2021年10月に発生した京王線無差別刺傷放火事件の犯人の服部恭太が話題です。
この記事では服部恭太の起こした事件の概要やこの男の生い立ち、妹や親、福岡の実家などの家族と彼女の存在、学歴や勤務先などの経歴、犯行の動機や事件後タバコを吸った件、判決が出た現在などなどについてまとめました。
この記事の目次
- 服部恭太は京王線無差別刺傷放火事件の犯人
- 服部恭太の起こした京王線刺傷放火事件の概要
- 服部恭太の生い立ち① 実家は福岡県福岡市
- 服部恭太の生い立ち② 母親と妹の母子家庭の3人家族で育った
- 服部恭太の生い立ち③ 両親は離婚している
- 服部恭太の生い立ち④ 児童養護施設で育ったという情報はデマ
- 服部恭太の経歴① 出身小・中学校は千代小学校と千代中学校か
- 服部恭太の経歴② 出身高校は福岡県立福岡魁誠高等学校の可能性が高い
- 服部恭太の経歴③ 専門学校を卒業後に介護ヘルパーに
- 服部恭太の経歴④ 介護ヘルパーを辞めた後は勤務先を転々としていた
- 服部恭太は勤務先のネットカフェで仕事中に盗撮事件を起こし警察沙汰に
- 服部恭太は勤務先のコールセンターで客からクレームを受けた事で退職
- 服部恭太には長年交際した彼女がいた
- 服部恭太は彼女と破局してから様子がおかしくなったという見方も
- 服部恭太の犯行動機は大勢人を殺害して死刑になりたかった
- 服部恭太が事件を起こした後タバコを吸っていた事も話題に
- 服部恭太の現在~懲役23年の判決が言い渡される
- まとめ
服部恭太は京王線無差別刺傷放火事件の犯人
2023年6月2021年10月31日のハロウィンの夜に発生した「京王線刺傷放火事件」の犯人として殺人未遂の容疑で逮捕された男です。
服部恭太は、東京都調布市を走行中だった京王電鉄京王線の特急電車内で、突然刃物で70代男性の右胸を刺して一時重体となるほどの大怪我を負わせ、その後、電車内に大量のライターオイルをばら撒いて火をつけ炎上させました。
服部恭太はその無差別テロ的な凶悪な犯行内容に加えて、犯行時にアメコミや映画で人気の作品「バットマン」に登場する悪役「ジョーカー」に扮した奇抜なスーツ姿だった事や、事件を起こした後に電車内の座席に腰を下ろしてタバコを吸っていた事などでも注目され大きく報じられています。
今回はこの京王線無差別刺傷放火事件の犯人・服部恭太について現在までにわかっている内容をまとめていきます。
服部恭太の起こした京王線刺傷放火事件の概要
出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/
服部恭太の起こした京王線刺傷放火事件の概要をはじめに確認していきます。
服部恭太は2021年10月31日の夜、複数の人間を殺害する目的で京王電鉄京王線の10両編成の新宿行き特急電車に調布駅から乗り込み、電車が駅を出た直後の20時頃に事件を起こしています。
警察の調べによると、服部恭太は電車が動き出してすぐにリュックサックからナイフや殺虫剤などを取り出し犯行の準備を始めたようです。
近くにいた男性(事件当時72歳)が服部恭太の不審な動きに気づき「何をやっているんだ」と声をかけると、服部恭太は突然殺虫剤を男性の頭に向けて噴射した後、刃渡り30cmの刃物で男性の右胸あたりを刺しました。
事件は調布駅を出た直後に起きた。捜査関係者によると、服部容疑者は同駅で電車に乗り、すぐにリュックサックからナイフや殺虫剤を取り出した。近くにいた男性から「何をやっているんだ」と声をかけられ、刺したとみられるという。男性の頭に向けて殺虫剤もかけた形跡があり、警視庁が経緯を調べている。
なお、この時、服部恭太に刺された72歳男性は事件後に意識不明の重体と報じられていましたが、事件から9日後の11月9日に無事に意識が回復したとの情報が出ています。
服部恭太は男性を刺した後、車両前方の5号車へと移動し、2リットルと500ミリリットルのペットボトルに入れたライターオイルを周囲に振り撒きました。その後の捜査や取り調べでの供述によれば、この時、服部恭太は乗客に火をつけるつもりで、周囲にいた乗客にライターオイルをかけるように振り撒いていたようです。
そして、服部恭太はジッポーライターを使って振り撒いたオイルに点火しています。この時、「ボンッ」という爆発音が響き、一瞬で付近に火が広がったようです。事件後の取り調べで、服部恭太はこの時、火炎に可燃性の殺虫スプレーを噴射してさらに火勢を強めようとした事も供述しています。
服部恭太が火をつけた時、乗客らはすぐに逃げたため、オイルをかけられた人も含めて火傷を負った人はいませんでした。しかし、発生した煙を吸い込むなどして10代から60代までの男女合計16名が軽傷を負っています。
服部恭太は火を放った後、再び車両の後方へと戻って2号車の座席に腰を下ろし、右手にナイフを持ったまま左手でタバコをふかしています。
電車は、国領駅で緊急停車しましたが、停車位置が駅のホームドアとずれていたため電車のドアが開かず、乗客らは窓から脱出する事態になりました。事件時、車両内ではパニックが発生していましたが、一定の冷静さは保たれており、不幸中の幸いというべきか将棋倒しになって負傷する人などは出ませんでした。
タバコをふかす服部恭太の様子や事件発生時の電車内でパニックが起こっている様子は、事件に巻き込まれた乗客によって動画で撮影されており、これがネットやテレビニュースなどで公開されて大きな注目を集めました。
京王線車内、男性刺され重体 煙が充満、16人搬送 容疑者を逮捕https://t.co/QysQCeHjEy
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) October 31, 2021
警視庁は車内で刃物のような物を持っていた自称服部恭太容疑者(24)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕。服部容疑者は先頭から6両目で火を付け8両目で男性を刺したとみられる。身柄を確保された時には9両目にいた。 pic.twitter.com/1VNXf6sfhR
列車は事件発生後に国領駅に緊急停車し、服部恭太は駆けつけた警察官によって電車内で座席に座ってタバコを蒸していたところを現行犯逮捕されています。
服部恭太は警察官に対して抵抗する素振りは見せずに大人しく逮捕されたという事でした。
服部恭太の生い立ち① 実家は福岡県福岡市
服部恭太の生い立ちについて、これまでに判明している内容を順番にまとめていきます。
週刊文春(文春オンライン)によると、「服部容疑者のルーツは福岡市にある」という事なので、服部恭太の出身地と実家は福岡県福岡市の可能性が高いようです。
文春オンラインの記事によると、服部恭太は実家のある福岡市の中学校、高校を卒業後、この地元でいくつかの職を点々としていたようです。
世間を震撼させた事件を起こした服部容疑者のルーツは福岡市にある。地元の中学、高校を卒業後、職を点々としていたようだ。
引用:《京王線刺傷》ジョーカースーツの男が狂った“恋人との破局”と“盗撮事件”「仕事や友人関係がうまくいかず死にたかった」
服部恭太の生い立ち② 母親と妹の母子家庭の3人家族で育った
服部恭太の家族の情報としては、「週刊FLASH」の2021年11月23日号に掲載された記事の内容から、母親と妹の母子家庭の3人家族で育ったことがわかっています。
FLASHの記事では、服部恭太と母親、妹の家族は、服部恭太が高校生で、妹が中学生の時に福岡市内にある団地に引っ越してきたという事です。
「お兄ちゃんが高校生で、妹さんが中学生のときに越してきたんです。お母さんとの3人家族でした。兄妹がきちっとお辞儀をして挨拶してくれて、ちゃんとしてましたよ」
福岡市内のとある団地の住民は、声を潜めてそう語った。
服部恭太が京王線での無差別刺傷放火事件を起こした当時も、服部恭太の母親はこの実家に住んでいたようですが、事件以降はどこかに身を隠しているのか部屋の灯りは消えたままになっているとの事でした。
かつて温かい家庭を築いていた母と妹は、今何を思うのだろうか。事件以降、福岡市内の自宅に灯りはともっていない。
服部恭太の生い立ち③ 両親は離婚している
出典:https://no-action-no-life.com/
服部恭太は母親と妹の母子家庭の3人家族で育っていますが、母子家庭となった理由は両親の離婚だったようです。
「父親と母親は離婚しているようですが、母親と妹と3人で福岡市内のマンションで暮らしていました。近隣住民にかなり取材をしましたが、服部容疑者について出てくるのは『いい子だった』『事件を起こしたなんて信じられない』という言葉ばかりです」(地元記者)
引用:《京王線刺傷》“ジョーカースーツ”服部恭太容疑者の“シャワー室盗撮事件”は2度あった!「母親が付き添って警察へ…」
両親は服部恭太が小学校の時に離婚しているようです。
服部恭太の生い立ち④ 児童養護施設で育ったという情報はデマ
服部恭太の家族は両親の他に妹がいる事がわかっていますが、どのいった人物なのかなど家族についての詳細な情報は明らかにされていません。
一部ネット上で、服部恭太の母親が男遊びに明け暮れて子育てを放棄し、服部恭太は児童養護施設で育った生い立ちを持つなどの情報が流れていますが、こうした内容は事件後に報じられたどの報道の内容とも一致しないためデマ情報である可能性が高いと思われます。
服部恭太の経歴① 出身小・中学校は千代小学校と千代中学校か
続けて、服部恭太の学歴や職歴などの経歴についても判明している内容を見ていきます。
服部恭太の出身小学校と出身中学校は上でも紹介した文春オンラインの記事などから、実家のある福岡市の学校だという事がわかっています。
服部恭太の小学校と中学校としては、福岡市立千代小学校と福岡市立千代中学校とする情報がTwitterや匿名掲示板などに投稿されていますが、現在のところ真偽の確認は取れていません。
京王線事件の服部恭太
— 🇹🇭ワクチン打ってタイ旅行✈️ (@durian_cd) November 1, 2021
福岡市立 千代小学校 、千代中学校 卒業
福岡県立 魁誠高等学校 (粕屋町)卒業
市営住宅の母子家庭⁉️
千代校区は県内有数の在日韓国・北朝鮮人在住エリア。以前は総連系の商店街が九大病院脇にありましたが10数年前に無くなりました。部落解放同盟の福岡県連合会があります。 pic.twitter.com/THULupyNh2
服部恭太の小学時代や中学時代については、陸上部に所属していたとの証言が出ています。
小中学校の同級生:「(陸上とかやってたみたいですがあまり印象にないですか?)そうですね」「(話をしたことは?)あります」「(どんなキャラでしたか?)中心にいるようなタイプではない」
また、中学時代には陸上部の他に柔道部にも所属していたとの情報も出ています。
中学時代には柔道部と陸上部に所属
服部恭太の柔道部の先輩の証言によると、当時の服部恭太は大人しい性格だったが、仲間外れにされていたわけではなく、みんなで遊ぶときには参加する程度の社交性はあったとの事です。
中学時代の先輩は地元での服部容疑者の様子をこう明かす。
「柔道部に所属して、黒髪で不良とは無縁でした。本当に大人しくて、何を言われても、へへって笑うだけだったことをよく覚えています。でも、仲間外れにされていたわけではなかったし、みんなで遊ぶときにはその輪に加わるくらいの社交性はありましたよ」
また、服部恭太の中学時代の陸上部でのメインの種目は、「ジャベリックスロー」という投擲競技だったようです。
福岡市内の団地で家族と暮らしていた服部容疑者は中学時代、陸上部に所属するスポーツマンだったという。
中学時代の後輩A:砲丸投げとか、投てきの方でしてましたね
中学時代の後輩B:とにかく、おとなしかったです。別に目立つ方でもなかったし
地元の中学では陸上部に所属し、砲丸投げや、やり投げに似た「ジャベリックスロー」をやっていた。
柔道部の先輩や陸上部の後輩、小・中学校時代の同級生は当時の服部恭太を「中心にいるようなタイプではない」、「大人しい」と表現していますが、中学時代の同級生だという別の女性も「大人しい男の子」、「休み時間は教室で絵を描いていた」と証言しています。
少なくとも服部恭太は小・中学時代までは大人しく目立たない存在だったようです。
福岡市の中学校で同級生だった主婦(24)は「おとなしい男の子で、休み時間はほとんど教室にいて絵を描いていた。まさかこんな事件が起きるなんて」と驚いていた。
また、別の小中学時代の同級生は、当時の服部恭太について勉強もスポーツにも秀でた存在ではなく、存在感がなかったと証言しています。
小中学校で同級生だった別の男性も「グループを作って行動するタイプではなかった」と振り返った。勉強やスポーツに秀でていたわけでもなく、「存在感がなかった」という。
服部恭太は部活動を掛け持ちするなど、積極的な一面もあったようですが、基本的には大人しく目立たぬ存在だったのは間違いなさそうです。
服部恭太の経歴② 出身高校は福岡県立福岡魁誠高等学校の可能性が高い
服部恭太は地元の中学校を卒業後に福岡県内の高校へと進学しています。
インターネット上での特定作業により、服部恭太の出身高校は福岡県糟屋郡粕屋町に所在する、福岡県立福岡魁誠(かいせい)高等学校の可能性が高いと見られています。
服部恭太の出身高校が福岡県立福岡魁誠高校だと見られている根拠は、いくつかのメディアが公開した服部恭太の高校時代の画像で確認できる制服のエンブレムが、同高校のものと一致するためです。
左側が服部恭太の高校時代の画像から確認のエンブレム、右側が福岡魁誠高校の制服のエンブレム
同じように見えるので服部恭太の高校が「福岡魁誠高校」である可能性は高いと思われます。福岡魁誠高校の最新の偏差値は「48」となっています。
服部恭太は高校時代は空手部に所属し、主将を務めた事もあったようです。週刊FLASHは当時の空手部の先生にも取材したようですが、コメントは得られなかったようです。
高校時代は空手部の主将として、「組手」「形」の両方で大会に出場していた服部容疑者。空手部の恩師は「何も話したくないです」とショックを隠し切れなかった。
高校時代の服部恭太は空手部の主将を務めて大会にも出場したという事でしたが、「際立つような存在ではなかった」との事で、空手部での実績は特に無いようです。
進学した地元の高校では空手部で活動。ただ、いずれも「際立つような存在ではなかった」という。
高校時代の服部恭太については、高校時代の同級生だったという女性の母親が「目立たない子だった」と証言していました。
服部容疑者と高校の同級生だった女性の母親によると、服部容疑者は福岡市内の団地で母親と妹と暮らしていた。団地は数年前に取り壊され、今はマンションが立つ。「誰かとべったり仲が良い子ではなく、どちらかというと目立たない子だった」と話した。
また、服部恭太の幼稚園から中学までの同級生の母親で、服部を子供時代から知るという女性は、「思春期になっても荒れていない」、「高校生になっても声をかけると挨拶を返してきた」との証言をされています。
一方、息子が幼稚園から中学まで一緒だった女性(50)は「優しく、静かな子だった」と話した。思春期に荒れることもなく、高校生になっても路上で「恭ちゃん」と声をかけると、あいさつを返してきた。
こうした証言を見る限り、服部恭太は高校時代も大人しく真面目な性格だったようです。
服部恭太の経歴③ 専門学校を卒業後に介護ヘルパーに
服部恭太は高校を卒業後、大学へは進学せずに専門学校へと進み、卒業後に介護ヘルパーの仕事に就いていたという事です。
福岡県出身で、県立高校から専門学校に進み、卒業後は介護ヘルパーの職に就いていた。
服部恭太はおそらく介護系の専門学校に通っていたと見られていますが、この専門学校の特定はされていません。
服部恭太の経歴④ 介護ヘルパーを辞めた後は勤務先を転々としていた
服部恭太は、介護ヘルパーとして就職したようですが、何らかの理由で退職し、その後はネットカフェの店員や派遣での携帯電話関連会社のコールセンターなど勤務先を転々としていたようです。
地元の高校を卒業後、服部容疑者は大学に進学せず、介護ヘルパーやネットカフェなどで働いたという。
服部恭太が介護ヘルパーの仕事を辞めた理由や時期などは明らかにされてませんが、その後の勤務先のネットカフェや携帯電話の関連会社のコールセンターなどでは共にトラブルを起こし、それが原因で退職しているようです。
服部恭太の勤務先でのトラブルについては次の見出しから順番に紹介していきます。
なお、服部恭太が転々としていた勤務先の具体的な店名や会社名、場所などの情報は現在のところ特定されていません。
服部恭太は勤務先のネットカフェで仕事中に盗撮事件を起こし警察沙汰に
服部恭太は、介護ヘルパーの勤務先を辞めた後に、福岡市天神のネットカフェ(漫画喫茶)でアルバイト店員として勤務していたようです。元同僚の方の証言によれば「1年くらいは働いていたと思う」という事でした。
服部恭太がこのネットカフェで勤務していた時期は京王線の事件から約4年ほど前という事なので、2017年頃の事だったようです。
服部恭太は専門学校を出ているので、20歳くらいで介護ヘルパーの仕事をはじめたと推測されますが、この2017年頃は服部恭太が20歳か21歳のはずです。なので、最初の勤務先の介護ヘルパーの仕事はかなりすぐに辞めてしまった可能性が高いです。
そして、服部恭太は次の勤務先となったこのネットカフェでシャワールームにカメラを仕掛けて女性客を盗撮する事件を起こし、2017年12月に摘発されています。
その半年ほど前にも盗撮をしてトラブルを起こしているという事なので、盗撮を何度も繰り返して、このネットカフェをクビになったようです。
関係者によると、服部容疑者は平成29年12月、店のシャワー室にカメラを仕掛けるなどの盗撮事件を起こし、摘発された。「その半年ほど前にも似たような盗撮をしてトラブルになっていて、店にいられなくなった」と語る。
服部恭太は勤務先のコールセンターで客からクレームを受けた事で退職
服部恭太は勤務先だった福岡市天神のネットカフェで盗撮事件を起こしたことでクビになり、その後は介護職や派遣会社に登録して勤務先を転々としながら働いていたようです。
そうした生活の中で、服部恭太は、福岡市内の携帯電話関連会社のコールセンターでスマホなどの通信機材の使い方や使用料金などの相談を顧客から受け付けチャットで返答するコールセンターに派遣社員として2018年4月から勤務していたとの事です。
そして、服部恭太はこの勤務先でも、2021年6月に客からクレームを受けるトラブルを起こし、それが原因で会社から配置転換を打診され、それに納得しなかった服部はこの会社を自主退職しています。
この勤務先の関係者の証言によると、服部恭太はチャット上で顧客と口論になったとの事でしたが、それ以前から本人のきつい口調が原因で度々トラブルを起こしていたのだそうです。
「彼はインターネット関連の相談を受けつける窓口の担当でしたが、顧客との間で、契約にオプションをつけた、つけないで口論になったんです。本人に責任はないことなのに、会社は彼を守らなかった。彼は口調がきつく、以前からよくトラブルになっていましたが、責められたことに納得がいかなかったんでしょう」
服部恭平はこの勤務先を2021年6月に退職し、7月中旬頃に福岡市の実家を出て、神戸市と名古屋市のビジネスホテルでそれぞれ1ヶ月ほどを過ごし、その後東京都八王子市へと移動し、ここでも1ヶ月ほどホテルで過ごした後、10月31日に京王線無差別刺傷事件を起こしたのでした。
服部恭太には長年交際した彼女がいた
出典:https://thebeatles-eightdaysaweek.jp/
事件後の報道などから、服部恭平には長年交際していた彼女がいた事もわかっています。
服部恭太は中学時代からこの彼女と交際していたようで、休日はいつも一緒に過ごすなど仲の良い関係だったとの証言が複数出ています。
「目立つようなカップルではなかったけど、服部は彼女をとても大切にしていて、休日はいつも一緒にいたそうです。社会人になってから親しい友達が少なかった彼にとって恋人が心の支えだったと思いますよ」(服部容疑者の知人)
服部恭太は彼女と破局してから様子がおかしくなったという見方も
服部恭太は彼女をとても大切にし、心の支えのようになっていたのではないかとの証言も出ていましたが破局を迎えてしまったようです。
また、服部恭太の彼女はこの破局後に別の男性と結婚しているとの事でした。
服部恭太は彼女との破局により精神的不安定になり、病んでいるような様子になっていたとの証言も出ていました。
「当時、彼には仲のいい彼女がいました。どちらも目立たない、地味なカップルという感じでしたが、彼女のことがすごく好きだった。硬派ぶっていたのか、グラビアや女優には興味がない、という感じでしたね。でもある時その彼女と別れてしまったんです。それからはちょっと変というか、元気がない、病んでいるような様子で、別の同僚も心配していました」
引用:《京王線刺傷》ジョーカースーツの男が狂った“恋人との破局”と“盗撮事件”「仕事や友人関係がうまくいかず死にたかった」
服部恭太の犯行動機は大勢人を殺害して死刑になりたかった
服部恭太は、京王線無差別刺傷放火事件の犯行動機について、その後の取り調べで「仕事も人間関係もうまくいかずに死にたかった」、「2人以上殺せば死刑になると思った」などと供述しているとの事でした。
多くの人を殺すため福岡から上京した服部容疑者は、調べに対し次のように供述しているという。
服部恭太容疑者: 2人以上殺せば死刑になると思った
服部恭太容疑者: この日のためにジョーカーの服を買った。殺せなくて悔しい
こうした供述内容から、服部恭太の犯行動機は、死にたいが自殺する勇気がないため、無関係の人を2人以上殺害して死刑になろうとしたという、極めて身勝手なものだったことが判明しました。
服部恭太が事件を起こした後タバコを吸っていた事も話題に
京王線で無差別殺人未遂事件を起こした服部恭太は、犯行を終えた後に電車内の座席に座ってタバコを吸っている姿でも話題になりました。
これについてネット上では、服部恭太のタバコを持つ手がプルプルと震えている事や、タバコの煙を肺まで吸い込まず口だけでふかしているように見える事などから、京王線での事件を起こした後に初めてタバコを吸ったのではないかといった声も出ていたようです。
京王線の犯行を行った服部恭太は見た感じタバコの煙肺に入れてねえな。#ふかしてるだけだわ#だからなんだって感じだが
— yasu (@okanehadaiji) November 1, 2021
タバコ吸って余裕感出してるつもりだったんだろうけど、めっちゃ手震えてるよね
— 夏樹 (@kawasakigpz9001) November 1, 2021
なんだかんだで人刺したから動揺してんだろな#京王線 #服部恭太 pic.twitter.com/Ty3l25ILqw
服部恭太の現在~懲役23年の判決が言い渡される
出典:https://yoshitakaworks.com/
殺人未遂などの罪に問われた服部恭太の初公判が2023年6月に東京地方裁判所で開かれました。
裁判では、電車内にライター用オイルをまいて火をつけた行為が殺人未遂罪にあたるかどうかが争点となりました。
検察は「ライターに火をつけた時点で、車両の連結部分付近にいた乗客12人が火事で死亡するなどの危険性があった」として、殺人に着手したといえると主張。
一方、弁護側は「ライターを投げた時点で12人の乗客は逃げていて、死亡する危険性はなく、殺意もなかった」と述べ殺人未遂罪は成立しないと主張しました。
逮捕時は「ジョーカー」に扮し金髪で派手な印象があった服部恭太ですが、法廷では黒髪で別人のようになっていたとの事です。
また、裁判では服部恭太の詳しい犯行動機も明らかになっています。
服部恭太は小学校5年生から中学時代まで、特に女子から嫌われ避けられていたといいます。自殺未遂を起こすほど思い悩んでいたとの事ですが、中学3年生の時に陸上部の後輩と交際を始め人生が変わったようです。
服部恭太は「自分はゴキブリのような存在だと思っていたが、そんな自分と付き合ってくれたのがうれしかった」と当時の心境について語っていたとの事です。
彼女との交際は9年も続きましたが、服部恭太は2020年の自身の誕生日に振られてしまい、さらには破局から半年程で彼女が別の男性と結婚しています。
彼女の結婚と同時期に前述のコールセンターでのトラブルがあり、「自分には存在価値がない」「だったら死ぬしかない」と自暴自棄になり自殺未遂を図ったものの死ぬことができず、「大量殺人をして死刑になりたい」という思いを抱くようになったようです。
その1つが「心の支えになっていた彼女との別れ」。 中学生時代から交際し、結婚も視野に同棲をしていたが、交際から約9年後の2020年11月8日、自身の誕生日に突然別れを告げられた。 さらに、別れてから半年後の2021年6月、元交際相手が別の男性と結婚したことを知ってショックを受けたという。 そして、2つ目の契機が「勤務先での部署異動」。 服部被告は職を転々としていたが、2018年から働き始めたコールセンターが「初めて周りから認めてもらえる職場」だと感じ、この部署でずっと働きたいと思っていた。 しかし、客への対応ミスを起こしたことをきっかけに、2021年6月に部署の異動を告げられた。 この2つの出来事が同じ時期に重なってしまったことで「自分に存在価値がない。死にたい」と考えるようになったという。
2023年7月21日、検察は服部恭太に対し「走行時間が長く逃げることができない特急電車を選んで計画的に犯行に及んだ」として懲役25年を求刑しました。一方、弁護側は殺人未遂罪は成立しないと改めて主張し懲役12年程度が相当としています。
21日の裁判で検察は「人出の多い夜に、走行時間が長く逃げることができない特急電車を選んで計画的に犯行に及んだ。逃げ遅れれば多数の死傷者が出る危険性があった」として懲役25年を求刑しました。法廷では、被害者の心情をまとめた文書も読み上げられ、この中で当時21歳の女性は「安心して電車に乗れなくなり、普通に毎日を過ごすことができない。被告には一生社会に出てこないでほしい」と訴えていました。一方、弁護側は「ライターを投げた時点で乗客は危険な場所から逃げているか、逃げていなくても死亡する危険性はなかった」として乗客12人に対する殺人未遂罪は成立しないと改めて主張し、懲役12年程度が相当だと述べました。
その後、服部恭太には同月31日に懲役23年の判決が言い渡されました。裁判長が主文を告げると、服部恭太は小さくうなずき「はい」と答えたとの事です。
判決は、こうした状況をとらえた動画や乗客の証言から、「混乱状態に陥った乗客らが連結部分に押し寄せて次々と転倒したり、荷物が引っかかったりして、隣の車両に簡単に抜け出せない状況だった」と指摘。12人のうち連結部分などにいた10人を「死亡する危険性がある場所にいた」として、同罪の成立を認定した。一方で、残る2人は連結部分などの付近にいたとは認められないとした。
まとめ
今回は、2021年10月31日のハロウィンの夜に京王線の電車内で発生した京王線無差別刺傷放火事件の犯人として逮捕された服部恭太という男についてこれまでにわかっている内容をまとめてみました。
服部恭太の生い立ちについては、福岡県福岡市で、母親と妹の母子家庭の3人家族で育った事などがわかっています。
経歴については、地元福岡市の公立小中学校を卒業し、福岡の県立高校(福岡県立福岡魁誠高校と見られている)に進学。高校卒業後は専門学校を経て介護ヘルパーの職についたものの、すぐに辞め、その後はネットカフェのバイトや派遣社員として携帯電話関連のコールセンターなど勤務先を転々としていた事などがわかっています。
そんな服部恭太ですが、長年交際した彼女がいた事もわかっており、その彼女と破局した事で精神が不安定になり、コールセンターでのトラブルも重なったことで「大量殺人をして死刑になりたい」という犯行動機に繋がっていったようです。
服部恭太には懲役23年の判決が言い渡されていますが、自身の行いを心から反省し罪を償ってもらいたいものです。