1957年に起きた「少年誘拐ホルマリン漬け事件」ですが、現在も閲覧可能な遺体写真が話題です。
今回は少年誘拐ホルマリン漬け事件の経緯や写真、被害者の巣山和利くん、犯人の林邦太郎の生い立ちや評判、判決や出所後などその後と現在を紹介します。
この記事の目次
少年誘拐ホルマリン漬け事件とは
・発生日時:1957年4月2日
・発生場所:東京都中野区の犯人の自宅
・被害者:巣山和利君(当時12歳)
・犯人:林邦太郎(当時26歳)
・罪状:誘拐殺人、遺体損壊
少年誘拐ホルマリン漬け事件は、当時12歳で中学1年生だった巣山和利君が、当時26歳の林邦太郎に誘拐され、殺害後に遺体をバラバラにされてホルマリン漬けにされた猟奇殺人事件です。
また、被害者と加害者双方の親が有名人ということもあり、話題になりました。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の被害者の父親は有名力士
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殺害された被害者・巣山和利君の父親は、元力士で元プロレスラーの清美川梅之(きよみがわ うめゆき)さんです。
清美川梅之さんは、力士時代は伊勢ケ浜部屋に所属し、1942年5月場所で横綱・双葉山を倒す金星を挙げたことで知られるます。また、1943年5月場所では優勝旗手に輝いています。
美男力士として人気を博しましたが、1946年11月場所を最後に引退。その後はプロレスラーとして活躍しました。
1957年4月2日に長男の巣山和利君が殺害された当時、妻とは離婚して家族とは別居しており、長期海外転戦中でした。
清美川梅之さんは、1980年10月13日に静岡県内にて脳卒中のため死去、享年63歳でした。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎の父親も有名な棋士
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犯人の林邦太郎の父親は、日本棋院に所属する囲碁棋士(七段)である林有太郎さんです。
林有太郎さんは、第4期本因坊戦挑戦者決定戦進出、首相杯争奪戦優勝などを果たした名棋士。
堅実な棋風で「小秀策」と呼ばれ、父(林邦太郎にとっては祖父)は林徳蔵五段です。
事件当時、現役最長老の82歳だった林有太郎さんは、常に羽織袴姿で、対局中も正座を崩すこと無く、謹厳・実直な人柄で知られていました。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の写真は現在でもネットで閲覧可能
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加害者である林邦太郎は巣山和利君を誘拐後に殺害し、ホルマリン漬けにしましたが、その時の様子を映した写真は、事件発覚当時の新聞に掲載され、現在でもネット上で閲覧が可能です。
ネットで検索すると、モザイクがかかっていない衝撃の写真が出てきますので、閲覧する場合は自己責任でお願いします。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の詳細
巣山和利君が銭湯に行ったまま行方不明に
1957年4月2日の午後7時過ぎ、東京都中野区に住んでいた巣山和利君は、近所にあった銭湯「若松湯」へ向かいましたが、その後家に帰ることはなく、行方不明となります。
巣山和利君の母親は心配しましたが、父親が有名プロレスラーだったことからスキャンダルに発展することを恐れ、警察に通報するのをためらっていました。
なお、その後の捜査で、巣山和利君が行方不明になった4月2日、巣山和利君は不審な男と一緒に「若松湯」から出て行ったという目撃情報が寄せられ、この男が林邦太郎だと思われます。
巣山和利君の自宅に脅迫状が届く
巣山和利君が行方不明になった2日後、身代金を要求する脅迫状が自宅に届きます。
「セガレを返してほしければおかあさんが四日午後四時までに、鶴ケ島駅に十五万円持って来い。警察に知らせたら、子供を殺すかも知れない」(朝日新聞4月5日付朝刊)
この手紙を読んだ母親はすぐに警察に通報し、中野区にある警視庁野方署は誘拐事件として受理して捜査本部を立ち上げました。
母親は警察の指示通りに15万円を持って東武鉄道東上本線・鶴ヶ島駅に向かい、駅には捜査員が配置されました。
しかし犯人は現れず、身代金の受け渡しに失敗しています。
巣山和利君の同級生から重要な証言を得た
警察は当初、巣山和利君の父親が有名人であることに関連する事件だと睨んでいましたが、実は偶然であり、見当違いでした。
そして、巣山和利君同級生で隣に住んでいた岸田明夫君(仮名・当時12歳)が重要な証言をしています。
(1)岸田さんは4月2日の夜、一典さんと一緒に近くの銭湯に行った。
(2)銭湯で見知らぬ30歳ぐらいの男が一典さんの背中を流しているのを見た。
(3)一典さんは、背中を流していた男について「昨日も流してくれたんだよ」と言っていた。
(4)一典さんは「僕はあのおじさんに誘拐されるかもしれないから、顔をおぼえておいてくれ」とも言った。
(5)気がついたら2人とも銭湯からいなくなっていた。そして、行方不明になって数日後、岸田明夫さんの家に、差出人欄に一典さんの名前が書かれた封書が届いた。
なお、引用の中の「一典」とは、被害者である巣山和利君の仮名として使われていた名前です。
精神病院勤務医からの電話
同級生から有力な証言は得られたものの、犯人の手がかりが少なく、捜査は難航していました。
そんな中、4月9日に都立桜ヶ丘保養院という精神病院に勤務している精神科医から、1本の電話がかかってきます。
その精神科医によれば、入院している患者の1人の言動に不審な点を感じ、その患者の自宅を調べてみたところ、ホルマリン漬けにされた子供の遺体を発見したということでした。
この患者こそ、林邦太郎だったのです。
林邦太郎の自宅からホルマリン漬けの遺体が発見される
精神科医からの電話を受けた後、警察が林邦太郎の自宅に急行し、部屋の中を捜索したところ子供のホルマリン漬けの遺体を発見しました。
そして林邦太郎は緊急逮捕されています。
思い切って畳を剥がしてみると、床板に約1m四方の穴が空いていた。その穴を覗き込んだ石川さんは我が目を疑う。薄暗い床下に、胴体から切り離された人間の顔が見えたのである……。身元が特定されるのは後のことだが、それは金魚鉢のなかでホルマリン漬けにされた大倉一典さんの頭部だった。
部屋の中のホルマリン漬けの遺体以外にも、裏庭の地中からは風呂敷などで包まれた子供の遺体の一部や衣類、遺体を解体するのに使われたとみられるノコギリや出刃包丁も見つかりました。
この子供の遺体は、行方不明になっていた巣山和利君と特定されています。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎はペドフィリア(小児性愛障害)だった
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事件前から異常行動が見られていた
林邦太郎は巣山和利君を殺害する以前から、たびたび銭湯やそろばん塾など、子供が多く集まる場所に通っては、言葉巧みに誘い出してわいせつ行為をしたり、暴力を振るっていたそうです。
また、飼い猫をバラバラにして食べたこともありました。
林邦太郎は巣山和利君の遺体をホルマリン漬けにした
林邦太郎は事件当日、銭湯で巣山和利君声をかけて、執拗に家に来るように誘います。
巣山和利君は身の危険を感じていましたが、断ることができず、林邦太郎の自宅についていってしまいました。
そして午後9時頃、林邦太郎は巣山和利君と2人きりになるために、自分の両親に銭湯に行くように仕向けて追い出します。
巣山和利君と二人きりになった林邦太郎は、服を脱がせていたずらをしようとしましたが、拒否されたため、殴って気絶させ、その後首を絞めて殺害しました。
林邦太郎はノコギリや出刃包丁を使い、2日間かけて遺体をバラバラに解体し、買ってきた金魚鉢や水槽などに遺体をホルマリン漬けにして保存しました。
身代金の脅迫状を巣山和利君の自宅に送りつけたのは、特にお金が欲しかったわけではなく、いたずら心でやったと供述しています。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎の生い立ち
林邦太郎は学歴が高く真面目だった
林邦太郎は、1954年に明治大学商学部を卒業後、1956年11月から中野区立図書館で臨時職員として働き始めました。
図書館の職員の証言によれば、職場での林邦太郎の勤務態度は至って真面目で礼儀正しく、業務を黙々とこなしていたということです。
しかし一方で、林邦太郎は正常ではないと感じさせるような悪評も近所では流れていました。
「近所の親たちは森が近づかないようにふだんから子どもたちに注意していた。同人は男の子ばかりを可愛がり、道を歩いている子供をいきなり抱きしめたり、フロ屋やソロバンジュクなどで言葉巧みに男の子に近づき、家に連れて行っては奇妙な可愛がり方をする例がしばしあったからだ」(朝日新聞4月10日付朝刊)
“奇妙な可愛がり方”というのは、やさしく接したり、抱きついたりしたかと思うと、一転して殴ったり、首を絞めるといったものだった。また、この行為は動物も対象になっていた。森は猫を溺愛し、一時は10数匹も飼っていたが……。
「これにあきると一匹ずつつぎつぎに殺し手足をバラバラにしドブなどに投げ捨てていた」(読売新聞4月10日付朝刊)
林邦太郎は根は真面目だったものの、だんだんとゆがんだ性的欲求を我慢できなくなったようで各地の銭湯に赴いては好みの男の子を探し、誘い出すという犯行を繰り返していました。
「少年誘拐ホルマリン漬け事件」の前にも、林邦太郎が銭湯から連れ出した男の子を、殴ったり首を絞めたりしていたところ、林邦太郎の母親が止めたこともあったそうです。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎のノートの内容がヤバい
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林邦太郎が起こした「少年誘拐ホルマリン漬け事件」で注目されたのは、林邦太郎が自分の倒錯した性癖などをしたためていた日記です。
警察はその後の捜査で、林邦太郎の日記7冊を証拠として押さえました。
この日記には、林邦太郎が過去に誘い出していたずらをした男の子や、巣山和利君の誘拐と殺害の計画、遺体解体の方法などについて詳細に記されていました。
〈ついにさがし求めていたかわいい男の子をみつけた。話しかけ、家庭のことを聞いた。中野区●●町 、名前は大倉一典。必ずつれ出そう…〉
〈フロに入りながら一典を待つ。一典の背中を流しながら“おもしろいところに遊びにゆこう”というと簡単にうなずきついてきた〉
〈夜九時父と母を“フロにゆけ”と追い出すことに成功した。服を脱がせようとすると、一典は“いやだ”といった。カッとなってなぐったら鼻血を出して倒れた〉
〈まもなく起き出したので、こんどは玄関にたたきつけ、そのあと殺害した〉
〈父と母がフロに行っている間にフロシキに包んで押入れや床下にかくした〉
林邦太郎は巣山和利君に性的ないたずらをすることよりも、後ろから鉈を振り下ろしてすぐに殺害したことから、殺害することに重きを置いていたと言われています。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎が遺体をホルマリン漬けにした理由とは?
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4月10日付の読売新聞夕刊では、林邦太郎の裁判における自供内容を以下のように報じました。
「このかわいい少年が死体となって“土”になるのがおしく、なんとか保存したいと思い、いったん死体を床下にかくし、同夜と三日夜家人の目を盗んでは死体を取り出してバラバラにした」
両親と同居している自宅で2日がかりで遺体を解体したというのは、林邦太郎がかなり周到な計画を練っていたことがうかがえます。
〈ちょっといたずらしたくなった。昼過ぎ“子供がほしければ十五万円持って鶴ケ島駅へこい”と書いたはがきをポストに入れた。そこから渋谷へゆき、熱帯魚を売っている店でガラス容器を四つ買った。今夜も徹夜で死体の処理をしたが父や母は気づかなかったようだ…〉
4日には巣山和利君の自宅に脅迫状が届いたことで母親が警察に通報し、捜査員が鶴ヶ島駅に張り込んでいましたが、 この時すでに巣山和利君は殺害されて遺体は解体されていたのです。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎のその後と現在
林邦太郎は精神鑑定を受けましたが「刑事責任を追い得る」として、東京地検に起訴されて1958年7月17日に懲役10年の判決が言い渡されました。
林邦太郎は控訴せずに服役しましたが、刑務所を出所した後に何をしていたのかという情報は一切分かっていません。
一説では製薬会社の社長になったという噂もありますが、信憑性はありません。
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 02:24:24.19 ID:???
>>92
製薬会社の社長になってるのはマジ
ソースは大津のいじめで名誉毀損が各地で頻発したから怖いので
本名を検索して出てくる製薬会社社長の略歴から高校とか辿れば一発だよ
あと報道時の顔写真が出てたサイトが消えてるんだが、目の下のほくろがまだ残ってるのと、目が特徴的。
1968年には林邦太郎は出所していたとみられていますが、現在もし生きていれば90歳以上になっていると考えられます。
「少年誘拐ホルマリン漬け事件」についてネットの反応
猟奇的な事件として、日本中に衝撃を与えた「少年誘拐ホルマリン漬け事件」ですが、ネット上の反応を紹介します。
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/07/21(土) 21:27:02.21 ID:uaEe4IvS0
ショタコンの究極がこれかよ……
15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/07/21(土) 21:35:02.58 ID:UdWEpk7t0
ノートの内容がwww
笑えねぇよ
12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/07/21(土) 21:33:52.03 ID:ENEM4PCp0
>飼いネコを殺してバラバラにして食すこともあった
頭おかしい殺人鬼って最初に動物狙うよな……
14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/07/21(土) 21:34:23.53 ID:CQkvlVKl0
動物じゃ満足できなくなって人に手を出すんだろうな
9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/07/21(土) 21:31:24.04 ID:uaEe4IvS0
何かと凶悪事件はネットのせいにされがちな昨今だけど
大昔からクソな人間は関係なくクソだよ!
猟奇的殺人事件の犯人は、人間をターゲットにする前に猫などの小動物から始めると言われていますが、林邦太郎もまさにその通りでした。
殺害した少年をホルマリン漬けにするというような事件は今のところ起きていませんが、今も昔も異常者の毒牙にかかってしまった被害者がいたことを思い知らされます。
まとめ
1957年に発生した猟奇的殺人事件「少年誘拐ホルマリン漬け事件」について、事件の経緯や林邦太郎の人物像や生い立ち、出所後の現在をまとめてみました。
当時はお風呂がある一般家庭が少なかったため、必然的に銭湯に通うこと当たり前の時代でした。そうした時代背景がなければ、もしかしたら事件は起こらなかったかもしれません。
巣山和利君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。