2014年9月27日に突如発生した御嶽山噴火は、58人が死亡し、5人が行方不明となった戦後最悪の火山災害でした。
この記事では、御嶽山噴火の犠牲者・行方不明者など被害の詳細や生存者のその後現在について詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
戦後最悪の火山災害「御嶽山噴火」の被害詳細
御嶽山噴火、死者・行方不明者63人を出す大惨事に
58人死者を出した戦後最悪の火山災害
御嶽山噴火が発生したのは2014年9月27日11時52分で、長野県と岐阜県の県境に位置する標高3,067メートルの火山です。
噴火当時の噴火警戒レベルは1だったことから避難勧告はおろか注意報も出されておらず、火口付近にいた多くの登山客は虚を突かれる形で被災し、58人が死亡、5人が現在も行方不明であり生存が絶望視されています。
死亡者 : 58人、行方不明者 : 5人 計63人(2015年11月6日現在)
引用:Wikipedia – 2014年の御嶽山噴火
御嶽山噴火、火山性微動は観測されていなかった
観測を欺くように発生した御嶽山噴火
御嶽山噴火の約2週間前から火山性地震は増加傾向にありましたが、2007年の噴火の時のような火山性微動は観測されていませんでした。
そのため噴火警戒レベルも引き上げられることはなくレベル1のままでしたが、山頂の南西にある地獄谷付近の地下に溜まっていた大量の熱水が急激に過熱され、膨張したことで水蒸気爆発を起こして噴火しました。
噴火の前兆も感じていなかった山頂付近にいた登山者たちは、立ち上る噴煙を目の前にしましたが、爆発音は無く「岩がぶつかるような音」と表現しています。
御嶽山噴火、避難勧告が出されなかった理由
火山性地震は収束傾向にあった
御嶽山噴火が発生する前の9月10日に火山性地震を52回観測し、11日には85回を観測していました。
しかし、その後日に20回以下の収束傾向にあったため、気象庁は噴火警戒レベルを引き上げることなく様子を見ていました。
御嶽山の2014年9月の噴火の約半月前には地震回数が多くなる前兆現象が認められましたが、2日ほどで回数が元に戻ったこ とと、前回の噴火の前に見られた山体が膨らむ現象が観測できなかったためにレベルを上げませんでした。
噴火ごとに前兆現象の現れ方が異なるのも、小さな水蒸気噴火の特徴かもしれません。
しかし、御嶽山噴火当日となる9月27日の11~17時までの6時間で火山性地震は313回を観測しており、噴火10分前の11時42分に火山性微動を観測しましたが、登山者に避難勧告を出すには間に合わないタイミングでした。
11時52分に御嶽山が噴火しましたが、その後噴火警戒レベルは3に引き上げられ、これは噴火翌年の2008年3月31日の御嶽山への噴火警戒レベルを適用した時以来でした。
火山噴火が予測しにくい理由
今回はマグマ性の噴火ではなかった
御嶽山噴火はマグマ性の大規模な噴火ではなく、山中の熱水が過熱されたことによる水蒸気爆発であり、その規模も大きくは無かったことから予測が困難だったようです。
噴火による火山灰噴出量も、2013年に噴火した小笠原諸島・西之島の100分の1程度であり、1991年の雲仙普賢岳に至っては400分の1程度となっています。
なお、マグマ性の噴火であってもその発生原因はケースバイケースで、やはり予測は難しいもののようです。
(1)マグマ溜まりの中には、もっと深いところから絶えず少しずつマグマが供給される。マグマの圧力が高まり、耐えきれなくなったところで、地表に達する通り道をつくって噴火する。
(2)マグマ溜まりの中のマグマが過剰にならなくても、広い範囲にわたる地殻変動など火山活動以外の理由によって、マグマ溜まりにかかる力が増して、しぼりだされて噴火にいたる。
(3)火山活動以外の理由によって、逆にマグマの通り道にかかる力が弱くなり、マグマが容易に上昇できるようになって噴火にいたる。
噴火警戒レベル1となっていると油断しがちになりますが、気象庁のホームページによると火山活動は静穏ながら”火山であることに留意”と警戒は怠らないような書き方となっています。
「御嶽山噴火」直後の動画~周囲の惨状が生存者の投稿で明らかに
戦慄を覚える御嶽山噴火の瞬間
御嶽山噴火が発生した直後、登山者らは逃げながらも現場の人にしか撮影できない様子をスマートフォンなどで撮影しており、YouTubeや事故後にマスコミなどを通して放送されました。
この男性は噴煙に巻かれることなく逃げることができたようですが、以下の動画は撮影しながらも迫りくる噴煙に飲まれてしまい、暗闇になり何も見えなくなってしまう恐怖の瞬間が収められています。
映像で見るだけでも圧倒的な迫力がありますが、現地で被災した人々の目に映った恐怖は計り知れないものがあるでしょう。
「御嶽山噴火」の犠牲者と行方不明者~死因の多くは噴石の直撃と気道熱傷
御嶽山噴火、落下物の当たり方が生死を分けた
御嶽山噴火による犠牲者の死因は公表されませんでした。しかし、処置に当たった病院関係者は、以下のように語っています。
多数の死傷者を出した御嶽山の噴火。警察は死亡が確認された人の死因を公表していないが、多くの負傷者の応急処置に当たった病院関係者は、死因の多くは噴石の直撃や熱風を吸い込んだことによる気道熱傷との見方を示している。
井上敦院長(60)は搬送された患者について「重傷者の大半が噴石や熱風によるもの。中には落下物が頭や胸に当たり、脳出血や肺損傷の疑いのある患者もいた。落下物の当たり方や打ち所が生死を分けたのではないか」と話した。
御嶽山噴火の犠牲者 近江屋洋さん
小学生女児にジャケットを貸しその後死亡した近江屋洋さん
御嶽山噴火の犠牲になった近江屋洋さんは横浜市中区に住む会社員で、同僚8人と一緒に登山に来ていました。
山頂に到着した近江屋洋さんが一人で散策しているところに噴火が発生して急いで岩場に身を隠しましたが、そこに居合わせた愛知県豊田市の小学五年長山照利さん(当時11歳)が寒がっていたためジャケットをかけてあげていたことを居合わせた女性が証言しています。
その後、近江屋洋さんは単独で岩場から離れましたが、噴火から数日後に岩場から数百メートル離れた場所で遺体となって発見されました。
近江屋洋さんの父親・近江屋勇蔵さんは最期まで人のことを考えていた息子を誇りに思うとともに、亡くしてしまった悲しみを伝えています。
「息子はよくやったと思う。でも、美談で終わるにはちゃんと帰ってこないとだめなんだよ」。噴火から約一カ月後、長野県警から自宅に届けられた穴あきのジャケットを見つめながら、父勇蔵さん(70)はうつむく。「いつまで生きていたのか、なぜ岩場からばらばらで避難したのか、知りたい」
(中略)
母初子さん(66)は「息子の最期を知りたい思いが今の生きる力」としながらも、「聞いてしまったら新たな悲しみが広がってしまいそう」と複雑な胸中を明かす。女性とは接触がかなわないままでいる。
なお、近江屋洋さんがジャケットをかけてあげた長山照利さんも噴火で亡くなっており、学校では下級生の面倒見もよく優しい頑張り屋だったことが伝えられました。
また、噴火から叔父と一緒に登山に来ていた野村亮太さん(当時19歳)は、噴煙から逃げていく後ろ姿を最後に現在まで行方不明となっています。
御嶽山噴火の行方不明者 野村亮太さん
噴煙に飲まれてしまった可能性が高い野村亮太さん
御嶽山噴火から4年あまりが経過した2018年9月26日に、噴火のあった火口付近の安全対策が整ったとして、火口から半径1キロ圏内の立ち入り規制が一部解除されました。
それに合わせ、犠牲者遺族や行方不明者の家族で発足した「山びこの会」は現地を訪れる慰霊登山をしました。
行方不明者5人のうちの一人、当時愛知大学1年生だった野村亮太さんの両親も息子の最期となったであろう現場を見るために山頂に立ちました。
噴火当時の避難者の目撃情報では、野村亮太さんは現在も立ち入り規制がされている範囲に逃げたと見られており、捜索困難な状況にあるようです。
「御嶽山噴火」生存者が語る当時の状況
御嶽山噴火の生存者 小川さゆりさん
山岳ガイドの小川さゆりさんは死を覚悟した
小川さゆりさんは山岳ガイドをしていましたが、御嶽山噴火では火口から500メートルほど離れた場所で被災しました。
猛烈な勢いで噴石が飛んでくる様子を、小川さゆりさんは「石が横に飛んでくる感じ」と表現しており、石同士が激しくぶつかり合う音が凄まじく、死を覚悟したと語っています。
何とか岩場の影に隠れてやり過ごすことができた小川さゆりさんですが、御嶽山噴火以降山岳ガイドを続ける勇気が無くなっていましたが、5年が経過し再び御嶽山が登山者でにぎわうようになってからは、自分の体験を伝えたいと考え復帰しました。
「灰色の石が噴石で火口から700mぐらいの所まで飛んできます。 シェルターがあるのは非常に安心ですけれど安全ではない、噴火してもここに入る行動ができなければシェルターがないのと一緒です。」
小川さゆりさんは奇跡的に噴石から逃げることができましたが、シェルターを増設しても避難者がたどり着けなければ無いのと同じであり、避難経路が重要だということかもしれません。
御嶽山噴火の生存者 40代女性
瀕死の重傷を負った40代女性の証言
2015年9月29日の産経新聞1面で、御嶽山噴火で被災し重傷を負った都内在住の40代女性が取材に応え当時の状況を語りました。
女性の周囲にも登山客が複数いましたが、熱された噴石や火山灰などで次々と亡くなっていき、女性自身も左腕を失う重傷を負っていましたが救出が来ることを信じて待ち続けていたようです。
もう手を振る力はほとんど残っていなかった。噴火から一夜明けた平成26年9月28日午前11時半。火口付近の八丁ダルミにある石像の石造りの台座に寄りかかった女性は、頭上を飛び交う自衛隊などのヘリに向けて救助を求めようとしたが、わずかに右手を振るのがやっとだった。
降りしきる噴石で左腕を失い、腰や背中にも傷を負った。動くたびに激痛が襲い、貧血で何度も意識が遠のいた。
女性が助かったのは運が良かっただけで、亡くなった多くの人々は噴石の当たり所が悪かったなど、状況は何も違いが無かったことを語っています。
また、噴石による直接的な怪我だけでなく、猛烈な熱を帯びた噴煙に包まれたため、女性は高温のサウナに入ったような感じで、焼け死ぬか、溶けてしまうかと死を覚悟したようです。
女性は迫り来る噴煙に背を向けるしかなかった。「(噴煙は熱く)サウナに入ったような感じで『焼け死ぬのか、溶けるのかな』と思った」
これは火山でしか体験できないような地獄のような環境ですが、女性が生還できたのは生きて帰ることを信じ続けたからなのでしょう。
「御嶽山噴火」その後と現在~再び人気登山スポットになっていた
人気の登山スポットとなった御嶽山
御嶽山は現在、再び人気登山スポットとして多くの人々が訪れています。
御嶽山は「日本百名山」の一つ。険しい岩場もなく、初心者でも登れる3千メートル峰として人気がある。
御嶽山噴火の後、気象庁は噴火を事前に察知して登山者への避難勧告を迅速に出せるように、全国にある火山の観測体制を強化しました。
地震計の増設の他に、登山者が避難するためのシェルターの増設も行っており、二度と御嶽山噴火のような被害を出さないための対策を続けています。
御嶽山は現在火山活動が静穏状態になっていますが、それでも一部の火口からは現在も噴気が立ち上っており、100%次の噴火が起こらないという保証は無いでしょう。
そのため、気象庁は噴火警戒レベルが1であっても注意を怠らず、自治体が定めるルールに従い、現地にはヘルメットなどの避難グッズを持っていくように呼び掛けています。
「御嶽山噴火」についてまとめると…
・御嶽山噴火は火山性微動が観測されず、水蒸気爆発で規模も大きくは無かったことから予測が困難だった
・御嶽山噴火による犠牲者の死因の多くは噴石の直撃や気道熱傷、生存者との生死を分けたのは落下物の当たり方だった
・御嶽山は現在、初心者も気軽に登れる登山スポットとして人気が復活している
戦後最悪の噴火災害御嶽山噴火についてご紹介してきました。
よくも悪くも災害対策は実際に起きた災害からしか学ぶことができませんが、御嶽山噴火は後世の噴火災害の被害を最小限に食い止める教訓となるかもしれません。