山口智子さん、女優になった理由は「実家の旅館を継ぎたくなかったから」と言うように、生い立ちは複雑です。
この記事では山口智子さんの複雑な生い立ちについてまとめてみました。
山口智子のプロフィール
本名:唐澤 智子(からさわ ともこ)
旧姓:山口 智子(やまぐち ともこ)
生年月日:1964年10月20日
出身地:栃木県栃木市
身長:170 cm
血液型:A型
出身中学校:栃木市立栃木西中学校
出身高校:栃木県立栃木女子高等学校
最終学歴:青山学院女子短期大学家政学科
職業:女優、声優、ナビゲーター
ジャンル:テレビドラマ、映画
活動期間:1986年 –
配偶者:唐沢寿明(1995年 – )
事務所:研音
現在は主にドラマ・映画などに出演し女優として活躍。CMや単発のTV出演などのタレント活動もしている。
ドラマ共演で知り合った唐沢寿明と1995年に結婚した。
公式プロフィール
http://www.ken-on.co.jp/artists/yamaguchi
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/山口智子
山口智子の生い立ち
山口智子さんの家族【主な登場人物】
・祖母
・母
・父(祖母の息子)
・3歳下の妹
以下にまとめていますが、山口智子さんの生い立ちは複雑です。
山口智子の実家は老舗旅館「鯉保」
山口智子さんの栃木県内にある実家は江戸時代から続いている老舗旅館「鯉保(こいやす、2005年8月31日廃業)」です。
老舗旅館を経営する両親の長女として生まれた山口智子さん、両親は旅館の経営で忙しく、遊び相手はいつも祖母であったそうです。
山口さんの実家は栃木県内にある老舗旅館です。江戸時代から続く由緒ある旅館です。祖母は夫と死別して女でひとつで旅館をきりもりしてきたそうです。この祖母の息子夫婦の2人姉妹の長女して山口さんは生まれます。
両親が祖母から旅館を引き継いでいたので、毎日多忙の中、子供をかまうこともできず、山口さんは必然的に祖母にそだてられたようなものだといいます。
遊び相手も祖母、寝泊りも祖母と共にしていたぐらい大好きだったようです。祖母にとっては大事な跡継ぎ候補なので大切にそだてていたということもあるようです。
しかし、ある日、異変が…
山口智子の両親の離婚
山口智子の両親が離婚、山口智子は祖母と父のいる旅館を離れ母の実家へ
山口が小学1年生のとき一家に異変が起きる。両親が離婚してしまったのだ。原因は父の女性問題。この時、母は山口と3才年下の妹を連れて、長野の実家へと出戻った。父は何度も母のもとを訪れ、頭を下げたが、彼女が再び旅館に戻ってくることはなかった。
山口智子が祖母と父のいる旅館に戻る。母と妹とは絶縁状態に
山口さんは祖母との別れがつらく、なんと1人で祖母のところに戻ったといいます。祖母が心配をして長野の母のところへ送ったそうですが、山口さんが泣きながら祖母がいいと言い、しがみついて離れなかったそうです。お母様の心境も複雑だったでしょうね。山口さんにしてみれば、忙しくて相手にしてくれなかった母より、おばあちゃんのほうが大好きだったんですね。
結局山口さんは父側が引き取ることとなり、妹さんは母側に残り、この時に母と妹と絶縁状態になったそうです。
山口智子が祖母の養子になる。しかし、祖母の反対を押し切り女優の道へ
山口さんが20歳の時に、山口さんの希望で祖母と養子縁組をし、戸籍上祖母が母となったそうです。この時期にモデルのアルバイトがきっかけで女優を目指すようになり、祖母の反対を押し切って芸能界入りを果たしました。
山口さんは、このときのことを、「仕事を始めたのは家にいたくなかったから。小さい時に祖母や母が苦労している姿を見て育ったので旅館を継ぎたくなかった」、と話しているそうです。
山口智子の父の死とその後
山口智子の父が再婚。しかし、2005年に父が死去し旅館は廃業へ
その後、山口は1995年に唐沢寿明と結婚。しばらく経つと父も再婚し、継母が旅館の女将となり祖母の跡を継いだ。
そして、転機が訪れたのは2005年5月。突然、父が心不全で他界してしまったのだ。
この父の死去により、旅館は廃業してしまいました。
閉鎖されてしまったホテル鯉保(こいやす)のホームページの文章にはこう記載されていました。
この度、諸般の事情により、8月31日をもちまして、ホテル鯉保の営業を終了させて頂くことになりました。
故山口雅平の遺志を継ぎ、役員・従業員力を合わせ、精進してゆく所存でございましたが、創業120年という歴史の重みをしっかりと受け止めつつも、変わりゆく時代の流れの中で大きな柱を失い、上記のような決意をするに至りました。長い歳月にわたり、鯉保を愛してくださった皆々様、ほんとうにありがとうございました。今後は、多くの皆様に賜りましたご厚情に報いるためにも、ふるさと栃木のためにも、新しい道を模索し真摯に努力してゆく所存でございます。
引用:山口智子の実家の旅館
山口智子が父の葬式で妹と再会。これをきっかけに妹と実母と和解
転機が訪れたのは2005年5月。突然、父が他界してしまったのだ。山口の祖母がこう振り返る。
「せがれが亡くなって、(山口の母から)“娘(山口の妹)にお線香をあげさせてください”と電話がかかってきたんです。私はそれで“どうぞ来てください”と言って。それで妹がお線香をあげに来たんですよ。
山口にとって、実にそれが妹との34年ぶりの再会だった。そしてそれをきっかけに、17年前に無言で行き交わした母とも和解し、交流が始まったという。
2007年には、妹と都内にセレクトショップ『燕子花』をオープンさせた山口は、翌2008年には個人会社の代表取締役に母を就任させた。そして、母と妹が暮らすには少し狭かったマンションの引っ越しを手伝い、都内に3LDK、家賃20万円の部屋を借りてあげた。
こうしてゆっくりと母との絆を取り戻していった山口。
しかし、次は栃木の実家では新たな問題が起きてしまいます。
山口智子の現在
山口智子が祖母の介護のため栃木へ
継母が祖母の面倒を見てくれてたらしいのですが、2年前に継母が脳梗塞で倒れてしまい、自分の故郷に帰ってしまいました。祖母は92歳のわりには元気なのですが、半年前に骨折して入院してしまったので、山口さんがおばあちゃんの介護のために栃木によく帰っていたそうです。
現在は、実母・継母・祖母の3人の母の面倒をみているそうです。
女優として活躍している山口智子さんですが、幼少期の両親の離婚により、大変な道を歩んできたことがわかります。
現在、山口智子さんは唐沢寿明さんとご結婚をされていますが、夫婦共に頑張って欲しいですね。