「オタク評論家」を名乗り、森高千里さんのフィギュアやマジックハンドを手にもつ独特のキャラクターで活躍された宅八郎さんが死去されていた事が報じられました。
この記事では宅八郎さんの昔から現在にかけての活躍、死去や死因、結婚した嫁や子供についてなどをまとめました。
この記事の目次
宅八郎のプロフィール
宅八郎のプロフィール
本名 :矢野守啓(やのもりひろ)
生年月日:1962年8月19日
出身地 :静岡県浜松市
宅八郎(たくはちろう)さんは、1980年代から活躍していた人気フリーライターで、「オタク文化」(現在でいうところのサブカル分野全般)への造詣が深く、「オタク評論家」として絶大な人気と知名度を誇る存在でした。
1980年代から1990年代にかけては、元長野県知事の作家・田中康夫氏や、漫画家の小林よしのり氏ら出版関係の著名人らと、過激な論争から、犯罪スレスレのトラブルを起こす事を繰り返して注目を集めました。
2000年代に入ると、宅八郎さんは、ホスト勤務や音楽活動、政治活動など様々な分野に進出しその都度話題をさらい存在感を示し続けました。
そして、2020年に死去されていた事が発表されています。まだ57歳という若さでした。
今回は、そんな宅八郎さんの昔から現在までの様々な活動を振り返って紹介します。
宅八郎の昔① 森高千里フィギュアとマジックハンドを手にオタク評論家として活躍
出典:https://takuhachiro.cocolog-nifty.com/
宅八郎さんは、進学校である浜松南高校を経て法政大学社会学部卒業という学歴を持ち、大学時代にはリクルートスーツにバルタン星人の被り物という出で立ちで就職活動に挑んでマスコミに取り上げられるなどしています。
大学卒業後は、テレビの広告関連の企業に就職したものの、すぐに退職しその後はフリーライターとして活動を開始しました。かなり意外なのですが、この頃にはティーン向けのファッション誌「プチセブン」での執筆も行っていたそうです。
宅八郎さんは1990年頃から、森高千里さんのフィギュアとマジックハンドを手に持った個性的な姿をトレードマークにして、オタク評論家・宅八郎としてテレビや雑誌などのメディアへの出演を増やし一般にも注目されるようになります。
ちなみにこの、宅八郎さんがいつも手にしていた森高千里さんのフィギュアは、宅八郎さんが原型師に特注して作ってもらったという、この世に一体しかない極めて精巧に作られた森高千里人形で、マニアの間では現在でも伝説的に語られています。
出典:https://image.middle-edge.jp/
もう一つのトレードマークである「マジックハンド」については、宅八郎さんによれば、敬愛するキューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」の主人公のストレンジラヴ博士の片手が義手である事へのオマージュと、自分は「オタク」であるが故に直接「三次元」の物は触れられないのでマジックハンドで扱いますという自虐的なパロディ表現を含んだ深い意味が込められていたのだそうです。
ちなみにこの宅八郎さんが使用していたマジックハンドは当時既に廃盤になっていたそうなのですが、宅八郎さんが使用した事でメーカーが再販を決定し、現在もヒット商品として販売が続けられているようです。
宅八郎の昔② 田中康夫や小林よしのりら著名人と度々対立を繰り返す
宅八郎さんは、1992年から1994年まで暴露系雑誌「噂の眞相」で連載コーナーを持っていましたが、新たに同誌で作家の田中康夫氏(元長野県知事)が連載をスタートする事に関連して編集部と揉め、宅八郎さんの連載は一時休載となります。
宅八郎さんはこれを不服とし、田中康夫氏を痛烈に批判します。田中康夫氏がこれに対して連載の中で反論を行ったため、宅八郎さんはさらに激昂し、田中康夫さんの自宅周辺を徘徊して大声を出し、車や自宅の一部を破壊するなどの嫌がらせ行為を行ったため、近隣住人に通報されて警察沙汰になる騒ぎを起こしました。
また、1995年からは、共に雑誌「SPA !」で連載中だった、「ゴーマニズム宣言」などで知られる漫画家の小林よしのり氏を「オウム真理教」への見解の相違などから批判して対立関係となり、その後はお互いの連載上などで激しい論争を繰り返して話題を集めました。
この他にも、宅八郎さんは多くの出版関係の著名人と論争や対立を繰り返しており、自ら「処刑執行人」と名乗り、対立相手に対する犯罪スレスレの嫌がらせ行為や、自身の連載での相手への誹謗中傷、個人情報暴露など、過激な行動を繰り返し、何度も訴訟騒ぎを起こしています。
宅八郎の現在までの活動① 新宿歌舞伎町でホストとして勤務し話題に
ここからは、宅八郎さんの2000年代に入ってから現在に至るまでの活動について見ていきます。
宅八郎さんは2004年3月から新宿歌舞伎町の有名ホストクラブ「club G」にホストとして勤務し、その様子がバラエティ番組で紹介されるなどして話題を集めました。
このホストクラブの関係者によれば、宅八郎さんはホストとしても超一流で、トレードマークのマジックハンドでグラスを掴んでマジックハンド一気をして、場を盛り上げるのが人気で、アフターのキャバクラ嬢が大勢のお客さんを連れて、宅八郎さんに会いに来店していたのだそうです。
グラスをマジックハンドでつかんで、マジックハンドイッキをするので人気者でした。アフターのキャバクラ嬢が、宅さんにたくさんのお客さんを連れてきていました。男性客のスーツにお酒をこぼして、再イッキをするなど、イジられ方を心得たエンターテイナーでした。あの世でも皆を楽しませてください。ご冥福をお祈りします
ただ、酒を大量に飲み過ぎたために体調に異変が生じ、2006年頃には指名を受けた時だけ出勤するという自由出勤の形態で勤務されていたそうです。
宅八郎の現在までの活動② 渋谷区長選に電撃出馬し話題に
宅八郎さんは、2007年4月の渋谷区長選挙に電撃的に出馬し、大きく報じられました。
宅八郎さんはメイドのコスプレをした選挙ボランティア女性を引き連れての街頭演説を行い、「渋谷の萌えタウン化」、「アキバよりもおしゃれな『渋谷系オタク』の確立」などを訴えました。
宅八郎さんはネタ的な「泡沫候補」として扱われましたが、実際の選挙では4人の候補者中最下位ながら全体の8.5パーセントにあたる5605票の票を集め、その注目度の高さが示されました。
宅八郎さんはこの選挙結果を受けて「正直これほど票を入れていただきありがたい」とコメントされています。
結果は落選となりましたが、宅八郎さんはネタ作りのために出馬したわけではなく、「巨大ハコモノ建設の中止」を訴えるなど、至って真面目に渋谷区のことを考えての出馬表明だったようです。
宅八郎の現在までの活動③ ロックバンドやDJなど音楽活動も展開
宅八郎さんはサブカル全般に造詣が深く、特にテクノ音楽に非常に深い知識を持っている方でした。2000年代にはテクノ系ロックバンド「ハチロック」を結成し、ボーカル、作詞作曲を担当して音楽活動を展開しカルト的人気を集めました。
「DJメカヤクザ」としても活動
またバンド活動以外にも「DJメカヤクザ」の名義でクラブDJとしての活動も展開しています。
楽曲のミックスはPCで行い、全国のクラブイベントに出演されていました。
宅八郎の現在までの活動④ ネットで殺害予告をして書類送検される
宅八郎さんは、2009年3月19日に音楽評論家の四方宏明さんに対してインターネット上で殺害予告を行ったとして、同年10月23日に兵庫県警に脅迫の容疑で書類送検されています。
宅八郎さんは、四方宏明さんの執筆した自身の音楽属性を「秋葉系」だとするネット記事に不満を持ち、自身のmixiアカウントの日記に「『殺害』予告です(笑い)。」というタイトルの記事を掲載し、痛烈な批判を展開しました。
この記事の中で宅八郎さんは「ブッ殺します」、「『地獄行き』です」といった過激な言葉で四方宏明さんを攻撃しており、記事が掲載されたネットメディア(All About)の全面閉鎖なども求めていました。
これが殺害予告にあたるとして、宅八郎さんは書類送検されたわけですが、宅八郎さんはあくまでも「『殺害予告』は出版では19年前から行っていることで、あくまでも表現である」とし、「人体や肉体生命について言っているわけではない」と説明した上で、「逮捕されることも覚悟して相手を社会的に抹殺すると言っている」と宣言しました。
最終的には、2010年3月31日に起訴猶予処分となっています。
宅八郎の現在までの活動⑤ 2020年8月に死去・死因は「小脳出血」
2000年代に入ってからも、様々な分野で活躍し話題を集めた宅八郎さんでしたが、2010年代に入ると、あまり表舞台に姿を見せることは無くなりました。この間、宅八郎さんはどうやら「宅八郎」ではない別のペンネームでの執筆活動を続けられており、音楽についての論評なども書かれていたそうです。
そして、2020年12月4日に、宅八郎さんが2020年8月11日に死去されていた事が報じられました。死因は「小脳出血」と発表されており、享年は57歳でした。
宅 八郎氏(たく・はちろう、本名矢野守啓=やの・もりひろ=評論家)8月11日、脳出血のため東京都内の病院で死去、57歳。浜松市出身。葬儀は近親者で済ませた。
報道によると、宅八郎さんは2020年5月、小脳出血によって自宅で倒れて病院に搬送されて入院し、一時は会話ができるほどには意識があったもののその後意識不明の重体となり、転院先の東京都府中市の病院で8月11日の深夜に死去されたという事でした。
宅八郎の死去発表で結婚(内縁関係)していた事が判明
出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/
拓八郎さんの死去に際して、宅八郎さんお実弟がメディア取材に応じ、晩年の宅八郎さんについて明かされています。
その中で、宅八郎さんが死去の10年ほど前に結婚(内縁関係なので厳密には結婚ではない)していた事が明かされ、嫁がいた事が判明し話題になりました。
兄が10年ほど前から一緒に暮らしてきた内縁の妻の嘆きが大きく、せめて兄の付き合いが深かった方にお知らせすることにしました。世間にどう思われても、妻にとっては兄は大事な人ですから。
宅八郎の嫁と子供
宅八郎さんが結婚していて嫁がいる事が判明しましたが、この嫁がどのような方なのかや、どのように知り合った方なのか、2人の間に子供はいたのかなどの詳細は一切明かされていません。
宅八郎さんは過激な言動から変わった人のように見られがちですが、実際はとても繊細で心優しい方だったそうです。きっと嫁を大切にされて幸せな結婚生活を送られていたのだと思います。
まとめ
今回は、1980年代から2000年代にかけて活躍された「オタク評論家」の宅八郎さんについてまとめてみました。
宅八郎さんは昔は、森高千里さんのフィギュアとマジックハンドを手に持つというスタイルでメディアに登場し、当時の「オタク」の典型的イメージのようなものを作り上げた人でした。また、過激な言動も話題で、漫画家の小林よしのりさんらと過激な論争を繰り広げたことでも話題を呼びました。
2000年代に入ると、宅八郎さんはホストクラブでの勤務や、バンドやDJなどでの音楽活動、電撃的な渋谷区長選挙への出馬など、様々な分野で話題を集めました。
2010年頃からは表舞台から姿を隠すようにして、別の名前での執筆活動を続けられていたそうです。
しかし、2020年に57歳という若さで死去された事が発表されました。死因は「小脳出血」と発表されています。この死去発表時に、拓八郎さんが10年ほど前に結婚されており、嫁がいた事が判明し話題になっています。2人の間に子供がいたのかについては不明でした。
最後になりましたが、宅八郎さんのご冥福をお祈りします。