狂言師の和泉元彌さんといえば、一時期は伝統芸能界屈指のお騒がせ男としてワイドショーの主役だった時代もありました。
この記事では、和泉元彌さんの父と母/嫁と子供など家族情報、ダブルブッキング事件などトラブルの詳細に加えて、現在の様子についてまとめてみました。
この記事の目次
和泉元彌のプロフィール
名前:和泉元彌(いずみ もとや)
本名:山脇元彌(やまわき もとひさ)
生年月日:1974年6月4日
出身地:岐阜県(東京育ち)
最終学歴:青山学院大学文学部卒
和泉元彌、大河ドラマ「北条時宗」出演でブレイク
狂言師である和泉元彌さんですが、2001年放映された大河ドラマ「北条時宗」の主演・北条時宗役が当たり役となり、芸能界でも一躍ブレイクを果たすことになりました。
この時期の元彌さんの人気ぶりは凄まじく、2002年2月から3月にかけて「ソルトレイク五輪」や「世界フィギュアスケート選手権」のメインキャスターを担当したほどでした。
このまま伝統芸能界のプリンスとして順調にスター街道を歩むかと思われていた元彌さんでしたが、後述する諸トラブルにより転落する運命が待っていました。
和泉元彌の家族(父母)情報~父・和泉元秀は1995年に57歳で死去
和泉元彌、父は和泉流十九世宗家・和泉元秀
和泉元彌さんの父親・和泉流十九世宗家の和泉元秀さんは1995年6月30日に57歳で亡くなっています。
元々は、和泉流の会派の1つである三宅藤九郎家の生まれだった元秀さんでしたが、諸問題により長らく不在が続いていた和泉流宗家復活のために、6歳の時に山脇和泉家に養子入りしております。
その後は積極的な海外公演を行った他、長女・淳子さんを日本初の女性狂言師にするなど、改革派としての活躍が目立つこととなった元秀さんは、文部科学大臣により重要無形文化財保持者(人間国宝)にも指定されています。
とはいえ、1990年になると三宅藤九郎の名跡を次女・祥子さんに独断で継承させるなどといったトラブルを起こし、狂言界でも人望を失っていたようです。
和泉元彌、母の和泉節子は“セッチー”の愛称でバラエティ番組に多数出演
和泉元彌さんの母親に関しては、和泉節子さんとなります。
和泉元秀さんの死後は、和泉家を取り仕切る家長の役割を担っている節子さんは、元彌さんがブレイクした2000年代前半頃はマスコミへの露出も多く、「セッチー」との愛称でお馴染みだった時期もありました。
当時の印象からすると肝っ玉お母さんというイメージが強い節子さんですが、元々は岐阜県大垣市で鉄工会社を経営する家庭に生まれて来ており、母方の実家も造り酒屋兼地主の家系というお嬢様でした。
節子さんが元秀さんと知り合ったきっかけはお見合いだったらしく、大垣藩の家老の末裔だった知人からの紹介だったそうですね。
2人の結婚式の媒酌人についても、尾張徳川家の19代当主である徳川義親さんが務めるなど、華やかなものだったと言われております。
和泉元彌のトラブルまとめ~お家騒動やダブルブッキングで話題に
和泉元彌のトラブル① お家騒動を起こし能楽協会を退会
和泉元彌さんは、父・和泉元秀さんが急死した1995年に「和泉流宗家継承騒動」を起こしています。
1995年6月22日、元秀が公演中に倒れると、和泉家は親子で出演を予定していた27〜29日の狂言ライブを即座に宗家襲名披露公演とし、21歳の元彌が「和泉流二十世宗家」を名乗った。6月30日に父が他界すると、この公演が宗家襲名披露として後見人を立てるなどの手続きがなく能楽宗家会の了承も得ていないことが判明し、問題となった。
引用:和泉流宗家継承騒動
この時のトラブルに関しても、和泉家側のスタンドプレーが発端となっており、和泉流の面々は和泉流職分会を結成して元彌さんの宗家継承に反対することになりました。
とはいえ、元秀さんの流儀に慣れ親しんで来ていた和泉家は、和泉流職分会側との対話を拒否したうえ、「和泉流二十世宗家 和泉元彌」の商標登録を目論むなど、周囲との溝を深める一途でした。
その後、元彌さんが大河ドラマ「北条時宗」でブレイクを果たすと、和泉流二十世宗家を無断で名乗りメディア露出を続ける姿勢がより問題視されるようになり、和泉流職分会は能楽協会に元彌さんの除名申請をしております。
2002年10月に開催された能楽協会の臨時総会では、元彌さんへの退会命令が下ることとなりましたが、和泉家側は血統を理由に宗家襲名の正当性を主張しており、いまだに和泉流二十世宗家を自称する状況が続いているようです。
和泉元彌のトラブル② ダブルブッキング騒動
和泉元彌さんは、人気絶頂期となる2002年7月に、ダブルブッキング騒動も起こしています。
売れっ子になって以降もマネジメントを母・和泉節子さんが担当していたせいで、スケジュール調整がさっぱり出来ていなかった元彌さんは、当時既に公演のドタキャンや遅刻が頻発しており、ワイドショーを騒がしている状況でした。
そんな中で下記のタイトすぎるスケジュールで仕事を引き受けてしまった元彌さんは、ヘリコプターと小型ジェット機をチャーターして移動することで、無理やりにでも仕事を遂行することを決断しております。
2002年7月27日・快晴。この日、元彌のスケジュール帳は、あり得ないことになっていました。
●午前9時10分:岐阜県可児市の文化創造センターで公演終了
↓
●午後0時30分:東京・新宿コマ劇場公演『天翔ける獅子ー義経と弁慶』開演
2002年7月29日当日となると、可児市文化創造センターにはマスコミが集結し、元彌さんの新宿コマ劇場までの移動がワイドショーで中継されるといった騒動にまで発展することになりました。
特に酷かったのは、元彌さんが小型ジェット機で成田空港に到着して以降だったようで、ハイヤーに乗り込んで新宿コマ劇場へ移動する元彌さんの後をワイドショースタッフを乗せた車やバイクが追いかけるカーチェイス状態になってしまいました。
マスコミの期待とは裏腹に午前11時10分に新宿コマ劇場に到着し、公演に遅刻することすらなかった元彌さんでしたが、前述のお家騒動に加えて、ワイドショーでのバッシング報道が尾を引き、以降は仕事が激減することとなってしまったそうですね。
和泉元彌のトラブル③ 交通違反の常習者
和泉元彌さんは、2005年11月24日になると、道路交通法違反の容疑で警視庁に逮捕されています。
元彌さんが警察に逮捕された原因については、駐車違反の出頭要請を2年半もの間拒み続けたせいで、悪質と見なされてしまったようですね。
とはいえ、元々が微罪だったこともあり、出頭後の元彌さんは2時間半ほど警察で拘束されたものの、罰金1万円の略式命令で済むことになりました。
その後も2006年7月13日に、自身が運転する車がバイクと接触事故を起こすなど、元彌さんの交通トラブルは続きました。
この時は、バイクに乗っていた高校生は全治1週間程度の軽傷だったものの、トラブル続きでナーバスになっていた元彌さんは、被害者同席の謝罪記者会見を開くなど、かなり過剰な対応をしております。
19日、狂言公演終了後の謝罪会見では男子高生が同席。「17日に自宅に元彌が謝りに来た」「元彌とは以前から顔見知り」「心配してもらったり、狂言に招待してくれて嬉しい」と矢継ぎ早に説明した。被害者と加害者が同席という前代未聞の記者会見になった。
引用:接触事故
和泉元彌のトラブル④ 脱税騒動
和泉元彌さんは2006年6月になると、今度は脱税騒動に巻き込まれることとなりました。
この時の騒動は、元彌さんの舞台興行の企画・運営を担当する「株式会社和泉宗家」が、1999~2003年度間に累計2億円以上の所得隠しを行っていた疑いを指摘されてのものでした。
脱税騒動の責任の方は、「株式会社和泉宗家」の経営を一手に引き受けていた母・和泉節子さんにあり、元彌さんはとばっちりを受けた身でしたが、東京国税局より自宅兼事務所が差し押さえられるなど、かなりのダメージを受けた騒動となりました。
和泉元彌のトラブル⑤ 四川大地震の義援金流用疑惑も浮上
和泉元彌さんは、2008年5月に起こった四川大地震のためのチャリティ公演を行ったところ、義援金流用疑惑が降りかかったことまでありました。
狂言師の和泉元彌(34)が15日、都内で「四川大地震チャリティー狂言」を開催した。募金が入場料代わり。定価はなく観客約120人はおのおのの思いで1000~5000円を募金箱へ。和泉家からの義援金を合わせ、17日に元彌らが中国大使館に持参する。
引用: 元彌の長男・元聖が年内に初舞台
この時の騒動に関しては、元彌さんはチャリティ公演で集まった義援金を在日中国大使館にしっかりと届けていたものの、募金総額を公表しなかったことがあらぬ疑念を生んでしまったようですね。
元彌さんが四川大地震の募金総額を公表しなかった理由については不明ですが、大々的に発表するほどの金額ではなかったなどといった事情でもあったのかもしれませんね。
ちなみに、不満を持ったブログ読者の一部からのクレームを受けた元彌さんは、最終的には狂言の舞台公演の方で募金総額を公表したと言われております。
和泉元彌の結婚した嫁は羽野晶紀~嫁姑問題が原因で離婚危機もあった
和泉元彌、2002年に女優の羽野晶紀と結婚
和泉元彌さんは、2002年1月に女優の羽野晶紀さんと結婚をしています。
2人の馴れ初めに関しては、1998年に舞台「ロミオ&ジュリエット」で共演した際に意気投合し、交際がスタートすることになりました。
しかしながら、母・和泉節子さんは元彌さんの結婚相手には良家のお嬢様を望んでおり、芸能人である羽野さんとの結婚に反対していたそうですね。
そんな周囲の反対を押し切るためか、2人の結婚は出来ちゃった婚でもあり、2002年5月には第一子である長女が誕生しております。
嫁・羽野晶紀と姑・和泉節子との仲は最悪だった
結婚後の和泉元彌さん・羽野晶紀さん夫妻については、嫁姑問題に苦しまされることになりました。
和泉家では、家長的役割を担っている和泉節子さんに大きな発言力があり、結婚後の羽野さんは「和泉家のルール」の名の下、芸能界を引退させられたり車の運転を禁止させられたりと、圧迫される日々が続いたようですね。
その他にも、家族会議からのけ者にされていたという羽野さんは、ストレスのあまり蕁麻疹が出来てしまったとの噂まで流れていました。
そんな日々に耐えきれなくなったのか、2007年9月になると、羽野さんは子供たちを連れて京都府・宇治市の実家に帰省したこともありました。
別居報道を受けて殺到したマスコミに対して元彌さんは、「(羽野さんの)実家の母親が手術をするため、世話をしに帰省しただけ」と説明しましたが、それで納得するマスコミ関係者も少なく、離婚危機説が浮上する羽目になりました。
和泉元彌、嫁・羽野晶紀の芸能界復帰で離婚危機を脱出
一時期は別居状態となり、離婚危機説も流れた和泉元彌さん・羽野晶紀さん夫妻ですが、その後はこれといったトラブル報道もなく、2019年現在まで夫婦関係が継続しています。
2人が離婚危機を乗り越えられた要因には、2007年11月より羽野さんが芸能界復帰を果たし、自分の自由な時間が持てるようになったことも大きかったように思われます。
和泉元彌、近年は嫁が好きすぎるキャラとしてお馴染みに
近年の和泉元彌さんは、羽野晶紀さんが好きすぎて束縛が強すぎる夫としても有名になって来ています。
元彌さんの羽野さんへの束縛ぶりは、羽野さんが病院にかかる際は女医を指定したり、羽野さんが女子会に行くと2時間で10通のメールが届いたりと、微笑ましくもモラハラ要素が含まれたものとなっております。
そんな元彌さんの変人ぶりは、羽野さんがバラエティ番組に出演する際に話題になることも多く、格好のイジリネタとなっているようですね。
和泉元彌に子供は2人~娘と息子も狂言師として活動していた
和泉元彌さん・羽野晶紀さん夫妻には、2002年5月に長女・采明(あやめ)さんが、2004年7月には長男・元聖(もときよ)さんが誕生しています。
元彌さんの2人の子供たちは当然ながら狂言師として育てられており、幼稚園時代から父や叔母たちと一緒に狂言の舞台に立っているそうですね。
学業の方でも優秀だと評判な子供たちは、2019年現在、采明さんが成城学園の高等部に進学している他、元聖さんも都立白鴎高等学校附属中学校に通っているとの噂が存在します。
和泉元彌の現在~チョコプラ長田のものまねで再注目されていた
和泉元彌さんの現在については、お笑いコンビ「チョコレートプラネット」の長田庄平さんの物まねレパートリーの1つに選ばれた結果、バラエティ番組などに呼ばれる機会も増えています。
とはいえ、若者世代の間で急激に認知度が高まった弊害もあるらしく、学校公演に行くと「本当にあんな喋り方している!」といった声が飛び交い会場がざわついてしまうなど、仕事がやりにくくなった部分もあるそうですね。
羽野は演目中、記録用のカメラで後方から撮影するため、会場内の様子が見えることを説明し、さらに「最近やはり、出てきたら第一声で、学生さんとかも『ほんまや。あんな喋り方や』とか、ざわざわするから」と話して、一部の観客が長田を連想してざわつく様子を再現した。
さらに、羽野が「演目を考えるのが主人の仕事なんで、自分が『そろりそろり』を言う役を外そうとしているというか」と明かすと、スタジオからは笑いが起こった。
和泉元彌についてまとめると…
・和泉元彌はお家騒動やダブルブッキングでマスコミを騒がせた時期があった
・和泉元彌は2002年1月に羽野晶紀と結婚、子供が2人誕生するも嫁姑問題が原因で離婚が噂された時期もあった
・和泉元彌は現在、チョコレートプラネット長田のものまねで再注目されている
山あり谷ありの芸能人生を歩んで来ている和泉元彌さんですが、私生活では子宝にも恵まれるなど、充実した日々を送っているようですね。
元彌さん一家が今後も幸せな日々を送り続けられることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。