宝塚・タカラジェンヌの花形でイケメン男性と女性の妖艶さを兼ね備えた”男役”。
100年以上の歴史を持つ宝塚歌劇団の歴代男役を人気ランキングでTOP30に総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング TOP30
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 30位 春日野八千代
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 29位 榛名由梨
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 28位 悠未ひろ
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 27位 蘭寿とむ
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 26位 柚希礼音
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 25位 朝夏涼帆
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 24位 朝夏まなと
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 23位 紅ゆずる
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 22位 鳳蘭
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 21位 水夏希
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 20位 貴城けい
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 19位 大和悠河
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 18位 大空ゆうひ
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 17位 湖月わたる
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 16位 安蘭けい
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 15位 杜けあき
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 14位 一路真輝
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 13位 絵麻緒ゆう
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 12位 音月桂
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 11位 剣幸
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 10位 涼風真世
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 9位 久世星佳
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 8位 瀬奈じゅん
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 7位 愛華みれ
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 6位 真飛聖
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 5位 真琴つばさ
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 4位 紫吹淳
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 3位 大地真央
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 2位 真矢ミキ
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 1位 天海祐希
- 宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキングについて総まとめすると…
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング TOP30
宝塚歌劇団でもスター性の高い男役
宝塚歌劇団出身の芸能人には天海祐希さんや紫吹淳さんなどを始め女優として活躍している元男役がいますが、イケメンでありながら女性ならではの妖艶さも併せ持つため女性から圧倒的な支持を得ています。
歴代の男役タカラジェンヌを人気ランキングTOP30に総まとめしましたのでご紹介します。
宝塚歌劇団には花組、月組、雪組、星組、宙組などありますが、この各組の頂点に立つ男役は「主演男役」や「トップスター」と呼ばれ、これは”スターシステム”という宝塚の独特なシステムです。
そしてこの男役の相手を務めるのが娘役で、同じように各組で頂点に立つ「主演娘役」「トップ娘役」が存在します。
これらの「トップスター」や「トップ娘役」になるには容姿が人目を惹きつける端麗なものであることに加えて、演技力や立ち居振る舞いなど内面から発せられるカリスマ性も重要になってきます。
さらにこれらの頂点に居座り続けることは容易ではなく、宝塚歌劇団では次々と次世代のスターが育ち世代交代をしてきました。
それでは、宝塚歌劇団でカリスマ的な注目を集めてきた歴代男役を人気ランキングTOP30に総まとめしましたのでご紹介しましょう。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 30位 春日野八千代
元星組・雪組主演男役クラス、元雪組組長
春日部八千代さんは劇団名誉理事も務めていました。戦前から戦後にかけて圧倒的な人気を集め、その男役として完成された美しさから「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」と呼ばれ、宝塚歌劇団の歴史の中でも伝説となっている存在です。
春日野八千代さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 石井 吉子(いしい よしこ)
別名義: よっちゃん
生年月日: 1915年11月12日
没年月日: 2012年8月29日(96歳没)
出生地: 兵庫県神戸市
職業: 女優
ジャンル: 宝塚歌劇
活動期間: 1929年 – 2012年
春日部八千代さんは宝塚歌劇団に入団時は51人中37番の成績でしたが、入団した直後は娘役を務めていたものの当時の日本人女性の身長から考えると高身長だったことから男役に転向しました。
春日部八千代さんの芸名の由来は、「春日部」は琵琶歌にある歌詞の中から、「八千代」は国家・君が代の歌詞の中から取りました。
2012年8月29日に春日部八千代さんは肺炎を患って亡くなりましたが、96歳と大往生の年齢でした。
生涯に渡って宝塚歌劇団の現役生徒で有り続けた春日部八千代さんは、宝塚の歴史上でも最年長となる生徒でした。
春日部八千代さんは2014年に宝塚歌劇団の100周年を記念して創設された「宝塚歌劇の殿堂」において、宝塚の歴史に名を刻むにふさわしい100人の最初のひとりとしてその名が刻まれました。
春日部八千代さんはとても柔らかい品のある顔立ちでありながら、優男から熱血漢まで幅広い男役を演じこなす高い演技力を持っており、同時に名取名・花柳祿八千代として日舞にも長けた美しい身のこなしからダンスにも秀でていた男役でした。
春日部八千代さんは宝塚歌劇団の男役の歴史の原点を作った存在であり、現役を含めて現在までの宝塚歌劇団の生徒にとって大きな精神的支柱であり大スターであり続けてきました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 29位 榛名由梨
元宝塚歌劇団月組・花組トップスター
榛名由梨さんは専科に所属し宝塚を引退した後は主に舞台女優として活躍してきました。現在所属している芸能事務所は「株式会社プランニングはるなJ」ですが表舞台への露出は減っています。
榛名由梨さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 山下 正代(やました まさよ)
別名義: ショーちゃん
生年月日: 1945年8月19日
出生地: 兵庫県三田市
血液型: A
身長: 166 cm
体重: 不明
職業: 女優
ジャンル: 舞台
活動期間: 1963年 –
榛名由梨さんの芸名の由来は、宝塚歌劇団に入団した当時に実弟が趣味で持っていた大日本帝国旧海軍の軍艦「榛名」の模型を見て決めました。
1963年に62人中3位という非常に優秀な成績で宝塚歌劇団に入団した榛名由梨さんは、星組の公演『花詩集-1963年』で初舞台を踏みました。
そして1968年には月組と雪組の合同公演『ウエストサイド物語』で一躍脚光を浴びた榛名由梨さんは、その卓抜したダンスのセンスで他の新人を圧倒しました。
1973年にそれまで月組のトップスターだった古城都さんの後任として榛名由梨さんはトップスターに就任しました。
1975年に月組から花組に異動となった榛名由梨さんは、2期後輩の安奈淳さんとツートップとなり、公演『ベルサイユのばら 〜アンドレとオスカル〜』でアンドレを熱演したことで熱狂的な”ベルばら旋風”を巻き起こしました。
1979年に榛名由梨さんは月組のトップスターに加えて副組長を兼任するなど、異例の大抜擢をされています。
それ以降も10年近くトップスターとして君臨し続け、1988年12月31日に榛名由梨さんは宝塚歌劇団を退団しました。
榛名由梨さんはその後は舞台女優を中心に芸能活動を続けてきましたが、宝塚で『ベルサイユのばら』の公演がある際には演技指導を行うなど劇団に貢献し続け、そうした功績が認められて宝塚市の広報大使も務めています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 28位 悠未ひろ
元宝塚歌劇団宙組の男役
悠未ひろさんは当ランキングでも数少ないトップスター経験無しながらランクインしました。宝塚歌劇団で歴代最高身長であり、勇壮な立ち姿から高い人気を博していました。
悠未ひろさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 吉澤 智子(よしざわ ともこ)
生年月日: 1976年11月5日
愛称: ともちん
出身地: 東京都
生年月日: 1976年11月5日
身長: 180センチ
体重: 非公開
宝塚入団時所属: 宙組男役
所属事務所: acali
悠未ひろさんは1995年4月に宝塚音楽学校に入学し、1997年3月に15番の成績で宝塚歌劇団の83期生として入団しました。
雪組の公演『仮面のロマネスク/ゴールデン・デイズ』で初舞台を踏んだ悠未ひろさんは、同期入団メンバーには元宙組トップ娘役の紫城るいさんや元月組トップ娘役の彩乃かなみさんなどがいました。
1998年に宙組に異動となった悠未ひろさんは、2005年の公演『Le Petit Jardin-幸せの庭-』でバウホール初主演を果たします。
2013年の公演『逆転裁判3』では単独初主演を果たしましたが、悠未ひろさんはトップスターに就任することなく同年12月23日の公演『風と共に去りぬ』の千秋楽を以て宝塚歌劇団を退団しました。
その後舞台女優として活躍している悠未ひろさんは、2014年に『MOON SAGA-義経秘伝・第二章-』で初主演を果たすと、同年7月には福島復興支援チャリティーコンサート『悠未ひろ HEROES -for east friends -』を開催し、さらに同年にHONDA・N-BOXの「みんなのN 就職篇」のCMにも初出演していました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 27位 蘭寿とむ
元宝塚歌劇団花組トップスター
蘭寿とむさんは非常によく通る声をした高い歌唱力を持ったタカラジェンヌで、ダンスも上手くバランスに優れた男役でした。また、謙虚な性格でも知られトークが可愛いとも言われています。
蘭寿とむさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 阪本 真由(さかもと まゆ)
生年月日: 1975年8月12日
出生地: 兵庫県西宮市
身長: 170 cm
体重: 非公開
血液型: O型
職業: 女優
ジャンル: 宝塚関係、舞台
活動期間: 1996年 –
事務所: ジーアールプロモーション
蘭寿とむさんの芸名の由来は、「蘭寿」はフランス語で”天使”を意味する”ル・アンジュ”から取られ、「とむ」は「人(と)に夢(む)を与える」という意味から恩師に名付けられました。
小学校時代に友達に誘われてバレエを始めた蘭寿とむさんは、中学校・高校と創作ダンス部に情熱をかけてキャプテンも務めていました。
蘭寿とむさんは中学校2年生の時にダンス部の友達から宝塚歌劇団の観劇に誘われてから大ファンとなり、高校入学後すぐにその友達が宝塚歌劇団を受験したことから触発されて後悔しないためにも受験することを決めたようです。
蘭寿とむさんが受験した時の当時の倍率は48.2倍と非常に高い中で首席で合格し、その後一度も首席を譲らない天才的な才能を見せていたことから「100年に一人の男役」と評されました。
1996年3月に宝塚歌劇団に82期生として首席で入団し、蘭寿とむさんは公演『CAN-CAN』で初舞台を踏み、その後花組に配属されました。
2001年に公演『ミケランジェロ』で新人公演初主演を果たした蘭寿とむさんは、2002年の公演『月の燈影』でバウホール公演初主演を果たしました。
蘭寿とむさんの”キザり”では観劇しているファンが赤面してしまうことから「赤面王子」と呼ばれていました。
2011年4月に花組に異動と同時にトップスターに就任した蘭寿とむさんは3年ほど圧倒的な人気を集め、2014年5月の公演『ラスト・タイクーン‐ハリウッドの帝王、不滅の愛‐』『TAKARAZUKA∞夢眩』の千秋楽後に宝塚歌劇団を退団しました。
蘭寿とむさんはその後は主に舞台女優として活躍する一方でドラマにも出演してきました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 26位 柚希礼音
元宝塚歌劇団星組トップスター
柚希礼音さんは平成に宝塚歌劇団に入団した生徒の中でトップスター就任歴が6年と第一位になっています。宝塚時代の愛称は「CHIE(ちえ)」ですが、一期上の先輩・北翔海莉さんからは「かねごん」と呼ばれ、星組の後輩・紅ゆずるさんからは「にゃんにゃん」と呼ばれていたそうです。
柚希礼音さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 金山 千恵(かなやま ちえ)
生年月日: 1979年6月11日
出生地: 大阪市福島区
身長: 172cm
体重: 非公開
血液型: B型
職業: 女優
ジャンル: 宝塚歌劇、舞台
活動期間: 1999年 –
事務所: アミューズ
柚希礼音さんがバレエを始めた理由は、9歳の時にバレエを始めた友達が遊んでくれなくなったからでした。
それから柚希礼音さんは身長が急激に伸びたことから小学校6年生の時にバレエの先生から宝塚歌劇団を勧められましたがこの当時は興味がなく、その後高校在学中にさらに身長が伸びたことから先生らの勧めもあって宝塚歌劇団を受験しました。
1999年に40人中2番という非常に優秀な成績で宝塚歌劇団の85期生として入団した柚希礼音さんは、雪組の公演『ノバ・ボサ・ノバ』で初舞台を踏みました。
そして月組の公演『ノバ・ボサ・ノバ』では、柚希礼音さんは入団一年目にして出世役であるドアボーイに抜擢され、その後2003年の公演『おーい春風さん』でバウホール初主演を果たしました。
柚希礼音さんは2009年4月に入団11年目で星組トップスターに就任し約6年間という長い間務め上げましたが、2015年5月10日の公演『黒豹の如く/Dear DIAMOND!!』千秋楽後に宝塚歌劇団を退団しました。
柚希礼音さんは現役時代の劇場入りをする際、愛犬のチワワ「ちょこちゃん」と一緒に登場するほどの愛犬家です。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 25位 朝夏涼帆
宙組8代目トップスター
朝夏涼帆さんは現役のトップスターであり、2017年11月20日に朝夏まなとさんの後任として宙組8代目トップスターに就任しました。
朝夏涼帆さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 不明
生年月日: 7月18日
出生地: 熊本県菊池郡
身長: 175cm
体重: 非公開
血液型: B型
職業: 舞台俳優
ジャンル: 舞台(宝塚歌劇)
活動期間: 2006年 –
朝夏涼帆さんの相手役にはトップ娘役の星風まどかさんを迎え、2017年末の公演『タカラヅカスペシャル2017』が初仕事となりました。
トップスター就任したばかりの朝夏涼帆さんの情報はまだまだ乏しく、今後の活躍に期待したいところです。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 24位 朝夏まなと
元宝塚歌劇団宙組トップスター
朝夏まなとさんは25位の朝夏涼帆さんの宙組トップスター前任者であり、現役時の愛称は「まぁ」や「まなと」「まぁ様」と呼ばれていました。
朝夏まなとさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 岩崎 明日香(いわさき あすか)
生年月日: 1984年9月15日
出生地: 佐賀県佐賀市
身長: 172cm
体重: 非公開
血液型: A型
職業: 舞台俳優
ジャンル: 舞台(宝塚歌劇)
活動期間: 2002年 –
朝夏まなとさんは地元の佐賀県で行われた真琴つばささん率いる月組の全国ツアー公演『うたかたの恋』を観劇して宝塚歌劇団を目指すようになり、2002年3月に10番の成績で88期生として入団しました。
朝夏まなとさんは幼少期からバレエを習っていましたが、元々芸能界に興味を持っておりモデルに憧れたこともあったようです。
しかし、バレエで目立つことが一番好きだった朝夏まなとさんは2002年3月に宝塚歌劇団に10番の成績で88期生として入団し、星組の公演『プラハの春/LUCKY STAR!』で初舞台を踏み、その後花組に配属されました。
2005年以降4回に渡って新人公演で主演を務め注目を集めた朝夏まなとさんは、2008年のバウ・ワークショップ『蒼いくちづけ』でバウホール初主演を果たしました。
2012年6月1日に宙組に異動となった朝夏まなとさんは、2014年の公演『ベルサイユのばら-フェルゼンとマリー・アントワネット編-』で全国ツアー初主演を果たしました。
2015年2月16日には凰稀かなめさんの後任として朝夏まなとさんは7代目宙組トップスターに就任しました。
そして朝夏まなとさんは2017年11月19日の公演『神々の土地/クラシカル ビジュー』千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団しました。
2017年12月10日に朝夏まなとさんは瀬奈じゅんさん以来10年ぶりとなる元トップスター出身者として東宝芸能に所属し、今後の活躍にも注目が集まっています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 23位 紅ゆずる
現役の宝塚歌劇団星組トップスター
紅ゆずるさんは現役の星組トップスターです。愛称は「さゆみ」「さゆちゃん」「ゆずるん」「べに子」など色々呼ばれ方があり愛されているようです。
紅ゆずるさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 非公開
生年月日: 8月17日
出生地: 大阪府大阪市
身長: 173cm
体重: 非公開
血液型: A型
職業: 舞台俳優
ジャンル: 舞台(宝塚歌劇)
活動期間: 2002年 –
活動内容: 2002年:宝塚歌劇団入団、星組配属
2016年: 星組トップスター就任
紅ゆずるさんは生まれた時のサイズが身長51cm・体重3520gと病院内で一番大きい赤ちゃんだったようで、目の両端に赤い斑点があったことから助産師に「絶対花魁の生まれ変わり」と言われていたそうです。
紅ゆずるさんは小学校4年生頃にミュージカル『ピーターパン』を観て観劇にハマり、緑色の服を着て1年ほど自分をピーターパンだと思い込んでいました。
背が高く美しい佇まいをしていたことから近所の人から宝塚を目指すことを勧められたものの当時は興味が無かったものの、その後気が変わって2002年3月に47番の成績で88期生として宝塚歌劇団に入団しました。
紅ゆずるさんは星組の公演『プラハの春/LUCKY STAR!』で初舞台を踏むと、その後星組に配属されました。
2008年に公演『THE SCARLET PIMPERNEL』で新人公演初主演を入団7年目にして果たしたことから紅ゆずるさんは遅咲きですが、2011年に公演『メイちゃんの執事』でバウホール初主演を果たし、2016年11月21日に北翔海莉さんの後任として星組トップスターに就任し2018年7月現在も活躍しています。
また紅ゆずるさんは2017年7月11日に『徹子の部屋』に出演していますが、現役のトップスターが同番組に出演するのは異例であり、退団した後の芸能活動も期待でることでしょう。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 22位 鳳蘭
宝塚歌劇団の元星組トップスター
鳳蘭さんは元々中華民国籍でしたが現在は日本国籍を取得しており、日本名は荘田蘭 (しょうだ らん)です。「ツレちゃん」の愛称で親しまれていました。
鳳蘭さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 荘田 蘭(しょうだ らん)
生年月日: 1946年1月22日
出生地: 兵庫県神戸市
身長: 170cm
体重: 非公開
血液型: A
職業: 女優
ジャンル: 舞台
活動期間: 1964年 –
鳳蘭さんが生まれたのは兵庫県神戸市にある外国人居住区「ジェームス山」というところで生まれましたが、出産直前に台風被害に遭って家が流されてしまったため、近所に貸して貰った馬小屋で生まれました。
そのため鳳蘭さんは宝塚時代のあだ名が「キリスト蘭」だったそうです。
1964年に58人中25位の成績で宝塚歌劇団に入団した鳳蘭さんは、雪組の公演『花のふるさと物語』で初舞台を踏むと、その後星組に配属されました。
鳳蘭さんは1970年に公演『僕は君』で男役スターの安奈淳さんととともに星組トップスターに就任しました。
しかし、1974年に安奈淳さんが花組に異動となったため鳳蘭さんは星組で単独のトップスターになりました。
その後鳳蘭さんは専科に異動し、1979年の公演『白夜わが愛』を終えて宝塚歌劇団を退団しました。
退団後はミュージカルを中心に活躍していた鳳蘭さんですが、1980年に幼馴染で中国籍の医師と結婚してふたりの子供に恵まれましたが、1986年に離婚し現在まで独身を貫いています。
鳳蘭さんはその功績の大きさから2005年に「紫綬褒章」を受章し、2016年には春の叙勲で「旭日小綬章」を受章しています。
鳳蘭さんはかねてから北京料理に深い造詣を持っていたことから、関西圏を中心にフランチャイズ展開している中華料理店「北京料理 萬楽」のオーナーを務め、2008年からはプロを育成するバレエ・ダンススタジオを主催しています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 21位 水夏希
元宝塚歌劇団雪組トップスター
水夏希さんは現役時代は「ミズ」「ちか」「ナツキ」の愛称で親しまれ、退団後は舞台を中心にドラマ、バラエティ番組にも出演していました。2013年には個人事務所・株式会社AQUAを設立し、2015年には第一興商の社外取締役に就任するなど異例の経歴を持っています。
水夏希さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 増田 千佳(ますだ ちか)
生年月日: 1972年8月16日
出生地: 千葉県千葉市
身長: 169cm
体重: 非公開
血液型: A型
職業: 女優
ジャンル: 舞台・ミュージカル
活動期間: 1993年 –
水夏希さんは高校2年生の頃にバレエを始めていますが、付け焼刃のレッスンでは宝塚音楽学校に合格できないことが分かっていたため集中的に相当量のレッスンをしていたそうです。
水夏希さんは出遅れ組ではあったものの、2度の受験を経て1991年に宝塚音楽学校に合格しましたが、1993年には40人中3番という非常に優秀な成績で79期生として宝塚歌劇団に入団しました。
入団直後に右往左往する水夏希さんを叱咤激励しながら面倒を見てくれたのが伝説的なトップスターである天海祐希さんでした。
水夏希さんは月組の公演『グランドホテル』、『BROADWAY BOYS:』で初舞台を踏むと、その後月組に配属されました。
水夏希さんは宝塚入団3年目にして天海祐希さんが本役を務める新人公演『ME AND MY GIRL』の主役に抜擢され、思いがけないことにプレッシャーを感じたようですがこの時に覚悟を決めたことが転機となり、2006年12月26日には星組のトップスターに就任しました。
2010年9月12日の公演『ロジェ』、『ロック・オン!』千秋楽を以て水夏希さんは宝塚歌劇団を退団しました。
水夏希さんは退団後はドラマやバラエティ番組にも出演していましたが、現在は舞台女優をメインに活動を続けています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 20位 貴城けい
元宝塚歌劇団宙組トップスター
貴城けいさんの旦那は元歌舞伎俳優で現在は俳優をしている二代目・喜多村緑郎さんで、宝塚歌劇団77期生の都々城あいさんはは実姉と芸能一家です。
貴城けいさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 神田 理絵(かんだ りえ)
生年月日: 1974年5月22日
出生地: 東京都世田谷区
血液型: O型
身長: 170cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台
活動期間: 1992年 –
配偶者: 二代目 喜多村緑郎
著名な家族: 姉:都々城あい(77期生)
貴城けいさんは元々5歳から習っていた硬式テニスでプロ選手を目指していましたが、姉が宝塚歌劇団を受験したことで興味を持ち路線変更をしました。
中学校3年生の頃に1年間だけみっちりと歌とダンスのレッスンを受けた貴城けいさんは、卒業とともに見事に宝塚歌劇団に合格しました。
1992年には40人中15番の成績で宝塚歌劇団に78期生として入団した貴城けいさんは、公演『この恋は雲の涯まで』で初舞台を踏みました。
雪組に配属された貴城けいさんは1997年の新人公演『仮面のロマネスク』で初主演を務め、2006年の宙組への異動とともにトップスターに就任しました。
しかしわずか1年足らずで2007年2月12日に宝塚歌劇団を退団していることから、ネット上では貴城けいさんが人気が歴代最低だったからだと語られていますが、退団理由について記者会見で以下のように語っています。
「宝塚はすばらしいところですが、一生活躍できるわけではありません。昨年末に宙組主演男役のお話をうかがったときに、最終ゴールへ手が届いたと、(退団を)決断しました。悔いはありません」
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 19位 大和悠河
元宝塚歌劇団宙組トップスター
大和悠河さんは宝塚歌劇団を退団した後もバラエティ番組に出演してその天然お嬢様ぶりを発揮して注目を集めていました。そのセレブ生活ぶりは凄まじく、自宅がありながら高級ホテル暮らしで、海外旅行は必ずファーストクラス、1,000万円を超える買い物も普通することからお金の出処について話題になっていました。宝塚歌劇団時代の愛称は「ゆうが」、「たに」でした。
大和悠河さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 谷岡 薫(たにおか かおる)
生年月日: 1977年8月4日
出生地: 東京都文京区
身長: 169cm
体重: 非公開
血液型: B型
職業: 女優
ジャンル: 舞台、ミュージカル
活動期間: 1995年 –
大和悠河さんは小学校の頃に宝塚歌劇団に憧れていましたが、中学校時代にはソフトボール部に入る一方で絵を描くことも好きだったため美術部も兼任していました。
特にバレエなどを習っていなかったものの大和悠河さんは1993年に宝塚音楽学校に一発合格して入学し、1995年3月には宝塚歌劇団に81期生として入団するなど天才的な才能を持っていたようです。
大和悠河さんの芸名の由来は、ほかの人と被らないように赤ちゃんの名付け辞典で好きな漢字をくっつけて作ったようです。
元々スポーツに打ち込んでいたことから大和悠河さんは身長169センチで10頭身というスーパーモデルのようなプロポーションをしており、抜群の運動神経から名前の通り優雅な身のこなしをしており、宝塚音楽学校時代から「天海祐希の再来」と言われていました。
1995年4月の公演『国境のない地図』で初舞台を踏んだ大和悠河さんは、その後月組に配属されました。
2007年3月15日の公演『A/L(アール)-怪盗ルパンの青春-』で大和悠河さんは宙組トップスターに就任し、2009年7月5日の公演『薔薇に降る雨/Amour それは…』千秋楽で宝塚歌劇団を退団しています。
その後、2010年2月から舞台『CURTAINS』で芸能活動をスタートさせ、バラエティ番組では超セレブお嬢様ぶりで注目を集めました。
大和悠河さんのお金の出処は開業医の実家ではなく、元々宝塚歌劇団現役時代から超裕福層のファンが多かったようで、退団後もタニマチとしてお金の援助をし続けているようです。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 18位 大空ゆうひ
元宝塚歌劇団宙組トップスター
大空ゆうひさんは宝塚歌劇団現役時は大空祐飛という芸名で活動しており、2017年2月に現在の芸名に変更しました。現役時の愛称は 「ゆうひ」、本名から「ようちゃん」「ようこ」と呼ばれていました。
大空ゆうひさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 渋谷陽子(しぶやようこ)
旧芸名: 大空 祐飛
生年月日: 6月22日
出生地: 東京都
身長: 170cm
体重: 非公開
血液型: A型
職業: 女優
ジャンル: 宝塚歌劇、舞台
活動期間: 1992年 –
大空ゆうひさんは母親が大の宝塚歌劇団のファンであり、小学校時代からよく観劇に連れて行ってもらっており、中学校3年生の頃にタカラジェンヌと話す機会があった時に宝塚歌劇団を勧められたことから受験しました。
1992年3月に28番の成績で78期生として宝塚歌劇団に入団した大空ゆうひさんは、雪組の公演『この恋は雲の涯まで』で初舞台を踏むと、その後月組に配属されました。
大空ゆうひさんの旧芸名”大空祐飛”の由来は、父親が「祐飛」と名付けたのに対してそれに合う名前として「大空」を自身で名づけました。
2009年6月16日に宙組へ異動し、大空ゆうひさんは7月6日に退団する大和悠河さんの後任としてトップスターに就任しました。
2012年7月1日の公演『華やかなりし日々』『クライマックス -Cry-Max-』千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団しました。
大空ゆうひさんは退団後は舞台を中心に活躍を続けています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 17位 湖月わたる
元宝塚歌劇団星組トップスター
湖月わたるさんは日舞花柳流の名取でもあり、名取名は花柳湖月です。現役時代の愛称は「わたるさん」、「わたるくん」、「わたさん」と呼ばれていました。
湖月わたるさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 三澤 陽子(みさわようこ)
生年月日: 1971年6月28日
出生地: 埼玉県
血液型: B型
身長: 174 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台
活動期間: 1989年 –
湖月わたるさんは小さい頃からリトミックなど音楽的な習い事をしており、小学校時代に宝塚歌劇団の公演『ジャワの踊り子』を観劇したことで当時から高かった身長を活かせると考えて宝塚歌劇団を目指し始めました。
1989年に6番という優秀な成績で宝塚歌劇団に入団した湖月わたるさんは、星組の公演『春の踊り/ディガディガドゥ』で初舞台を踏むと、その後翌1990年に星組に配属されました。
湖月わたるさんは入団当初から174センチという高身長を生かしたダイナミックなダンスが注目され、男役にピッタリな容姿からすでにスター候補だとみなされていました。
そして、湖月わたるさんが入団した時期は上級生に多くの男役スターがいたことから、それらの先輩から手厚い指導を受けられたことも湖月わたるさんが輝くきっかけとなりました。
2003年の全国ツアー公演『蝶・恋(ディエ・リエン)/サザンクロス・レビュー3』で湖月わたるさんは星組トップスターに就任しました。
2006年11月12日の公演『愛するには短すぎる』『ネオ・ダンディズム』千秋楽を以て湖月わたるさんは宝塚歌劇団を退団しています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 16位 安蘭けい
元宝塚歌劇団星組トップスター
安蘭けいさんは在日韓国人3世であり、芸名の由来は母国の民謡「アリラン伝説」の主人公であるアランと、本名の安、花の蘭、そして母国の韓国南部にある慶尚南道から取っておりルーツを大切にしているようです。現役時代の愛称は「とうこ」と呼ばれていました。
安蘭けいさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 安田 瞳子(やすだ とうこ)
生年月日: 1970年10月9日
出生地: 滋賀県甲賀郡(現・湖南市)
民族: 韓国
身長: 167cm
体重: 非公開
血液型: AB型
職業: 女優、歌手
ジャンル: 宝塚歌劇、ミュージカル
活動期間: 1991年 –
安蘭けいさんは宝塚音楽学校を首席で卒業し、1991年に77期生として宝塚歌劇団に入団しました。
安蘭けいさんは月組の公演『ベルサイユのばら』で初舞台を踏むと、その後雪組に配属されました。
1995年の新人公演『JFK』では初主演を演じ、1999年頃からは同期の朝海ひかるさん、成瀬こうきさんらとともにトリオで使われることが多く「雪組三兄弟」と呼ばれました。
2000年に星組に異動となった安蘭けいさんは、2006年に再演された公演『ベルサイユのばら』でオスカル・アンドレ・フェルゼンの男役が演じる3役全てを演じたことで宝塚歌劇団史上でも初めてのことでした。
安蘭けいさんは2006年に退団した湖月わたるさんの後任として入団16年目にして星組トップスターに就任しました。
2009年4月26日の公演『My Dear New Orleans〜愛する我が街〜/ア ビヤント』千秋楽を以て安蘭けいさんは宝塚歌劇団を退団しています。
安蘭けいさんは退団後は舞台女優を中心にドラマやコンサートの開催など精力的に活動してきました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 15位 杜けあき
宝塚歌劇団雪組・元トップスター
杜けあきさんの芸名の由来は当時の仙台市長である島野武さんによって命名されました。愛称は「もりちゃん」や本名から「かりんちょ」と呼ばれています。
杜けあきさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 狩野 久美子(かの くみこ)
生年月日: 1959年7月26日
出生地: 宮城県
血液型: AB
身長: 165 cm
体重: 非公開
職業: 女優
活動期間: 1979年 –
杜けあきさんは仙台白百合学園高等学校に在学中に観劇した『ベルサイユのばら』で宝塚歌劇団に憧れを持ち、たった3ヶ月の勉強の末に2年生終了時に宝塚音楽学校を受験して合格しました。
杜けあきさんは1979年に45人中7位という優秀な成績で65期生として宝塚歌劇団に入団し、花組の公演『花影記/紅はこべ』で初舞台を踏み、その後雪組に配属されました。
1981年に公演『彷徨のレクイエム』で新人公演初主演を務めると、その後2番手男役になるまでの間全ての新人公演で主役を務めるなど杜けあきさんは早くも男役スターとしての地位を不動のものにしていました。
1983年に当時最年少でバウホール公演『恋のトリコロール』で主演を務め、1985年に男役2番手に昇進し、1988年に退団する平みちさんの後任として杜けあきさんは雪組トップスターに就任しました。
杜けあきさんは東北地方出身者として始めてのトップスターで注目されましたが、1992年の公演『忠臣蔵〜花に散り雪に散り〜』後に宝塚歌劇団を退団しました。
杜けあきさんは退団後は舞台を中心にドラマなどで活躍を続けています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 14位 一路真輝
元宝塚歌劇団雪組トップスター
一路真輝さんは2017年に2度目の『徹子の部屋』に出演しましたが、現在も舞台、テレビで活躍を続けています。現役当時の愛称は「イチロ」、「いっちゃん」と呼ばれていました。
一路真輝さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 石川 いづみ(いしかわ いづみ)
別名義: 一路 万輝(デビュー時)
生年月日: 1965年1月9日
出身地: 愛知県名古屋市
身長: 164cm
体重: 非公開
血液型: B型
職業: 女優
ジャンル: 宝塚歌劇、ミュージカル
活動期間: 1982年 – 2006年、2010年 –
一路真輝さんが宝塚歌劇団を目指したきっかけは小学校6年生の頃に観劇した花組の公演『うつしよ桜』と『ノバ・ボサ・ノバ』でした。
一路真輝さんは歌やダンス、バレエなど特にレッスンは受けていませんでしたが、宝塚音楽学校に一発で合格するなど天性の才能を持っていたようです。
そして、宝塚歌劇団には1982年に7位という優秀な成績で68期生として入団しており、雪組の公演『春の踊り』で初舞台を踏むと、その後雪組に配属されました。
1993年の公演『天国と地獄/TAKE OFF』で雪組トップスターに就任した一路真輝さんは、1996年の公演『エリザベート』千秋楽を終えて宝塚歌劇団を退団しました。
一路真輝さんは退団後は舞台を中心にテレビドラマやディナーショーなどを開催して活躍してきました。
そして、2006年7月に舞台『エリザベート』で相手役を務めた内野聖陽さんと結婚し、同年10月に第一子となる長女を出産しました。
しかし2011年8月18日に内野聖陽さんと離婚したことをFAXで発表しました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 13位 絵麻緒ゆう
元宝塚歌劇団雪組トップスター
絵麻緒ゆうさんの兄は星組時代の先輩の英りおさんと結婚して義理の姉になりました。また、劇作家・矢代静一さんは義理のおじであり、矢代静一さんは宝塚の大ファンであることからその次女で絵麻緒ゆうさんの従姉にあたる毬谷友子さんは雪組娘役として活躍していました。現役時代の愛称は本名から「ぶんちゃん」と呼ばれていました。
絵麻緒ゆうさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 福岡 文世(ふくおか ふみよ)
別名義: 絵麻緒 ゆう(デビュー名)、えまお(旧芸名)
生年月日: 1967年9月17日
出生地: 東京都目黒区
血液型: O
身長: 166.5 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ
活動期間: 1987年 –
絵麻緒ゆうさんは高校2年生の頃に宝塚音楽学校に合格して入学し、1987年に4番の非常に優秀な成績で宝塚歌劇団に73期生として入団しました。
同期には伝説のタカラジェンヌ・天海祐希さんがいるなどライバルひしめく世代でした。
絵麻緒ゆうさんは入団直後から星組の新人公演で頭角を現し、1993年あたりから新人公演主演を務めるようになり男役スターとして活躍しました。
2002年に退団する轟悠さんの後任として雪組トップスターに就任した絵麻緒ゆうさんは直後の公演『追憶のバルセロナ/ON THE 5th』のみで早々と宝塚歌劇団を退団しています。
絵麻緒ゆうさんは自らを「宝塚の異端児」だと語っており、性格的な問題から人間関係の衝突も耐えなかったようです。
しかし、退団後のインタビューでは以下のように抱負を語っていました。
一番やりたいことは結婚退団だったんですけど、それがかなわぬ今となっては、 やはり16年間自分が一生懸命打ちこんできたものを生かして何かやれたらなあと思います。 宝塚の外に出たら自分はこんなこともできたんって気づかされることもあるかもしれないので、 今、16年間培ってきたものプラス何かをそこで見つけて、新しいものに挑戦してみたいという気持ちもあります。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 12位 音月桂
元宝塚歌劇団雪組トップスター
音月桂さんは歌・演技力・ダンスと三拍子揃った実力派のタカラジェンヌで、現代的な美貌でファンを虜にした稀代の雪組トップスターでした。現役時代の愛称は「KEI(ケイ)」と呼ばれていました。
音月桂さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 木村 桂(きむら けい)
生年月日: 1980年6月19日
出生地: 埼玉県鴻巣市
身長: 166cm
体重: 非公開
血液型: O型
活動期間: 1998年 –
音月桂さんは幼少期からバレエを習っていましたが、引越しにより一時中断したものの中学校時代に文月玲さんのバレエスタジオが開講したことをきっかけに再開しました。
そしてスタジオの仲間に教えて貰ったことがきっかけで宝塚歌劇団に興味を持つようになり、中学校卒業と同時に宝塚音楽学校に一発合格をしました。
そして、1998年に39人中4番という非常に優秀な成績で宝塚歌劇団に84期生として入団し、その後雪組に配属されました。
音月桂さんは公演でカリスマ的な人気を博す一方で2007年には世界陸上開催に合わせて結成されたユニット「AQUA5」のメンバーに選ばれたり、同年12月からは三井住友VISAカードのイメージキャラクターに就任するなど広告塔としての存在感も世間に知らしめていました。
2010年9月に退団する水夏希さんの後任として音月桂さんは雪組トップスターに就任し、2012年12月24日の公演『JIN-仁-/GOLD SPARK!- 一瞬を永遠に -』千秋楽を以て宝塚歌劇団を退団しました。
その後2013年1月にEXILEなどを擁する芸能事務所・LDHに所属して芸能活動を開始し、ドラマや映画、舞台の他バラエティ番組などにも出演して活躍してきました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 11位 剣幸
元宝塚歌劇団月組トップスター
剣幸さんは宝塚音楽学校の受験に向けてほとんど何の練習もせずに臨み、試験管をズッコケさせるほど何もできなかったにも関わらず合格した非常に稀有な存在です。現役時代の愛称は「ウタコ」と呼ばれていました。
剣幸さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 赤田 明美(あかだ あけみ)
生年月日: 1954年3月2日
出生地: 富山県
血液型: O型
身長: 162 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ
活動期間: 1974年 –
事務所: オフィス・エイツー
剣幸さんは元々建築関係に興味がありインテリアデザインを学ぶために富山工業高校に進学しましたが、毎日黙々と机に座って製図を描く仕事が自分に向いていないと感じ、当時放送されていたNHK『歌のグランド・ショー』で宝塚歌劇団のスターが出演しているのを見て憧れるようになりました。
しかし、半年間バレエに通った以外は何の練習もせずに高校卒業後に宝塚音楽学校を受験したため、声楽では素人丸出しだったため審査員は椅子から転げ落ちてしまうほど酷いものでした。
熱心に練習を重ねてきたほかの生徒らはモダンダンスやスパニッシュダンスなど華麗に披露する中で、剣幸さんは側転するくらいしかできませんでした。
100%に落ちたと感じた剣幸さんは合格発表を見に行きませんでしたが、母親が念の為に見に行ったところ合格しており、それを聞いた剣幸さんは慌てて説明会場に向かったため遅刻してしまいました。
剣幸さんは何もできなくてもほかの人には無かったカリスマ的な花を当時から持っていたのでしょう。
剣幸さんの芸名の由来は富山県にある名峰・剱岳であり、「剱岳のような厳しい頂きを目指して欲しい」という思いを込めて富山工業高校時代の恩師から付けてもらいました。
剣幸さんは宝塚歌劇団に入団すると圧倒的な存在感で頭角を現し、1985年に退団する大地真央さんの後任として月組トップスターに就任し、公演『ME AND MY GIRL』の1年間続演は宝塚歌劇団の歴史の中でも初のことでした。
1990年の公演『川霧の橋 / ル・ポアゾン 愛の媚薬』千秋楽を以て宝塚歌劇団を退団した剣幸さんは、その功績から2015年に「宝塚歌劇の殿堂」の100人の一人にその名前を刻まれています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 10位 涼風真世
元宝塚歌劇団月組トップスター
涼風真世さんは退団後は女優・声優として活躍しており、アニメ『るろうに剣心』の緋村剣心役として有名です。現役当時の愛称は本名である「かなめ」であり、個人事務所の名称にもなっています。
涼風真世さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 森永佳奈女(もりながかなめ)
生年月日: 1960年9月11日
出生地: 宮城県石巻市
身長: 163 cm
体重: 非公開
血液型: O型
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ
活動期間: 1981年 –
涼風真世さんの芸名の由来は、母親が扇風機の「涼風ボタン」を見つけたことに由来しているようです。
1981年に宝塚歌劇団に67期生として入団した涼風真世さんは、公演『春の踊り』で初舞台を踏むと、その後月組に配属されました。
涼風真世さんは1990年に退団する剣幸さんの後任として入団から10年目にして念願の月組トップスターになりました。
1993年7月の公演『グランド・ホテル』を以て宝塚歌劇団を対談した涼風真世さんは、その後テレビドラマや舞台、声優にも挑戦し、歌手としてCDデビューも果たしました。
涼風真世さんは2004年7月に元ラグビー日本代表で現早稲田大学ラグビー部コーチの今泉清さんと結婚しましたが、その後離婚しています。
涼風真世さんは地元宮城県の良いところを全国に発信していく「みやぎ夢大使」にも任命されています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 9位 久世星佳
元宝塚歌劇団月組トップスター
久世星佳さんの芸名の由来は好きな演出家・小説家の久世光彦さんと、自身の名前の誕生日の暦が”盛夏”にあたることから本名の”星”に変えて名付けられました。現役時代の愛称は本名の紀子から「ノンちゃん」と呼ばれていました。
久世星佳さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 星野 紀子(ほしの のりこ)
生年月日: 1965年7月8日
出生地: 東京都
血液型: B
身長: 169 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台、テレビドラマ、映画、ラジオ
活動期間: 1983年 –
久世星佳さんは1983年に宝塚歌劇団に入団し月組に配属されると、新人公演でも天海祐希さんに次ぐ2番手の役などすぐに大きな役を任されるようになり頭角をあらわしていきました。
そして、退団する天海祐希さんの後任として久世星佳さんは月組トップスターに就任しました。
久世星佳さんは新人公演を1回しか経験せずにトップスターに就任するのは極めて異例のことでした。
1997年の公演『バロンの末裔/グランド・ベル・フォリー』を以て宝塚歌劇団を退団した久世星佳さんは、舞台をメインにテレビドラマや映画などで活躍していました。
特に映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』では重要な役を演じて久世星佳さんの演技力が話題になりました。
久世星佳さんは宝塚歌劇団時代から煌びやかなイメージよりは陰のある地味な印象ながら人を引き込む高い演技力を持っており、現在までにドラマの端役でもさりげなく登場することからいい意味でスターっぽくない親しみやすい女優になっています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 8位 瀬奈じゅん
元宝塚歌劇団月組トップスター
瀬奈じゅんさんの芸名の由来は、事故で亡くなったF1ドライバーのアイルトン・セナから付けられました。現役時代の愛称は本名から「あさこ」と呼ばれていました。
瀬奈じゅんさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 千田 麻子(せんだ あさこ)
生年月日: 1974年4月1日
出生地: 東京都杉並区
血液型: AB型
身長: 168cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 宝塚歌劇、ミュージカル
活動期間: 1992年 –
瀬奈じゅんさんは幼稚園の頃からバレエを始め、母親の高校時代の同級生が宝塚歌劇団の元月組副組長だったことからよく月組の公演を観に行っていました。
中学校時代に身長が伸びすぎてしまったため、瀬奈じゅんさんは宝塚受験クラスに転向し、1990年に宝塚音楽学校に入学を果たしました。
1992年に78期生として宝塚歌劇団に入団した瀬奈じゅんさんは、公演『この恋は雲の涯まで』で初舞台を踏むと、その後花組に配属されました。
瀬奈じゅんさんは2005年の公演『エリザベート』で男役としては初めてヒロイン・エリザベート役を演じ、月組トップスターに就任しました。
2008年の公演『ME AND MY GIRL』千秋楽を以て相手役の彩乃かなみさんが退団したため、瀬奈じゅんさんは退団する2009年まで約1年半の間、相手役不在という異例のトップスターとなりました。
2009年12月27日の公演『ラスト・プレイ/Heat on Beat!』を以て瀬奈じゅんさんは宝塚歌劇団を退団しました。
その後舞台女優を中心として活躍していた瀬奈じゅんさんですが、2012年末に舞台俳優の千田真司さんと結婚しました。
瀬奈じゅんさんは2017年から養育していた子供と特別養子縁組が認められたことを事務所の公式サイトを通じて2018年に報告しました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 7位 愛華みれ
元宝塚歌劇団花組トップスター
愛華みれさんの兄は南大隅町長の森田俊彦さんです。2008年に血液の癌である『悪性リンパ腫』に罹患して闘病生活をしていましたが、現在は復帰しています。現役時代の愛称は本名が森田であることから「タモ」と呼ばれていました。
愛華みれさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 森田 裕子(もりた ひろこ)
生年月日: 1964年11月29日
出生地: 鹿児島県南大隅町(旧・根占町)
血液型: O型
身長: 168 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ・映画
活動期間: 1985年 –
配偶者: あり
愛華みれさんの芸名の由来は、「多くの人から愛され華やかにいたい」という願いを込めて付けられました。
愛華みれさんは1985年に宝塚歌劇団に入団すると、公演『愛あれば命は永遠に』で初舞台を踏み、花組に配属されました。
1999年の公演『夜明けの序曲』で花組トップスターに就任した愛華みれさんは、2001年の公演『ミケランジェロ』のタイトルロールを以て宝塚歌劇団を退団しました。
愛華みれさんは退団後は舞台を中心にテレビドラマや映画、CMなどにも出演して活躍してきましたが、2008年3月21日に悪性リンパ腫に罹っていることを所属事務所が発表し、出演を予定していた舞台を降板して治療に専念していました。
悪性リンパ腫が発覚したのは交際していた10歳年下の彼氏からプロポーズをされた直後だったそうで、天国から地獄に落とされたような心地だったようですが、2009年1月1日に無事結婚しています。
2008年8月6日にはモーニング娘。と共演した公演『シンデレラtheミュージカル』で復帰を果たしました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 6位 真飛聖
元宝塚歌劇団花組トップスター
真飛聖さんはドラマ『相棒』で重要な役を演じたことでも話題になっていました。現役時代の愛称は本名から「ゆう」と呼ばれており、下級生時代は「うんた」とも呼ばれていました。
真飛聖さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 山下 裕子(やました ゆうこ)
生年月日: 1976年10月13日
出生地: 神奈川県川崎市
血液型: B型
身長: 169 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台
活動期間: 1995年 –
事務所: ワタナベエンターテインメント
真飛聖さんは幼少期からバレエを習っていましたが、中学校時代に当時月組トップスターだった涼風真世さんの公演『ベルサイユのばら』の観劇をした友達から月刊誌「歌劇」を見せて貰ったことがきっかけで宝塚歌劇団に興味を持つようになりました。
真飛聖さんは2度目の受験となる1993年に宝塚音楽学校に入学し、1995年3月に41人中12番という中々優秀な成績で81期生として宝塚歌劇団に入団しました。
真飛聖さんは新人公演『国境のない地図』で初舞台を踏むと、その後星組に配属されました。
真飛聖さんは2002年には公演『ヴィンターガルテン』で朝澄けいとさんとのダブル主演でバウホール主演デビューを果たし、2007年12月25日に退団する春野寿美礼さんの後任として花組トップスターに就任しました。
他組出身者が花組トップスターになるのは1987年の大浦みずきさん以来、真飛聖さんは20年ぶりのこととなりました。
2011年4月24日の公演『愛のプレリュード/Le Paradis!!(ル パラディ) -聖なる時間(とき)-』千秋楽を以て真飛聖さんは宝塚歌劇団を退団しました。
その後真飛聖さんはテレビドラマ、映画、舞台などで活躍を続けてきましたが、2015年には「コントができる女優になりたい」と今後の抱負について語り、宝塚歌劇団現役時代もコミカルな役どころも得意だったことから今後の活躍に注目が集まります。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 5位 真琴つばさ
元宝塚歌劇団月組トップスター
元宝塚歌劇団出身者で男役だった人は退団後に多くの人が女性らしいイメージに戻る一方で、真琴つばささんは現役当時から変わらないイケメンの印象を守り続けています。現役当時の愛称は本名から「マミ」と呼ばれていました。
真琴つばささんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 保川 真名美(ほがわ まなみ)
生年月日: 1964年11月25日
出生地: 東京都
身長: 168cm
体重: 非公開
血液型: A型
職業: 歌手・女優
ジャンル: 舞台
活動期間: 1985年 –
真琴つばささんは元々実践女子大学に入学していましたが、直後に宝塚音楽学校に合格していたことが分かったため1日で大学を退学して71期生として入学し直しました。
そして1985年に宝塚歌劇団に入団した真琴つばささんは、花組の公演『愛あれば命は永遠に』で初舞台を踏むと、その後花組に配属されました。
真琴つばささんが配属された花組は、当時一期下に紫吹淳さんや香寿たつきさん、二期下に匠ひびきさんや姿月あさとさんなど非常に協力なライバルがひしめいており、真琴つばささんは後に「暗黒の時代だった」と述懐しています。
1993年の公演『ル・グラン・モーヌ』でバウホール公演初主演を果たし、その後月組に異動となり、真琴つばささんは男役スターとして定着しました。
1997年に退団する久世星佳さんの後任として、公演『EL DORADO』で真琴つばささんは月組トップスターに就任しました。
2001年に公演『愛のソナタ/ESP!』を最後に宝塚歌劇団を退団し、その後は女優や歌手として活躍する傍らでバラエティタレントとしても『くりぃむクイズ ミラクル9』『プレバト!!』などへ出演を続けてきました。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 4位 紫吹淳
元宝塚歌劇団月組トップスター
紫吹淳さんは宝塚歌劇団ではカリスマ的な存在でしたが、退団後は“世間知らずのお嬢様キャラ”としてバラエティ番組に出演し注目を集めました。現役時代の愛称は本名から「リカ」と呼ばれていました。
元宝塚・紫吹淳の実家&彼氏や結婚情報!“ばあや”が存在するお嬢様?
紫吹淳さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 棚澤 理佳(たなざわ りか)
生年月日: 1968年11月19日
出生地: 群馬県邑楽郡大泉町
身長: 170cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ
活動期間: 1986年 –
紫吹淳さんは生後から足腰が弱く中々立つことができなかったため、心配した両親が3歳の頃からバレエを習わせ始めました。
中学校時代まで続けていましたが、バレエ発表会で『白雪姫』を踊ったところ身長が高くなりすぎたことに気づいてそれ以降バレエを辞めてしまいました。
紫吹淳さんは髪を切って完全にバレエは諦めていたものの、しばらくしてバレエ熱が再燃し教室に戻ったところ、先生から宝塚歌劇団を勧められて目標としてレッスンに励みました。
1984年に宝塚音楽学校に入学した紫吹淳さんは、1986年に24番の成績で宝塚歌劇団に入団し、星組の公演『レビュー交響楽』で初舞台を踏むとその後花組に配属されました。
2001年に退団する真琴つばささんの後任として月組トップスターに就任し、2004年の公演『薔薇の封印-ヴァンパイア・レクイエム』を以て紫吹淳さんは宝塚歌劇団を退団しました。
その後紫吹淳さんは女優宣言をして芸能活動を始めましたが、その天然お嬢様キャラからバラエティ番組にも引っ張りだことなりました。
「ばあや」と呼ばれるマネージャーの菅由美子さんは元々紫吹淳さんの私設ファンクラブの代表を務めており、紫吹淳さんが一人暮らしを始めた頃から菅由美子さんが毎朝起こしに来て家事や公共料金の払込など身の回りの世話をしていました。
紫吹淳さんが退団してオスカープロモーションに所属した時も菅由美子さんは一緒に籍を置き、正式にマネージャー・ばあやとして現在まで家事から運転まで世話をしています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 3位 大地真央
元宝塚歌劇団月組トップスター
大地真央さんは現役時に当時流行していた髪型を率先して取り入れるなど斬新な男役で知られていました。退団の際にも紋付袴ではなく純白タキシード着るなど最後までファンを沸かせ続けました。現役当時の愛称は「真央」や本名から「マミ」と呼ばれていました。
大地真央の旦那と子供情報まとめ!松平健との離婚理由や現在の活動も徹底解説
大地真央さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 森田 真裕美(もりた まゆみ)
生年月日: 1956年2月5日
出生地: 兵庫県洲本市
身長: 166 cm
体重: 非公開
血液型: B型
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ・映画
活動期間: 1973年 –
大地真央さんは4歳の頃から日本舞踊を始め、洲本市立洲浜中学校時代にたまたま舞台に出演した経験から面白さに目覚め芸能界を目指すようになりました。
しかし大地真央さんは元軍人で厳格だった父親から芸能界を猛反対されましたが、その父親の軍隊時代の友人が「宝塚は軍隊並みに規律が厳しいからためになるのではないか?」とフォローして貰ったことで父親から宝塚歌劇団への入団を許してもらえました。
その時から猛勉強した大地真央さんは49人中42番目とギリギリで宝塚音楽学校に入学し、1973年に49人中25番の成績で宝塚歌劇団に59期生として入団しました。
大地真央さんは入団翌年から月組に配属されて、早々に男役スターとして注目を浴びました。
当時、大地真央さんは1975年からアイドルとして芸能界で売り出され、『悲しみのアイドル』のレコードもリリースし、CMなどにも出演していましたが、鳴かず飛ばずで人気が出なかったことからアイドル歌手路線は続きませんでした。
1982年に専科に移動する榛名由梨さんの後任として、公演『愛限りなく/情熱のバルセロナ』で大地真央さんは月組トップスターに就任しました。
1985年の公演『二都物語/ヒートウェイブ』で宝塚歌劇団を退団した大地真央さんは、舞台を中心に女優としてドラマや映画にも精力的に出演を続けてきました。
大地真央さんはその中で共演することが多かった松平健さんと1990年に結婚しましたが2004年に離婚しました。
そして大地真央さんは2007年にインテリアデザイナーの森田恭通さんと再婚していましたが、2017年に前年から別居生活をしていることを女性週刊誌に報じられています。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 2位 真矢ミキ
元宝塚歌劇団花組トップスター
現在は情報番組『白熱ライブ ビビット(TBS系)』で司会を務めるなど、ドラマ、情報・バラエティ番組、CMなどによく出演しています。テレビ界えはトップ娘役の黒木瞳さんと並んで人気ランキング上位に毎回入っています。
真矢ミキに離婚の噂?旦那・子供・現在の状況まとめ【夫は西島数博】
真矢ミキさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 西島 美季(にしじま みき)
別名義: 真矢 みき(旧芸名)
生年月日: 1964年1月31日
出生地: 広島県広島市
身長: 166 cm
体重: 非公開
血液型: O型
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ・映画、バラエティー
活動期間: 1981年 –
配偶者: 西島千博(2008年 – )
事務所: オスカープロモーション
真矢ミキさんは大地真央さんに憧れて1979年に宝塚音楽学校に入学し、1981年に21番の成績で67期生として宝塚歌劇団に入団しました。
真矢ミキさんの同期には日本航空123便墜落事故で亡くなった元娘役スターの北原遥子さんがいます。
真矢ミキさんは初舞台から圧倒的な存在感を見せつけて、歴代の花組トップスターと遜色ないスター性を発揮し、2番手にも関わらずトップスターと変わらない扱いを受けるなど頭角をあらわしていました。
特に真矢ミキさんとトップスターの安寿ミラさんの男役コンビは当時大人気を博していました。
そして安寿ミラさんの退団に伴い後任として真矢ミキさんはトップスターに就任し、センスの良い衣装の着こなしやナチュラルな舞台メイクなど注目を浴び、対談直前につんく♂さんのプロデュースで日本武道館ソロコンサートを開催するなど話題に事欠かない活躍をしていました。
また、大物カメラマンの篠山紀信さんによる写真集を出版するなど、真矢ミキさんは宝塚歌劇団に新風を起こした「ヅカの革命児」と呼ばれていました。
1998年10月5日の公演『SPEAKEASY』千秋楽を以て宝塚歌劇団を退団した真矢ミキさんは、その後テレビドラマ、映画、舞台と活躍する中で情報番組・バラエティ番組などの司会を務めるなど芸能界でのポジションも獲得しました。
そして真矢ミキさんは2008年7月1日にバレエダンサーの西島千博さんと結婚したことを自身のブログで発表しました。
2016年には舞台『ドラマティック古事記〜神々の愛の物語〜』で旦那の西島千博さんと夫婦共演を果たし、2017年8月29日には「高等学校卒業程度認定試験」に合格、真矢ミキさんが今後キャリアアップのために大学を目指すのか注目が集まります。
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキング 1位 天海祐希
元宝塚歌劇団月組トップスター
天海祐希さんは宝塚音楽学校は首席で入学し、宝塚歌劇団に入団直後から圧倒的な存在感を持ったタカラジェンヌでした。多くの伝説、逸話を残してきたことで知られています。現役時代の愛称は本名から「ゆりちゃん」「ゆり」と呼ばれていました。
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天海祐希さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 中野 祐里(なかの ゆり)
生年月日: 1967年8月8日
出生地: 東京都台東区東上野
身長: 171 cm
体重: 非公開
血液型: O型
職業: 女優
ジャンル: 舞台・テレビドラマ・映画
活動期間: 1987年 –
事務所: 研音
天海祐希さんの宝塚歌劇団においての存在感はもはや伝説級となっており、天海祐希さんの母親は宝塚歌劇団の関係者から「よくぞ産んでくださいました」と感謝の言葉を述べられるほどでした。
天海祐希さんは1985年に宝塚歌劇団を首席で入学しましたが、1987年に73期生として宝塚歌劇団に入団する時は26番と大幅に順位を落としていました。
天海祐希さんは雪組の公演『宝塚をどり讃歌 / サマルカンドの赤いばら』で初舞台を踏みましたが新人としては異例の目立つ配役を貰ってすでに頭角をあらわしていました。
入団10ヶ月目にして新人公演『ミー・アンド・マイガール』で主演を飾った天海祐希さんですが、これは宝塚歌劇団の長い歴史の中でも初めてのことで現在までにその記録は破られておらず、公演前の配役発表時には上級生らが天海祐希さんの名前を見て「誰?」と動揺していたと言われています。
1993年に天海祐希さんは7年目で月組トップスターに就任し、これは宝塚歌劇団の歴史上でも最速だったことからそれまで伝説的なタカラジェンヌと言われた大地真央さんを越えた男役とも言われていました。
天海祐希さんは1995年12月の公演『ミー・アンド・マイガール』で宝塚歌劇団を退団し、退団公演での宝塚の象徴とも言えるフィナーレの羽を背負って階段を下りてくる慣習に従わず、「仰々しい羽を背負いたくない」という理由で天海祐希さんは羽を背負わずに降りてきました。
天海祐希さんは退団後に石原プロモーションに入ることを希望しましたが、男性専門の事務所だったことから叶わずフライングボックスに在籍して芸能活動を始めました。
その後NHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』で共演した唐沢寿明さんに誘われる形で事務所を研音に移し、現在までに数多くのドラマや映画などで活躍を続けています。
今日はじめて両親を連れてキャトルレーヴに行きました。私の母は、私が毎日リビングで宝塚を見てても、特に興味を示さなかったのですが、レジに向かう時、突然背中を叩いてきて「この写真買って」と、月城かなとさんの写真をそっと渡してきて困惑した次第であります( ˙-˙ )
— *⑅୨୧ Mei ୨୧⑅* (@mei_tkrzk0626) 2018年7月29日
役者 鳳月杏への注目度、関心度の高まり。
— 鱗 (@smile_chinatsu) 2018年7月30日
ちなつさんの演技力・表現力が作品毎に話題を呼び評判を呼び、宝塚ファンだけでなくメディアの方々にも大きく注目されていることが本当に嬉しいですね。
鳳月杏旋風、きてますよね!
この流れがちなつさんにとって大きな追い風になりますように。
宝塚という世界は女子をキュン死させる「身長差萌え」というものをよく知っている。
— みほ (@YfKfm4uurtZmp66) 2018年7月29日
そして、よくこの「まかまどコンビ」で身長差萌えをさせてヅカファンをキュン死させる。🚑 pic.twitter.com/xgseQIWNVw
宝塚歌劇団の歴代男役の人気ランキングについて総まとめすると…
100年以上の歴史を持つ宝塚歌劇団の歴代男役トップスターについてTOP30の人気ランキング形式でご紹介してきました。
ランキングの上位に入ったタカラジェンヌはやはり現在もテレビや映画などで活躍している人が多かったようです。
とはいえランキングに入ったいずれのタカラジェンヌも卓抜したエピソードを残しており、一人ひとりがやはりトップスターに相応しいカリスマ性を持っていたようです。
今後、天海祐希さんや大地真央さんを超えるタカラジェンヌが登場するのか次世代の天才の出現に期待がかかるところです。