小田急線の走行中の快速電車車両内で突如牛刀を出して暴れ男女10人に重軽傷を負わせた対馬悠介が注目されています。
この記事では対馬悠介の出身や生い立ち、親などの家族、高校や大学などの学歴や事件までの経歴、卒アル画像や顔がイケメンとの声、事件の動機、判決などについてまとめました。
この記事の目次
対馬悠介が起こした小田急線快速電車内での無差別刺傷事件の概要
対馬悠介(事件当時36歳)は、2021年8月6日に、東京都世田谷区を走行中だった小田急線の快速電車の中で発生した無差別刺傷事件の犯人です。
対馬悠介は同日夜、小田急電鉄読売ランド前駅から電車に乗り込み、登戸駅で10両編成の藤沢発新宿行き上り快速急行電車に乗り換えています。
対馬悠介は先頭から5両目の6号車から乗り込んで7号車に移動し、座席に座っていた当時20歳の女子大学生を突然牛刀で切りつけました。女子大学生は正面から右腹部を刺され、その場から逃げようとしましたが、対馬悠介はそれを追いかけ、背中や胸、上腕部など少なくとも7ヶ所に刺し重傷を負わせています。
その後、対馬悠介は7号車から8号車の方向に移動しながら牛刀を振り回すなどして、少なくとも20代~50代の男女合計10人に怪我を負わせています。
8号車に移動後に牛刀が折れると、対馬悠介はカバンからサラダ油のボトルを取り出して車両内に撒き、チャッカマンタイプのライターで火をつけようとしていますがうまくつきませんでした。
その直後、車両は祖師ヶ谷大蔵駅の手前で緊急停止し、対馬悠介は他の乗客が開けた9号車の非常用のドアから線路に降りて逃走しました。この時、対馬悠介はスマートフォンを慌てて投げ捨てていますが、これはGPS機能から位置情報を割り出されないようにするためだったと逮捕後に供述しているという事です。
同日22時頃、対馬悠介は、祖師ヶ谷大蔵駅から約4キロ北の杉並区高井戸西のコンビニに現れ、店員に「今ニュース(緊急速報)で出ている事件の犯人です。逃げるのに疲れました」などと話したため、店員が110番通報。駆けつけた警察官によって確保されています。この時、警察官に取り囲まれた際、対馬悠介は暴れることなく大人しく連行されたという事です。
対馬悠介の出身地は青森県五所川原市
出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/
対馬悠介は犯行時の住所は「東京都川崎市多摩区西生田」と報じられていますが、その後の続報によれば出身地は「青森県五所川原市」で、小学校に上がる前に家族の都合で東京都世田谷区へと引っ越したようです。
対馬容疑者は1985年に青森県五所川原市で生まれ、幼いころに東京・世田谷区に引っ越した。
対馬悠介の生い立ち
対馬悠介の生い立ちについては、生まれは1985年、出身地が青森県五所川原市ということが報じられています。
また、対馬悠介は幼い頃に、その出身地の青森県から東京都世田谷区へと移住した事はすでに触れましたが、これは母方の実家への引っ越しだったという事も警察関係者から発表されています。
対馬悠介の両親は離婚していて、対馬悠介は母子家庭で育ったと言われてます。
なお、対馬悠介の正しい漢字表記は「對馬悠介(読み方は同じ)」のようです。この「對馬」は青森県の津軽地方に多い苗字だという事です。そのため、父親は青森県の出身で、母親だけが東京都の出身である可能性が高いのではないかと考えられます。
対馬悠介の親や家族について
対馬悠介の親や家族についての情報も現在のところほとんど出ていないのですが、学生時代の同級生の証言から3歳下の弟がいる事がわかっています。
3歳下の弟がいたのですが、一緒に下校したり遊んだり、面倒をよく見ていました。
後述しますが、事件当時、対馬悠介は家族からは離れて一人暮らしをしており、生活保護も受けていたようです。この事から、家族との関係を絶っていたか、援助を受けられないほど両親の経済状態も著しく悪かったかといった事も推測できそうです。
ただ、これらはあくまでも推測で、対馬悠介の家族や両親との関係がどのようなものであったのかは現時点では不明です。
対馬悠介が在日韓国人の噂はおそらくデマ
氏名:#対馬悠介 ではなく #對馬悠介 が正式氏名
— お達者くらぶ (@tsuriganeike) August 7, 2021
年齢:36才
身長:175cm
学歴:
職歴:
住所:神奈川県川崎市多摩区西生田4
当初は在日疑念が散見したがそれもそのハズで「對」という漢字は日本語には無いが對馬性は現青森県の西半部である津軽地方に集中分布している#小田急線 #傷害事件
ネット上では、対馬悠介が在日韓国人ではないか?との噂が浮上しています。
対馬悠介の正しい漢字表記は「對馬悠介」ですが、「對馬」が珍しい苗字から在日韓国人の通名ではないかと言われています。しかしながら、「對馬」は青森県の津軽地方に多い苗字で、特に在日韓国人が使う苗字といったことはありません。
出身地や生い立ちを見ても、対馬悠介が在日韓国人の可能性は低く、噂はデマ濃厚だと思われます、
対馬悠介の学歴① 出身小・中学校は世田谷区内の学校
対馬悠介の学歴についてもわかっている内容をまとめていきます。
読売新聞などによると、対馬悠介は出身地の青森県から、母親の実家のある東京都世田谷区へと引っ越した後、同区内の小・中学校へと通ったようです。
公立校なのか私立校なのかまでは明かされていませんが、おそらく区内の公立学校へ通っていた可能性が高いのではないかと思います。
対馬悠介の小学校時代の友人が週刊文春の取材に応じていますが、それによると、小学校時代の対馬悠介はサッカー部に所属していたようで、性格は明るく活発で、クラスのムードメーカーのような存在だったとの事。
一方で、小学5年生の頃に、サッカークラブに所属していた子に対して「俺キレさせたらヤバいよ」などと話していたとの証言も出ています。
彼は小学校のサッカー部に所属していたんですけど、ここの関係者はいま大騒ぎしています。『まさかあいつが』とみんな思っているでしょうね。そういえば、対馬が5年生の頃、このクラブに所属していた子に対して『俺キレさせたらやばいよ』と言ったことがあったようです
対馬悠介の学歴② 出身高校は東京都立大学附属高等学校
対馬悠介の出身高校は「東京都立大学附属高等学校」のようです。
この高校は2010年度を最後に「東京都立桜修館中等教育学校」に吸収合併されています。
当時の所在地は所在地は東京都目黒区八雲一丁目で、偏差値は「58」ほどと平均より学力の高い高校でした。
高校時代の対馬悠介は、当時の同級生の証言によると、「容姿端麗なイケメン」で、服装にも気を遣っていたそうです。性格も明るく冗談を言って人を笑わせるようなタイプで「つっしー」というニックネームで呼ばれ周囲から慕われていたという事です。学業はそつなくこなして成績は優秀だったようです。
その一方で、所属していた囲碁将棋クラブは幽霊部員で、放課後は仲間で街へ出て、カラオケやボーリング、ビリヤードなどをして遊んでいたようです。歌が上手く、ヴィジュアル系バンドの曲から「19」や「ゆず」などといった当時流行したフォークソングもよく歌っていたとの事。
高校3年間で特定の女性と交際した事はなかったものの、女好きで街中で女の子に声をかけるようなところもあったようです。
対馬悠介の学歴③ 出身大学は中央大学の理工学部(中退)
対馬悠介は東京都立大学附属高校を卒業後、中央大学の理工学部へと進学しています。
中央大学理工学部の現在の偏差値は科によって違いますが「55〜60」ほどとなっています。
しかし、対馬悠介は中央大学を中退しています。対馬悠介が中央大学を中退した時期や中退理由などは不明ですが、在学中はテニスサークルに所属していたようです。
大学で同じテニスサークルに所属していた知人男性は取材に「新歓コンパなどの場で、周囲になじめない新人を見つけると、積極的に声をかけていく優しい人だった」と振り返る。
また、対馬悠介は大学を中退する前に1年留年しているようです。
大学を1年留年後、中退。
対馬悠介の事件までの経歴① 大学中退後はアルバイト生活でナンパ三昧
対馬悠介が大学を中退してから今回の事件を起こすまでの経歴について、これまでに判明している内容をまとめていきます。
対馬悠介は事件から15年ほど前に高校時代の同級生に会った際に、自身の職業を「ナンパ師」と語っていたとの証言が出ています。この同級生によれば、対馬悠介は大学中退後は定職につかずにアルバイトで生活していたようだという事でした。
「今から15年ほど前でしょうか。対馬と高校の同級生数人で会った事があります。対馬はすでに大学を中退していて、定職につかず、アルバイトをして生活しているようでした。でも自分の職業を『ナンパ師』だと語りはじめたんです」
この元同級生の証言によると、対馬悠介は三軒茶屋の駅の近くなどでナンパをしていたそうで、「成功率は数パーセント」と話していたようです。しかも対馬悠介がナンパのターゲットにしていたのは女子中学生や女子高校生だったとの事。
対馬悠介の事件までの経歴② 人材派遣会社を経て生活保護
対馬悠介は大学中退後はアルバイトなど職を転々とし、2020年6月頃に人材派遣会社に登録。学校教材を運ぶ仕事、コンビニ店やパン工場などで働いていたようです。
だが、大学は卒業せずに中退していた。その後、職を転々とし、昨年6月頃には人材派遣会社に登録。コンビニ店やパン工場などで働いていたという。
しかし、2021年に入ってからは働いていなかったようで、本人の供述によれば生活保護を受給していたという事です。
しかし、今年に入ってからは仕事をしていないことが多く、調べに対し、「生活保護を受給していた」と話しているという。
また、対馬悠介の居住地についてですが、少なくとも事件の4年前からは、小田急線読売ランド前駅から500メートルほどの築40年近い6畳間の1K、家賃2万5千円のアパートに1人で住んでいたという事です。
近隣の住人からは、「凶悪犯罪を犯すような人には見えなかった」、「水漏れをしたときに大家と一緒に謝罪に来て常識のある人だと思った」といった証言が出ており、トラブルなどもなく評判は悪くなかったようです。
しかしその一方で、2021年8月1日に対馬悠介の部屋から白煙が上がるボヤ騒ぎが起こり、消防車とパトカーが駆けつける事件が起きています。この時、近隣住人が窓を開けて外を見る対馬悠介を発見し「大丈夫ですか」と声をかけたところ、無言で窓を閉めて部屋に引っ込んだという事です。この時、対馬悠介はなぜか上半身裸だったとか。
対馬悠介が小田急線での事件時にサラダ油を撒いて火をつけようとしていた事などから、このボヤ騒ぎは対馬悠介が自ら火をつけたのではないかと疑う声も出ているようです。
対馬悠介の卒アル顔画像
対馬悠介の卒アルの顔画像はテレビニュースや週刊誌などで公開されています。高校時代の卒アルの顔画像ということです。卒アル画像は私服姿ですが、対馬悠介の通っていた都立大学附属高校は私服登校が可能な自由な校風だったという事です。
対馬悠介のマスク顔画像がイケメンという声も
逮捕後に連行されるマスクをつけた対馬悠介の顔がイケメンという声も一部から上がっています。
対馬悠介、イケメンなのに
— 悠太☆yuta (@MemoryMusle) August 11, 2021
どこで闇落ちしたんや
大学中退したところが
ターニングポイントやったんかな
イケメンやと、若い頃はチヤホヤされるけど、30超えると、ただのオッサンやからなー
対馬悠介容疑者の件では、真っ先に山地悠紀夫・元死刑囚のことを思い出したな。
— 魔剤さん (@mazai_334) August 8, 2021
名前の「悠」という字が同じで、犯罪者にしては異常にイケメンという点からだけど。
対馬悠介の顔がイケメンかどうかについては、人によって印象が違うので意見が分かれるかと思いますが、イケメンという意見に賛同する声が比較的多いようです。
顔がイケメンなのに何故こんな意味不明な犯罪を起こしたのかと不思議がる声も多いようなのですが、陽キャラだった学生時代とナンパに明け暮れていた過去などを考え合わせると、自分はイケメンであるという自己評価の高さと、モテない現実とのギャップによって社会や女性への恨み(100パー逆恨みだが)を募らせたという事なのかも知れません。
対馬悠介の事件の動機
対馬悠介が無差別刺傷事件を起こした動機にも注目が集まっています。
対馬悠介は警察の取り調べに対して、「5、6年前くらいから犯行を考えていた」、「約6年ほど前から、幸せそうな人間、特に女性に対して殺してやりたい感情が芽生えた」、「華やか女性や一緒にいる男性の首を切りたい思うようになった」などと動機について話していると報じられています。
「大学や出会い系サイトで知り合った女性に馬鹿にされてきた。華やかな女性や一緒にいる男性の首を切りたいと思うようになっていった」「電車での大量殺人を前から考えていた」などとも供述しているという。
対馬悠介は、「途中で乗客が降りられず、逃げ場のない快速電車内を計画的に狙った」とも供述しており、ある程度計画的に無差別殺人を狙った可能性が高いようです。
ただし、対馬悠介は警察の取り調べに対して、犯行に使った牛刀について、事件から約2年前に自殺するためにインターネットで購入したと話しているという事です。また、「自殺するのは痛そうだからやめた」とも話しているようです。
そのため、少なくともこの牛刀については今回の事件を起こすために購入したというわけではないようです。しかし、この牛刀が折れた後に現場に撒いたサラダ油やチャッカマンは犯行の直前に購入しています。
こうした事から、以前からの社会への不満を募らせていたのが動機になったことは間違いなさそうですが、当日の犯行内容自体は成り行き任せの突発的なものだった可能性が高いようです。
事件直前に万引きを通報され女性店員を逆恨みし殺意を持ったのがきっかけか
対馬悠介は今回の刺傷事件を起こす直前の2021年8月6日の昼過ぎ頃、新宿の商業施設の食料品店で、ベーコンとオリーブ(880円相当)を万引きしようとしたのが女性店員に発見されて注意を受け、110番通報されて警察沙汰になっています。
この時、対馬悠介は万引きしようとした商品を買い取るという事で厳重注意だけで済んでいます。また、警察が所持品を検査したところ、別のコンビニで万引きした缶ビール3本と缶チューハイ、カッターナイフなどが見つかっています。カッターナイフについては、「護身用」と説明したという事でした。
対馬悠介は交番で取り調べを受けた後、同日18時21分に警察官に自宅まで送り届けられていますが、どうやらその直後に自宅から牛刀などを持ち出し、万引きを通報した女性店員を逆恨みして「殺してやりたい」と思い、食料品店へと向かったようです。
しかし、この時既に食料品店が閉店時間を迎えて閉まっていたため、対馬悠介は「電車は逃げ場がなく、大量に殺せる」などと思い立ち、そのまま駅へと向かったようです。
このタイミングで対馬悠介は小田急線読売ランド前駅近くのスーパーでサラダ油やチャッカマン2本などを購入して用意しています。
この事から、対馬悠介は数年前から社会に対しての不満を募らせ、自分の生活に絶望して犯行を計画していたところに、万引きが発覚して警察沙汰になった事が直接的な引き金となり、衝動的に犯行に及んだというのが動機だった可能性が高いようです。
対馬悠介の現在~懲役19年の判決が言い渡される
2023年6月27日、殺人未遂などの罪に問われている対馬悠介の初公判が東京地裁で行われました。対馬悠介は「(間違っているところは)ないです」として、起訴内容を認めたとの事です。
これまでの裁判の中で、対馬悠介は犯行動機について改めて以下のように語っています。
対馬被告「自分は無価値だというコンプレックスが怒りに変わり、やり場がなくて、勝ち組の人に矛先が向いた。僕だけが不幸で、貧乏くじを引いているという考えが、世の中への憎しみに変わった」
2023年7月6日の公判では、検察側が「過去に類を見ない無差別大量殺人未遂事件であり、厳しい処罰が必要」と指摘し、対馬悠介に懲役20年を求刑。これに対し弁護側は「3人のうち2人に対しては強い殺意がなく、 真摯に反省している」として、懲役15年が妥当だと主張しました。
対馬悠介は最終意見陳述で「検察の話を聞いてその通りだと納得した。被害者の皆さん、本当に申し訳ございませんでした」と謝罪の言葉を述べたとの事です。
同月14日には、「逃げ場のない状況で無差別に乗客を次々と襲い、非常に悪質」として、対馬悠介に懲役19年の判決が言い渡されました。
判決理由で中尾裁判長は、被告は食料品店で万引しようとして店員に見つけられたことや、その際の警察官の言動を思い返して憤り「怒りの感情の矛先を社会に向けた」と指摘。「怒りを抑えきれず、全く無関係の他人に危害を加えるという身勝手な動機に酌量すべき点はない」と述べた。
裁判長から最後に言いたいことを問われた対馬悠介は、「わたし自身は、もう刑務所から出ない方がいいと思っています。申し訳ございませんでした」と述べていたようです。
まとめ
今回は2021年8月6日に小田急線快速電車の車両内で、突如牛刀を持って暴れ出し、20代から50代までの男女少なくとも10人に重軽傷を負わせた対馬悠介についてまとめてみました。
対馬悠介の出身は青森県五所川原市ですが、幼い頃に母方の実家である東京都世田谷区に引っ越しています。
対馬悠介の家族については3歳下の弟がいることがわかっており、両親については詳しい情報は不明ですが離婚しているようです。
学歴については、世田谷区内の小・中学校を卒業後、東京都立大学附属高校へ進学し、その後、中央大学の理工学部へと進んでいます。しかし、大学は1年留年後に中退しているようです。
大学中退後の経歴については、定職にはつかずにアルバイトや派遣などで仕事を転々とし、2021年に入ってからは生活保護を受給していたという事です。
卒アル画像や逮捕後に連行される映像などで対馬悠介の顔画像も判明していますが、ネットではイケメンだという声も出ています。イケメンなのに何故このような事件を起こしたのか不思議がる声もあるようですが、本人の供述によれば女性への恨みや社会への恨みを募らせたのが動機だったようです。
対馬悠介は現在は事件を起こした事を反省しているようですが、2023年に懲役19年の判決が言い渡されています。