内田有紀さんと吉岡秀隆さんは、2002年に結婚し、2005年に離婚した元夫婦です。
この記事では、内田有紀さんと元旦那・吉岡秀隆さんの結婚や子供の有無と離婚原因、そして二人の現在や再婚の可能性についてまとめています。
この記事の目次
内田有紀のプロフィール
名前:内田有紀(うちだゆき)
出身地:東京都中央区日本橋
生年月日:1975年11月16日
身長:165cm
高校:藤村女子高等学校中退
デビュー:1992年
所属事務所:バーニングプロダクション
内田有紀さんは、中学生の頃からモデル活動を始め、1992年のドラマ「その時、ハートは盗まれた」で女優デビューしました。1993年頃には、芸能活動に専念するために高校を中退。
1994年に出演したドラマ「時をかける少女」で初主演を果たし、同じ頃歌手デビューもしています。
以降、女優・歌手という二つを軸で活動していました。しかし2000年に、北区つかこうへい劇団に入って演技力を集中的に磨くために歌手業をお休み(3年程度の予定だった)しています。
しかし、そんな最中の2002年に吉岡秀隆さんと結婚して芸能界から引退してしまいました。
内田有紀さんの引退作となったのは夫と共演した「北の国から」といわれていましたが、2005年に離婚するとドラマ「誰よりもママを愛す」(2006年)にて復帰し、以降女優業を中心に活動しています。
吉岡秀隆のプロフィール
名前:吉岡秀隆(よしおかひでたか)
出身地:埼玉県蕨市
生年月日:1970年8月12日
身長:172cm
デビュー:1975年
所属事務所:Office Bow!
吉高秀隆さんは5歳の時にドラマデビューした俳優さんです。
幼少期は劇団若草に所属し1975年にドラマ「大江戸捜査網」でデビュー、同じ頃にNHKの歌番組「みんなのうた」における楽曲「山口さんちのツトム君」等に歌い手として参加したこともあります。
1981年に始まった「北の国から」シリーズでは黒坂純役を演じ、2002年の終了まで同役をつとめています。当時からその卓越した演技力を発揮し、天才子役として名を馳せました。
1980年代以降には「男はつらいよ」シリーズにも出演し、こちらも最終作まで主人公の甥役としてレギュラー出演しています。
子役から実力派俳優に見事に変貌した吉岡秀隆さんは、2000年以降にも「Dr.コトー診療所」シリーズ、「三丁目の夕日」シリーズを始め多くの作品に携わっています。
内田有紀と吉岡秀隆の結婚や子供の有無~離婚原因とは
内田有紀と吉岡秀隆「北の国から」で共演して結婚
「北の国から」で共演した二人。
内田有紀さんは、2002年の「北の国から〜2002遺言〜」にて吉岡秀隆さんと共演しています。内田有紀さん演じる高村結は、吉岡秀隆さんが演じる黒坂純のシリーズ上の最後の彼女となる役柄で、そんな二人が現実でも結婚ということで話題になりました。
二人の結婚式では、その縁からか「北の国から」の脚本家である倉本聰さんがプロデュースを担当し、北海道富良野で執り行われました。
結婚にあたっては、「北の国から」で共演したことが大きく影響していたようです。
吉岡は、「撮影で同じ宿に泊り、同じものを食べた。彼女は壁のない人だった。雪の中でウエディングドレスを着たいということだったので、もう富良野しかないと思って、倉本先生に相談したら、『任せろ』と言ってくれた」と話した。
プロポーズについて吉岡は、言葉こそ明かさなかったが、撮影中にはすでにしていたことをほのめかした。内田も、「作品の中で結ばれるので一生懸命彼のことを見てきて、役というより、気が付いたら…」と振り返った。2人はドラマの役を超えて愛情を育んだことを強調していた。
富良野プリンスホテルで行われた結婚式。
結婚後は、人気女優である内田有紀さんが芸能界から引退してしまいましたが、夫婦揃って仲むつまじそうな姿が目撃されることもあったと言います。
内田は結婚後は仕事を休業し、主婦業に専念。公の場に姿を見せることはなく、近所の商店街に夫婦仲良く買い物に出かけるなど幸せな新婚生活を送っていた。
内田有紀と吉岡秀隆の離婚原因!子供はいなかった
幸せそうだった二人の離婚原因とは。
内田有紀さんと吉岡秀隆さんは、結婚から約3年後の2005年に離婚を発表しました。2人の間に子供はいません。
二人の離婚原因として言われるのは、女性問題や性格の不一致ではなく、別の問題だったと言います。
関係者によると、「吉岡さんは、映画やドラマの仕事で家を空けることが多かった。彼はその間、有紀さんがしっかり家を守ってくれることを期待していたのですが、彼女がその孤独に耐えられなかったようです…」と夫婦で過ごす時間が減ったことが、関係の冷えた理由と説明する。
しかも離婚は突然で、内田有紀さんから吉岡秀隆さんに突きつけられる形であったと言います。元夫婦は離婚にあたって、コメントを出していませんが、彼らの結婚式までプロデュースした「北の国から」の脚本家倉本聰さんが二人の離婚について言及しています。
ドラマや映画の主演作が続き多忙を極める吉岡秀隆とのすれ違いに耐えきれなくなった内田有紀が離婚を切り出したのだとか。11月には書き置きを残して内田有紀が家を出てしまったそう
倉本聰が各紙にコメントを寄せているなりが、「ヒデ(=吉岡秀隆)は何が悪いのかいまだに理由が分からなく、かなり落ち込んでいた」ようなりよ。また、11月には夫妻と共に食事をしたようなりが、その時には「(離婚の)気配は全くなかった。ヒデは(内田の家出を)僕と同じくらいびっくりしたと思う」と語っている
3年というあまりに短い結婚期間…内田有紀さんは家で一人でいる孤独に耐えられなかったというのです。(一部では吉岡秀隆さんのDV疑惑も言われているようですが、これについての真偽は不明です。)
確かにその時期の吉岡秀隆さんの出演作品を見てみると、
・Dr.コトー診療所シリーズ
・3丁目の夕日シリーズ
・半落ち(2004年)
・隠し剣 鬼の爪(2004年)
・またの日の知華(2005年)
・四日間の奇蹟(2005年)
などなど、多くの作品に意欲的に取り組んでいたことも確かなようです。
孤独に耐えられなかった内田有紀さん…その訳は、複雑な生い立ちにあり?
内田有紀さんは、両親の離婚・再婚により複雑な家庭で育ち、子供時代はそれこそ父親・母親・祖父母の家を転々とし、高校からは一人で暮らし最終的には学校を中退し芸能界に入ったという生い立ちをもちます。だからこそ彼女なりの”理想の家庭”というものがあって、その中で何よりも孤独が厭うものだったのかもしれません。
また内田有紀さんは、結婚前の元カレ福山雅治さんとの破局理由も家庭に憧れがあったために、結婚してくれない彼と別れたとも言われています。そんな彼女は、やはり結婚に強い想いを抱いていたのではないでしょうか。
ただ倉本聰さんはわずか3年で結婚生活に終止符をうった二人に、こうもコメントしています。
倉本聰氏(70)は「結婚というものを2人ともよく分かっていなかったのではないか」と話した
離婚当時、内田有紀さんが30歳、吉岡秀隆さんが35歳ということで二人ともいい大人です。そんな彼らの離婚には、恩師である倉本聰さんもさすがに辛口ですね。
内田有紀さんは、その後具体的にコメントしている訳ではありませんが、私生活での出来事も無駄ではなかったと発言しています。
俳優吉岡秀隆(45)と結婚し一時引退。30歳で離婚し、「自分の居場所を見つけたい」と芸能界に戻ってきた。
「つかさんとも、倉本さんとも、その時その時に会うべくして会わせてもらっていると思う。全部プラスに捉えているし、私生活のこともマイナスだとか思わない」。さまざまな?藤はあったはず。「何があっても、次を頑張るしかないよね」と言ってほほ笑んだ。
二人の口から離婚原因について述べられているわけではありませんが、近しい関係者である倉本總さんのコメントをみる限り、吉岡秀隆さんがかわいそうだなとも感じてしまいますね。
内田有紀の離婚後や現在~彼氏との熱愛報道があるも再婚はなし
内田有紀さんは、吉岡秀隆さんと2005年末に離婚後、2006年7月のドラマ「誰よりもママを愛す」にて女優復帰しています。その後も、連ドラ・特番などを中心に女優活動をこなしていき、アラフォーとなった現在も美しいと話題になることが多々あります。
そんな美しい内田有紀さんは、離婚後も何回か熱愛が報じられています。
内田有紀の離婚後~最初の熱愛は芸人さんと
内田有紀さんと千原ジュニアさん。
内田有紀さんは、2007年のドラマ共演をきっかけに芸人の千原ジュニアさんと交際。美女と野獣カップルということで周囲を驚かせました。
2007年1月放送の2時間ドラマ『松本清張スペシャル 地方紙を買う女』(日本テレビ系)の共演をきっかけに交際をスタートさせた。
「撮影中、千原さんはテンポのいい会話やギャグでみんなを和ませていたんですが、それが内田さんにとっては、居心地がいいものだったようです。吉岡さんとの離婚のショックは思いのほか大きく、ずっと寂しい気持ちを抱えていたんですが、千原さんがすべてを包み込んでくれたようでした」
離婚で傷ついた内田有紀さんを明るく包み込んでくれたのが、千原ジュニアさんだったようですね。
しかし、1年もしないうちに破局してしまいます。原因は、離婚した元旦那の吉岡秀隆さんではなく、結婚前に交際していた福山雅治さんの存在が関係しているのではないかと言われます。
ジュニアさんは福山さんにかなり嫉妬していたといいます。例えばふたりで家にいたときにテレビをつけると福山さんが出ている。すると、“今も気にしてるんじゃないの?”というようなことを必ず言う。彼も冗談半分だったのかもしれないけど、内田さんにしてみれば別れて連絡もとっていない元カレのことで、何度もそんな話をされるのが我慢できなかったんだと思いますよ。
内田有紀の現在・バツイチ同士柏原崇さんとの熱愛
昔からの知り合いが恋人同士に。
内田有紀さんは、千原ジュニアさんとの破局後、イケメン俳優として人気だった柏原崇さんとの熱愛が2010年ごろから報じられています。
二人は1990年代からの知り合いで、2009年頃に再会したことで、年末には交際関係に発展したとみられています。
もともと仕事仲間だった2人は昨年再会。知人を交えて会う機会が増えるうちに意気投合し、年末に交際をスタートさせたという。
その後、内田有紀さんと柏原崇さんは2016年現在もお付き合いが続いていて、すでに同棲状態だとも噂されています。
そんな二人が結婚に踏み切れないのは大人の事情があるようです。
内田も柏原もともに“バツイチ”だが、柏原は04年に周囲の反対を押し切って当時、人気絶頂のモデル・畑野ひろ子と結婚。しかし結婚生活はわずか2年で破綻し離婚したこともあることから、また同じことの繰り返しになるのではないかと危惧の声が上がっていたというのだ。
「そもそも柏原さんは、ブレイク中の畑野さんと半ば強引に結婚したあげくの離婚。しかも、内田さんの所属事務所は畑野さんの事務所とは近い関係で、芸能界的には『筋を通していない』とか『よく、そんなことができるな』と、柏原さんの行動に不信感を抱いている人も多いのです」
また柏原崇さんといえば、2004年に傷害事件を起こしています。
そういったことからも周囲に歓迎されていない交際のようですね。いい大人なので、そこでも事務所が絡んでくるのはかわいそうな気もしますが…。
一方でお互いにバツイチ同士ということもあり、結婚に慎重になっているとも言われます。
いい笑顔の内田有紀さんと柏原崇さん。
ただ、たびたび仲睦まじい様子を見せている内田有紀・柏原崇カップル。
交際発覚翌年の年末には、銀座で上演されていた舞台『8人の女たち』をそろって観劇。「人目も気にせずにぴったり寄り添って、かなりラブラブな様子」だったと観客が証言していた。その翌年の秋にも、東京競馬場で他の客の目をまったく気にすることなく、腕を組んだり手をつないだり密着して場内を散策し写真を撮り合っていたという。その後も、腰を痛めて療養中だった柏原に付き添う内田の姿が目撃されるなど、とにかく長いことラブラブな様子である。
現在内田有紀さんが女優として活躍しているのも、柏原崇さんとの関係が良い影響をもたらしているのかもしれませんね。
また現在日本では露出の少ない柏原崇さんですが、中国などでは根強い人気で、脚本家などクリエイター活動もされているそうです。(柏原崇さんの現在の活動は過去の記事でまとめています。→イケメン柏原崇の現在、中国で大人気!?過去の傷害事件逮捕や弟の柏原収史についてもまとめ)
吉岡秀隆の離婚後と現在~熱愛や再婚の噂はなし
内田有紀さんとの離婚後、吉岡秀隆さんにはしばらく浮いた話がなかったようです。いろいろな作品に出演し、俳優活動を優先されていたのかもしれません。
しかし、2015年頃になって壇蜜さんとの交際が噂されるように。あまりに意外な二人ですが、これについては明確なソースがなく、ネット上で一人歩きしているだけのようです。
ただ実力派俳優ということで、その雰囲気に惚れる女性も少なくないでしょう。
まとめ
演技派俳優の吉岡秀隆さんと内田有紀さんの結婚は当時話題となりました。
好感度も高く、とてもお似合いの2人だったので残念でした。
内田有紀さんは、2010年ころから交際している柏原崇さんとの再婚もあるかもしれません。
美人女優とイケメン俳優ということで、あまりにお似合いすぎる二人のこれからにも注目です。