芸能界は華やかな世界。そんな華やかな世界にいる芸能人は介護とは無縁と思っていませんか?芸能人でもしっかり家族の介護をしている人がいます。
高橋里華さんのプロフィールや生い立ちと経歴、若い頃のかわいい画像、ヒロミとの共演や結婚や旦那・子供について、壮絶介護と現在をまとめました。
この記事の目次
高橋里華は元CM女王&壮絶介護
出典:youtube.com
高橋里華
生年月日:1972年3月18日
出身:埼玉県上尾市
身長:164cm
血液型:A型
活動:タレント、女優、歌手
高橋里華さんは埼玉県出身のタレント・女優です。1987年の第1回全日本国民的美少女コンテストをきっかけに芸能界入りし、CM女王になるほど人気でしたが、結婚を機に芸能活動をほぼ休止しました。
結婚後は祖父母・義父母の介護に追われ、義父の介護をYouTubeやブログで積極的に発信するようになり、再度注目を集めるようになりました。
高橋里華の生い立ちと母との確執
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高橋里華さんは1972年に埼玉県上尾市で生まれました。この時、母親は20歳でした。
その翌年には妹が生まれましたが、父親がギャンブル依存症で多額の借金があったために、すぐに離婚しています。
その後はシングルマザーとして、高橋里華さんと妹を育てます。母親は1人で2人の娘を育てるために、昼も夜も働いていたこともあり、高橋里華さんはおばあちゃん子になっていきます。それと同時に、母親とは心の距離ができて、毎日気を遣っていたそうです。
おばあちゃん子だった私は
母と過ごす時間より、
圧倒的に祖母といる時間が長かった。
子供の頃から母親と心の距離はありましたが、高橋里華さんが芸能界で働き出すと、さらに確執は深くなりました。確執が深くなったことで、高橋里華さんの結婚式には母親は出席しなかったとのこと。
理由はよくわからないが、
母から拒絶され
私と母が疎遠になっていた頃です。
なので母は出席せず。
娘の結婚式に出席しなかったなんて、本当に母親との確執は深かったのでしょう。芸能界で華々しく活躍する娘を疎ましく思ってしまったり、幸せな結婚式を挙げる娘に嫉妬してしまったりしたのかもしれません。
高橋里華の経歴
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デビューのきっかけ
高橋里華さんは子供のころから歌が好きで歌手になるのが夢でした。母親の手助けをしたいという思いで、15歳の時に雑誌で見つけた1987年の「第1回全日本国民的美少女コンテスト」の募集を見つけて応募しました。
母親は反対しましたが、何とか説得して出場することになったんです。
この第1回全日本国民的美少女コンテストでは、女優の藤谷美和子さんがグランプリで、高橋里華さんは入賞でした。この入賞をきっかけに、芸能界デビューが決まりました。
高校生の時にデビューをした高橋里華さんは、ほとんど高校に行けないほど毎日ドラマやCM、雑誌の撮影やオーディションなど忙しく働きます。祖父母と高校の先生のサポートもあり、高校はなんとか卒業することができました。
CM女王と芸能界引退
高橋里華さんは5年間で60本ものCMに出演し、CMクイーンとなります。
・小林製薬
・P&G
・エプソン
・イオン
・エースコック
・三菱自動車
・トヨタ
・ジョンソン&ジョンソン
・リクルート
・ヤマハ
これらの企業名を見れば、一流企業のCMが多いことがわかります。鹿児島銀行のCMに出演した時には、大きな反響があったのこと。
インパクトのあるキャッチコピーを見て、「うちの息子のお嫁さんに!」「高橋さんは、どこの窓口にいらっしゃるんですか!?」という声が銀行に殺到したと聞きました。
また、ドラマやバラエティ番組にも出演し、1995年2月に「絶対に逢いたくなる」で夢だったCDデビューを果たしました。1995年~1997年まで4枚のシングル、1枚のアルバムを発売しています。
2000年代に入ると、芸能活動を積極的に行わなくなり、30歳で芸能界をほぼ引退しました。
高橋さん:30歳を目前にして、「芸能界でバリバリ働き続けるのは、体力的にも精神的にもしんどいな」と感じるようになって。デビューして15年、さまざまな経験をさせていただいて「やりきった」と思えたのも理由のひとつです。
日常生活にあまり影響がないCMや広告撮影などは行っていましたが、以前のようにメディアに出演することはありませんでした。
高橋里華の若い頃がかわいい
高橋里華さんは、第1回全日本国民的美少女コンテストに応募し入賞しました。この時のグランプリは藤谷美和子さん。その後も国民的美少女コンテストは17回開催されていて、芸能界の登竜門と言われています。
この全日本国民的美少女コンテストをきっかけに芸能界デビューをした高橋里華さんは、問答無用にかわいかったんです。
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爽やかな雰囲気で、CM女王になるのも納得ですよね。これだけかわいいなら、CMに出演して「うちの息子の嫁に」と言われるのも当然のことかもしれません。
高橋里華はヒロミと共演していた
高橋里華さんというと、CMクイーンのイメージが強いと思います。5年間で60社というCM契約本数はインパクトが強いですから。ただ、CMだけでなく、バラエティ番組にも意外と積極的に出演していたんです。
そして、大物芸能人・お笑い芸人と共演していました。高橋里華さんのバラエティ番組の代表作は「小園総研」でしょう。
小園総研とは1995年4月から1996年3月まで日本テレビ系列で放送されていた深夜枠のバラエティ番組です。この出演陣はとても豪華だったんです!
・ヒロミ
・大竹一樹(バカルディ)
・三村マサカズ(バカルディ)
・ウド鈴木(キャイ〜ン)
・天野ひろゆき(キャイ〜ン)
・高橋里華
バカルディはさまぁ~ずの改名前のコンビ名ですね。ヒロミさん、さまぁ~ず、キャイ~ンと一緒にバラエティ番組をやっていたなんて、高橋里華さんはバラエティの才能があったのかもしれません。また、この「小園総研」ではエンディングテーマに高橋里華さんの楽曲を使っていました。
高橋里華さんは、この小園総研の後継番組である「ろみひー」にも少し出演していましたので、メインMCのヒロミさんに気に入らっていたのかもしれません。
高橋里華の結婚や旦那
2006年に結婚
高橋里華さんは2006年11月に結婚しました。25歳から交際して、34歳での結婚ですから、約10年の交際を経ての結婚です。
旦那さんは一般男性の方でバンドマンをしていて、その後はCMディレクターとして働き、映像制作及びタレントマネジメント業の会社を立ち上げて経営しています。
馴れ初めは高橋里華の一目惚れ
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高橋里華さんと旦那さんの馴れ初めは、音楽番組の「電リク!BeatBox」です。「電リク!BeatBox」は、1997年~1998年にMXテレビで放送されていた音楽番組で、米米クラブのBONさんとMATAROと共に、高橋里華さんが月曜日のMCを務めていました。
旦那さんは、1990年代は「Cool Jam」というバンドのリーダー兼ベースをしていました。それで高橋里華さんが出演していた「電リク!BeatBox」に「Cool Jam」がゲスト出演したのです。
そして、高橋里華さんが旦那さんに一目ぼれしました。そして、その日のうちに高橋里華さんは、旦那さんに猛アタックを開始します。
それまでひと目ぼれしたことなんてなかったのに、夫と出会った瞬間「この人すごく素敵かも」と好きになってしまって。その日からさっそく、猛アタックしました(笑)。
とても積極的ですよね。
夫のバンド仲間が、「高橋里華からアタックされてるの?」「食事でも行っておいでよ!」と、あと押ししてくれたおかげで、25歳ころからおつき合いが始まりました。
高橋里華さんほどの美人から積極的にアプローチされたら、嬉しくない男性はいないはずです。旦那さんも恐らくそうだったのでしょう。それで、交際が始まり、2006年に結婚しています。
旦那は会社経営で夫婦円満
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結婚したのは2006年ですが、その前から旦那さんのご両親のサポートをしていました。
高橋里華さん曰く、「当時は結婚を考えていなかった」とのことですが、30歳で芸能界を引退してからすぐに、旦那さんのご両親のサポートをしていましたので、結婚することは自然の成り行きだったものと思われます。
2006年に結婚して、2024年で結婚18年になりますが、高橋里華さん夫婦の関係性は良好のようです。
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こちらは2024年の結婚記念日に家族でサムギョプサルを食べに行った時の写真ですが、結婚18周年で夫婦2人で、子供たちの前でこのようなポーズを取れるのは、夫婦円満の証拠ですよね。それにしても、この写真だけでとても仲が良いことがわかりますし、お似合いの夫婦であることがわかります。
旦那さんは「超イケメン!」というわけではありませんが、素敵な年齢の重ね方をしている「イケオジ」ですね。
高橋里華の子供は2人:長女&次女
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高橋里華さんには子供が2人います。
・2010年:長女誕生
・2013年:次女誕生
長女は2024年で中学2年生、次女は小学5年生になります。長女は中学校に入学してから、不登校になってしまい、高橋里華さんはいろいろと悩んでいました。
入学してからすぐに不登校になり、5月の運動会をきっかけに夏休みまでは登校したものの、また不登校になってしまいました。
その後、中学2年生になってからは学校に通っているようす。来年は高校受験ですが、部活と制服を重視して、普通科の全日制を選択する予定とのことです。
高橋里華の介護人生①:祖父母を介護
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高橋里華さんは30歳になり芸能界をほぼ引退して、CMや広告の仕事だけをしている状態で、旦那さんと結婚しました。そして、その後すぐに介護をすることになりました。
祖母の介護
最初の介護は高橋里華さんの実の祖父母です。結婚直後に糖尿病の持病があった祖母が倒れ、介護が必要な状態になりました。祖父も高齢で、母親や妹は自身の仕事があったために、片道1時間半から2時間かけて、東京の自宅から埼玉の実家まで通い、介護を続けました。
高橋さん:祖母は、人工透析や食事管理が必要だったので週5日、実家に通って介護していました。夫には「申し訳ないな…」と思いながら、おかずを3~4日分作り置きしていましたね。
この時、高橋里華さんは新婚でしたが、旦那さんは「自分のことは自分でできるから、おばあちゃんの介護をしてあげて」と理解してくれたそうです。
祖父の介護
祖母が入院すると、今度は祖父が大腸がんを発症し、さらに高齢者うつで果物ナイフを持って自殺未遂をしたこともありました。喉元に果物ナイフを突きつけて自殺しようとしている祖父を発見したこともあります。
その後、祖父は大腸がんが悪化して亡くなりました。祖母は2013年に亡くなっています。
高橋里華の介護人生②:義父・義母を亡くなるまで介護
実の祖父母の介護が終わると、今度は旦那さんの両親の介護をすることになりました。結婚前から義父母のサポートをしていましたが、2011年の東日本大震災をきっかけに旦那さんからの提案で、同居をするようになりました。
高橋里華さんは2010年に長女を出産したばかりの頃でした。
同居はうまくいかず家出をしたことも
同居する前は義父母との関係性は良好でしたが、同居してみると義父の潔癖症&義母の料理へのこだわりで高橋里華さんはストレスを感じるようになります。
長女が2歳で育児が大変だったこともあり、一度は家出をして実家に帰ったこともあったのだとか。
それはそれは大変でした。ジイジは潔癖、バアバは年中着物姿でいる古風なタイプで料理が上手。あまりのプレッシャーのため、同居から1年後、2週間ほど長女と一緒に実家に帰ったこともありました
しかし、考え方を変えて、掃除と料理を義父母に教わるようになり、関係性は好転しました。高橋里華さんは本当に前向きな考え方の持ち主なんですね。
そのまま義父母の介護に突入
義母は肝硬変を患い、2015年ごろから介護生活が始まります。そして、2017年に義母が他界すると、今度は義父の認知症が悪化して、再び介護生活になりました。
脳神経外科ではレビー型認知症と診断された。その後悪化していったのは、肝硬変を患っていた義母が’17年に他界したころからだ。
TBSの「爆報! THE フライデー」で高橋里華さんの介護生活が取り上げられたこともあり、「高橋里華の介護らいふ」というYouTubeチャンネルを2020年に開設して、介護生活を積極的に発信するようになりました。
Amebaブログでも「高橋里華の介護らいふ」というブログを立ち上げ、2021年には介護生活をまとめた「じいじ、最期まで看るからね」という本を出版しています。
義父は2013年に93歳で亡くなりました。
高橋里華の現在
高橋里華さんは2023年に義父を看取ってからは、直接的な介護は行っていません。
ただ、母親は2014年に大腸がんと膵臓がんを発症し、施設に入所しています。また、母親の再婚相手である父親(高橋里華さんにとっては義理の父親)も高齢になっているので、いろいろと身の回りの世話をしているようです。
顔にやけどを負う
2024年11月には、高橋里華さんは顔にやけどを負っています。チーズボールを揚げていたら爆発して、油が顔や腕にかかってしまったとのこと。
水で冷やしながらも、『あぁ、残りのチーズボール揚げないと!』と結局はチーズボールを揚げたとのこと。主婦魂がすごいですね。
顔にガーゼを貼り、かなりひどい状態だったようですが、皮膚科を受診して、少しずつ治ってきているようです。
高橋里華のまとめ
高橋里華さんのプロフィールや生い立ち・母親との確執、経歴と若い頃のかわいい画像、ヒロミさんとの共演、結婚した旦那や子供(長女・次女)と祖父母や義父を亡くなるまで介護した経験や現在をまとめました。
義父母の介護をここまで献身的にできるのは、本当にすごいですね。