高7000メートル付近から滑落し遭難したとの情報が報じられ衝撃が走っています。
中島健郎の経歴① 登山家としてのルーツは両親との山登り
中島健郎さんの経歴についてみていきます。
中島健郎さんは1984年10月19日に奈良県の高取町で生まれました。
両親は登山が趣味で、中島健郎さんは物心がつく前から両親に登山に連れて行ってもらっていたそうです。父親は中島健郎さんが5歳の時に他界されていますが、その後も母親がよく山登りに連れて行ってくれたのそうで、これが山に親しむ原点になっていると中島健郎さんは過去に語られています。
中島健郎の経歴② 関西学院大学山岳部で登山家としてキャリアをスタート
中島健朗さんは2003年4月に関西学院大学理工学部へ進学し山岳部に入部して本格的に登山家としてのキャリアをスタートさせています。
中島健朗さんは関西学院大学在籍中から数々の実績を上げています。2006年9月29日には当時未踏峰だったネパールのパンバリ・ヒマール(標高6887m、上の新聞記事の標高6778mは誤情報)への登頂に成功。
さらに、2008年3月15日には、当時未踏峰だったネパールのディンジュンリ(標高6196m)への登頂を成功させています。
関西学院大(兵庫県西宮市)の山岳部OBに16日までに入った連絡によると、山岳部の男子部員2人が15日、ネパールにあるヒマラヤ山脈の未踏峰ディンジュンリ(6、196メートル)の初登頂に成功した。
2人は主将の理工学部4年中島健郎さん(23)と、部員の社会学部2年山本大貴さん(21)。
中島健郎の経歴③ 山岳ガイド、山岳カメラマンとして活動
中島健郎さんは2008年3月に関西学院大学を卒業しています。
中島健郎さんは大学時代に滑落して消防に救助された経験があった事から、「誰かを助ける仕事もいいな」と思い、一時は消防を目指して内定ももらっていたそうなのですが、「自分の中でまだ納得するまで(山岳に)登っていないのでは」との葛藤があったそうで、最終的に貫田宗男さんが設立した登山のコーディネート会社であるWECトレックに社員として所属されています。
中島健郎さんはこのWECトレックで、海外を中心とした山岳ガイド、山岳カメラマンとして活動されていました。
この頃、中島健郎さんは登山家としては2009年にスイスのマッターホルン(標高4478m)への単独登頂成功、2011年にパキスタンのチョ・オユー(標高8188m)への登頂成功、2015年にネパールのアピ(標高7132m)への登頂成功などの実績を残されています。
中島健郎の経歴④ 平出和也とのコンビでピオレドール賞を2度受賞
出典:https://www.yamakei-online.com/
中島健郎さんは平出和也さん(日本を代表する登山家の1人)とコンビを組んで、2017年8月22日にパキスタンのカラコルム山脈のシスパーレ(標高7611m)を未踏峰ルートで攻略しました。この功績が評価され2018年ピオレドール賞を受賞しています。
ピオレドール賞は、山岳界のアカデミー賞と呼ばれ登山家として最高の名誉と言われる賞です。平出和也さんはこの受賞が日本人初となる2度目の受賞(1度目は2008年のインド・カメット峰の未踏ルート初登攀の功績で受賞)でした。
2018年5月17日には、平出和也さんを含むパーティで世界最高峰であるエベレスト(標高8848m)の登頂に成功。
そして、2019年7月2日に、再び平出和也さんとのコンビでパキスタンのラカポシ(標高7788m)に新ルートでの登頂に成功し、この功績により中島健郎さんは自身2度目となるピオレドール賞を受賞しています。
- 2022年9月にも中島健郎さんは平出和也さんとのコンビで、パキスタンのカールンコー(標高6977m)を未踏ルートからの初登頂に成功しています。
数々の未踏ルートでの登頂成功を次々と成功させた中島健郎さんと平出和也さんのコンビは世界的にも「最高の登山家」として知られています。
中島健郎は結婚していて妻と子供がいる
中島健郎さんは結婚されていて妻と2人の子供がいます。
中島健郎さんの妻はプロサッカークラブ柏レイソルの元職員だったようですが、一般の方なので詳しいことは不明です。中島健郎さんが結婚された時期も不明です。
ただ、中島健郎さんは2023年に公開されたインタビュー記事で4歳と1歳になる子供がいると話されていました。このことから中島健郎さんが結婚された時期は2019年以前だと推測できそうです。
実は4歳と1歳の子供がいるのですが
中島健郎はイッテQの登山部企画に山岳カメラマンとして参加していた
出典:https://kininaru-syumi.com/
中島健郎さんは2012年から2015年にかけては、日本テレビの「世界の果てまでイッテQ!」の登山企画に山岳カメラマンとして参加し、イモトアヤコさんをマッターホルンやマナスル、マッキンリーの登頂成功へと導いています。
中島健郎さんはイッテQの登山企画では、2012年9月7日のスイスのマッターホルン(標高4478m)の登頂成功、2013年10月2日のネパールのマナスル(標高8163m)の登頂成功、2015年6月21日のアメリカのマッキンリー(標高6168m)の登頂成功などに山岳カメラマンとして参加されています。
マッキンリーの登頂では、イッテQの登山企画の主役であるイモトアヤコさんが登頂成功時に雲海に覆われて山頂からの撮影ができなかったため、中島健朗さんは翌日に単独で再び登頂して山頂からの景色の撮影を行いました。
- 中島健郎さんがK2登頂への挑戦中に滑落し遭難したと報じられた後、「世界の果てまでイッテQ!」のオフィシャルサイトにコメントが掲載されました。
2012年のマッターホルン、2013年のマナスル、2018年のヴィンソン・マシフなど、数々の登頂プロジェクトで、ガイドとして、山岳カメラマンとして、そして登山部の仲間として、技術的にも精神的にも、多大なるサポートをしていただきました。
中島さんなしではどのプロジェクトも成功には至りませんでした。
中島健郎は平出和也と挑んだK2で滑落し遭難
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
2024年、中島健郎さんは平出和也さんと再びコンビを組み、エベレストに次ぐ世界2位の高さのK2の未踏の新ルートでの登頂に挑みました。
K2の場所はパキスタンと中国の国境にあるカラコルム山脈で、厳しい気候条件や急峻な山容により世界一危険な山として知られています。
K2は、そもそもの登頂成功率が著しく低く、これまでに挑戦した登山家の実に23パーセントが滑落や遭難で死亡しているというまさに「死の山」です。
中島健朗さんと平出和也さんはそもそも登頂成功の確率が低いK2の誰も登った事のない新ルートでの攻略に挑みました。
中島健朗さんと平出和也さんは2024年6月11日にパキスタンのイスラマバードに入り、準備を整えて登頂を開始し6月23日にベースキャンプを設営しています。
この時の様子は、中島健郎さんのインスタグラムなどでも報告されていました。
遠征中の平出和也・中島健郎から連絡が来ましたので、お知らせします!
K2ベースキャンプに到着しました。我々は一般のBCとは異なるので、これからせっせと土木作業です。
今回の挑戦はより困難が予想され、長期間に及ぶベースキャンプ滞在が考えられるので、信頼性が高く氷河上でも快適に過ごすことができるテントを使用することを楽しみにしています。
中島健郎さんと平出和也さんは、前人未踏のK2西壁の登攀を目指していたため、ベースキャンプの場所はK2の基部を西側に回り込んだ滅多に人が入らないサボイア氷河という場所のさらに末端に設営されたという事です。
その後6月26日に、中島健郎さんのインスタグラムなどで西壁の基部の標高5650mまで偵察をしてきたとの報告がありました。
遠征中の平出和也・中島健郎から連絡が来ましたので、お知らせします!
西壁の基部5650mまで偵察をしてきました。いいラインからアプローチ出来ました。
その後、中島健朗さんと平出和也さんは5700m地点にアドバンスドベースキャンプを設営し、慎重に偵察を重ねた上で7月9日にアドバンスドベースキャンプへの荷上げを行っています。
それからしばらくは悪天候もあってベースキャンプで停滞が続きましたが、7月下旬に入って天候が安定したため、7月24日にベースキャンプを出発する報告がありました。
遠征中の平出和也・中島健郎から連絡が来ましたので、お知らせします!
いよいよラストチャンスで出発する時が来ました。
午前4時30分BCでは雨がパラついておりますが、朝食後予定通りABCに向けラストトライに向け出発。
その後、6500m地点に設営したC1(キャンプ1)、26日にC2(キャンプ2)に達した事が報告されています。7月27日の現地時間午前5時33分、中島健朗さんと平出和也さんから日帰りでC2上部の偵察を行うという連絡がありました。
しかし、7月27日の現地時間午前7時30分頃、アドバンスドベースキャンプに待機していた撮影隊より、中島健朗さんと平出和也さんが標高約7550m地点から滑落し遭難しているとの連絡が入りました。
中島健郎と平出和也がK2で滑落した場所
中島健郎さんと平出和也さんがK2の西壁から滑落した場所ですが、ヘリコプターによる救助が試みられた際に確認されています。
発表によれば中島健郎さんと平出和也さんはK2の第二バンド直下、7500m付近の場所から活躍したという事です。
中島健郎さんと平出和也さんが滑落し遭難状態になっている場所はヘリコプターにより確認されたという事ですが、地形条件により着陸ができずに救助できない状態だと報告されています。
日本時間7月27日 9時33分にC2上部へ偵察に出て同日11時30分に第二バンド直下の7500m付近から滑落し、同日にヘリコプターでの救助が行われましたが、標高と斜面の角度の関係で着陸できず救助できませんでした。この時、パイロットは両名の位置を確認しています。
詳しい場所は発表されていませんが、2人が所属する石井スポーツからは、上空からの救助は不可能であるため地上からの救助を試みているとの発表がされていました。
中島健郎と平出和也の現在の状況…死亡の可能性が高く救助活動は打ち切り
2024年7月30日、中島健郎さん平出和也さんが所属する登山用品などの専門店「石井スポーツ」は、K2から滑落し遭難している中島健郎さんと平出和也さんの救助活動の打ち切りを発表しました。
救助活動の打ち切りの理由ですが、中島健朗さんと平出和也さんがいる場所は確認できているものの、地形条件などから上空からも地上からも接近する事ができない事や、2人の安否は確認されていないものの、7月30日になっても2人に動きが見られない事などがあげられています。
滑落時の状況や場所などから、中島健郎さんと平出和也さんは既に死亡している可能性が高いと見られています。
まとめ
今回は、K2へ新ルートでの登頂に挑戦中に滑落し遭難した世界的登山家の中島健郎さんについてまとめてみました。
中島健郎さんは関西学院大学の登山部で本格的に登山家としてのキャリアをスタートさせ、大学時代から未踏峰攻略に成功するなど実績を残しました。卒業後は山岳ガイド、山岳カメラマンをしながら登山家としてのキャリアを積み重ね、イッテQの山岳企画にも参加して一般的にも知られる存在になりました。
特に、平出和也さんとのコンビで数々の難関の未踏峰ルートを攻略し、その功績により、登山家の賞として最も権威のあるピオレドール賞を2度受賞しています。
中島健朗さんは結婚していて妻と2人の子供がいる事もわかっています。
中島健郎さんは2024年、平出和也さんとのコンビでK2を西壁の前人未踏の新ルートでの攻略を目指していましたが、7月27日に7500m付近から活躍して遭難。救助活動が試みられましたが、地形条件により上空からも地上からも近づけない場所であり、また、滑落した場所は特定できたものの2人にまったく動きがない事から既に死亡している可能性が高いとみられ、現在、救助活動の打ち切りが発表されています。