裕木奈江さんは若手女優時代に「女性に嫌われるオンナ」として、バッシングを受けていた過去もあります。
裕木奈江さんのバッシング原因や秋元康さんとの枕疑惑、また結婚・離婚した旦那や子供の有無まで総まとめしました。
この記事の目次
裕木奈江のプロフィール
名前:裕木奈江(ゆうき なえ)
出身地:神奈川県横浜市瀬谷区
生年月日:1970年5月12日
身長:159cm
学歴:神奈川県立横浜旭陵高等学校卒業
所属事務所:株式会社テックスエージェンシー
国際派女優として有名になった裕木奈江さんですが、日本においても1990年代にかなりの活躍をした人物です。1990年代の裕木奈江さんは、ドラマや映画に引っ張りだこなうえ、歌手活動までしていた時期があるというマルチぶりでした。
そんな裕木さんの日本時代の代表作に関しては、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」と映画「学校」などが挙げられます。特に「学校」は、裕木さんが日本アカデミー賞の新人俳優賞と優秀助演女優賞を獲得した作品であり、裕木さんにとっては記念すべき作品となりました。
その後、2006年に公開された日米合作映画の「硫黄島からの手紙」に出演したことをきっかけに、海外映画にも進出し始めた裕木さん。以降は、「インランド・エンパイア」や「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」といった海外映画などに出演し、国際派女優としての地位を確立して行きます。
2017年には、28年ぶりに復活した米人気ドラマ「ツインピークス The Return」に出演するなど、海外での裕木さんの評価は高まる一方となっております。
裕木奈江にバッシングの過去!女性から嫌われる存在だった?
若き日の裕木奈江さん。
女優としてデビューしたものの、アイドル的人気が出たことで後から歌手デビューしてみたりと、男性に好かれるタイプの女性だったことは確かなようです。
裕木奈江さんといえば、かつては「女性に嫌われるオンナ」として有名でした。
裕木の人気が頂点に達したといえのは「北の国から92巣立ち」の翌年に出演した「ポケベルが鳴らなくて」だ。
主人公である男性(緒形拳)の娘の友人でありながら、彼と不倫関係になるという役柄。この役柄は明らかな恨まれ役であり、人気が上がった一方で「裕木奈江が気に食わない」というバッシング記事が頻繁に載るようになった。
裕木さんが女性に嫌われた原因は、上記記事の通り、1993年に出演したドラマ「ポケベルが鳴らなくて」にて、ヒロイン・保坂育未を演じたためです。
ドラマ放映後の裕木さんですが、「生理的に気に入らない」と女性たちにロックオンされた被害は大きく、週刊誌などにバッシング記事が定期的に乗る憂き目にあいました。
そのため、中高年の方にとって裕木さんといえば、「オヤジ殺し」や「魔性の女」という印象が強いことだと思われます。
昔はドラマの役柄が原因で女性に嫌われることが多かった?
黒目がウルウルとした子犬顔だったせいか、「ぶりっ子」として女性から叩かれることも多かった若き日の裕木奈江さん。
一時期アイドル歌手活動をやっていたことも、女性からそういったイメージを持たれた原因だったのかもしれませんね。
1990年代は、現在と違いドラマ人気黄金期であり、ドラマが一般社会のトレンドの発生源となっていました。そのため、役者のドラマでの役柄と現実での人柄を同一視してしまう人間が多かった時代でした。
裕木奈江さんと同じように、ドラマで演じた「嫌な女役」で女性から嫌われた女優には、有森也実(なりみ)さんがいます。
1991年に出演したドラマ「東京ラブストーリー」にて、主人公・赤名リカの恋人を寝取ろうとする関口さとみを演じた有森さんは、脅迫状まで送りつけられる被害にあいました。
今となっては信じられない話ではありますが、そのくらいテレビの影響力が強かった時代もあったということになります。
裕木奈江がバッシングされた背景には黒い噂もある?
裕木奈江さんのいかにも男性受けの良い魅力的な容姿が、このような噂の発生原因になってしまったのでしょうね。
裕木奈江さんが、1990年代から1990年代中盤にかけて、週刊誌などからバッシングを受けた原因には、前述の一般論の他に黒い噂も存在しています。
芸能界といえば、ネット上に流れる都市伝説的な黒い噂が多い世界です。裕木さんのケースでは、「とある大物業界人からの枕営業の誘いを断ったせいで、週刊誌からバッシングを受けて干された」という噂があります。
その噂の中では、裕木さんに枕営業をもちかけた大物業界人は、プロデューサーの秋元康さんだったと言われております。
裕木奈江の黒い噂の検証!「裕木奈江が干された説」はデマだった?
1990年代全般にかけて、売れっ子女優だった裕木奈江さんですが、ネット上では何故か干された扱いをされる羽目になっています。
裕木奈江さんの黒い噂、「枕営業を断ってバッシングされて干された」説ですが、実はデマであることが濃厚です。
ネット上の噂では、1993年に秋元康さんからの枕営業の誘いを断ったために、週刊誌からバッシングされて干されたことになっている裕木さん。
しかし、現実の裕木さんは、1990年代を通してドラマや映画、CMの仕事が途切れたことはなく、よくよく知らべてみると干された事実はなかったりします。
1994年の裕木さんは、ドラマ「くろしおの恋人たち」に主演した他、ドラマ「陽のあたる場所 」でもヒロイン役を演じているという、相変わらずの売れっ子ぶりを披露しています。
続く1995年も、裕木さんは、ドラマ「うちの母ですが…」で主要キャストを務めた他、「日本一短い『母』への手紙」や「サラリーマン専科」といった映画に出演しており、好調な仕事ぶりだったと言えます。
さらには、ヤマト運輸のCMが1993年から1998年まで継続していたりと、1990年代の裕木さんは、仕事面ではかなり充実した日々を送っていたことが伺えます。
20代後半あたりからは、年齢的な問題で主要キャストから脇にシフトした感のある裕木さんですが、2000年代中盤くらいまでは、日本でのドラマや映画の仕事が途切れていなかったというのが実際の話となります。
正直な話、1990年代当時の裕木さん自身も、自分が干されてしまったという認識はなかったようです。それどころか、「仕事が忙しすぎて、自分が週刊誌などからバッシングされていたことすら知らなかった」というエピソードがあったりします。
秋元康は何故迷惑な噂を流されたのか?
1990年代は、「プロデュースした女性に手を付ける行為」の常連だった小室哲哉さんなどがいたことも、秋元康さんにまであらぬ疑いが飛び火した原因なのかもしれませんね。
完全に濡れ衣と言い切っても良いレベルの噂を流された秋元康さんですが、仕事面で裕木奈江さんと関わる機会があったことが、不幸の始まりとなりました。
秋元さんは、裕木さんがバッシングを受けるきっかけとなったドラマ「ポケベルが鳴らなくて」の企画を担当していた他、裕木さんの2ndシングルから4thシングルの作詞も担当していました。
そのため、裕木さんが週刊誌からバッシングを受け始めた時期に仕事に関わっていた大物として、ネット上で陰謀論の黒幕に連想されてしまったのかもしれませんね。
また、かつてプロデューサーを務めていた「おニャン子クラブ」の高井麻巳子さんと、1988年に結婚していたりもする秋元さん。
形式上は、「商品に手を付けてしまった」過去があったことも、秋元さんがこのような噂を立てられやすい理由なのでしょうね。
裕木奈江は結婚していた!旦那はヘアメークアーティストで略奪婚?
裕木奈江さんをバッシングしていた女性たちの「嗅覚」は、案外正しかったというオチなのかもしれませんね。
現在47歳となる裕木奈江さんですが、結婚経験はあります。
具体的には、1999年にヘアメイクアーティストの男性・Aさんと結婚をした裕木さんは、Aさんの仕事の都合でLAに移住しています。
2人の馴れ初めに関しては、裕木さんは、不倫の末にAさんを略奪婚したという話です。
99年ヘアヌード写真集を発売するが、スタッフだったヘアメークアーティストと略奪婚。そのため女たちから「やっぱりね」とまたもやバッシングを受け、彼女は夫と共に渡米する。
裕木奈江は2009年に離婚しており、子供はいない?
かつては、週刊誌のゴシップネタの常連だった裕木奈江さんですが、渡米後の私生活に関しては、さしもの週刊誌も把握しておらず、謎が多い状況でした。
夫婦揃ってアメリカのLAに移住した後の裕木奈江さんですが、日本での芸能活動は継続していました。
渡米後も映画「光の雨」やドラマ「バブル」などに出演していた裕木さんは、2004年には日本の文化庁の「新進芸術家海外研修制度」を利用して、ギリシャに1年間の国費留学までしています。
その後、日米合作映画「硫黄島からの手紙」への出演をきっかけに、海外映画にも出演するようになった裕木さんは、2009年12月に自身のブログでAさんとの離婚を発表しました。
ちなみに、裕木さんとAさんの間には、子供は産まれていなかったようです。
裕木奈江の現在!スイスに移住して世界中を旅して回っている
セレブ生活ではないですが、趣味人として悠々自適な生活を送っている裕木奈江さん。
裕木奈江さんの現在ですが、世間ではLA在住なイメージがありますが、離婚後はスイスに移住しているようですね。
中年となって以降に写真に目覚めた裕木さんは、仕事がオフの時期は、世界中を旅して回っては、お気に入りの風景をカメラに収めているようですね。
「ギリシャに行った頃から、撮るようになって、いつの間にかはまってしまいました。女優は観られるのが仕事。しかも、自分の好きなようにできるところがあまりない。せりふも決まっているし、髪型や衣装は用意されているし、監督のああして、こうして、という指示に従って。でも、写真は自分の好きなものを被写体にして、好きな角度から好きなように撮ることができる。いろいろ補完し合っているんです」
裕木さんの撮影した写真に関心のある方は、下記の写真共有サイト「Flickr」の裕木さんのアカウントまでアクセスしてください。
まとめ
裕木奈江さん曰く、日本の映画やドラマの仕事に関しても、オファーが有り次第、帰国して撮影したい意思はあるようですよ。
同世代のシングル女性にとっては、理想的な生活を実現していると言える裕木奈江さん。人生、結婚がすべてではないですから、こういう生き方もカッコイイと言えるのは確かでしょうね。
裕木さんの海外でのより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。