「おぼっちゃまくん」や「ゴーマニズム宣言」で知られる漫画家の小林よしのりさんが話題です。
この記事では小林よしのりさんの生い立ちや実家、高校や大学などの学歴、漫画家としての経歴や、結婚や嫁と子供、父親や母親・妹などの家族についてまとめました。
この記事の目次
- 小林よしのりのプロフィール
- 小林よしのりの生い立ち
- 小林よしのりの実家は福岡県福岡市
- 小林よしのりの学歴① 出身小学校は「福岡市立三宅小学校」
- 小林よしのりの学歴② 出身中学校は「福岡市立三宅中学校」
- 小林よしのりの学歴③ 出身高校は「福岡市立福岡商業高等学校」
- 小林よしのりの学歴④ 出身大学は「福岡大学」の人文学部
- 小林よしのりの経歴① 連載デビュー作「東大一直線」がヒット
- 小林よしのりの経歴② 「おぼっちゃまくん」で大ブレイクを果たす
- 小林よしのりの経歴③ 「ゴーマニズム宣言」で新境地を開拓
- 小林よしのりの家族① 父親はマルクス主義者の郵便局員
- 小林よしのりの家族② 母親は真言密教の寺院の生まれ
- 小林よしのりの家族③ 妹が1人いる
- 小林よしのりの家族④ 20代で結婚した嫁がいる
- 小林よしのりの家族⑤ 子供には恵まれなかった
- まとめ
小林よしのりのプロフィール
小林よしのりのプロフィール
本名 :小林善範(読み方は同じ)
生年月日:1953年8月31日
出生地 :福岡県筑紫郡大野町(現在の大野城市)
出身地 :福岡県福岡市
身長 :170cm
血液型 :O型
小林よしのりさんは「東大一直線」、「おぼっちゃまくん」などの数々の大ヒット作品を持つ人気ギャグ漫画家ですが、その一方で「ゴーマニズム宣言」シリーズをはじめとする、社会風刺や時事問題、政治思想などを扱った作品群を次々と発表し、世の中のタブーに果敢に切り込んでいく姿勢から、社会評論家としても高い支持を集める存在です。
最近では、新型コロナウイルスに関連する主張でも注目されている小林よしのりさんですが、今回はそんな小林よしのりさんの家族や生い立ち、学歴、経歴などを中心に紹介していきます。
小林よしのりの生い立ち
最初に、小林よしのりさんの生い立ちについてみていきます。
小林よしのりさんは母方の実家である福岡県筑紫郡大野町(現在の大野城市)真言宗密教系の寺院で長男として誕生しています。
小林よしのりさんは子供の頃から喘息持ちで、当時はガリガリに痩せていて病弱だったのだそうで、友人達からは「もやし」、「ガイコツ」、「黄金バット」といったあだ名で呼ばれていたのだそうです。
ただ、小林よしのりさんが自分の身体が弱いからこそ、他人にも優しかったそうで、周囲の友人達からは慕われており、小中学生の頃は級長を務めていたそうです。また、喘息の症状が悪化して学校に行けない期間を利用して漫画を描き、それを友達に見せる事でコミュニケーションを取っていたのだそうです。
中学生時代には仲の良い友人らと3人で「きまぐれ」という同人の漫画雑誌を作っていて、これが学校内で回し読みされるほどの人気だったのだとか。
小林よしのりさんはこの当時から、読者を楽しませたいという気持ちが強かったのだそうで、それが漫画家への道へとつながっていったようです。
小林よしのりの実家は福岡県福岡市
小林よしのりさんは、母方の実家である福岡県筑紫郡大野町(現在の大野城市)の真言密教の寺院で生まれていますが、その後は福岡県福岡市で育っているので、小林よしのりさんの実家は福岡県福岡市内です。
現在、小林よしのりさんの両親は共に他界されていますが、現在も小林よしのりさんは実家の福岡県福岡市の親戚とは交流を持たれてて、福岡市内にマンションも所有されているようです。
小林よしのりの学歴① 出身小学校は「福岡市立三宅小学校」
小林よしのりさんの出身小学校は、実家のあった福岡市の公立校「福岡市立三宅小学校」です。
小学生時代から漫画が好きで、赤塚不二夫さんや手塚治虫さん、藤子不二雄さんの作品などを読まれていたそうです。
また、当時は子供向けのテレビドラマの黎明期で、小林よしのりさんも当時大流行した「宇宙家族ロビンソン」や「スタートレック」、「忍者部隊月光」、「宇宙大作戦」などを楽しみにされていたそうです。子供時代の憧れの人物は宇宙家族ロビンソンの人気キャラクターのドクター・スミスだったのだとか。
小林よしのりの学歴② 出身中学校は「福岡市立三宅中学校」
小林よしのりさんの出身中学は、実家のあった福岡市の公立校「福岡市立三宅中学校」です。
中学時代の小林よしのりさんは、友人らと同人の漫画雑誌を発表するなど漫画を描き始め、この頃からは将来は漫画家になろうと決められていたようです。ただ、本格的な漫画の描き方は学んでおらず、全て独学で描かれていたそうです。
小林よしのりの学歴③ 出身高校は「福岡市立福岡商業高等学校」
小林よしのりさんは中学卒業後は、漫画家になるためには、家から近くて、受験勉強もしないで済む学校が良いだろうという考えから、地元の公立の商業高校である「福岡市立福岡商業高等学校(現在の福岡市立福翔高等学校)」へと進学されています。
小林よしのりさんの出身高校である「福岡市立福翔高等学校」の最新の偏差値は「58」です。
高校進学後の小林よしのりさんは、丸坊主だった髪を伸ばしたり、派手な色のシャツを着て登校したりして生活指導の先生に頻繁に叱られるなどなかなかヤンチャだったようで、高校1年生の間に卒業条件だったという商業関係の資格を取得し、高校2年生からはほとんどギターを弾いて遊んでいたのだとか。
ちなみに、小林よしのりさんは昭和の時代から活躍を続けるロックミュージシャンの甲斐よしひろさんとは幼馴染で、小学校から高校まで同じ学校に通っています。
甲斐よしひろさんとは大人になってから交流があるようで、小林よしのりさんは「甲斐バンド」のライブにも時折足を運ばれているそうです。
小林よしのりの学歴④ 出身大学は「福岡大学」の人文学部
小林よしのりさんは、高校を卒業後は大学へは進学せずに、当時売れっ子だった石ノ森章太郎さんに弟子入りして修行を積み漫画家を目指したいと希望していましたが、担任教師に「大学へ行って本を読め」と言われた事で、地元の私立大学である「福岡大学」の人文学部フランス語学科へと進学されています。
小林よしのりさんが大学でフランス語を専攻された理由は、当時、ミッシェル・ポルナレフなどのフレンチポップが流行していた事から、「フランス語でミッシェル・ポルナレフの歌を歌えたら女性にモテるだろう」と考えたためだったそうです。
小林よしのりさんの出身大学である福岡大学人文学部フランス語学科の最新の偏差値は「47.5〜50」となっています。
小林よしのりさんは、この福岡大学在学中だった1975年に「ああ勉強一直線」という漫画作品を週刊少年ジャンプの第3回赤塚賞に投稿したところ最終選考にまで残り、これがきっかけになって漫画家デビューを果たしました。
小林よしのりの経歴① 連載デビュー作「東大一直線」がヒット
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小林よしのりさんは福岡大学在学中に漫画家デビューを果たし、数本の読み切り作品を週刊少年ジャンプで発表した後に福岡大学を卒業しています。
小林よしのりさんは大学卒業後は、上京して石ノ森章太郎さんの元で修行してから本格的に漫画家として活動したいと希望しましたが、当時の編集長に「そんな必要ない、このまま福岡で描け」と言われたためそのまま実家のある福岡県で漫画家として活動しています。
そして、大学卒業後すぐの1976年に「獣村より」が、第11回手塚賞の佳作に、「男のトラ子 女の虎造」が、第4回赤塚賞の佳作に入選。これを受けてジャンプでの連載が決まり、小林よしのりさんは連載デビュー作であるギャグ漫画「東大一直線」の連載を開始しました。
「東大一直線」はヒットし、連載は1979年まで続いて単行本も13巻が出版されています。
また、小林よしのりさんは「東大一直線」の連載開始から少し遅れて、新興宗教をテーマにしたギャグ漫画「救世主ラッキョウ」の連載を月刊少年ジャンプでスタートさせ、1979年からは当時創刊したばかりだったヤングジャンプにて「世紀末研究所」の連載もスタートさせ、同時に3本の連載を抱える売れっ子漫画家になっています。
小林よしのりの経歴② 「おぼっちゃまくん」で大ブレイクを果たす
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小林よしのりさんは、漫画家としての仕事が安定してきた1982年に実家を出て上京し、「(誅)天罰研究会」、「風雲わなげ野郎」、「メンぱっちん」、「いろはにほう作」などの作品を発表しています。
そして、1986年にコロコロコミックで「おぼっちゃまくん」の連載を開始するとこれがテレビアニメ化されるほどの大ヒット作となり、小林よしのりさんは一流漫画家の仲間入りを果たしました。
「おぼっちゃまくん」は1994年まで連載が続き全24巻が発表され、現在もギャグ漫画の金字塔として人気を集めています。
小林よしのりの経歴③ 「ゴーマニズム宣言」で新境地を開拓
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1992年、小林よしのりさんは、これまでのギャグ路線から180度方向性を変えて、時事問題や風刺、エッセイなどをテーマとした「ゴーマニズム宣言」の連載を週刊誌「SPA!」で開始しています。
「ゴーマニズム宣言」は、当初は小林よしのりさんのエッセイ的な内容でしたが、次第に部落差別問題、薬害エイズ、オウム真理教事件など、それまでタブーとされてきたテーマに取り上げ、鋭く切り込んでいく、かなり尖った内容へと変遷していき大きな反響を呼びました。
この頃から、小林よしのりさんは思想家、社会評論家としての側面も持つようになり、その方向でも活躍されています。
「ゴーマニズム宣言」の一連のシリーズの中でも特に、1995年から全3巻にわたって発表された「戦争論」シリーズは、それまでの日本人の歴史認識を根本から覆す内容が賛否を呼び、社会現象を巻き起こしました。
現在、大きな話題となっている「コロナ論」シリーズも、この「ゴーマニズム宣言」の1シリーズとして発表されている作品です。
小林よしのりの家族① 父親はマルクス主義者の郵便局員
続けて、小林よしのりさんの家族についてもみていきます。
本人の著作やインタビュー記事などでもよく紹介されていますが、小林よしのりさんの父親は1927年の生まれで、マルクス主義者の郵便局職員だったそうです。
父親はマルクス主義者の郵便職員で、とにかく平等な社会の実現が理想の人でした。
父親の家系は、土佐藩士の小林伝七を祖先に持つ武士の家柄で、太平洋戦争の時には赤紙で徴兵されて沖縄戦に投入されるところだったのを、輸送が間に合わずに九州の宮崎県で本土決戦に備えて待機している時に終戦を迎えたそうです。
戦争が終わった後、郵便局員になりますが、この時に労働組合に加入したのがきっかけでマルクス主義に染まっていったという事です。
そんな父親は、マルクス主義者ということで平等な社会実現の理想を語る人だったようですが、その分人に対してとても優しい方だったそうで、小林よしのりさんが大学生の時代に高校の同窓会に出席する際に、恥をかかないようにとスーツを買ってくれた事もあったそうです。
また、どこまでも私利私欲を持たない人物だったようで、小林よしのりさんが漫画家として成功した後に両親を香港旅行に連れていった時に、「また行こう」と伝えても、父親は「もう行かん」と断るような方だったそうで、晩年もずっとマルクス主義を貫かれていたようです。
この小林よしのりさんの父親は2006年に78歳で他界されています。小林よしのりさんによれば、病院で誰にも見取られずに1人で亡くなられたそうです。
小林よしのりの家族② 母親は真言密教の寺院の生まれ
小林よしのりさんの母親は、1932年か1933年の生まれで、実家は福岡県筑紫郡大野町(現在の大野城市)の真言密教の寺院で、曽祖父は旧陸軍近衛師団に所属する兵士で、日清戦争や日露戦争にも従軍されたそうです。
小林よしのりさんによると、母親は、言密教の寺院の生まれという事もあって極端な現実主義者で、マルクス主義に染まって理想論を語る父親とは反りが合わず、度々喧嘩をしていたのだそうです。
子供時代の小林よしのりさんは、「人間には生来欲望があるので、平等な社会などありえない」として父親の思想を否定する母親の考え方に近かったそうです。
ただその一方で、小林よしのりさんは、弱者の立場を守りたいと願う父親の考え方に対して尊敬の念を抱かれていたようで、現在の自身の徹底して弱者の目線に立つという姿勢にも影響を与えていると語られています。
小林よしのりさんの母親は、禁欲的な人物であった父親とは正反対の世俗的な方だったようで、晩年は演歌歌手の氷川きよしさんにハマって、コンサートにも頻繁に通い、追っかけをしてグッズ購入にもかなりの金額をつかわれていたそうです。
小林よしのりさんは、そんな母親のために博多の高級マンションをプレゼントされています。
小林よしのりさんの母親は、2013年10月にすい臓がんで亡くなられています。80歳だったようです。
小林よしのりの家族③ 妹が1人いる
小林よしのりさんには妹が1人います。
小林よしのりさんの母親が亡くなられた時に最後を看取ったのがこの妹さんで、現在も福岡県の実家近くに住われているようです。
小林よしのりさんが原案と脚本を務めた1984年公開の映画「逆噴射家族」に登場するキャラクター・小林エリカ(アイドル歌手か女子プロレスラーになるか迷っている女子中学生)はこの妹さんがモデルなのだとか。
小林よしのりの家族④ 20代で結婚した嫁がいる
正確な時期は不明ですが、小林よしのりさんは20代の時に結婚されています。
小林よしのりさんが結婚した嫁(妻)がどのような方かは明かされていませんが、小林よしのりさんのブログによると、嫁は英語が堪能で、小林よしのりさんの会社「よしりん企画」の経理も担当されているという事なのでかなり優秀な女性のようです。
小林よしのりさんは、この嫁もよく自身の作品に登場させてネタにされています。小林よしのりさんは、愛人がいることや不倫の経験があることを何度も公言されていますが、嫁はこうした小林よしのりさんの女性問題に対して寛容なのだそうです。
小林よしのりが嫁と愛人に新型コロナを感染させた件が炎上
小林よしのりさんと嫁の話としては、2021年8月に新型コロナウイルスに関連する炎上が起きています。
小林よしのりさんは、新型コロナウイルスが蔓延して以来、一貫して、コロナワクチン接種やマスクの着用、外出自粛などの既存の対策方針に対しての批判的な考えを表明しており、自身は2度新型コロナウイルスに感染したものの、通院もせず、服薬もせずに自己免疫力だけで治した事なども主張されています。
そんな反コロナワクチン、反マスク派の急先鋒と目されている小林よしのりさんが、2021年8月3日、週刊誌「FLASH」で連載中のエッセイ漫画「よしりん辻説法」の中で、嫁に新型コロナウイルスを感染させた疑惑を持たれて夫婦喧嘩になったとする内容を描き、これが炎上する事態になりました。
小林はまず、食事中に咳が止まらなくなった際に、対面の妻にわざと咳を浴びせていたことを告白する。その後、妻にコロナが感染したことで痴話げんかが勃発。しかしなぜか看病するという選択肢はとらず、妻を放置したまま家を出て、ホテルにカンヅメしたという。
さらに、小林よしのりさんはこのエッセイ漫画の中で、食事をしたり、濃厚接触したりした愛人から新型コロナウイルスに感染したという電話が来て、他の感染者と関係持ったのではないかとこの愛人を責め立てたという内容も描いていて、これも炎上に拍車をかけました。
さらに別の描写では、小林が愛人と食事や〝濃厚接触〟を行っていたことも明らかに。数日後、その愛人からコロナに感染したという電話が届いたのだが、自分はすでに治っていたため他の感染者と関係をもったのではないかと責め立てたそうだ。
ただ、小林よしのりさんは、新型コロナに対する政府の対応や、世間の反応を皮肉って煽るような内容を自身の作品の中でよく描かれているため、この嫁にコロナを感染させたという件もその表現の一環であり創作の可能性もあると見られています。
小林よしのりの家族⑤ 子供には恵まれなかった
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20代の頃に結婚していて嫁がいる小林よしのりさんですが、この嫁との間に子供はいません。
小林よしのりさんは、自身のブログマガジン「小林よしのりライジング」の記事の無料公開部分で漫画を取ったため子供に恵まれなかったと書かれています。
わしは子供に恵まれなかった。
子供より漫画をとってしまったからだ。
また、自身の漫画の中で、「妻が婦人科系の病気で子供を出産できない身体になった」とも書かれているので、子供を望んでいたものの恵まれなかったという事だったようです。
小林よしのりさんは「おぼっちゃまくん」をはじめとする、子供達に大人気だったギャグ漫画を数々発表している事からもわかるように子供という存在自体がとても好きなようで、そうした想いもブログマガジンで綴られていました。
子供は全部、可愛い。
わしの漫画を読んでたりしたら、本当は抱きしめたいくらい可愛い。
また、小林よしのりさんはブログ(ブロマガとは別の方)で、子供時代から小林よしのりさんの作品のファンだという方が、自分にも娘や息子ができて、今はその娘が「おぼっちゃまくん」を読んで楽しそうに笑っている、最近では「ゴーマニズム宣言」のも興味を持っているというお便りを紹介し、「わしにもとうとう孫が出来ている。」とコメントをつけて、嬉しそうにされていました。
わしにもとうとう孫が出来ている。
これで良かったのだと思えるありがたい便りである。
小林よしのりさんにとって、自分の作品を楽しんでくれる読者は子供のような存在だという事なのかも知れません。
まとめ
今回は、「おぼっちゃまくん」や「ゴーマニズム宣言」で知られる人気漫画家の小林よしのりさんの生い立ちや経歴、家族などを中心にまとめてみました。
小林よしのりさんは、幼い頃は喘息で体が弱かったものの、その優しい性格と漫画を見せる事を通じて周囲から親しまれたという生い立ちを持ちます。実家は福岡県福岡市で、大学まで福岡で過ごしています。
小林よしのりさんの学歴は、地元の公立の小中学校を卒業後、地元の公立の商業高校「福岡市立福岡商業高等学校(現在の福岡市立福翔高等学校)」を経て、私立の「福岡大学」を卒業されています。
経歴については、大学在学中に漫画家としてデビューし、大学卒業後に初連載作品「東大一直線」を発表しヒットさせ、その後上京して「おぼっちゃまくん」で大ブレイクを果たしました。
「おぼっちゃまくん」で一流漫画としての地位を確立した後は、これまでのギャグ路線からスタイルを変えて、時事問題や社会問題などに鋭く切り込む「ゴーマニズム宣言」を発表し、社会に大きな影響を与えています。
家族については、マルクス主義者の父親と現実主義の仏教徒の母親、妹がいて、20代の頃には結婚もしていますが、子供には恵まれませんでした。嫁は英語が堪能な優秀な女性で、小林よしのりさんの会社の経理を務められています。