元大相撲力士の小錦さんの結婚歴や現在の妻との絆が話題です。
この記事では小錦さんの身長と規格外の体重、元嫁の塩田すみかさんとの離婚や原因、現在の妻の飯島千絵さんとの再婚など結婚歴、子供がいない理由、夫婦の絆が示された腎臓移植手術と死因の噂、現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 小錦は元大相撲の大関で引退後はタレントや歌手として活躍
- 小錦の身長や体重
- 小錦の結婚歴① 元嫁はモデルの塩田すみか
- 小錦と元嫁・塩田すみかの離婚原因は個人事務所をめぐる経営トラブル
- 小錦と元嫁・塩田すみかの間には子供はいない
- 小錦の結婚歴② 2004年に再婚した一般女性の飯島千絵さん
- 小錦と再婚した飯島千絵さんとの間にも子供はおらずその理由も話題に
- 小錦はゴールデンレトリバーを本当の子供同様に可愛がっている
- 小錦は妻の飯島千絵さんからの腎臓移植を受けて腎不全を克服
- 小錦に「死因」というワードが関連づけられた原因
- 小錦の現在① 「にほんごであそぼ」のコニちゃんは2023年に卒業
- 小錦の現在② 妻の飯島千絵さんとの音楽活動
- 小錦の現在③ 社会貢献や相撲文化の海外普及活動にも熱心
- 小錦の現在④ 腎臓移植の経験を活かしてアンバサダーとしても活動
- まとめ
小錦は元大相撲の大関で引退後はタレントや歌手として活躍
小錦のプロフィール
出生名 :サレバ・ファウリ・アティサノエ
本名 :小錦八十吉(こにしき・やそきち)
生年月日:1963年12月31日
出身地 :ハワイ州ホノルル
身長 :187cm(現役時代の公称データ)
体重 :275kg(現役時代の公称データ)
血液型 :AB型
別名義 :コニちゃん、KONISHIKIなど
小錦(こにしき)さんは、1980年代から1990年代終わりにかけて大相撲で活躍した力士で、現在は歌手やタレントとして人気を得ています。
小錦さんはその規格外の身長と体重を武器に、外国出身力士として大相撲史上初となる大関昇進を果たし、現役時代は「黒船」、「ダンプトラック」などの異名でも呼ばれた大相撲界の伝説の1人です。
相撲界を席巻した圧倒的な強さとは裏腹に愛嬌のある明るい性格で知られ、現役時代から相撲ファンのみならず国民からも親しまれる存在でした。
そんな小錦さんは大相撲を引退後はそのキャラクターを活かして、引退後はタレントや歌手としても活動し現在も活動されています。
ここでは、そんな小錦さんについて、代名詞ともいえる規格外の身長や体重、2度の結婚歴、最初の妻である元嫁・塩田すみかさんとの離婚とその原因、そして運命的な再婚相手となった現在の妻・飯島千絵さんとの深い絆と子供がいない理由。妻かの腎臓移植や死因の噂、現在の活動などに焦点を当てて詳しく紹介していきます。
小錦の身長や体重

小錦さんの力士時代の代名詞はその規格外の巨体でした。
関取時代に公開されていた身長は「187cm」でしたが、現在の公式プロフィールでは「184cm」と記載されており、現在の身長はこちらである可能性が高そうです。
一方、小錦さんの力士時代の自己最高体重は「285kg」にも達し、大相撲の公式データでも体重は「275kg」とされ、これは当時の角界の史上最高体重であり、そのインパクトは日本中に衝撃を与えました。
この巨体から繰り出される突きや押しは凄まじく、これが「ダンプトラック」の異名で呼ばれるきっかけとなり、海外から日本の相撲界に現れ、圧倒的な力で相手の力士をなぎ倒していく姿は、江戸幕府を開国させた「黒船来航」にも喩えられました。
一方で、この体重による膝や腰への負担は計り知れず、現役時代は常に怪我との戦いを強いられました。
1997年11月場所を最後に力士を引退した小錦さんはタレントに転身しましたが、その体重は依然として健康上の大きなリスクでした。
小錦さんは自身の健康のため、2008年に胃を小さくする「ガストリックバイパス手術(胃縮小手術)」に踏み切りました。この手術は劇的な効果をもたらし、一時は303kgにまで増加していたという体重から130kg以上の減量に成功し、その後も余った皮膚20kg分以上の皮膚切除手術を行うなど、引退後の小錦さんの日々は、現役時代に相手に勝つために作り上げた巨大な肉体との長い闘いの連続でした。
後述しますが、小錦さんは2024年12月に腎臓移植手術を受けた後の会見の場で、現在の体重が「154kg」前後である事を明かしています。この後は自然と体重が減っていくとも話していたため、2025年9月の現在はもう少し体重が減っているかも知れません。
現在の体重は154キロ前後。「手術の後なので、薬によって変化する。この後、自然と減っていくと思う」と話した。
小錦の結婚歴① 元嫁はモデルの塩田すみか

出典:https://mainichigossip.com/
小錦さんには2度の結婚歴があり、1度目の結婚の相手とは離婚しています。
小錦さんの1度目の結婚は1992年2月で、相手はファッションモデルとして活躍していた塩田すみか(本名・塩田寿美歌)さんでした。
当時の報道によると、1987年8月に札幌で開催された夏巡業で知り合ったのが馴れ初めとなったようです。当時の角界のスターと人気モデルの結婚は世間の大きな注目を集めました。
この結婚で、小錦さんは塩田さんの籍に入り、本名は「塩田八十吉」になりました。
小錦と元嫁・塩田すみかの離婚原因は個人事務所をめぐる経営トラブル
華やかに報じられた小錦さんと塩田すみかさんとの結婚でしたが、長くは続かず、8年後の2000年に離婚が発表されました。
小錦さんと塩田すみかさんの離婚は電撃的に報じられ、離婚原因についても多くの憶測が飛んでいました。
離婚原因は公式には特に発表されていませんが、写真週刊誌「フライデー」(2000年12月15日発売号)が報じたところによれば、小錦さんの個人事務所の経営をめぐる何らかのトラブルが離婚の原因になったのではないかと見られています。
当時、小錦さんの個人事務所の代表取締役は、塩田すみかさんが務めていましたが、塩田すみかさんの兄の塩田英史さんが事務所に入り、続いて父親の慧一さんが役員に就いた事で何か揉め事が起こったとされています。
ただし、これはフライデーが報じているのみで、はっきりした離婚原因は明かされていません。
小錦さんの元嫁となった塩田すみかさんですが、離婚後に芸能界に復帰するという事もなく、その後は公の場には1度も姿を見せていません。現在の塩田すみかさんの活動や生活については情報がなく、静かに暮らしていると見られています。
小錦と元嫁・塩田すみかの間には子供はいない
小錦さんと元嫁の塩田すみかさんとの間には子供はいません。
小錦さんは元嫁の塩田すみかさんと結婚をした当初に「野球チームがつくれるくらい子供が欲しい」とも話していましたが、実際には子供には恵まれませんでした。
この事から、一時は離婚原因は子供ができなかったためではとの説も出ていました。
小錦の結婚歴② 2004年に再婚した一般女性の飯島千絵さん
小錦の再婚相手で現在の妻・飯島千絵さんのプロフィール
本名 :小錦千絵
生年月日:1976年1月7日
出身地 :東京都台東区
身長 :166cm
血液型 :AB型
小錦さんは2004年に一般の女性の飯島千絵さんという方と再婚されています。
小錦さんの再婚相手で現在の妻である飯島千絵さんは、舞台芸術学院のミュージカル科を卒業後、女優や歌手として活動していた方ですが、小錦さんと知り合った2000年9月には東洋医学治療院「赤ひげ堂」で受付のアルバイトをされていました。
小錦と再婚相手・飯島千絵さんの馴れ初めと結婚

小錦さんと再婚相手の飯島千絵さんの馴れ初めについても見ていきます。
小錦さんは元嫁の塩田すみかさんと離婚したばかりだった2000年9月、現役時代に痛めた膝や腰の治療のために訪れた東洋医学治療院「赤ひげ堂」を訪れた際、そこで受付のアルバイトをしていたのが飯島千絵さんでした。
1976年1月7日、東京都台東区生まれの千絵さん(49)が、のちに夫となるタレント・KONISHIKI(61)と知り合ったのは、2000年9月、24歳のときのこと。
「私がアルバイトしていた代々木の東洋医学治療院『赤ひげ堂』に、治療に来ていたのが彼です。
当時、塩田すみかさんと離婚したばかりで傷心だったという小錦さんは、飯島千絵さんの美しさに一目惚れし、初対面にもかかわらず冗談半分で「結婚してください」とプロポーズしたのだとか。
一方の飯島千絵さんは、前年に父親を病気で亡くしており、13歳年上だった小錦さんが「頼りがいのありそうな男性」として魅力的に感じたといいます。
その後、何度か顔を合わせるうちにデートに誘われたのだそうです。
私はその前年、浅草橋で卸売業を営んでいた父を肝硬変と腎不全で、59歳で亡くしていました」13歳上の小錦さんは、体も心もおおらかで、「頼りがいありそうな男性に映った」と千絵さん。治療院で何度か顔を合わせているうちに、食事に誘われた。初デートは映画館だったという。
その後、友人を経て交際に発展し、出会いから4年目の2004年に再婚されています。

小錦さんとの結婚後、飯島千絵さんは「TAUPOU(タウポウ)」という名義でアーティスト活動を開始し、KONISIHIKIの名義で音楽活動をしていた小錦さんのバックコーラスを務めたり、ソロアルバムをリリースしたりと、音楽活動を通じて夫婦の絆を深めました。
さらに、飯島千絵さんは小錦さんの個人事務所である「株式会社KP」の代表取締役にも就任し、公私にわたって小錦さんを支える存在になりました。
小錦と再婚した飯島千絵さんとの間にも子供はおらずその理由も話題に

出典:https://www.suganuma-yakkyoku.com/
小錦さんと再婚相手の飯島千絵さんとの間にも子供はいません。
小錦さんは子供がいない理由について、「週刊ポスト」(2010年9月10日号)で、精子がいない「無精子症」であることを告白しました。
妻の飯島千絵さんは小錦さんが子供を切望している事を知っていたため、一緒に涙を流したといいます。
僕はEDではないので、精子を出して調べてもらったら、医者は「精子がいない」って……すごいショックだった。でも、僕以上に落ち込んでいたのは奥さん。医者の説明を聞く間、ずっと涙が止まらなかった。彼女は僕が子供を切望していたことを、誰よりも知っているからね。
精子がいない原因について、医者はわからないといっていた。
精子がいない原因は診断した医師にもわからないと言われたそうなのですが、小錦さん本人は現役時代、炎症を起こしやすい体質から何度も40度以上の高熱を出した事や、そのために痛み止めの薬を所定の何倍も飲んだり、怪我をする度にレントゲンと撮った事が影響したのではないかと推測されていました。
子供を授かる事ができないという現実は、小錦さんと飯島千絵さんにとって大きな試練だったと思われますが、2人の絆が揺らぐ事はなかったようです。飯島千絵さんは夫の状況を受け入れ、2人で前を向いて歩む事を決意されたようです。
小錦さんは2017年1月23日の朝日新聞で男性の不妊についてのインタビューを受けており、その際に、「不妊の原因の半分は男性にある。検査を受けることを恥ずかしがることはない」と語り、自らの経験を公にする事で、同じ悩みを抱える男性たちにエールを送られています。
小錦はゴールデンレトリバーを本当の子供同様に可愛がっている

子供には恵まれなかった小錦さんと現在の妻の飯島千絵さんですが、2頭のゴールデンレトリバーを家族として迎えており、本当の子供のように可愛がられているようです。
小錦さんは愛犬たちを「僕の息子たち」と呼び、夫婦で深い愛情を注がれています。
僕の息子たちファラとパニですよーファラ5回月ですよーパニ8歳ですよー pic.twitter.com/gG6no9fsTZ
— KONISHIKI 小錦 (@KonishikisWORLD) June 12, 2022
小錦は妻の飯島千絵さんからの腎臓移植を受けて腎不全を克服

小錦さんの力士引退後のタレント活動は順風満帆に見えましたが、長年の過度な体重がもたらした身体への負担と糖尿病などが複合的に絡み合って腎臓機能が徐々に悪化し、2024年に倒れいて緊急入院し「腎不全」と診断されました。
病状が深刻化する中で、医師から最終的な治療法として提案されたのが「腎臓移植」でした。この時、ドナーとして真っ先に名乗りを上げたのが妻の飯島千絵さんでした。
飯島千絵さんは愛する夫である小錦さんの命を救うため、自身の2つある腎臓のうち1つを提供する事を迷いなく決断されたそうです。
この決断の裏には、同じく妻から腎臓移植を受けた元横綱・武蔵丸夫妻のアドバイスを受けて、励まされた事もあったようです。
小錦さん:移植の決断ができたのは、元横綱・武蔵丸関と奥さまの存在が大きかったです。武蔵丸関も何年か前に奥さまの腎臓を移植していて。奥さまが私の悩みをたくさん聞いて、励ましてくれました。何より心強かったのが「私もやっぱり不安があったし、母親が反対していたけど、『移植してもドナーは全然、大丈夫だよ』ってお医者さんに聞いていたから。
2024年12月に、小錦さんと飯島千絵さん夫婦は生体腎移植手術に臨み、6時間にも及んだ大手術は無事に成功しました。
小錦さんは腎臓移植手術後、病院での退院会見にて、目に涙を浮かべながら妻への感謝の言葉を述べ「(妻が)今、体の中にいる」、「おかげさまで99.9歳まで生きられる」と語っています。
その隣で飯島千絵さんは「腎臓あげちゃったんで、クリスマスは何もあげられない」と笑顔で語り、会見場を和ませました。
小錦に「死因」というワードが関連づけられた原因

小錦さんの検索の関連ワードに「死因」という言葉があるようです。
小錦さんは現在も元気にされているため、死因というワードが関連づけられている理由は不明です。
ただ、小錦さんが腎臓移植手術が大きく報じられるなどしたため、体調面が心配されるあまり死因というワードが関連づけられた可能性はあります。
また、同じくハワイ出身の元大相撲力士で第64代横綱である曙さんが2024年4月6日に54歳という若さで亡くなったため、その死去が混同されて死因というワードが関連づけられた可能性はあります。曙さんの死因は「心不全」と発表されています。
小錦の現在① 「にほんごであそぼ」のコニちゃんは2023年に卒業

小錦さんは、NHK Eテレの子供向け番組「にほんごであそぼ」に、放送開始当初の2003年から「コニちゃん」として長年レギュラー出演し、子供たちから絶大な人気を獲得し、陽気なキャラクターが番組に欠かせない存在でした。
「コニちゃん」は、小錦さんのタレント活動の中でも最もよく知られているキャラクターでしたが、2023年に番組を卒業されています。
20年間日本語であそぼう今月でコニちゃんaka小錦八十吉番組を卒業します20年間どもありがとうございました😭😭心から本当に感謝とありがとうございました♪#konishiki #konichan #sumo #narotv #nhk #tvprogram #kids #theend #sumoandsushi #japan #language #rikishi #actor #childrenactors #tvkids pic.twitter.com/JFESGQPzmB
— KONISHIKI 小錦 (@KonishikisWORLD) March 31, 2023
小錦の現在② 妻の飯島千絵さんとの音楽活動

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小錦さんは現在はミュージシャンとしても活動されています。妻の飯島千絵さんとハワイアンライブを全国各地で開催し、歌手としてこれまでに何枚もアルバムをリリースしています。
直近では、2022年に小錦八十吉&千絵の夫婦名義での第2弾シングル「感謝、ありがとう」をリリースしています。
小錦の現在③ 社会貢献や相撲文化の海外普及活動にも熱心

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小錦さんは社会貢献活動にも極めて熱心です。
1997年に私財を投じて「KONISHIKI基金」を設立し、ハワイの恵まれない子供たちを日本に招待して文化交流の機会を提供する活動を長年続けられています。
また、東日本大震災や熊本自身の際には、いち早く被災地に駆けつけて炊き出しを行うなど、その行動力と温かい人柄は多くの人々を勇気づけています。
現在も小錦さんはこうした活動に力を注がれており、直近ではマウイ島で発生した大規模な山火事の支援活動を実施されています。
また、自身の経験を活かして、相撲の海外普及にも情熱を注がれています。
小錦の現在④ 腎臓移植の経験を活かしてアンバサダーとしても活動
小錦さんは妻の飯島千絵さんからの腎臓移植手術を受けました。
小錦さんはこの腎臓移植の経験を活かして、腎臓病のアンバサダーとしての役割を担うようになっています。自らの経験を語る事で、病気の早期発見の重要性やドナー提供という選択肢がある事を社会に伝え、同じ病に苦しむ人々を励ます活動に取り組まれています。
まとめ
今回は、元大関の小錦さんについてまとめてみました。
小錦さんの人生は力士としての栄光と2度の結婚歴、離婚と再婚、子供に恵まれなかった苦悩、そして腎不全での生命の危機と腎臓移植と、まさに波乱万丈そのものです。
小錦さんは規格外の身長と体重で、初の外国出身歴史での大関昇進を果たしたレジェンドで、角界の歴史を動かしたパイオニアでした。
プライベートでは、元嫁の塩田すみかさんとの離婚という私生活での試練を経て、再婚相手の飯島千絵さんという生涯のパートナーと出会いました。
子供がいないという現実を受け入れて、愛犬たちを子供のように可愛がり幸せな家族の形を築かれています。
また、腎臓移植という壮絶な経験は夫婦の愛の深さを示し、多くの人々に感動と生きる勇気を与えました。
小錦さんにはなぜか「死因」というワードが関連づけられていますが、彼がそれだけ多くの人々の記憶刻まれる、唯一無二の存在である事の証左と言えるかもしれません。
現在、小錦さんはタレントや歌手、社会貢献活動など幅広く活躍されています。




















