子供時代からの教育虐待を受け続けた事で実の母親を殺害した犯人の桐生のぞみが話題です。
この記事では桐生のぞみの母親殺害、遺体切断遺棄事件の概要、事件に至るまでの生い立ち、父親や母親などの家族、高校や大学などの学歴、犯行の動機や現在の裁判の判決などについてまとめました。
この記事の目次
桐生のぞみは実の母親に対する殺人・遺体切断遺棄事件の犯人
桐生のぞみは、2018年3月に滋賀県守山市で発覚した実の母親に対する殺人・遺体切断遺棄事件の犯人です。
桐生のぞみ(事件発覚当時31歳)は、2018年1月19日に、滋賀県守山市内の当時の自宅で当時58歳の実の母親・桐生しのぶさんの首を刃物で刺して殺害し、ノコギリを使って遺体を切断。
2018年3月10日までの間に、両手と両足部分は燃えるゴミの袋に入れて出し、胴体部分は自宅から約250メートルほどの距離にある守山市今浜町の旧野洲川の河川敷に丸型ペールに入れて運び、遺棄しました。
その後、遺体は3月中に発見され、2018年6月5日に桐生のぞみは死体遺棄の容疑で滋賀県警に逮捕されています。
近隣住民からは、桐生のぞみと被害者となった母親の桐生しのぶとの親子仲は良かったとの情報が上がっていましたが、その後の報道で、桐生のぞみが母親の桐生しのぶから過剰な束縛や「教育虐待」を受けていた事が明らかになり注目が集まっています。
今回はこの桐生のぞみについてみていきます。
桐生のぞみの生い立ち① 教育熱心な母親の元に生まれ医師を目指す
桐生のぞみは、滋賀県守山市で1人娘として生まれました。母親の桐生しのぶはいわゆる教育ママで、幼い頃から娘の桐生のぞみが将来医師になる事を切望し、通信教育の教材を与えるなどして教育に力を入れていました。
桐生のぞみも高校生の頃までは漫画「ブラックジャック」に憧れるなど外科医を夢みていたという事でしたが、中学・高校の頃には成績が伸び悩むようになり、本人の中では医師になりたいという希望は薄れていったという事です。
桐生のぞみの生い立ち② 医学部受験に失敗し9年の浪人生活を経て看護学科に入学
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桐生のぞみは、高校卒業後の2005年に国立大学の医学部保健学科を受験しますが不合格となります。しかし、母親は親族に医学部に合格したと嘘をつき、桐生のぞみにも話を合わせるように命じたという事です。
その後、桐生のぞみは9年間浪人生活を続けて医学部を目指しますがうまくいきませんでした。そして、母親の桐生しのぶさんは将来助産師になる事を条件に滋賀医科大学医学部看護学科を受験する事を認め、桐生のぞみは同大学に合格し2014年4月に入学しています。
桐生のぞみの生い立ち③ 看護師になりたいと本音を打ち明けるも母親に反対され殺害を決意
母親から助産師になる事を求められていた桐生のぞみでしたが、大学で学ぶうちに「手術室看護師」を目指すようになります。
大学4年生だった2017年の夏には、滋賀医科大附属病院に看護師として内定を得ますが、またしても母親に反対されます。
そして、2018年1月に桐生のぞみは母親の桐生しのぶを殺害しました。
その後、桐生のぞみは同年4月に滋賀医科大附属病院に看護師として就職し、同年6月に逮捕されるまでの間、普通に勤務していたようです。
桐生のぞみの家族① 父親はメンテナンス関係の会社員
続いて、桐生のぞみの家族についてみていきます。
桐生のぞみは両親との3人家族に生まれています。兄弟はおらず一人娘だったようです。
桐生のぞみの父親はメンテナンス関係の仕事に勤める会社員との報道が出ています。
しかしこの父親は、桐生のぞみが小学校高学年の頃に会社の社員寮に移って別居しており、それ以来、桐生のぞみは事件のあった滋賀県守山市の実家で母親の桐生しのぶの2人で生活していました。
桐生のぞみの家族② 母親はこの事件の被害者の桐生しのぶさん
桐生のぞみに殺害された被害者である母親の桐生しのぶさんは、娘の桐生のぞみが医者になる事を切望し、国公立の医学部に進学する事を強要しましたが、自身の最終学歴は工業高校卒業でした。そのため学歴コンプレックスがあり、娘が高学歴になる事を望んだとみられています。
また、この母親・桐生しのぶさんの実の母親は離婚しており、その後再婚した相手が歯科医だったようです。そのために子供の頃から医師という職業が社会的に認められている事を肌に感じており、それが娘を医者にしたいという望みにつながったのではないかとみられています。
桐生のぞみの出身高校は?
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桐生のぞみの出身高校は現在のところ特定されていません。
桐生のぞみは医学部を目指していたという事で進学校に通っていた可能性が高そうです。また、母親の桐生しのぶさんは公立の高校に進学しそこから国公立大学へ進のが滋賀県民のエリートコースという考えを持っていたという事などから、「膳所高校」や「彦根東高校」などの名前が上がっています。
桐生のぞみの出身大学は滋賀医科大学医学部看護学科
桐生のぞみは現役では大学進学に失敗していますが、8年の浪人期間を経て2014年4月に滋賀医科大学医学部看護学科に入学しています。
滋賀医科大学医学部の最新の偏差値は「65」となっています。
桐生のぞみの犯行動機は母親・桐生しのぶさんからの教育虐待と異常な束縛
桐生のぞみは逮捕後の取り調べや裁判などで、母親を殺害した動機について母親から受けた教育虐待と、異常な束縛に耐えかねたためといった趣旨の供述をしています。
桐生のぞみの動機となったとみられている母親からの教育虐待と異常な束縛行為の内容を見ていきます。
桐生のぞみは子供の頃から母親に医者になる事を要求され、それを目指して勉強に励んできましたが、次第に本人の医者になりたいという気持ちは薄れ、2005年の最初の大学受験失敗後には母親から離れるためにも就職を希望しています。しかし、これに母親は反対して引き続き医学部を目指す事を桐生のぞみに求め、未成年だった事もあって就職する事は叶いませんでした。
それから、母親の教育虐待はエスカレートし、桐生のぞみの1日の時間を朝から晩まで徹底して管理して、自由な時間を少しも与えないようにと一緒に入浴する事を強要。携帯電話も取り上げています。
この頃、桐生のぞみは母親の束縛に耐えかねて3度家出を試みていますが、母親が探偵に依頼したり、警察に捜索願を出したりして、その度に連れ戻されています。
その後、2014年に桐生のぞみが滋賀医科大学医学部看護学科に合格してからしばらくの間は、母娘の間の確執は和らいだという事ですが、大学2年の時に助産師課程への進級試験に不合格になったのをきっかけに、母親の束縛が再び始まったという事です。
2017年夏頃に桐生のぞみが滋賀医科大附属病院から看護師として内定を得て就職を決めた時にも、母親はそれを辞退して改めて助産師学校へ進学する事を強要しました。この時、母親は桐生のぞみにもし助産師学校の受験に失敗しても看護師にはならずに再受験するとする誓約書まで書かせたという事です。
さらに、その後の2017年12月、桐生のぞみが内緒でスマートフォンを隠し持っていた事に激昂した母親は桐生のぞみを庭に土下座させその様子を撮影し、スマホはコンクリートブロックで叩き壊しています。この時、母親は所有を認めていたもう一つの桐生のぞみの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」というショートメールを送信しています。
2017年1月、桐生のぞみは母親の求めるままに助産師学校の入学試験を受けますが、不合格となりますが、母親は桐生のぞみが看護師として就職する事を許しませんでした。
その数日後、内定を得ていた滋賀医科大学附属病院への就職手続きが1週間後に迫ったところで、桐生のぞみは母親に「看護師になりたい」と自分の気持ちを打ち明けますが、「あんたが我を通すから、私はまた不幸のどん底に叩き落とされた」と怒りはじめ、その後夜通し怒鳴り続けたという事です。
そしてその日の深夜、我慢の限界に達した桐生のぞみは、寝入った母親の首を包丁で複数回刺して殺害に及んだのでした。
桐生のぞみの現在は裁判で懲役10年の判決が確定し大阪拘置所に収監中
桐生のぞみの裁判員裁判は2020年2月に大津地裁ではじまりましたが、この裁判では桐生のぞみは、遺体を切断して遺棄したことは認めたものの「母親は自殺した」と主張して母親を殺害した事を否認しました。
しかし、大津地裁は殺人の罪も認定し、桐生のぞみに懲役15年の実刑判決を下しています。
弁護側はこの判決を不服として控訴します。大阪高裁での控訴審では、桐生のぞみは一転して母親の殺害を認める供述をしました。この控訴審で桐生のぞみは1審で殺害を否認した理由を問われると「(別居していた)父親に実の娘が母親を刺した事を知られるのが怖かった」と供述しました。また、スマホを壊された事や、助産師学校の入学試験に落ちた時に「裏切り者」、「うそつき」などと夜通し罵倒された事などを母親殺害の動機として供述しました。
そうした事情が考慮されてか、この控訴審では大幅に減刑されて懲役10年の実刑判決が下されています。
弁護側も検察側も上告せずこの懲役10年の判決が確定しています。
桐生のぞみは現在は大阪拘置所に収監されているという事です。
まとめ
今回は、2018年3月に発覚した滋賀県守山市の実の母親を殺害し遺体を切断して遺棄した事件の犯人・桐生のぞみについてまとめてみました。
桐生のぞみは、母親から医学部に進学して医者になる事を求められる教育虐待を受け続けた生い立ちを持ち、高校卒業後の現役での大学医学部受験に失敗した後、9年間も母親の束縛を受けながら浪人生活を送りますがうまくいきませんでした。
桐生のぞみはその後、看護師になる事を目指して滋賀医科大学の看護学科へと進みますが、そこでも母親に助産師になる事を強要されます。助産師学校の受験に失敗し、内定していた滋賀医科大学附属病院に看護師として就職する事を希望しましたが、母親はそれに反対し、さらに罵倒されたため、桐生のぞみはついに耐えかねて母親を殺害するに至りました。
桐生のぞみはその後逮捕されて裁判を受け、一審では懲役16年の実刑判決がくだされ、控訴審では、これまでの教育虐待の事実などが考慮されてか大幅に減刑され懲役10年の実刑判決が下され確定しています。