ジャニーズ事務所の最年長タレントとして活躍していた近藤真彦さんですが、2020年に不倫疑惑が報じられ2021年には事務所を退所し話題を集めました。
ここではそんな近藤真彦さんの家族についてを中心に、交通事故とされる母親の死因や、大きな騒動となった母の遺骨盗難事件、その犯人や真相などについてまとめました。
この記事の目次
近藤真彦のプロフィール
近藤真彦のプロフィール
生年月日:1964年7月19日
出身地 :神奈川県大和市
身長 :173cm
血液型 :O型
近藤真彦さんは1977年、中学1年生の時にジャニーズ事務所に所属しています。「マッチ」の愛称で呼ばれ、田原俊彦さん、野村義男さんとの3人組ユニット「たのきんトリオ」などで活躍し絶大な人気を誇りました。
特に、1981年と1983年には、近藤真彦さんのブロマイドが、年間の売上成績1位を記録し、1987年の「日本レコード大賞」では、23枚目のシングル「愚か者」で日本レコード大賞を受賞するなど、1980年代は国内トップ人気の男性アイドルとして活躍しました。
1984年からはレーシングドライバーとしての活動も開始し、ライセンスを取得して1988年から1993年にかけて全日本F3選手権に参戦し、1994年には全日本GT選手権GT1クラスで初優勝を飾り、1995年にも同クラスでの連続優勝を決めています。
その後もレーサーとして本格活動を続け、GT500やGT300クラスにて幾度も入賞。2002年からはレーサーとしての活動を休止し、自らが運営するレーシングチーム「KONDO Racing」の監督業に専念しています。
近藤真彦さんは近年は、アイドル活動よりもこうしたレーシング活動に力を入れていました。
そんな近藤真彦さんですが、2020年11月12日に発売の週刊文春に、近藤真彦さんが25歳年下の女性社長と5年にわたって不倫関係にあるとの記事が掲載され騒動になりました。近藤真彦さんがこの不倫疑惑を事実だと認めたため、ジャニーズ事務所は、同年11月16日に、近藤真彦さんの無期限芸能活動自粛処分を発表しています。
その後、近藤真彦さんは活動を再開させることのないまま、2021年4月30日をもってジャニーズ事務所を退所しました。退所後はレーシング活動をメインに行っていくとのことです。
今回は、そんな近藤真彦さんの家族を中心にみていきます。
近藤真彦の家族① 妻・和田敦子
まずは、近藤真彦さんの家族について順番にみていきます。
近藤真彦さんの妻は一般女性で、近藤真彦さんの2歳年下の和田敦子さんという方です。
近藤真彦さんと妻の和田敦子さんは1994年に結婚されています。和田敦子さんは近藤真彦さんとの結婚前は、上場企業の社長秘書として働くOLだったという事です。
ネット上には、同姓同名のヨガインストラクター・和田敦子さんがこの近藤真彦さんの嫁だと真実のように拡散されていますが、色々な情報を総合してこれはガセネタの可能性が高いです。
また、この和田敦子さんには、九州の大手タクシー会社の社長令嬢だとする噂もありますが、これもあまり信憑性の高い情報ではありません。
近藤真彦の家族② 息子・近藤轟丞
近藤真彦さんは、嫁の和田敦子さんとの間に子供が1人います。
近藤真彦さんの子供は、2007年10月8日に誕生した息子の近藤轟丞さんで、2020年の誕生日で13歳になっています。実は近藤真彦さんと和田敦子さんは長年子供に恵まれず、不妊治療に励まれていたそうで、近藤轟丞さんは2人にとって待望のお子さんでした。
この近藤轟丞さんは、幼少時代から空手を習っており、2019年5月には、東京都空手連名指定のジュニア強化選手に選ばれるなど、かなり将来有望な選手のようです。
また、近藤轟丞さんは都内の名門私立校に通っているという事で、文武両道で将来が期待されています。
近藤真彦の家族③ 両親(父・近藤正勝、母・近藤美恵子)
近藤真彦さんの父親は近藤正勝さん。母親は近藤美恵子さんです。
近藤真彦さんは、芸能界で成功した後、両親に「喫茶るんるん」という喫茶店をプレゼントされています。この「喫茶るんるん」には全国から近藤真彦さんのファンが訪れたそうです。
近藤真彦さんの父親の近藤正勝さんは、2012年5月14日に都内の病院で69歳で亡くなりました。死因は胃がんでした。
近藤正勝さんは亡くなる1年半前から闘病生活を送っていたそうで、近藤真彦さんは親しい関係者に「自分の47年の人生で、この1年半が一番、父との時間を持てました」と語っていたそうです。
そして、近藤真彦さんの母親の近藤美恵子さんは、1986年11月に42歳という若さで事故で亡くなられています。交通事故と発表されています。
近藤真彦の母親・近藤美恵子の死因の事故について
近藤真彦さんの母親・近藤美恵子さんの死因は交通事故と発表されています。
事故の詳細も明らかにになっており、1986年11月23日深夜0時頃、スナック勤務(喫茶るんるんは夜はスナックとして経営していた)を終えた美恵子さんは飲酒状態のまま車を運転をし、横浜市泉区上飯田402の市道のカーブでガードレールと電柱に衝突する事故を起こし病院に搬送されましたが、翌24日に亡くなられています。
この、近藤真彦さんの母の美恵子さんの死因については、本当は交通事故ではなく自殺で亡くなったという噂もあるようですが、具体的に交通事故の詳細が報じられているため、死因は自殺説はデマの可能性が高いと思われます。
近藤真彦の母親の遺骨盗難事件とは
出典:https://image.middle-edge.jp/
近藤真彦さんの母親・美恵子さんが亡くなった約1年後の1987年12月29日、横浜市栄区上郷町の「横浜霊園」から美恵子さんの遺骨が骨壺ごと何者かに盗難される事件が発覚しました。
この遺骨盗難事件の発端は、同年12月26日で、近藤真彦さんの所属レコード会社「CBS・ソニーレコード」に、中年男の声で近藤真彦さんの楽曲「愚か者」のレコード大賞を辞退しろという脅迫電話がかかってきた事でした。
そして12月28日に、CBS・ソニーの当時の社長宅に速達で「母親の遺骨を預かっておく。遺骨を返してほしければレコード大賞の出席を辞退しろ」と書かれた脅迫状が届きました。
これを受けて、翌29日に管轄の神奈川県警栄警察署が、近藤真彦さんの父親の立ち合いのもとで美恵子さんの墓を調べたところ、脅迫文の内容の通り、遺骨が盗難されている事が発覚しました。
近藤真彦さんは、自分の芸能活動が原因で母親の遺骨が盗難された事に悩み、父親の正勝さんに、「自分がこういう仕事をしていたから、母の遺骨が盗まれてしまった。ごめんなさい」と土下座して謝罪し、犯人のいう通りレコード大賞を辞退しようとしたそうです。
しかし、父の正勝さんは近藤真彦さんを抱きしめると、「お母さんはきっと出なさいと言うと思う」と、近藤真彦さんにレコード大賞に出席するよう促したそうです。
近藤真彦さんはなおも悩みましたが、父の言葉に後押しされる形で、日本レコード大賞に出席し、その結果見事その年のレコード大賞に選ばれています。
1987年12月、母親の遺骨が盗まれるという事件が起きた。「遺骨を返してほしければ、レコード大賞の出席を辞退しろ」と送りつけられた脅迫状に対して、近藤は正勝さんに「自分がタレント活動をしているから、こんなことが起きてしまった」と土下座して謝罪し、犯人のいうとおりにしようとしたが、そのとき、「授賞式に出るよう」後押ししたのが正勝さんだった。
近藤真彦の母親の遺骨盗難事件の犯人や真相
近藤真彦さんの母親・美恵子さんの遺骨を盗んだ犯人は捕まっていません。そのため、この遺骨盗難事件の真相として様々な噂が囁かれることになりました。
この遺骨盗難事件の真相の噂として有力とされているのが、近藤真彦さんのシングル曲「愚か者」にレコード大賞を取らせるための芝居だったとする説です。
この年には、「BOØWY」の「MARIONETTE」、中森明菜さんの「TANGO NOIR」、「光GNEJI」の「ガラスの十代」など、オリコン1位を獲得した多くの大ヒット曲がありましたが、その中にあって近藤真彦さんの「愚か者」は、オリコンチャート2位しか獲得しておらず、これがレコード大賞に選ばれるのは不自然というのが根拠となっています。
また、もっと単純に、日本レコード大賞の他の候補者達のファンが犯人というのが真相とする説などもあります。
他にも、近藤真彦さんが2010年3月26日放送の「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演した際にこの遺骨盗難事件が取り上げられ、霊能者の木村藤子さんが遺骨の行方について霊視しています。
木村藤子さんは近藤真彦さんの母の遺骨盗難の犯人や真相がわかったが、事情があって公表できないといった内容を話されていました。
現在も、近藤真彦さんの母の遺骨盗難事件の真相や犯人は謎に包まれたままです。
まとめ
今回は、ジャニーズ事務所の最年長タレントとして活躍していた近藤真彦さんについてまとめてみました。
近藤真彦さんの家族については、妻の和田敦子さんと息子の近藤轟丞さん、父親の近藤正勝さん、母親の近藤美恵子さんらが知られています。
中でも母の近藤美恵子さんは若くして交通事故で亡くなった事。その遺骨が何者かによって盗難にあった事などが話題になっています。
近藤真彦さんの母の遺骨が盗難された事件については、いまだに犯人が捕まっておらず、真相は明らかになっていません。
いつか、近藤真彦さんの元に母の遺骨が戻ることを願っています。