深浦加奈子さんは、1990年代から2000年代にかけ多くのドラマ作品に出演した女優ですが、2008年に48歳という若さで亡くなっています。代表作には『科捜研の女』シリーズや『ショムニ』、『家なき子』など。
ここでは深浦加奈子さんの若い頃の画像を出演作品とともにご紹介しながら、結婚情報や死因など最期についてもまとめています。
この記事の目次
深浦加奈子のプロフィール
深浦加奈子(ふかうら かなこ)
出身地:東京都
生年月日:1960年4月4日
没年月日:2008年8月25日(48歳没)
血液型:A型
出身高校:東京都立日比谷高等学校
最終学歴:明治大学文学部文学科演劇学専攻
職業:女優
所属事務所:シスカンパニー(~2005年)
深浦加奈子さんは、大学在学中に劇団を立ち上げ女優として活動し始めました。
その後はドラマを中心に多くの作品に出演。代表的な出演作品としては『家なき子』(1994年)や『ショムニ』(2000年)、『ナースのお仕事』(1996年)、『科捜研の女』(2001年〜2006年)、『美女か野獣』(2003年)などがあります。
深浦加奈子さんはさまざまな役柄をこなす名脇役として、1990年代から2000年代にかけて多くの作品に登場しましたが、2008年に48歳という若さで亡くなりました。
深浦加奈子の若い頃…個性派脇役女優として「ショムニ」にも出演
深浦加奈子さんの若い頃(1980年代)
画像左にうつるのが若き日の深浦加奈子さんです。
かなり美人ですね!
『家なき子』(1994年)出演時より
髪をまとめて、時にはメガネをかけたような脇役のイメージも強い深浦加奈子さん。当時30代前半頃。
『ナースのお仕事』(1996年)出演時より
深浦加奈子さんは、当時の人気ドラマに脇役として数多く出演していました。
2001年から2006年まで大人気シリーズの『科捜研の女』にも出演
どんな作品にも溶け込み、その演技の上手さに定評がありました。
1990年代の深浦加奈子
はっきりとした顔立ちで、やや癖のある役柄も多く、印象に残る俳優さんでしたね。
深浦加奈子さんは、上記に紹介してきた作品を始め『ショムニ』(2000年)『スウィートホーム』(1994年)『お気らく主婦の大冒険シリーズ』(1998年〜2002年)などにも出演。
多くの作品に出演した深浦加奈子さんは共演者と親交を深めることもあり、『ショムニ』などで共演した戸田恵子さんや『科捜研の女』などの沢口靖子さん、『美女か野獣』などの松嶋菜々子さんとはプライベートでも仲が良かったそうです。
東京人物列伝
— 滝本淳助 (@takimotonosekai) 28. července 2018
真ん中・深浦加奈子 さん
亡くなったんですよね、
きれいな人でしたよ〜。
合掌 pic.twitter.com/ps7E5XUpn2
深浦加奈子に結婚歴はない?…生涯独身を貫いていた
結婚はせず、生涯独身を通した深浦加奈子
多くの仕事に恵まれた深浦加奈子さんでしたが、私生活では結婚などしておらず、生涯独身だったそうです。
ネット情報を見てみると、高橋克実さんとの関係が噂されたこともあったようですが、結局のところ二人はただの仕事仲間だったといいます。
生前は「仕事が恋人」とも話し、多くの情熱を芝居に向けていたという深浦加奈子さん。ただ戸田恵子さんなど共演者たちと深い親交があったことや、後輩である俳優たちの面倒もよく見ていたという人柄からも、周囲から慕われた方だったようです。
またアクの強い役柄のイメージもある深浦加奈子さんですが、素顔はとても綺麗な人ですね。きっと多くの人に愛された女優さんだったのではないでしょうか。
深浦加奈子が48歳の若さで死去…死因は大腸がんだった
深浦加奈子の死因・大腸ガンとは?
深浦加奈子の死因は大腸ガン
多くの作品に出演した女優・深浦加奈子さんは、2008年8月25日にS状結腸ガン(大腸ガン)のため死去。
大腸ガンは、その名前の通り大腸にできるガンです。日本人は大腸の部位でいうと、S状結腸や直腸などに悪性腫瘍ができるケースが多く、深浦加奈子さんもそのうちの一人です。
初期症状がでにくとされますが、進行してくると血便や下血、腹痛、貧血、体重減少などが起こるようになります。
かなり進行した状態になると腸閉塞を併発することも。大腸ガンの罹患率は男女ともに高く、いずれもガンの種類別だとベスト3に入るほど。
一説には日本で一番患者数が多いガンとも言われる大腸がんですが、早期に発見できた場合の予後は良好です。しかし進行した状態の場合は他のガンと同様に、その生存率はかなり低くなっています。
(5年生存率→全ステージ統計は約76%、しかしステージ4だと約20%となる資料も)
深浦加奈子の壮絶な闘病と最期
闘病しながらも続けた女優業
深浦加奈子さんは周囲に腸閉塞といいながら、約5年もの間ガン闘病しながら仕事を続けたそうです。
深浦加奈子さんに最初の異変があったのは2002年頃。腹痛を訴え産婦人科を受診しましたが、当初異常は見つかりませんでした。
その後の2003年の撮影中に、再び腹痛を感じ病院を受診したところ、そこで大腸ガンが発覚。結果的に言えば病気はかなり進行しており、リンパ節転移もあるような状態だったとか。
しかし深浦加奈子さんはガン治療を行い、辛い副作用に耐えながらも、仕事を続ける道を選びました。
ただ手術後に腸閉塞を起こすようになった深浦さんは、激痛のあまり倒れこみ救急に駆け込むことが多くなり、2005年には所属事務所に迷惑をかけないために独立。
以降は父親(独立したあとのマネジメント等担当)や母親(管理栄養士のため料理面でサポート)、姉の旦那(医者)さんら家族に芝居を続けるための協力を求めました。
確かに深浦加奈子さんの出演作を見ても、2003年以降に一気に作品数が減ったという印象もなく、苦しい闘病生活を続けながら仕事を続けていたことがよくわかります。
けれど深浦さんのガンは無情にも進行していき、やがて肝臓や肺、胆管などへの全身転移が発覚。それでも仕事を続けた深浦加奈子さんの最期の日々を、実父である深浦栄助さんが以下のように話しています。
入院して数日後のこと。たまたま病室には加奈子と私の2人きり。テレビには北京五輪の様子が映っていました。病院の処置で小康状態を保っていた加奈子は、五輪の開会式と芝居の演出の違いなどを熱心に語り始めました。「今はテレビの仕事に時間を取られているけれど、本当はもっと舞台の仕事がしたい。私はまだまだ満足していないんだ」と話すのです。
加奈子が最後まであきらめずに治療に臨んだ原動力は、この芝居への飽くなき情熱と、家族を悲しませたくないという優しさだったと思います。
闘病を続けながらも仕事を続け、最期まで芝居への情熱を捨てなかった深浦加奈子さん。そのため終末医療(緩和ケア)も行わず、最期は痛みに耐えながら座ったまま絶命したといいます。
本当に最期まで女優を諦めなかったんですね…。
そして2008年8月25日にS状結腸ガンのため逝去。享年48歳。
その後2008年9月2日に近親者のみで密葬され、同9月24日にお別れ会が催されました。お別れ会では生前親交の深かった沢口靖子さん、小泉今日子さん、三浦友和さん、陣内孝則さんなどを始め500名以上の弔問客が訪れたそうです。
なお深浦加奈子さんの壮絶な闘病生活は、彼女の父親が週刊誌や著書『加奈子。何をしてやれたかな… – 女優・深浦加奈子の父が綴った大腸ガン闘病記』などで発表しています。
僕は深浦加奈子姉さんと繋がっていたくてずっと電話番号を消せずにいる。そしたらLINEが姉さんの名前で入ってきた。おっ❗て思ったけど、その番号を新規に使ってる人は当然いるよね。明後日は深浦加奈子さんの命日。毎年このくらいのタイミングで気付く何かがある❗姉さん元気?僕は元気です🍀
— 八嶋智人 (@meganeouji840) August 23, 2016
深浦加奈子の最期の作品…遺作映画は『ぼくのおばあちゃん』
深浦加奈子さんの遺作映画『ぼくのおばあちゃん』(2008年公開)
最期の舞台となった『新しい橋』(2008年2月)
がんも進行してしまうと食欲不振などに陥るといいますが、遺作当時の画像からはそんなに痩せたように感じませんね。
その影には深浦加奈子さんのお母さんの存在も大きかったのでしょう。彼女の母親は管理栄養士で、食欲が落ちてきた時期には食べやすい料理を考えて、出してあげていたとか…。
そして声も思うように出なくなった頃だったという2008年7月末、どうしてもという深浦加奈子さん本人の希望により受けた、テレビ新広島『描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶』のナレーションが生前最期のお仕事となりました。
深浦加奈子についてまとめると…
・深浦加奈子の生前最期の仕事は、テレビ新広島『描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶』のナレーション、遺作映画は『ぼくのおばあちゃん』である
・深浦加奈子は生涯独身を貫き、結婚歴はない
どこか印象に残る、存在感ある脇役女優だった深浦加奈子さん、まさに名バイプレイヤーでした。
もちろん主役は大切ですが、こういう脇役こそが名作には必要なのではないかと感じさせるほどの女優さんでしたね。ご冥福をお祈りします。