日本の演劇界には欠かせない名女優であり、2004年からがん闘病を続けてきた樹木希林さん。
2018年8月13日には左大腿骨を骨折して15日に手術しましたが、2018年9月15日に死去しました。
樹木希林さんの旦那、子供、孫について、現在までの状況について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
樹木希林のプロフィール&経歴
日本芸能界で最高峰の女優・樹木希林
樹木希林さんは1964年に女優デビューを果たして以降現在まで非常に数多くのテレビドラマ・映画に出演し、数多くの栄誉ある賞を受賞してきた日本演劇界が誇る大女優です。
樹木希林さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 内田 啓子(うちだ けいこ)(旧姓:中谷)
別名義: 悠木 千帆
生年月日: 1943年1月15日
出生地: 東京府東京市(現・東京都千代田区)
血液型: A型
職業: 女優
ジャンル: 映画・テレビドラマ
活動期間: 1961年 –
活動内容: 1961年 – 文学座に入団
配偶者: 岸田森(1964年 – 1968年)、内田裕也(1973年 – )
著名な家族: 内田也哉子、本木雅弘、内田伽羅
引用:Wikipedia – 樹木希林
樹木希林の生い立ち~父親は琵琶奏者の中谷襄水
樹木希林さんの父親は薩摩琵琶奏者で錦心流の中谷襄水(辰治)さんで、母親は東京都千代田区神保町でカフェ「東宝」を経営していました。
そして樹木希林さんの妹・荒井姿水(昌子)さんは父親の後を次いで薩摩琵琶奏者をしており、その息子も後を継いでいます。
樹木希林さんは千代田女学園に通っていた頃に演劇部に所属していましたが、将来なりたい職業は薬剤師で勉強をしていました。
しかし、大学受験直前にスキーで怪我をしてしまった影響で樹木希林さんは受験を受けられず大学進学を諦めて、1961年に文学座付属演劇研究所に入所して演技の勉強を始めました。
樹木希林、1964年「悠木千帆」の芸名でデビュー
若い頃の樹木希林さん
娘の也哉子さんにそっくりですね
樹木希林さんの女優人生は非常に長いため詳しくは割愛しますが、1964年にドラマ『七人の孫』で女優デビューをした際の名義は「悠木千帆(ゆうき ちほ)」でした。
樹木希林さんはすでに30歳頃から「老け役」として活躍しており、1974年のドラマ『寺内貫太郎一家(TBS系)』では主演を務めた10歳以上年上の小林亜星さんの実母役をしています。
すでにこの頃から”樹木希林節”は健在だったということでしょう。
樹木希林さんが現在の芸名に変えたきっかけは、1977年の特別番組『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』内のオークションのコーナーで、売るものが無いということで樹木希林さんが「悠木千帆」の芸名を競売にかけて2万2千円で売れたことから改名しました。
樹木希林さんは現在までに多くの名作ドラマ・映画に出演し、近年で言えば2018年の映画『万引き家族』の演技力が国内のみならず世界で話題となりました。
それにしても日本映画は樹木希林を多用しすぎではないか。それだけ彼女の演技力に幅があるということなのか。訳知り顔なおばあさんやらせたらピカイチ過ぎますわ
— 藤🗻 (@mirinthecat) 2018年9月9日
樹木希林の旦那は内田裕也~別居歴40年も離婚しない理由とは?
樹木希林の一族は個性派芸能人ばかり
樹木希林さんの旦那はロックミュージシャンの内田裕也さんで、子供の内田也哉子さんは女優で歌手でエッセイスト、その娘婿は俳優の本木雅弘さんであり、その息子で孫の長男・内田雅樂(うた)さんはモデル、長女・内田伽羅(きゃら)さんも2010年から子役を始め現在は若手女優、次男・玄兎(げんと)さんがいます。
樹木希林、1973年に内田裕也と結婚
結婚後、わずか1年半で離婚した樹木希林
樹木希林さんは1964年に俳優の岸田森さんと結婚するも1968年に離婚し、1973年に旦那・内田裕也さんと結婚しました。
樹木希林さんと旦那・内田裕也さんの結婚は世間で認識されている一般常識からはかけ離れた感覚で行われました。
樹木希林さんは勝手に婚姻届を書いて旦那・内田裕也さんに知らせずに勝手に役所に提出して入籍したことを語っています。
逆に別居生活から約6年後の1981年に旦那・内田裕也さんが勝手に離婚届を提出しましたが、樹木希林さんが離婚を認めず裁判となり離婚は成立しませんでした。
樹木希林、内田裕也のDVがきっかけで40年間別居中
樹木希林さんは旦那・内田裕也さんからDVを受けたことなどから同居が難しく、現在に至るまで40年間別居しています。
また、内田裕也さんの女性スキャンダルにもあまり興味がないようで、旦那がスキャンダルで苦しむ姿さえ微笑ましかったようです。
最近は時々、ふたりで食事に出かけることもある。
ホテルの上の階のレストランで食事をしてエレベーターで帰る途中、偶然に内田裕也の知人に会ったときのことだ。内田は「家内です。」と、樹木を紹介した。そしてその知人と別れた後に、真顔で彼は「夫婦って楽だなぁ。」と呟いたという。
「きっと昔、私(樹木)以外の女性と一緒の時ホテルなんかでバッタリ、知り合いと会ったことがあるんですよ。」と話す。一緒にいるところを見られたくない、相手に紹介が出来ない女性だと内田裕也でさえも、困ったり焦ったりしたのだろう。そのことを思うと、彼女は「内田も、苦労したんだな。」と可哀想になったり、面白がったりするというのだ。「普通の奥さんとは、違うわね。」と微笑む。
そして、最も離婚しない単純な理由は、樹木希林さんは旦那・内田裕也さんが現在もとても好きなようですね。
「内田裕也の全てが、好きです。全てが…。」と語り、もし生まれ変わっても内田と出会いたくない。彼と出会ってしまえば、また好きになって大変な人生を送ることになるからだという樹木。そして今日まで生きてきても、やっぱり内田のコトがよく分からないそうだ。
逆に、好き勝手にやっている旦那・内田裕也さんも根っこの部分では樹木希林さんが好きであることが伝わってくる言葉を残しています。
今年も惜しい人が数多く亡くなった
— 名古屋打ち (@nagoya_uchi) 2018年8月31日
あれっ、樹木希林さんってだいぶ前に大病を患ってなかったっけ?
内田裕也さんもまだまだお元気そうで
5年10年後も同じ事を思うんだろうな
その前にまず、自分も長生きしないと
内田裕也にとって樹木希林は唯一無二の大事な存在
根は悪い人間ではないと語る内田裕也
内田裕也さんはDV、不倫、身勝手な行動と世間的にみれば悪党のような振る舞いをしてきましたが、それは”ロックンローラー”なだけで根底にある気持ちは樹木希林さんが好きなようです。
内田裕也さんは現在は記事が削除されてありませんが、マイナビニュースのインタビューでは「ロックンロールを貫けているのは彼女のおかげ」と語っており、別のインタビューでも樹木希林さんと結婚したのは素晴らしいセンスを持っていたからだと語りました。
そして人生で結婚は一度きりだと決めており、樹木希林さん以外の女性とは結婚しないと決めていたことも語っています。
オノ・ヨーコさんと樹木希林さんのふたりが内田裕也さんにとって”この世で怖い女性”のようで、いつもどうしても最後は頭が上がらないと語っています。
そんな樹木希林さんと内田裕也さんの気持ちをよそに、ふたりの子供である娘・内田也哉子さんは少なからず複雑な気持ちを抱えて生きてきたようです。
ずっと思ってたけど、内田裕也よりも樹木希林の方がよりロック。
— オインコ【スポロン】ポインコ (果糖ブドウ党) (@DeusExMachina79) 2018年9月7日
樹木希林の子供は娘の内田也哉子のみ~雅樂は息子ではなく孫
樹木希林の娘・内田也哉子は両親に振り回され大変だった?
樹木希林さんと内田裕也さんには1人娘の内田也哉子さんがいます。
母親はともかく、父親は大変だった?
樹木希林さんの子育ても間違いなく普通とは一線を画していそうで想像ができませんが、ロックンロールな父親・内田裕也さんとは別居状態だったため父親不在の状態だったようです。
内田也哉子さんはエッセイストとして活躍していますが、旦那で俳優の本木雅弘さんと結婚したのは19歳ととても早かったことから自立心が旺盛だったのかもしれません。
樹木希林さんにシングルマザーとして育てられた内田也哉子さんは、長女の伽羅さんが両親について小学校時代に素朴な質問をされて言葉に詰まってしまった経験があるようです。
樹木希林の孫(本木雅弘と樹木の娘・内田也哉子夫妻の長女)の話だ。小学校で「赤ちゃんは、“ここの家庭に生まれたい”と思って、お父さんとお母さんを選ぶ。」と、教えられて帰ってきた。口ごもりながら彼女は自分の母(内田也哉子)に、「お母さんも、ばぁばと裕也を選んだの?」と聞いてきた。内田也哉子は肯定することが出来ず、「ううっ。」と絶句したという。
樹木希林さんが語ったところによれば、父親である内田裕也さんが不在な分、仕事場に小さい頃からよく連れて行っていたようで、撮影現場関係者や親しい俳優などが父親替わりになっていたようです。
そのため内田也哉子さんは早くに自立心が育ち、高校の時には自らスイスの学校を見つけて留学しました。
学業を選ばず19歳で本木雅弘さんと結婚したのは、樹木希林さんが「分別が着く前に結婚した方がいい」と助言をしたからのようで、結婚しなくなった世の中だからこそ若いうちに勢いで結婚して子供を早めに産んだ方がいいという考え方があったからでした。
本日の朝日新聞、内田也哉子の記事には「人に依存するのではなく、自分で喜びをみつけていけることはとても大事。その手段を見つけていけるといいね。」という樹木希林の言葉が紹介されていた。
— 夏至 (@lilinooto) 2018年9月8日
樹木希林の孫たちも芸能活動を開始
内田也哉子・本木雅弘ファミリー写真
娘の内田也哉子さんと本木雅弘さん夫妻には、1997年に長男・雅樂(うた)さん、1999年に長女・伽羅(きゃら)さん、2010年に次男・玄兎(げんと)が誕生しています。
長男の雅樂さんは身長が190センチもあり、現在は米・カリフォルニアにあるドミニカン大学でバスケ選手としても活躍。また、最近では高身長を生かしモデルとしてもデビューし、話題となりました。
そして、長女・伽羅さんは幼いころから女優として活躍。2011年には是枝裕和監督の映画「奇跡」に出演し、樹木希林さんと初共演。2015年、映画「あん」で樹木希林さんと2度目の共演を果たしています。
樹木希林さんと伽羅さん
また、次男の玄兎さんは2010年生まれで現在は小学生。芸能活動はしていないようです。
樹木希林、2004年に乳がんが発覚!現在までのガンの状況について
樹木希林、乳がんで乳房の全摘出手術を受ける
2004年に乳がんが発覚した樹木希林
樹木希林さんは2004年6月に自分で触診した時に胸にしこりがあったことから乳がんだろうとは思っていたそうですが、病院に行ったのはそれから3ヶ月後でした。
乳がんだとわかっておきながら診察を仕事の後回しにしたのは樹木希林さんらしいですが、9月に病院で診察を受けた際にやはり乳がんがみつかるも、そこでも手術を先延ばしして仕事を優先させ、乳房の全摘出手術を受けたのは年明け1月でした。
樹木希林さんは手術後も決して医者の言いなりにならず、直感的に不要だと感じた治療は拒んできた結果なのか、現在まで15年近く全身がんとうまく付き合って生きてきました。
樹木希林、ホルモン療法を拒否
乳がんを患った女性の多くが手術後に女性ホルモンを摂取するホルモン療法により、がん細胞の抑制や再発予防などをします。
しかし、樹木希林さんは最初拒否しており、医者や家族に強く言われ続けたため仕方なく摂取を始めましたが、1ヶ月が経った頃直感で体が拒否していると感じた樹木希林さんは摂取を止めてしまいました。
樹木希林、2008年に全身にがんが転移
樹木希林さんは2008年に腸、副腎、脊椎などへの転移が発覚し、ついには全身に転移してしまいました。
通常であれば余命宣告とともに抗がん剤、放射線治療をするか、ホスピスに入ってQOLの終末期医療を受けていてもおかしくありません。
しかし、樹木希林さんが選んだ道は鹿児島にあるUSAオンコロジーセンターで、日本で唯一と言われる四次元ピンポイント放射線治療を受けることでした。
この病院の院長である植松稔先生は「抗癌剤治療のウソ」という本を出版し、一般的にがん治療で当たり前のように使われる抗がん剤は「薬剤メーカーが儲かる」という裏側を明かしています。
四次元ピンポイント放射線治療は植松稔先生が開発したもので保険適用外のため治療費は数百万かかることもありますが、全身がんの樹木希林さんが約15年生き延びているのが何よりの実績と言えるかもしれません。
細かいことを気に病み心配し過ぎていた時に樹木希林さんの言葉を聞いた
— きちせにゃん (@umiusagi88) 2018年5月25日
全身がんを告白した彼女は
「私は芸をする人間だからどんな経験も為になる」
という趣旨の事を言った
私は芸をする人間ではないが人生も同じじゃないかと思い、今ではその言葉が糧になっている
言葉が人に与える影響は大きい
樹木希林、映画『日日是好日』が最期の作品となる
樹木希林はもう長くないことを察していた
樹木希林さんは2013年3月の「日本アカデミー賞」授賞式で全身がんであることを公表して驚かせました。
この頃から樹木希林さんはいつ死んでもおかしくないというような話をして「死ぬ死ぬ詐欺」と自虐ネタとして笑わせていましたが、2018年10月公開の最新作映画『日日是好日』の記者会見ではいよいよその時が来ているかのようなコメントもしていました。
2018年10月公開の映画に、茶道教室の先生役で出演する希林さんは、7月31日に行われた記者会見で、現在の体調について「(昨年末から)10kgやせて、7cm縮んで、人間っていうのは、こんなふうに縮むものなんだなぁと思って。自分の体をおもしろく見ております。今度は、いつお目にかかれるか、かかれないか、わかりませんので、どうぞ、そのようにご承知ください」と話していた。
痩せて体が縮んでいるということは、やはり樹木希林さんは全身に転移したがんの影響で日に日に蝕まれている状態だったのでしょう。
しかし、樹木希林さんほどここまで自分の死を受け入れて楽しんでいる人はいないかもしれません。
樹木希林は一時危篤状態だったと本木雅弘が明かす
本木雅弘さんが2018年8月30日、都内で「全国統一防災模試」のイベントに出席した際、義母の樹木希林さんが一時危篤状態にだったことを明かしました。
樹木希林さんは2018年8月13日に大腿骨を骨折して15日から入院。元々気管支が弱い上にがんの影響で肺も弱っていたためのようですが、言葉は出ないもののイラストとメッセージが公開されました。
生命力が人一倍強い樹木希林
樹木希林さんらしく「細い糸1本でやっとつながってる 声一言もでないの しぶとい 困った 婆婆です」とメッセージとともにぶら下がっている紐が切られた自分のイラストを添えています。
危篤状態は脱したようですが、樹木希林さんは今度こそ終わりだと感じたようで、旦那・内田裕也さんに電話で最期の言葉を伝えていたようです。
「本木さんは、手術前に希林さんが夫の裕也さんに“もしものことがあったら…今までいろいろ悪かったわね”と電話をし、裕也さんが“おーそうか、こっちこそ悪かったな”と応じたことも話しました。ただ、あえてそういったエピソードや危篤だったことを明かしたり、希林さんの自虐的なイラストを見せるなど、“元気だ”ということをアピールしているようにも思いました」
樹木希林、2018年9月15日に死去
樹木希林、死去の訃報
もう長くはないと思われていた樹木希林さんですが、2018年9月15日に家族に看取られながら亡くなっています。詳しい死因は報道されていませんが、ガンによるものだと考えられます。
数々の映画、ドラマ、CMで活躍した女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日に都内の自宅で家族に看取られながら亡くなったことが16日、分かった。75歳だった。
本木の所属事務所関係者は自宅前で取材に対応。「死因は分からない。ご家族はき然としている」と話した。
樹木希林の旦那・内田裕也の反応は…
旦那の内田裕也さんはショックで心の整理が付かない状態だといいます。
関係者によると「あまりに突然で、急だったので、(内田は)大きなショックを受けている」と明かした。数日中には、文書で希林さんへの思いを公表したい考えだが、今は、都内で気持ちの整理をつけようとしているところで、公に出られる状態ではないという。
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— あーるあい (@keyaki46_picker) 2018年9月16日
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new→樹木希林さん死去
これが平成の終わりのようです。
樹木希林さん、悲しい。
— 川原ちかよ (@chikayobaby) 2018年9月16日
河瀬直美監督の映画「あん」の演技が素晴らしく、改めて樹木希林さんの魅力に触れ、ここ数年はそれまで以上に大好きでした。ぴったんこカンカンなどバラエティーでも魅力溢れる方でしたよね。寂しいですね。。。
樹木希林について総まとめすると…
・樹木希林は内田裕也のDVなどが原因で、40年間別居している。
・樹木希林と内田裕也には子供が1人。娘の内田也哉子は19歳で俳優の本木雅弘と結婚した。
・樹木希林には孫が3人。長男の雅樂はモデルとしてパリコレデビュー、長女の伽羅は女優として活動している。
・樹木希林は2004年に乳がんが発覚。2008年には全身に転移した。
・樹木希林が一時危篤状態に陥っていたことを義理の息子・本木雅弘が明かした。
1961年から女優として活動し、日本演劇界に無くてはならない大女優となった樹木希林さんについて総まとめしてきました。
樹木希林さんは2004年の乳がんにはじまり、2008年には全身がんに発展してしまいながらも、USAオンコロジーセンターでの治療が功を奏し約15年もがんに屈せずに活躍を続けてきました。
樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。