2022年1月27日に起こったふじみ野立てこもり事件の犯人である渡辺宏はマザコンで、そのことが事件の動機と深い関係があるとされています。
渡辺宏の生い立ちや家族(父親・母親)や経歴、母親との関係、猟銃所持と事件の詳細・動機、死刑の可能性をまとめました。
この記事の目次
渡辺宏はふじみ野立てこもり事件の犯人
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渡辺宏は、2022年1月27日に埼玉県ふじみ野市で起こった立てこもり事件の犯人です。事件当時は66歳で、介護していた92歳の母親が亡くなったことをきっかけに、猟銃で医師の鈴木純一さんと理学療法士を撃ち、人質にとって立てこもりました。
事件発生から11時間後の1月28日の午前8時ごろに警察が突入し、渡辺宏は逮捕されましたが、医師の鈴木純一さんは既に心肺停止状態となっていました。
渡辺宏の生い立ち
渡辺宏は1955年11月に東京都江戸川区で生まれます。下町風情溢れる場所で、町工場がたくさん立ち並ぶエリアでした。
渡辺宏の実家も周りの家と同じように、自宅の敷地内に小さな工場(小屋)を立てていて、鍛冶屋の父親が10~15cmくらいの医療用のピンセットを作っていて、親族が経営する医療機器製作所に卸していました。
週刊文春が報じたところによると、自宅敷地内にある工場からは「カンカンカンカン」という金属音が鳴り響いていたとのことです。
母親も腕の良い洋服の仕立て屋として働いていて、渡辺宏は野球のボールを家の壁に当てて遊んでいました。
小学校・中学校・高校と地元の学校を卒業していて、卒業後は江戸川信用金庫に就職しました。地元の信用金庫に高卒で就職したのですから、そこそこ優秀な学生だったことを推測できます。
渡辺宏の家族:父親や母親
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渡辺宏は3人家族だったようです。
・母親
・渡辺宏
父親は先ほど説明した通り、自宅内の工場(小屋)で鍛冶屋の仕事をしていて、医療用のピンセットを作っていました。母親は洋服の仕立て屋で働いていました。
母親と渡辺宏は顔がそっくりだったとのことです。そして、父親と母親は渡辺宏を甘やかし、溺愛していました。
渡辺宏は高校を卒業後に江戸川信用金庫に就職しますが、当時は「町工場の息子が信用金庫というお堅い会社に就職した」というのは、両親にとって自慢の種でした。「銀行(信用金庫)に就職できたら、一生安泰」という時代でしたので、両親にとっては渡辺宏は自慢の息子だったのでしょう。
渡辺宏が車で仕事から帰ってくると、家の前でクラクションをプップーと鳴らし、父親が車庫を開けてあげるのが日課だったようです。
マイホーム売った後に両親は離婚
信用金庫に就職した渡辺宏は、結婚することなくずっと家族3人で暮らしていました。そして、1981年3月に渡辺宏は両親のためにマイホームを建てます。
それまでは借地に建てた家に住んでいましたが、1981年3月に1345万円のローンを組んで、2階建ての木造の家を新築したのです。両親にとっては、本当に自慢の息子だったと言えるでしょう。
しかし、この幸せは長くは続きませんでした。渡辺宏は信用金庫を懲戒免職で辞めざるを得なくなり、ローンを返せなくなったので、家を建ててからわずか4年後の1985年にマイホームを売却することになったのです。
それから、両親は離婚することになり、渡辺宏は母親と一緒に暮らしていくことになりました。
渡辺宏の経歴
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高校卒業後に江戸川信用金庫に就職した渡辺宏は、その後、転落人生を歩んでいくことになりました。
信用金庫を退職
信用金庫に就職したのは1974年のこと。それから10年ほど信用金庫で働きましたが、会社のお金を使い込んでいたことが発覚し、懲戒解雇されることになりました。
収入がなくなり、家も売却した渡辺宏は近所の人や友人から借金を重ねることになりました。借金がかさんでいきましたが、返す当てがなかったために、自宅には借金取りが押し寄せるようになります。
渡辺宏と両親は息をひそめるようにして生活していましたが、夜逃げをするように引っ越していったのです。
借金取りに追われる生活
その後は両親が離婚し、母親と2人で生活していた渡辺宏でしたが、ずっと貧乏な生活を余儀なくされていたようです。そして、渡辺が43歳の頃に江戸川沿いにある都営住宅に引っ越してきました。
しかし、また「金返せ」と玄関に張り紙が貼られるようになり、再び借金取りが家に押しかけてくるようになったのです。
「夜7~8時頃、人相の悪い2人組の男たちが月に3~4回、玄関のドアを叩いて『金返せ!』って。でも、彼らがそれに応じている様子はなかった。ある日、お母さんが『大きい男の人たちが来て怖いのよ』と不安を口にしたこともあった」
お金に困っていた渡辺宏は、13歳年上のいとこにお金を借りに行ったこともありました。いとこは渡辺宏に2~3万円を渡して以来、現れることはなかったとのことです。
渡辺宏はその後、母親と一緒に生活保護を受けるようになり、3年前から埼玉県ふじみ野市に引っ越してきたとのことです。
現在の自宅は家賃月5万円ほどの借家で、母親とともに生活保護を受けていたという。付き合いのあった別の近所の住民はこう話す。 「1人あたり10万円を切る程度もらっていて、ここへ来る前から生活保護を受けていたんじゃないかな。彼らは家財道具や何やら物が多い人たちで、アパートやマンションだと入りきらないから、一戸建てを借りたんだと思います。築50年弱で古いんですけどね」
1つ階段を踏み外した後は、転がり落ちるような人生を歩んできたようです。
渡辺宏は猟銃を2000年に入手
渡辺宏はふじみ野立てこもり事件で猟銃を使っていましたが、この猟銃は2000年3月21日に入手しました。
都内の銃販売店を訪れた渡辺宏は散弾銃や猟銃を見て目を輝かせ、アメリカ製のレミントンM870を購入しています。この銃は中古で6万円でした。
そして、その時は会社員を装って、「私は会社員だ。全額払えないからローンで良いか?」と店の主人にローンでの支払いを提案し、頭金2万円を支払いました。しかし、残りの4万円は「失業したから払えない」と言って、踏み倒していったとのことです。
また、渡辺宏はこの時のレミントンM870のほかに2008年にもベレッタ製の散弾銃を購入していて、警察署から所持許可証も得ています。
この銃の所持の免許は3年で更新しなければならず、更新には2万円の費用がかかるとのことですが、渡辺宏は事件の2年前にも銃所持免許を更新しています。この時、渡辺宏は生活保護を受けていました。
生活保護を受けているのに、猟銃を所持していて、しかも免許更新に2万円もかかる。さらに、埼玉県の射撃場で射撃訓練をしていたという情報もあります。
銃の免許更新にも費用がかかり、散弾銃などはある程度価値があるものだ。財産とみなして、自治体などが没収しなかったのだろうか。ふじみ野市福祉課に尋ねると、
「価値があるものについては、売却して生活に当ててくださいと言います。価値がないものについては、こちらが処分してくださいとは言えません」
「生活保護を受けている人は、猟銃は持てない。」、もしくは「生活するのに必要と認められなければ、免許はく奪」などのルールがあれば、この事件は起こらなかったのに・・・。と思ってしまいますね。
渡辺宏は母親中心の生活だった
ふじみ野立てこもり事件の犯人である渡辺宏にとっては、母親は「生活のすべて」だったようです。3年前にふじみ野市に引っ越してきましたが、この時、母親は89歳で渡辺宏は63歳でした。そして、渡辺宏が母親の介護を全面的に行っていたようです。
また、介護の忙しさから、近所づきあいもしていませんでした。
「町内会費は払っていますが、集会には一度も来ていないので、顔も見たことがないですね。“介護で忙しいから、近所づきあいはできない”と言っていたようですから」(近所の主婦)
近所の人からは「いつも母親のことを考えていた」と言われています。
「私と話をしていても“あっ、いま母が呼んだかな?”とか“そろそろおむつを替えないと”などと容疑者は常に母親のことを考えているんですよ。生活保護であれば、特別養護老人ホームなどへ優先的に入所できるんですが、“自分で面倒をみたい”というタイプで母親思いではありました。まさかあんな酷いことをするとは……」(同・別の近所の住民)
引用:《埼玉・立てこもり事件》逮捕の男は“生活保護”受給者で、散弾銃を所持していた (2022年2月2日) – エキサイトニュース(2/3)
渡辺宏は完全なマザコンで、いつも母親のことを考えていたようです。
母親のためにクレーマーになっていた
渡辺宏は母親の治療の為なら、クレーマーになっていたという情報があります。
・(診察に5分遅れると)遅い!!!
・ステロイドの薬を出せ
・腹痛を訴えると「すぐに胃カメラをしろ」
・胃カメラはほかの医者にやらせろ
・専門医のくせにわかっていない
などなど、医師の治療方針に歯向かい、医師や病院とトラブルを起こすこともたびたびあったとのことです。母親の異なると、理性がなくなり歯止めが利かなくなるとのことです。
これを見ると、完全なマザコンであることが分かりますね。
母親のために盛り塩までしていた
事件当時、母親の年齢は92歳(事件前日に死亡)でした。母親はほぼ寝たきりで認知症であり、流動食しか食べられない状態でした。
担当医の鈴木純一医師からも「終末期である」と言われていました。しかし、母親をなんとしてでも助けたいと思っていた渡辺宏は高価な盛り塩を購入します。
この盛り塩は1個1万円で、渡辺宏は2個購入したとのことです。生活保護を受けている渡辺宏にとって、2万円はかなりの高額ですが、それでも母親に長生きしてもらいたかったのかもしれません。
マザコン&年金・生活保護費狙い?
母親思いで完全なマザコンと思われる渡辺宏ですが、母親に長生きしてもらいたかった理由はただ単に「マザコンで母親大好き」だからというわけではなさそうです。
なぜなら、きっちり介護をやっていたというわけでもないからです。家の中には母親の使用済みのオムツを何年分もため込んでいて、事件後も母親のオムツが自宅前に散乱していましたので、介護環境は劣悪だったようです。
また、生活保護なら母親は優先的に特別養護老人ホームに入れそうなものですが、かたくなに自宅で看たい、介護したいと言っていました。
これは、母親の年金や生活保護費がないと困るという気持ちもあったのかもしれません。母親は年金は満額ではなくても、いくらかは貰っていたはずです。また、母親がいた方が生活保護費は増えます。
だから、渡辺宏にとっては、どうしても母親には生きてもらわなければならなかったのかもしれません。
もちろん、母親のことが大好きで、マザコンだったことは間違いないと思いますが、経済的な理由もあったのかもしれません。
渡辺宏が起こしたふじみ野立てこもり事件の詳細
ふじみ野立てこもり事件は、2022年1月27日に起こりました。
焼香に呼ぶ
鈴木純一医師は、渡辺宏の母親を担当していた医師でした。渡辺宏は介護費を滞納したり、トラブルを起こしていたりしたため、ほかのの介護事業所から利用を拒否されていました。そこに鈴木純一が手を差し伸べたのです。
母親が風邪をひいた際「医療従事者にうつされた。訴えてやる」と激高する渡辺容疑者をなだめ、点滴を打って治療した。
引用:母親の介護利用料たびたび滞納、被害者の医師が手を差し伸べるも…埼玉・立てこもり事件 理不尽すぎる容疑者の動機 – zakzak:夕刊フジ公式
しかし、母親は1月26日に亡くなりました。渡辺宏は鈴木医師ら在宅クリニックのスタッフ7人を名指しで「27日午後9時に焼香に来てほしい」と呼び出しました。
そして、1月27日午後9時にスタッフ7人が焼香に訪れると、渡辺宏は「生き返るはずだから、心臓マッサージをしてほしい」と訴えたのです。
鈴木医師は死後1日経っていることなどを丁寧に説明し、心臓マッサージを拒否しましたが、それを聞いた渡辺宏は激昂します。
猟銃で襲い立てこもり
激昂した渡辺宏は散弾銃を発砲し、鈴木医師が被弾。さらに理学療法士の男性が被弾しました。そして、渡辺は鈴木医師、理学療法士の男性、医療相談員の男性を人質にとって、自宅に立てこもりました。
鈴木医師はほぼ即死状態だったようです。
他の4人のスタッフは2丁のうち1丁の銃を奪い、その場から逃げ出します。そして、スタッフたちの通報により、埼玉県警が現場周辺に警察官359人を配置し、周辺住人(99世帯、214人)を近くの避難所に避難させる事態となりました。
11時間後に逮捕
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渡辺宏は「人質は大丈夫」と言っていたため、警察はすぐに突入することができず、犯人と交渉を続けていきます。しかし、1月28日になると、渡辺宏は精神的に不安定な様子を見せるようになり、警察の電話にも応答しなくなったため、午前8時に閃光弾を放って警察は突入し、渡辺を逮捕しました。
しかし、突入時は既に鈴木医師は心肺停止状態になっていて、死亡が確認されています。理学療法士の男性は重体でしたが、病院に搬送されて、一命を取り留めました。
計画的な犯行の可能性大
渡辺宏は、この立てこもり事件を用意周到に計画していた可能性があります。渡辺が使ったのは、殺傷能力が高いスラッグ弾でした。
その後の調べで、容疑者が2人に対し「スラッグ弾」と呼ばれる殺傷能力の高い弾を使ったとみられることも捜査関係者への取材で分かりました。スラッグ弾は散弾銃で熊やいのししを狩る時などに使われるものです。
また、本来なら自宅で保管している銃はカギがついている「ガンロッカー」に入れているので、思いついたらすぐに使えるわけではありません。それなのに、渡辺宏はすぐに使えるように準備していました。
また、催涙スプレーも用意して、医療相談員の男性に使用しています。
このことから、渡辺宏は最初から鈴木医師やほかのスタッフを殺害しようとしていたと計画していた可能性が高いのです。
渡辺宏の動機は一方的な逆恨み?
母親の診療方針で意見の相違
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渡辺宏の動機は一方的な逆恨みの可能性が高いです。渡辺宏は母親の診療方針で、鈴木医師にクレームを入れていたことがありました。
一方、鈴木さんが所属する東入間医師会には昨年1月以降、今月24日までの間に、渡辺容疑者から母親の診療方針について十数回にわたって電話相談があったという。母親を入院させるよう勧める鈴木さんの意見に反対し、在宅で介護を続けたいという内容だった。
引用:母親死亡で逆恨みか、立てこもり容疑者「謝らせたかった」…地域の医師会長「在宅医療が揺らぐ」 | ヨミドクター(読売新聞)
このことから、渡辺宏は鈴木医師らに一方的な逆恨みを抱いていたのかもしれません。動機について、渡辺宏は次のように答えています。
「母親が死んで、1人で生きていく価値がないと思った。1人では死ねないから、医師たちを殺して、自分も死のうと思った」
「1人では死ねないから、医師たちを殺して、自分も死のうと思った。」、でも自分は無傷で生き残っているんですよね。
異常な行動も見られていた
渡辺宏は、事件前に異常な行動を見せていました。
・同じ道を行ったり来たりする
・民家の塀を蹴る
・顔を真っ赤にしながら、通りすがりの人をにらみつける
これらは事件3日前の行動です。母の死が目前に迫ってきて、マザコンだった渡辺宏は正気ではいられなくなったのかもしれません。
渡辺宏は死刑になるのか?
出典:bunshun.jp
渡辺宏は1名を殺害し、2名に重軽傷を負わせました。これは、死刑になるのでしょうか?
永山基準に基づけば、渡辺宏は死刑にはならないと思います。永山基準とは、日本の死刑死刑判決の基準とされているものです。
・2人殺害→死刑の可能性もある
・1人殺害→無期懲役か有期刑
1人殺害でも殺人の前科があったり、計画的で情状酌量の余地がない場合は、死刑になることはありますが、今回の渡辺宏の場合は「母親が亡くなった」ということが直接的な動機になりますので、情状酌量の余地はあるとみなされるでしょう。
そのため、無期懲役か有期刑の判決となる可能性が高いです。
渡辺宏のまとめ
ふじみ野立てこもり事件の犯人である渡辺宏の生い立ちは家族、経歴と母親との関係、猟銃所持や事件の詳細と動機、死刑の可能性をまとめました。
ふじみ野立てこもり事件は本当に痛ましい事件ですし、在宅医療の難しさを実感させられた事件でした。