「遊戯王」で知られる漫画家の高橋和希さんが60歳という若さで死去し衝撃が広がっています。
この記事では、高橋和希さんの遊戯王での大ヒットまでの経歴、結婚や嫁、子供などの家族、大豪邸の自宅や驚愕の年収と資産、死去報道の内容や死因などについてまとめました。
この記事の目次
- 高橋和希(遊戯王作者)のプロフィール
- 高橋和希(遊戯王作者)の経歴① 中学・高校時代に漫画家になる事を決意
- 高橋和希(遊戯王作者)の経歴② デビューするも一時はゲーム会社に就職
- 高橋和希(遊戯王作者)の経歴③ 週刊少年マガジンでアニメのコミカライズ版を連載
- 高橋和希(遊戯王作者)の経歴④ 週刊少年ジャンプでいくつかの作品を発表
- 高橋和希(遊戯王作者)の経歴⑤ 「天燃色男児BURAY」でジャンプ初連載
- 高橋和希(遊戯王作者)の経歴⑥ 「遊☆戯☆王」が大ヒット作に
- 高橋和希(遊戯王作者)の家族① 結婚や嫁
- 高橋和希(遊戯王作者)の家族② 子供
- 高橋和希(遊戯王作者)の自宅
- 高橋和希(遊戯王作者)の年収(所得)は2000年度時点で推定で10億円超
- 高橋和希(遊戯王作者)の資産は数十億から数百億円とも言われている
- 高橋和希(遊戯王作者)の死去報道
- 高橋和希(遊戯王作者)の死因は人命救助中の溺死
- まとめ
高橋和希(遊戯王作者)のプロフィール
高橋和希のプロフィール
本名 :高橋一雅(たかはし・かずお)
別名義 :雅はじめ、高橋かずお、など
生年月日:1961年10月4日
没年月日:2022年7月4日(死亡日は推定、享年60歳)
出身地 :東京都
血液型 :B型
高橋和希(たかはし・かずき)さんは、週刊少年ジャンプの大ヒット漫画「遊☆戯☆王」などで知られる漫画家です。
代表作「遊戯王」は、1996年から2004年まで連載され、単行本全38巻と関連本の累計発行部数は4000万部を超えています。
そしてこの「遊戯王」のストーリーから派生したカードゲーム「遊戯王OCG デュエルモンスターズ」は、カードバトルをメインにしたテレビアニメ「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」のヒットも相まって、当時の小・中学生の間で絶大な支持を集めて社会問題化するほどの大ブームを巻き起こしました。
遊戯王カードは、2011年の時点で累計販売枚数251億7000万枚というとてつもない記録を打ち立て「世界一販売枚数の多いトレーディング・カードゲーム」としてギネス認定されて記録を更新し続けており、公式世界大会「遊☆戯☆王チャンピオンシップシリーズ」も「参加人数が最も多いトレーディングカードゲームトーナメント」のギネス記録を持っています。
当時、遊戯王カードに夢中になった人々の間では、その生みの親とも言える高橋和希さんはカリスマ的な存在として人気があります。
そんな高橋和希さんが、2022年7月6日の午前10時頃、沖縄県名護市安和海岸の沖合300mほどの地点で遺体となって発見され、インターネット上ではファンや関係者の悲しみの声が広がりました。
ここでは、この高橋和希さんについて改めてまとめていきます。
高橋和希(遊戯王作者)の経歴① 中学・高校時代に漫画家になる事を決意
高橋和希さんは、1961年に東京都で生まれています。子供時代は体が弱い方だったそうで外で遊ぶよりも絵を描いている少年だったそうです。
幼稚園の頃からテレビのアニメ番組に出てくるロボットを描くのが好きだったそうで、小学生の時には、いとこと漫画の同人誌のようなものを作った事もあったそうです。当時は特撮のウルトラマンが好きで、それに登場する怪獣のデザイナーを夢見た事もあったのだとか。
中学1年生の時に、担任の教師から「高橋!お前は『喰って、ウンコして、寝るだけのウンコ製造機』じゃあ!」とからかわれて悔しい思いをして、その怒りから漫画家になる決意をしたそうです。
ただ、この頃はテニスクラブに熱中しており、漫画はあくまでも趣味としてやっていたと、後のインタビューで語られています。
高橋さんは’02年発刊の『遊戯王』のコミックス28巻で以下のように語っていた。
《「高橋!お前は『喰って、ウ◯◯して、寝るだけのウ◯◯製造機』じゃあ!」教室内は爆笑の渦!ボクは笑いながらも拳を握りしめ——「殴ったろか!このタコ!」と思っていました。ウ◯◯製造機にマンガが描けるかい!!(怒)マンガ家になる決意をしたのであった——!!》
高橋和希さんは高校時代は漫画家も含めて、とにかく絵を描く仕事をしたいと考えていたようで、アルバイト雑誌で、手塚プロダクション(手塚治虫のスタジオ)のアニメ背景スタッフの募集広告を見つけて応募されています。しかし、当時はまだ絵の技術が未熟だったため、不合格だったそうです。
高橋和希さんは学生時代には、コンビニや喫茶店でアルバイトをされていた事も過去のインタビューで明かされています。
高橋和希(遊戯王作者)の経歴② デビューするも一時はゲーム会社に就職
高校卒業後、19歳だった1981年に高橋和希さんは「雅はじめ」のペンネームで、週刊少年サンデー主催の漫画賞に学園コメディものの30ページの読切作品「ING!ラブボール」を投稿。この作品で第8回小学館新人コミック大賞(少年漫画部門)を受賞しています。
この「ING!ラブボール」が、週刊少年サンデー(1981年31号)に掲載され、漫画家デビューを果たしています。
サンデーではその後も何本かの読切作品を発表しています。
1982年には、「週刊少年サンデー夏の臨時増刊号」にて「あの娘にスクランブル」、続く「週刊少年サンデー秋まつり臨時増刊号」にて「共学戦線SOS!!」、さらに、「週刊少年サンデー臨時増刊号」にて、「勇ユア優」という読み切り作品を発表されています。翌1983年にも、「週刊少年サンデー夏の臨時増刊号」にて「はじめまして蘭です!!」という読み切り作品を発表されていますが、高い人気は得られず、サンデーでの連載は決まりませんでした。
以降も高橋和希さんは他のプロの漫画家のアシスタントをしながら技術を磨きますが、すぐには芽が出ず、一旦はゲーム会社に就職して商業デザイナーとして働かれています。主に、スロットマシーンのパネルのデザインなどの仕事をされていたそうです。
しかし、どうしても漫画家の夢を諦められずに、漫画の執筆を続けていたという事でした。
高橋和希(遊戯王作者)の経歴③ 週刊少年マガジンでアニメのコミカライズ版を連載
出版社を渡り歩きながら漫画作品の持ち込みを続けていた高橋和希さんは、24歳だった1986年に、SFスポーツアニメ作品「剛Q超児イッキマン」のコミカライズ版の作画を担当されています。
当時は「高橋かずお」というペンネームで、週刊少年マガジンの1986年19号から36号まで連載で掲載されています。自身が原案から考えたオリジナルの作品というわけではありませんが、一応、この作品が高橋和希さんの初連載作品という事になります。
高橋和希(遊戯王作者)の経歴④ 週刊少年ジャンプでいくつかの作品を発表
週刊少年マガジンでの「剛Q超児イッキマン」の連載後も、それからまだ数年の間は芽が出ず、高橋和希さんは他の漫画家のアシスタントなどを経験しながら、漫画の持ち込みや投稿などを続けられていたようです。
そんな日々の中で、週刊少年ジャンプ編集部に180枚ものオリジナル原稿を持ち込んだところ、これがある編集者の目に留まって掲載が決まります。
1990年の「週刊少年ジャンプ増刊サマースペシャル」にて「闘輝王の鷹」という読切作品を発表し、ようやくオリジナル作品での本格的なデビューを果たしています。なお、この時は本名の高橋一雅の名義で活動をスタートされています。
さらに、翌1991年には、「週刊少年ジャンプ増刊ウィンタースペシャル」で「バトルマインド」という読切作品を発表しています。
高橋和希(遊戯王作者)の経歴⑤ 「天燃色男児BURAY」でジャンプ初連載
出典:https://img.mandarake.co.jp/
高橋和希さんは、「週刊少年ジャンプ」1990年50号より、プロレスコメディ漫画「天燃色男児BURAY」の連載をスタートさせています。これが、高橋和希さんの記念すべき週刊少年ジャン連載デビュー作でした。(この作品も名義は本名の高橋一雅)
高橋和希さんはかなりの意気込みを持ってこの連載に挑まれたようで、新しく自宅の近くに仕事場を借りられたそうです。
しかし、この仕事部屋がかなりひどい環境だったようで、リフォームされたばかりの建材や塗料の匂いがキツく、しばらくいると頭がガンガンして目がチカチカするような部屋だったのだとか。しかも、部屋の隣がカラオケ教室だったらしく、高橋和希さんは巻末コメントに「夜な夜な恐ろしい歌声が聞こえて参る」と書かれていた事もありました。
この劣悪な仕事環境が影響したのかどうかはわかりませんが、「天燃色男児BURAY」は人気が上がらず、わずか13話(単行本2巻分)で連載打ち切りとなってしまいました。
高橋和希(遊戯王作者)の経歴⑥ 「遊☆戯☆王」が大ヒット作に
出典:https://m.media-amazon.com/
高橋和希さんは、ジャンプでの初連載作品「天燃色男児BURAY」の連載終了から数年間は、編集部に作品を持ち込んでもボツになるという苦しい何年間かを送られています。
そして1996年、週刊少年ジャンプ(1996年42号)で、ペンネームを「高橋和希」に変えて、「遊☆戯☆王」の連載をスタートさせています。
遊戯王は当初は、ゲーム好きの主人公が悪人を相手に様々なゲームでバトルを繰り広げるという内容で、特にカードゲームに特化したものではありませんでした。
しかし、途中で人気が低迷した事を受けて、以前に作中に登場したトレーディングカードゲーム「マジック&ウィザーズ」を再登場させたところ人気が爆発し、派生したカードゲーム「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ」が社会現象を起こすほどの人気となり、それを受けて製作されたテレビアニメ「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」もヒットとなります。
こうしたメディアミックス戦略の成功もあって更なる読者支持を得た「遊☆戯☆王」は2004年まで、全343話(単行本全38巻)の長期連載になりました。連載終了も人気低迷などの理由ではなく、高橋和希さん自身が決めたタイミングでの幕引きとなったようです。
その後、遊戯王シリーズは、多くの外伝的作品や派生作品が発表されており、高橋和希さんはそのほとんど全ての作品を監修されています。
「遊☆戯☆王」の連載終了後は、新たな連載はスタートさせず、遊戯王関連の作品の監修やデザイン提供などの他には、たまに読み切り作品を発表するだけで悠々自適の生活を送られていたようです。
高橋和希(遊戯王作者)の家族① 結婚や嫁
高橋和希さんは自身のプライベートの情報はあまり明かされておらず、家族についてはほとんど情報がありません。
2011年5月に、一般のTwitterユーザーが「はとこが遊戯王の作者と結婚した」という内容のツイートを投稿されています。
このツイートを根拠に高橋和希さんは2011年頃に結婚していて嫁がいるという噂が流れましたが、根拠となるのがこの匿名のツイートだけなので、真偽の程は分かりません。
高橋和希(遊戯王作者)の家族② 子供
高橋和希さんは子供がいるのかどうかも公表されておらず不明なのですが、こちらもTwitterに情報がありました。
2017年に、カードゲームデザイナーでゲームクリエイターの池田芳正さんが、「ゼアルは、高橋和希氏にお子様が生まれた頃に企画された作品」とツイートされています。
ゼアルは、高橋和希氏にお子様が生まれた頃に企画された作品なので、突然「家族愛」がテーマに入ってきました。今まで「大人は大嫌い」だったのにね(笑)
— 池っち店長 (@ikettitencho) November 7, 2017
しかしそこで描かれる「理想の父親」は、命綱も付けずに危険な崖にユウマを連れ出し、「かっとビングだ!」と笑顔で言うマジキチ。
続き
この「ゼアル」とは、ジャンプ系の月刊誌「Vジャンプ」で、2010年〜2015年にかけて連載されていた「遊☆戯☆王ZEXAL」を指していると思われます。
この作品が企画された頃に子供が生まれたという事なので、このツイートの内容が事実であれば、2009年から2010年頃に高橋和希さんの子供が誕生したと推測できそうです。
池田芳正さんはいわゆる業界の方なので、高橋和希さんに子供が生まれた事を知っていたとしても不思議ではありません。また、カードゲームのデザインや製作を請け負う会社を経営されている方なので嘘をつく理由が全くありません。
なので、この方のツイートの内容はかなり信用して良いのではないかと思います。
したがって、高橋和希さんは結婚していて嫁がおり、2010年頃に誕生した子供がいるという可能性が最も高そうです。
高橋和希(遊戯王作者)の自宅
出典:https://presidenthouse.net/
高橋和希さんの自宅は東京都中野区の閑静な住宅街に建つ豪邸です。
ジャンプの漫画講座雑誌「ジャンプ流」(Vol.8 まるごと高橋和希)の付録DVDで、高橋和希さんの自宅が紹介されています。
高橋和希さんの自宅にはシアタールームやビリヤード台、バーカウンターが完備され、フィギュアや玩具、DVDなどがびっしりと並んだショーケースなども設置されていました。
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
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高橋和希(遊戯王作者)の年収(所得)は2000年度時点で推定で10億円超
自宅が凄まじい豪邸である高橋和希さんですが、それもそのはずで、全盛期の年収額は10億円を優に超えていました。
下の画像は、2000年度の文化人部門の「長者番付」ですが、高橋和希さんは、鳥山明さんや青山剛昌さん(名探偵コナン作者)ら錚々たる人々を抑えて1位となっています。
2000年度の高橋和希さんの所得税額は「4億369万円」、推定の所得額(年収から経費を引いた金額)は「10億9800万円」となっています。
「10億9800万円」というのはあくまでも推定所得なので、純粋な年収額は10億円を優に超えていたと思われます。
高橋和希さんが10億円超もの年収を稼ぎ出せた理由は、「遊戯王」の漫画の単行本印税に加えて、遊戯王カード(デュエルモンスターズ)の印税収入が莫大だったためです。
高橋和希(遊戯王作者)の資産は数十億から数百億円とも言われている
高橋和希さん総資産額は、数十億円から数百億円に達していたと言われています。
というのも、高橋和希さんの「遊☆戯☆王」は、単行本総発行部数が5億部に迫る「ONE PIECE」よりも、トータルで大きな金額を売り上げているためです。
「最も稼いだマンガは『遊☆戯☆王』なんです。それも、ぶっちぎりダントツで」(前出・集英社関係者)
書かずともわかるかと思いますが、その莫大な売り上げの多くは「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ」(遊戯王カード)がもたらしています。
遊戯王カードはこれまでに数百億枚が売れており、1枚あたり0.1円〜0.2円ほどの印税が高橋和希さんに入っていました。
高橋和希さんは遊戯王カードの印税収入だけで、単純計算で数十億円もの印税収入を得た事になります。
これに、遊戯王の単行本の印税や、関連グッズ収入などが加わるため、その総資産額は数十億円から数百億円は下らないと言われていました。
『遊戯王』の売り上げはカードだけで、累計1兆円を超えている計算になりますからね」(前出・ゲーム会社社員) 高橋さんの資産は、数十億円とも数百億円ともいわれる。
高橋和希(遊戯王作者)の死去報道
漫画家として、最大級の成功を収めた高橋和希さんでしたが、2022年7月にまだ60歳という若さで死去しています。
人気漫画「遊戯王」の作者、高橋和希さん(本名高橋一雅=かずお)が亡くなったことが7日、明らかになった。60歳。
高橋和希さんは、2022年7月6日の午前10時過ぎ頃に、沖縄県名護市安和海岸の沖合300メートルほどの海域で遺体となって発見されました。
高橋和希さんは、黒いTシャツにスノーケリング、水中マスク、フィンを装着した姿でうつぶせの状態で発見されており、下半身は何も身につけておらず、サメなどの海洋生物に噛まれたような痕跡があり、酷く損傷していたという事です。
また、発見された時点で死去から1日〜2日が経過していたとも発表されており、遺体発見現場から現場から12kmほど離れた恩納村の海岸近くで、高橋和希さん名義で借りられたレンタカーと、運転免許証などの荷物が発見されています。
この事から当初、高橋和希さんはシュノーケリング中に何らかの理由で死亡し、1日〜2日の間に安和海岸まで遺体が流されたと報道されていました。
高橋和希(遊戯王作者)の死因は人命救助中の溺死
高橋和希さんの死因は、当初はサメなどの海洋生物に襲われた可能性や、何らかの事件に巻き込まれた可能性なども報じられていましたが、その後、海上保安庁が「司法解剖の結果死因は溺死だった」と発表しています。
沖縄県名護市沖の海上で6日に遺体で見つかった人気漫画「遊☆戯☆王」作者、高橋和希(かずき)(本名・高橋一雅(かずお))さん(60)について、名護海上保安署は11日、司法解剖の結果、死因は溺死だったと発表した。事件性は低いとみられる。
さらに高橋和希さんの没後3ヶ月を過ぎた2022年10月には、人命救助中に命を落としていたことが海上保安庁から発表されています。
高橋和希さんはシュノーケリング中に、離岸流に巻き込まれた両親と娘である少女の3人を発見。両親は自力で陸に戻ることができたものの、少女は沖合に流されてしまったそうです。
近くに居合わせたアメリカ兵の男性とアメリカ人男性が救助へ向かい、高橋和希さんも救助に加わったといいます。しかし、高橋和希さんは途中で波に飲み込まれ姿が見えなくなったとのことです。
高橋さんは7月4日午後に恩納村にある「マーメイド・グロット」(人魚の洞窟)と呼ばれるダイビングスポットで、シュノーケリングをしていた際に、離岸流に巻き込まれた両親と娘の3人を発見。近くに居合わせた米兵男性らと救助活動に当たった。 両親は自力で岸にたどりつき、少女は米兵男性がなんとか救い上げていた。だが救助活動の際、高橋さんは波にのみ込まれるなどしたものとみられ、2日後に名護市沖合で遺体となって見つかっていた。
少女は無事にアメリカ兵の男性に救助されており、海上保安庁は7月の時点で高橋和希さんの死因については把握していたものの少女の精神面を考慮し「事実の公表を控えていた」としています。
救助にあたったアメリカ兵の男性は高橋和希さんについて「彼は英雄です。」と語っています。また、ネット上でも高橋和希さんの勇気ある行動を称える声が相次ぎました。
まとめ
今回は、週刊少年ジャンプの大人気漫画「遊☆戯☆王」の作者で、2022年7月に死去が報じられた漫画家の高橋和希さんについてまとめてみました。
高橋和希さんは幼稚園の頃から絵を描くのが好きで、中学時代に漫画家になる事を決意。高校卒業後に週刊サンデーで漫画賞を受賞してデビューしています。
しかしその後は、何度か読み切り作品を発表したものの中々芽が出ず、長い下積み時代を送った経歴を持ちます。
その後、30歳を過ぎた1996年に連載をスタートした「遊戯王」が、作品から派生したカードゲームが社会現象になるほどの大人気となった事などもあって大ヒットを記録し、漫画家としての成功を収めました。
家族についてはほとんど情報がなく、結婚していて嫁がいるかや子供の有無も不明です。ただ、業界の関係者が子供がいる事を示唆しているため、結婚していて嫁と子供がいる可能性が高いようです。
自宅は東京都中野区にある豪邸で、その内部はジャンプ系雑誌の付録DVDで紹介されています。また、年収は全盛期で優に10億円を超えており、総資産額は数十億円から数百億円規模と見られています。
漫画家として最大級の成功を収めた高橋和希さんでしたが、2022年7月に60歳で死去しています。沖縄県名護市の安和海岸の沖合で遺体が見つかっており、死去から3ヶ月後に死因は人命救助中の溺死であったと発表されています。高橋和希さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。