高須クリニック院長の高須克弥さんの嫁・高須シヅさんや事実婚状態の彼女・西原理恵子さんが話題です。
この記事では高須克弥さんの嫁の高須シヅさんとの馴れ初めや結婚、死因、それぞれ医者として活躍する長男、次男、三男の息子達、事実婚関係の彼女・西原理恵子さんについてまとめました
この記事の目次
高須克弥のプロフィール
高須克弥のプロフィール
生年月日:1945年1月22日
出身地 :愛知県幡豆郡一色町(現在の西尾市一色町赤羽)
身長 :170cm
血液型 :O型
高須克弥さんは、美容外科「高須クリニック」の院長として知られ、タレントや識者としても高い人気を誇ります。
終戦との年の1945年に由緒ある医者の家系に生まれ、昭和医科大学(現在の昭和大学)医学部で学び、まだ日本で美容整形外科が一般的ではなかった1976年に「高須クリニック」を開院して成功を収めて話題になり、美容の専門家として注目の存在となりました。
その歯に衣着せぬ発言も人気で、インターネットが普及してからはSNSでの過激なつぶやきなどが度々話題を集めています。
そんな高須克弥さんですが、現在のパートナーの漫画家・西原理恵子さんとの関係や、死別した嫁・高須シヅさんとの3人の息子さんの存在も話題です。
今回は、高須克弥さんの死別した嫁の高須シヅさんや3人の息子達、現在の彼女(パートナー)である漫画家の西原理恵子さんとの関係などを中心にまとめていきます。
高須克弥の死別した嫁は美容外科医の高須シヅさん
高須克弥の嫁・高須シヅのプロフィール
生年月日:1944年12月15日
没年月日:2010年3月29日
出身地 :愛知県
高須克弥さんの死別した嫁の高須シヅさんは、1944年12月15日愛知県の生まれで、高須克弥さんとは同級生、同郷にあたり、また同じく医者の家系の生まれでした。高須克弥さんとの結婚前の旧姓は「星野」です。
高須克弥さんの嫁・高須シヅさんは、昭和大学病院に産婦人科医として勤務後、夫の高須克弥さんと共に愛知県名古屋市に「高須病院」を開院し、「高須クリニックグループ」の実質的な経営者として活躍されました。
また、高須克弥さんとともに、それまで国内で普及していなかった美容外科技術を自らや高須克弥さん自身の身体を使う形で実験して成功させ、国内の美容技術の発展に大きく貢献された事でも知られています。
後進の育成にも力を注ぎ、高須克弥さんとの間に生まれた3人の息子たちをはじめ、多くの美容外科医を指導されました。
また高須シヅさんは、大の競馬好きとして知られており、高須克弥さんは高須シヅさんの死後、毎年の命日には地元の名古屋競馬場で「高須シヅ杯レース」を開催されています。
高須克弥と嫁・高須シヅさんの馴れ初めと結婚
高須克弥さんと死別した嫁の高須シヅさんの馴れ初めは18歳の大学1年生の頃だったそうです。同じく愛知県三河の医者の家に生まれた高須克弥さんと高須シヅさんは、同じく1963年に昭和医科大学の医学部へと進学、大学での席が隣同士だった事から仲良くなり、その後交際に発展。大学を卒業した年の1969年に結婚されています。
高須克弥の嫁・高須シヅさんの死因は転移性肺癌
美容整形技術の発展に大きく貢献された美容外科医師として尊敬を集めていた高須シズさんでしたが、2010年3月29日に65歳という若さで亡くなられています。
高須克弥さんによれば、高須シヅさんの死因は「転移性肺癌」との事です。
高須克弥がブログで紹介した嫁・高須シヅさんの遺訓が感動的だと話題に
高須克弥さんは自身のブログに、高須シヅさんは死の間際に、遺言のようなメモ書きを残された事を書かれています。
高須シヅさんが残されたメモは24項目で、高須克弥さんはブログでそれらのメモの内容を紹介してそれぞれを夫として解釈して解説されていました。
永眠した日、まくらもとに遺されていたメモ
子供たちや孫たちに伝えたかった遺訓にちがいない
自分たちが死ぬ時、後悔しないようシヅ先生の悟りを子孫たちに遺したんだろう
忌明け法要のとき僕が直接彼らに伝える
二十四項目ある
高須克弥さんはこの24項目の高須シズさんのメモ書きを一つずつ紹介されています。
高須克弥さんによれば、これらの24項目の間にはいくつかごとに線が引かれており、それぞれ、高須シヅさん自身が後悔している事、高須シズさんが後悔していない事、息子たちや子孫、高須克弥さんへの遺訓、死の直前の心境に分けられているようだという事でした。
高須シヅさん本人が本人が後悔している事は4項目で、「夢を叶えられなかった事」、「故郷へ帰らなかった事」など。
高須シヅさん本人が後悔していない(達成できた事)は、「会いたい人に会わなかったこと」、「人に優しくしなかった事」、「生きたい場所に旅行しなかったこと」などの11項目。
息子たちや子孫、高須克弥さんへ向けての遺訓は「悪事に手を染めてしまったこと」、「タバコをやめなかったこと。」、「感情に振り回された一生を過ごしてしまったこと。」などの4項目。
死の直前の心境は、「死を不幸だと思ってしまったこと」、「残された時間を大切に過ごさなかったこと」、「自分の生きた証を残さなかったこと」などの5項目でした。
高須克弥さんは、この高須シズさんが残した一つ一つのメモを丁寧に解釈して解説されており、妻への愛情の深さが伝わってきました。
ネット上にも感動したという声が多く上がっていました。
これほんっと人生の最後に誰でも後悔しうることが書いてあるから見るべき。
— c.k. (@c_k_shiikei) May 19, 2017
高須克弥 「シヅ先生の遺訓」
⇒ https://t.co/oToPyewvoU
高須克弥の息子① 長男・高須力弥さん
高須克弥の長男・高須力弥のプロフィール
生年 :1970年
出身地 :愛知県西尾市
高須克弥さんは嫁の高須シヅさんとの間に3人の息子さんに恵まれています。
高須克弥さんの長男は高須力弥さんで両親と同じく医師で専門は皮膚科です。
現在は高須病院を運営する医療法人「社団福祉会」の会長と、「高須クリニック」の名古屋院と大阪院の理事を務められています。
2018年頃までは父の高須克弥さんと高須病院の約170床の病床を3時間かけて回診するなど医師として活躍されていましたが、現在は主に経営の方で関わっていると言われています。
ミステリー小説やアニメや漫画に造詣が深く、自身のTwitterなどでもよくそうした趣味に関連したツイートをされています。
また、自身でもイラストコミュニケーションサイト「pixiv」に漫画イラストを公開して話題になっています。高須克弥さんも息子・高須力弥さんのこうした活動を応援されていました。
息子、高須力弥。漫画家デビューなう。https://t.co/Iz3aedYeOI
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) August 31, 2020
高須克弥さんは保守的な思想を持たれている事が知られていますが、反面、息子の高須力弥さんはリベラルよりな思想を持たれているようで、そうした面ではよく対立されており、よく父の右寄りな発言を諫めるツイートをして話題になっています。
特攻も玉砕も軍から強制されたもの。
— 高須力弥 (@rourensiumu) August 10, 2017
美しくはなく、恐ろしい。 https://t.co/5ybsCLOs9H
こうした事から、2人が対立関係にあるのではとも言われていましたが、お互いに好意的なツイートをされている事もあり、そうした思想を抜きにしての親子関係は特に悪くはないようです。親子としての関係と一個人同士としての関係は分けて考えられているのかもしれません。
高須克弥の長男・高須力弥さんの嫁は美人医師として話題の高須敬子さん
高須力弥の嫁・高須敬子のプロフィール
出身地:岐阜県
血液型:B型
高須克弥さんの息子で長男の高須力弥さんの嫁は、高須クリニック大阪院の院長を務め、美人医師としてもよく話題になっている高須敬子さんです。
高須敬子さんの経歴としては、1997年に愛知医科大学医学部(偏差値65)を卒業後、2005年に高須クリニック大阪院での勤務を開始されています。医学部で勉強されていた頃には漠然と内科医になろうと考えられていたそうですが、研修医時代に整形外科に興味がシフトして美容外科・美容皮膚科への道へと進まれたそうです。
高須克弥さんの長男の高須力弥さんとの結婚の時期は不明です。
高須克弥の息子② 次男・高須久弥さん
高須克弥の次男・高須久弥のプロフィール
生年 :1973年
出身地:愛知県
血液型:O型
高須克弥さんの息子で次男の高須久弥さんは歯科医師で、高須クリニック大阪院と名古屋院の高須クリニック歯科にて審美歯科と美容歯科を担当して活躍されています。
高須久弥さんは最初はあまり歯科医師という職業に興味が持てなかったそうなのですが、父の高須克弥さんと母の高須シヅさんの勧めもあって、松本歯科大学の歯学部へと入学され勉強するうちに興味を持たれたそうです。
子供時代からプラモデル作りなどの細かい作業が好きだったので、その点でも歯科医に向いているとも話されていました。
既婚という事ですが嫁についての情報はなく医師ではなく一般の女性と見られています。
高須克弥の息子③ 三男・高須幹弥さん
高須克弥の三男・高須幹弥のプロフィール
生年月日:1975年2月1日
出身地 :愛知県西尾市
身長 :174cm
血液型 :O型
高須克弥さんの息子で三男の高須幹弥さんは、美容外科医で、高須クリニックの名古屋院の院長を務められています。
3人の息子たちの中でも周囲から高須克哉さんの正統な後継者的ポジションと目されているのがこの高須幹弥さんで、メディアへの露出も多く、以前から高須克弥さんが出演して話題を集めている高須クリニックの印象的なテレビCMにも現在は主にこの高須幹弥さんが出演されています。
そんな高須克弥さんの息子で三男の高須幹弥さんは、1999年に藤田医科大学(当時は藤田保健衛生大学)の医学部(偏差値65)を卒業後、藤田大学病院の麻酔救急科に勤務して2001年に麻酔科標榜医を取得。その年に藤田大学の大学院へと進むと共に、同大学病院で形成外科医としてのキャリアを始めています。
また、2001年には高須クリニックでも働き始め、2007年に名古屋院の院長に就任されています。現在も高須クリニックの中心医師として活躍されています。
高須克弥の息子で三男の高須幹弥さんのYouTubeチャンネルが面白いと話題
高須克弥さんの息子で三男の高須幹弥さんのYouTubeチャンネル「高須幹弥高須クリニック」は。2021年の現在総再生回数1億900万回を突破、登録者数も34万人も突破と非常に高い人気を集めています。
高須幹弥さんのYouTube動画は視聴者からの相談に乗る内容が多く、その答え方から誠実な人柄が伝わってきます。また、コメディ系の内容の動画も多く、こちらも「面白すぎる」、「YouTuberとしての才能が凄い」と話題になっています。
高須克弥の三男・高須幹弥さんの嫁は美人医師として話題の高須英津子さん
高須幹弥の嫁・高須英津子さんのプロフィール
出身地:名古屋市
血液型:A型
高須克弥さんの息子で三男の高須幹弥さんの嫁は、美人医師として話題の高須英津子さんです。
高須幹弥さんの嫁の高須英津子さんは美容皮膚科医で、高須クリニックの栄院の院長を務められています。
高須英津子さんは2001年に高須幹弥さんと同じ藤田医科大学(当時は藤田保健衛生大学)を卒業されているので、藤田幹也さんとは大学の先輩後輩の関係で、その後交際して結婚されています。
ちなみに「好きな男性のタイプ」は「主人」と答えられていて夫婦仲はとても良いようです。なお、高須幹弥さんと嫁の高須英津子さんの間には子供が3人おり全員娘さんです。
高須克弥の現在の彼女(事実婚関係)は漫画家の西原理恵子
死別した嫁の高須シヅさんへの深い愛情でも話題の高須克弥さんですが、現在は新たな彼女として、漫画家の西原理恵子さんと事実婚の関係にあることも公表されています。
西原理恵子さんは高須克弥さんとの事実婚関係と夫婦生活を描いたエッセイ漫画「ダーリンは70歳」を漫画雑誌「ビッグコミックスペリオール」で2014年から連載し、以降、毎年改題して2021年の現在は「ダーリンは76歳」のタイトルで連載が続けられ人気を集めています。
高須克弥さんと西原理恵子さんの熟年夫婦生活はメディアで盛んに取り上げられており、その個性的な関係性や幸せそうな様子が注目されています。
高須克弥と事実婚関係の彼女・西原理恵子のプロフィール
生年月日:1964年11月1日
出身地 :高知県高知市浦戸
血液型 :A型
高須克弥さんの彼女で、事実婚関係が公表されている西原理恵子さんは、「ぼくんち」、「毎日かあさん」、「パーマネント野ばら」などの大ヒット作品で知られる漫画家です。
西原理恵子さんの作品は柔らかく優しい印象を受ける画風で描かれたギャグ漫画やエッセイ漫画がメインですが、実はかなり波乱万丈な人生を送っており、実父のアルコール依存や母親の離婚、母の再婚相手がギャンブル依存で莫大な借金を背負うなど、子供時代からかなりヘビーな生活を余儀なくされたようです。
西原理恵子さんは、漫画家としてデビュー後の1996年に戦場カメラマンでジャーナリストの鴨志田譲さんと出会いその後結婚。2人の子供に恵まれますが、この鴨志田譲さんの重度のアルコール依存とDVなどが原因で2003年に離婚しています。
西原理恵子さんは離婚後も、アルコール依存症で自ら人生のどん底へと落ちていく鴨志田譲さんを見捨てることが出来ず、元妻の立場から献身的なサポートをし、その後末期癌によって余命わずかと宣告された鴨志田譲さんを再び家族として迎え入れています。
実はこの時、西原理恵子さんが鴨志田譲さんを再び受け入れるという慈愛に満ちた決断を下すきっかけを作ったのが、高須克弥さんでした。
この事がその後、西原理恵子さんと高須克弥さんの事実婚関係となる馴れ初めにもなりました。これについては次の見出しで紹介します。
高須克弥と現在の彼女(事実婚関係)の西原理恵子との馴れ初め
出典:https://www.sponichi.co.jp/
高須克弥さんと現在の彼女で事実婚の関係を公表している西原理恵子さんとの馴れ初めについても紹介します。
高須克弥さんと西原理恵子さんの最初の出会いは2002年で、西原理恵子さんが自身のエッセイ漫画の中で「高須クリニックのCMが下品すぎて素敵だ。友達になってやってもいい」と書いたところ、それを偶然見た高須克弥さんがファンレターを送ったのがきっかけだったそうです。
この手紙に、西原理恵子さんは「私は美もお金もいらない。ただネタがほしい」と返信。これをきっかけに高須克弥さんは当時は存命だった嫁の高須シヅさんと共に漫画家・西原理恵子さんの大ファンになり、それまでに出版されていた漫画やエッセイ本を全て買い集めたのだそうです。
その後、西原理恵子さんと高須克弥さんは仲の良い友人としての関係を築いています。
前述の通り、この当時の西原理恵子さんは夫・鴨志田譲さんのアルコール依存症とDVに苦しんでおり2003年に離婚する事になりますが、その離婚から3年後にこの鴨志田譲さんが「もう一度お前や子供達と暮らしたい」と言って現れました。この時、鴨志田譲さんは末期癌に冒されて余命幾ばくもない状態で、最後の時間を家族と過ごしたいとの思いから姿を見せたという事でした。
当初、西原理恵子さんは再び暴力を振るわれたり、子供達にも被害が及んだりするのではとの恐怖からこの申し出を拒否しようとしたそうなのですが、それを高須克弥さんに相談したところ、「帰ってきていいよと言ってあげなさい」と思いがけないアドバイスをされたのだそうです。
西原理恵子さんはこの高須克弥さんの意見に、最初は「命からがら(DVから)逃げてきたのに、ヨリを戻せってどういうことなの?」と反発されたそうなのですが、高須克弥さんを尊敬していた事から、いう通りにして見ようという心境になり、鴨志田譲さんを受け入れる決断をされたのだそうです。
結果、最後の時間の鴨志田譲さんは、出会った頃の優しく朗らかな状態に戻り、最期の半年間を温かい家族として過ごす事ができたそうです。鴨志田譲さんの最期の言葉は「子供を傷つけずに済んだ、人として死ねて嬉しい」、「幸せな人生だったありがとう」というものだったそうです。
高須克弥さんはこの時に、受け入れてあげなさいとアドバイスをした理由について以下のように説明されていました。
高須:だって、彼が悲惨な状態で死んでしまったら、子供たちにすごくトラウマ(精神的外傷)を残してしまうと思ったから。だから、わずかな期間だったら、彼が納得できるように面倒みてあげたほうがいいって言ったんです。
そして2007年に鴨志田譲さんが亡くなり、その3年後の2010年には高須克弥さんも最愛の嫁の高須シヅさんを亡くしました。さらに、立て続けに高須克弥さんの母親も亡くなり、その少し前には愛犬も亡くしていた事などから、高須克弥さんは精神的に参ってしまったそうなのですが、その状態を支えたのが西原理恵子さんでした。
お互いに苦しい時期を支え合った事で、2人の関係は親密になり、やがて恋愛関係に発展したようです。
まとめ
今回は、高須クリニックの院長の高須克弥さんの、嫁や3人の息子、現在の事実婚状態の彼女の西原理恵子さんら家族に焦点を当ててまとめてみました。
高須克弥さんの嫁は共に「高須クリニック」を築き上げた美容外科医の高須シヅさんですが、2010年に亡くなられています。死因は「転移性肺癌」と発表されています。
高須克弥さんはこの嫁の高須シヅさんとの間に3人の息子さんに恵まれ、全員が医師として活躍しており、長男の高須力弥さんは高須クリニックの理事、次男の高須久弥さんは高須クリニックの審美歯科・美容歯科を担当、三男の高須幹弥さんは高須クリニックの中心となる美容外科医として活躍されています。
そんな高須克弥さんの事実婚関係にある彼女は人気漫画家の西原理恵子さんで、現在も熟年カップルとして注目を集めています。2人の馴れ初めはそれぞれがパートナーをなくして苦しんでいる時に支え合い、次第に信頼関係を深めていったというものでした。
高須克弥さんは現在、がん闘病中という事を公表されていますが、どうか復活されてこれからも西原理恵子さんとの幸せそうな日々を見せて欲しいです。