昭和から平成にかけてテレビの名司会者として活躍してきたみのもんたさん。みのもんたさんはどのような人物だったのかを深掘りしていきます。
みのもんたさんのプロフィールや本名、出身大学、若い頃からの経歴や会社と資産、結婚相手の嫁や子供(息子・娘)と次男の逮捕、病気からの心肺停止と死因、現在の自宅の状況などをまとめました。
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みのもんたは往年の名司会者
みのもんた
生年月日:1944年8月22日
没年月日:2025年3月1日
出身:東京都世田谷区
身長:167cm
所属:株式会社ニッコク
活動:フリーアナウンサー、実業家
みのもんたさんはフリーアナウンサー・総合司会者として、テレビやラジオで長年にわたり活躍した男性です。「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」のユニークなナレーションで注目を集め、昼の情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」の司会を長く務めました。
昼の帯番組2本を持っていた2006年には「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者(記録:21時間42分)」という記録がギネスに認定されています。
みのもんたの本名
みのもんたさんの本名は「御法川 法男(みのりかわ のりお)」です。
この本名「御法川 法男」は特に隠していたわけではありませんが、珍しい苗字でパッと見ただけでは読めないことが多いために、文化放送に勤めていた頃に、「みのもんた」という芸名をつけました。
本名である御法川法男(みのりかわ・のりお)から「みの」、1967年の文化放送入社時の人気競走馬モンタサンの「もんた」、これを合わせて「みのもんた」にしたそうだ。名付け親は放送作家の野末陳平さん。
「みのりかわ」から「みの」。さらに人気競走馬の「モンタサン」から「もんた」をとって、みのもんたなんですね。もし、御法川法男のままで活動していたら、ここまで人気にならなかったかもしれません。
みのもんたは立教大学卒業
みのもんたさんは立教大学出身です。
中学校から立教中学校(現在の立教池袋中学校)に入学し、立教高校(立教新座高等学校)、立教大学経済学部に進学しました。
立教中学に進学した理由は、当時立教大学野球部で活躍していた立教三羽烏(長嶋茂雄・杉浦忠、本屋敷錦吾)に憧れていたためです。
立教大学では放送研究会に所属していて、ラジオドラマを製作しました。
この放送研究会の先輩が徳光和夫さんです。徳光和夫さんはみのもんたさんの4年先輩で、当時はすでに日本テレビでアナウンサーをしていました。その徳光さんは「アナウンサーはいいよ」「これからはテレビの時代だ」と言われて、テレビ局のアナウンサーを志すようになります。
みのもんたの若い頃からの経歴
文化放送でアナウンサー
大学の先輩である徳光和夫さんの影響で、テレビ局のアナウンサーを志したみのもんたさんですが、第一志望のTBSは不合格になり、1967年4月にラジオ局の文化放送に入社しました。
入社当初は産経新聞社に新聞原稿をラジオニュース用に書き換える仕事をしていましたが、あまりうまくいかず、「ゲリラでいこう」という番組のパーソナリティになりました。
1969年には深夜番組の「セイ!ヤング」の初代パーソナリティーに抜擢され、ラジオアナウンサーとして本格的な一歩を歩み出しました。
その他、ラジオの野球中継のベンチリポーターや『オール・ジャパン・ポップ20』の独特の言い回しなどで注目を集めましたが、営業部に異動になったことから、1979年には退社しています。
営業マンとして
文化放送を退社したみのもんたさんは、父親が経営する水道メーター製造・販売会社の日国工業(現・ニッコク)に入社して、営業マンとして働きます。みのもんたさんは約10年間もニッコクの営業をしていたんです。
ただ、営業一本だけでなく、フリーアナウンサーとしても活躍しました。
・『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』
・『なるほど!ザ・ワールド』
・『オールナイトフジ』の「深夜の家庭訪問」
これらの番組を担当し、面白い司会者(コミカル系司会者・コメディ・リリーフ)として人気になります。
フリーアナウンサーで人気に
「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」などで人気になったみのもんたさんは、1989年4月には『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会を担当することになりました。
『午後は○○おもいッきりテレビ』は1987年から2007年まで放送されたお昼の生放送情報番組で、1989年からみのもんたさんが2代目総合司会に就任し、名物コーナーである「ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話」も始まりました。
NHK以外の民放各社でレギュラー番組を持ち、次のような代表番組があります。
・『どうぶつ奇想天外!』
・『学校へ行こう!』
・『クイズ$ミリオネア』
・『みのもんたの朝ズバッ!』
・『みのもんたのサタデーずばッと』
・『秘密のケンミンSHOW』
「クイズ$ミリオネア」でみのもんたさんがたっぷりと時間を使った後の「ファイナルアンサー?」という言葉は流行語にもなりましたよね。
また、2005年からは朝のニュース番組「みのもんたの朝ズバッ!」がTBSで始まり、平日は2本の帯番組を担当し、さらに夜にはレギュラー番組があるという超多忙な生活を送りました。2本の生放送の帯番組を担当していたことから、ギネス記録に認定されたんですね。
2013年に規模縮小
テレビの名司会者としてたくさんのテレビ番組に出演していたみのもんたさんですが、2013年8月30日にセクハラ疑惑騒動が起こりました。
生放送中のCM明け、TBSの女性アナウンサーの吉田明世さんの腰辺りに手をまわしたところ、それを振り払われた様子が放送されました。このセクハラ疑惑の動画はSNSやネットを中心に一気に拡散され、みのもんたさんは炎上しました。
女子アナにセクハラしたあと、凄い速さで火を起こし始めるみのもんた まだ面白い
— こっちが恥ずかしい (@otJiIctD0P32403) March 25, 2025
pic.twitter.com/Iss1ZbxhZz
TBSは「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、口頭で注意した」としていましたが、みのもんたさんは9月9日から1週間、その年2回目の夏休みを理由に番組を欠席しています。
さらに、この2回目の夏休みの最中に、後述の「次男の逮捕事件」が起こり、さらに炎上してしまったため、『朝ズバッ!』『サタデーずばッと』と降板することをFAXで発表しました。2回目の夏休みから1度も復帰しないままの降板です。
朝の帯番組を降板したことで、みのもんたさんの出演番組は『秘密のケンミンSHOW』とラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』の2本のみとなり、ギネス認定されたころと比べると、テレビ出演時間は大幅に短くなってしまいました。
2021年でほぼ引退状態に
2018年にはパーキンソン病を発症し、2020年には長年にわたり司会を務めていた『秘密のケンミンSHOW』を降板しました。2021年に出演した徹子の部屋で病気を公表しています。
「みのさんは数年前からパーキンソン病に」と振られると、みのは「はい。3年前からパーキンソン病と言われました」と語った。
引用:みのもんた語る パーキンソン病との闘い「5分かかってたのが10分、20分」「一番いいのは歩くこと」 – スポニチ Sponichi Annex 芸能
2021年にはレギュラー番組が完全になくなっています。
事実上の引退状態にはあるものの、みのもんたさん本人は「引退」のつもりはないとインタビューで語っていました。
それでも、しゃべる仕事を引退したつもりはない。「いい仕事があれば、いつでもやらせてもらう。パーキンソン病を語る会なんてあったら、ぜひ呼んでもらいたいね」
引用:[みのもんたさん]パーキンソン病(4)しゃべる仕事は引退しない…「毎日を楽しむしかないよ」 | ヨミドクター(読売新聞)
2024年11月に井上貴博アナウンサーがパーソナリティーを務めるTBSラジオ「井上貴博 土曜日の『あ』」のインタビューに応じたのが、最後のメディア出演になりました。
みのもんたは会社経営者
みのもんたさんは「テレビの司会者」というイメージが強いですが、実は会社経営者の顔も持っています。
みのもんたさんは1999年10月から株式会社ニッコクの代表取締役社長に就任しています。このニッコクは実父の御法川正男氏が経営していた水道メーター製造販売会社で、従業員数は135名、2024年3月実績で9億500万円の売上高を誇っています。
ただ、会社経営者だからと言って、経営会社からの収入は多くなく、むしろみのもんたさんのタレントとしての収入で会社の赤字を補填したこともあったようです。
うちは規模の小さい会社で、赤字を僕の芸能の収入で補填してきました。でも、それもほとんどゼロになる。非常に厳しいです。
みのもんたさんは2020年には代表取締役社長を退任し、代表取締役会長に就任しています。
みのもんたの資産は70億円?
みのもんたさんの資産は50~70億円と言われています。
FLASHの報道によると、ニッコク名義で鎌倉に14.3億円、都内に15.9億円、地方に20.6億円の不動産を持っています。
また、週刊文春の報道では「資産は総額70億円」とのこと。
みのもんたさんは2004年と2005年の高額納税者番付の芸能人部門で2年連続で1位に輝きました。朝ズバは1本500万円という報道もあります。
今と違って当時のテレビのギャラは高額。帯番組の朝ズバは1本500万円なんて話も出るほどだった。テレビ関係者の話。
「単純計算で朝ズバだけで10億円以上の実入り。ほかにも10本以上レギュラー番組があったので、みのさんはテレビだけで20億円近く稼いだ年もあったのではないか」
テレビだけで20億円近くの収入があるなら、資産総額が50~70億円に達しているのは納得できますね。それでも資産が50~70億円というのはすごすぎます!
みのもんたの結婚相手・嫁は靖子さん
1970年に結婚
みのもんたさんは1970年に靖子さんという女性と結婚しました。文化放送に入社3年目のことです。
嫁の靖子さんと大学時代に知り合って交際しました。みのもんたさんが所属していた放送研究会の後輩だったそうです。
靖子さんは糟糠の妻
嫁の靖子さんは多忙なみのもんたさんを支えてきました。
みのもんたさんは「夜の帝王」と呼ばれるほど銀座などで夜遊びをしていましたが、靖子さんは深夜でもみのもんたさんを待っていたし、みのもんたさんの不倫騒動が出た時には冷静にどっしりと構え、みのさんを叱り飛ばしたとのこと。
「家内からは『未婚の女性にご迷惑をおかけしたことは、申し訳ないことなのよ』と怒られ、正座させられました(笑)」というエピソードも明かしてくれた。
引用:みのもんたさん、本誌が見てきた「銀座の帝王」と「愛妻家」の素顔…不倫騒動では「正座させられました」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
また、みのさんの秘書やスタイリストとしての役割も担っていたとのこと。嫁の靖子さんは公私ともにみのもんたさんを支えていたんですね。そして、それはみのもんたさんもわかっていました。「100%女房の世話になっていた」と語っています。
みのもんたさんは靖子さんを愛していて、きちんと感謝していることを靖子さんもわかっていたから、夜遊びをしていても不倫疑惑うが持ち上がっても、靖子さんは支え続けることができたのでしょう。
2012年に亡くなった
みのもんたさんの嫁の靖子さんは2012年に亡くなりました。死因はがんです。靖子さんは亡くなる3~4年前にがんであることが発覚しました。10年以上前から腰痛がありましたが、病院で検査した結果、皮膚がんが骨転移していたとのこと。
靖子さんは家族以外にはがんであることを隠しながら闘病していましたが、2011年7月には末期がんに移行したことが宣告されました。そして、2012年5月に靖子さんの希望で夫婦2人でアメリカのニューヨークに旅行に行きましたが、途中で状態が悪くなり、急きょ帰国。がんが小脳に転移していて、そのまま入院して、5月22日に亡くなっています。
みのもんたさんは靖子さん死去後に記者会見を開きましたが、そこで嫁の靖子さんについて「100点満点です。こんなに愛おしい人だったんだということが今になってわかりました」と語っています。
また、なかなか気持ちの整理がつかず、7回忌が終わるまで靖子さんの遺骨を納骨することができなかったとのこと。みのもんたさんにとって嫁の存在がどれだけ大きかったのかがわかるエピソードですね。
みのもんたの子供:長女は御法川なみ
みのもんたさんの長女は、御法川なみさんです。御法川なみさんは、オックスフォード大学を卒業した才女で、噂によるとドイツ人と結婚したとのこと。
娘のなみさんは、靖子さんが亡くなった後にみのもんたさんのスタイリストを務めています。それまでは靖子さんがすべてやっていましたが、母親の代わりになみさんがやっていたようです。朝ズバのクレジットにも「スタイリスト:御法川なみ」と出ていました。
また、みのもんたさんとは離れて暮らしているものの、身の回りの世話も娘のなみさんがしているという報道もありました。
冒頭のスーパーでの様子を見る限り、仕事はもちろん、一緒に買い物に行った際には、健康を第一に考えるなど、私生活でも父を懸命に支えている。
みのもんたさんは娘のなみさんについて「言うことが妻とよく似ている」と語ったこともありました。
みのもんたの子供:長男は御法川隼斗
みのもんたさんの長男は御法川隼斗さんです。
御法川隼斗さんは慶應義塾大学卒業で、アメフト部に所属していたと報じられたことがあります。しかし、実際は体育会系のアメフト部ではなく、御法川隼斗さんが作ったアメフトサークルだったとのこと。
一部報道やネット上の噂によると、この御法川隼斗さんは若い頃は評判が非常に悪く、横須賀のチーマーの一員で、口癖は「クソオヤジの金なんだから、いくらでも使ってくれ!」だったようです。典型的なドラ息子ですね。
慶應大学を卒業後はTBSに入社しました。TBSではプロデューサーをしていて、みのもんたさんが出演したEXILEを紹介する番組では長男の隼斗さんがVTR出演して、親子共演を果たし、話題になりました。
2021年時点でもTBSのプロデューサーをしていて、2021年3月26日に放送された「U-24日本代表対同アルゼンチン代表戦」中継でも、隼斗さんがプロデューサーを務めていて、インタビューに答えていました。
また、みのもんたさんの葬儀では長男として喪主を務めていました。
みのもんたの子供:次男は逮捕された御法川雄斗
みのもんたさんの次男は御法川雄斗さんです。御法川雄斗さんも慶應義塾大学卒業で、日本テレビに入社しています。しかし、2013年9月11日に泥酔していた男性のカバンを盗み、中に入っていたキャッシュカードを使ってATMからお金を引き出そうとした疑いで逮捕されました。
この事実が判明したのは9月13日のこと。みのもんたさんのセクハラ疑惑が報じられ、みのさんが「2回目の夏休み」に入っていた時のことです。
御法川雄斗さんは最初は容疑を否認していたものの、「かばんに金があったら盗もうと思った。出来心だった」と認めています。
この次男の御法川雄斗さんは不起訴になったものの、日本テレビを諭旨解雇されています。
みのもんたさんは次男の逮捕を受け、「みのもんたの朝ズバッ!」などを降板することになりましたが、次男に対して「妻と子供たちに土下座して謝れ!」と一喝したそうです。
しかし、次男を見放すことができず、日本テレビを解雇になった後は自身が代表取締役を務めるニッコクに入社させています。
最初は社会保険と年金のためで、給料は発生していないと説明していました。しかし、結局は社員になっていて、みのさんが取締役会長になった時には専務になっていますし、みのさんが死去した後は代表取締役社長に就任しました。
みのもんたは牛タンを喉に詰まらせて心肺停止で死去…病気との関係は?
焼き肉店で窒息で心肺停止
みのもんたさんは2021年にパーキンソン病であることを公表し、引退に近い状態になっていましたが、元気に過ごしていたようです。
しかし、2025年1月16日に港区の焼き肉店で牛タンを喉に詰まらせて心肺停止なりました。そして、そのまま入院となり、自宅に戻ることなく、2025年3月1日に都内の病院で亡くなっています。80歳でした。
牛タンを喉に詰まらせたという報道が1月にあった時には、「救急搬送されたものの、入院せずに自宅に戻った」と報じられたこともありました。
「病院に運ばれたことは事実ですが、処置を受け、入院もしていません。話もできています」と無事であることを明かした。
引用:みのもんた 一時意識不明の重体だった 16日に牛タン喉に詰まらせ緊急搬送も、入院せず無事 – スポニチ Sponichi Annex 芸能
しかし、実際は心肺停止で意識不明になり、入院することになったようです。心肺停止だったとのことですから、おそらく意識は戻らないまま亡くなったものと思われます。
みのもんたの死因は低酸素脳症か
牛タンを喉に詰まらせて心肺停止になったので、みのもんたさんの死因は持病のパーキンソン病ではなく、窒息と心肺停止からの低酸素脳症と思われます。
しかし、パーキンソン病が死因と完全に無関係だったとは言い切れません。
パーキンソン病はものを飲み込む力が弱くなり、食べ物が喉に詰まりやすくなるんです。元気な人でも牛タンは噛むのが大変で、飲み込むのが難しいと思うことがありますよね。パーキンソン病を発症した80歳の高齢者ならなおさらです。
直接的ではなくても、みのもんたさんの死因に持病のパーキンソン病が関係していたことは間違いないでしょう。
みのもんたの自宅の現在…葬儀中に泥棒が?
みのもんたさんの自宅は神奈川県鎌倉市にあります。3000坪の広大な敷地に240坪の豪邸が建っています。この豪邸は17ク億円かけて建てられていて、2009年に完成しました。近所の人からは「みの御殿」と呼ばれるほどの豪邸です。
このみのもんたさんの自宅に、2025年3月2日未明、何者かが侵入しました。
2日午前3時15分ごろ、神奈川県鎌倉市のみのもんたさんの自宅で「男2人組が窓をこじ開けようとしていた。その後、逃げた」と110番通報がありました。
引用:みのもんたさんの自宅に何者かが侵入、窃盗目的か 防犯カメラには不審な2人の姿 – 事件・事故 – 芸能 : 日刊スポーツ
3月1日にみのさんの訃報があり、その翌日に泥棒。おそらく、この泥棒はみのさんの訃報を聞き、「葬儀の準備等で自宅には誰もいないはず」と思って、自宅に侵入したものと思われます。
みのもんたのまとめ
みのもんたさんのプロフィールや本名、出身大学と若い頃からの経歴、経営している会社や資産総額、結婚相手の嫁や子供(娘・息子)や次男の逮捕、病気の公表と心肺停止からの死因、自宅の現在などをまとめました。
みのもんたさんのご冥福をお祈りします。