2019年1月1日に発生した「原宿・竹下通り暴走事故」の犯人・日下部和博が注目されています。
この記事では、日下部和博の生い立ちや家族、高校や大学、中学の卒アル画像、暴走事故の被害者やオウム真理教との関係、現在行われている裁判の判決などについてまとめました。
この記事の目次
日下部和博は原宿・竹下通り暴走事故の犯人
日下部和博は、2019年1月1日に発生した「原宿・竹下通り暴走事故」の犯人です。
日下部和博の起こした原宿・竹下通り暴走事故の概要
2019年1月1日の午前0時10分頃、日下部和博は、レンタカーのシルバーの軽自動車に乗り、原宿・明治通りから竹下通りまで意図的に暴走運転し、計4ヵ所で8人を撥ねた後、ビルに衝突してようやく止まり、降車した後に目撃者の男性の顔面を殴って逃走しました。
日下部和博はそのすぐ後の0時30分頃、現場付近の代々木公園内で逮捕されました。
逮捕後に日下部和博は「死刑制度に対する報復でやった」と自供し、犯行に使われた車内からはライターをノズルに取り付けて火炎放射器のように改造した高圧洗浄機や、その火炎放射器の燃料として使う計画だったという20リットルの灯油を入れたポリタンクなども発見されたため、殺意を持って意図的に暴走事故を起こしたとみられています。
日下部和博の生い立ち① 小・中学時代は大人しい性格の少年だった
出典:https://www.dailyshincho.com/
「原宿・竹下通り暴走事故」での身勝手な犯行動機から、日下部和博の生い立ちにも注目が集まっています。
日下部和博は、大阪府枚方市の出身で地元の公立小学校・中学校に通っていました。小学校・中学校時代の同級生からの情報によれば、当時は地元のサッカークラブに入るなどスポーツ好きで、性格は穏やかな少年だったそうです。
目立つタイプではなかった。けど、運動が好きでサッカーとか、マラソンでは成績がよかったです。サッカーでは、よく点を入れていた。休み時間でもよくボールを蹴っていた。性格はおとなしく、穏やかで、自分から話しかけたりするような奴じゃなかった。中学では、サッカーやっていたという話は聞かなかった。勉強はすごくできるタイプではなかったが、それなりにできたはず。
さらに別の地元住民によれば、日下部和博は両親と弟の4人暮らしで、小学校時代はサッカー少年で口数の少ない大人しい性格。また、実家近隣に住む40代の女性会社員は、「中学生になっても顔を合わせれば挨拶をしてくれる礼儀正しい子という印象」と当時の日下部和博について話しています。
裁判での弁護側の冒頭陳述によれば、中学時代の日下部和博は水泳部で大阪府大会にも出場し、学業でも成績優秀だったという事です。しかし、中学2年生の頃に、仕事がうまくいかなくなってアルコール依存症になった父親から暴力を振るわれるようになり、成績も悪化したという事でした。
日下部和博の生い立ち② 高校時代にいじめに遭い被害妄想も?
日下部和博は中学卒業後、高校に進学していますが、その高校でトラブルかいじめに遭い引きこもるようになったという情報が同級生や地元住人などから複数出ています。
日下部和博は高校進学後、母親に「学校で臭いと言われる」、「ネットで『日下部・枚方・臭い』と検索すると、自分の事が書いてある」などと相談していたという事です。母親は「そんな事ないよ、あんまり気にせんとき」と励ましたそうですが、その後、日下部和博は不登校になり引きこもりになったという事でした。
裁判での弁護側の陳述によれば、日下部和博は高校進学後にいじめを受けたというのは本人の被害妄想であり、事件を起こしたのもこうした被害妄想によるものと主張しています。
日下部和博の生い立ち③ 東京の専門学校を中退し地元に戻って大学入学
日下部和博は、引きこもりつつも高校は卒業したようで、その後東京の専門学校へと進学しているようです。しかし、そこでも被害妄想が悪化して「すれ違いざまに『なにその顔、うざい』『臭い』と言われる」と思い込み、数ヶ月で退学したという事です。
その後、大阪に戻って、2018年4月に大学へ進学し直しているようですが、「原宿・竹下通り暴走事故」の報道時には「無職」と報じられているため、この大学も何らかの理由で退学した可能性が高いようです。
ただ、別のメディアは、日下部和博は高校卒業後に大学受験に失敗し、東京の大学への3年次編入を目指す予備校のような学校へ進んだが、うまくいかずに大阪に戻り、その後は寝屋川市の祖母宅で暮らすようになったと報じられています。
日下部和博の家族は両親と年の離れた弟と祖母
日下部和博は両親と歳の離れた弟の4人家族で育ったという事です。
父親は不動産会社を経営していたという事ですが、2014年頃に死去しています。デイリー新潮の関係者への取材によれば、この父親は精神を患い40代後半で亡くなっているようです。
また、父親の死去後には大阪枚方市の自宅には母親のパートナーと思しき男性が出入りするのが目撃されるようになったとの情報も出ています。
年の離れた弟に関する情報は現在のところ特に出ていません。
父親な死去後、日下部和博はしばらくは母親と暮らしていたという事ですが、その後、正確な時期は不明ですが寝屋川市の父方の祖母宅で暮らすようになったようです。
この祖母はこの数年前までは夫と長男(日下部和博の父親は次男)と3人家族で暮らしていたそうですが、相次いで夫と長男が亡くなっているようです。その後、孫の日下部和博が越してくるという事で喜んでいたそうですが、祖母宅に同居し始めた後、日下部和博は奇声を発したり、夜な夜なベランダでロケット花火を打ち上げたり、近隣住人に爆竹を投げつけたり、自宅付近に停車した車に「帰れ」と罵声を投げつけたり、登校する小学生の列にエアガンを撃ったりといった奇行が度々目撃されていた様です。
それでも、祖母は日下部和博を可愛がっていたようで、2人で仲良く買い物に行く姿などもみられたという事でした。
また、事件前の2018年8月には祖母が知人に「今度、孫が免許取りに行くんや」と嬉しそうに話していたとの証言も出ています。日下部和博はその取得したばかりの免許で「原宿・竹下通り暴走事故」を起こした事になります。
日下部和博の卒アルの顔画像から出身中学はほぼ特定か
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原宿・竹下通り暴走事故の当初の報道では、日下部和博の卒業アルバムの顔画像(上の画像)がよく使用されていましたが、この卒業アルバムの画像の制服のカーディガンが「枚方市立東香里中学校」のものではないかとの情報がネットに多数上がっています。
卒アル画像と実際の枚方市立東香里中学校のカーディガン画像を比較してみたところ確かによく似ているようです。
この制服画像以外にも、枚方市立東香里中学校で同級生だったという人物の書き込みなども確認でき、かなり信憑性の高い情報のようです。
日下部和博の出身高校や出身大学
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日下部和博は高校は地元大阪の府立高校に進学したようですが、現在のところ学校名などは特定されていません。
高校卒業後は東京の専門学校に進学したそうですが、数ヶ月で退学して地元大阪に戻り、大阪の大学に入り直したという事が明らかになっていますが、この大学も現在のところ特定されていません。
捜査関係者からは、日下部和博は法学部関係の大学を希望していたが、挫折して引きこもったという情報も出ているようですが、これもはっきりしません。
日下部和博の起こした暴走事故の被害者
日下部和博の起こした「原宿・竹下通り暴走事故」の被害者は8人で、当時19歳の男子大学生が意識不明の重体、26歳から51歳の男性4人が頭部骨折などの重傷、19歳から29歳の男性3人が打撲などの軽傷と報じられています。
また、上の暴走事故の被害者8人とは別に、暴走事故を目撃して、「何やっているんだ」と日下部和博を問いただそうとして近づいた当時19歳の男性が降車後の日下部和博に顔面を殴られて負傷し被害者になっています。
日下部和博の犯行動機にはオウム真理教幹部13人の死刑執行が関係か
日下部和博は犯行動機を「無力化された死刑囚が殺される事が許せず、死刑制度を支持している国民を狙った」と供述していますが、裁判で検察側は、2018年7月にオウム真理教の幹部13人の死刑が執行されたのがきっかけになり、日下部和博が犯行計画を加速させたと主張しています。
検察は、日下部和博が犯行に及ぶ前に「オウムの報復」と書き残していた事なども指摘しています。
この事から、日下部和博がオウム真理教やその後継団体の信者ではないかとの疑いも持たれましたが、そうした事実は確認されませんでした。
日下部和博の現在~裁判中で一審は懲役18年の実刑判決
日下部和博は現在、「原宿・竹下通り暴走事故」の裁判を受けています。
この裁判で、検察側は日下部和博がオウム真理教の幹部死刑をきっかけに計画的に殺意を持って犯行に及んだと主張して「懲役20年」の判決を求めています。
対する弁護側は、日下部和博は統合失調症の影響で犯行時心神喪失状態にあったとして無罪を主張しています。
東京地裁は2021年3月17日、日下部和博に「懲役18年」の判決を言い渡しました。
東京都渋谷区の原宿・竹下通りで2019年元日、車を暴走させ通行人らを殺害しようとしたとして殺人未遂などの罪に問われた日下部和博被告(23)の裁判員裁判で、東京地裁は17日、懲役18年(求刑・懲役20年)の判決を言い渡した。
まとめ
今回は2019年1月1日に発生した「原宿・竹下通り暴走事故」の犯人・日下部和博についてまとめてみました。
日下部和博は原宿・竹下通りでレンタカーを暴走させ、8人の被害者(重体1人、重傷4人、軽傷3人)を出しました。
日下部和博の生い立ちは大阪府枚方市の出身で、両親と年の離れた弟の4人家族で育ち、大阪府立の高校に進学しましたが、その頃に引きこもりになり、その後東京の専門学校へ進学するも中退。大阪に戻って寝屋川市の祖母宅で暮らすようになりました。大阪に戻ってから大学に入学したという情報もありますが、これについてははっきりしません。
日下部和博は犯行の動機を「死刑制度を支持する国民が許せなかった」と供述しており、犯行の数ヶ月前にオウム真理教の幹部13人の死刑が執行された事などからオウムとの関連なども疑われています。
現在、日下部和博は裁判を受けており、2021年3月には「懲役18年」の一審判決が下されています。