26年未解決だった「名古屋市西区主婦殺害事件」の犯人・安福久美子が逮捕されました。
この記事では安福久美子の生い立ちと親など家族、高校や大学と職場など経歴、旧姓の山口と旦那との結婚と子供、被害者の高羽奈美子さんの旦那・高羽悟さんへの執着と事件動機、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 安福久美子は「名古屋市西区主婦殺害事件」で26年越しで逮捕された女
- 安福久美子の生い立ちと親など家族と旧姓「山口」について
- 安福久美子の経歴① 愛知県立惟信高校で高羽悟さんと出会っている
- 安福久美子の経歴② 大学時代の高羽悟さんに対するストーカー行為
- 安福久美子の経歴③ 事務職を経てエリート旦那と結婚し3人の子供を出産
- 安福久美子の経歴④ 高校のOB会で高羽悟さんと再会し5ヶ月後に事件へ
- 安福久美子が高羽奈美子さんを殺害した事件当日の経緯
- 安福久美子の事件後…26年間の空白と旦那や子供達ら家族への疑惑の目
- 安福久美子の旦那や子供など家族についての詳細
- 安福久美子が逮捕に至るまでの経緯
- 安福久美子の逮捕当時の職場
- 安福久美子の口から動機はまだ語られていない
- 安福久美子の現在と今後について
- まとめ
安福久美子は「名古屋市西区主婦殺害事件」で26年越しで逮捕された女

安福久美子(やすふく・くみこ)容疑者(逮捕当時69歳)は、1999年11月13日に発生し、26年にわたって未解決事件となっていた「名古屋市西区主婦殺害事件」の犯人として2025年10月に逮捕された女です。
この、「名古屋市西区主婦殺害事件」は長らく未解決事件として注目されており、現場に残された犯人のものと思われるB型の血液、24cmの靴跡、そして飲みかけの乳酸菌飲料などの物証が豊富にあるにも関わらず長く犯人特定に至りませんでした。
遺族である夫・高羽悟(たかば・さとる)さん(2025年現在69歳)は、被害者である妻・高羽奈美子(たかば・なみこ)さん(事件当時32歳)の無念を晴らすために、現場のアパートを当時のまま保存し続け、情報提供を呼びかけ続けるという地道な活動を続けていました。
そして2025年10月、26年越しについに事件が動き、愛知県警が最新のDNA鑑定技術と執念の捜査の末に名古屋市港区に住む69歳の女、安福久美子を殺人容疑で逮捕したのです。
世間を震撼させたのは、犯人・安福久美子の正体でした。彼女は単なる通り魔でも、強盗目的の侵入者でもありませんでした。被害者・高羽奈美子さんの夫である高羽悟さんの「高校時代の同級生」であり、かつて彼に想いを寄せていた人物だったのです。
安福久美子の生い立ちと親など家族と旧姓「山口」について
「名古屋市西区主婦殺害事件」の発生から26年という歳月を経て逮捕された安福久美子容疑者は、逮捕当時69歳。名古屋市港区東海通にある一戸建て住宅に住んでいました。
彼女の旧姓は「山口(やまぐち)」といいます。結婚して「安福」姓となるまでは、山口久美子として人生を歩んでいました。
まずは、安福久美子の生い立ちや当時の親などの家族について現在までに判明している情報を見ていきます。
安福久美子の生い立ちと「親」など育った家族の影響
安福久美子容疑者は1955年(または1956年)、愛知県名古屋市で生まれました。
高度経済成長期の日本で安福久美子容疑者が育った家族は、一般的な中流家庭であったと推測されますが、近隣住民や関係者の証言などから、比較的「教育熱心な親」のもとで育った可能性が浮上しています。
当時の女性としては大学進学率がまだ低かった時代に、安福久美子容疑者は大学教育を受けています。
幼少期の詳細なエピソードは多く語られていませんが、周囲からは「大人しい」「真面目」といった印象を持たれていました。しかし、その内面には激しい感情や執着心を秘めていたことが、後のストーカー的な行動や犯行から読み取れます。
親からの期待に応える「良い子」としての側面と、抑圧された感情のバランスが、思春期以降に歪み始めたのかもしれません。
安福久美子の経歴① 愛知県立惟信高校で高羽悟さんと出会っている
安福久美子容疑者が事件を起こすまで、そして事件を起こしてから26年後に逮捕されるまでの経歴についても関心が集まっています。
愛知県立惟信高校での高羽悟さんとの出会い

安福久美子容疑者と被害者の夫・高羽悟さんの運命が交錯したのは、名古屋市港区にある愛知県立惟信(いしん)高校でした。
2人は高校の同級生であり、共に「ソフトテニス部(軟式テニス部)」に所属していました。
当時の高羽悟さんは、活発でスポーツマン、周囲からの人望も厚い好青年でした。一方の安福久美子容疑者(当時は旧姓の山口久美子)は、部活動には真面目に参加するものの、クラスや部内では決して目立つ存在ではなく、口数の少ない「大人しい女子生徒」でした。
卒業アルバムに残された彼女の写真は、穏やかな笑顔を浮かべており、将来殺人犯になるとは誰も想像できない普通の少女の姿でした。
高校時代の安福久美子は高羽悟さんに一方的な恋心を抱いていた

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高校時代、安福久美子容疑者は高羽悟さんに一方的な恋心を抱いていた事がわかっています。
高羽悟さんの証言によれば、安福久美子容疑者からバレンタインデーにチョコレートをもらったり、「好きです」と書かれた手紙を渡されたりしたことがあったといいます。しかし、高羽悟さんにとって彼女はあくまで「部活のチームメイトの一人」に過ぎず、恋愛対象としては見ていませんでした。
悟さんは安福久美子容疑者の告白に対し、明確に交際を断っています。通常の青春の1ページであれば、ここで失恋として終わるはずでした。しかし、安福久美子容疑者はその後も高羽悟さんに執着し続けたとみられています。
安福久美子の経歴② 大学時代の高羽悟さんに対するストーカー行為

出典:https://mw-cds.akamaized.net/
高校卒業後、高羽悟さんは豊橋市にある私立愛知大学(豊橋キャンパス)へ進学しました。
一方、安福久美子容疑者も1浪の末に愛知県長久手市の愛知県立大学へ進学したとされています。本来であれば、生活圏が離れ、それぞれの新しい人生が始まるはずでした。
しかし、驚くべきことに、安福久美子容疑者は高羽悟さんが通う大学のキャンパスにまで姿を現すようになりました。
当時の高羽悟さんの回想によれば、安福久美子容疑者は「大学まで追いかけてきて、待ち伏せをしていた」といいます。
喫茶店での号泣事件
ある日、大学付近で待ち伏せしていた安福久美子容疑者を見つけた高羽悟さんは、彼女を近くの喫茶店に連れて行き、諭すように話をしました。「こういうことは困る」、「付き合うことはできない」と改めて拒絶の意思を伝えたのです。
その時、安福久美子は喫茶店の中で人目もはばからず「しくしくと泣き崩れた」といいます。
高羽悟さんはこの時、安福久美子容疑者の行動に対し恐怖よりも「困惑」を感じていましたが、彼女の涙を見て「これで諦めてくれるだろう」と考えました。
実際、その後しばらく安福久美子容疑者からの接触は途絶え、悟さんは彼女のことを過去の思い出として封印していきました。
しかし、安福久美子容疑者の中では、この「拒絶」が愛情を憎悪へと変質させる種となっていた可能性があります。あるいは、この時点で安福久美子容疑者の中で「悟さんは私のものになるべき人」という歪んだ所有欲が固定化されてしまったのかもしれません。
安福久美子の経歴③ 事務職を経てエリート旦那と結婚し3人の子供を出産
大学を卒業後、高羽悟さんは手住宅メーカーに就職に就職し、名古屋市内のマンション販売の営業などを担当されていました。
その職場で出会ったのが、後に事件の被害者となる高羽奈美子さんでした。明るく聡明な高羽奈美子さんと恋に落ち、1990年代半ばに結婚。名古屋市西区のアパートで新生活を始め子供(長男・航平さん)にも恵まれました。
一方、安福久美子容疑者もまた、表向きは順調な人生を歩んでいるように見えました。大学卒業後、彼女は地元の企業で事務職などの仕事に就いています。そして20代後半から30代前半にかけて、彼女自身も結婚をしています。
安福久美子容疑者の結婚相手(旦那)は、自動車関連産業に従事する、いわゆるエリートサラリーマンだったと報じられています。
安福久美子容疑者は結婚により旧姓の「山口」から「安福」となり、3人の子供(息子2人と娘1人)にも恵まれました。事件当時、安福久美子容疑者は名古屋市港区の分譲マンションに住んでおり、PTA役員や子ども会の活動にも積極的に参加する、近所でも評判の「教育熱心で優しいお母さん」だったといいます。
安福久美子は事件の10年ほど前に幼い子供を亡くしている
エリート旦那と結婚をして3人の子供にも恵まれ、表向きは幸せな結婚生活を送っていたように見える安福久美子容疑者でしたが、「名古屋市西区主婦殺害事件」からみて10年ほど前に当時幼稚園に通っていた幼い娘を病気で亡くすという不幸に見舞われています。
殺人容疑で逮捕されたアルバイト安福久美子容疑者(69)の動機は明らかになっていない。安福容疑者は事件前に幼い長女を亡くしていたという。名古屋・西署捜査本部もこうした家庭環境を把握し、慎重に調べている。 関係者によると、安福容疑者が長女を亡くしたのは事件の10年ほど前。幼稚園に通っていたが、血液の重い病気を患った。
安福久美子の経歴④ 高校のOB会で高羽悟さんと再会し5ヶ月後に事件へ
「名古屋市西区主婦殺害事件」が起こる1999年11月の約5ヶ月前、重要な出来事が起こります。
高校のソフトテニス部のOB会が開かれ、そこで安福久美子容疑者と高羽悟さんが約20年ぶりに再会したのです。
この時、高羽悟さんは警戒心なく、旧友として彼女と接しています。「結婚して子供も生まれたよ」、「仕事も順調だ」など、高羽悟さんは、自身の近況を何気なく話しました。安福久美子容疑者もまた、「私も結婚して、家事も仕事も頑張っている」と笑顔で応じたといいます。
高羽悟さんは後にメディアに対し、「彼女は高校時代よりも明るくなった印象で、完全に吹っ切れていると思っていた」と語っています。
なお当時の安福久美子容疑者の職場は、生活関連商品を製造・販売する名古屋市内の会社で、事務の仕事と子育てや主婦業を両立させていた事がわかっています。
この同窓会での再会が事件の直接的な動機となった可能性
一部捜査関係者は、この再会こそが惨劇のトリガーになったと見ているようです。
安福久美子容疑者にとって、目の前で幸せそうに「妻と子供」の話をする高羽悟さんの姿が許しがたいものだったのではないかと推測されています。
つまり、幸せな結婚をし、嫁と子供との生活を語る高羽悟さんに対して、安福久美子容疑者が「なぜ、その隣にいるのが私ではないのか」、「なぜ、私を振ったあなたが、あんなに幸せそうなのか」といった感情を抱いたのではないかという事です。
さらに、高羽悟さんは「土日は仕事が入ることが多いが、平日は休めることもある」といった勤務シフトの話をした可能性も指摘されています。これが、犯行日時を特定する情報として利用された可能性も指摘されています。
安福久美子が高羽奈美子さんを殺害した事件当日の経緯

1999年11月13日、土曜日。安福久美子容疑者は、用意周到に準備を整えていました。
安福久美子容疑者は自分の足のサイズに合うスニーカーを履き、刃物を隠し持ち、高羽悟さんの不在を狙い、彼の妻と幼い子供の住む名古屋市西区のアパートへ向かいました。
当時、安福久美子容疑者が住んでいた港区から西区の事件現場までは、距離にして10km以上離れており、明確な殺意を持って移動したことは明らかです。
安福久美子と高羽奈美子さんには面識はなかったと見られている
午前中、高羽奈美子さんは長男・航平さんを連れて小児科に行き、帰宅した直後でした。インターホンが鳴り、高羽奈美子さんがドアを開けた瞬間、あるいは室内に招き入れた直後、安福久美子容疑者は凶行に及んだと見られています。
高羽奈美子さんと安福久美子容疑者には「面識がなかった」とされています。高羽奈美子さんにとっては、旦那の同級生とはいえ、見知らぬ女がいきなり刃物を向けてきたことになります。
残された証拠
事件現場の状況から安福久美子は高羽奈美子さんともみ合ったと見られており、自身も手を負傷しています。これが、現場に残されたB型の血液の出所となりました。
安福久美子は動転したのか、あるいは異常な冷静さを持っていたのか、現場の洗面所や近くの公園で血を洗い流した痕跡が確認されています。
また、事件現場には安福久美子が持ち込んだと思われる乳酸菌飲料(カルピスのようなものと報道)が飲みかけで置かれていました。
高羽奈美子さんは首を集中的に刺されており、強い殺意が向けられていた事が窺われました。その傍らでは、当時2歳の高羽夫妻の子供・航平さんが、血まみれの母親のそばで泣き叫んでいました。
安福久美子容疑者は幼い子供を殺めることはせず、そのまま逃走しています。
安福久美子の事件後…26年間の空白と旦那や子供達ら家族への疑惑の目

犯行後、安福久美子容疑者は何食わぬ顔で日常生活へと戻っています。
手に怪我を負っていたはずですが、家族(旦那や子供)には「怪我をした」と適当な理由をつけて誤魔化したと考えられています。
驚くべきは、彼女がその後26年間、「普通のお母さん」、「普通の主婦」として生活し続けたことを示す証言が多く見られる事です。
職場と近所の評判
安福久美子容疑者はその後も仕事を続け、スーパーの事務員などとして働いていました。
近隣住民への取材では、「挨拶をちゃんとする人」、「花を育てるのが好きな穏やかな奥さん」といった評判が聞かれました。
しかし、一部の住民からは「どこか影が薄い」、「家族との交流があまり見えない」という声もあり、また事件後にマンションから一戸建てへ引っ越すなど、環境の変化もありました。
夫(旦那)と子供は安福久美子の犯行を知っていたのか
逮捕後、最も注目されたのが、安福久美子の旦那や子供たちが事件を知っていたのかという点です。
現在の時点での報道や警察の発表によれば、「家族は全く知らなかった」と見られています。
旦那は仕事熱心な企業戦士であり、妻の過去の恋愛や、まさか殺人を犯しているとは夢にも思わなかったとみられています。子供たちにとっても、母は「少し厳しくも普通の母親」であり、殺人犯であることなど想像もできなかったとされています。
安福久美子は家庭内でも完璧に「演技」を続け、26年間、家族さえも欺き通したとみられています。
安福久美子の旦那や子供など家族についての詳細
安福久美子容疑者の家族構成は、旦那と3人の子供(長女、長男、次男)からなる5人家族でした。しかし、事件が起きる以前に長女を病気で亡くしており、実質的には夫婦と息子2人の4人家族という期間が長く続いていました。
安福久美子容疑者の家族のうち、旦那は大手自動車部品メーカー勤務のエリート(年齢は同年代)で、近隣住民からは「真面目そうなご主人」、「庭の手入れをよくしている穏やかな人」という印象を持たれていました。
その一方で、旦那は仕事熱心で、海外出張や長期の転勤が多い生活を送っていました。事件当時(1999年)も旦那は多忙を極めており、家を留守にすることが多かったと言われています。
3人の子供のうち、長女は事件の10年前に病気で死亡、長男は現在40代前後(独立して家庭を持っている可能性あり)、次男は現在30代後半(独立)となっています。
また、安福久美子には近隣住民の証言により、孫がいるとの情報も報じられています。
その他の家族(実家の親や兄弟姉妹について)
安福久美子容疑者(旧姓:山口)は、名古屋市内の一般的な家庭で育っています。
「親」は教育に関心があり、彼女を大学まで進学させました。しかし、長女(安福久美子容疑者の子供)が亡くなった際、実家の親族から心ない言葉をかけられたり、叱責されたりしたという情報も一部で囁かれています。これが安福久美子容疑者の孤立感を深め、旦那や実家にも頼れない心理状態を作った可能性があります。
また、安福久美子容疑者の兄弟姉妹に関する具体的な情報は、現在の時点では公表されていません。一人っ子だったのか、兄弟や姉妹がいたのかは不明ですが、事件後の逃亡生活において、実家の家族が何らかの形で積極的に関与した形跡は報じられていません。
安福久美子が逮捕に至るまでの経緯

「名古屋市西区主婦殺害事件」の犯人である安福久美子が何食わぬ顔で日常生活を送っていたのに対し、遺族である高羽悟さんの人生は壮絶でした。
「妻を守れなかった」という自責の念に駆られながら、男手一つで息子の航平さんを育て上げました。
高羽悟さんは、犯人が捕まった時に現場検証ができるよう、そして事件を風化させないよう、事件現場のアパートの家賃を払い続け、部屋を当時のまま保存しました。その期間は20年以上、その維持費の総額は2248万円にもなりました。
メディアにも積極的に出演し、顔と名前を出して情報提供を呼びかけました。その姿を、安福久美子容疑者はテレビの向こうでどのような思いで見ていたのでしょうか。
逮捕の決め手はDNA鑑定技術の進歩
26年も未解決だった「名古屋市西区主婦殺害事件」が動いたきっかけとなったのは、DNA鑑定技術の飛躍的な進化でした。
警察は、現場に残された血液のDNA情報を、最新のデータベースや家系図解析(DNA genealogyのような手法か、再捜査による対象者の洗い出し)と照合しました。
その結果、捜査線上に「高羽悟の同級生」である安福久美子容疑者が浮上したのです。
警察は慎重に裏付け捜査を行い、2025年、ついに彼女に任意同行を求めました。
安福久美子容疑者は当初、関与を否定するような素振りを見せましたが、突きつけられた科学的証拠と、26年間の重圧に耐えかねたのか、最終的に犯行を認める供述(あるいは事実上の自白に近い態度)を見せ、逮捕に至りました。
安福久美子の逮捕当時の職場
安福久美子容疑者の逮捕当時の職場は、名古屋市内の大型スーパーで事務員の仕事をしていたと報じられています。
捜査本部によると、安福容疑者は市内の大型スーパーで事務員の仕事をする一方、26年間の生活について「事件に関する新聞も見られなかった。発生日が近づくと悩んで気持ちが沈んだ」と打ち明けたという。
ただ、安福久美子容疑者の職場の大型スーパーが具体的にどこなのかは明らかにされていません。
安福久美子の口から動機はまだ語られていない
安福久美子容疑者の口から2025年11月24日の時点で動機はまだ語られていません。
そのため、これまでに報じられた内容から、安福久美子容疑者が「名古屋市西区主婦殺害事件」を起こした動機について推察します。
20年前の「拒絶」とプライドの崩壊
安福久美子容疑者の動機の根底には、高校から大学時代にかけて高羽悟さん(被害者の夫)に抱いていた執着と、それを拒絶された記憶があると考えられます。
安福久美子容疑者は高校時代、テニス部のチームメイトだった悟さんに強い恋心を抱いていました。しかし、高羽悟さんにとって彼女はあくまで「友人」でした。
大学時代、高羽悟さんを待ち伏せ(ストーカー行為)した末、喫茶店で「付き合えない」、「困る」と明確に拒絶されました。公衆の面前で泣き崩れたこの経験は、安福久美子容疑者の中で「悲しい失恋」として昇華されず、「私という人間を否定された屈辱」として心の奥底に刻み込まれたと考えられます。
そして、「手に入らないなら壊してしまいたい」あるいは「私を振ったことを後悔させてやりたい」という歪んだ感情の種が、この時に植え付けられた可能性があります。
同窓会での「残酷な対比」
事件の5ヶ月前に行われたテニス部のOB会(同窓会)が、休眠していた感情を爆発させる直接的な引き金(トリガー)となった事が考えられます。
20年ぶりに再会した高羽悟さんは、美しい妻(高羽奈美子さん)と可愛い子供(息子・航平さん)に恵まれ、仕事も順調で、まさに安福久美子にとって「人生の勝者」のように輝いて見えたかも知れません。
安福久美子容疑者も表向きは結婚していましたが、「家族で一緒にいるのを見た事がない」という近隣住民の証言などもあり、内心では満たされない思いを抱えていた可能性があります。
高羽悟さんが笑顔で語る「幸せな家庭」の話は、安福久美子容疑者にとって「自分が座るはずだった席に、別の女が座っている」という耐え難い光景として映ったのかも知れません。
高羽悟さんの何気ない近況報告を、安福久美子は「私を振って、こんなに幸せになった自分を見せつけている」と被害妄想的に受け取った可能性があります。
娘の死による「喪失感」が深層心理に影響を与えた可能性
最も恐ろしい動機の核心として、安福久美子自身が抱えていた家庭の事情、特に幼い長女の病死が関連している可能性が考えられます。
安福久美子は事件の10年ほど前に、愛する長女を幼くして病気で亡くしています。深い悲しみの中にいた安福久美子にとって、高羽悟さんの息子・航平さん(当時2歳)が元気に育っている事実は、羨望を超えて「許しがたい不条理」に見えた可能性があります。
「私は子供を失い不幸なのに、私を振った男はのうのうと幸せを享受している」。この理不尽な怒りが「彼にも同じ苦しみを味わわせてやる」、「彼の幸せの象徴(妻と家庭)を破壊してやる」という、極めて身勝手な復讐心へと変貌を遂げたのかも知れません。
そうであれば、安福久美子の動機は、高羽奈美子さん個人への恨みではなく、「高羽悟の幸福そのもの」を殺す事だったのかも知れません。
なぜ高羽悟さんでなく妻の高羽奈美子さんをターゲットとしたのか
安福久美子の憎悪の対象が高羽悟さんであるなら、高羽悟さんを襲えばよかったはずです。しかし、彼女はあえて妻である高羽奈美子さんを狙いました。これには女性特有の複雑な嫉妬心理が働いていると考えられます。
高羽奈美子さんは、安福久美子がなりたかった「高羽悟の妻」というポジションにいる女性です。安福久美子は、高羽奈美子さんは、自分の場所を奪った「泥棒」であり、最も排除すべき障害物だと考える心理に至った可能性が考えられます。
さらに、高羽悟さん自身を殺害するよりも、彼が最も愛する妻を奪い、残された子供と共に「一生消えない悲しみ」を背負わせる方が、より残酷で効果的な復讐になると無意識に、あるいは計画的に計算していたのかも知れません。
高羽奈美子さんと安福久美子には面識がなかったとされています。つまり、高羽奈美子さんは完全に「身代わり」として、理不尽な逆恨みの犠牲になったと考えられるのです。
あくまでもこれまでに明らかになっている情報をもととした推察ですが、あえて安福久美子の動機を一言で表すなら、「過去の失恋と現在の不幸が結合して生まれた、他人の幸福への破壊衝動」ではないでしょうか。
安福久美子の現在と今後について

最後に、安福久美子の現在(2025年11月下旬)と今後について見ていきます。
安福久美子の現在① 鑑定留置を開始
まず最新の安福久美子容疑者の状況ですが、捜査関係者および各社報道によると、名古屋地検は安福久美子容疑者の刑事責任能力を調べるため、2025年11月14日から「鑑定留置」を開始しました。
鑑定留置の目的ですが、犯行当時(1999年)および現在の精神状態を専門医が診断し、刑事責任を問えるかどうか(起訴できるか)を判断するためです。
鑑定留置の期間は、通常3〜4ヶ月程度続く見込みです。この間、取り調べは一時中断または制限され、医師による面接や検査が中心となります。
安福久美子の現在② 自供から黙秘への変化
逮捕直後と現在で、安福久美子容疑者の態度に大きな変化が見られます。
逮捕当初、安福久美子容疑者は「間違いありません」、「26年間、毎日不安だった」、「家族に迷惑をかけたくなかった」と容疑を認め、反省の弁も述べていました。
しかし現在、安福久美子は弁護士の選任後、「黙秘」に転じたり、「昔のことなので記憶が薄れている」、「殺すつもりまではなかった(殺意の否認)」といった趣旨の供述を始めたりしていると見られます。
そしてこれには安福久美子と弁護士による戦略、つまり、26年という長い年月を逆手に取り、「記憶がない」と主張することで、捜査機関による「殺意の立証」を困難にさせる弁護方針がうかがえます。
安福久美子の旦那や子供の現在
週刊誌の報道によれば、安福久美子の旦那と子供ら家族は、事件については全く知らず、逮捕によって「普通の家族」としての生活は崩壊しました。現在、家族はマスコミを避けるためか、自宅(名古屋市港区)には戻っていない様子が近隣住民によって証言されています。
今後の展開についての推測
報道されている情報を総合すると、今後の裁判は極めてスリリングな展開になると予想されます。
検察は「殺人罪」での起訴を目指しますが、弁護側は「殺意はなかった(怪我をさせるつもりだった)」として「傷害致死罪」を主張する可能性があります。これには「時効の罠」が関係しています。
「殺人罪」が適用された場合、2010年の法改正で時効が廃止されたため、処罰可能です。しかし、「傷害致死罪」となった場合、1999年当時の時効は「7年」でした。つまり、もし裁判で「殺意がなかった(=傷害致死)」と認定されてしまうと、すでに時効が成立している事となり、無罪(免訴)となってしまう可能性が理論上存在するのです。
そのため、検察側は「記憶がない」という容疑者の供述を崩し、以下の客観的状況から「確定的殺意」を立証することに全力を注ぐと考えられます。
傷の箇所:首(急所)を集中的に狙っている点。
逃走の合理性:犯行後、速やかに血を洗い流し、普段通りの生活に戻っている冷静さ(心神喪失の否定)。
裁判の見通し
鑑定留置の結果、責任能力ありと判断されれば、2026年春頃に起訴、同年夏以降に裁判員裁判が開かれる見通しです。
被害者遺族である高羽悟さんは、「絶対に時効(実質的な逃げ得)は許さない」という強い姿勢で裁判に参加すると見られ、検察側も無期懲役などの重い刑を求刑する可能性が高いです。
安福久美子は現在、「鑑定留置」という静かな期間に入っていますが、水面下では「26年前の殺意」を巡る検察と弁護側の激しい駆け引きが始まっています。容疑者の「記憶」との戦いが、この未解決事件の最終的な結末を決めることになります。
まとめ
今回は、1999年に発生した「名古屋市西区主婦殺害事件」の犯人として26年越しの逮捕となった安福久美子容疑者についてまとめてみました。
安福久美子は、なぜ26年間も沈黙を守り、のうのうと生きてこられたのか。彼女の旦那や子供たちは、今、加害者家族として地獄のような苦しみの中にいます。
そして何より、何の罪もないのに命を奪われた高羽奈美子さんや、高羽悟さんら遺族は26年にわたって苦しんできました。
裁判では、安福久美子の口から「本当の動機」と、空白の26年間の心理状態が語られることが期待されます。
「旧姓・山口久美子」としての青春時代の挫折が、いかにして「殺人犯・安福久美子」を生み出したのか。その全貌解明こそが、事件の本当の解決となるでしょう。


















