2024年1月に愛媛県のスタバで発生した射殺事件で死亡した石川雄一郎さんが注目されています。
この記事では石川雄一郎さんの実家や家族結婚、池田組や功龍會、若林組への移籍など事件までの経歴、犯人の前谷祐一郎容疑者との関係や因縁、現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
- 石川雄一郎は愛媛スタバ射殺事件の被害者
- 石川雄一郎の実家は愛媛県伊予三島市(現在の四国中央市)の可能性が高い
- 石川雄一郎の家族や結婚
- 石川雄一郎の経歴① 六代目山口組三次団体加地組若頭
- 石川雄一郎の経歴② 六代目山口組傘下功龍會で若頭や会長代行を歴任
- 石川雄一郎の経歴③ 2009年に同じ加地組組員を刺した殺人未遂で逮捕
- 石川雄一郎の経歴④ 功龍会を脱退し六代目山口組二代目若林組に移籍
- 石川雄一郎の経歴⑤ 右翼系政治団体雄龍会会長
- 石川雄一郎の経歴⑥ 「伊予三島秋祭り」で前谷祐一郎と喧嘩騒ぎに
- 石川雄一郎のスタバ射殺事件犯人の前谷祐一郎の経歴
- 石川雄一郎のスタバ射殺事件犯人の前谷祐一郎の実家や家族
- 石川雄一郎のスタバ射殺事件犯人の前谷祐一郎の現在…逃走を続けている
- まとめ
石川雄一郎は愛媛スタバ射殺事件の被害者
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
石川雄一郎さん(事件当時49歳)は、2024年1月14日の16時頃に愛媛県四国中央市妻鳥町のイオンタウン川之江にあるスターバックス(以下スタバ)で発生した「愛媛スタバ射殺事件」の被害者です。
14日午後4時頃、愛媛県四国中央市の大型商業施設の敷地内にある「スターバックスコーヒーイオンタウン川之江店」で、男性が拳銃のようなもので撃たれた。男性は店舗のテラス席付近で胸から血を流して倒れ、心肺停止の状態で救急搬送されたが、約1時間半後に死亡が確認された。撃ったとみられる男は逃走し、県警四国中央署が殺人容疑で行方を追っている。当時、店内に客がいたが、店員を含めてけが人はなかった。
事件現場となったのは、このスタバの野外テラス席で、石川雄一郎さんは至近距離から胸に複数発の拳銃を受け、すぐに病院に搬送されたものの既に心肺停止の状態で約1時間半後に死亡が確認されました。
犯人の男は現場から足早に乗ってきた白い車へと戻り、赤いジャンパーを羽織って車を放置したままそのまま徒歩で東の方向へ逃走しています。幸いな事に店内の他の客に怪我人は出ませんでした。
スタバ射殺事件の翌日の1月15日、防犯カメラの解析などにより愛媛県警は、犯人は岡山県岡山市に本部を置く独立組織(神戸山口組から2020年に脱退)池田組の若頭・前谷祐一郎(事件当時62歳)である事を発表し、全国指名手配しています。
石川雄一郎の実家は愛媛県伊予三島市(現在の四国中央市)の可能性が高い
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
愛媛スタバ射殺事件で殺害された石川雄一郎さんは被害者の立場という事で、詳しい情報は報道では明かされていませんが、一部関係者などから1974年の生まれで、出身地は愛媛県伊予三島市(現在の四国中央市)である事などが明かされています。
石川雄一郎さんの実家は現在も愛媛県四国中央市にある可能性が高いと見られています。
石川雄一郎さんが射殺された愛媛スタバ射殺事件の現場となった「スターバックスコーヒーイオンタウン川之江店」の場所も愛媛県四国中央市内で、石川雄一郎さんは実家のある生まれ故郷で暴力団組員をしていたと思われます。
また、犯人の前谷祐一郎容疑者の実家も愛媛県四国中央市であり、こちらは地元の名士の家系だった事も明らかにされていて、そうした地元の人間関係が今回の事件に繋がった可能性なども考えられるようです。犯人の前谷祐一郎容疑者の実家や経歴については後述します。
石川雄一郎の家族や結婚
石川雄一郎さんの家族や結婚に関する情報が現在の時点では明らかになっていません。
石川雄一郎さんの告別式は2024年1月17日に四国中央市内の斎場で営まれたという事ですが、この葬儀は石川雄一郎さんの家族が取り仕切った可能性が高いでしょう。
石川雄一郎の経歴① 六代目山口組三次団体加地組若頭
これまでにわかっている石川雄一郎さんの経歴についても時系列順にまとめていきます。
石川雄一郎さんは、六代目山口組の三次団体だった加地組の若頭を務めていました。
加地組は六代目山口組の二次団体大石組傘下で、組長は大石組の顧問を務めた加地功という人物でした。
石川雄一郎の経歴② 六代目山口組傘下功龍會で若頭や会長代行を歴任
加地組の加地功さんが引退し、加地組の舎弟頭だった前谷祐一郎容疑者(石川雄一郎スタバ射殺事件の犯人として指名手配)が地盤を引き継いで功龍會を設立。
石川雄一郎さんもこれに伴って功龍會に所属し、若頭や会長代行を務めています。
「週刊ポスト」も、石川雄一郎さんは前谷祐一郎容疑者の組織・功龍会のナンバー2だったと書いています。
石川氏はもともと前谷容疑者の組織である六代目山口組傘下組織・功龍会のナンバー2だった。
石川雄一郎の経歴③ 2009年に同じ加地組組員を刺した殺人未遂で逮捕
話が多少前後するのですが、石川雄一郎さんは、2009年5月7日に四国中央市川之江町路上で同じ加地組の組員・石川伸次さんの左脇腹を刺し全治約7日の怪我を負わせたとし、同月14日に殺人未遂容疑で逮捕されています。
石川雄一郎さんが同じ加地組の石川伸次さんを刺した動機などは不明ですが、この事件で石川雄一郎さんは有罪判決を受けて服役しています。
前谷祐一郎容疑者はこの時、同じ加地組組員を刺した石川雄一郎さんを処分しているという事なので、組織としてはこの事件は石川雄一郎さんが悪いとの判断を下したようです。
この事件から石川雄一郎さんと前谷祐一郎容疑者の因縁が生まれていたと思われます。
また、この石川雄一郎さんは、この同じ加地組の組員を刺した殺人未遂事件当時、薬物中毒だったとの関係者証言も出ているようです。
「かつて功龍會の本部長を務め、現在はカタギとなっているAさんから今回の事件後に連絡を取って聞いたところでは、石川氏がAさんを刃物で刺したことがあり、そのことで破門になったと言っていました。石川氏は当時、薬物中毒だったようです」
石川雄一郎の経歴④ 功龍会を脱退し六代目山口組二代目若林組に移籍
殺人未遂事件で有罪判決を受けて服役した石川雄一郎さんは、2015年8月の六代目山口組分裂騒動の前後に刑期を終えて出所したようです。
2015年10月、六代目山口組分裂騒動の影響により功龍會会長だった前谷祐一郎容疑者が、六代目山口組傘下の二代目大石組から、神戸山口組傘下となった池田組傘下に移籍し本部長に就任すると石川雄一郎さんもこれに帯同して移籍しています。
しかし、前谷祐一郎容疑者は出所後も石川雄一郎さんに反省の態度がないなどとして、功龍會事務所への出入りを禁止として右翼活動のみを認める処分を下します。
これによって前谷祐一郎容疑者と石川雄一郎さんの関係はさらに悪化し、2021年2月25日に石川雄一郎さんは正式に功龍會を離れ、敵対する六代目山口組傘下の二代目若林組に移籍しています。
この石川雄一郎さんの功龍會から若林組への移籍について、「週刊ポスト」は功龍會が神戸山口組傘下になってしまったため、若林組に移籍する事で古巣の六代目山口組に戻ったと書かれています。
石川氏はこれに同調せず、功龍会を脱退して六代目山口組二代目若林組に移籍した。自分の所属していた組織が神戸山口組になってしまったので、離脱して古巣に戻った形だ。
ただ、一部情報筋によると、石川雄一郎さんと前谷祐一郎容疑者の関係悪化が移籍の理由だったとの事です。
石川雄一郎の経歴⑤ 右翼系政治団体雄龍会会長
2021年に功龍會から若林組へ移籍した石川雄一郎さんでしたが、それから程なくして若林組からも籍を抜いて政治結社「雄龍会」の会長として右翼活動に専念していたという事です。
その後、山口組から籍を抜き、政治団体雄龍会会長として右翼活動に専念していたという。
石川雄一郎の経歴⑥ 「伊予三島秋祭り」で前谷祐一郎と喧嘩騒ぎに
伊予三島秋祭りでの石川雄一郎さんと前谷祐一郎容疑者の喧嘩騒ぎを捉えた動画のキャプチャー画像。スタバ射殺事件の原因として暴力団関係者の間でこの動画が出回っているとの事。
石川雄一郎さんは2022年10月、愛媛県四国中央市で催された「伊予三島秋祭り」で、10人〜20人ほどを引き連れて前谷祐一郎容疑者と揉み合いになる喧嘩沙汰を起こしました。
この喧嘩は周囲の祭り関係者や警察官に制止され、大きな怪我人でなかったという事ですが、石川雄一郎さんが前谷祐一郎容疑者を馬鹿にするような言動をし、祭りの観衆の最中での出来事に前谷祐一郎容疑者はメンツを潰される形になり、これが今回のスタバ射殺事件の原因になったとの証言も出ています。
毎年秋に行われている『四国中央秋祭り』で、石川が前谷をバカにするような言動を取り、喧嘩に発展した。喧嘩は石川が勝ち、前谷はメンツを潰された。もともと二人は同じ組織に所属していた過去があり、その頃は石川が前谷の子分という立場だった。その後、前谷は池田組の幹部になり、石川は敵対関係にある六代目山口組傘下の組に移った。そういった関係性だったために喧嘩の遺恨が残り、前谷は事件を起こしたのだろう
一部報道によると、スタバ射殺事件が発生した当日には、関係のこじれた石川雄一郎さんと前谷祐一郎容疑者は関係者同席の話し合いの場を設けていたようです。
しかし、この話し合いは決裂に終わり、その後に訪れたスタバで事件が起きてしまったという経緯だったのだそうです。
実は、事件当日は別の関係者の同席のもと、被害者と容疑者の話し合いの場が設けられていたという。しかし結局、折り合いがつかず、前谷容疑者は犯行を決意したとみられる。
「話し合い後に石川さんはスターバックスに来店。飲み物を購入後、テラス席へ移動したところで前谷容疑者が石川さんの胸部に複数回発砲した」(前出・地元紙記者)
こうした経緯を見ると、石川雄一郎さんと前谷祐一郎容疑者の間には単なる喧嘩以上の何らかのトラブルを抱えていた可能性も考えられます。
また、スタバ射殺事件までの2人の関係性の経緯を知る関係者は、どちらかというと前谷祐一郎容疑者に同情的な立場を取られている方が多い様子です。
石川雄一郎のスタバ射殺事件犯人の前谷祐一郎の経歴
出典:https://p.potaufeu.asahi.com/
石川雄一郎さんが殺害された愛媛スタバ射殺事件の犯人(現在の時点ではあくまでも容疑者)の前谷祐一郎容疑者の経歴や実家にも注目が集まっています。
前谷祐一郎容疑者は1961年前後の生まれで、出身地は愛媛県伊予三島市(現在の四国中央市)で、石川雄一郎さんの経歴のところでも触れたように、六代目山口組の三次団体加地組の舎弟頭を経て、その地盤を引き継ぐ形で「功龍會」を設立して会長に就任。
2015年10月に、山口組分裂騒動の影響で二代目大石組から神戸山口組傘下の池田組に移籍して本部長に就任し、2016年5月31日に池田組の若頭であった高木昇さんが岡山市南区のマンション駐車場で射殺される事件が起こると、その後継として池田組若頭に昇進しています。
2020年5月30日、池田組事務所近くの路上で、敵対する六代目山口組の二次団体組員に銃撃されて腹部に銃弾を浴び全治3ヶ月の怪我を負うも一命を取り留めています。
- 2022年3月4日には、功龍會本部事務所にトラックが突入する事件も発生。この事件でも六代目山口組傘下の組員が逮捕されており、前谷祐一郎容疑者は六代目山口組と神戸山口組の抗争の最前線に立たされていたようです。
- そして、2022年10月の「伊予三島秋祭り」では、10人〜20人を引き連れた石川雄一郎さんに喧嘩をふっかけられて騒ぎになっています。これが2024年1月14日に愛媛スタバ射殺事件を起こす直接的な動機になったのではないかとの見方が有力とされています。
- 2024年1月15日、愛媛県警は前谷祐一郎容疑者を石川雄一郎さん殺人の容疑で全国指名手配しています。現在も前谷裕一郎容疑者は犯行に使用した銃器を所持したまま逃走を続けています。
石川雄一郎のスタバ射殺事件犯人の前谷祐一郎の実家や家族
「週刊ポスト」に掲載の記事によると、石川祐一郎容疑者の実家は地元では知られた造り酒屋だったという事です。
前谷祐一郎容疑者が生まれた頃、前谷家はいわゆる地元の名士で、郷土史「愛媛県史地誌II」に記述があるほどの家柄だという事です。
前谷祐一郎容疑者の実家を知る方の証言によれば、前谷祐一郎容疑者は子供の頃はおとなしい性格だったが中学卒業後に突然不良になったとの事で、その後暴力団に所属するようになったようです。
前谷容疑者を知る昔馴染みの男性はいう。「子供の頃、よく神社で遊びました。おとなしい人だったんです。中学を卒業し再会したら急に不良になっていて驚いた。地元では若い衆を連れたりせずいつも一人です。実家は造り酒屋で『東洋正宗』という銘柄を作っていた。大鵬が興行に来たときには『大鵬』という酒も出しました。
前谷祐一郎容疑者の造り酒屋は既に廃業しているようです。
また、前谷祐一郎容疑者の家族は弟と母親の存在が明らかにされています。弟さんは別の酒造に勤めたそうですが、現在はすでに亡くなられているという事です。
母親は存命だという事ですが、前谷祐一郎容疑者がスタバ射殺事件を起こして全国指名手配された後は姿を見せる事が無くなったという事です。
弟さんが全く別の蔵元に勤めたんですけど早世しちゃって廃業した。今はおかあさんがいて、よく散歩してるんだけど、事件後は姿を見ません。本当に不憫です」
前谷祐一郎容疑者の実家の造り酒屋がどこだったのかは現在の時点では特定されていません。
石川雄一郎のスタバ射殺事件犯人の前谷祐一郎の現在…逃走を続けている
石川雄一郎さんが殺害された愛媛スタバ射殺事件の後、犯人の前谷祐一郎は現場から逃走。事件翌日には愛媛県警は前谷祐一郎容疑者を全国指名手配しています。
愛媛県四国中央市にあるスターバックスの店舗で、男性が拳銃のようなもので撃たれ殺害された事件で、愛媛県警は15日、本籍が四国中央市三島宮川、住居不詳の指定暴力団池田組幹部組員・前谷祐一郎容疑者(62)を、殺人容疑で全国に指名手配しました。
2024年1月29日現在も前谷祐一郎容疑者が逮捕されたという情報は出ていません。犯行に使用された拳銃も発見されておらず、前谷祐一郎容疑者は現在も拳銃を所持したまま逃走を続けていると見られており、警察が警戒を呼びかけています。
また、「週刊ポスト」の記事によれば、前谷祐一郎容疑者は暴力団関係者に「自殺する」などと言い残して姿を消したとの事です。
前谷容疑者は暴力団筋に「自殺する」と言い残し、姿をくらませたという。
前谷祐一郎容疑者は拳銃を所持して逃亡している事から自殺しようと思えばできるはずで、現在は既にこの世にいないのではないかとの憶測も飛んでいます。
一方、デイリー新潮の記事によれば、前谷祐一郎容疑者は関係者に「出頭する気はさらさらない」といった心情を吐露していたのだとか。
「“出頭する気はさらさらない”との思いを吐露していたとの情報もありました。逮捕・起訴されれば最低でも無期懲役は不可避ですからね。潜伏生活は何らかのサポートなしには続けられないでしょうから、池田組が捜査当局のターゲットになると見られています」
全国指名手配され顔写真も公開されている以上、第三者の支援がなければ長く逃走を続ける事は難しいと思われます。
ただ、現在わかっている情報では、組が絡んだ抗争ではく私的なトラブルによる犯行の可能性が高いと見られるため、デイリー新潮の記事で触れられているように池田組が前谷祐一郎容疑者の逃走の手助けをするのかといえば、その可能性は低いように思われます。
まとめ
今回は、2024年1月14日に愛媛県四国中央市妻鳥町のイオンタウン川之江にのスターバックスで発生した「愛媛スタバ射殺事件」の被害者である石川雄一郎さんと、現場から逃亡し全国指名手配されている犯人の前谷祐一郎容疑者についてまとめてみました。
石川雄一郎さんはスタバのテラス席にいるところを、直前まで話をしていた前谷祐一郎容疑者に至近距離から銃撃され胸などに数発の銃弾を受けて死亡しました。
石川雄一郎さんの実家や家族、結婚などの情報は明らかにされていませんが、事件のあった愛媛県四国中央市の出身である事がわかっています。
石川雄一郎さんの経歴については、6代目山口組の三次団体加地組の若頭を経て、加地組の地盤を引き継いで前谷祐一郎容疑者が結成した功龍會で若頭や会長代行を歴任した経歴がわかっています。
一方で2009年に同じ加地組の組員を包丁で刺して殺人未遂で逮捕されて2015年まで服役しており、出所後にも反省が見られない事などから組事務所への出入りを禁止される処分を受けています。
その後、山口組分裂騒動の影響なども関連して2021年に功龍會を離れて敵対する六代目山口組傘下の二代目若林組に移籍していますが、程なくして山口組から籍を抜き政治結社「雄龍会」の会長として右翼活動を行っていました。
そしてその後、2022年10月の愛媛県四国中央市での「伊予三島秋祭り」で、10人〜20人ほどを引き連れて前谷祐一郎容疑者に喧嘩をふっかけて揉み合いになる騒動を起こしており、これが今回のスタバ射殺事件の原因となったとも言われています。
2024年1月にスタバ射殺事件が発生し石川雄一郎さんは殺害され、犯人の前谷祐一郎は現場から逃走し、全国指名手配されていますが、現在も逃走を続けています。